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石堂藍さんのレビュー一覧

投稿者:石堂藍

8 件中 1 件~ 8 件を表示

紙の本航路 上

2002/10/28 18:15

読んでいるあいだは、あたかも一篇の映画を見るようにくっきりとした映像が浮かぶ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 認知心理学者のジョアンナは臨死体験の研究をしている。彼女にとって、それは死後の世界を証明するものではない。だが、臨死体験者の「遠すぎる」「いま行くよ」といったつぶやきは、何かを暗示するとても重要なものだと感じていた。そんなときジョアンナは、神経内科医のリチャードから声をかけられる。彼は薬物投与によって化学的に臨死体験状態を作り出していると確信しており、その際の幻覚体験の聞き取りをしてくれるその道のプロを求めていたのだ。ジョアンナはリチャードを手伝うことになるが、さまざまなトラブルが発生し、彼女自身が臨死体験を味わう破目に陥る。それは、彼女がこれまで想像していたものとはまったく違う体験だった。あまりにもリアルで、私はそこにいた、としか言えないようなものなのだ。しかもそれは単純な光の体験などではなかった。その正体とは……。
 臨死体験を科学的に描くなどと言えば、たいていの人が脳内麻薬か何かの話だろうとあたりをつけるのではないだろうか。それをウィリスはみごとに裏切って、ユニークな説を打ち立て、それを軸にして物語全体を構築している。ほとんどの読者は意表をつかれるに違いない。ミステリ仕立ての物語はスリリングで、二段組で八百ページという分量の多さがまったく気にならない。サスペンスフルなシーンも随所にあって、殊にジョアンナの臨死体験で繰り返される、扉と光のイメージの部分は背筋に寒けが走るほどの緊迫感がある。
 多数の登場人物はきれいに描き分けられ、生き生きとしているし、物語もシリアスなだけではなく、ユーモアがそこかしこにちりばめられている。まったくもってコニー・ウィリスのエンターテイナーぶりには感嘆させられる。
 読んでいるあいだは、あたかも一篇の映画を見るようにくっきりとした映像が浮かぶのも、ウィリスの技術力の高さを示すが、これは同時に訳者の手腕を示してもいよう。
『航路』は決して読者の期待をはずさない作品だ。考えようによってはあざといとも言える。だが私はそれをウィリスの健全な大衆性の表れとして、称えたいと思う。 (bk1ブックナビゲーター:石堂藍/書評家)

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紙の本エルフギフト 上 復讐のちかい

2002/09/25 18:15

大人のための、純度の高いファンタジー

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 古代の南イングランド。サクソン人、ウェールズ人、デーン人などが小国を作って互いに戦争をしたり、人質を与えることで和平を結んだりしている時代。
 サクソン人の王国の王が死に、エルフギフトを王にするようにとの遺言を残した。エルフギフトは、王がいずこからか連れ帰ったエルフの女性が生んだ息子で、長男ですらなく、奴隷とともに農夫として暮らしている。正妃の息子たち、アンウィン、ハンティング、ウルフウィアードは、王位をめぐって争うことを仕向けるかのようなこの遺言に愕然とする。結局アンウィンは我が身と王国を守るため、エルフギフトを殺すべくハンティングを差し向ける。だがそれは大いなる悲劇の始まりだった……。
 本書の舞台は、現実と神話的なものとが混ざり合った奇妙な世界である。戦乙女ワルキューレや吟遊詩人オーディンが魔力を携えて現実世界に現れる一方で、キリスト教も少しずつ浸透していて、それを国教としている王もいる。主人公のエルフギフトにしても、半ばこの世から遊離したような異界の人間であり、「死ぬ場所も死ぬときも定められている」ような神話的な生を生きているが、同時に農夫としての労働をし、奴隷の少女とセックスをしたりもする、現実的な存在でもある。しかも生活面を描く時には、細部に至るまでリアルさが追求されており、その異臭が漂ってくるようななまなましさは、安易なファンタジーではまずお目にかかれない類のものだ。こうしたことから、本書では神話的なものが恐ろしいほどの現実感を伴って浮かび上がってくるのだ。
 あまりにも多くのものが詰め込まれているので、却って言葉を失ってしまうが、異様なインパクトを与える作品であることは確かだ。大人のための、純度の高いファンタジーである。 (bk1ブックナビゲーター:石堂藍/書評家)

