今井 啓一さんのレビュー一覧
投稿者:今井 啓一
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新しい教養を求めて
2001/01/10 21:15
教養とは飾りものでなく,人間が生きていくために不可欠な要素・知恵であることを若者に知らせるべきだ
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INFORTAINMENTという言い方を米国でよく聞く。「情報(INFORMATION)の娯楽(ENTERTAINMENT)化」という意味の造語で,テレビ報道批判である。本書は冒頭で「若者の読書離れ」を指摘しているが,現実は読書どころか新聞すら読まない。ニュースを知るのはテレビであり,しかも面白おかしく脚色した内容でなければ見ない。
教養,とりわけ教養小説(Bildungsroman)発祥の地がドイツであることは広く知られているが,筆者は「西欧では教養を尊重することを力説するのは保守主義の人々」であるのに対し,「日本では教養を尊重する立場と理想主義的進歩主義の立場が同じグループだった」とする。そして「学生反乱」が鎮静化,キャンパスがしらけムードに覆われた70年代初頭に「教養離れ」が始まったと言う。
そのような前提に立って本書は近代日本の修養と教養,大正教養主義と和辻哲郎,丸山眞男像(爽快な談論風発の人なのに,重々しい文章から重い人というイメージを持たれ「おかわいそうな丸山さん」と呼んでいる),文芸映画と教養主義など,いくつかの観点から日本における教養の変遷をたどっている。
ただ,本書の題名が示す「新しい教養」をどこに求めるべきなのかが明確に伝わってこない。第5章の「新教養をめぐる対話」の中の梅棹忠夫氏の話がそれを示唆しているのかもしれない。「(旧制)高校のとき1年のうち100日,山へ行っていた。私の教室は山だった。『文明の生態史観』にしても,自分の足で歩いて目で見て頭で考えた。みなさんは秀才やけど,活字を読んで受け売りしているだけや。そういう反発は子供のときからありました——」。
2000年末に中央教育審議会が出した答申の「教養教育の在り方」では,「高等教育だけでなく初・中等教育を含めた学校内外の諸活動全体で身につけていくことを考えるべき」と提言している。具体性に欠けるが,教養とはそういうものであることは改めて言うまでもない。
(C) ブッククレビュー社 2000
異文化コミュニケーション・入門
2000/12/26 15:19
目新しい内容を含むユニークな異文化論
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異文化コミュニケーションに関しては,これまでさまざまな角度から多くのことが論じられてきた。それらの中で比較的多いのは,いくつかの異文化接触または摩擦の事例を取り上げながら検証するケーススタディという形のものだった。本書は二人の著者が専門のコミュニケーション学の観点から異文化交流を分析している。4部で構成しており,後半の3,4部で取り上げている一般的な問題点は,タイトルにある通り入門書だが,コミュニケーション文化,空間や時間の認識などという見出しで論じている前半の部分は,異文化がらみの多種多様な同種の図書の中でも目新しい内容を含んでいる。
著者は「異文化コミュニケーションでまず必要なのは違いに気づくことである」という当然のスタート地点に立ったうえで,「非常に異なった文化的地平との出会いが異文化接触といえる。そして,その異なる部分の大きい地平同士が融合のプロセスをたどる」と述べている。そして「時間の認識」という第5章では,「外国語を一通りマスターした人が,その外国語を話す地域に行ってまずとまどうのが,その地域の生活ベースと約束時間をどの程度順守するのかである」としている。時間の感覚を素材に国民性を論ずることは珍しくないが,コミュニケーション学の観点から,従来にはない見方を打ち出している。
「グローバル時代の入門書」と銘打っているにしては,例えば最後の第12章「グローバル化とアイデンティティ」で論じている内容にはやや物足りなさを感じる。「文化を超えたアイデンティティ」,「文化融合」などと力説しているものの,記述の仕方が抽象的で具体性に乏しいため,説得力を欠く面は否定できない。ただ,ややもすると通り一遍の「異文化紹介」に過ぎない同種の書籍が目立つことを考えれば,ユニークな異文化論であるといって差し支えない。
(C) ブッククレビュー社 2000
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