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松本賢吾さんのレビュー一覧

投稿者:松本賢吾

12 件中 1 件~ 12 件を表示

紙の本

紙の本野山課長の空白

2000/07/18 09:15

オレはケンカに負けへん自信があるど。ボロ雑巾にされた野山課長の空白に、ヤクザの事務所が吹っ飛んだ。

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 どうもドラゴンズの投手は人が善すぎる。清原の復帰祝いに前回の山本昌に続いて、またもや中山がスリーランホームランをプレゼントした。まあ、あれだけ喜んでもらえれば、打たせ甲斐があるってもんだろうが、ほどほどにしておかないとドラゴンズの連覇がなくなってしまう。それにしてもベンチにどっかと座った清原の、帽子なんて暑苦しいものは被らず、ガムをくちゃくちゃと噛んで周りを睥睨(へいげい)する姿は恰好いい。まさにプロ野球界のカオルちゃんの風格があって、同郷の中場利一は悦に入ってるんじゃなかろうか。カオルちゃんとは言わずと知れた中場利一の傑作『岸和田少年愚連隊』に登場して、リイチやコテツをびびらせまくる無法界のスーパーヒーローのことである。

 とにかく悪ガキを書かせたら天下一品の中場利一の作品は痛快で、汗まみれになったあとの風呂上がりにラムネ(古いね)を飲んだようなえもいわれぬ清々しさがある。

 さて、『野山課長の空白』だが、期待した悪ガキは出てこない。しかしガキみたいなけったいな大人はたくさん出てきて、その一人ひとりが八編の短編の主人公になるのだ。みな面白い。なかでも表題作の『野山課長の空白』は秀逸で、これに登場する田口昇と由佐直子は、『田口昇の事情』と『由佐直子の微熱』では主人公になる。

 この三人を簡単に紹介すると、野山は大阪にある総勢十二人の小さな会社のダジャレ好きな課長で、田口と由佐はその部下。二人が入社できたのは、面接した野山のダジャレを笑ったから。その三人が新幹線で東京へ出張する途中、名古屋から乗り込んできた三人のやくざと騒動を起こすのだが、その騒動が半端でないところがいかにも中場利一らしくて痛快だ。中型、小型の清原、じゃなくてカオルちゃん揃いで、ワクワクさせられる。

 なにしろ田口は、日本中のサラリーマンの中で、ケンカが一番強いのはオレだろうな、と思っている、マイク・タイソンの腹違いの兄のようなご面相の男。そんな田口に野山課長は言う。おまえはケンカに勝つ自信があるて言うけど、オレは負けへん自信があるど。それが口グセで、そんな課長の頭をすぐひっぱたくのが由佐直子だ。めでたく喧嘩が始まって、今度の野山課長の空白は……。

 八編の短編の中で、『清野健治の憂鬱』は岸和田ものに近く、『伊庭毅一の後悔』はヤクザのヒットマンの悲哀と、舌に馴染んだ期待どおりの味わいに満足し、ちょっと毛色の変わった作品の『市川君の選択』は、大ボラを笑いながら読んでいたところ、オチに意表を衝かれて、ついホロリとさせられた。なかなかどうして、中場利一はやるもんだ。ひょっとすると清原もこのまま一軍で活躍して、ジャイアンツの優勝があるのかも。ところで中場利一はどこのファンなのか。やっぱり阪神だろうな。それでなきゃ、こんなにうまく弱者の開き直りを書けるわけがない。 (bk1ブックナビゲーター:松本賢吾/作家 2000.07.17)

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紙の本

紙の本心では重すぎる

2001/01/16 15:15

人捜しのコウ。佐久間公は人捜し専門の探偵。腕はいいが歳を食った。それでもまだ四十代。味が深まった。

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 はや師走も終盤。今まさに激動の二十世紀が終わろうとしている。なんてことには特別な感慨もなく、昨日と今日と明日の区別もない、書いて、読んで、飲んで、ちょっぴり張る生活を忙しがっている。とはいえ今世紀最後に取り上げる作品。厳選したつもりだ。

 大沢在昌には直木賞を受賞した『無間人形』を含む新宿鮫シリーズがあるが、これとは別にデビュー作『感傷の街角』から書き続けている佐久間公シリーズがあって、本書は五作目の傑作『雪蛍』に次いで出た六作目にあたる。1300枚の長編で本が分厚く、タイトルをもじって冗談を言わせてもらえれば、手に持って読むには重すぎる。ところが読みはじめたら止まらない。気がつくと本の厚さが物足りなくなっていた。もっと佐久間公と一緒にいたいと思う。むろん意表を衝くどんでん返しの連続の面白さのせいだ。

 主人公の佐久間公は人捜し専門の探偵。二十代からやっていて四十代になる今も続けている。ほかの仕事をしらない。例外的に無二の親友沢辺との絡みで、薬物依存者のための相互更生補助施設「セイル・オフ」でカウンセラーの真似事をやっていた。

