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  3. 子母原心さんのレビュー一覧

子母原心さんのレビュー一覧

投稿者:子母原心

47 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

主人公のスパークぶりが笑えるギャグマンガ

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

高校に入学した超美少女の山田は、Hフレンドを100人作るのが目標!というものの、実はオトコと付き合いの経験がない処女!という設定からすでにつかみはOKです。この山田が「ひとまず」初体験を済ませよう目をつけた同級生の小須田を、あのテこのテで落とそうとするのですが、この小須田クンも内気でそれほど目立たない性格であり、かつ肝心の山田が恋愛経験ゼロで、かつHな妄想を先走りさせるあまり、暴走してしまいます。このプロセスの中での主人公・山田の、友人・竹下や小須田クンの家族をも巻き込んだスパークぶりが爆笑を誘うという「ラブコメ」タッチのギャクマンガです。(これ以上書くとネタバレになるので止めますが)個人的には、このスパーク振りには西原恵理子的テイストを感じます。オススメ。

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紙の本

紙の本日本経済を学ぶ

2005/05/10 17:42

これ一冊で日本経済の何たるかがわかってしまうお買い得な本。

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

これはお買い得な経済本だ。何しろ新書版で日本経済の何たるかが一気に学べてしまうのだから、コストパフォーマンスのよさは計り知れない。これ一冊で日本経済に関する基礎知識は十分に得られる。「中級者」や「上級者」にとっても、知識の再整理として読むのにも適している。
著者が強調しているのは、「政策割り当て」の考え方だ。これは人々の創意工夫を引き出すには「構造改革」や「競争政策」などを実施する。一方、「物価や雇用の安定」には「経済政策」、とりわけ「金融政策」を割り当てるべきである、という考えだ。
これらを日本経済にも十分当てはまる。日本経済が戦後の焼け野原から、高度経済成長を実現できたのは、「競争政策」によって企業間競争が活発になったからだと述べる。その例として挙げられるのは池田隼人内閣の「所得倍増計画」だ。これは聞いたことがある人は多いだろう。この「所得倍増計画」こそは、「民間企業は市場機構と競争を通じて経済合理性を追求しつつ、その創意と工夫により自主的活動を行う」という「競争政策」なのだ。この時期に勃興した企業が、「トヨタ」「ホンダ」「日産」「松下」という現在でも世界に冠たる大企業である。
よく日本経済の発展に関しては、旧通産省主導による「産業政策」に拠るところが大きかったといわれている。しかし、「産業政策」は大して効果を持たなかったのが実情なのだ。上に挙げた企業は「産業政策」によって成長を遂げたのだ、といわれるとどうだろう。「それは違う」と思う人が多いはずだ。
逆に、「政策割り当て」に失敗したケースが、「失われた10年」こと1990年代の日本経済の低迷なのだ。日本の企業が、規制によって競争ダイナミズムを失い、それが経済停滞につながったといわれる。しかし、この1990年代は急速に失業率が上昇し、なんといっても物価の下落ーデフレに見舞われた時期でもある。こうした物価と雇用の政策は、「経済政策」すなわち金融政策の失敗によって生じたものだ。ところが、この経済停滞を「聖域なき構造改革」という「競争政策」によって打破しようとしている。この「政策の割り当て失敗」こそが失われた10年の原因なのだ、というわけだ。
また日本経済の過去の流れを振り返るのにとどまらず、現在の日本経済が抱える問題点を、この「政策割り当て」の観点から明快に提示していく。具体的にはまず、失業率やデフレの改善のためには「金融政策」を、すなわちインフレターゲットを導入することを提唱する。そして、競争メカニズムを引き出すために郵政や道路公団の民営化などの規制改革を提唱する。
経済を見るには複眼的な思考が必要なのだ、ということを教えてくれる好著だ。

