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村井康司さんのレビュー一覧

投稿者:村井康司

6 件中 1 件~ 6 件を表示

紙の本

現代短歌の魔王、塚本邦雄のリラックスしたトーク・セッション

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 現代の短歌に関心のある人間なら、「塚本邦雄」という固有名詞に畏怖の念を覚えずにはいられないはずだ。短歌作品・評論・エッセイ・小説と、きわめて多産であるくせに質の高い仕事を数十年続け、おそろしく広く深い教養と一貫した美意識に支えられつつ、底知れない「闇の力」を常に漂わせている塚本の全貌を、われわれは現在刊行中の『塚本邦雄全集』(全15巻+別巻・ゆまに書房)で知ることができるようになった。

 塚本邦雄が、信頼するインタビュアー(同志社女子大の宗教部長で歌人の安森敏隆氏)を相手に、聖書とキリスト教が近代短歌・近代文学にとっていかに重要かを語った対談と、二つの講演(「晶子・茂吉と現代短歌」「知られざる名作」)を収録したこの本は、現代短歌の「魔王」である塚本のリラックスした肉声をたっぷり味わえる、塚本ファンにとってありがたい一冊だ。キリスト教徒ではない塚本にとっての聖書の意味、それが彼の短歌作品や小説にどう反映されているか、また茂吉や葛原妙子などの短歌の中に登場する聖書を出典とするモチーフや単語についての具体的な考察などが語られる対談は、高校と大学がカトリック系だったくせに聖書のことをほとんど知らない僕にとっては「ううむ、なるほどそうだったのかあ」と感心する話が次々に出てくる。サブタイトルの通り「聖書見ザルハ遺恨ノ事」なのですねえ、ほんとに。反省します。

 不満は、全体のつくりがやや散漫で、密度の濃さが感じられないこと。雑談風のくだりや脱線があること自体はファンにとってはうれしいのだが、この数倍の時間をかけてじっくり話を聞き、それを丁寧にまとめ直すことができればもっとよかったのに、と思う。クレジットによると、この対談は一日だけで行われたようだが、せっかく「塚本邦雄の肉声」を本にするのだから、その機会をもっと貪欲に活かさないともったいないのではないかしら。これは編集企画者の熱意や姿勢の問題なのだろうが、「石田波郷は、イエスと同じ年齢で死んでます、三十四歳で」という塚本邦雄の発言(もちろんこれは言い間違いか勘違い。波郷は五十六歳で死去)がノーチェックでそのまま掲載されていたりするのを見てしまうと、編集者の熱意に多少疑問を抱いてしまうのだ。

 講演で圧倒的におもしろいのは、啄木、茂吉、牧水、宮沢賢治、鴎外の歌集未収録作品から選歌した「知られざる名作」だ。たとえば啄木の、
 『なにを見てさは戦(をのの)くや』『大いなる牛ながし目に我を見て行く』
 千人の少女を入れし蔵の扉(と)に我はひねもす青き壁塗る
 見よ君を屠(ほふ)る日は来ぬヒマラヤの第一峯に赤き旗立つ
 地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつゝ秋風を聴く
を選ぶ塚本の眼力! 啄木のパブリック・イメージをひっくり返し、おそるべきシュルレアリストとしての啄木を浮上させてしまう力業には感服するしかない。 (bk1ブックナビゲーター:村井康司/ジャズ評論家・編集者 2000.07.22)

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紙の本

無頼派歌人、健在なり!の痛快なエッセイ

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 歌人や俳人って、いかにも無頼派や破滅型がいっぱい存在していそうなイメージがあるんだけど、実際はぜんぜんそんなことないのだ。会社員や公務員や学校の先生や主婦が多いからということもあるが、まあ「変人」クラスは少なくないけど豪快で爽快な「無頼」となるとなかなかいませんねえ。しかし、この本の著者である石田比呂志は、もしかしたら最後の「無頼歌人」であるのかもしれない。歌人を志して上京し、蒲田のキャバレーで掃除係やサンドイッチマンをしつつ歌集を出版、ある日妻子と別れて九州に下り、現在は歌誌「牙」を主宰して「職もなく家もなく妻子もなく、他人より少しばかり酒と博打が好きで、飲みに行ったら美人のおっぱいをつまむ」生活を謳歌している石田の、これは豪快にして痛快、そして少々センチメンタルでもある心根が伝わってくるエッセイ集だ。

