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  3. 喜多哲士さんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年6月)

喜多哲士さんのレビュー一覧

投稿者:喜多哲士

26 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

アイオーン

紙の本アイオーン

2002/10/28 18:15

人は大きな力に抗いながらその卑小さを嘆き、そして無力であることを知った時にその力を最大限に発揮する

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 中世ヨーロッパ。十字軍の度重なる遠征により、ローマ教皇の権威は衰え、各国の国王が力をつけていった時代。そして、暗黒から夜明けへ向かう直前の時代。本書はそんな時代を舞台にした歴史小説として物語が始まる。しかし、その物語が進むにつれ、読者はその世界が自分たちの知っているそれとは微妙に違うことに気がつく。遥か東方では、極限に進んだ文明が遺伝子操作や核兵器により自滅していっているらしいことが明らかになってくる。そのことに気がついた時には、読者は既にこの世界にとらわれてしまっているのだ。この手並みこそ、作者ならではの言葉の魔法なのである。
 ローマから派遣された主人公たちが到達したコンスタンティノープルは、高度な科学に守られ、ある秘密を秘匿する都である。主人公の一人はそこにとどまり、その秘密を知ろうとする。もう一人はイスラームのオアシスに赴き、歪んだ科学の結果生じた女性だけの世界に迷いこむ。やがて、心を持たない人造人間たちが東方より出現し、彼らの世界に破壊をもたらそうとする。それを食い止めるのが主人公たちと、その娘たちである。
 アーサー王伝説、マルコ・ポーロの『東方見聞録』、教皇のバビロン捕囚。様々な歴史のエピソードがパズルさながらにちりばめられ、それらは作者の描き出す並行世界に深く関わり、大きな意味を持っていく。
 本書に登場する口さがないローマの聖職者たちの無責任なお喋りは、現代のインターネットの匿名掲示板で繰り広げられる狂躁的な情報の垂れ流しと同じものであり、退廃した社会での人々の閉息感の現れである。
 そういった閉息感を打破するのに必要なものは何なのか。得体のしれない魔法的な〈科学〉に対して、それを慫慂と受け入れることなのか。それともその正体を見極めることなのか。正しい解答は、ない。
 作者は、舞台背景について説明はしない。混乱の後に来るものについても、はっきりとした結末は与えない。それはあたかも読み手の力量を試すかのようである。
 人は大きな力に抗いながら、その卑小さを嘆き、そして無力であることを知った時にその力を最大限に発揮する。本書で作者が示唆するのは、そういった人間の持つ限界と可能性なのである。 (bk1ブックナビゲーター:喜多哲士/書評家・教員)

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紙の本

ドッグファイト

紙の本ドッグファイト

2001/05/26 23:22

豊かな力量を持った大型新人の登場

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 第2回日本SF新人賞受賞作。
 植民地惑星ピジョンに突如地球統合府の統治軍が現れ、精神感応で動くロボット〈ディザスター〉を操り、星を制圧する。〈ディザスター〉に対抗できるのはテレパシーによって〈犬飼い〉と心を通じあわせる犬たちのみ。〈犬飼い〉のユスは、幼なじみのクルーズやキューズたちの率いるパルチザンに協力し、統治軍と激しい戦いを繰り広げる。
 新人離れした迫力あるタッチで読者を惹きつける。さらに、テレパスたちの心理描写を通じて訴えられる戦いの愚かさ、虚しさ、哀しさがストーリーを通じて無理なく表現されている。
 本書は単なるアクション小説ではない。SFだからこそなし得る舞台設定によって、アクションの向こうにある人間ドラマを展開しているのだ。読み手はユスと犬たちの精神的な交流を通じて人間性とは何か、心が通じ合うとはどういうことなのかを実感させられることだろう。
 豊かな力量を持った大型新人の登場である。今後の作者の活躍におおいに期待したい。

(喜多哲士/書評家・教員・童話作家
http://www4.justnet.ne.jp/~tetsuji-kita/)