 沢辺は「セイル・オフ」のオーナーで、彼を通じて資産家の依頼人押野に会った佐久間は、奇妙な探偵仕事を引き受ける。六年前から消息不明になっている人気マンガ家「まのままる」を捜し出し、一世を風靡した人気マンガ「ホワイトボーイ」の原画にサインをもらうというものだ。佐久間は「まのままる」の周辺を探る。その過程で浮上してくる人気マンガ家の仕事の苛烈さ、転げ込む大金、才能の最後の一滴までも絞りとろうとする出版社の思惑などが巧みに描かれていて、これを読んだだけでも得をしたような気分になる。

 さて、佐久間公は人気マンガ家を捜すと同時に、「セイル・オフ」の新しいメンバー、十六歳の少年雅宗の更生を妨害する、謎の美少女錦織令を捜しに渋谷に向かう。

 かって雅宗は睡眠薬を飲ませて令を犯したが、令の醒めた魅力の虜になって、令を女王と崇める奴隷になっていた。令は雅宗とのセックスにクスリの乱用を求め、壊れていく雅宗を楽しんでいた。令の奴隷はほかにもいて佐久間公は襲われる。公は錦織令に会った。悪意の塊のような美貌の女子高生。魔女と呼ばれ、少女が放つ悪意に満ちた霊力のようなものに、公は戦慄を覚え、怒りを抑えかねる。あいつを殺す。錦織令は佐久間に言った。やがて雅宗は「セイル・オフ」で首を吊って自殺する。

 激怒した佐久間は錦織令を追ううち、令と失踪した人気マンガ家「まのままる」との間の妙な接点に気づく。そんな佐久間を渋谷の夜の街を支配するチームと呼ばれる少年グループやヤクザが襲う。危機また危機の連続。まさに大沢流エンターティメントの醍醐味がたっぷり盛り込まれた大作だ。ぜひ、正月休みの炬燵の中でじっくりと味わってもらいたい。満足しますぞ。では、来世紀もよろしく。 (bk1ブックナビゲーター:松本賢吾/作家 2001.01.17)

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紙の本

紙の本新・仁義なき戦い。

2000/12/07 18:15

俺は生きざま、こいつは死にざまや。映画の惹句そのままに、男の破滅の美学を熱く描いたノベライズ作品。

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 先般、『光源』桐野夏生(文藝春秋)を取り上げたときにも紹介したが、私はこの夏、阪本順治監督の映画「新・仁義なき戦い」のノベライズの仕事をやった。シナリオを読み、京都太秦の東映撮影所に行ってラッシュを見たり、監督の話を聞いたりして、この作品を仕上げた。面白く仕上げたつもりだ。ぜひ読んでいただきたい。そして映画も。私は封切り日に新宿東映で見た。ラッシュや完成記念の試写会で見ているが、やはり映画は料金を払って映画館で見るのが一番楽しめる。

 この「新・仁義なき戦い」の原作者は、いわずとしれた飯干晃一で『仁義なき戦い・死闘編』『仁義なき戦い・決戦編』(角川文庫)などがある。むろん原作も素晴らしいが、この作品をより有名にしたのは、「実録路線」と銘打って深作欣二監督がメガホンをとった、東映映画「仁義なき戦い」シリーズであることはいうまでもない。当時の観客は疾走する広島ヤクザの熱気に当てられ、肩を怒らせて映画館から出てきたものだ。二十年以上も昔のことで、あのころの松方弘樹や北大路欣也はよかったなあ。時代を表現する凄みと華があった。そんな感慨に耽り、今の豊川悦司と布袋寅泰にもそれがあると思い至った。

 そんなとき、中条省平さんに『仁義なき戦い』笠原和夫(幻冬舎アウトロー文庫)があることを教えられた。脚本家の笠原和夫には『破滅の美学 ヤクザ映画への鎮魂曲(レクイエム)』(幻冬舎アウトロー文庫)という名著があって愛読していたから、さっそく書店に走って『仁義なき戦い』を買って読んだ。「仁義なき戦い」「仁義なき戦い 広島死闘編」「仁義なき戦い 代理戦争」「仁義なき戦い 頂上作戦」と笠原和夫が書いた四作のシナリオに映画の名場面の写真が適宜に挿入されていて、実際に見た映画を思い出しながら懐かしく読むことができた。著者の取材ノートには裏話がふんだんに盛り込まれいるし、さらに巻末には長い解説を、専門のフランス文学に限らず映画やジャズと守備範囲が無限に広い中条さんが書いていて、おめこの汁の下りでは、思わず唸ってしまった。

 さて、『新・仁義なき戦い』を紹介するつもりが、関連した横道に逸れてしまったが、自作を褒めそやすわけにもいかず、柄にもなく照れて遠慮をしている。ただひとつ言えることは、阪本版「新・仁義なき戦い」は深作版「仁義なき戦い」とは別物で、当然、ノベライズも阪本イズムに則って書いた。その出来映えについては映画を見、本を読んでご判断いただきたい。また関連してご紹介した本の中では、『破滅の美学』が絶品で、ストリッパーの一条さゆりの生涯から語り始める「破滅」もまた「美」といった視線は爽やかで、政治家の覚悟はヤクザにも劣ると言われないためにも、不様な姿を国民の前に晒した加藤紘一氏に進呈したい一冊でもある。ぜひ、一読を。おっと、『新・仁義なき戦い』も読んでくださいね。最敬礼。 (bk1ブックナビゲーター:松本賢吾/作家 2000.12.08)

