赤塚若樹さんのレビュー一覧
投稿者:赤塚若樹
物語の作り方 ガルシア=マルケスのシナリオ教室
2002/05/07 22:15
いくつもの楽しみ方がある実践的な「物語」の本
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
あるとき、ガルシア=マルケスがロバート・レッドフォードの運転する車でドライブをしていたそうな。コロンビアのノーベル賞作家はそのときふと買い物がしたくなった。アメリカの二枚目大物俳優は親切だった。そういわれると、「だったら、ぼくもいっしょに行くよ」といい、いっしょに店に入っていった。だが、そのとたんにものすごい騒ぎが起こって、「内気な性格のレッドフォードはかわいそうにもう少しで窒息するところだった」という。——ガルシア=マルケスの回想だ。
それにしても、このふたりでドライブとは、ミーハーなわたしでなくとも、これはすごいと思えるものがあるだろう。このエピソードが持ち出されているのは、物語に登場する俳優が有名であることをしめすには、どのような状況を描けばよいかを想像しているときのこと。天下のロバート・レッドフォードのご登場となれば、「店は大騒ぎになり、若い女の子がサインをねだりに寄ってくる」のは当然。もう説得力があるとかないとかの次元ではないが、では、ガルシア=マルケスのほうは? なんて問うてはいけない。レッドフォードは物語に登場するひと、ガルシア=マルケスは物語をつくるひと、なのだから。
そのガルシア=マルケスが「物語の作り方」のヒントを教えてくれるのが本書。もともとは、映画やテレビの分野での人材育成を目指して、ハバナに創設された学校のシナリオ教室の討論の記録ともいうべきもので、そこから生まれた3冊のうち、2冊がまとめてここに翻訳されている。
このワークショップで課題とされているのは、30分(後半では90分?)のテレビドラマの原案となる物語——シナリオそれ自体ではなく、そのもととなる物語——をつくること。そのやり方はこうだ。
参加者のひとりが、物語の概略、物語のアイデア(「まだしっかり固まっていない単純明快なストーリー」)をもってくる。それを「どういう構成にすればいいかみんなで考えてみよう」ということになり、参加者全員でさまざまな意見をもちだし、ああだこうだいいながら物語の全体像をつくりあげていく。もっとも、物語はかならずしも完成するわけではない。ガルシア=マルケスいわく、なによりも大切なのは「創作のプロセス」、「みんなで力を合わせて物語を創り出す作業」であり、物語の輪郭がある程度明確になってきた段階でつぎに進んでいく。「ここに来れば、ストーリーがどのように成長し、余計なものが削り取られ、袋小路に入り込んだとしか思えない状況の中で突然道が開けていく様子が手に取るようにわかる」。なるほど、そのプロセスは読んでいてたいへんおもしろい。
たとえば、ふたりの舞台俳優の「あいまいな恋」の物語。一方は大物俳優で、他方はかけだしの女優だが、オーディションで顔を合わせると、おたがいに惹かれあう。ところが、男はホモだったため……。これを出発点に、ふたりの人物造形、ふたりの関係、ふたりを取り巻く環境や状況などについて、侃々諤々の議論がくりひろげられていくが、やがて提案者が口にした、挫折する愛の物語ではなくコメディにしたいという意外なひとことから、最後には「男女が入れ替わった完璧なカップルがダンスをするところ」へと行き着くことになる、といった具合だ。
こうした議論と同様に(ある意味ではそれ以上に)興味深いのが、ガルシア=マルケスによる逸脱や脱線、ならびに「物語」観の表明かもしれない。たとえば『族長の秋』のテロのシーンはこうだとか、カンヌ映画祭で審査員長を引き受けた理由はこうだとか……もちろんレッドフォードのエピソードもそのひとつ。というふうに、いくつもの楽しみ方があるこの実践的な「物語」の本、ガルシア=マルケスのファンならずとも読んでおいて損はない。 (bk1ブックナビゲーター:赤塚若樹/翻訳・芸術批評 2002.05.08)
詐欺とペテンの大百科 新装版
2001/11/08 22:16
思わず感心してしまう「悪ふざけと詐欺」の実例の壮大なコレクション
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本書で紹介されているのは「悪ふざけと詐欺」にかんするおびただしい数の逸話やエピソード。その方法や手口だけをとれば、どれも「悪質」なものだが、それですべてが割り切れるというわけでもない。騙すほうと騙されるほう、どちらが悪いかといえば、それは騙すほうに決まっている。しかし、騙されるほうに咎められるべき点がまったくないかといえば、決してそうとは言い切れないから困ったものだ。騙しの手口それ自体もさることながら、この本を読んでいておもしろいのは、騙しが成立してしまう土壌や風土ともいうべきもののほうであり、それを生み出しているのは、たいていの場合、騙されるほうのスケベ根性以外のなにものでもない。だからこそ、被害者(本当にこう呼べるのか?)のなかには騙されたとわかっても、それを告発できない者もいる……。
20世紀前半に大活躍したアメリカの詐欺師、ヴィクトール・ルースティッヒ「伯爵」は売春宿に入り浸り、いつも気前よく支払っていた。帰り際、当時としては高額の50ドル札をちらつかせてから折り畳み、娼婦のストッキングのなかに押し込んでからいう、朝まで取り出してはいけない、さもないとティッシュペーパーにかわってしまう、と。娼館のチェーンを経営していた有名なマダム、ビリー・シーブルは、ルースティッヒからこの魔法のお金をもらっただけでなく、偽札製造機を1万ドルで購入してもいる。仕掛けが複雑なので、一枚の札を複製するのに何時間もかかるというこの機械、一度ゆっくりと実演してみせれば、カモはもうすっかりその気になる。詐欺は当然発覚するが、逃げる時間はたっぷりあるという次第。ルースティッヒは1920年代から30年代にかけてこの偽札製造機で何百万ドルも稼いだという。アメリカ警察の専門家によれば、今日でも偽札製造機詐欺は多いらしいが、騙されても偽札づくりを企んだと認めるわけにはいかないので、表沙汰にはならないようだ。
ところでマダム・シーブルは、騙されたとわかると用心棒にルースティッヒを追わせ、1万ドルを取りもどしたが、その後水増し株を1万5千ドル分買わされているという。まったく……、と思うなかれ、「伯爵」の証券詐欺には当時の暗黒街のボスたちもひっかかっていたのだから。だが、ギャングたちは物笑いの種になることを恐れて、詐欺師のあとを追おうとはしなかった。ルースティッヒはまた、1925年にフランスであのエッフェル塔を2度も売却している。フランス政府ではたらく人間になりすまし、ひそかに取り壊しの計画が進んでいるといって、スクラップ業者を呼び集め、会議が終わるとき、ひとつの業者にそっと耳打ちして、まんまと10万ドルの賄賂をせしめるという手口だった。
2番目の業者が警察に駆け込んだためにアメリカに引き返し、これまでどおりの詐欺をつづけたが、とうとう10年後に逮捕されてしまった。だが、アメリカ最大の詐欺師のひとりと呼ばれるルースティッヒがこれで終わるはずがない。裁判の前日に見事に拘置所から脱走するのだ。9枚のシーツを結んで洗面所の窓から抜け出すというのがその方法だが、さすが、と感心してしまったのは、そのさい通行人が見上げているのに気づくと、窓を拭いている仕草をしたという点だ。なんという機転。根っからの詐欺師なのだろう。
と、まあ、本書にはこうした「悪ふざけと詐欺」の例が570ページ(それも2段組み)分も収められている。この壮大なコレクション、読み物としておもしろいのはもちろん、話のネタにももってこいだし、さらにいえばハウツーものとして読めないこともない。実際、ちょっとやってみようか、という気にもなるが、どうも自分には無理そうだ。良心? いえいえ、ここに登場する詐欺師やペテン師たちほどの度胸がないだけのこと。 (bk1ブックナビゲーター:赤塚若樹/翻訳・著述業 2001.11.09)
ヒエログリフの謎をとく 天才シャンポリオン,苦闘の生涯
2001/07/23 18:15
ヒエログリフを解読したシャンポリオンは果たしてどんな生涯を送ったのか?