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紙の本

ノルンの永い夢

紙の本ノルンの永い夢

2002/11/25 22:15

日本SFの王道をたどる新たな一歩がここに刻まれた

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 近年ではグレッグ・イーガンが量子論に基づいた歴史改変理論を打ち立てているが、作者は「高次元多胞体」という独自の概念を創造し、時間を自由に行き来できる男の悲劇を描き出した。
 主人公はSF新人賞を受賞したばかりの作家であるが、彼の書いた小説が、戦前にドイツに留学して行方不明となっていた研究者の書いた「時空論」と類似していたことがこの作品の鍵となってくる。主人公を狙う国際的な公安機関や謎の人物たち。物語は一見、サスペンスものと思われる展開をみせる。しかし、作者は一転して戦前のドイツに舞台を移し、留学した研究者が新たな発明をする様子を描き出す。研究者が新たな発明をするたびに時系列は歪み、改変された歴史と改変されなかった歴史が入り交じっていく。
 作者はこれまでも日本SFの王道を行く極めてオーソドックスなスタイルの作品を発表し続けてきた。そのテーマの大きさは、第1回小松左京賞受賞作家にふさわしいものであった。ただ、惜しむらくはそのスケールの大きなテーマに対し、なんとか力業でねじ伏せようとするのだがあと一歩というところで力がおよばないという面が見られた。また、作者の性格からかラストの弱さが目につくこともあった。どうしても冷酷になれないのだ。
 しかし、本書はこれまでの諸作とは違う。時間SFという難物に対し、力業で押し切ることができているのだ。特に改変された歴史が入り交じるところなど、下手をすると混乱だけしてわけがわからないものになってしまうのだろうが、本書では未整理のまま読者に投げ出しているように見せながら、きちっと締めるところは締めているのだ。
 時間というものの面白さは、認識するものの主体性により流れ方が違うというところにあるだろう。つまり、物理的な時間と心理的な時間とは違うものなのだ。量子論による時間SFがその物理的な側面を強調したものというなら、本書の「高次元多胞体」理論は心理的な側面から時間をとらえたものということができる。作者は、人間の時間に対する認知をテーマに、歴史というものを複合的にとらえようと試みた。こういったテーマをこれだけ真正直に描き出そうとするあたりが作者の真骨頂といえる。
 日本SFの王道をたどる新たな一歩がここに刻まれたといっても過言ではないだろう。 (bk1ブックナビゲーター:喜多哲士/書評家・教員)

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紙の本

ロミオとロミオは永遠に

紙の本ロミオとロミオは永遠に

2002/11/11 18:15

学校は閉ざされた空間である

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 学校は閉ざされた空間である。そこだけでしか通用しないようなルールがあり、生徒と教師には他の社会にはない上下関係と緊密性がある。人為的に構成された「学級」という単位で人間関係が作られ、余暇の過ごし方として「クラブ活動」までが用意されている。生徒たちは校章や制服といったシンボルで帰属意識を持たされながら、決まった年限でそこを「卒業」しなければならない。その中で行われている「授業」や「行事」は、全て社会生活を送る際に必要な基礎的な「力」を養うものと位置づけられる。それがどう役にたつのか、本当のところはわからない。現職の教員である私でさえ、この空間の不思議さについて常々考えさせられることは多い。
 本書の舞台は「学校」である。この「学校」は、環境破壊の後始末をするために唯一地球に取り残された日本人が、その特別な役割を果たすためのエリートを養成する「学校」なのだ。全国から選抜された新入生は、不可解な授業やゲーム化された理不尽なテストを受け、主席卒業という目標に向かい3年間ただただ競争し続ける。脱落者は地下クラスに落とされ、彼らは「学校」からの脱走を夢見る。しかし、その脱走と追跡も、ゲーム的にしか展開され得ない。なぜなら、そこが「学校」だからだ。
 恩田陸はデビューから一貫して「学校」という空間や思春期の少年というテーマを追い続けている。そして、その成果が本書であろう。カリカチュアライズされた「学校」は、その本質をあらわにし、そこに閉じこめられた少年たちが見る夢は、「20世紀末のサブカルチャー」である。現実に希望の持てない彼らは、最後にただひとつ残された現実的な目標である主席卒業か、既に失われてしまった快楽のどちらかにしかその夢を託せない。
 現実の社会でも、少年たちは未来に大きな夢を託すことができず、恵まれた環境にある者がエリートを目指し、それ以外は人為的に与えられた快楽に身をゆだねる。本書は、そういった状況に対する批判の書である。主人公たちが最終的にかちとったものが、それを示している。大人たちがそれを妨害するのは、かちとれなかった者が、可能性を有する者に対して抱くジェラシーなのかもしれない。
 本書にはサブカルチャーがカタログのように登場する。作者はあとがきでサプカルチャーに対する愛情を告白するが、それは爛熟し切った快楽の時代へのノスタルジーなのかもしれない。現実は、本書で描かれる世界と同様、暗鬱で空疎なのだから。 (bk1ブックナビゲーター:喜多哲士/書評家・教員)