 短歌を作るにあたっての信条や短歌の本質論、さまざまな歌人の歌集批評や紹介、日常生活についてのエッセイや回想、川柳についての批評数点、そして毅然たる論争文と、内容は多岐にわたっているのだが、どこを切っても頑固で豪快で、その上シャイで優しい石田比呂志という男の体臭がむんむんとにおってくる。石田の短歌観の基本は、「もの」をしっかりと写生することによって内面に至る、という、通常「実相観入」「寄物陳思」などのキーワードで表される、近代短歌においては至極オーソドックスなもの。主観的感情や観念をなまのかたちで盛り込んだり、気取ったレトリカルな表現を使ったりすることを極度に嫌い、けれんのない抑制された書き方の中に「余情」を漂わせる歌をこそよしとする、という価値観はある意味でありふれたものだが、本書の中で引用されているさまざまな短歌作品を見ると、石田は実直な「棒のごとき」書きぶりがある臨界点を超えて、無意味すれすれ、あるいは無意味そのものになってしまうような短歌が好きなのではないか、と思えるふしがある。たとえば、
 わが皮膚に蚊がとどまりて痒くなるまでの時間を測定しをり 二宮冬鳥
 第一巻第一号よりの会員は我のみとなる六十五巻 飛松實
 前の席が手帳に書くは歌ならむ俳句にしては字が多すぎる 同
 初日の出おろがむ歌など豫作して雨としならば処置なきものを 同
 上下線すれちがふとき運ばるる千のちちふさに風圧あらむ 竹山広
 右足から先にズボンをいつもはくことに気づきて晩年となる 同
 好き嫌ひは兎も角おでんには蒟蒻はんぺん無ければならぬ 芳村亘
のような、通常は「ただごと歌」と軽く呼ばれてしまいがちな作品に内在する、おそらく作者自身は意識していない虚無と狂気をうっすらと感じさせるドライなユーモア感覚(それは、歌人の穂村弘が奥村晃作の短歌を評した言葉を借りれば「聖なる見境のなさ」とでも言うべきものだ)を、石田は何よりも深く愛し、自らもその境地を理想としているのではないだろうか。もっとも石田自身の歌は、
 切れ味の落ちし包丁抒情する匹夫いささか志あり 
 春情のきざすは生(せい)の余波にして渡る街川水滞る
のように、実直の果ての「聖なる見境のなさ」に至るにはソウルフル過ぎるところがあるのだが……。

 話題を呼んだ川柳「老人は死んでください国のため」(宮内可静)や、若い加藤治郎の短歌「くろがねの人間魚雷回天に空調のなし便器はいかに」に対する常識的・倫理的・心情的・道徳的な反発に敢然と立ち向かい、良識派たちに完膚なきまでに批判を浴びせるさまは実に痛快。こういうまっとうなことを歯に衣着せずきっちりと、そして党派的な陰湿さや下品さのかけらも感じさせずに発言する石田比呂志はかっこいい! (bk1ブックナビゲーター:村井康司/ジャズ評論家・編集者 2000.07.22)

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紙の本

アメリカ料理の成立を探り、さらにはアメリカ文化の特質へと迫るスリリングなエッセイ

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 アメリカのメシはまずい、という話をよく聞く。どこへ行っても同じものばかり出 てくるだの、量ばかりやたらに多くて大味だの、ケチャップをべとべとに付けてごま かさなくてはとても食べられないだの、醤油をかけたらなんとか食えた、だの。しかし短期の旅行でニューヨークやロサンゼルスに行って外食だけした大方の日本人にとって、「普通のアメリカ人たちが家庭で普通に食べている料理」がいったいどんなものなのか、それがどういう経緯で現在の形になったのか、は、ほとんど未知の領域であるはずだ。

