中山康樹さんのレビュー一覧
投稿者:中山康樹
と学会年鑑 2002
2002/03/04 22:15
と学会30名が選んだ、まだまだあるトンデモ本
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本書第2章に「第10回トンデモ本大賞発表」座談会があり、そのなかで出席者の一人がこんなことをいっている。「こういうトンデモ本をみるといつも思うんですけど、本当に出版不況なんですかね? 我々の企画はボツになるのになんでこうボコボコと」。
ほんと、そう思います。出版不況とかいわれながらまあ出るわ出るわトンデモ本が。先の座談会で俎上に乗せられている『奇想天外SF兵器』(新紀元社)、『水は語る』(成星出版)、『日本語に潜む英語の謎』(朱鳥社)、『未来三成』(新風舎)など出版界が「好況」だからこそ出てはじめて納得の本ではある。ちなみに上記ノミネート4作、タイトルだけみるとそれほど「トンデモぶり」は伝わらないが、と学会員の発言からするとまさにトンデモ本らしい。
本書はおなじみ「と学会」(トンデモ・アイテムをこよなく愛し、日々その収集・観察・批評にいそしむ同好の士の集まり)のメンバー30名が足で集めたトンデモ・アイテム約100点を紹介する、いつもと変わらぬ「爆笑と脱力」(コピーより)の書。
覚えていますか、いや知っていますか、なるほど知るわけないですよね、1999年、森元総理著・北国新聞社刊『あなたに教えられ走り続けます』。ここで表紙をおみせできないのが痛恨の極みですが、横縞のラグビー・シャツ着てボールもってこっちに向かって走ってきます。
そうそうありました、っていうか本書で知ったのですが『買ってもいい』(光文社)、オリコン社長による『超細胞革命』(徳間書店)、『上九一色村にいらっしゃい』(ごま書房)。本だけではありません。明治製菓の「焼きいもアイス」、東海醗酵の焼酎「ピカ酎」(その後「ピカっと酎」に改名)・・・もっと脱力したい人は本書をどうぞ。 (bk1ブックナビゲーター:中山康樹/音楽評論家 2002.03.05)
ザ・グレーテスト・ヒッツ・オブ・平岡正明
2001/11/14 22:16
ヒラオカ本100冊の名フレーズだけを集大成したリミックス大全
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ヒラオカマサアキとは何者か。本書の編者はこう述べている。「戦後民主主義日本の50年にわたる物書きのなかで、男根とかキンタマとかバンバン出てくるのは平岡さんだけだからな」。ではその「平岡さん」は自身についてどう語っているか。「ライバルは誰かっていったら、俺は王貞治とチャーリー・パーカーだもの」「王貞治はホームラン50本台を3回打ってるんだ。俺は王の10本が俺の一冊だと思ってる。彼が50本打ったときは俺は5冊出してるんだ」
ちなみに王貞治の通算本塁打は868本、しかしながら平岡正明の著書は2000年刊『チャーリー・パーカーの芸術』(毎日新聞社)をもって100冊に到達、「世界の王」を抜いた。しかも王貞治はダイエーの社員だが、平岡正明はそのダイエーで買う立場にある。どちらがエライか、いうまでもないだろう。
本書はそのような(どのような?)平岡正明が書いた100冊の著書のなかから四方田犬彦が名フレーズやクライマックスだけを選出、約500ページの大書にまとめた、いわばリミックス集。ファンではあるものの、とても全著作を読む時間がない、またその大半が絶版であることを思えば、おいしいところだけ味わえる、まことにありがたい一冊といえる。
かくいうぼく自身、なにしろ若輩者ゆえ、そのほとんどがはじめて目にするものばかり、あらためて「ヒラオカ・ワールド」の洗礼を受けたような気がする。これはひとえに編者の功績で、本書はもはやたんなる「抜粋集」の域を超えた、なるほど「グレーテスト」な新刊書といっても過言でない。
ではその平岡正明の魅力とはなにかと問われれば、ずばり「リズム」であると答えたい。少なくともぼくは、そこで書かれている内容よりなにより、そのリズムに翻弄され、引きずられ、ときには分断される快感こそが最大の魅力と感じている。しかもそのリズムが一定でなく、しばしば不協和音を撒き散らしながら突き進んでいくところにこそ、著者の真骨頂があると思っている。そして、そのリズムを支える肉体性。
「若いライターへアドバイスがあるとしたら」という問いに対して、この肉体派はこう答えている。「体力をつけろ。原稿書きって重労働だよ。どんなテーマでやるか、そんなこと知ったこっちゃない。みんな書きたいものを書きゃいい。ただ思ったより体力いるぞっていうことを言っとかないと」。さらに自身のスタイルについて、こうも書いている。「パワーが形式に先行する。パワーが気持ちよく流れさえすれば満足だ」
さあ平岡正明の、知と肉が一体となった檄文の数々をたっぷりと味わっていただこう。 (bk1ブックナビゲーター:中山康樹/音楽評論家 2001.11.15)
TVチャンピオン大食い選手権
2002/03/29 22:15
赤坂さん、そんなに食べて大丈夫ですか?