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紙の本

グラン・ヴァカンス

紙の本グラン・ヴァカンス

2002/10/03 22:15

行き詰まりを見せつつある現代社会に生きる我々の姿に重なりあうものを感じさせる

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 ヴァーチャル・リアリティ、仮想現実……電脳空間に作られたもう一つの世界。人間が慰労のためにそこに訪れ、もっともらしい履歴をもつ人々がそれをもてなす。現在の技術が進めば、遠からずこういった世界が現実のものとなる日もくるだろう。本書はそんな世界に住む仮想人格−AIたちの物語だ。AIたちにとって転機となったのは千年前に起こった大途絶。この日を境に〈ゲスト〉たちは来なくなり、彼らは長い長い夏を飽くことなく繰り返している。毎日が変わりなく穏やかに訪れる。彼らはこの場所を〈区界〉と呼ぶ。そこに現れた侵入者たちは、〈区界〉を次々と消していってしまう。主人公である少年、ジュールは〈区界〉の設定の発端である『鉱泉ホテル』にたちこもり感覚を鋭敏にする物質〈硝視体〉を使って罠を張り巡らし抵抗する。しかし、侵入者の目的はただ単にこの〈区界〉を破壊するというものではなかった。ジュールの考え出した罠をも利用し、この〈区界〉に作られた物語そのものを使い、やろうとすることがあったのだ。
 この物語の面白さ、そして恐ろしさは〈区界〉に住むAIたちが自分たちが作られた人格であることを自覚しているところにある。この空間でなければ生きていかれない自分、誰かによって作られた〈過去〉。たとえ人為的に作られた人格であっても、生きているという自覚がある以上、生への執着をもつ。〈区界〉が変わらぬ日常を意味する場所であるとしたら、そこから脱出できないという運命はその場所を〈苦界〉に転じさせる。
 閉息した状況にあっても、自分たちの存在意義を問い続け戦い抜くAIたちの姿は、やはり行き詰まりを見せつつある現代社会に生きる我々の姿に重なりあうものを感じさせる。作者が我々に投げ掛ける問題意識の大きさ、それを侵入者との戦いという形で考えさせる展開のうまさ。みごとである。
 作者はかつて「SFマガジン」誌上に珠玉の短編を次々と発表していた。しかし、ここ十年間というものは沈黙を続けてきた〈伝説の作家〉である。その沈黙を破って刊行された本書は、この十年という歳月で作者が蓄積してきたものをはっきりと示している。
 本書は大きな物語の序章である。沈黙の十年の間に作者があたためてきたものは少なくないはずだ。今後、この物語がどのように広がっていくかを刮目して待ちたい。 (bk1ブックナビゲーター:喜多哲士/書評家・教員)