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古代エジプトの象形文字「ヒエログリフ」の解読に成功したフランスのエジプト学者ジャン=フランソワ・シャンポリオンの生涯(1790-1832)をたどりながら、その業績がどのようなものだったのかを紹介してくれる本。邦題から想像されるような具体的な「謎解き」ではなく、あくまでもそれを行なったシャンポリオンの伝記をあつかうことが主題となっている(原題は『シャンポリオン』)。
ヒエログリフの解読という「歴史的」偉業については、いわば情報としておさえておけば充分であって、実際にそれに関連する研究でもしていないかぎり、そのすごさを実感することはできないのかもしれない。だが、ほんのすこしでも「言葉」(「絵」ではなく)としてのヒエログリフにふれてみると、これを解読した人物がどんな素養の持ち主なのかにはとても興味が湧いてくることだろう(最近は手軽にその最初歩が学べる本がいくつかある)。
案の定というかなんというか、シャンポリオン氏も強力に語学ができる方だったらしい。また学習の程度がどのくらいだったのかもはっきりとはわからないが、本書によれば、10歳前後にラテン語とギリシア語の初歩を学んだのを手始めに、11歳でヘブライ語を、13歳でヘブライ語以外の3つのセム語——アラビア語、シリア語、カルデア語(アラム語)——の勉強にも取りかかる。そして翌年には(つまりは13、14歳で)、おどろくなかれ、「ヘブライ語の語源研究にもとづく巨人伝説の考察」なるものを著わしており、このころから、ギリシアとつながりのあるエジプトへの関心を徐々に深めていく。
1804年から3年間リセで過ごすあいだには、上記の言語のほかに中国語、エチオピア語、そしてコプト語も学習しているようだ。そのほかにオリエント学に必要な学問もおさめて、1807年(16歳!)に「(ペルシア王)カンビュセスによる征服以前のエジプトにおける地理描写に関する試論」なるものを著わし、半年後にはアカデミーの通信会員に選ばれたという。ほぼ200年前のフランスの状況と現在を安易に較べることはできないとはいえ、このように語学学習に関連する伝記的事実をみるだけでも、シャンポリオンが学者としていたって早熟だったことはわかるだろう。シャンポリオンはこのあとパリに出てさらに研鑽を積み、やがて兄の勧めもあって、1809年頃にあのロゼッタ・ストーンの研究に着手する。そして、その13年後の1822年に、とうとう文字体系の全面的な解読へといたるのだ(大発見を兄に告げたあとで、気を失ったという有名なエピソードはかなり疑わしいらしい)。
このような学者であれば、学問上の論争に巻き込まれたり、嫉妬や攻撃の対象とされたりしても何の不思議もないし、また、研究を継続するための(つまりは生活上の)さまざまな困難があったことも容易に想像できる。偉人の伝記のおもしろさは、しばしば、そういった生々しい現実をその人物がどのように生きたのかがわかる点にあるが、この本についてもこれは充分あてはまっているし、「資料篇」として添えられた手紙や計画書などの文書を読むと、よりいっそうシャンポリオンという人物がみえてくるにちがいない。
本書にはまた数多くの図版が収められており、たとえば、エジプトの神殿や墓の装飾の美しい「模写」をみていると、調査隊に画家が何人かふくまれていたことの意味とその重要性が理解できるだろう。このように小ぶりながらも、なかなか興味深く読ませて(そしてみせて)くれるシャンポリオンの伝記が、この『ヒエログリフの謎をとく』なのだ。ところで、本書の終わりでふれられているように、コンピュータさえあれば、シャンポリオンのような天才がいなくても古代語の解読はできてしまうというのはやはり本当なのだろうか。 (bk1ブックナビゲーター:赤塚若樹/翻訳・著述業 2001.07.24)
現代チェコ語日本語辞典
2001/02/08 18:15
やはり辞書は日本語で読めたほうがいい
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世の中には語学の達人がいて、誰それが何十カ国語を理解しただの、誰それが何カ国語をネイティヴと同じように話しただのといった伝説もある。ため息をつくしかないような話だが、そこはそこ自分可愛さから、伝説は所詮伝説、本当のところはわからない、とつぶやいて、自分の能力の無さをほんのすこしのあいだだけでも忘れるようにつとめることもできなくはない。だが、困るのは、本当にそういった語学の達人が目の前にあらわれてしまったときだ。
外国語を学ぶ者にとって、千野栄一『外国語上達法』(岩波書店)ほど元気の出る本もないと思うが、そのむかし、同じ著者の『チェコ語の入門』(白水社)と格闘しながら、この本をくり返し読み、なんとかこの言語を「ものにする」ことができないものかと考えていたときのこと、めったに行かない大学で「語学の達人」と呼ばれる先生の授業を取った。この先生、記憶にまちがいがなければ、英語・仏語・独語はもちろん、ロシア語とポーランド語、ギリシア語とラテン語(もともとこのあたりからスタートしたらしい)もマスターしており、それにくわえてスペイン語で論文を著わし、取った授業ではイタリア語のテクストを読むというのだからおどろきだ。当然のことながら、理解できる言語はほかにもまだまだたくさんある……
あるとき雑談のなかでその先生が、語彙数が2万語強の『ポーランド語辞典』(木村彰一ほか編、白水社)をさして、ポーランド語はあの辞書があるからとても助かりますが、チェコ語はないからたいへんですね、といわれた。わたしが、辞書なら外国語のものがありますが、と何気なく答えたとき、その先生の口から意外な言葉を聞くことになった。いわく、2万語くらいのものでも「日本語の」辞書があるのとないのでは大ちがいですよ。よく考えれば意外でも何でもないことだが、なにしろ相手は「外国語の」達人だ、ある種の衝撃をもってその言葉を聞いたのを覚えている。やっぱりそうだったのか、と。
『チェコ語=日本語辞典』(京都産業大学出版会)が刊行されたのは、それから数年してからだった(すでに岡野裕『チェコ語常用6000語』[大学書林]という語彙集はあったが)。ちょうど件の『ポーランド語辞典』と同じくらいのサイズだが、そのわりには例文も多くふくまれていて、とても使い勝手のよい辞書に仕上がっていた。前述の『チェコ語の入門』のほかに、千野栄一『エクスプレス・チェコ語』(旧版、白水社)、石川達夫『チェコ語初級』(大学書林)、そして保川亜矢子『標準チェコ会話』(白水社)が出版されていたこともあり、この辞書のおかげでチェコ語を学ぶ環境がかなり整ったように思えたものだ。実際に、「日本語の」辞書はとてもつかいやすい。
ところが、あろうことか、この辞書がしばらくまえに絶版にされてしまっていたのだ。石川達夫『チェコ語中級』(大学書林)、保川亜矢子『エクスプレス・チェコ語(新稿版)』(白水社)、金指久美子編『チェコ語基礎1500語』および『チェコ語会話練習帳』(いずれも大学書林)も出版され、ますますチェコ語が近づきやすい言語になっていたにもかかわらず、辞書がなくなっていたとは!