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紙の本

紙の本近鉄球団、かく戦えり。

2006/02/07 23:58

近鉄バファローズを通じて語る日本プロ野球史の現在と未来

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著者は1958年以来、日本シリーズの全試合をほぼ取材し続けてたという大ベテラン記者だ。これまで『監督たちの戦い』『球界を変えた男・根本陸夫』など、「事実を淡々と書く」というスタンスで、優れたノンフィクションも書いてきたが、本書は「近鉄を狂言回しに、激動する球界の、今日と明日を、務めて建設的に語った」本である。はしがきで、「昔はよかった繰り言を述べるつもりもない」という決意を述べているのは、感情論と対極に立とうとする姿勢は、ジャーナリストとしての意地、矜持かもしれない。
 近鉄バファローズは、1949年設立当初は、長期にわたって下位に低迷してきた。1958年にはプロ野球史上、最低記録の勝率を記録した「最弱軍団」だった。スポーツの世界では、「巨人」や「西武」などの王者のチームの戦略をたたえる書物は多い。だが、著者は、こうした「最弱軍団」のチーム模様からこそ、組織論の教訓が得られるのではないかと考えて、こうした書物の出版を出版社に掛け合ったが、にべもない反応だった。
 近鉄が属したパリーグは、長らく巨人と阪神の二大人気チームが所属するセントラルリーグの後塵を拝してきた。これを事実上後押ししてきたのは、マスコミが人気チームを追い掛け回すというところにも原因があるといえる。1978年、阪急ブレーブスの今井勇太郎が完全試合を達成した。ペナントレースの真っ最中の8月、その価値は高いはずだが、翌日のスポーツ新聞の一面は、阪神タイガースの掛布雅之の1試合3本塁打だった。この年阪神は球団史上初の最下位だった。その1988年、近鉄バファローズの伝説的試合「10・19」でさえ、日本経済新聞ではなんと著者一人で取材をしたのいう。
 とはいえ、仰木彬の下でバファローズは、当時全盛を誇った西武ライオンズに真正面からぶつかった。仰木は「西武VS近鉄」を、パリーグの「巨人VS阪神」になぞらえたのは明らかだろう。それは正しい戦略だったし、実際この両者は1988、89、91年と苛烈な優勝争いを演じて、パリーグの隆盛に一役買ったのだった。
 だが、ようやく日の目を見たかに見えたバファローズも、球界を取り巻く経済環境の前に苦境に陥っていく。FA制、ドラフトの自由獲得枠導入は、球界全体で経費上昇を招き、ついには2004年のような再編騒動にまで発展してしまう。某球団のオーナーの独裁政治を止める力は働かなかったのか。それが当然のことだと、マスコミまでが感覚麻痺に陥っていなかっただろうかと、自戒を込めて著者は振り返る。
 そして、現在は球界全体がプチ・パリーグ化する危機に瀕している。メジャー・リーグだ。1995年の野茂英雄の成功に続き、長谷川、イチロー、松井秀喜まで、日本のトッププレーヤーの一挙一足が日本のスポーツニュースに流れ、それが日本のプロ野球のニュースを掠める結果になりはしないのか。著者が最後に述べているように、今こそ、球界は「攻めの経営」に転ずる時期であるといえるだろう。

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紙の本

紙の本プロ野球の経済学

2005/06/04 12:09

プロ野球という名の「労働市場」を実証研究した名著

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書はプロ野球という「労働市場」に関する本格的な実証分析である。出版年は1993年とやや古いものの現在でも一読の価値がある。
本書が明らかにした実証研究は、現在のプロ野球改革においても重要
な示唆を与えている。
本書が分析の対称にしているのは、主に選手の賃金に関するもので
ある。選手はドラフト会議で入団し、その際に「契約金」を得る。
優秀な選手は一軍で活躍するが、一方一度も一軍にあがることなく
引退する選手もいる。
本書が出版された1993年はフリーエージェント制度の導入機運が
高まった時期である。これは選手側に、入団後一定期間経てば他球団
への移籍の権利が得られることを意味する。これまでは、選手は
いったん入団すると所属球団から「自らの意思」では他球団には
移籍できなかった。「保留事項」により選手が年俸決定の交渉では、
選手側と球団側とで相対的に球団側が強い立場に立つので、選手の年俸
が(支払われるべき水準以下まで)抑制されていたことを意味する。
第5章では、その点を実証研究で明らかにしている。米大リーグでも
同様の研究成果がある。
FA制度が導入されれば、年俸交渉に関して、これからは選手側が
強い交渉力を得られる立場に立つ。したがって年俸は上昇していく
だろう。そのために球団運営に関して人件費が急増し経営を圧迫する
可能性もある。そのために、本書ではテレビの放映権料を、放映権料
の「半額」をコミッショナー一括管理とする。また一括管理化による
交渉力を強めて放映権料を引き上げる策を取り、放映権料の再配分を
行うことで、パリーグの球団は最低10億円(!)はその恩恵を受ける
、という試算を立てている(第7章)。
昨今のプロ野球改革では何をしなければならないのか。それは、上述
のような利益の再配分制度の構築と、ドラフト制度の完全ウェーバー化
だろう。これらの恩恵を一番受けるのはパリーグである。本書が明らか
にしている「衝撃的」といえる結果は、セとパの間の「経済格差」であ
る。1993年オフの導入に関しては結局これらの再配分制度が実施される
ことはなく、果たして2004年の近鉄ーオリックスのような再編騒動にま
で発展してしまった。今こそこうした制度を導入しなくてはならない。

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紙の本

昭和54年8月16日、日本列島が凝視した「最高試合」

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ワールドベースボールクラシックで侍ジャパンが二大会連続の世界一に輝いた3月24日、18年ぶりに甲子園(選抜高等学校野球大会)に出場した箕島高校が見事に18年ぶりの勝利を挙げた。

