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武田淳一さんのレビュー一覧

投稿者:武田淳一

11 件中 1 件~ 11 件を表示

近頃、深〜く考えてみたことありますか?

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

情報化社会といわれる現代に生きる私達は、日常の中でとくに“考える”ということをしなくても十分に生きていける。もちろん日常生活の中では、仕事、人間関係、家庭の些細なことに思いをめぐらすことはあるだろう。しかし、私達が日常の中でそれらについての根源的なことに関して、自分自身で深く考える機会というのは思いのほか少ないのではないか。何故なら、自分自身で深く考えなくてもどうにかなってしまったり、他人やメディアの考えでこと足りてしまったりするからだ。つまりそれらの機会というのは、自らが意識的に踏み出していかない限り、日常の中で訪れることはないといえる。
本書はこの“考える”ということからスタートして、哲学という不思議な世界の冒険に読者を誘っていく。“自分とは誰か”、“死をどう考えるか”、“他人とは何か”、“善悪”、“人生の意味”などの根源的なことについて、先生が生徒に語る口調を借りて読みやすく書かれている。タイトルには“14歳からの”とあるが、大人が読んでも十分に面白い。恐らく読者は、今まで深く考えたことがなかった上記のような根源的なことについて、深く考えさせられるに違いない。
それにしても、本書のタイトル・ネーミングは秀逸だ。近年の少年犯罪などで何かと話題となる“14歳”という年齢は、一般的に言って根源的なものについて考え始めるようになる年齢なのかも知れないと想像する。そのような“自分自身で考え始めた子供達”と一緒になって、根源的なことについて、まわりの大人達も“自分自身で考えてみる”と良いだろう。そのときには、本書が最適なテキストとなってくれるに違いない。本書を読んでみて、現在を生きる私達に最も足りないのは、この“自分自身で考える”ということではないかと深く思った。
(書評:2003.08.26 武田淳一 )

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紙の本いまなぜ青山二郎なのか

2003/03/11 23:24

日本の文化を生きた青山二郎との魂の交流から生まれた傑作

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

現在の日本人の中で、どれだけの人が青山二郎という人物について知っているのだろう。青山二郎とはいったい何者なのか。小林秀雄をして、「あいつだけは天才だ」と言わしめた人物。この本は青山二郎という人物について、青山二郎の最後の弟子であったという著者がその本質に迫ったものである。著者が青山二郎との交流について書くのは、この本が初めてではない。この本のプロローグとでもいうべき別のエッセイがあるのだが、それを読んだときから、行間からはみ出してくるような青山二郎という存在に私は圧倒的な魅力を感じていたのだ。この本で著者は、再び青山二郎という存在に対して、改めて一人の書き手として対峙している。著者は、“何者でもない”のが青山二郎なのだと語る。その“何者でもない”存在について、書きながら著者自身も再確認をしていく。そこで語られるエピソードの数々は、青山二郎に極めて近い立場に居た著者だからこそ書くことのできる興味深いものばかりだ。それらのエピソードはときに熱くときに静かに語られ、青山二郎という一人の人間の魅力を焙り出していく。その視点は常に鋭い。世情的な付き合いではなく、男と女という立場を超えた人間同士の魂の交流が有った著者にしか書くことのできない文章であろう。恐らく青山二郎について書かれた本で、この本を超えるものはもう出るまい。
「俺は、日本の文化を生きているんだ」と言い、美の世界を生きた青山二郎。「生活を売ってまで、生活を買う生活」をしていた青山二郎。彼のような魅力を持った日本人は、もう現在の日本にはいない。例えば彼の半生を映画化するとしても、彼を演じられる役者はいないだろう。それほど“何者でもない”青山二郎の魅力は、全てのものからはみ出している。
芸術や文化に関わる全ての人に、読んでもらいたい。
(書評:2003.03.12 武田淳一 )