この不幸な状況を打破するかのようにして刊行されたのが、今回の『現代チェコ語日本語辞典』(大学書林)。といっても、じつはこれ、前述の辞書が出版社をかえて復活したものであり、ざっとみたところでは、表紙の色のほかはそれほど大きな変化もないようだ。もっと大きなチェコ‐日辞典が準備されているという話も聞くが、まだしばらくはこの辞書にがんばってもらわないわけにはいかないだろう。それにしても、じつに見事でよろこばしい復活劇ではないか。 (bk1ブックナビゲーター:赤塚若樹/翻訳・著述業 2001.02.09)
世界樹木神話 新装版
2000/09/14 00:15
永遠のあこがれの禁断の「木」の実──樹木が教えてくれる世界の神話のおもしろさ
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タイトルにひかれて思わず本を手に取ってしまうことがある。わたしにとっては本書がまさにそういう類の本だった。『世界樹木神話』という表題が連想から連想へと誘ってくれることはもちろんだが、今回それにもまして気になったのは、自分の名前を構成する文字のひとつ「樹」が登場してくる点だった。植物の樹木にそれほど強い関心があるわけでもないのに、「樹」という「文字」だけにはどういうわけかいつもきまって眼が向いてしまう。もしかしたらナルシシズムのひとつの変奏なのかもしれないけれど、こればかりはどうしようもない・・・
さて、そのような理由から手にした『世界樹木神話』だったこともあって、読み終えたいま、思わぬ拾いものでもしたような気持ちがしている。というのも、これをとおして神話、伝説、伝承のおもしろさが、はじめてある種の手ごたえをもってつかめたような気がしたからだ。
これまで、たとえばギリシア神話などの本を繙いてみても、登場してくる神々の多さや、その錯綜した関係に追いついていけず、全体としてある種のとりとめのなさというか、何か混沌とした印象しか残らないということがしばしばあった。ところが本書の場合、「樹木」という明確なテーマがあるために、そこから逸脱するような神話のエピソードさえも流れのなかで安心して読むことができるのだ。
「遠い昔、人間が地球上に姿を現わすはるか以前に、一本の巨大な樹木が天までそびえていた」。
このような宇宙の軸となる樹木、すなわち「宇宙樹」が世界各地の神話にみいだされ、その神話がほかの無数の神話や伝承を統一する基本原理をなしている、という指摘から本書ははじまる。
そして、たとえば、その「宇宙樹」の神話にあっては7と9が神聖な数として機能している事実をあきらかにしたり、ブドウ酒の神とみなされるディオニュソスが本質的には樹液の神であり、それが「縊死」と「豊饒」につながっていく点をしめしたりしながら、著者ブロスは世界の神話を「樹木」のもとで読み解いていく。その結果、神話という、人間が考えうることのすべてをふくみ、それを昇華することから生まれる「物語」には独自の(もしかしたら本来の?)意味があたえられ、「おはなし」としてのおもしろさが浮かび上がってくることになる。その過程ではまた、ふだんみかける何気ないことがらについて思いがけない説明や解釈がなされることもある。たとえば花粉症の者なら、花粉の拡散が人間や動物の「さかり」にあたるという指摘などは、そのはた迷惑さを思い出して妙に納得できるのではないだろうか。
「樹木」というパースペクティヴのもとで神話や伝説をとらえなおす斬新な試み、それがこの『世界樹木神話』であり、そこにみいだされる記述はこのうえなく興味深い。なお、巻末に「神名・人名」と「事項」というふたつのセクションからなる詳細な索引がもうけられているために、本書には事典としての利用価値があることもいい添えておいてよいだろう。 (bk1ブックナビゲーター:赤塚若樹/現代小説・詩学・表象文化論 2000.09.14)
タチ 「ぼくの伯父さん」ジャック・タチの真実
2002/06/18 22:15
ジャック・タチはどれほど「伯父さん」とはちがった人物だったのか
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だいぶ昔のこと、『ぼくの伯父さん』、『ぼくの伯父さんの休暇』とつづけて観たとき、その主人公の一風かわったあり方が気になって、何かもっとほかの面もみせてくれるのではないか、とだいぶ見当違いな期待を抱きながら『プレイタイム』も観てみた。そのときはさほど引き込まれはしなかったものの、どういうわけか、いくつかの場面はいまでもはっきり覚えている。こういうのを本当に印象に残る映画というのだろうか、と思わなくもないが、それはともかく、主人公の印象については結局何もかわらずじまい。あの風貌とともに、どこかかわった振舞いをする不思議なキャラクター、として記憶にとどめられることになった。
本書は、この「伯父さん」を演じ、これらの作品を監督したジャック・タチの生涯を、数多くの図版をみながらたどっていく、たいへん質の良い伝記文学だ。
そこでみつかる「伯父さん」のプロフィールによれば、「特徴」は「言葉を発しないこと、歩き方、場違いさ」だという。たしかにそうだ、といまさらながらに思いつつ、同時に、この人物にある種の共有されたイメージがあることも再確認させてもらった——「これほど実在感のないヒーローも珍しい」。
その身元はといえば、「姓、ユロ。名、不明。家族、たぶん有り。職業、謎。住所、不定」とのこと。ほかはともかく、その姓、ユロをみて一瞬立ち止まってしまう。たしかにユロで、その役名はあまりにも有名だ。けれども、個人的にはユロよりも、タチという名前のほうがこの人物に結びついていた。つまり、ご多分に漏れず、タチ=「伯父さん」という見方をしてしまっていたわけだ。
これは、いうまでもなく素朴な印象と、そこから生まれる上っ面のイメージにすぎないけれど、タチがそれだけ印象深いキャラクターをつくりあげたのもまたまちがいのない事実だろう。そのタチが実際にはどれほど「伯父さん」とはちがった人物だったのか、その創意、その完全主義者ぶり、あるいは無理解のなかで味わうその孤独はどのようなものだったのか。本書が描いてみせるタチの肖像はこのうえなく興味深く、それを目の当たりにすれば、作品にたいしてもこれまでとはちがった関心の持ち方ができるようになるはずだ。