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紙の本

ウロボロスの波動

紙の本ウロボロスの波動

2002/07/30 22:15

優れたハードSFであるがゆえに、総合的な人類のドラマになっている

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 小型ブラックホール、カーリーが発見され、そしてそれが太陽に衝突することが明らかになる。太陽系に住む人々は、カーリーの軌道を改変しそれを新たなエネルギー源として利用するプロジェクトを立てた。地球を離れて活動する人々と、地球に居住する人々との間には意識の差が生まれ、やがては対立するようになる。宇宙に入植した人々の組織AADDでは、カーリーを調査すると同時に地球外生命体の可能性を探る科学者が現れ、それがまた新たな計画につながっていく。それをよしとしない地球人は、プロジェクトの中心人物への暗殺者を次々と送りこむ。しかし、それら暗殺者もまたAADDに繰りこまれ、次の世代を育成する要員の一人とさえなっていく。やがて、カーリーの中に生命体が存在するという可能性が発見され、計画は新たな段階に移行しようとしていく。
 宇宙開発や研究の過程には、もちろん人間が行うことであるから、極めて人間的な問題が次々と発生する。偏見、裏切り、そして対決。
 例えば本書のエピソードの一つである「ヒドラ氷穴」では、AADDの責任者を暗殺しようとする地球側の女性と、それを阻止しようとするAADD側の女性との知恵の限りをつくした逃亡と追跡が描かれる。その手に汗握る展開や予想を裏切る結末など、人間の営みとしての宇宙開発ならではの好短編といえるだろう。そしてそれは、旧世代と新世代のカルチャーギャップの物語でもあるのだ。
 本書はブラックホール・カーリーをめぐる短編をオムニバス的につなぎ、最後に全体像を明らかにしていくという構成をとっている。そこにはミステリ仕立ての作品もあれば、冒険小説風のエピソードもある。主役はあくまで人間と、そして彼らが作り出す組織なのだ。そして、その組織に対する鋭い考察は、長年架空戦記というジャンルで組織と戦争について物語を書き続けてきた作者ならではの透徹した視点に支えられているのだ。
 宇宙に進出した人間のメンタリティの変化を年代記風に描くことにより、作者は独自の文明論を展開している。優れたハードSFであるがゆえに、総合的な人類のドラマになっているのだ。
 さらに、スタンダードに進められたかと思うと、異端としかいいようのないひねりが加えられたりもする。その振幅の大きさに尽きせぬ魅力を感じるのである。 (bk1ブックナビゲーター:喜多哲士/書評家・教員)

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紙の本

ニングルの森 悠久なるものへ

紙の本ニングルの森 悠久なるものへ

2002/07/09 15:15

ここまでおおらかに自然賛歌をうたいあげられる人物は、作者をおいて他にはいないだろう

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 北の大地の奥の森にニングルという生き物が住んでいる。ニングルは、森の木と命を共有している。だから、木が枯れたり切られたりしたら、ニングルもまた死んでしまうが、森が元気だと、ニングルも生き続ける。その森に、人間というおかしな生き物がやってくる。人間は森を切り払い、山の獣を殺し、お金というものを大切にする。そんな人間の行動は、ニングルには理解できない。ニングルたちは考える。人間という不思議な生き物のことを。
 倉本聰ならではの文明批評の書である。ニングルという自然の中に生きる生き物を創造し、その生き物の目から見た人間の愚かさをメルヘンとして描いている。ここにこめられたメッセージは、作者が長年「北の国から」のようなドラマなどで訴えかけ続けてきたものであるが、童話という形をとることにより、よりいっそうそのメッセージがストレートに伝わってくる。
 本書は『パパラギ』を思い起こさせる。南の島の王から見た白人たちの行動を記したメッセージと共通するものがここにはある。それは、「文明」という美名で語られる現代人の本質をむき出しにする無垢な視点である。
 ニングルたちもまた、『パパラギ』の王ツイアビと同様、現代人とは違う尺度でものを見る。人間たちが木を切り払う理由も、獣を殺す理由も、お金を大切にする理由も、ニングルたちの尺度で解釈される。そして、現代人の愚かさがあらわになる。
 この物語にこめられたメッセージは、あまりにストレートすぎて、気恥ずかしくならないではない。しかし、ここまでおおらかに自然賛歌をうたいあげられる人物は、作者をおいて他にはいないだろう。その自信に満ちたタッチは、まぶしくさえ感じられる。
 その素朴さ、無骨さ、そしておおらかさをストレートに受け止められるのは、子どもたちだけの特権なのかもしれない。 (bk1ブックナビゲーター:喜多哲士/書評家・教員)