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紙の本

紙の本水滸伝 1 曙光の章

2000/11/16 18:15

熱い小説だ。まずは読んでもらいたい。元気になれる。気持ちの良い涙を流せる。見失っていたものが甦る。

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 これまで落ち込んだときに読みたくなる本は何かと訊かれたら、迷わず吉川英治の『三国志』と答えてきた。事実、若いころ二度ばかり元気を与えられたことがある。しかし古い話だ。これからは北方謙三の『水滸伝』と答えることになりそうだ。

 水滸伝はあまりにも有名な物語で、梁山泊の名とともに男のロマンを掻き立てられてきた。ところがこれまで読んだ水滸伝は、魅力的な食材が山盛りになっているわりに、料理の腕がいまひとつの感があって、せっかくの食材が生かされきれない恨みがあった。そこへ料理の超人北方謙三が現れ、驚嘆すべき包丁捌きを見せてくれた。まだ料理は序盤の段階だが、すでにすべての食材が溶け合ったときの絶品ぶりを確信させられる薫りが鍋から立ちのぼってきている。むろん中国産の食材を日本人の舌に合う味に仕上げている。口に唾が溢れ、腹が鳴っている。さらに料理人の心意気がいい。北方謙三は「最後の一行まで私の『水滸』を書く自信がある。なぜならば、私はこの物語とともに滅びてもいい。そう覚悟しているからだ」と宣言している。これこそ梁山泊の英雄たちの魂にとり憑かれた男の言葉だ。作者自身が好漢らとともに義に生きようとしている。

 第一巻の「曙光の章」は、腐敗した政府を倒し、帝を廃することを目的とする宋江の檄文を懐に、中国全土を放浪する僧、魯智深(花和尚)が、同志の禁軍武術師範代、林沖(豹子頭)を訪ねて開封の城内に姿を現したところから始まる。禁軍武術師範の王進、華州史家村の保正の息子史進(九紋竜)、魯智深の下で諸国を放浪する武松ら水滸伝の英雄たちが次々と登場してくる。むろん中国名にはルビがふってあるから、この文章のように読みづらくなく、テンポはハードボイルドタッチの北方節。一気呵成に読み進められることは言うまでもない。

 続けて読んだ第二巻の「替天の章」は、林沖、宋江らが梁山泊に「替天行道」(天に替わりて道を行う)の旗を揚げるまでの痛快な活躍が描かれているが、本筋を離れた武松が拳で虎を撃ち殺すに至る、二十年間恋い焦がれた兄嫁を犯して自殺されるエピソードでは、優れた現代小説の男と女の壮絶な愛を読んでいるような気分にさせられた。まさに北方版『水滸伝』は、時代背景は古い中国の物語でも、登場人物には現代を生きる人間の血が通っているといえよう。しかし『水滸伝』はあくまでも男の物語だ。ストレートに男の心意気を描いた小説だ。素直に読むことができ、素直に涙を流すことができたが、やがて、腐りきった状態の今の日本に、真に国を憂える風の吹かぬ現状に思い至り、暗澹たる思いにさせられた。日本人はいつから梁山泊の英雄の心を見失ってしまったのだろうか。男どもよ、もっと国を憂えて起て! 北方版『水滸伝』はそんな警鐘を鳴らしている。と、私は読んだ。続巻が待ち遠しい。 (bk1ブックナビゲーター:松本賢吾/作家 2000.11.17)

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紙の本

紙の本水滸伝 2 替天の章

2000/11/16 18:15

熱い小説だ。まずは読んでもらいたい。元気になれる。気持ちの良い涙を流せる。見失っていたものが甦る。

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 これまで落ち込んだときに読みたくなる本は何かと訊かれたら、迷わず吉川英治の『三国志』と答えてきた。事実、若いころ二度ばかり元気を与えられたことがある。しかし古い話だ。これからは北方謙三の『水滸伝』と答えることになりそうだ。

 水滸伝はあまりにも有名な物語で、梁山泊の名とともに男のロマンを掻き立てられてきた。ところがこれまで読んだ水滸伝は、魅力的な食材が山盛りになっているわりに、料理の腕がいまひとつの感があって、せっかくの食材が生かされきれない恨みがあった。そこへ料理の超人北方謙三が現れ、驚嘆すべき包丁捌きを見せてくれた。まだ料理は序盤の段階だが、すでにすべての食材が溶け合ったときの絶品ぶりを確信させられる薫りが鍋から立ちのぼってきている。むろん中国産の食材を日本人の舌に合う味に仕上げている。口に唾が溢れ、腹が鳴っている。さらに料理人の心意気がいい。北方謙三は「最後の一行まで私の『水滸』を書く自信がある。なぜならば、私はこの物語とともに滅びてもいい。そう覚悟しているからだ」と宣言している。これこそ梁山泊の英雄たちの魂にとり憑かれた男の言葉だ。作者自身が好漢らとともに義に生きようとしている。