 箕島高校。「みのしまこうこう」というこの言葉の響きは、野球ファンにはえもいわれぬセンチメンタルを呼び起こすようだ。

 WBCで日本中が熱狂したのと同じく、高校野球もかつては文字通り日本列島を興奮の坩堝と化したイベントだった。その最たるものが、1979年8月16日の全国高等学校野球選手権大会の第4試合である箕島高校対星稜高校の試合だ。作家の阿久悠によって「最高試合」と名づけられた。

 試合の内容は今更言うまでもない。1-1で迎えた延長12回と16回、星稜高校が1点を勝ち越すがその裏箕島がツーアウトランナー無しから起死回生の同点アーチを放ったのだ。

 本書は「最高試合」のあった1979年から1年後の1980年に発行されたものである。本書はこの「最高試合」の舞台を描いたスポーツノンフィクションでは「ない」。もちろんこの試合に出場した箕島、星稜の選手や監督の尋常も描かれている。本書のメインはこの試合を「見ていた人」である。

 北海道から沖縄まで。地元に近いということで星稜を応援する人。かっこいい人が多いという理由で箕島を応援する女の子。野球好きが集まって野球大会を開く養護学校の先生。労働組合の幹部、などなど。

 こうしてみると高校野球が日本野球の上で大きな屋台骨になっているのは否定しようもない事実である。スモールベースボールを身上とする侍ジャパンがWBCで連覇した年に同じく全員野球を身の上とする箕島高校が甲子園にカムバックしたというのは、何か運命的なものを感じるような気がするが、気のせいか?!

 

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紙の本

低予算ながらも「勝率最大化行動」を地で行く凄さ

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 日本プロ野球にとって「共存共栄の模範」と目されている大リーグだが、こちらでも「持てる者」と「持たざる者」の格差は激しくなっており、折しも選手の年俸高騰化が重なって、結局は撤回されたものの「球団削減」が議題に挙がるほどの深刻な事態が生じている。

 著者のマイケル・ルイスが着目したオークランド・アスレチックスは、低予算によって選手の総年俸が全30球団中で下位に属しながら、ペナントレースではやはり総年俸1位のヤンキース並みに勝ち続けていることに成功している。その鍵がルイスが主人公にしているGMビリー・ビーンの手腕である。

 オーナーから低予算を課せられている以上選手の人件費に多くを割けず、そのため有力選手のFA移籍はやむをえない、そんなチームが勝つためにはどうするべきか。それは選手の評価尺度を徹底的に洗い出し、「従来の評価基準では過小評価されながら価値の高い選手」を発掘する以外にない。例えば野手では「出塁率」「長打率」を3:1の度合いで重要視、投手では「非得点率」の低い投手を見つけ出すことである。つまりは徹底したデータ野球だ。

 「マネー・ボール」的マネジメントのハイライトは、旧来の評価基準だと「打率」や「打点」が高い選手は一流選手とみなされ高い値がつくが、平均程度の打率の選手は低年俸に甘んじる。だが、後者の選手でも「出塁率」が高い選手は、アスレチックスの基準では勝利に貢献できる「優秀な選手」に他ならないが、安価で獲得できる。要するに「適正価格」を下回る「市場価格」が付いている。こうした選手を集めて、チームの得点力をアップすれば勝てる。ここがポイントだ。

 アスレチックスのFA戦略には多分に「裁定取引」の要素がある。選手が「市場価格」を上回る評価をするチームにそのまま引き取ってもらい、見返りにFA補償金やドラフト1位指名という「利鞘」を稼ぐのだ。FA選手の年俸分の人件費が浮き、当然獲得する選手は「マネー・ボール・プレイヤー」でありFA選手の穴埋めが計算できる事になる。

 本書で述べられるアスレチックスのマネジメントと、ベースになる野球哲学は日本の野球ファンも魅了するだろうが、一つ欠点を挙げるとこのチームはプレイオフでは4年連続敗退している。「マネー・ボール・ウェイ」は長丁場のペナント・レースでは有効だが、短期決戦では「運だ」とビーン自身も認めている。しかし、日本では、日本シリーズのような短期決戦では「勝ち試合」ではなく「負け試合を計算する」という恐らくビリー・ビーンにとっては驚天動地の発想がある。ヤクルト、西武でそうした発想の元に日本一に導いた広岡達朗や森祇晶の著作を英訳して、ビリー・ビーンに教えてあげるのもいいかもしれない。

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紙の本

やはり岩田規久男は凄かった

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「80年代後半から90年代はじめにかけての日本の金融政策は、好況から一転、奈落の底ともいうべき大不況下に突入していった大不況期前後のアメリカの金融政策と基本的に同じ問題を抱えていると、著者は考えている」「80年代後半から90年代はじめにおきた、上は13%から下はマイナス0.6%というマネーサプライの乱高下をもたらした原因は、金融政策にあり(中略)本質的にはマネーサプライをコントロールしなかったという点で同じ問題を抱えていると、考えられる」(まえがきより)