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紙の本クインシー・ジョーンズ自叙伝

2003/07/30 23:40

優れた映画のような素晴らしい自叙伝

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

クインシー・ジョーンズ。ある人は「アイアンサイド」や「ルーツ」といったTV映画の音楽を思い出すかもしれないし、ある人は“愛のコリーダ”で武道館をディスコにしてしまった来日公演を思い出すかもしれない。またある人は《ウィー・アー・ザ・ワールド》やマイケル・ジャクソンの『スリラー』といった80年代の大ヒットを思い起こすかもしれない。この自叙伝を読んでみて、クインシーについて多くを知らなかったことに気がついた。名前はいろいろなところで耳にするけど、なんとなくイメージだけでこれまでの彼の音楽を聴いてきたようなところもある。クインシー・ジョーンズの個人的なイメージはというと、“お金持ち”、“商売人”という感じで、一般にもほぼ同じようなイメージだと思われる。そのようなパブリック・イメージはあながち間違いでは無いのだが、この自叙伝はクインシー・ジョーンズという一人に人間について遥かに多くの事を教えてくれる。現在のクインシーからは想像もつかない幼少時代の貧困、不良だった少年時代、そんな中で出会った1台のピアノが彼の人生を変えたこと、バンドでの挫折、アレンジャーやプロデューサーとしての栄光、幅広い交友関係、生涯をとおしての悩みの種だった母親のこと、そして誰よりも深くクインシーを理解していたであろう弟のこと。それらの事柄が、まるでひとつのドキュメンタリー映画を観るように語られる。この自叙伝を読み終えたとき、クインシーがたくさんの人々との出会いを通じて、“誰からも愛されるような音楽”を真摯に追求し続けてきたことが理解できる。それが、人々が“シビアな商売人”と呼ぶ音楽家クインシー・ジョーンズの正体なのだ。この本を読んで、そのような素晴らしい音楽を創り続けてきたクインシーの音楽を、今一度聴きなおしてみたくなった。最後に交わされる、弟とのやりとりは涙なしには読めない。単なるアーティストのサクセス・ストーリーではない。一人の数奇な運命を背負った稀に見る音楽家の、優れた映画のような素晴らしい自叙伝である。
(書評:2003.07.31 武田淳一 )

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紙の本ビーチ・ボーイズのすべて

2003/09/18 23:54

深遠なビーチ・ボーイズの世界への絶好のガイドブック

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

“いよっ、まってました”という掛声を掛けたくなるのは、決して僕だけではないはずだ。ついに出ました、中山康樹の“制覇本”シリーズのビーチ・ボーイズ版である。しかも文庫版書き下ろしであり、読みやすいのが嬉しい。この本にはビーチ・ボーイズのオリジナル・アルバム(一部、編集盤は除く)に収録された全353曲について、1曲1ページずつのスペースで、著者による独自の視点による考えが書かれている。単なる諸手をあげた曲目解説ではない。ビーチ・ボーイズの音楽そのものを聴いて著者が感じたことが、“いいものはイイ、ダメなものはダメ”という明確な考えのもとに示される。このような“自分自身の聴き方”を、提示してくれる音楽評論家は少ない。例えば次のような部分である。
<この曲はアルのためにある。〜中略〜この曲が秘めている哀感はそのアルの乾いた声によってこそくっきりと浮上する。〜中略〜アルが歌う「ロンダユルクソファ」ほどせつないものはない。>
ビーチ・ボーイズの代表曲の一つ《ヘルプ・ミー・ロンダ》に関する著者の記述だが、ビーチ・ボーイズをかなり聞いてきた人でも、この曲を“せつない”と感じる人がどれだけいるか。このような文章を読んだ瞬間に、ビーチ・ボーイズに興味があるだけで本書を手に取った人も、たちまち著者の魅力に惹き込まれるだろう。音楽をただ“聞いている”だけの人には、ぜったい書けない文章だからである。それゆえこの本は、ビーチ・ボーイズを長年愛してきた人、あるいはこれから初めて聴く人のどちらにとっても、深遠なビーチ・ボーイズの世界への絶好のガイドブックとなっている。著者はまた次のように書いている。
<レコードの溝に刻まれたビーチ・ボーイズの音楽こそが全てだったのだ。そしてその音楽は個人的な思い出や過去のさまざまな出来事を超えて、きょうはじめて聴く音楽として胸に響く。それがぼくにとってのビーチ・ボーイズであり、その音楽に導かれるようにして、この本を書いた。>
この本を読んでいて著者の言葉に深く共感し、また感動するのはこういう記述があるからである。そう、音楽こそが全てなのである。“本物の音楽”の前では、マニアックな研究なんてどうでも良いことなのだ。重要なのはその音楽を聴いて、何を感じるかだけなのである。僕も著者と一緒に大声で叫ぼう。「ビーチ・ボーイズが大好きだ!」(書評:2003.09.19 武田淳一 )