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最近よく「赤坂さん」のことを考えている自分がいることに気づき、「はっ」とさせられる。とくに食事中。人間、モノを食べているときはなにも考えないものと聞くが、ふと気がつくと「赤坂さん」の顔や動作や食いっぷりを思い浮かべていたりする。
テレビ東京の名物番組『TVチャンピオン大食い選手権』からは幾多の大食いスターが生まれたが(オリエちゃん、お元気ですか)、「赤坂さん」を世に紹介した功績はもっと評価されていいのではないか。
この人、そのへんにいるただのオバチャンです。本来であれば一生テレビと無縁の地味な生活を送る人。ところがただ「たくさん食える」ということだけでテレビに登場し、選手権でチャンピオンの座につき、いまやコマーシャルにも登場するほどのシンデレラ・ストーリー(?)の主人公。このギャップがたまらないわけです、大食いファンとしては。その落差にこそ「赤坂さん」がスターになった要素が潜んでいると考えるわけです、テレビ東京ファンとしては。
その点、昨今話題の「白田くん」は物足りない。なぜならみるからに食いそうだし、どれだけ食ったところで意外性に乏しいのです(ゆえにオリエちゃん、カムバックしてください!)
本書は「赤坂さん」を輩出した同番組のスタッフが制作した一種の番組タイアップ本。その意味では「よくある一冊」だが、緻密な取材と「もう一人の主役」である中村有志へのインタヴューも併録されており、テレビからはうかがい知ることのできない裏側が紹介されている。
ただし活字が小さすぎる。「大食い」なんだからもっとドカンといってほしかった。 (bk1ブックナビゲーター:中山康樹/音楽評論家 2002.03.30)
一冊でわかるミュージカル作品ガイド100選
2002/01/15 22:16
たんなる「紹介」を超えた音楽的かつ貴重な資料集
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当然のことながら、ミュージカル本はミュージカル・ファンのために存在する。だがそれらミュージカル本が真にファンのニーズに応えたものであるかと言えばそうではない。それらの本からは「音楽」に関する視点がすっぽりと欠落、ゆえに評者のような「ミュージカルにさほど関心はないが、そこで使われている音楽(サウンドトラック)に興味がある」という人間にはまったく役に立たない。言いかえればそれら同類書、「ミュージカル」とは名ばかりの「芝居好き」のためのものでしかない。加えて著者・編者の音楽的素養の欠如、さらにはストーリーや役者を優先させるあまり、「音楽」を最下位に置いたかのような姿勢にも疑問を抱く。
それは一方で、ミュージカルを語る人間がそのじつ「音楽にからきし弱い」といういかにもこの国の文化的低度を物語るものではあるが(余談ながら同様のことは映画監督や映画評論家にも言える。彼らは音楽を理解できない!)、ミュージカルとはその名のとおり、「ミュージック」なくして存在しない、よってその点に言及しないミュージカル本はそれだけで失格と言わざるをえない。
さて本書、タイトルや表紙デザインからして、いかにもそれらミュージカル本の一冊と思われそうだが、なんのなんの、これほどマニアックかつ資料性の高いミュージカル本はあまりない。肝心の「音楽」に対しても、珍しい初版サントラのジャケットを掲載するなど、まさに音楽派を考慮に入れた編集方針。しかもほぼオールカラー、190ページ強で1300円というのは、ほとんど「タダ」ではないか。データ部分で「作曲・作詞」が冒頭に掲載されているのも納得、随所に登場する米誌『プレイビル』古今の表紙はそれだけで価値高く、「音が聞こえて」くる。監修者の視点と音楽に対する情熱の勝利だろう。 (bk1ブックナビゲーター:中山康樹/音楽評論家 2002.01.16)
コンクリートに咲いたバラ
2001/10/10 18:15
悲劇の死をとげたラッパーが残した胸を打つ詩集。秀逸な翻訳、しゃれたブック・デザインにも注目