 1993年7月の時点でこの見解は、恐るべき慧眼といえる。ただでさえ、当時はバブルの発生とその崩壊ー不況の原因は日銀の金融政策にあり、という見解は少数派だったのに、それを述べるのみならずアメリカ大恐慌との類似性を指摘しているのだ。後に大恐慌研究の成果を共有しているという米プリンストン大学のマクロ経済学者チーム(バーナンキ、スベンソン、ウッドフォード、ブラインダー、そしておなじみクルーグマン)が日本の経済停滞をこうした大不況期の需要不足になぞらえたのも政策提言をしているのもなんら不思議ではない。

 本書が指摘している「日銀理論」とは、実体経済に「受動」する形でマネーサプライを操作するやり方のことである。実体経済の現状に対して、日銀の金融政策が「主体的」に影響を及ぼすことができないというのだ。景気が過熱している時、日銀は「金利を十分に上げているので我々にできることはない」と述べて実はマネーサプライの大量増加を看過し(これがバブル期に発生した)、不況期には金利を十分に下げているのでこれ以上の金融緩和は出来ないと述べながらマネーサプライの激減を看過する(これが90年代から今日まで延々と続いている)という事態が発生したのだ。

 この、バブル期の日銀の金融政策の失敗は、実は過去にも「前科」があり、それが1973−74年の大インフレーションである。これを指摘したのが岩田規久男の「師匠」にあたる小宮隆太郎だった。この当時の大インフレというと今でも石油ショックに因るものだと思っている人も少なくないだろうが、日銀の過剰流動性に原因があったのだ。

 本書は実はある研究者が「裁判記録のように読みにくい」と評したようにリーダブルではない。基本的なミクロ・マクロ、金融論の知識に加えて、日本の金融政策システムの慣習/制度の知識が(実はこの知識が重要)ないと本書の理解はむつかしい。本書は現在でも刊行されている「新しい経済学」シリーズの一冊であるが、
本来はやはりこうした日銀の金融政策のみに絞ったものではなく、若手の世代の研究者が最新の知見に基づいた経済理論を解説しなければならないのかもしれない。しかしながら、今の日本でそういうものをかける人がいるのかというと…。

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紙の本

日本経済論に関する偶像破壊

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「日本経済システム」を特徴付けるものとして「銀行主導型経済発展論」「産業政策型経済発展論」の2つがある。近年著者たちはこれらの見解に対して批判検討を加える研究をしているとのことで、本書はその啓蒙書バージョンであり「銀行主導型経済発展論」に焦点を絞っている。続編の『産業政策論の誤解』が後者だ。

 「銀行主導型経済発展論」としては古くから「系列」「企業集団」「メインバンクシステム」「モニタリング」などがある。例えば、「メインバンクシステム」とは、経済全体が銀行の「モニタリング」を通じて効率的な社会的資源の分配が達成される事、とされる。これらを根拠付けるアカデミズムの研究に、Hoshi,Kashap,Scharpstein(1991)がある。これは日本の6大企業グループを実証研究し「メインバンク関係!が日本経済における企業行動に重大な影響を与えている」という結論を導居た事で有名だが、この研究には3つ反論が提示され著者たちはいずれも「有効である」と結論付ける。論文の「系列」の定義が極めてあいまいだと言うのだ。
 
 研究では岡崎哲二・奥野正寛『現代日本経済システムの源流』や『日本のメインバンクシステム』があるが、これらを「メインバンクシステムの主張のほとんどが『系列融資論』の焼きまわしに過ぎない」と喝破し「注目に値する果実は乏しい」と手厳しい。

 本書の批判を踏まえると、昨今議論されている「構造改革論議」にも深刻な影響を与えるだろう。なにしろ「かつては有効に機能したが、環境条件の変化への適応に失敗して崩壊した」とされる「現行システム」が、もともと存在しなかったり、有効に機能していないとすれば「再構築」「構造改革論」は再検討、修正を余儀なくされるからだ。