短いセンテンスを淡々と積み重ねながら、変に神格化することも、また奇妙な熱を帯びることもなく、いわば事実にそくして、タチの姿をくっきりと浮かび上がらせようとするその筆致もすばらしく、読んでいてなんとも心地よい。 (bk1ブックナビゲーター:赤塚若樹/翻訳・芸術批評 2002.06.19)
W文学の世紀へ 境界を越える日本語文学
2002/02/26 18:15
「日本語文学」とは、あるいは「世界文学」とは、本来どのようにとらえるべきものなのか
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ロシア・東欧文学研究の第一人者でありながら、文芸評論家としても大活躍の沼野充義が、日本文学ならぬ「日本語文学」について書いてきた文章をはじめて1冊の本として(というよりも、1冊の本のなかに)まとめたのが、この『W文学の世紀へ』と題された評論・エッセイ集。その意味で、これが著者のビブリオグラフィにおいて特別な1冊になることはまちがいなく、10年以上にわたってこの書き手の文章を読みつづけてきた者としては、そのような著作の刊行については、まず最初に、じつによろこばしい出来事だといっておきたいと思う。
さて、今回、読みながらあらためて思ったのは、この書き手(といまは呼んでおきたい)がおそらくそう期待されているであろう役回りをなんと律儀にこなしつつ、またそれをしたたかに利用してきたかということだ。
「外国文学」にあって、やはりどこか「周辺的」な印象の否めない「ロシア・東欧」文学という、そのようなあり方自体がすでに特徴的ともいえる領域を専門とする立場から、幅広い視野のもとで対象をとらえ、ほどよい軽さを備えた文章によって何かを紹介したり論じたりすること——ごく大ざっぱにいえば、これが文芸ジャーナリズムにおいて沼野充義がもとめられてきた役回りのようなものではないかと思う。
このような見方自体、ひとつの紋切り型の思考以外のなにものでもないが、この書き手の文章を読んでいると、あえてこの種の思考を二重の意味で引き受けようとしていることがすくなくないように思えてくる。ひとつはいうまでもなくジャーナリスティックな役回り。そしてもうひとつは、(そのような役回りにも関連しているが)いわばひとつのレトリックとして、そして読者への配慮として、「わかりやすさ」を優先した表現とか、目を引きやすい言い回しを巧みにもちいている点だ。
本書は、すでに表題からしてそのような戦略がもちいられているようにみえる。まずメインタイトルにある「W文学」。もちろんこれは「J文学」(という「井の中の蛙」的意識)にたいして持ち出された「ワールド・リテラチュア」、つまりは「世界文学」のことで、どこかしらマニフェスト的な響きも感じられる。つづいて副題では、「越境」というテーマの提示と、それから<日本「語」文学>なる言い回し。これまた、じつにイメージが抱きやすく、また聞いたときの印象もよい表現ではないか。
しかしながら、たとえば「越境」など、いかにもというか、ありがちというか、一時期もてはやされたがゆえに、すでにどこか時代がかっているふうにもみえる言葉であり主題だし、<日本「語」文学>にも、どこかそれに似た色彩のあることは否定できないだろう。「W文学」にしても、ねらいがわかりやすすぎるという感じがしなくもない。
だが、沼野充義ほどの書き手がこうしたことすべてに気づいていないわけがない。たとえば「世界文学」が「ユートピア」だとはっきりと指摘されている点からもそれはあきらかだろう。たぶん、その書き方についてはこんなふうにいえるのではないだろうか——「わかりやすい」表現や、目を引きやすい言い回しをもちいながらも、そうした背後に紋切り型や単純化がひそむ考え方の愚かさや危うさをあばきだし、そのプロセスのなかでこそふれうる文学作品や芸術作品の「真実」をわたしたち読者のまえにしめそうとしている、と。このプロセスをつかさどる一貫した思考と鋭い洞察にあっては、「日本語文学」と「外国語文学」のあいだに「境界」など存在しておらず、だからこそ、問題の「日本語文学」もまた「世界文学」に通じていくのだと思う。外国文学研究者兼文芸評論家は数多くいるが、こうした捉え方ができるのは本書の著者をおいてほかにはいない。 (bk1ブックナビゲーター:赤塚若樹/翻訳・芸術批評 2002.02.27)
生は彼方に
2001/08/29 15:16
クンデラの小説家としての特質を映し出す、詩人が主人公の反‐教養小説
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ミラン・クンデラは矛盾と偏見の作家である、ということから話をはじめることにしよう。もしこの見方が正しいなら、『生は彼方に』はもっともクンデラらしい作品であり、その特徴がこのうえなく顕著にあらわれた小説であるといえるだろう。もっとも、50年以上にわたる文学者としての生活にあって発表した単独著書の数が、ジャンルを問わずすべてかぞえてみても20にも満たない、おそらく寡作といってよいだろうこの作家について、そのような表現をもちいることができるとすればの話だが。
この作品にかんしてクンデラの矛盾と偏見を話題にするには、やはりチェコの状況とそこから生まれる文学についてふれないわけにはいかない。話をわかりやすくするために、かなり単純化していえば、チェコ文学には20世紀後半になるまで、散文フィクションの占める場所がほとんどなく、そこで書かれるべきものは、なによりもまず詩だった。クンデラに多大な影響をあたえたモダニズム芸術にもこれはあてはまっており、その観点からすると、彼が詩人として文学活動をスタートさせたのは至極当然のことだったといえるだろう。モダニズム芸術といえば、いわゆるアヴァンギャルドだが、そこでは当時の政治的理想を反映するように「革命」が謳われ、それによって実現される「未来」が信じられていた。