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“ミュージシャンの伝記はかくあるべし”という見事な伝記

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クリフォード・ブラウンというトランペッターは、実質3年という短い活動歴しかないジャズ・ミュージシャンである。なぜそんなに短いかというと、若くして自動車事故で亡くなってしまったからだ。しかしクリフォードは、その3年という活動の間に、忘れられないような名演をたくさん残した。この為ジャズの世界では、夭折の天才などと言われる。
本書はこのクリフォード・ブラウンというトランペッターについて書かれた、とても優れた伝記である。ミュージシャンの伝記というものは、自伝を含めて数多く存在しているが、本書は見事にクリフォードの人間性と音楽的業績を浮かび上がらせている。この点において、個人的な見解をできるだけ控えて一般読者向けの言葉で描いたという、著者ニック・カタラーノの手法は成功しているといえよう。その優れた手法によって、著者自身がイントロダクションで語っているように、当事のジャズ・ミュージシャンとしては類稀なクリフォードの人間性と音楽がストレートに伝わってくるのだ。クリフォードが残したジャズとしては決して多くは無い演奏についてもつぶさに検証されており、著者によるその検証結果を実際にレコードやCDで確かめたくなってくる。本書のようにミュージシャンの人間性と音楽の両方をきちんと語っている伝記というのは、ジャズやロック関連の書籍では珍しいのではないか。少なくとも私自身は、それまではあまり気にとめていなかったクリフォード・ブラウンというミュージシャンについて、本書によってより深く知ることができた。それと同時に、これまで何気なく聴いてきた彼の演奏に対しても、また違った聴き方ができるようになったと思う。“ミュージシャンの伝記はかくあるべし”という見本のような、とても読みやすい一冊である。
(書評:2003.08.29 武田淳一 )

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紙の本超ボブ・ディラン入門

2003/04/20 23:21

“本物の音楽”を聴けば、未体験の感動がそこにある

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音楽業界がビジネスである以上、ヒット曲(“商品”)として消費されていくだけの音楽が存在することは否定し難い。しかしボブ・ディランのように“本物のアーティスト”の“本物の音楽”もまた、確実にこの世に存在している。しかもその音楽は、ディラン自身の知名度にも関わらず殆ど聴かれることはない。
本書は、そのようなボブ・ディランの周辺にある様々な状況を解明し、ときには笑い飛ばし、“聴かれなければならない音楽”としてディランの音楽およびその聴き方を提示する画期的な本である。
その文章は、著者の中山康樹が得意とする“誰にでも解り易く楽しいエンターテイメント”なものとなっている。しかし、本書はそれだけの本ではない。解りやすく楽しい文章の裏側で、現在の日本の音楽の聴かれ方や音楽を取り巻く状況を見ている著者の眼は決して笑ってはいない(ように感じる)。だからこそ著者は、本書では“本物の音楽”であるボブ・ディランの音楽を、そしてこれまでの著書でビートルズやビーチ・ボーイズを私達に向かって投げ入れる。投げ入れられた音楽は、そのまま下に落ちてしまう場合や、一旦キャッチはしたもののすぐにポイッと捨ててしまう場合もあるかも知れない。しかし著者の本を読むと、殆ど読者はその音楽を手元に残して、自分自身で大事に育んでいきたくなるだろう。この本を手に、これからディランを体験する人が羨ましい。そこには“本物の音楽”を聴くことでのみ感じることができる、とてつもなく大きな感動が待ち受けているはずだからだ。何と言っても、著者がボブ・ディラン入門用としてリストアップしたアルバムが文句無く良い。いきなり大海に突き落とすようなことはしないで、“準備運動”もきちんと用意してある。あとは著者のガイドに従って“慣れ”るまでディランの音楽を聴けば、これまでに未体験の快感があなたに訪れるに違いない。
(書評:2003.04.20 武田淳一 )