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紙の本

経済学で読み解く大リーグビジネスのカラクリ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著者のアンドリュー・ジンバリストは経済学者あり、本書は大リーグの経営を経済学で解き明かした名著だ。本書は1993年であるが、本書で展開されている分析は、現在でも古びておらず、これは、大リーグを理解するだけにとどまらず、日本のプロ野球界のおかれている現状を理解するうえでも、役に立つヒントになっていると思われる。
 本書で解き明かされている大リーグの経営実態の分析だが、日本のプロ野球の問題点を重なり合っている部分が少なくない。チームはオーナーの会社の宣伝媒体に使われる傾向がある。大リーグチームが都市にもたらす恩恵は、雇用といった実際的な「経済効果」はなくて、「フランチャイズが都市にある」という優越感、満足感である。コミッショナーは必ずしも中立的な立場によって立つことは稀で、時としてオーナーに肩入れすること、また、オーナー側によってクビのすげ替えられる恐れがあること、などだ。
 大リーグは「特別なビジネス」である。これは、「野球はプロスポーツの中で唯一、反トラスト法の適用を除外されて」おり、従って「合法的な独占状態」にあり、しかも「全く規制を受けない自治的な独占事業」である。しかし、このことが、様々な弊害を生んでいるという。
 その端的な例として、大リーグは球団数を、需要を下回る数に「抑制」している。これは、球団/オーナー側と地元自治体との関係において、球団側に強い交渉力をもたらしている。これは、自治体とオーナー側で、オーナー側が要求を受け入れない場合には他地域に移転すると脅しをかけて、より有利な条件を引き出すことを可能にしている。こうしてオーナー側/大リーグは、球場運営に関してより過大な公的支援を受け(納税者がその負担を押し付けられる)、場合によっては観客数が一定数を下回った場合には一定の補償を球団に与えるケースさえあるという。都市に適さない大リーグチームがある一方、大リーグチームのある都市は移転の脅威にさらされているのだ。
 この弊害として、1957年のドジャースとジャイアンツのNYからの移転した「茶番劇」を挙げている。ブルックリン・ドジャースのオーナー、ウォルター・オマリーが、「欲に駆られて」ロサンゼルスに移転し、さらにジャイアンツのオーナーをもそそのかして「巻き添え」にしたというわけだ。両者とも、当時大リーグが球団数を拡大していれば、移転する必然はなかった。ニューヨーク・メッツが1963年に誕生したのは、こうした背景がある。

 規制の弊害を一番に受けるのは、結局は消費者すなわち「ファン」ということである。野球中継の無料放送が減り、また自分の住んでいる地区では見ることの出来るチームのケーブルテレビが制限されてしまっている。おらがチームを持っているファンは、強欲なオーナーによって過大な公的負担を押し付けられている。果てはチームを奪われる恐れもある。ストライキ/ロックアウトは結構な頻度で発生し、そのたびにファンは野球を奪われる精神的苦痛を味わわされる。

 こうした弊害を解決するためには、やはり野球に対して反トラスト法適用除外を解除するべきだと主張する。この点、傾聴に値する意見が「独立した機関を設置して規制の決定とその実施について本格的に監督に当たらせる」というものだ。リーグ拡大のスケジュール、球団の移転、放送、収入配分、労使関係に関する決定を委員会で決めることになる。

 プロ野球であれメジャーリーグであれ、これらを取り巻く経済環境を理解するうえで、本書で展開されているような経済学的ロジックは欠かすことは出来なくなってきているように思う。現在のプロ野球改革論議においても、事実と数字に基づいた論議がなされるべきである。「球界はいったん潰れて、そして蘇生するのを待つしかない」という類の議論は、ただの暴論でしかない

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紙の本

紙の本経済学という教養

2004/01/21 23:27

「スジガネ入りのアマチュア」たらんとするための「教養としての経済学」

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 人は誰しも「ケイザイ」なるものに多かれ小さかれ関わりを持つ。進学、就職、結婚といったライフ・イベントの過程で、あるいは日常品を安く買いたい、ブランド物がほしい、などといって消費者としての行動のなかで。世の中にはエコノミスト/経済学者といった「専門家」が存在するが、誰しもがそのような専門家になるのではないが、やはり経済行動の指針として経済の知識は必要だ。「啓蒙書」はその知識を提供するために存在する。本書もそうしたものの一つだ。

 本書によれば小田中直樹『ライブ・経済学の歴史』飯田泰之『経済学思考の技術』に続く「三部作の最後」とのことだ。(ところで三冊あわせて6600円、チト高い。)「経済の専門家じゃない人の、経済行動の指針としての経済の知識」はこの三部作を読めば十分得られる。

 飯田本はより実践的な、今流行の論理的思考力トレーニングの体裁を取った経済/経済学の入門書。小田中本はその名のとおり「経済学史」だが、経済学の理論「毎」にそれぞれの理論の歴史をたどると言うスタイル。そして本書は「教養としての経済学」を提供しようとしている。

 「教養としての経済学?」本書の言葉を借りれば「スジガネ入りのアマチュアになる」ための「教養としての経済学」だ。日本社会はこれまでの平等社会が崩壊してこれからどうなる? この長い不況はそもそも何に端を発しているのだろうか? 日本経済を形作ってきたシステムが機能不全に陥り、構造改革が必要らしい? こうした問題点というのは、広く社会科学の研究の対象なのだ、という点を紹介しつつ、経済学での議論を紹介している。「経済学という教養」と謳ってはいるものの、実際には経済学を出発点にして、そこから経済という問題をより広範囲な、哲学や政治の話でもあるんだよ、と解き明かしていく。