 第一巻の「曙光の章」は、腐敗した政府を倒し、帝を廃することを目的とする宋江の檄文を懐に、中国全土を放浪する僧、魯智深(花和尚)が、同志の禁軍武術師範代、林沖(豹子頭)を訪ねて開封の城内に姿を現したところから始まる。禁軍武術師範の王進、華州史家村の保正の息子史進(九紋竜)、魯智深の下で諸国を放浪する武松ら水滸伝の英雄たちが次々と登場してくる。むろん中国名にはルビがふってあるから、この文章のように読みづらくなく、テンポはハードボイルドタッチの北方節。一気呵成に読み進められることは言うまでもない。

 続けて読んだ第二巻の「替天の章」は、林沖、宋江らが梁山泊に「替天行道」(天に替わりて道を行う)の旗を揚げるまでの痛快な活躍が描かれているが、本筋を離れた武松が拳で虎を撃ち殺すに至る、二十年間恋い焦がれた兄嫁を犯して自殺されるエピソードでは、優れた現代小説の男と女の壮絶な愛を読んでいるような気分にさせられた。まさに北方版『水滸伝』は、時代背景は古い中国の物語でも、登場人物には現代を生きる人間の血が通っているといえよう。しかし『水滸伝』はあくまでも男の物語だ。ストレートに男の心意気を描いた小説だ。素直に読むことができ、素直に涙を流すことができたが、やがて、腐りきった状態の今の日本に、真に国を憂える風の吹かぬ現状に思い至り、暗澹たる思いにさせられた。日本人はいつから梁山泊の英雄の心を見失ってしまったのだろうか。男どもよ、もっと国を憂えて起て! 北方版『水滸伝』はそんな警鐘を鳴らしている。と、私は読んだ。続巻が待ち遠しい。 (bk1ブックナビゲーター:松本賢吾/作家 2000.11.17)

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紙の本

紙の本雪月夜

2000/10/20 00:15

月の夜に降る純白の雪のように混じりっ気なしに殴り、騙し、犯し、撃ち、奪う。クライム・ノベルの傑作!

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 このところ馳星周作品は『M(エム)』『古惑子(チンピラ)』と短編集が続いていて、ぼちぼち心が凍るような長編を読みたいと思っていた矢先、547ページもある『雪月夜』が届けられた。もう他の仕事は手につかない。読むっきゃない、と期待に胸を躍らせて読み進み、馳星周の原点ともいえる憎しみと裏切りの世界にどっぷりと浸かることができた。期待どおりのクライム・ノベルの傑作だ。むろん心が凍りついた。

 この作品は作者の処女作『不夜城』の北海道版ともいえる内容で、舞台は極寒の根室、月の夜にも雪が降る最北の街だ。登場人物の設定は『不夜城』で憎みあい騙しあい惹かれあった、健一、富春、天文、夏美に代わって、『雪月夜』では内林幸司、山口裕司、市田敬二、ナターシャが、互いに憎みあい、騙しあい、惹かれあう。物語の中で何度も繰り返されるフレーズ《裕司は幸司を殴る。幸司は裕司を騙す。裕司は幸司のものを奪い取る。幸司は裕司のものを騙し取る》のような愛憎ない交ぜの宿縁が乾いた文体で紡がれていく。最後のほうで幸司が胸の内で呟く《この世はーーおれの目に映る世界は薄皮のような膜で覆われていて、その薄皮を一枚めくれば、その下には地獄のような世界が蠢いている》と。

 幸司は露助船頭(ルポ船)の息子。裕司はアル中やくざの息子。敬二は共産主義者の息子。ナターシャは密入国したロシア人の売春婦。幸司と裕司は根室で育った幼馴染み。東京に出た二人は右翼団体の合宿所で敬二と知り合う。そして幸司は要人の暗殺に失敗して根室に逃げ帰り、独りで細々とロシア人船乗り相手の商売をしていた。

物語は、敬二とナターシャが、裕司が属する暴力団組織から二億円奪い、ロシアに密航しようと、幸司を頼って根室に姿を現したことから始まる。

当然、裕司が追って来た。因縁の二人の六年ぶりの再会で、裕司が幸司を殴り、幸司が裕司を騙す関係が、蒸し返される。そして上記の四人の他の脇を固める人物が、これまた『不夜城』同様、度し難い悪党ばかりで、土地のやくざの組長、悪徳警察官、市議会議員とその愛人、赤新聞の記者、もとKGBのロシア船員らが、それぞれの思惑を胸に、敬二とナターシャが持つ二億円に群がり、騙しあって、殺しあい、白銀の世界を、真っ赤な血で染めて行く。毫も救いのない物語なのだが、殴り、騙し、犯し、撃ち、奪う行為に、混じりっ気なしの純粋さを感じ、妙な清々しさを覚えてしまうから不思議だ。これが馳星周が確立した世界なのだろう。私の大好きな世界でもある。