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紙の本これがビートルズだ

2003/04/02 22:16

ビートルズの音楽の魅力を解りやすく具体的に伝える力作

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改めて言うまでもないことだが、世界で最も有名なバンドはやはりビートルズであろう。では、何故彼らは有名なのか? いろいろな理由が考えられるが、一番大きな理由は彼等の音楽が時代を超えて圧倒的に素晴らしいからであろう。では、ビートルズの音楽のどこがどう素晴らしいのか? これを具体的に書く(語る)のは、簡単なようでいて実は意外に難しい。幾多のビートルズ本が溢れる中で、彼等の音楽そのものの魅力について解りやすく書かれた本が殆ど無いのは、書き手にとってその魅力を余すことなく伝えるのが難しいからなのだ。
この本は、ビートルズが現役時代に残した全213曲を著者が聴きたおし、その音楽が持つ魅力に迫った力作である。著者が言うところの、“制覇本”のビートルズ版だ。何故ビートルズの音楽がいまもって古さを感じさせず新鮮に響くのかを、著者は1曲1ページという限られたスペースを使って伝える。そこで書かれていることは、ビートルズ初心者にとっては結構マニアックなものもある(例えば、《Love Me Do》のドラマーが3人いたことや、リンゴの一時的な脱退など)。それにも関わらずグイグイと読まされてしまうのは、書き手としての力量もさることながら、著者がビートルズの声、ハーモニー、アレンジ、サウンドなどの“音楽”そのものに焦点をあてて書いているからに他ならない。結果として“マニアックなこと”、“作者の思い”、“今まで一般的に語られてきた定説”などは全て二の次となり、その曲が持つ魅力(著者がどこに魅了されているのか)が浮き上がってくる。読者がビートルズ初心者であってもマニアックなファンであっても、著者の思いに共感したり、自分なりの感想と比較したりしながら楽しめる。そしてそこに書かれた曲を聴きたくなり、著者が語る魅力的な部分や“?”を確かめてみたくなるに違いない。
昨今の日本では、ベスト盤を少し聞きかじっただけでビートルズを“知ってるつもり”になり、その音楽的な魅力に気付くことなしに遠ざかっていってしまう若者が後をたたないらしい。この中山康樹の本を片手にビートルズを聴けば、読者の誰もが彼等の音楽の持つ力とスケール大きさに魅了されること請け合いである。
(書評:2003.04.02 武田淳一 )

