樋口 剛さんのレビュー一覧
投稿者:樋口 剛
| 7 件中 1 件~ 7 件を表示 |
決断力 そのとき、昭和の経営者たちは 上
2001/05/24 18:17
現役トップ100人が選んだ「昭和の名経営者」たち。重要局面での決断に21世紀経営のヒントを探る
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
昭和,とくに戦後の日本経済高度成長を牽引した名経営者たちの重要局面での「その後」を切り拓いた決断の背景や本人の思想や心情に迫り,“失われた10年”のなか自信喪失しているいまの日本の経営者たちを勇気づけよう,という本。2000年7月から2001年2月まで,日本工業新聞に連載したもので,上巻は,得票上位から盛田昭夫,本田宗一郎,松下幸之助,土光敏夫,木川田一隆,早川徳次,御手洗毅の7人をとりあげている。こう並べると,いずれも有名経営者だっただけに,その足跡やいくつかの重要局面での行動は周知のことが多い。でも,「知られざる決断」を掘り起こす努力もそれなりになされており,たとえば,盛田のADR発行で示した,財務の国際化に関する先見性,本田の「時間」へのこだわり,幸之助の人本主義のひとつの証左「保信部」なる組織,謹厳な紳士木川田の「上半身裸」の素顔,マスコミを重視した土光など興味深い。
それぞれの人物ごとに重要局面での行動と決断を詳述する一方,残された企業の後継者などとの長めのインタビュー,「名経営者」に推薦した現役トップの短いコメント,年表などがついていて,足跡はよくわかる。だが,7人に共通した決断の形,資質や思想・信条などを解析していないところは,もの足りない。また,盛田,本田,早川,御手洗にみられる,「他がやっていないからやる」とか,「オンリーワンを目指す」とか,「徒手空拳で海外に乗り出す」といった“ベンチャー精神”,松下,木川田,土光にみられる,“人間尊重の精神”の2つが戦後の関係企業や日本経済の発展の原動力であったことは,各ページの行間にあふれ出ている。「21世紀の経営」にどう活かし得るのか,継承や発展が必要なのか,断絶と飛躍が必要なのか,などについては読者の判断に任されていて,共同執筆者(評論家と記者の混成)たちの明快な分析がほしいところだ。
さらに,もし21世紀の日本企業の指針をこれらの経営者のなかに求めるとするなら,もっと彼らの創業,あるいはそれ以前の格闘に照準を合わせる必要があると思われるが,そうした「学習書」としてでなく,「戦後日本大経営者列伝」として読むなら,極めてコンパクトで,エッセンスを含んでおり,便利とはいえる。
(C) ブックレビュー社 2000-2001
コ・ファウンダーズ 井深大さんと盛田昭夫さん
2001/03/18 22:16
著者が40年間傍らに仕え,見送ったソニーの偉大な創業者2人の真っ直ぐな闘いと美しい協奏を思い深く回想
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
こんなに長く2人の天才の傍らにいて,なお2人との日々をこれほど愛惜込めて語れるのは,著者が2人に心から惚れ込む一方で,「必ずしも私本来の職分ではない,しかしだれかがやらなければならない仕事」を通じて「ソニー」という20世紀日本の神話の形成に参与した満足感があるから,に違いない。対照的な家庭環境に育った14歳違いの2人が創業から病に倒れるまで兄弟以上のコンビネーションで,ソニーというオーケストラを指揮していくさまざまの局面は,2人のいずれが欠けても,今日のソニーはなかったことを静かに強調する。
「井深さんは20世紀日本の天才」(盛田氏)「盛田さんほど自分を上手に担いでくれる人は絶無」(井深氏)と終生お互いへの尊敬の念を失わなかったこと自体,ひとつの奇跡である。そのうえ共通して合理的で「前向きで楽天的で積極的でとことん明るい」コ・ファウンダーズに率いられたソニーマンたちは,果報者というべきであろう。もっとも,2人の強い個性とぶつかって辞めていったエリートもいる由だが,それらのエピソードも“海軍”的でさわやかだ。
(C) ブックレビュー社 2000-2001
オープン・リソーセス経営 勝ち残る企業像−−バーチャル・コーポレーション
2001/01/07 18:15
中核能力を手許に,あとはアウトソーシングなどで外部資源を活用するオープン・リソーセス経営のススメ
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
「デファクト・スタンダード」という言葉がある。たとえばこれまでのパソコンの世界では,ウィンドウズの基本ソフトが圧倒的シェアを持っているので,メーカーはそれと別のOSを搭載したパソコンはつくれない。こうしてシェアを益々高めて行くものをデファクト・スタンダードと呼ぶが,それが成立する理由は,システムの開放性にあり,それが「皆が使うから利便性が高まり,それを使わないと仲間になれない」という循環を生む——というのが著者たちの見方で,それらから「すべてにオープンな経営こそが21世紀に生き残る」と説く。