 それにしても馳星周の作品の登場人物の名前の副作用にはいつも悩まされる。今回も内林、山口、市田などの名前に寝た子を起こされた私は、オールスター競輪の車券を買ってことごとく溶かしてしまい、その穴をすこしでも埋めようとこの原稿を書いている。困ったものだ。 (bk1ブックナビゲーター:松本賢吾/作家 2000.10.20)

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紙の本

紙の本光源

2000/10/04 00:15

映画制作に関わる男と女の野望と嫉妬。渦巻く理想と妥協と裏切り。凝縮した人間模様を鋭く抉った傑作。

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 この夏、ちょっと映画に関わった。といっても坂本順治監督の『新・仁義なき戦い』のノベライズの仕事をやっただけのことだが、シナリオを読み、京都太秦の東映撮影所に行ってラッシュを見たり、監督の話を聞いたりした。坂本監督は一見ナイーブな感じのする好漢で、ヤクザ紛いのジジイの不躾な質問にも嫌な顔ひとつせず、しかもほとんど売れなかった私の作品を三册も読んでくれていた。じつにいい人だ。そんな思いもあって先日テアトル新宿で上映している坂本作品の『顔』を観たのだが、これが素晴らしかった。主演女優藤山直美の魅力を遺憾なく引き出した見事な演出に、笑いながら泣かされたりして、久々に邦画の秀作を観た満足感に浸ることができた。

 そんなとき、「あんたら、ふた言目には『いい映画』って言うけどさ。俺は映画の奴隷じゃねえよ」と帯にある小説が出た。桐野夏生の『光源』だ。読まないわけにはいかない。

 この小説は、トリュフォーの映画『アメリカの夜』を彷彿させる映画界の内幕を描いたものだが、そこは人間心理の奧底を鋭く抉る桐野夏生のこと、一筋縄ではいかない映画界の濃密な人間関係を、寒気を覚えるほど見事に描き出してくれる。

 従って登場人物も一癖も二癖もある人間揃いだ。寝たきりの元映画監督を夫に持つ女プロデューサー玉置優子。かつて彼女と恋人関係にあって裏切られた撮影監督の有村秀樹。自分の書いた脚本で初めて映画監督をする薮内三蔵。優子に恩義があって出演を引き受けた、肉体の衰えを自覚しはじめた主演の人気俳優、高見貴史。元アイドルでヌード写真集を出したばかりの女優、井上佐和。などが主な登場人物で、彼らが抱える様々な事情や思惑が縦横に絡み合うなか、映画『ポートレート24』の撮影が進められていく。

 予算はわずか六千万円。ロケに頼らざるを得ず、おまけに晩秋の北海道の天候は、人の心と同じようにくるくると変わって当てにならない。さらに劇中劇のかたちで新人監督薮内三蔵が書いたシナリオが順を追って挿入されていることによって、読者は臨場感を与えられ、あたかも撮影スタッフの一員になったかのような高揚感と焦燥感を覚える。撮影の先行きにやきもきさせられ、人間の持つエゴに腹を立てたり、我が身に置き換えて身につまされたりする。

 そんな状態で果たして撮影は無事に終了したのか。それは読んで確かめていただくしかないが、読んでいるときのはらはらどきどきは、私が桐野作品で一番好きな『OUT』にも劣らぬスリルがあって、刃物や銃を用いなくても、人を殺したと同じ状態に追い込めることを、丹念に描写して見せてくれる。そしてそんな凶器は誰もが心の内に持っていて、気づかぬうちに殺したり殺されたりしているのだと思い知らされる。ぞっとした。ほんとに桐野夏生は怖い作家だと思う。 (bk1ブックナビゲーター:松本賢吾/作家 2000.10.04)

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紙の本

紙の本風裂

2000/08/29 00:15

男の背負う業、行動の美学、人を愛する心、それらを憎いまでに鮮やかに描き切っている。心が哭く絶品だ!

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 どういうわけか、北方謙三の作品は、数えるほどしか読んでいない。しかし、二、三年前に手にした『檻』は、表紙がすり切れるくらい繰り返し読んだ。なぜ読んでいないか理由を考え、奥付に1981年『弔鐘はるかなり』でデビューとあるのを見て、すぐにわかった。そのころの私は、読むものといえばスポーツ新聞か競輪、競馬新聞。生活はハードボイルドを地で行くような崖っぷち状態で、読書をする心のゆとりを失っていた時期だと気づいた。大袈裟な言い方をすれば私の文学暗黒時代に北方謙三はデビューし、十数年して本を読み始めたときには、すでにハードボイルド界の第一人者になっていて、私の本命嫌いのひねくれ根性が、意味もなく敬遠したとしか思えない。

 そこで今回は、創作学校に通っていたとき、現在は当bk1の文芸サイトの編集長であり、当時は猛烈激烈辛辣塾長といった感のヤスケンに、毎週のように数册分書かされた「書き手としての読書感想文」の手法で、横綱の新作を、胸を借りる十両の目になって読み、感想を書いてみたい。