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紙の本両性具有の美

2003/03/13 00:44

日本の歴史の意外な一面も垣間見れる男同士の幽玄な世界

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本の著者である白州正子は、男性に対して相当込み入った感情を抱いていたのではあるまいか。自分のことを“ボク”と呼び男の子のような遊びばかりしていたという幼少の頃、“所詮は男にしか舞うことのできない”と悟ってしまうまで懸命に能を学んでいた頃、青山二郎や小林秀雄を中心にした集団の中へ血反吐を吐きながら飛び込んでいった頃など、その生涯には否応無しに“性のかべ”といったものを意識せざる得ない場面が見え隠れしている。男同士の世界というものはなかなか女性には理解し難いものがあるようだが、白州正子という人はその世界に並々ならぬ関心を抱いてしまったらしい。別の著書の中で「他人を羨ましがるようなことがかつてなかった私が、このこと(青山二郎らの緊密な男同士の関係)には猛烈な嫉妬を覚えた」と語っているのだ。そして“切り込んででも入ってみせる”と夫や子供もそっちのけで、青山二郎、小林秀雄、大岡昇平といった男同士の付き合いの中に飛び込んでいくのだから尋常ではない。著者はその交流の中で、本当の人間同志のぶつかり合いを身を持って体験していく。そのような体験から著者が知りえたものの一つが、本当の魂と魂のぶつかり合いは美しいということだろう。そのような本物の魂と魂の交流を求めて、日本古来からの“両性具有”の深い世界へ著者は踏み込んでいく。“両性具有”といっても、取り上げられるのは全て男性ばかりなのは偶然ではない。そこには”本物の美しい魂と魂の交流”があると、著者は信じているのだ。そのような著者自身こそ、両性具有的な鑑識眼をもった希有な人物といえるであろう。
しかし日本の歴史の中で、男色というものがこれほど当たり前のようにあったとは知らなかった。「(武士の間では)肉体的な交渉があって当然だった」とか、「伝統というものは肉体的な形においてしか伝わらない」などとさらっと書かれても、現代の感覚で想像してみることは難しい。そのような歴史の裏側にあった日本の男色の歴史として読んでも、面白いと思う。最後にこのエッセイの文体。どこかで御眼にかかったと思っていたら、洲之内徹の「気まぐれ美術館」の文体である。著者はおそらく本質に近づく手法として、この文体を使っているのだ。
(書評:2003.03.13 武田淳一 )

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紙の本ジャズ・アネクドーツ

2003/08/19 22:16

思わず人に伝えたくなる逸話が伝える、偉大なジャズ・ミュージシャンの個性

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

表題にあるアネクドーツとは、逸話とか秘話という意味である。著者のビル・クロウ(彼もまたミュージシャンだ)によって集められたこれらのジャズ・ミュージシャンの逸話は、ことの真相はともかくとして、取り上げられているミュージシャンの確かな一面を映し出していることは間違いないだろう。本書のエピソードで言うと、例えばジャズ界の偉大なる頂(いただき)のデューク・エリントン。“エレガントなデュークは初めて会う女性に決まってこう言った。「君は誰のリトル・ガールなんだい?」 デュークは歌手のビッグ・メイベルにも同じように言った。彼女の体型は、その愛称「ビッグ」に恥じないものだった。メイベルは言った。「何だって、誰がリトルだってぇ」。そろそろと優雅に後ずさりするデューク・エリントン。”ここで若い頃のお洒落なデュークの顔が思い浮かぶかどうかで、爆笑の度合いも違ってくると思うが、本書にはこれらの逸話が山のように記されている。このようなミュージシャンの間で語り継がれてきた逸話が伝えているのは、ことの実際ではなくミュージシャンの人間性に他ならない。そのような誰もがすぐさま理解できるような明確な個性の持ち主でないと、このような逸話は生まれ得ないはずだからだ。本書に登場するジャズ・ミュージシャンが活躍していた時代というのは、ジャズそのものが伝説を生み出し得るような活気を呈していた時代だった。現在のジャズ・ミュージシャンで、このように海外で翻訳されてまで語り継がれていくような伝説を持ちうるミュージシャンがいるだろうかと考えると少し寂しい気もする。しかし郷愁だけではなく、本書を読むと、登場するミュージシャンの活気溢れる演奏が確かに聴きたくなってくるから不思議だ。音楽が好きな方(特にジャズ・ファン)にお薦めの一冊である。
(書評:2003.08.20 武田淳一 )

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紙の本ジョージ・ハリスン自伝

2003/08/11 22:11

ビートルズ以外のジョージについて、どの位知っていますか?