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紙の本

妻の帝国

紙の本妻の帝国

2002/06/28 22:15

細かな描写の積み重ねから形作られる独特な雰囲気

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 例えば、この世界は多数の人間による共同幻想から成り立っているのだという説がある。あるいは、人間の内面的理性が絶対的な善の意志に働きかけるのだという説もある。
 本書は、そのような命題を小説という形で表現する試みといっていいだろう。
 ある日、住所も宛名ものないのに、それでも自分あてのものだとわかってしまう手紙。それは「民衆独裁」を実現するために行うべき指令が書かれた手紙なのだ。その方法は自分が「民衆細胞」であれば自然にわかるものなのである。その手紙により、多くの者たちが「民衆細胞」として行動を始める。実は、その指令を出しているのは、目立たない容貌の主婦不由子であった。
 不由子の夫である「私」は、指令の手紙を出す妻に対してそれがどのような意味を持つのかを、深く考えようとはしない。なぜなら彼にとって大切なのは、妻との関係が崩壊しないことなのであるから。
 一人の女性の妄想から生じた世界が、多数の人間の意志となって現実のものと化していく恐ろしさ。そして、共通であるべき意志がその意志を持たぬものに対し排他的な形で現れてくる。さらに一つの秩序が崩壊し新たに生まれた秩序がさらに崩壊していくその繰り返し。
 作者は、人間というものの本質を最終的に信じているのだろう。ここで描かれる人間社会の崩壊は、決して悪夢ではない。秩序を維持しようとする者も覆そうとするものも、そして最初に幻想を抱いた女性でさえ、無力で、弱い存在なのだ。そして、作者はその弱さを突き放すことなく淡々とした筆致で描写していく。
 本書は、人間と社会の関係を物語という形式で問いかける問題作である。その細かな描写の積み重ねから形作られる独特な雰囲気は、佐藤哲也作品だけのものなのだ。 (bk1ブックナビゲーター:喜多哲士/書評家・教員)

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紙の本

海を見る人

紙の本海を見る人

2002/05/27 22:15

SFとは科学的裏付けのある大胆な空想なのだ

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 『ΑΩ』に見られるように、小林泰三は基本的に「いちびり」の作家なのである。「いちびり」とは関西弁で面白がって調子にのって悪のりするというような意味なのであるが、彼は読者から「邪悪」というキーワードで語られるといちびってその「邪悪」を徹底的にエスカレートさせて喜んだりする作家なのである。そして、彼のホラーにはそういった「いちびり」精神が横溢していて、そのエスカレートぶりを楽しむことができる。
 しかし、そんな彼もハードSFとなるといささか様相が違う。本書には7編の短編が収録されているが、ここでは彼のまた違った一面が見られる。実は彼はロマンティストなのである。
 例えば表題作「海を見る人」では高低という位相の差が時間の進み方を変えるというアイデアを用いて、少年と少女の甘やかな純愛をなんのてらいもなく描いてみせる。
 あるいは「門」。辺境の星域にあるコロニーで、その近くに開いた謎の「門」を破壊しようとする若い軍人と彼女にひかれて行動をともにする若者の初々しくもはかない恋愛。
 母の愛にこたえようと調査先の星で命の危険にさらされながらも現地の生物の体機能をとりこみながら生きのび、そして母の元に帰ってくる子どもの切ない感情を描いた「母と子と渦を旋る冒険」。「天獄と地国」に登場する女性は、自分の子どもがいると信じている場所を探し求めるために宇宙をさまよう。
 本書はハードSFの短編集である。SFとは科学的裏付けのある大胆な空想なのだということを示すアイデアを惜しげもなく投入している。時間や空間、重力などをモチーフにして読み手を驚かせ、そして納得させる魅力的な設定を構築している。そしてそこにロマンティックなストーリーが展開される。
 もっとも、彼は今後は「ロマンティスト」というキーワードを徹底的にエスカレートさせたべたべたに甘い物語を書くという「いちびり」を見せるかもしれない。それはそれでまた楽しみである。 (bk1ブックナビゲーター:喜多哲士/書評家・教員)