 さっそく『風裂』をひもとき、すぐに舌を巻く。主人公の立場の紹介が、なんと粋なことか。主人公の元一等航海士神尾修二は、ある弁護士事務所の調査員だが《両脚のない弁護士。死刑になるべき人間を二人無罪にした代償として脚を失ったと言っているが、なくなった脚よりもっと便利に、八木は私という脚代わりを使う》と見事に紹介している。

 これはほんの一例で、全編を通して無駄な説明は一切なく、《洋一》に至っては、随所にキーワード的に登場させるが、ついに最後まで説明はせずに、それでいて読者に理解させてしまうという超ウルトラCテクニックを披露してくれる。仰天し、感服する。とても太刀打ちできない。そこですこし筋を追ってみよう。

 物語は、神尾の恋人恵子が、外国人売春婦の部屋からイタリア人の十歳の少年マリオを連れ出して保護したことから始まる。マリオは母親と十八歳の兄との三人で、父親を捜しに日本に来たのだが、母親と兄はコカイン絡みでイタリアの組織を裏切った父親を殺すのが目的。組織は母子とは別に父親の親友だった殺し屋を差し向け、さらに父親の持つコカインを狙う中国人や日本のヤクザ、ロシアンマフィアの影もちらつかせて、物語は大活劇の様相を呈してくる。主人公の神尾はダンディに愛車マセラーティ・スパイダーを転がして事件に介入して行くが、マリオを訪れ「コメ・スタ?(どうだい)」「コラッジョ(元気出せ)」と短いイタリア語で話しかけることも忘れない。神尾は、マリオに神尾の背で死んだ洋一の姿を重ねる恵子の気持ちを思いやり、また自らの宿業を背負って、拉致された恵子とマリオの救出に、マリオの兄ジョバンニを伴って敢然と死地に赴く。まさにハードボイルドの醍醐味。実に恰好いいのだ。 (bk1ブックナビゲーター:松本賢吾/作家 2000.08.29)

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紙の本

紙の本ビッグ・バッド・シティ

2000/08/23 00:15

巨匠の手練れの傑作。修道女殺しを追う刑事。その刑事を殺そうと狙う男。男は刑事の父親を殺していた。

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 ご存じ「87分署シリーズ」だが、49作目とあって驚いた。慌てて書棚を見た。黄色い背表紙の「87分署シリーズ」の文庫本が十七册しか並んでいない。隣に二十二册ぜんぶ揃っている池波正太郎の『鬼平犯科帳』より少ないのだ。しかもよく見ると『警官嫌い』が二册もあった。文庫本ではこういうことはよくあって、開高健の『日本三文オペラ』などは、確実に三册以上が書棚のどこかで眠っている。

 それでも「87分署シリーズ」49作中の16作を読んだということは、三分の一は読んでいるということで、大ファンとは威張れないが、ファンの端には加えてもらえそうだ。

 とにかくこのシリーズは、87分署の二級刑事、スティーヴ・キャレラがよくて、その妻、聾唖(ろうあ)者のテディがいい。むろん双生児のマークとエイプリルも可愛い。

 さっそくページをめくった。そしてたちまち『ビッグ・バッド・シティ』と呼ぶに相応しい、架空都市(ニューヨークの地図の東西南北を移し変えたとの説もある)アイソラの目が回るような喧噪に巻き込まれてしまった。

 キャレラとブラウンが、仲間の一人を撃った九人のバスケットボール選手に手錠をかけて刑事部屋に連行してくると、パーカーが留置場に放り込んだデブで小男の白人が、尻に隠した片刃のナイフを取り出して、背の高いボディビル男の黒人に切りつけていた。キャレラがデブの白人の右ももを撃ち、パーカーが右腕を撃って、てんやわんやの大騒ぎ。

 キャレラが九人のバスケットボール選手の取り調べをしていると、マスコミからクッキー・ボーイの名を頂戴している空巣常習犯の捜査に出かけていたマイヤーとクリングが戻って来る。このクッキー・ボーイものちに読者を楽しませてくれる。勤務を終え、キャレラが帰ろうとしたとき、バーンズ警部が姿を現わし、新たな殺人事件の発生を告げる。いつものことで、複数の事件が同時進行する87分署の活躍から目が離せなくなる。

 キャレラとブラウンは、87分署に近いグローヴァー公園で絞殺されていた娘の指輪から、被害者が修道女であることを知る。メアリー・ヴィンセント。彼女は豊胸手術を受けていた。金にも困っていたようだ。キャレラとブラウンは彼女の過去を洗って、犯人に肉迫して行く。これが本作の主流になる事件だが、エド・マクベインの巧いところは、そこへキャレラを尾行する男を登場させ、拳銃でキャレラの命を狙わせるのだ。その男はキャレラの父親を殺したソニー・コール。ソニーの尾行にキャレラは気づかない。ドキドキしてきませんか。お後は読んでのお楽しみということにして、蛇足ながら、87分署シリーズを未読の方も、黒沢明監督の映画「天国と地獄」の原作が『キングの身代金』であることはご存じなのでは。『キングの身代金』も87分署シリーズの、たしか十作目か十一作目の作品なんですよ。 (bk1ブックナビゲーター:松本賢吾/作家 2000.08.22)

