天野太郎さんのレビュー一覧
投稿者:天野太郎
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空想主義的芸術家宣言
2001/03/21 13:51
ゆめゆめ油断めされるな。天才芸術家森村泰昌の大芸術論その1
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実際のところ、画家や彫刻家といった美術家によって書かれた本がベストセラーになったのをあまり聞いたことがないし、ベストセラーと言わずとも、そこそこに専門家ならずとも関心が寄せられた、というのも寡聞ながら数多く知らない。そもそも、モノ作る側(制作)とそれにたいして言わば客観的に物申す側(批評)とは、それぞれ餅は餅屋よろしく分業化されていることもあって、なまじその業界の掟を破ろうとしても敢え無く惨敗というのが予め予想される結果だ。
世に優れた、とか、ベストセラーになって、何世代にも渡って読み継がれていくような作家とその作品というのは、淘汰が重ねられながら数が限られていくのは誰しも知るところで、それは時代の要請といった要因もあるにはあるが、何よりも作家の感性も含めた才能の質の高さの有る無しに、どうしても関心が寄せられる。そして、この場合の才能は、モノ作る側とそれに物申す側が世の中では棲み分けられているのだといった業界的生態系をも難なく飛び越えたところで、異なる行為の横断を易々と実践してしまうことを可能にさせる。
ところで、これはあくまで推測にしか過ぎないし、あるいはひょっとすると確率だけのことかもしれないが、美術家の文章の苦戦の中にあって唯一例外といっていい分野の作家たちがいる。それは、写真家とその文章だ(とは言え、写真がウマイ写真家の文章もほぼ例外なくウマイ、ということだが)。例えば藤原新也、荒木経惟、森山大道、石内都、最近では、瀬戸正人、港千尋、金村修といった作家の文章。こうした写真家たちが、どうして魅力的な文章を編みえるのか、しかもそれが写真家であることと一体どんな因果関係があるのか、とてもここでは論証など出来ない話だが、それにしてもすでに刊行化されている書籍によって、文章の旨さとそこから編みだされる興味深い内容は証明済みと言いたいところだ。そして、この書評でとりあげる森村泰昌も写真と切っても切れない美術家であり、結論から言えば「うまい写真家によるうまい文章説」は、やはりここでも揺るぎない「学説」となりえることを予感させる。
すでにこれで7冊目の刊行となる森村泰昌の、これまでの自作を巡る思索の集大成のような佇まいが見受けられるのがここで紹介する「空想主義的芸術家宣言」である。この「空想」については、作者があとがきで触れているのだが、それをそれこそ後で読むことになる読者にとって本ののっけから、「空想。私の好きな言葉だ。なんたって空想するのは、ただである。」と来られると、そうでなくても森村泰昌の美術作品は全部が全部御本人の登場する新手の肖像画であるのに、ここでも森村の勝手な空想に付きあわされるのかとややウンザリさせられるかもしれない。ところが、これも彼独特のカマセ方で、客ならぬ読者をツカム巧みな操作術の一つであることが後でジワジワわかってくる。というのも、本自体の構成にもなっている自作をめぐる7章に分けられた問い掛けを作者は、冒頭でいきなり振った「空想」という言葉に装置としての役割を与え、そこから答えを導こうとするのだから読者は油断出来ない。
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