 本書は「アメリカ料理」がどのような形で成立し、時代とともに発達・変化してきたかについて、ネイティヴアメリカンの食・移民初期の料理・西部開拓時代の食事・庶民と大統領にとっての「アメリカの味」・変容しつつある現在のアメリカ料理と未来への展望、という順で、それぞれについてのクックブックを紹介しつつ自在に語っていくエッセイだ。著者の東理夫には、ロバート・B・パーカーの「スペンサー・シリーズ」に登場する料理について書いた『スペンサーの料理』(早川書房)という名著があるが、そこでうかがえたアメリカ料理への深い愛情と体験に裏打ちされた該博な知識(東氏の両親は日系カナダ人二世である)が、本書からもひしひしと伝わってくる。トウモロコシやジャガイモ、トマト、ロブスター、アヴォカド、コショウ、パイナップルなどの食材はもちろん、クランベリー・ソースやミンスミート・パイ、クラムベイク(ハマグリの蒸し焼き)などといった料理法もネイティヴ・アメリカンたちから伝わったこと、自然環境の違いで食べるものがなくて困っていた初期の移民たちに食材の栽培法や料理法を教えたのも彼らであったこと、西部開拓時代に開拓民やカウボーイたちが食べたものの詳細、歴代大統領たちが好きな料理は何だったのか、などなど、アメリカの歴史や文化に多少なりとも興味のある人間にとってはおもしろくてたまらない話題が次々と登場し、僕は数時間でむさぼるように読み終えてしまった。

 世の中のグルメ本が陥りがちなイヤミなディレッタンティズムから最も遠く、それでいて民俗学の教科書みたいに無味乾燥な記述でもない著者のスタンスのすがすがしさは、これらの料理を生み、そして現在でも変化しつづける「アメリカ文化」への愛の現れだろう。パンケーキの上にフライドエッグを乗せ、そこに甘いシロップをたっぷりとかけたアメリカの典型的な朝食がたまらなく食べたくなる! (bk1ブックナビゲーター:村井康司/ジャズ評論家・編集者 2000.7.11)

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紙の本

大監督、小津安二郎が日記や手紙に遺した詩歌を軸に、小津の生涯をたどる

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 日本映画を代表する監督の一人、小津安二郎が、日記や手紙などに戯れ歌風の詩や短歌をしたためていたことは、今まで読んだ小津についての何冊かの本で知っていた。中でも有名なものは、死の前年である昭和三七年に、母の遺骨を高野山に納骨したときに作った「高野行」と題する七五調の詩だろう。
 ばばあの骨を捨てばやと/高野の山へ来てみれば/折からちらちら風花が/杉の並木のてっぺんの/青い空から降ってくる
 という一連ではじまるこの戯れ歌は、生涯独身で過ごした小津が晩年まで共に暮らしていた母への深い愛と哀しみが、飄々とした口調の底に滲む佳品だ。小津の日記を詳細に紹介した『小津安二郎日記 無常とたわむれた巨匠』(講談社)の著者である都築政昭は、この詩を含む小津の遺した俳句や短歌、詩をほぼ時系列に引用して、それを詠んだときの小津の心境や境遇を推測しながらその生涯を語る、という試みを本書でくわだてている。

 昭和二年、監督になりたての小津が友人宛の手紙に書いた「夏痩せのおくれ毛にみる夕月夜」という俳句(うるさいことを言えば、これは夏と秋の季語が一度に出てくる「季重なり」の句だ)から、死の数ヶ月前に手帳に書かれた「鎌倉に梅咲きにけりおちこちに ははみまかりてひととせのすぐ」という亡母を詠んだ短歌まで、多くは人生の転機にあたって詠まれた句や歌や詩は、そのすべてが日記または手紙にプライベートなものとして書き付けられたものであり、独立した作品としての技巧や完成度を云々するようなものではない。俳人としても一家を成した同世代の映画監督、五所平之助とは違い、小津にとっての詩歌はあくまでも個人的な感慨のはけ口だったのだろう。本書のタイトルに異議を唱えるようだが、これらの作品に、掛け値なしの「名歌」「名句」と呼べるものはほとんどない。それだけに、恐ろしいほどの孤独を抱え込んでいたはずの、この偉大な映画作家の胸の奥が、句や歌を通してかえってくっきりと見えてくるような気がするのだ。

 さて、以下は人の作った俳句や短歌を読むと、つい「選」をしてみたくなる習性をもつ人間(わたくしがそうなんです)の「遊び」である。小津の実人生との照応関係を一応抜きにして読んで、気に入った句や歌をいくつか挙げてみることにしよう

 口づけをうつつに知るや春の雨     昭和十年
 なんとも色っぽい句だが、同時代に日野草城が発表して物議をかもした「ミヤコホテル」連作を思わせたりもする。春の雨のひそやかなあだっぽさが実にいい感じ。

 未だ生きてゐる目に菜の花の眩しさ   昭和十四年
 中国戦線にて。自由律俳句と呼んでいい作風で、菜の花の鮮烈な色がストレートに読者の目にも飛び込んでくる。「未だ生きてゐる目」という物体的把握もうまい