クンデラがそろそろ20歳を迎えようとするころ、この理想を実現すべく共産主義政権が樹立され、多くの国民から熱狂と興奮をもって受け入れられたが、その「陶酔」のなかで訪れるのは「政治裁判、迫害、禁書、裁判による暗殺の年月」だった。この時代を「盲目的に賞揚した抒情詩人たち」の姿をみて、「革命」がもたらす「陶酔」と「詩」がもたらす「高揚」とが同質のものであることを知ったクンデラは、その時代を「抒情の時代」と呼び、さらには、「詩人たちはその時代、死刑執行人たちと一緒に君臨していた」という考え方をするようにもなる。クンデラ自身が認めるように、これは「偏見」にすぎないが、いろいろなところで話題にされているように、このときのショックは相当なものだったらしく、それが詩から離れていくきっかけになったのは確からしい。
ところがその経歴をみると、興味深いことに、詩にたずさわる仕事から完全に手を引くのは、その後15年以上も経ってからのことなのだ。つまり、「抒情の時代」の「陶酔」と「高揚」の恐ろしさにショックを受けながらも、クンデラは本当は15年以上も詩と訣別することができなかったということだ。ここに一種の「矛盾」をみても決して不当ではないだろう。
断わっておかなければならないのは、ここでいわれる「偏見」や「矛盾」が、かならずしも批判のみを意図してもちいている言葉ではないという点だ。それはまた作品の出発点としてきわめて重要な役割を果たす要素をも言い表わしていると考えてよい。つまるところ、芸術家とはみずからの「偏見」や「矛盾」を作品に昇華させていく者たちのことだからであり、とすれば、詩を信じ、革命を信じたために、結局は自己欺瞞のなかで夭折する詩人ヤロミルを主人公とする、この『生は彼方に』と題された反‐教養小説は、上記のような「偏見」と「矛盾」から生まれてきた小説以外のなにものでもないといえるだろう。あるいはむしろ、クンデラがその「偏見」や「矛盾」と対峙することから生まれてきた小説というべきか。「抒情の時代」にこのうえなく冷徹で批判的なまなざしを注ぎ、その「現実」を浮き彫りにするこの作品には、それゆえに、クンデラの小説家としての特質もまたこれ以上ないくらい明確なかたちを取ってあらわれているのではないだろうか。 (bk1ブックナビゲーター:赤塚若樹/翻訳・著述業 2001.08.30)
無限の言語 初期評論集
2001/05/04 18:16
ときには、あのボルヘスが、と思わせることすらある「初期」評論集
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この本については、なによりもまず、「初期評論集」というサブタイトルに注意を払うことにしよう。もちろん、ボルヘスほどの作家なら、その活動に「初期」があって当然だし、その時期に評論を書いていてもおどろくにはあたらない。それなのに、どうしてそこに注目しなければならないのか。
ボルヘスの〈初期評論〉は、じつは、ボルヘス自身によって「封印されたテクスト」だったのだ。
では、すこしばかり事実確認。1899年生まれのこの作家の経歴をしらべてみると、最「初期」の段階では、まず詩人としておもに活動し、それと並行してエッセイや評論を書いていたことがわかる。これは、ほぼ1920年代のことであって、最初の短編集『汚辱の世界史』(1935年)に収められる散文フィクションの作品を発表しはじめるのは、このあと、ようやく30年代に入ってからのことだ。
1920年代といえば、ボルヘスがまだ20代のころだが、はやくもその時期に3冊の評論・エッセイ集——1925年に『審問』、26年に『わが待望の規模』、そして1928年に『アルゼンチン人の言語』——を発表している。ところが、ボルヘスはその後この3冊を自分の意志によって絶版とし、生前に刊行された全集にも収録させなかったという。
(その本当の理由は、いまひとつはっきりしていないようで、いわゆる若書きだったからだとか、あつかわれているテーマや主張に同意できなくなったからだとかいろいろな解釈があるらしい。このあたりの事情については、訳者あとがき=エッセイ「ボルヘスにおけるクリオージョ意識」のなかで旦敬介氏がくわしく説明してくれている。)
『無限の言語』と題された本書を構成するのは、まさにその3冊から選ばれた19の文章なのだ。〈初期評論〉については、これまでにも、たとえば現代文学に対応できる新しい文体やレトリックをつくりだそうとする意思や、アルゼンチンに固有のことがらにたいする問題意識が色濃くあらわれている、という点が情報としては伝えられていた。では、実際はどうなのだろうか。
本書所収の19編は全体のおよそ3分の1にあたるという。当然のことながら、これによって3冊の評論集のすべてを判断することはできないが、すくなくとも、この19編を読むかぎり——いいかえれば、今回の編集を受け入れて読むかぎり——では、「初期」ボルヘスは、とても「まじめな」文章を書いていたといえそうだ。
そこに、のちの「ボルヘス」につながる要素が数多くみいだされることはいうまでもない。しかし、本書を読んでいると、例のどことなく人を食ったような調子よりも、作家の真摯さ、きまじめさのほうが前面に出てきていて、ときには、あのボルヘスが、と戸惑いを覚えることすらある。とくに、ことば、表現、レトリックなど、「書く」という行為の実際的な問題に若き日のボルヘスがこれほどのこだわりをみせていたとは!
ボルヘスの問題意識の変化、その作家としての形成を考えるうえで、この「初期評論集」が必読の文献となったことはもはやまちがいないだろう。 (bk1ブックナビゲーター:赤塚若樹/翻訳・著述業 2001.05.04)
日本語を書く部屋
2001/02/20 15:15
問い直される「言語」のあり方と作家としての「アイデンティティ」の創出
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少々逆説的な言い方をすれば、リービ英雄にこのようなタイトルの本はもう似つかわしくないのではないか、という気がしないでもない『日本語を書く部屋』。というのも、そこで読者の気持ちを(おそらく必要以上に)惹き付けてしまうのは、まちがいなく「日本語」という言葉だからだが、この作家については、いつまで、そのような見方をつづけていかなければならないのだろうか?