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紙の本

紙の本古惑仔

2000/08/03 12:15

殺伐さの中にえもいわれぬ哀切さがある。弱者を描く目は残酷で優しい。人間の本性を抉っているからだ。

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 馳星周の本は好きだ。今のところ全部読んでいる。全部がぜんぶ好みに合ったわけではないが、ハズレはほとんどなかった。そこで思い出す。『バンドーに訊け!』という本のあとがきで、板東齢人が馳星周になって『不夜城』を書くにいたった道筋に、アンドリュー・ヴァクス→花村萬月→梁石日→ジェイムズ・エルロイがあると書いていた。

 俺もこの四人は大好きで、ヴァクスの『凶手』の冒頭の<はじめて人を殺したときは怖かった。殺すのが怖かったんじゃない—怖かったから殺したのだ。はじめてセックスしたときと似てる、とシェラはいった。はじめての殺しのとき、おれは十五だった。はじめてのセックスのとき、シェラは九つだった。>に度肝を抜かれたし、文庫化になったバーク・シリーズは全部読んで書棚に並べある。萬月は『ブルース』と『笑う山崎』を何度も読み返し、梁石日はなんといっても『血と骨』に圧倒された。そしてエルロイは『ブラック・ダリア』と『LAコンフィデンシャル』に夢中になった。

 乱暴に言ってしまえば、殺伐とした本が好きということになるが、殺伐さの中に飾りを取っ払った人間の本性が描かれているから好きなのだ。馳星周はそういった世界を、さらに突き放して書いている。気持ちがいいくらい突っ放している。

 さて、今度読んだ六編の短編集『古惑仔(チンピラ)』も期待に違わずそういった本だった。簡単に紹介する。
『鼬(いたち)』は、新宿区役所通りの売春バーの中国人女と、客の日本人男の勘違い。最後に女が言う。「わたし、貧乏な人、嫌い。日本人はもっと嫌い。だから、武は最悪」
『古惑仔(チンピラ)』は、香港ヤクザのチンピラが、日本ヤクザの組長の娘を香港案内する。そして、青龍刀が振りおろされ、チンピラの頭がアスファルトの上に転がる。
『長い夜』は、大久保通りのタイ・レストラン「ワット・アルン」の料理と客の東南アジア人にハマった涼子。ミャンマー人のミーナが病気になった。マレーシア人のアセンが言う。「金のないオーヴァーステイは病気になっちゃいけない」。涼子は奔走するが。
『聖誕節的童話(クリスマス・ストーリー)』と『死神』は、蛇頭の手によって密入国して来た福建人の話だが、「聖誕節」の切なすぎる哀しい味わいには胸が震える。
『笑窪』は、『鼬』と似たような世界を描き、「わたし、お金稼ぐ、日本来た。それだけね」というカジノの女ディーラーの罠に嵌って、足掻きながら命を落として行くギャンブル好きの板前の話と、どれもこれも敗者ばかりで勝者のいない救いのない物語だが、それが逆に心に妙な爽やかさを残してくれる秀作揃いである。ぜひ一読を。ところで馳星周は前作も『M(エム)』という短編集。ぼちぼち心が凍るような長編を読みたくなった。いつ、出るのかな。待ち遠しい。 (bk1ブックナビゲーター:松本賢吾/作家 2000.08.03)

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紙の本

紙の本捨てたはずの街

2000/07/10 20:49

アル中男がアルコールを断った。「消し屋の竜」の復活だ。凶器は手。友達(だち)の仇が棲む京都へ乗り込ん

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 デビュー作の『置き去りの街』は北方謙三推賞! 二作目の本作は大沢在昌感嘆! とハードボイルド界の大御所二人のお墨付きがオビにある。これならハズレはないぞとわくわくドキドキ。さらに「著者のことば」で、<京都はアウトローの似合う街だ>と鋭いジャブを繰り出され、そうなのか、知らなかった、京都がね、と意表を衝かれる。清水寺や祇園と舞妓に代表される優雅な街とハードボイルド。果たして似合うのかね。そんな意地悪な目で本を開いた。

 ところがいきなり、<桜木町のスナックで、いつものように酔っていた>と、ハードボイルドの定番、横浜(ハマ)とアル中男が登場する。こりゃ、ひと筋縄ではいかないわ。降参して読み進む。とにかくテンポがいい。文章が小気味いい。スナックで隣に座った女に誘われた部屋には男がいて、典型的な美人局(つつもたせ)。ヒモ男を叩きのめして金を奪い、<おれはワルから餌をくすねて生計を立てている>と嘯く(うそぶく)沢田竜介(さわだりゅうすけ)が主人公。当然のことながら竜介は単なる世を拗ねたアル中男ではない。七年前に捨てた京都では<消し屋の竜>と呼ばれた凄腕の殺し屋だったとくれば、いやでもわくわく度が増すというもの。また脇役が一癖も二癖もある連中揃いで唸らされる。