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トゥパック。1971年ニューヨーク生まれ。母親はブラックパンサー党員。12歳のとき、ハーレムの劇団に入ってアポロ・シアターの舞台を踏む。高校時代、友人が銃の暴発事故によって死亡、以来「詩」にめざめ、やがてラッパーの道を歩む。以後ラップのみならず俳優としても活躍、若きカリスマとして人気を集める。1996年、友人であるボクサー、マイク・タイソンの試合をラスヴェガスで観戦後、隣りを走るキャデラックから狙撃され、他界する。享年25。
そのトゥパックが書きためていた詩、約70編をまとめたのが、この『コンクリートに咲いたバラ』(原書は1999年刊)。まずは変型サイズによるしゃれたブック・デザインが目を引き(オビを取るとさらにかっこいい)、読みすすむうちに、そのあまりにも実直かつ切実な詩の数々に心を揺さぶられる。飾りのない言葉が、なんのテクニックも弄さず、放たれる。なんと無防備で無垢な、しかしそれゆえになんと力強いことか。
また本書は、トゥパックがメモ用紙や紙切れに書いた詩がオリジナルの状態のまま各ページに掲載されているが(これがまた一種のデザインとして視覚的効果をあげている)、その「文字」じたいがそのときのトゥパックの心情を表しているようで、詩の内容そのものとの奇妙な一体感をかもし出している。
しかし本書がもっとも優れているのは翻訳(小野木博子)であり、前述したようなさまざまな魅力も、この秀逸な翻訳あってのことに思える。シンプルな言葉、それゆえに訳しかたによっては陳腐になりかねないが、語彙の選択といいリズムといい、まるでトゥパックが乗り移ったかの説得力に溢れている。
この訳者、これがデビュー作と聞くが、「新しい才能」の誕生と断言できる。 (bk1ブックナビゲーター:中山康樹/音楽評論家 2001.10.11)
Pixy the final ドラガン・ストイコビッチ写真集
2001/09/19 22:15
サッカーの妖精、ピクシーことストイコビッチの軌跡をまとめた秀逸な写真集
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ずっと長い間、サッカーほどつまらないスポーツはないと思っていた。点は入らないわ欠場選手は多いわで、それでもなお熱い声援を送りつづけるサポーターと呼ばれる人たちの気持ちも理解できなかった。しかし人生、なにがどう転ぶかわからない。ひょんなことから鹿島アントラーズのMF小笠原満男という選手の鋭くも渋いプレイを何度か観ているうちに、ほーこれはおもしろい、一度ナマで観にいってもいいかなと思いはじめ、いまや国立、浦和、横浜はもとより、ときには鹿島くんだりまで足を運ぶようになった(知ってますか、あそこにあるジーコ像。あまりに似すぎていて笑います)。
そのようなわけで、いまではそれなりに面白さがわかるようになったが、ストイコビッチ、この選手は「ピクシー(妖精)」と呼ばれていただけあって、それはもう美しく、華麗で、芸術的なプレーをみせてくれたものだ。そして、怒る怒る。相手チームの選手や審判はいうにおよばず、ときにはチームメイトに対しても激しい檄を飛ばす。それらも含めてすべてが、つまりは「かたち」というのだろうか、じつにキマッていた。
ドラガン・ストイコビッチ。1965年3月、ユーゴスラビア連邦共和国のセルビアに生まれた「ピクシーになるべき男」は、14歳のとき、ストリートサッカーの人気者から世界的なプレーヤーになるため、地元のサッカー・チームに入団する。そして15年後の1994年6月、「半年間」の契約で名古屋グランパスエイトに移籍する。
そのピクシーが「半年」を過ぎてもなお名古屋にとどまり、去る7月21日、Jリーグ第1ステージ最終戦を最後に引退したことは記憶に新しい。最後のインタビューで「まだまだやれると思うのですが」という質問に「できるかもしれないが、最後までフルに集中力を維持することができなくなった」、そう応えるピクシーの表情は、安堵よりなにより、引き際を知っている者だけがみせる厳しさに満ちていた。
スポーツ雑誌の概念を変えた『ナンバー』編集部が、そのピクシーをテーマに、またまた秀逸な写真集を送り出した。題して『ピクシー ザ・ファイナル』。オビに「Jリーグ最後のファンタジスタよ、永遠に!」とあるが、ページを開くたびに迫ってくる、躍動し、黙り込み、ふざけ、芝を駆ける姿をみていると、それが決してオーバーな表現でないことを実感する。