たしかにアメリカ人が、母国語の「英語」ではなく、わざわざ外国語の「日本語」で小説やエッセイを書いていれば、ごく単純に「どうして?」という疑問は生まれてくるだろう(英語はみんなのあこがれの言葉なのに!)。そのうえ、経歴をみると、プリンストンやスタンフォードといったアメリカの(ということは、世界的に)有名な大学で教授を務めていた人物が、職を辞して、日本に定住とあるのだから、不思議に思われて当然だ。
すると、たとえば本書のカバーにみられるように、リービ英雄について「日本語」、さらには「越境」といった歌い文句が強調されるのも充分に理解できるし、そういった文脈のなかで、作品が読まれるのもごく自然なことといえるかもしれない。作家自身も、自分に寄せられる関心のあり方を理解して、その種のことがらをテーマに文章を書いてきたのもまちがいないし、実際に、この10年のあいだに発表したエッセイを集めた本書にも、そのような文章がいくつも収められている。だが、読み進めていけばいくほど、「日本語を書く部屋」というタイトルに表現されるような「見方」そのものに、いくぶんかの違和感を覚えざるをえないのだ。
それぞれのエッセイはテーマによって大きく3つのグループに分けられており、まず第1部では「日本語」がおもに取り上げられている。そこで語られているのは、「日本語は美しいから、ぼくも日本語で書きたくなった」というリービ英雄が「日本の作家」になるまでの「日本語遍歴」であり、たとえば、アメリカの「日本文学研究家」だったころの思い出や、「日本人として生まれた者たちの島国コンプレックス」へのとまどいなどを話題にするエッセイは、どれも興味深く読むことができるだろう。
第3部には、おもに「越境」をあつかうエッセイが集められており、「野茂英雄」(もうひとりの「英雄」?)の勝利に「日本文化」と「越境」の勝利をみるような視点から、文化の状況や「時代」をとらえる文章が並んでいる。この作家の場合は、「越境」にアメリカと日本だけでなく、中国もかかわってくるために、その物語がより大きなダイナミズムを内包している点も注目に値するだろう。
このように「日本語」と「越境」について語りながら、リービ英雄は、いわば、みずからの作家としての立場をとらえなおし、その「アイデンティティ」をあらたに創出しようとしているのではないだろうか。だからこそ、その文章のひとつひとつには、このうえない緊張感があり、すでに「部屋」のなかで「書く」言語としての「日本語」という枠組みをはるかに越えてしまっているように思えてならない。
それにくわえてもうひとつ特筆に値することとして、有能な「日本文学研究家」としての活動に、「日本語の作家」としての活動があいまって、本書のなかですぐれた日本文学論を展開している点も忘れるべきではないだろう。おもにそのような傾向のエッセイを収めたのが本書の第2部だ。そこでは、思いがけない視点を提示してくれているばかりか、日本のもっとも古い文学作品のいくつかを妙な「ごたごた」から解放しようとしてくれているのだから、うれしいではないか。
このようなすぐれた洞察をもって書かれたエッセイを読んで、リービ英雄のつぎの小説がますます待ち遠しくなるのは、きっと、わたしだけではないだろうと思う。 (bk1ブックナビゲーター:赤塚若樹/翻訳・著述業 2001.02.21)
生埋め ある狂人の手記より
2001/01/11 18:15
20世紀イランを代表する作家の短編小説集
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サーデグ・ヘダーヤト? 表紙のカバーによれば、「20世紀イランの巨匠」であり、本書『生埋め』はその「厭世観と狂気に満ちた短編小説7編の選集」で、「本邦初訳」なのだという。ひとまず文学辞典のたぐいをしらべてみると、なるほど、前世紀(!)の前半(1903〜1951)を生きたイランの大物作家らしい。いったいどのような作品を書いているのだろうか。
人名や地名の響きがあまり聞き慣れないものだという点についてはひとまずおいておくことにしよう。そのうえで、本書を読みながら気づいたことを書き留めてみると、まず最初に、留学中に出逢ったマネキン人形に思いを寄せるイラン人青年の悲劇を描く「幕屋の人形」については、マネキンが登場することからふとシュルツの『大鰐通り』が思い出されるが、作風という点では『砂男』あたりのホフマンといった感じだろうか。ともかく、そこには内向的な精神の暗い歪みとでも呼びうるものが描かれており、幻想的な色彩もみえかくれしている。
つづく「タフテ・アブーナスル」になると、その幻想性がいちだんと際立ってくる。なにしろ、考古学者が出土したミイラをよみがえらせてしまうのだから。しかもそのミイラは、なんと、不貞をはたらかれた妻が、魔法使いの助けを借りて夫を仮死状態にしたものだというのだ。そこには、エリアーデの作品などにもつうじる、理知的なものと不可思議なものの絶妙な融合のかたちがみいだされるし、さらには、イランの作家ということで無意識のうちにこちらがそれをもとめているからなのだろうか、独特な地域性のあらわれも認めることができる。
そうした地域性(異国情緒?)が色濃くあらわれた「捨てられた妻」、妻と親友の姦通を疑ったがために最愛の娘を失う男の物語「深淵」、タール(楽器)の音に妻の霊の訪れを思う懐疑主義者を描いた「ヴァラーミーンの夜」、死への憧れがつづられた「ある狂人の手記」からなる「生埋め」(もっとも、その語りが信頼できるものかどうかは定かではない)がそのあとにつづき、最後に「S.G.L.L.」という奇妙なタイトルの作品がおかれている。
舞台となるのは、二、三千年先の世界。そこでは、科学の力によってほとんどすべての人間的な必要が満たされており、唯一の苦しみは、目的も意味もない人生への疲労と倦怠だった。この苦悩を回避するために開発された血清が「S.G.L.L.」で、性の欲求を取り去ってしまうのだという。前6編とは趣がことなるアンチユートピアの作品で、たとえば、チャペックの『山椒魚戦争』や『絶対子工場』、あるいは、とくに舞台設定や物語の進行といった点からブロツキイの戯曲『大理石』などを思い浮かべることができるだろう。
さて、以上のような短編小説を読んでいると、全体にわたって、すぐれて西洋的な文学的教養が反映されていることがわかる。実際、訳者による「解題」によると、サーデグ・ヘダーヤトはフランスで学んでいるときに創作活動を正式にスタートさせ、サルトルやカフカなどヨーロッパ文学の翻訳も手がけたらしい。だが、その一方で、『ルバーイヤート』の編集も行なっており、岩波文庫版はこれにもとづいているという。たぶん『生埋め』にはサーデグ・ヘダーヤトの文学のごく一部しか映し出されていないのだろう。しかし、それでも、この作家が相当の力量の持ち主であることをたしかめるには充分なはずだ。
[追記:この書評がアップされてから、サーデグ・ヘダーヤトが「本邦初訳」ではなく、1983年に白水社から代表作の『盲目の梟』(中村公則訳)が刊行されていることがわかりました(ただし、そちらでは作家名が「サーデク・ヘダーヤト」と表記されています)。この事実をご教示くださった服部滋氏に感謝いたします。(2001.01.15)]
(bk1ブックナビゲーター:赤塚若樹/翻訳・著述業 2001.01.12)
エクスタシー