 手内職針のさきのみ昏れのこる     昭和二十年
 シンガポールの捕虜収容所での連句より。おそらくここで描かれているのは母の姿だろう。「針のさきのみ昏れのこる」という把握がいい。もっともこれ、芥川龍之介の「水洟や鼻の先だけ暮れ残る」が下敷きになっているのだろうけど。

 この町の小早川家の酒倉に風吹きぬけて秋立つらしも  昭和三六年
 これは実にすばらしい。映画「小早川家の秋」クランクアップ直前に詠まれた歌であり、あの名作の監督自らの作だと知れば感興もひとしおだが、それをまったく抜きにしてもいい歌だと思う。「小早川家」という字面も音も、秋のさわやかさと寂しさを十全に表していて、しかも品がいい。固有名詞の斡旋の勝利だ。

 ついつい調子に乗って馬鹿なことをしてしまったが、小津の映画のファンは一読する価値のある本だし、その上に俳句や短歌が好きな方だったら、きっと同じことをしてみたくなるに違いない。 (bk1ブックナビゲーター:村井康司/ジャズ評論家・編集者 2000.7.11)

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紙の本

紙の本文楽 歌謡曲春夏秋冬

2000/07/10 20:49

昭和後半を代表する作詞家の、センチメンタルで暖かい「歌謡曲歳時記」

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 「歌謡曲」というジャンル分けも「流行歌」という概念もなくなってしまったような現在、J-POPと呼ばれるジャンルの歌を日々聴いている子どもたちは、中年になったときにモーニング娘やSPEEDの歌詞を思い出して郷愁にひたったりするのだろうか?

 と、あまりにも年寄りくさい思いを抱いてしまったのは、この本の中に登場する阿久悠の作った歌詞のうちのかなりの数を、僕が未だに鮮明に覚えていたから。六〇年代末に作詞家としての活動を始めた阿久悠は、少なくとも七〇年代の十年間は、日本一の売れっ子作詞家だった。七〇年に中学に入り、八〇年の春に大学を卒業した僕にとって、学生時代にテレビやラジオから流れてくる歌の多くが、「作詞:阿久悠」というクレジットをもつものだったわけだ。「白いサンゴ礁」「白い蝶のサンバ」「ざんげの値打ちもない」「せんせい」「個人授業」「青春時代」「ロマンス」「ジョニイへの伝言」「北の宿から」「津軽海峡冬景色」「渚のシンドバッド」「舟唄」…。多様なタイプの歌手と曲のために、実にさまざまな文体と内容の歌詞をものすごい勢いで提供していた阿久悠の作品には、今にして思えば「人生のある瞬間を、効果的な言い回しと鮮明なイメージで切り取って提示する」という意図と、そのために費やされた恐ろしいほどのテクニックがきっちりと存在していたのだった。流行していた当時は何とも思わなかった歌詞が、十年も二十年も経ってから聴いたり口ずさんだりしたときにしみじみと胸に響いてくる、という体験は万人にあることなのだろうが、阿久悠やなかにし礼が活躍していた時代の歌が、人にそうした思いを抱かせる最後の時期の歌であるのかもしれない。それは「戦後」や「昭和」の最後の時期の歌、でもあるだろう。

 阿久悠自身も、少年時代・青年時代に「流行歌の歌詞」にさまざまな思いを投影してきた体験があるのだろう。歌詞によく登場する単語を四季のどれかに分類し(いわゆる季語以外の単語も阿久悠の感覚によって四季に分類されている。「東京」「喫茶店」「先生」「ルージュ」「電話」は春、「殺人」「朝」「マドロス」は夏、などなど)、その単語が登場する流行歌・歌謡曲の歌詞を引用しては、それにまつわる思い出やその言葉のもつ語感の変遷などを淡々と書き連ねたこの本は、歌詞を枕にした筆者の個人史であり、辞書では触れられない日本語の微妙な語感の変遷史であり、歌詞についての当事者ならではの技術論であり、歌の歌詞を通してみた「戦後」「昭和」の「人の思いの歴史」でもある。 

 ハードボイルドを気取っていても、どうしようもなくセンチメンタルで暖かい「カサブランカ・ダンディ」や「勝手にしやがれ」(どちらも歌は沢田研二)の主人公のように、阿久悠の文章には、抑えた筆致の中に心地よいセンチメンタリズムと、寂しさを内包した暖かみが感じられる。メロディを覚えている歌たちを、頭の中でひっそりとプレイバックさせながらゆっくりと読みたいエッセイだ。 (bk1ブックナビゲーター:村井康司/ジャズ評論家・編集者 2000.7.11)