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私達がジョージ・ハリスンというミュージシャンについて語るときは、つい“ビートルズ”というフィルターを通して語ることが多いのでは無いだろうか。同じ事はジョン・レノンやポール・マッカートニーにも言えるが、ジョージの場合とは少し異なるように思える。いわば“ビートルズの看板”であったジョンとポールの活動は、ビートルズ時代およびそれ以後のソロ時代の中でも“ビートルス”という大きな影を感じさせるのに対して、ジョージの場合はそれほど大きく“ビートルズ”を感じない。このジョージ自身の手による自伝を読むと、驚くほど“ビートルズ”の影は少ない。そのボリュームは、一瞬物足りなさを感じる程である。しかし“ビートルズ”は、ジョージ・ハリスンという一人の人間の“成長の過程”においては、類まれな経験ではあっても小さな経験でしかなかった。この自伝を読み進むにつれ、インド哲学への傾倒、シタールの習得、ガーデニング、F1レース、モンティ・パイソンなどの“ビートルス”以外のものとの様々な出会いを通じて、一人の人間としてジョージが何を得て、どのように人間的に成長していったのかが理解できる。そこには“ビートルズ”の影は微塵もないが、ある物事を極めた人物ならではの悟りのようなものが感じられ、ある種の感動すら覚えるのだ。華やかなロック・スターの自伝というよりも、ある種の哲学書と言っても良いくらいなのである。またこの本には、出版時点の最新アルバムまでの、ジョージの自作曲のジョージ自身による解説がついている。ジョージの得た精神性は、自作の曲の歌詞からも十分に感じることができる。ただ残念なのは、掲載された曲が出版時点なので、遺作となった最新作までは網羅されていない。しかし珍しい写真などもあり、この本とビートルズのアンソロジーを揃えれば、ジョージ・ハリスンという人間が何を見て何を感じてどのように生きたのかが理解できる。CDが付いていた原本と同様の形態(手作りの皮で綴じられた豪華本)での日本発売も、限定で良いから実現してもらいたい。
(書評:2003.08.11 武田淳一 )

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関係者への取材を基に、ロック・レジェンドの軌跡を炙り出す伝記

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「ふー、やっと読み終わった」と思わず口に出してしまうくらい、ずっしりと読み応えがある本だ。この本は、ボブ・ディランという一人のアーティストの人生に関わりのあった関係者への取材を基にして、ボブ・ディランという一人のロック・レジェンドの実像を炙り出す伝記である。その関係者は、学生時代の友人、元恋人、元妻、ミュージシャン、ツアースタッフなど非常に多岐に渡っている。これだけ多くの関係者の発言を整理しているという点では、ディラン関連では嘗てなかった書籍といえる。膨大なエピソードは著者によって良く整理されており、ボブ・ディランというアーティストの音楽や歩みをある程度理解している人にとって興味深い事項がたくさん語られている。肝心のディラン自身はこの本への協力を拒否したということだが、協力があったところでこの本が炙り出すボブ・ディラン像というものは大きくは揺るがないであろう。インタビュー等でも気分によって本名を言い換えていることでも解るように、ボブ・ディランという人物の人物像というのは、ある意味、自らの行動と他人による伝説化によって成立しているようなところがあるからである。そういった面でディランの軌跡を丹念に追った本だといえるが、ディランの活動歴は40年にも渡っているため、エピソードによっては記述があっさりしすぎているという気がしなくもない。“バングラディッシュのコンサート”、“ライブエイド”、“30周年記念コンサート”などの裏事情など、重要な音楽活動についてもう少し掘り下げることもできたのではという気もする。ハードカバーに収めるには限界だったのかもしれないが、ディランがストーカーに悩まされていたなどということよりも、やはり音楽活動とその背景についてが、最もファンの知りたいことなのではないか。そのような点において、今少しの詳細な記述が欲しかった伝記本だ。ボブ・ディランの音楽についてある程度親しんだ人が、その人生の歩みについても知りたいといった場合にはお勧めできる伝記本である。
(書評:2003.05.06 武田淳一 )

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