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紙の本

紙の本噓つき大統領のデタラメ経済

2004/01/11 22:25

これでもかというほどにブッシュ政権の欺瞞を、そしてそれを許しているメディアをこき下ろす

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 本書の内容はある意味奇抜な邦題(山形浩生の訳じゃないけど)のとおりである。本書とスティグリッツ『人間が幸福になる経済とは何か』が多分経済学者によるブッシュ批判の双璧だろう。本書はブッシュ批判と、そのブッシュの失政(クルーグマンの目には明らかな、しかし一般的にあまりそれと認知されていない)を批判できないマスメディア批判である。

 クルーグマンの言説は経済時評の範疇を超えた時事評論を帯びている。クルーグマンをしてそうさせたのは、ジョージ・W・ブッシュ大統領の就任後の経済政策であり、そしてかの「9・11」である。クルーグマンがブッシュをウソツキ呼ばわりする理由は、ブッシュが政策を実施する際、真の目的を隠避し別の目的を掲げて国民をゴマカす欺瞞性であるという。例えば2001年のブッシュの減税政策である。ブッシュはこれで中産階級のためであり、現状の予算規模で賄えるものであると述べた。だがそれは国民が数字に弱いことに付け込んだものであり、富裕層や金持ちの懐を潤すものである事は明白だ。クルーグマンは現状の巨額の財政赤字の規模を憂慮する。ベビーブーマ世代が引退し、巨額の社会保障費が金利払いの負担を増大させ、それが他項目の支出削減を余儀なくされるからだ。

 間違った経済政策を経済学の知見から糾すと、今度は「ではなぜこのような明白に間違った政策の背後にあるものは?」という分析に踏み込む。ここからが政治の話になるだろう。クルーグマンの目の確かさはこの辺りの分析の鋭さであり、彼をオピニオンリーダーたらしめている一因であり、この言説こそが本書のハイライトである。第三部(P219-P326)がそのままブッシュの政策をメッタ斬りだ。特に9・11直後に「ブッシュ政権は9・11を政治利用しようとしている」という批判は相当アメリカ国内でも憤激を買ったようだ。

 クルーグマンの矛先はメディアに向けられる。なぜ本来権力者を批判すべきジャーナリズムよりもパートタイムジャーナリストのクルーグマンのほうがブッシュ政権の欺瞞をいち早く見抜くことが出来たのか。彼が公開されている分析や情報に基づいてオピニオンを吐けるのは自分が「ワシントン・サークル」の範囲外にいるからだと述べる。これは明確に統率された組織ないし集団でもないけれども、彼らジャーナリストたちが「自分たちはこのサークルにいる」という一種の帰属意識が集団的思考を生み出しているとクルーグマンは見ているようだ。信頼すべき阿呆だが正直者とされたブッシュが、「9・11」を境に勇敢なテキサス・レンジャーとなってしまった。マスメディアによってだ。いや、彼はとんでもないウソツキだったんだけど。

 クルーグマンのジャーナリズム批判の核心を一言で述べると、前述の通り「ジャーナリストたちの「ワシントン・サークル」とでも呼ぶべき共通認識の形成とそこから来る権力者への自覚なき追随」にあると言えるが、同じ構図は実は我が国の経済報道、経済論壇にも当てはまる。「改革なくして成長なし」といいながら改革の成果はさっぱり見えてこず、しかしそれが本格的な政権批判にはならないこの国の経済報道のおかしさ。それはひとえにジャーナリズムの側がその権力者の改革願望は共有しているからなのだろう。その悲惨な帰結は過去の昭和恐慌の時の経験からも明白なのだが…。

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紙の本

90年代のアメリカ経済にまつわる「神話」を糾すー誤れる経済政策がもたらす弊害

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 前著『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』では、IMF/アメリカの途上国への誤れる経済思想に対する経済政策に対する辛らつな批判が展開されていた。本書は1990年代のアメリカ経済を俎上に挙げていく。90年代のアメリカは史上まれに見る経済成長を成し遂げた。その理由に関して様々な「神話」が存在する。赤字財政の削減の成功による成長率の高まり、グリーンスパンの神業的な金融政策の手腕、「ニュー・エコノミー」に代表される新興ハイテク産業の成長、ストック・オプションの導入によるインセンティブの刺激。だがこれらには誤れる「神話」に基づいていると喝破する。スティグリッツ自身がこの90年代に経済諮問委員会の要職に携わった経験があり、それらを回顧しつつ述べていく。

 まず、「赤字財政」の神話である。ジョージ・ブッシュから政権を受け継いだビル・クリントンは「財政赤字」の削減に腐心し、成功した。莫大な財政赤字を抱えた国が経済停滞から脱出するには赤字財政の政策が欠かせない、という神話である。だが実際には「削減の成功は1990年代固有の理由によるものだった」。