80年代,巨人IBMがダウンサイジングに後手をとり,大赤字になったのは,なんでも自社に囲い込む「パロキュアリズム」が原因で,これからの企業は,かつてのIBMとは反対に,コア・コピタンス(中核的能力)のみを手許に残し,その他の業務はアウトソーシングなど外部資源を活用する「オープン・リソーセス経営」を基本的方向にすべきだ,と主張している。その場合,自らの企業もあらゆる顧客や企業に出入り自由なバーチャル・コーポレーションになるべきで,そこではITがおおいに活用され,中間管理職のいないフラット化した企業組織,プロジューマー(生産する消費者),正社員と非正社員のボーダーのない職場,全ての顧客に対する一品受注生産・・等が日常化する,という。
大きな潮流を牧野昇氏が歯切れよく叙述,武藤泰明氏がこれからの企業再編のあり方,企業関係(ネットワークと公開性,取引関係,コアコピタンスとビジネスモデル等),外部資源活用に伴うさまざまの経営課題について詳述している。また,事例研究としてオープン・リソーセス経営指向の企業として,デル・コンピュータ,キーエンス,トヨタ自動車の事例を取上げる一方,牧野氏がオープン・リソーセス経営とアウトソーシングについて西本メイテック社長と,日本企業の課題などについて水野高知工大教授と対談,ナマの動きにも配慮している。
これまでの日本的経営がもはや時代遅れであり,全く新しい発想がこれから求められていることを強調する点,最近のビジネス書と共通しているが,それらと同様「生き残り=効率化のみが21世紀日本経営の課題であろうか?」という疑問も湧く。そろそろ違った角度の警鐘も聴きたいものだ。
(C) ブッククレビュー社 2000
経営の突破口は儒学にあり 閉塞状況を打破する行動哲学
2000/12/19 12:15
グローバル経営が叫ばれているが,日本は朱子学,陽明学の儒教的経済倫理感の回復こそ必要,と主張
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
IT革命で米国その他に差をつけられるなど,最近の日本企業はバブル崩壊から10年経っても元気を取り戻せないでいるが,日本は過去100年余,幕末,敗戦と,2度の大きな危機を見事乗り切ってきた。その動因となったのは,決して西欧の近代思想ではなく,企業家たちに脈々と伝わっていた儒教的エトスだった,というのが著者の主張で,その論証に多くの紙数を割き,3度目の危機にたじろぐ現代日本の企業家たちへ儒教的経済倫理の再評価を強く勧めている。
内容は,まず江戸日本の2大儒学,朱子学と陽明学の違い,佐久間象山,吉田松陰など主要な思想家たちの思想と行動を簡潔に紹介,2学派ともに違った形で日本的経営思想の根幹形成にかかわっていることを石田梅岩(朱子学的とする)と渋沢栄一(陽明学的とする)の生涯から論証を試みている。そして,第2次大戦後無から有を生みだした優れた経営者たち7人を取り上げ,それぞれの経営行動,発言録などから戦後も儒教思想が彼らのバックボーンをなし,それが社会的認知の大きな要因であったことを説いている。
取り上げられた戦後の名経営者は,「中堅企業」が鮭茶漬けの加島長作とリソグラフの羽山昇,「商人」がイトーヨーカ堂の伊藤雅俊・鈴木敏文とダイエーの中内功,「巨大メーカー」が松下電器の松下幸之助と本田技研の本田宗一郎--の7氏で,いずれも前者が「理」優先の朱子学的,後者が「行動」優先の陽明学的,と分類している。加島,羽山のさまざまの苦心,苦労の実話など面白いが,あとの超著名な経営者の言行は,周知のことも多く,著者の「学派」分類には異論も多いかもしれない。
江戸儒学の研究が著者の出発点らしいが,「イノベーションは陽明学的トップダウン,カイゼンは朱子学的ボトムアップ」といった独特の分析や,「グローバリズム経営は,公私の二元的行動規範で,物心一如の日本的経営倫理観こそ21世紀の経営」といった主張は,逆に新鮮で,説得力を感じる。
(C) ブッククレビュー社 2000
ネット敗戦 IT革命と日本凋落の真実
2000/11/01 12:16
80年代のハイテク日本は,90年代IT革命で敗れた。なぜ敗れたか,これからどうなるのか
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
80年代,世界第2位の経済大国,最先進の電子王国を誇った日本・・・。それがいまや「失われた10年」からの脱出に成功せず,一方,80年代の問題国の米国は有史以来の長期繁栄をおう歌している。狐につままれたようなこの突然の現象の原因として,著者は,(1)冷戦(=日本の僥倖)の終結,(2)グローバル化(=日本人は不得手)の進展,(3)情報の公開や発信(=日本人は消極的)を促すIT革命へのためらい・・・の3点を挙げる。日本はIT革命で米国よりも5年スタートが遅れたが,米国が冷戦終結後「ソ連」に代わる正面の敵国として「日本経済」をはっきり意識して国家戦略を立てているのに対し,日本は国産基本ソフトの「トロン」で簡単に米国にしてやられたことにみられる通り,官民ともにタイタニック号の乗客のように危機の自覚がない。
5年の遅れは,ITでいうドッグイヤーからいえば5×7=35年の遅れにも匹敵するが,著者は,これを挽回するには得意の「日本独自路線」へ閉じこもるのでなく,IT革命が社会革命であり,文明の転換をもたらすものだとの自覚を持ち,世界と一体の土俵に飛び込んでいくことが必要,と説く。