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紙の本

どーなつ

紙の本どーなつ

2002/05/07 22:15

不思議な喪失感が全体を貫く傑作

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 「爆心地」の中で熊のぬいぐるみ「人工知熊」に入って作業をする人たちがいる。アメフラシを使って火星の開発に旅立つ別種の人間を生み出そうとしている研究者がいる。人工知熊に乗る作業員は、熊の中に貯えられた記憶を吸収し、やがて自分の記憶と他人の記憶、そして熊の記憶がひとつとなっていく。彼らが目指すのは「あたま山」だ。落語にでてくる頭に桜の木を生やした男が花見客がうるさく木を抜いてしまいそのあとにできた穴にできた池にとびこんで死んでしまったという、あの「あたま山」。人工知熊を使っている会社は実は異星人によって支配されているという噂はあるが、それはその会社にいた男が作ったゲームの設定かもしれない。
 なにが事実でなにが作られたものか、作者はそれを明らかにはしていない。明らかにしないことにより、われわれが抱く現実に対する確信がゆらいでくる。哲学でいうところの「実存」それ自体が危うくなってしまう。
 作者の描き出す世界像は本来なら壮大なスケールで描くべきところなのかもしれない。しかし、作者は決してその方法はとらない。壮大な世界の中に生きるちっぽけな個人から見たその世界の一部分から全体像を読者に推測させる。それは、物語を矮小化するものではない。読者の想像力をかきたて、物語の世界をさらに深遠なものに広げていくという効果をもたらしているのだ。
 本書は、小さなエピソードを積み重ねる構成をとっている。タイトルとなっている「どーなつ」を少しずつ食べていく感覚に似ているのかもしれない。そしてそれを食べてしまったあと、そこに確かにあったはずの穴は「どーなつ」とともに、なくなってしまっている。「どーなつ」の穴は、本来どこにあったものなのだろうか。
 本書が描き出す世界はまさしくその「どーなつ」の穴に似ている。確かに見えているのにそれ自体は存在していない。不思議な喪失感が全体を貫く傑作である。 (bk1ブックナビゲーター:喜多哲士/書評家・教員)

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SFバカ本 電撃ボンバー篇

紙の本SFバカ本 電撃ボンバー篇

2002/04/04 22:15

SFとは壮大なホラ話である。

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 SFとは壮大なホラ話である。読み手があんぐりと口を開けて「そんなバカな!」と思う。それこそがSFの醍醐味なのだ。
 そんなSFの醍醐味を詰めこんだ書下ろしアンソロジーのシリーズ、版元が次々と変わりながらもこれが12冊目。現在の版元では5冊めにあたる。
 本巻では岩井志麻子、中村うさぎ、瀬名秀明が初登場。それぞれが独特の持ち味を発揮している。
 お勧めの1本といえば躊躇なく佐藤哲也「かにくい」をあげたい。自分の心の中にある思いが過剰にたまるとそれが暴走し、とんでもない結果を生み出す男の物語。その暴走ぶりには過剰な思いをおさえ切れない狂気が感じられる。
 話題となるのはなんといっても瀬名秀明「SOW狂想曲」であろう。小さな出版社が主催する新人賞の選考会で選考委員たちがそれぞれ自分のSF感をぶつけあい、そのエネルギーで空間はひずみ、やがて……。
 これは、作者がここ数年来問い続けてきた「SFファンにとって、SFとはなんなのか?」という問題についての一つの解答でもある。「SF」という読み手を選ぶジャンルで、「SFファン」という「SF入門」しなければファンになれないような独特の層をかかえている世界に入っていった作者の戸惑いがこの短編を書かせたといっていい。以前『パラサイト・イヴ』で彼が味わった、どんなに面白い作品であっても「これはSFじゃない」という言説で切って捨てられてしまう不条理に対し、ドタバタ小説という形での反撃である。かつて、福島正実は若いSFファンの言論と自分の信じてきたSFとの衝突に際し、「SFの夜」(巽孝之・編『日本SF論争史』所収)という短編小説を書いた。この「SOW狂想曲」は瀬名秀明にとっての「SFの夜」であるかもしれない。小説を書く苦しみを生々しくぶつけた『八月の博物館』とあわせて読むと、さらに作者の気持ちが伝わってくる。
 本書は必ずしも「バカSF」らしい作品ばかりが収められているわけではない。そういう意味では過去のこのシリーズと比較して特に内容が充実しているというわけではない。それでも本書をお薦めするのは、この「SOW狂想曲」にこめられた瀬名秀明の執念というか魂の叫びというか、そういうものをなるべく多くの方に感じとっていただきたいからなのである。(bk1ブックナビゲーター:喜多哲士/書評家・教員)