 次に金融政策である。言うまでもなくアラン・グリーンスパンFRB議長の手腕である。彼の有名な「根拠なき熱狂」は当時の株バブルに冷水を与える効果を持ったーはずだったが、結局彼は何も手立てを打たなかった。彼ーそして周囲もーは自分の「影響力」を過大評価していた。言葉を発するだけで金融政策を司れるーという神話である。

 本文のなかで一番辛辣な調子で論じられているのは「カリフォルニアのエネルギーの規制緩和」「銀行規制の緩和によるバブル沸騰」「粉飾決算による会計操作」を扱ったくだりである(第4章から第7章)。
 
 スティグリッツはアメリカの1990年代の経済繁栄を、失業率の低下によって個人が直面する経済のリスクが低下し、そうして「ニュー・エコノミー」のような新たなイノベーションが誕生したのだ、と捕らえている。彼は、完全雇用を達成する経済政策の必要性を声高に主張する。

 本書は前著と比較するとときおり熱い調子が垣間見れるし、著者も認めるとおり「経済学の範囲を超えて」論じられているテーマもある。しかし、あくまでも本書の視点は経済学である。そして、経済学への誤った理解が生み出す弊害である。只し「経済学」とはいえ一貫しているのはアダム・スミスの「神の見えざる手」に対する「不信感」である。過度の規制緩和が進んだのは市場メカニズムへの過度の信頼である。会計の不正操作が起きたのはエンロンや銀行などの情「報を持てる者」が、「情報を持たざる者」を騙そうとすることから起きる。

 こうした不均衡を是正するために、政府にはやるべきことがあると主張するのだ。「イデオロギーに基づく政策ではなく、市場と政府の役割をバランスを重視する政策が経済成長と効率を促進する」ので、「政府と市場とのバランスの取れた役割を基盤とする新たなビジョン」を実現するために戦わねばならないと強調する。

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楽天の三木谷社長が読まなければならない本。

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 西武ライオンズは1978年の「創設」以来、リーグ優勝14度、日本一9度の歴史を記録している、というのが球団の「公式見解」である。しかしながら、その「西武」ライオンズの前身、昭和29年、31年〜33年、38年のリーグ優勝、かの巨人との「巌流島の決闘」などの球史に輝く不滅の金字塔の歴史の日々は、無視黙殺されているのである! そして、その西鉄のあとを引き継いだ、太平洋クラブ〜クラウンライター・ライオンズの歴史も。

 本書の舞台はこの太平洋クラブ〜クラウンライター・ライオンズの1973年〜1978年の球団史である。そして、著者は誰であろう昨年の球界再編問題で「プロ野球経営評論家」としてマスコミに再三登場し、「加盟料30億、参加料60億」の参入障壁を再三に渡って指摘していた、坂井保之その人である。

 当時のライオンズは「福岡野球KK」なる、オーナー中村長芳、そして球団社長兼球団代表の坂井保之らの個人経営だった。太平洋クラブ、クラウンライターという名前をユニフォームにつける代わりに、スポンサー料をもらって経営するというスタイルを目指していた。だが、経営は終始「地獄の責め苦」に喘いでいたのだ。太平洋クラブと契約した直後、当のスポンサーが経営が窮乏してしまったのだ。しかも、坂井が中村に太平洋との契約の証文を要求したが、何と「男と男の約束」を理由に拒絶され、これによるスポンサー料収入の滞りが、地獄の責め苦の始まりだったのである。

 何にもまして、坂井らを苦しめたのが、本拠地を管轄する福岡市の冷淡な態度、財界、そして、「西鉄ライオンズ」の栄光に郷愁を抱くファン、という、おらがチームを支えるはずの「味方」である。市は坂井らが太平洋を引き継ぐ際、何と「立ち退き」を要求し、さらに球場使用料をそれまでの6,7倍に跳ね上げるという有様である。(これは前身の西鉄と市の間のごたごたが遠因らしいが)ファンはファンで、「地元球団」を待ちわびながら、下位に喘ぐチームを見放し、平和台に閑古鳥を鳴かせている。(但し、球団の窮状をファンに訴えずにひた隠しにしていた路線も自ら悔んでいる)

 外資系のPR会社で辣腕を振るった日々から一転、日々の勝敗に左右される「その日暮し」な日々に明け暮れる球団経営にずるずると引き込まれ、「巨人」を持たないパリーグにある、日本の端に位置する球団でのrunning on empty の日々に明け暮れたいた坂井の、当時の率直な心情が吐露されている。金策金策また金策に明け暮れ、前後期制プレーオフ制の弊害を受け、時には地元マスコミと冷戦になり、とうとう破滅への甘美な誘いをも待ちわびているまでに追い詰められる。

 昨今のプロ野球改革論議でキーワードとなっている「市民球団」「地元とファンとの関係」「独立採算制」「球団マネジメント」「リーグ繁栄」など等について、本書が実際に起こったケースだけに、読者に考えさせる内容を含んでいる。読み物自体としても優れており、かつシリアスである。