(C) ブッククレビュー社 2000
本当はこんなに恐い合併企業
2000/10/25 18:15
最近の合併・買収などの再編成は,ほとんど悲惨な弱者しわ寄せ。その実態を体験とケーススタディーで追う
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
著者は,過去38年間のサラリーマン生活で,2度の企業合併と3度の転職,転社を経験したひと。その体験と,さまざまな事例の観察から,本書は,グローバリゼーション対応とか,コア事業の再構築とか前向きに評価されがちな合併,提携,買収といった「企業の再編成」の実態が,決して弱者としてのサラリーマンに幸福をもたらすものでないことを“告発”している。
著者によれば,いま産業界で盛んな合併・提携のほとんどは,1+1=2ではなく,1+1=1.5などのダウンサイジングによる合理化で,当該企業では,大量の人員整理を伴うリストラが実施される。そこでは,たとえ表向き「対等合併」と言っていても,占領軍と被占領民という2つの立場に分かれることが多く,リストラは,弱い立場の被占領側にしわ寄せされるのが常だ。この結果,弱い企業の出身者のみが,それまでの地位,職場を失うだけでなく,仮に合併企業に残っても,いじめ,嫌がらせ,冷遇,追い落とし,裏切り,陰謀などの犠牲になる。
それでも,合併や買収によって企業体質が強化され,合併のお披露目での華々しい言葉通りに,堂々たる業績を上げ,業界に確固たる地歩を築き上げることができればまだ救われるのだが,そんな事例はあまり見当たらない。その原因として,著者が挙げるのは日本の場合,(1)合併などを決定,実行するトップ自身は,年功序列で上り詰めた典型的日本型経営者で,企業文化の違う企業同士の融合や舵取りのノウハウを全く持っていない,(2)合併・買収などの推進役が実は債権保全が主眼の金融機関というケースが多く,真の企業再生はもちろん,従業員のことなど眼中にない,(3)一方の「占領軍意識」が公正な人事・職務評価をゆがめ,有能な人材の流出を招きがち・・・などである。
こうした日本の実情から著者は,企業の合併,買収自体の効果,社会的意義について極めて否定的と言ってよく,第2章「荒廃する人間関係」,第3章「これが占領軍のやり口だ」では,どんな手口で弱者切り捨てが行われていくか,どんなタイプの人間がその罠にはまりがちであるか,が沢山のケーススタディーで詳しく語られる。
しかし,合併・買収は,いまの避け難い現実とあっては,これへのうまい適応もサラリーマンとしてのひとつの選択。そこで,著者は,仮に弱者集団側にある場合の生き残り策についても親切にノウハウを教授する。それは,(1)真の実力者を見定め,その人脈をつかむ,(2)警戒されぬよう,バカを装い,社内の人間関係や上司の人柄・癖をつかむ,(3)いざというときのために正確な「記録」を残しておく,(4)社外人脈を維持し,活用する前の出身会社の習慣を持ち込まない・・・などで,さながら,舅姑の恐ろしい封建的な旧家に嫁いだ,か弱き女性の心得帖の趣だ。
最後の章では,どんな逆境になっても地道な努力で実力と人間性を磨き,新天地でポジションを得た例を上げているが,よく読むと,合併企業の内部の話といいながら,いまの普通の企業の一面をも告発しているようにも読める。
(C) ブッククレビュー社 2000
モノづくりと日本産業の未来
2000/10/06 15:22
わが国の機械工業の基盤をなす中小企業の技能者が弱体化している現状と問題点を探り,今後の課題を提示
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
80年代のマイクロエレクトロニクス革命や生産拠点の海外移転の進展を契機に,日本の機械工業の基盤を長年支えてきた“モノづくり”の名工たちが消え始めている。そのことは,若手技能者を対象に開かれる「技能オリンピック」での金メダリストが年々減る一方であることからも明らかである。NC工作機械やMCなどの先端技術が従来の熟練技能者に完全に代替するものなら,この現象もやむをえないことだが,実際には「機械が高度化するほど人間の予兆や気づきの能力の必要性が高まる」(第2章)ことが最近の常識という。
本書は,そうした認識から日本の機械工業を中心とした技能者の量と質の実態を“危機”ととらえ,7人の学者・ジャーナリストたちが,日本の「技能オリンピック」のメダル盛衰,先端分野での職人の重要性,中小企業での後継者の実態などを分析する。また一方,機械工業の地方・海外移転,大企業の効率化やQC活動などのもたらした課題などを実例中心にていねいに追求している。
そして“モノづくり”再興の方向として日本的マイスター制度の検討,技能活用型の新産業の模索,高度のソフト能力を持つ若手ハイテク世代技能者の育成…などの必要性を示唆している。現代的な工場での“職人技能”の大きな役割の記述などは新鮮だ。ただ外部観察者のみでなく,内部の技能者や大企業の発注担当者,中小企業の経営者自身のナマの声も欲しいところだ。
(C) ブックレビュー社 2000
| 7 件中 1 件~ 7 件を表示 |