2002/07/02 22:15
どんな「知」の「劇場」を演出するのか、それはわたしたちの問題でもある
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「英文学から博物学、美術、建築、庭園、映画、ファッション、漫画、江戸戯作に至るまで、意表をつく切り口からその〈異貌〉を明らかにする博覧強記の〈学魔〉」
高山宏の前著『殺す・集める・読む/推理小説特殊講義』(創元ライブラリ)の表紙の折り返しに記された著者紹介だ。大きさにして、前著のきっかり6倍の本書『エクスタシー』においても、その「博覧強記の〈学魔〉」ぶりが遺憾なく発揮されていることはいうまでもない。
かたちとしては、他者の言葉(たとえば評論や対談、あるいはファクスの紙面!)を取り込みながら、これまでに書かれた(大部分が1990年代の)文章をまとめたもの。そのような構成の仕方ゆえに、どちらかといえば適度な隙間がある感じにはなっているが、そのテーマ系については、高山ファンにはすでにおなじみのもの(つまり「英文学から博物学、美術……に至るまで」)だととりあえずいっておいてよいだろう。
「1890年代に映画にとって代わられた光と闇のアートがあった。ファンタスマゴリアという名の幻灯機で、その堂々百年の普及史はもう少しいろいろ研究されてもよいものだが、マルクスが世紀末ロンドンで公刊した『資本論』が、労働者にとって彼自身つくった商品が今や“ファンタスマゴリアのようだ”と記したことの意味がもっと文学史の問題として解釈されるべきだろう」。たとえば、こんな件りに見て取れる著者の構え——いわばその背景から対象を読みとこうとする関心のあり方——も、いつもどおり高山らしいものだ。
「ぼくのようにインテリア・デザインが近代文化の中でどういう運命をたどったかに深い関心を持っている人間にとって……」
「ぼくのようにテーブルの文化史とでも言うべき妙な分野に手を出している人間から見ると……」
こんな言い回しをときおり目にしながら読みすすめていくと、高山宏がいろいろなところで(本書所収の山口昌男との対談のなかでも)話題にしている英語でいうところの〈キャビネット・オブ・キュリオシティーズ〉という言葉がふと気になってきた。これは、かつてヨーロッパにあった“世界”の「珍品」をいろいろ集めた「部屋」のことだが、いまかりにキュリオシティーズを「好奇心」と、それからキャビネットをたとえば(もうすこし小さく)「箱」とか「棚」と訳してみれば——つまりは〈好奇心でいっぱいの箱〉ととらえてみれば——、まさに本書のことではないか、と思えてくる。
だが、ここで急いでつけくわえなければならないのは、本書にあっては、その〈好奇心〉の備忘録ないし覚え書きが、わたしたちへの呼びかけにもなっているという点だ。「開かれている」なんて時代がかった表現を使うつもりはもうとうないが(第一、そんなのちょっと恥ずかしい)、それでも「開いた」〈箱〉から、やたらとパワフルな声が聞こえてくることだけはまちがいない。〈キュリオシティーズ〉について、そのおもしろさについて語り聞かせて(あるいはむしろ、「書き」聞かせて)くれる声。〈キャビネット〉のなかでは、その声が反響しまくって、耳を傾ける者たちの紋切り型の思考に大きな揺さぶりをかけてくる。そのとき、どんな「知」の「劇場」を演出するか、あるいはどこに「つなげて」いくかはわたしたちにゆだねられている、というわけだ。
そういえば、『エクスタシー』のつぎは『トランス』らしい。見方によっては(よらなくても?)、なかなかあぶない世界だが……。そんなイッちゃっている高山宏にこれからもおおいに期待しよう! (bk1ブックナビゲーター:赤塚若樹/翻訳・芸術批評 2002.07.03)
生命を吹き込む魔法
2002/05/30 22:15
「ディズニー・スタイル」はだれが、どうやってつくってきたのか。その歴史を伝える記念碑的著作
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日本語の書名だけをみても、すぐにはどんな内容なのかわからないかもしれないが、全編これ、あのディズニー・アニメーションについての本なのだ。著者のふたりは、ほかでもないディズニーのスタジオで長年中心的な役割を担ってきたアニメーターで、原著のタイトルは「Disney Animation: The Illusion of Life」という。本当は静止している絵を動いているようにみせてしまうアニメーション、だから、それは「生命を吹き込む魔法」となるわけだ。
大きな版型で、500ページを優に越える長さ。そして、そこには、誰もが知っているディズニー・アニメーションの美しい場面から、いままさに生命を授けられようとしているキャラクターたちのスケッチ、そして制作風景の写真までの、さまざまな種類の図版が満載されている。キャプションを読みながらこうした図版を眺めているだけでも、きっとしあわせな気分になれるだろう。
押しも押されもしない人気を誇るディズニーのアニメーション。では、このディズニー・アニメーションについて、いったい何が書かれているのかといえば、その内容は、アニメーションという「芸術形式」のなかで独自の伝統を築いてきたあの「ディズニー・スタイル」を解説し、同時にその歴史的発展をたどったものとでも表現すればいいだろうか。ディズニーの「生命を吹き込む魔法」に興味があるあらゆる人びとが本書の読者対象となるはずだ。
具体的な「魔法」の数々——たとえば、絵そのもののすばらしさ、アニメーションの巧妙さ、音楽や音響の面での工夫、ストーリーの構成法、キャラクターづくりなど——についてなされる解説を読むと、ディズニー・アニメーションがどれほど考え抜かれたうえで制作されているのかがとてもよくわかり、ディズニー・アニメーションの理解が深まるのはもちろん、それ以外のアニメーション映画についても、これまでとはちがった見方もできそうに思えてくる。
そうした記述のなかでもとくに印象深いのは、ディズニー・アニメーションも——あたりまえのこととはいえ——「ひと」によってつくられているという事実がさりげなく強調されている点ではないだろうか。要するに、アニメーターをはじめとする、ひとりひとりのスタッフへの敬意が感じられるということだ。
たとえば1950年から25年以上もの長きにわたって、「アニメーション幹部会」のメンバーとして重責を担っていた「ナイン・オールド・マン」をあつかう章をみてみよう。そのメンバーとは、レス・クラーク、ウーリー・ライザーマン、エリック・ラーソン、ウォード・キンボール、ミルト・カール、ジョン・ラウンズベリー、マーク・デイヴィス、フランク・トーマス、そしてオーリー・ジョンストンという、よほどのファンでないかぎり知らないだろう面々(最後のふたりが本書の著者)だが、そこでは「幹部会」の仕事や役割のみならず、メンバーひとりひとりの個性や業績もその肖像写真とともに紹介されていて、ディズニー・アニメーションが具体的にどのような「人びと」によって支えられてきたのかがはっきりとわかるようになっている。