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紙の本ケルトとローマの息子

2002/07/31 22:15

ファンタスティックな内実を肉体的リアリズムが支えている

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『ケルトとローマの息子』(灰島かり訳・ほるぷ出版)は二世紀ごろのブリテンが主な舞台である。ブリタニアはローマの属州となり、ケルト人がおおむねその支配下に置かれるようになった頃のことだ。主人公のベリックは、ローマの軍人の息子だが、赤ん坊の時に船の難破で両親を失い、ケルト人戦士の夫婦によって育てられるという奇妙な生い立ちを持つ。育ての親は彼を長男として大切に育てるが、ベリックは部族全体の冷ややかな眼によって、時として自分がよそ者であることを感じるのだった。15歳になったとき、部族を飢饉が襲うが、ベリックはその罪を負わされ、部族を追放されてしまう。帰属すべき場所を求めてただ一人、ローマへと向かったベリックに待っていたのは、さらに過酷な運命だった……。
 ベリックは疎外された人間の象徴である。感覚的に自分はそこに属していると信じていた共同体から追放され、自分の居場所を探さねばならない。それも自分があずかりしらない「血筋」などというあやふやなもののために。おそらくローマには彼の「血筋」の者もいるのだろうが、その仲間になれるわけではない。ローマ人から見れば彼は野蛮なケルト人なのだから。しかもベリックは居場所を探す暇もなく、自由さえ一方的に奪われてしまう。この世に自分の居場所があると想像することすら出来ないベリックが、どのようにして魂の危機を乗り切り、疎外から救われていくかが本書のクライマックスとなっている。
 私がサトクリフの作品に感動させられるのは、愛しているとか信じているとかいった言葉だけでベリックを振り向かせるようなことを決してしない点だ。サトクリフはいつでも肉体や日常感覚に目を光らせ、ここに自分は居ていいのだということが実感としてわきあがってくるまで、じっと待っている。そのために物語はきちんと練り上げられ、ゆったりとした構えをくずさない。だから、現実にはあまりありそうもない、主人公が救われるような結末でも安易な印象を与えることがないのだ。大人、子供の壁を越えてサトクリフの作品が支持されるのは、ファンタスティックな内実を肉体的リアリズムが支えているがゆえではないだろうか。 (bk1ブックナビゲーター:石堂藍/書評家)

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紙の本オレンジだけが果物じゃない

2002/07/09 15:15

一人の女性の成長物語として、思わず頬がゆるむような作品

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 スティーヴン・キングの『キャリー』という小説をご存知だろうか。原作は読んだことがなくとも、映画を観た人は多いのではないかと思うけれども、狂信的な母親に育てられた未成熟な娘が、さまざまな抑圧の末に超能力を発現させて大惨事を引き起すという物語だ。もちろんあくまでもフィクションだが、〈世界最大の宗教国家〉などと呼ばれることもあり、カルトの巣窟である合衆国なら、いかにもこんな母娘がいそうだと思わせるリアリティがあった。
 ジャネット・ウィンターソンの『オレンジだけが果物じゃない』は一歩間違えば『キャリー』の世界、というようなたいへんな母娘の物語である。しかも実はこれは著者の自伝的な小説——つまり実話に基づいているのだ!
 ジャネットは布教活動を何よりも愛好する育ての母によって、教会の寵児たるべく英才教育を施される。聖書のことなら何でも詳しくなった早熟な少女は、集会で説教をして入信させる能力も大したものだった。しかし、学校では地獄の話で級友を怖がらせるなど異端児で、居場所を持てず、母との軋轢も長ずるに従って強まるばかり。やがて魅力的な少女と出会ったジャネットは、自分が禁じられた同性愛者であったことを知る……。
 いくらでも〈暗い純文学〉に出来そうな題材である。しかし著者はそれをアイロニイの利いたユーモア小説に仕立てた。悲しみや苦しみに満ちていたはずの少女時代を、距離を置いて対象化し、笑いや風刺のスパイスを利かせ、呑み込みやすいものにして読者に供している。一人の女性の成長物語として、思わず頬がゆるむような作品になっているのだ。
 本書の魅力はそれだけにとどまらない。その対象化をどのようにして行なったかの一端を、大筋の合間に独立した物語を挟み込むことで示している。挿話は、メルヘンや伝承文学風のファンタジックな物語として自分の体験を語り替えたものだ。つまりこのように語ることによって対象化したのだということなのだ。象徴機能を備えていると同時に茶化しの要素も交じった数々の挿話によって、この作品はより一層愛らしいものとなっている。 (bk1ブックナビゲーター:石堂藍/書評家)