なかでも胸を打つのは、生家や育った村、通っていた小学校や練習をしていたグラウンドといった、やがてピクシーが辿ることになる悲運のサッカー人生の原点となった美しい風景。ここで育った少年がその後、故国によって翻弄され、ゴールを日本で迎えたことを思うにつけ、これらの写真が語りかけてくるものは、あまりにも深い。 (bk1ブックナビゲーター:中山康樹/音楽評論家 2001.09.20)
クラシック音楽事典
2001/08/24 22:16
50音順でわかりやすい、これ一冊で安心・大丈夫のクラシックなんでも事典
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よく原稿を書いていて思うのだが、外国人名のカタカナ表記ほどむつかしいものはない。まず「ブ」と「ヴ」の使いかたも骨が折れるが、文献によって表記が異なる場合、さてどちらを取るかで悩む。音楽の世界では、いちおうレコード会社の表記にしたがうという暗黙の取り決めがあるが、いまだに「ピーター・ゲイブリエル」を「ガブリエル」などと記してシカトを決め込むレコード会社の基準に合わせる気にはなれない。
また、アルバム・タイトルや曲名の場合、原題と邦題どちらを選択すべきかも大きな問題となる。しかもその邦題が未来永劫ずっとそのまま使用されていくのならまだ救いもあるが、CD番号同様、担当者や時代によってコロコロ変わるから、これまた困る。
したがって、50音順による、しかもミュージシャンもアルバムも曲名も、さらにはそういったことに関する周辺情報までもすべて等価で扱われた音楽事典の刊行が急務ではあったが、ここにクラシックに関する、ほぼ完璧な、しかも上記した、日本だからこそ起こりうるさまざまな問題をクリアした事典が登場した。いうまでもなく、今後は同様のロックやジャズの事典の続刊も望まれるが、いずれにせよ本書がそれら未来の音楽事典の雛型になることはまちがいないと思う。
本書がとくにすぐれているのは、(当然のこととはいえ)日本人と日本の音楽事情に即した編集方針がとられていること、よって非常に引きやすく、また読みやすい。
たとえば原題と邦題の問題だが、これまでこの種の音楽事典では、監修者のプライドからか、つねに原題が尊重され、結果、教科書や学術本を読んでいるような敷居の高さ、よって使い勝手の悪さがどうしても払拭できなかった。
たとえばいま手元に『ビートルズ百科全書』(集英社)があるが、《抱きしめたい》という邦題からは引けないうえに、「トニー」が「トーニー」など、あまりにも原音に忠実であろうとしたため、ほとんど用をなさないものになっている。
その点、本書は、たとえば「ツ」の項をみれば、「ツ」ではじまる作曲家や楽器に並んで、《月につかれたピエロ》《月の光》《椿姫》といった、日本人にとって馴染みの深いタイトルで曲名が出てくる。逆にいえば、これまであった多くの事典ではこれらの曲、原題から引かなければならず、それを知っていればまだしも、結局は引けずに終ることのほうが圧倒的に多かった。
また一項目の説明も長くも短くもなく、引くだけでなく流し読みしていても楽しめるようになっている。
500ページ強、定価4800円だが、これは一生モノの値打ちがあると思う。 (bk1ブックナビゲーター:中山康樹/音楽評論家 2001.08.25)
シーナ映画とコーキ映画
2001/07/24 18:15
撮影監督がユーモラスに綴る椎名誠と三谷幸喜監督映画の舞台裏
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ぼくが自分で本を書くとき、いちばん苦手とするのが「あとがき」である。したがって、これまで出した本のほぼ7割は「あとがき」がないが、ほかの人たちって、この「あとがき問題」、どう対処しているのだろう。
「あとがき」を苦手とするのは、どう書いたところで最後には御礼大会になってしまい、そのことが恥ずかしく、また書くほうも編集者も「仕事」なのだから、いちいちそういうことを公表しなくてもいいのではないかと考えているからである。
しかし、ああなんと自分勝手なとは思うが、ほかの人の本の場合、「あとがき」から読むことが多い。買うか否かを決めるときも、この「あとがき」がけっこう役に立つ。
本書もまた「あとがき」から目を通したが、次のイントロでいっきに読む気が起きた。
「前著『撮影監督ってなんだ?』が好評のうちに絶版となり・・・」