ほかの部分にはこういったかたちでの人物紹介はないものの、それでも重要なアイデアや技術の考案や発見が記述されるときには、いつでも、誰が何をしたのか、きちんとその功績がしめされており、それによって、本書にはディズニー・アニメーションの具体的な歴史の歩みがしっかりと刻み込まれることになる。そこに見て取れるのは、アニメーターやスタッフの、おそらくこういってよいだろう、かけがえのなさへのまなざしであり、このまなざしこそが、この記念碑的著作を、そしてさらにはディズニー・アニメーションを魅力あふれるものにしているのだろうと思う。 (bk1ブックナビゲーター:赤塚若樹/翻訳・芸術批評 2002.05.31)
概説イギリス文化史
2002/05/17 22:16
イギリス文化にふれたい者はまず最初にこれを読めばいい
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イギリスがかつて何世紀にもわたって世界を支配するヨーロッパの列強のひとつで、「7つの海を支配」し、「日の没することなき帝国」などと呼ばれていたことはよく知られている。ところが、こうした一般論から一歩踏み込んでみると、じつはあまりよくわかっていないのではないかと思えるのが、またこのイギリスという国でもある。とくにこの本であつかわれているような「文化」についてはどうだろう。せいぜい断片的な知識のいくつかをもちあわせているにすぎないのではないか。
こうしたことを自分の問題として思い知らされたのは、しばらくまえに、イギリス紳士のトレードマークともいえる「山高帽」について書かれた本を翻訳しているときだった。当然のことながら、いろいろな本を読んでしらべたり、裏づけを取ったりしなければならなかったが、そのとき気づいたのは、イギリスについて書かれた本は数多くあっても、その文化全般についてわかりやすく説明してくれるような本は意外にもあまり見当たらないということだった。
そんな経験があったので、『概説イギリス文化史』という、じつに素朴で、少々お堅いようにもみえるタイトルにも、かえって興味をそそられてしまった。そのときもし刊行されていたなら、真っ先に手に取ってみたことだろう。そんなことを思いながら、大学の教科書っぽいこのソフトカバーの本を開いてみると、たとえば19世紀の鉄道と大衆化される旅行の関係だとか、当時の中産階級を理解するためのキーワード「リスペクタビリティ」だとかいう、わかるようでいていまひとつピンとこないようなことがらについて、要領よく解説してくれていて、これがあったらもうすこし仕事が楽だったのに、と思うことがすくなくなかった。
「文化(culture)とは人間の生き方(way of life)であり、生活感覚のあらわれ方である」という一節がみつかる本書は、その伝統あるイギリス文化なるものをおもに歴史的・社会史的な側面からあつかっていく文章を中心に構成されている。好みといってしまえばそれまでだが、もうすこし芸術関連の記述があってもよかったのではと思わなくもない。とはいえ、そうした方面についても、たとえば『羊たちの沈黙』でオスカーを取ったアンソニー・ホプキンズの経歴をたどりながらイギリスの演劇を取り上げるといったおもしろい試みがなされており、それが本書の特徴のひとつとなっていることもまた事実なのだ。
簡単なコメントのついた「参考文献」リストもふくめて、この本は、それ自体がいろいろしらべるための参考図書として役立つだろうし、なによりも、これからイギリス文化にふれてみたいと思う向きには、とてもよいきっかけを授けてくれることだろう。 (bk1ブックナビゲーター:赤塚若樹/翻訳・芸術批評 2002.05.17)
亡命文学論
2002/04/18 22:15
「亡命文学」という、なおざりにされてきた領域を踏査するようにという誘い
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やっと出たんだ、というのがいつわらざるところ。いうまでもなく、沼野充義による「亡命文学」の本。このテーマについてまとめるつもりがあるらしいことをはじめて耳にしてから、かれこれ……(やめておこう)。ともかく、ようやくいま、なかなか濃いめのタイトルのもとに「亡命文学」にかんする沼野氏の文章がまとめられ、一冊の書物として刊行されたわけだ。
かりに画期的な出来事と呼ぶのが大げさだとしても、これからこのテーマについて考えるさい、まずはじめに参照すべき基本文献の誕生であることはまぎれもない事実だし、その意味においてきわめて貴重な、そしてまた積極的に(いや、おそらく全面的に)評価すべき仕事であることもまちがいないだろう。それにしても「徹夜の塊」とは、あまりに……(これもやめておこう)。
さて、その「亡命文学」だが、これについて本書が教えてくれるもっとも重要なポイントはといえば、芸術家——とりわけ、言葉を表現手段とする詩人や作家——がおかれる状況としての亡命がどれほど特殊で、どれほど危機的なものであっても、「亡命文学」と呼びうるテーマないし研究領域は、けっして特別視する必要のないものであるということではないだろうか。
すくなくとも現代文学にかんするかぎり、その本質的は部分は、亡命者による作品、およびその創作という営為を無視しては考えられないはずであり(これについては、具体的な固有名詞をここであげる必要はないだろう)、とすれば、むしろ文学における「亡命」が——言語などさまざまな理由があるにせよ——ほかのテーマと同じようにあつかわれてこなかったことのほうがいささか奇妙だというべきかもしれない。
それだからこそ、本書の登場にはよりいっそう大きな意味があるのだが、しかし、今回これを読んでつくづく思ったのは、沼野氏はこれまでずっと、いわばそうした隙間を埋めるような作業をしつづけてきたのであって、なにも本書だけが特別に「亡命文学」をあつかっているわけではないということだ。この点については、実際にほかの著作、とりわけ『永遠の一駅手前』や『スラヴの真空』あたりを読んでみればよくわかるだろう。
だから、一連の著作のなかで、このテーマについて本書が際立っているのは、ストレートな表題と、収められた文章がその問題に寄せる関心の度合いくらいしかないともいえるが、しかし、今回あえて「亡命文学」を前面に打ち出している、その身ぶりには注目しないといけない。そこに見て取れるのは、このなおざりにされてきた領域を踏査するようにという誘いであり、現代の文学にたいして多少なりとも意識的な者なら、すすんでそれを受け入れるのが急務なのではないかと思う。そのさい忘れてはならないのは、このことだ——
「これだけはぜひ強調しておきたいのだが、亡命が〈文化的な越境と異文化接触によって、より豊かな可能性を獲得する〉といった、最近よく聞く、口当たりのいいファッショナブルな公式によって捉えきれるものではない、もっと重く、もっと扱いにくく、もっと絶望的であると同時にもっと輝かしい面も備えた体験だというこだ」。
わたしたちにとって、この本がひとつのきっかけになることは疑いを容れない。
なお、著者はうえの言葉につづけて、こういっている——「そういった亡命の詩学については、機会を改めてもっときちんと展開すべきだろう」。『亡命の詩学』とは、十年来の課題だった研究書のタイトルでもあるらしい。いまのところ実現していない理由として、この主題が「首尾一貫した体系的な記述に馴染まな」いなどと書いているが、それはたんなる……(やめておこう)。いずれにしても、『亡命の詩学』は書かれなければならない。 (bk1ブックナビゲーター:赤塚若樹/翻訳・芸術批評 2002.04.19)