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作家の個性に今さらながら感嘆させられる

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 ミヒャエル・エンデはあまりにも早く逝きすぎた作家の一人である。遺された作品の数は、少なすぎるわけでもないが、決して多くはなく、あと何作かはエンデならではのファンタジーを書いてくれたのではないだろうかと、惜しむ気持ちがわき上がる。せめて、エンデの構想の片鱗なりともうかがわせるようなものがあればいいのに……。こうした思いはエンデのファンタジーを愛好する人々に共通のものであるらしく、本書のような死後に編集された雑纂集が出版されることになった。
 最初期の短編、未完作品の断片、作品のためのメモ、手紙、未発表エッセイなどを収録している。どの断片にも、「エンデじるし」がつけられているかのようで、作家の個性に今さらながら感嘆させられる。
 集中最も長い表題作は、『はてしない物語』の初期形である。後半部のエピソードを用いながらまったく異なる物語になっており、このままでもそれなりに面白い作品になったのではなかろうか。エンデが生きていたら、いったいどんな霊感に導かれて『はてしない物語』にたどりついたのか聞いてみたいところだ。
 私自身が最も心引かれたのは「幸福の像」「二人の兄弟」「生の公正についての伝説」というの一連の断片で、これらは一つの長篇寓話を構成する予定だったようだ。これこそ私の考えるエンデじるしそのもので、高い倫理性と神秘的な宗教性とがすばらしい。完成しなかったことが真に惜しまれる作品と言えよう。
 本書はあくまでもエンデのファン向けの作品である。エンデ作品を一冊も読まずに本書を手に取ることにはほとんど意味がない。だが、未完の断片をもとに、読者がそれぞれに展開を考えて作品を完成させるとしたら、それはそれでまたおもしろいことかもしれない。国語の教材として本書が使われるようなことがあるなら、この国の文学的未来に少し希望が持てるというものだ。 (bk1ブックナビゲーター:石堂藍/書評家)

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紙の本トニーノの歌う魔法

2002/04/17 18:15

ファンタジーの好きな人にはお奨め

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 魔法が生活に根づいているパラレルワールドを舞台にした作品で、子供が主人公の児童文学だけれど、大人が読んでもおもしろい。いわゆるファンタジーの好きな人には、何はともあれ、という感じでお奨めしたい。
 まずは最新刊の『トニーノの歌う魔法』からご紹介しよう。本書の原題は「カプローナの魔術師たち」。カプローナは平和の魔法に守られているイタリアの小都市である。モンターナとペトロッキという二つの魔術の名家がその魔法を支えている。しかしその守りも近年は弱まっていて、戦争が起きそうな気配。この苦難の時を救うには、かつて〈白い悪魔〉を撃退した〈天使の歌〉しかないのだが、正しい歌詞が失われて久しかった。
 ところで、このモンターナ家とペトロッキ家は、この二百年にわたっていがみあいを続けてきた。ケンカの原因はつまらぬことだったのだが、憎しみだけが独り歩きし、互いをよくも知らないままに相手を忌み嫌っている。イタリア、憎みあう二つの名家とくれば、シェイクスピアの手によって不朽の物語となった『ロミオとジュリエット』がすぐさま思い出されるだろう。作者はこの悲劇の設定を意識的に用いているわけだが、愛しあう若い二人の物語はメインとしてではなく、脇筋として巧みに織り込んでいる。
 さて、主人公はモンターナ家の息子トニーノ。猫と会話できるが、魔法の呪文をきちんと覚えられなくて、ちょっと気の弱いところがある。一方、ペトロッキ家のアンジェリカは呪文を間違えることで有名で、父親を緑色にしてしまった失敗談は伝説となって市中に流れているほどだ。この二人がカプローナを破壊しようと企む悪の大魔法使いに捕まってしまうのだが……。
 はらはらするような二人の冒険には、ジョーンズらしいひねりが随所に見られ、一種の残酷趣味もある。だが本書はシリーズ中で最もユーモアにも富んでいる。まちがってかけられてしまう魔法の愉しさは無類だし、このシリーズでは唯一、理想的とも言える家族の姿を描いている点にも、どこかほのぼのとさせられる。
 猫のベンヴェヌートをはじめとして、主人公以外のキャラクターも個性的。アンジェリカの姉レナータ、トニーノの兄パオロという頭の回転の速いコンビを登場させているあたり、物語をおもしろくするツボを心得ているジョーンズらしい。読み終えたあと、カプローナの魔術師たちのその後を覗いてみたいと、誰もが思うのではないだろうか。(bk1ブックナビゲーター:石堂藍/書評家)