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紙の本

五人姉妹

紙の本五人姉妹

2002/01/28 18:16

切なく、苦しく、そしてあたたかい短編集

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 優しさやぬくもりの影に隠された残酷さ。菅浩江の短編は、SFという現実と一見切り離されたように思われる世界で、それを鮮やかに切り取ってみせる。
 本書に収められた8本の短編でも、その特徴は顕著にあらわれている。
 表題作の「五人姉妹」は、人口臓器のテストに実の娘を使い、その失敗のために健康なクローンを五人用意しておいた父親の、その娘に対する思いやりという残酷さが描かれる。さらに、書下ろしの「ホールド・ミー・タイト」では、現実では有能な会社員でありながら恋には臆病な女性が、仮想空間ではホストとして女性を癒し、自分はその空間で〈抱かれ枕〉に抱擁してもらうことによりその満たされぬ思いを解消しようとする。なんと切ない描写だろう。「夜を駆けるドギー」の主人公は、ネット上で死体を意味する〈コープス〉を名乗りながら、現実では本物の犬とそっくりなロボット犬にその寂しさを埋めてもらおうとする。しかしその犬の彼へのなつき方も数値入力されたものだという残酷さ。いずれも孤独な人間が他者とのつながりを求め、苦しむ。
 しかし、作者の視線はそういった登場人物を決して突き放したものではない。その残酷さをあるがままに受け止めた上で救いをもたらす。「箱の中の猫」で、宇宙に飛び立ったまま帰らぬ恋人を待つ女性に向ける視線の切なくも暖かいこと。「賤の小田巻」で老残をさらす役者の心の底にある芸への誇りを受け止める包容力。
 かつて作者は「SFという形で人間を描きたい」と語った。本書には、SFでなければ書き得なかった人間の本質がどの短編にもつまっている。
 SFを通じて人間を描きつづける作者の最新の成果が、本書なのである。それは、切なく、苦しく、そしてあたたかい。(bk1ブックナビゲーター:喜多哲士/書評家・教員)

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紙の本

踊る狸御殿

踊る狸御殿

2002/01/18 18:16

ささやかな幸福感を感じてみませんか?

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 ホラー小説の第一人者である朝松健がハートウォーミングな小説を書いていた。時はバブル時代末期、虚構の景気に浮かれていた人々が、ふっと真顔に戻った時期。まだバブルの残滓が人々の心にこびりついていた時期。
 バブルに疲れた人々が迷いこんだ異空間、「狸小路」には昭和元禄時代そのままの、なにかが失われた以前の姿で客をもてなすキャバレー「狸御殿」がある。バブル崩壊の波をいち早く受けた会社員が、映画の黄金時代に脚光を浴びた元スターが、失業して銀行強盗を試みる小心な二人組が、封建的な職場で孤軍奮闘する女性編集者が、心中を決意した若いカップルが、エリート会社員の妻でありながら空虚な
心を空想の世界で埋めようとする女性が、疑獄事件に巻きこまれる陣笠議員が、一夜の夢とささやかな幸福を「狸御殿」から与えられる。
 楽天的であり過ぎるかもしれない。できすぎた話かもしれない。しかし、バブル時代を冷静にふりかえられる今だからこそ、このたわいのなさは貴重である。
 疲れた心に一夜の夢を……。ノスタルジィに満ちあふれ、後ろ向きなスタイルに徹した作者の癒したい、癒されたい気持ちが伝わる佳品である。
 クトゥルーをテーマにしたホラーや、時代伝奇小説が主体である朝松健が、このような心あたたまる作品を手掛けているという、そのギャップに戸惑う読者もいるだろう。しかし、作者はホラーで描かれる幻想的な手法で、作品の方向性を少し変えているだけなのだ。 本書はまさしく朝松作品の中でも異色作といえるだろう。ただ、その個性は朝松健以外のなにものでもないのである。(bk1ブックナビゲーター:喜多哲士/書評家・教員)