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事実描写に徹した金融政策の舞台裏。

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 現役のジャーナリストの手による日銀の金融政策を検証した本。『縛られた金融政策』とともに快著である。事実関係の描写では藤井本と重なる所も少なくはないができれば両方とも読むことをお薦めする。

 本書ではあくまでも事実を描写するというスタンスに徹し、「日銀と政府の関係」「日銀内部の意思決定のプロセス」の2つが中心である。どちらかというと後者のウェートが多い。

 本書で浮き彫りにされているのは、日銀の独立性への過剰な固執である。速見優という人の日銀総裁としての資質である。どう贔屓目に見ても日銀総裁としての仕事振りには、ただの1ミリも肯定的評価を与えることができない。また、日銀の政策審議委員会内部で、総裁ー副総裁間で経済観に対する温度差から来る人間関係の温度差、などの人間関係が組織としての意思決定に与える影響が描かれている。組織での人間関係が組織運営に与える影、というとどこの組織でも見られるだろうが、日銀の政策運営にもまた例外ではなかったのだ。

 本書のあとがきで、ジャーナリストである著者が日銀に対して情報公開法に基づいて金融政策決定会合議事録の開示を求めたが、日銀が議論の部分を不開示にし、情報公開審査会に異議申し立てをした「戦記」が記されている。

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現役のジャーナリストが抉る日銀の金融政策の光と影

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 1998年4月改正日銀法が施行され、日本銀行は念願の政府からの政策の独立性を確保することになった。これにより、それまで「スリーピングボード」と呼ばれ有名無実でしかなかった政策審議委員会が、日銀の金融政策運営の案件を担うことになり俄然重要な役割を果たすことになる。総裁も交代し、政策審議委員もほぼ全員入れ替えられるという状態で、日銀は98年4月、「再出発」を果たしたのだった。

 政策の独立性と引き換えに要求される説明責任。同時に、未曾有のデフレ経済という苦境を奪取する役割としてのマクロ政策。速水政権の金融政策運営は「史上初」づくしとなり、当然その検証作業をなされなくれはなるまい。本書はその待望の分析である。

 日銀の金融政策を検証した著作というと、これまでは経済学者/エコノミストの手によるものや、「元インサイダー」による暴露本であるとか、はたまたトンデモ的な政治経済学によるものとか、一長一短が著しいものばかりだが、本書は実際に金融政策に関った当事者へのインタビューや自身の取材体験という「実地」と、「日銀の金融政策を検証した」となると当然要求されるであろう経済学という「理論」が合致した、読むに値する分析が展開されている。

 著者は速水時代の金融政策を分析して「中原先行パターン」「180度転換パターン」「混在パターン」の3つが特徴だと述べる。中原先行パターンとはほかならぬ中原伸之元審議委員が終始政策提言をリードし続けたことを表す。速水時代の金融政策のエポックメイキングである「ゼロ金利政策」「量的緩和」を審議委員の中で真っ先に主張し、しかし最初は他の審議委員に否定され続けられたものの、結局は実施された先見性を意味する。「180度転換パターン」は、例えば2000年8月にそれまでのゼロ金利政策(1999年2月ー2000年8月)を「デフレ圧力の緩和」を理由に解除しながら、2001年3月19日に「量的緩和」への転換を行い、これが事実上の「ゼロ金利政策」とみなされて「デフレ圧力の緩和」を述べておきながら結局はゼロ金利政策に戻ったことで「見解を変えた」というパターンだ。
   
 本書での分析の断片が、既出なものも少なくはない(中原伸之『デフレ下の金融政策と日本経済』、安達誠司「新日銀法下での政策決定と論争地図」)。また結論レベルでは日銀の金融政策の拙速を批判というそれ自体もすでに存在する(森永卓郎『日銀不況』、岩田規久男『デフレの経済学』)。本書の特徴はむしろ、エコノミスト/経済学者以外で初めて、経済学の知見に基づいて日銀の金融政策を検証し、その政策を「失敗」だと真っ向から批判したという点と、そこから導き出された、日銀の組織防衛としての「閉鎖性」を公然と描写した点だ。

 日銀の金融政策を経済学的に見ても失敗続きだと断ずるのみならず、その政策の失敗を頬かむりにしようとする日銀の官僚制、無謬性の体質をも炙り出している。日銀は2000年7月に海外の中央銀行関係者、経済学者を招待して日銀のゼロ金利政策に関するコンファランスを開催したが、この会議を非公開にのみならず、あたかも海外の関係者がゼロ金利解除のスタンスに賛成であるかのように外部に宣伝したのだった。また、著者自身が速水総裁から「取材拒否」に遭うというエピソードや、日銀がマスメディア、在野のエコノミスト、学者を「格付け」し、日銀が外部からの批判を受けないようにいかに懐柔政策を取っているかを描写している。

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