これだ、と思った。これはおもしろいにちがいない、そう確信した。さらにいえば、この著者とぼくは気が合うとまで一方的に結論づけた。加えて、なるほどこうしたユーモア精神が椎名誠、三谷幸喜両監督のメガネにかなったのだなと想像した。
はたせるかな、椎名誠が著者を撮影監督に抜擢したのは、「好評のうちに絶版となった」前掲書を読んだことに起因するという。椎名監督も、おそらくは自分と同類のユーモア精神を読み取ったのではないだろうか。
さて本書は、一般には知られていない職業だが、「撮影監督」として活躍する著者が椎名監督の『あひるのうたがきこえてくるよ。』『白い馬』、三谷監督の『ラヂオの時間』『みんなのいえ』に参画、撮影にまつわるあれこれをドキュメントふうにまとめたもの。 目次は余白たっぷりであっさりしているが、風変わりなシナリオ、シネスコレンズを探す日々、雪の中のロケハン、子供探しに大雪原を越えて、幻のクレーン空輸計画、草原の壮絶打ち上げパーティー、IMAX大型映画『長江』に浮気、セットに響く第一声、無人の俳優控え室、壁をバラすかバラさぬか等々、いやもうじつに多くの難題、苦労をかかえこんで、しかしそれでもなお突き進むしかない映画という麻薬的世界がヴィヴィッドかつユーモラスに描かれていく。
当然カメラやフィルム、そしてもちろん映画製作に関する、かなり専門的なことも出てくるが、まったく苦にならないのは、それらが本書においては欠かせない「小道具」や「背景」になっているからで、こういう専門的な話をすっと読ませてしまうあたり、この著者のライターとしての豊かな才能を感じさせる。
今度は「好評のうちに増刷」になるのではないかと思いますが・・・。 (bk1ブックナビゲーター:中山康樹/音楽評論家 2001.07.25)
速読法と記憶法 情報処理能力を高める技術
2001/07/16 18:15
もっとたくさん本を読みたい人は即トライ!?達人が伝授するマジメな速読術・記憶術
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手の内をあかすというほどオーバーなものではないが、ぼくはこのbk1の書評、以下のような条件を課してこなしている。
一冊の本に対して、それがどんなに長いものでも、2時間から3時間で読破する。
次に書評を書くさいの所要時間だが、それがどんなものであっても1時間以内に書く。
以上の2点、逆にいえば、2〜3時間以内で読破できないような本は、つまらないかどこかに欠陥がある(ことが多い)。
書評を1時間以内で書けないときは、自分のなかでその本を捉えきっていないか、なんらかの理由で集中力が拡散しているか、なにかが不足している(ことがしょっちゅうある)。
いいかえれば、前者はその「本」の問題、後者はそれを読む「自分」の問題かと思うが、いずれにしろしばしば考えることは、読む時間をもっと短縮できないかという、生来のさぼりたがりな性格に端を発する「ラクしたい願望」である。
そこでこの新書を手に取った。
これをマスターして一日に20冊の本を読破し、書評を書く時間は一冊30分とし、ということはひと月にだいたい600冊、おおこれではbk1は90度に傾くかもしれないが、ニースやヴェガスに別荘が買えるではないかとほくそ笑んだが、この本を読むだけで3時間以上もかかってしまい、読み終わったら終わったでなにも記憶していないことに気づいた。90度に傾いたのはbk1ではなく、こっちではないか。
著者は「速読」を入り口とする180ステップからなる能力開発法「SRS」を提唱、この分野における第一人者。オビには「勉強、仕事の効率が面白いほどアップする。現代人に必須の2大能力=速読力&記憶力の鍛えかた」とある。
「なぜ速読法を学ぶのか」という項には、こうある。
「速読法を学ぶ人には大きく分けてふたつのグループがある。第1のグループは、日々情報に追われている状況をなんとか改善したいと思っている人たち。第2は、速読法の訓練を通じて自己変革を願う人たちである」(大意)
そう、本書はきわめて真面目な、真剣に速読法を身につけたいと考えている人たちのための本格的な入門書なのである。けして「ラクしたい」ということしか考えていない人間のためにある本ではない。
それだけにじっくりと腰を落ち着けて読むと、ほんとうに「速読・記憶力」が身につくような気がする。よくあるお手軽新書とは、どうやら次元がちがうようだ。 (bk1ブックナビゲーター:中山康樹/音楽評論家 2001.07.17)
図説切り裂きジャック