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紙の本

ベルゼブブ

紙の本ベルゼブブ

2001/11/30 22:16

人類の存在意義が、そして宗教の意味

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 侵略SFというと異星からの侵略を思い浮かべがちだが、本書はちがう。本書での侵略者は昆虫なのである。いや、厳密にいえばこれは侵略SFとはいえないかもしれない。万物の霊長の座をめぐる人類と昆虫の戦いが本書のテーマなのである。
 昆虫学者の遺児、添川瀬美は夢の中で「宙馬」と名乗る男と性交し、妊娠をする。彼女の周辺では次々と大量殺戮事件がおこり、そこには様々な昆虫があらわれる。彼女の恋人は悪魔を崇拝する教団に入り、現世を滅ぼす「ベルゼブブ」を召喚しようとしている。かくれキリシタンの末裔メンチョロー太子は、瀬美のおなかの子どもが「ベルゼブブ」に対する救世主なのだと説く。やがて悪魔は召喚されその姿を見せるが、ノウと名づけられた子どもを産んだ瀬美は自分の子どもを愛するあまり悪魔との戦いから身をひこうとする。万物の霊長の座は「ベルゼブブ」にとってかわられるのか……。
 黙示録をモチーフにした壮大なスケールの戦いが描かれる。ここで示されるのはグロテスクな描写を身にまとった最終戦争の姿である。人類の存在意義が、そして宗教の意味が問われているのだ。
 作者入魂の力作。この悪夢はただごとではない。
(bk1ブックナビゲーター:喜多哲士/書評家・教員)

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紙の本

暗黒太陽の目覚め 上

紙の本暗黒太陽の目覚め 上

2001/10/16 22:16

ユニークなアイデアの結実

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 常にユニークなアイデアで読み手を驚かせる林譲治。架空戦記であれ、ハードSFであれ、社会というものを大きく視野を広げて展開していくストーリー構成の妙。本書はそんな林譲治の世界を満喫させてくれる。
 人類が宇宙に築きあげた那國とエキドナという二つの文化圏の緩衝地帯となる宇宙都市オデッサに向かう貨客船『フェニックス』を襲う『宇宙犯罪組織龍党』の艦隊と、情報を一手に握って事実上那國の勢力圏を支配している『マヤ設計局』、そしてオデッサの代官華表蓮蛇と筆頭与力のコーデリアたちがオデッサという小都市をめぐって虚々実々の駆け引きを行う。鍵を握るのは『芸者園』の女優桜叶みさとだ。那國では芸人出身の人材が社会的に高い地位を占めているのだ。そんな睨みあいの続く中、オデッサの太陽がマイクロブラックホールの影響で爆発するという情報が飛び交う。住民を緊急退避させるために代官華表は『龍党』と協定を結ぶ。しかし与力コーデリアは太陽爆発が偽の情報で『龍党』の目論見を阻止するよう那國中枢部から指令を受ける。
 『侵略者の平和』(ハルキ文庫・全3巻)を受けて書かれた未来史シリーズの第2弾。敵対勢力が繰り広げる戦略の面白さ、未来人類のルーツなどSF面の面白さ、『芸者園』に象徴される文化に対する斬新な視点の面白さなど、様々な要素をうまく融合させ独自の世界を満喫させてくれる。作者ならではの世界構築を存分に楽しんでもらいたい。
 例えば『芸者園』であるが、これは俳優から漫才師まであらゆる芸人を育成する機関である。特別な文化を支える芸人という才能が社会のエリートとして認められているといういわば逆転の発想に、タレント議員が集票マシーンとして使い捨てられる現代社会への風刺を感じさせる。こういった現実に対するバランスのとれた視点が作者の真骨頂なのである。


(bk1ブックナビゲーター:喜多哲士/書評家・教員 2001.10.17)

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