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紙の本

紙の本戦後名詩選 1

2000/07/10 20:49

それ自体が「巨大な一冊の書物」である戦後詩の中から、次代に残すべき名品を厳選したアンソロジー

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 「戦後詩」という言葉には特別の輝きと緊張感がある。戦後文学、戦後短歌、戦後俳句…。これらの単語にだって「そのジャンルの中で第二次大戦後に書かれたもの」というだけではない意味が内包されているのだろうが、「戦後詩」はもっと積極的で統一感のある「あるジャンル」の名称なのだ。この本の巻末解説で野村喜和夫が書いているように、戦後詩とは「万葉集」や「唐詩選」などと同類の、一つの巨大な書物の名である、とすら言えるのかもしれない。

 というわけで、本書は「戦後詩という書物」の中から厳選された、ほとんど小倉百人一首のごとき「きわめつけアンソロジー」である。先に刊行されたこの(1)では、1915年生まれの石原吉郎から31年生まれの谷川俊太郎までの詩人が生年順に収録されている。(2)では谷川の70年代以降の作品をトップに、より若い詩人がやはり生年順に収録されるようだ。収録作品のセレクションは、ほとんどが大文字の「名作」と呼ぶにふさわしいきわめてオーソドックスなもの。各人の項の冒頭に付けられた、簡潔だが周到な解説とともに、これは奇をてらわずに「戦後詩のスタンダード」を次代に向けて提示しようとする選者の意図の現れなのだろう。黒田三郎「賭け」、吉岡実「僧侶」、那珂太郎「繭」、清岡卓行「石膏」、田村隆一「立棺」、吉本隆明「佃渡しで」、吉野弘「I was born」、飯島耕一「他人の空」、渋沢孝輔「水晶狂い」、大岡信「地名論」、谷川俊太郎「かなしみ」…。大好きな作品をいくつか挙げてみたが、僕は小さな女の子が瓶に入れて大事にしまってあるきれいなキャンディを一日一粒ずつ食べるようにして、それぞれ違う味わいの、それでいて共通の「品
位の高さ」をもつ言葉たちを味わっているところだ。

 巻末に置かれた、編者の一人である野村喜和夫による解説「戦後詩展望」の明晰さも特筆すべきだろう。野村は、戦後詩とはその出発時において「(戦争による)死者の代行」という倫理性と、やはり何者かの代行としての「隠喩」という禁欲的表現によって規定されたものだと定義づけ、「荒地」グループによって代表されるその禁欲的な「表現の零度」を否定し、豊穣な詩の「領土化」をめざしたのが谷川・大岡・飯島などの戦後詩第二世代だとする。引き続きその領土化と暴力的な言語の疾走が60年代詩人たちによって徹底的に行われ、ついにはそれは「領土化の臨界」に達して、散文詩や引用の織物などによる「詩の脱領土化」が始まることとなるわけだ。そして、野村は戦後詩の分析や記述は、歴史的な「年表作成モード」と、地理的な(非歴史的な)「地図作成モード」の両面で行われるべきだとし、領土化の臨界と脱領土化の開始(ほぼ60年代末あたりにその線が引かれることになる)の時期が、「年表=地層」的記述が有効である時期と「地図=地勢」的記述しか有効にならない時期との区分に重なっている、と見ている。このような分析はおそらく他のジャンルでも有効なはずだし、それを「モダンとポストモダン」という対立で語ることもできそうだが、本書ではその境界に位置する作家=作品として、谷川俊太郎の「鳥羽」連作が本編の最後に置かれていて、具体的な説得力を獲得している。

 何ひとつ書くことはない/私の肉体は陽にさらされている/私の妻は美しい/私の子供たちは健康だ
 本当のことを云おうか/詩人のふりはしているが/私は詩人ではない
                            (鳥羽1)

 谷川がこう書いてしまった後、詩人たちは「戦後詩」を書き続けることができるのか。それともこれ以降の戦後詩は「自らを越え別の何かに生成してゆく」(野村)ことになったのか? 続編として刊行される『戦後名詩選(2)』で、われわれはその具体的な答えを見いだすことになるはずだ。 (bk1ブックナビゲーター:村井康司/ジャズ評論家・編集者 2000.7.11)

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