 なかでも出色は赤坂の一つ木(ひとつぎ)通りのゲイバー「ハリーの店」のオーナーで、<百八十センチを越える上背と、百二十キロの重量、それに顎まで伸びた揉み上げとぎょろりと光る目玉で、どう見てもレスラーか熊にしか見えないハリーだが、正真正銘のホモだ。熊の体の中に女が住みついている>と、何やら先頃芥川賞を受賞した作家を思い出してしまうが、ハリーは隙あらば竜介を口説こうと狙っている。

 そのハリーの店に竜介を訪ねて来た男が殺され、さらに京都時代の友達(ダチ)、峰山(みねやま)が竜介の眼前で殺される。アル中の体が旧友を見殺しにしてしまったのだ。アルコールを断ち、走り、泳ぎ、鴨居にヘビイバッグをぶら下げて殴る。捨てたはずの街に乗り込むためのトレーニングで、一ヶ月後には竜介の姿が京都にあった。消し屋の竜の復活だ。むろん女も絡んできて、かっての恋人の美樹と小悪魔の京子ことキョンジャ。またこの女たちがいいのだ。そして竜介は仕事をする。凶器は手。なぜ竜介が殺し屋と呼ばれず、消し屋と呼ばれるかをその仕事を通して納得させられ、手口の巧妙さと迫力に圧倒される。しかも竜介はスーパーマンではなく、頭を割られて入院したり、腹を刺されたり、拷問で殺されそうになったりしながら、峰山を殺した一味の黒幕を突きとめ、その背後に蠢く巨悪を炙り出して行く。とにかくノンストップでわくわくドキドキしながら読み終わり、ほっと息を吐いて本を閉じると竜介同様にウイスキーのショットグラスに手を伸ばしていた。 (bk1ブックナビゲーター:松本賢吾/作家 2000.7.11)

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紙の本笹の墓標

2000/07/10 20:49

過去の鎖につながれているかぎり、新しい未来は開けない。森村ワールドは暗い事象を描いても明るいぞ!

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 俺が書評をするの? 正直いって戸惑った。『本の雑誌』で俺の処女作を俎上にあげてめった切り、ちょっぴり褒めてもくれた板東齢人は、『不夜城』を書いて馳星周になるや、きっぱりと書評家の看板を外した。だから作家と書評家の関係はそういうものだと漠然と考えていた。そこへ書評の話がきて思わず飛びついた。理由は簡単。あっちは(馳)は一発で当ててお大尽。こっちはハズレっぱなしでバイトの墓掘りと縁が切れない。ならば好きな本を好き放題読めて、好き勝手な御託を並べられる書評のほうが、同じバイトでも墓堀りよりは高尚そうだし、外聞もよさそうだと考えたからだ。

 さて『笹の墓標』だが、これがなんと墓掘りの話というのだから気合が入る。

 戦時中、酷寒の北海道に強制連行された朝鮮人の多くが、タコ部屋の過酷な労働に耐えきれずに死亡し、あるいは殺され、その遺体は荼毘にも付されず、クマザサの下に理不尽な永遠の眠りを強制された。墓標はクマザサだけ。笹の墓標だ。

 それから五十数年が経ち、日韓の若者たちが強制徴用被害者遺体発掘のワークショップに参加した。予定は九日間。すでに四体が出土した作業最終日、最後の区画を掘り進めると土中から異臭が滲み出し、一体の腐乱死体が掘り起こされた。

やっぱり森村誠一にこの分野を書かせたらうまいよな。『人間の証明』を髣髴(ほうふつ)とさせる蘇った森村ワールドが展開されていく。

 北海道旭川、朱鞠内湖(しゅまりないこ)、雨竜(うりゅう)ダムのタコ部屋、佐賀県の唐津市、東京赤坂のクラブ『銀馬車』と、笹の墓標に見えない因縁で結ばれた舞台が登場し、北海道の神沼公一郎、葦原奈美と、唐津の中路香織と上月良彦の二組の恋人の青春の蹉跌が事件へと導いてくれる。

都会に憧れる上月と奈美は、それぞれの恋人と故郷を捨てて上京し、赤坂の銀馬車で出会い、ほどなく上月は北海道で腐乱死体で発見され、奈美はマンションで不審死を遂げる。

 しかも上月の死体を発掘したのが、ワークショップに参加していた神沼であり、遺体の引き取りに来た香織と出会って、恋人に去られた者同士の連帯がはじまり、犯人像を炙り出していくのだ。そして遠因はタコ部屋で半ば殺された朝鮮人にまで遡り、殺した側の子孫が現在の犯罪に絡んでくるという因縁めいた結末へと続くのだが、その内包している問題提起は大きく、まさに森村誠一独壇場の社会派推理の傑作と太鼓判を押せる。

 つい先頃、テレビの画面に映る金大中大統領と金正日総書記の両手で交わした握手に、なぜかほっとしたものを感じたところでこの本を読むと、文中の「過去の鎖につながれているかぎり、新しい未来は開けない」という神沼の言葉に素直に頷けてしまう。蘇った森村ワールドは暗い事象を描いても明るいのだ。これは請け合う。 (bk1ブックナビゲーター:松本賢吾/作家 2000.7.11)

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