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鉛筆画の鬼才、初の画集

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読み手を選ぶ本、というものがこの世にはある。同じように、鑑賞者を選ぶ絵というものも存在するのだ。亡月王の絵のように。ぬめぬめと照り光るような外皮に包まれた、不定形の先端を持つ、異形の女たち。それをグロテスクとしか見ない者にはこの画集は不要だ。だが繊細な眼を持っている者には見えるだろう、そのフォルムを超えたところにある、表現そのものの力が。そしてその力こそが、画面全体からエロスを発散させているのだということを。決して万人向けではない。ただ選ばれた者たちにだけ与えられる、亡月王の絵と向きあうことの悦び。

こちらで画集に収められた作品を一部紹介しています
→アトリエOCTA&幻想文学HP

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紙の本スピリット・リング

2001/01/11 20:03

とても美しい物語

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二人の少年少女とが互いを人生の伴侶と認めあうまでを、魔術的な冒険に乗せて描いた愛らしい長篇ファンタジー。
 舞台はルネサンス期のイタリア。と言ってももちろん普通のイタリアではない。ここには魔法が生きている。魔術は教会にも認められた技で、聖職者たちさえ白魔術を駆使して善をなす。この世界ではコボルトのような精霊たちも現実的な存在なのだ。
 今、16歳の少女フィアメッタは、一つの指輪の完成を待っているところだ。少女はその金の指環に、大魔術師にして金細工師の父プロスペロに内緒で魔法をかけた。真の愛を明らかにするという精妙きわまる魔法なのだが、果してそれは成功しただろうか。
 一方、17歳のトゥールは鉱山で実直に働く少年だ。鉱脈を見ることのできる不思議な視力を持つ彼は、コボルトに「火のもとで生きよ」という予言を与えられ、さらにプロスペロの徒弟になるようにとの手紙を受け取る。
 火を操る魔法に長けた勝ち気な少女とうぶな少年とがこれからどのような恋物語を展開するのか、と読者はわくわくするにちがいない。こうして二章をかけて紹介されたこの二人のキャラクターが、とにかく魅力的だからだ。しかも舞台には魔法が充ちみちている。期待しない方がどうかしている。
 さて、物語はこの後急転回を告げる。黒魔術を弄する家臣の反乱が起き、町は混乱に陥れられるのだ。フィアメッタはプロスペロと共に逃亡を余儀なくされ、トゥールの徒弟入りもかなわなくなった。そう、こうして波瀾の中で二人は出会い、命をかけた冒険の中で愛と信頼を築いていくのである。
 この物語は全世界を巻き込んだ大仰な闘争劇を展開するわけではないけれども、黒魔術から魂を守るため、誰もが精いっぱいに本分を尽くそうとする、とても美しい物語だ。ビジョルドはSF作家として知られるだけに、魔法の描き方が自然で精妙。とても魅力的なファンタジーの世界を作り上げている。
 なお、プロスペロのモデルとなっているのはベンヴェヌート・チェッリーニだが、著者が種本の一つとして挙げているチェッリーニの自伝は、『チェッリーニ わが生涯』(新評論)というタイトルで翻訳も出ている。魔術で悪魔を呼びだした話など興味深い話題にあふれているので、本書と併せて読んでみるのもおもしろいかも。

(石堂藍/ファンタジー評論家)

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