2001/06/25 12:17
伝説の切り裂きジャック、その事件と周辺を残された資料から読み解く
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「切り裂きジャックは、19世紀末のイギリスの首都ロンドン、世界最高の栄華を誇るヴィクトリア朝末期に、スラム街イースト・エンドの暗闇の中から突如として出現し、その姿を決して見せないままに消えていった謎の多い連続殺人鬼である」
このイントロダクションを読んだだけで、べつに目新しい描写でもないにもかかわらず、またしても胸が高まる。
しかし、よくよく考えてみると、これはよくある連続殺人事件で、70日間(1888年8月〜11月)に5人を殺しただけにすぎない。これ以上に戦慄を覚える殺人事件はほかに無数に存在する。
にもかからずこの殺人事件が伝説となりえたのは、ひとつには「切り裂きジャック」という絶妙のネーミングによるところ大とみる。「ジャック・ザ・リッパー」、一説には当時の新聞記者が命名したともいわれるが、このジャーナリスティックな呼称は、たんなる殺人事件に独特の雰囲気を与えた。
さらにこの事件がある種のロマンを喚起してやまないのは、あのシャーロック・ホームズ時代のイギリスが舞台であったこと(しかもこちらは実話)、そしていうまでもなく、真犯人がつかまることなく迷宮入りしたことにある。
本書は、「日本で唯一のリッパロロジスト(切り裂きジャック研究家)」である著者が集めに集めた資料、おもに記事のコピーやイラスト、さらには被害者の死体写真等々を駆使して読み解く、リッパロロジー(切り裂きジャック学。コリン・ウイルソンの命名)の最新報告。
約100余ページと小ぶりな本だが、活字と図版がほぼ同等のスペースで、この113年前にロンドンで起こった凄惨な事件の足跡、ならびにその後いかに伝説になっていったかをつぶさに追って過不足ない。
第一の殺人事件の検死にあたったルウェリン医師は、「凶器は長く幅広いナイフで、決してむやみに切り裂いたのではない。犯人はかなり解剖学的知識のある者だ。さもなければこれだけの傷を短時間に負わせられるものではない」と語れば(当時の記録)、ホームズの作者コナン・ドイルは息子に「犯人は一応外科知識のある男で、警官の注意も引かず、犠牲者の疑いも招かず接近できたのは、女装をしていたのではないか」と語ったという。
収録された資料のなかでは、切り裂きジャックが送った(とされる)手紙と、それらに添えられたサイン(4種類)の筆跡の違いがおもしろい。
このサインをみているだけでも、しかもそれが犯人自身のものでないことがわかっていながら、わくわくしてくる。このサインのどこか、あるいは向こう側に真犯人が笑っている。そう思うと、ありえないことだが、切り裂きジャックっていまもどこかで生きているのではないかという気がしてくるから、やはり恐ろしい。 (bk1ブックナビゲーター:中山康樹/音楽評論家 2001.06.25)
サブカルチャー世界遺産
2001/04/05 18:15
日本におけるサブカルチャーをコンパクトに集大成したサブカル読本
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サブカルチャー。うーん、どうも好きになれない言葉です。とくに日本の「それふう」の現象に対してこの言葉が使われるとき、巨大な「?」とともに、オーバーにいえば悪寒のようなものが走ります。
というのも、ここ日本には「カルチャー」そのものがなく、よって「サブ」も「メイン」もへったくれもないと考えているからですが、この本のタイトルにちなんで世界遺産的サブカルチャーの代表は、やはりビートルズだと思います。
伝統と文化しか取り柄のないイギリスで誕生したことじたい、すでにサブ的要素濃厚ですが、ビートルズが偉大な点は、とっくに「サブ」を超越して自らが「メイン」になったにもかかわらず、いまなおその音楽に「サブ」として時代を撃ちつづける「ちから」、安定感を欠いたまま、決して立ち止まろうとしない、やむにやまれぬ疾走感がまったく鈍化していないところにあります。
さて本書は、音楽、マンガ、ゲーム、アニメ、映画(洋邦)、アダルトビデオ、サブカルチャー小史とアイテム別に構成され、箸休めふうに、サブカル・パーソンともいうべき人物のインタヴューが掲載されています。
そのメンバーたるや、中森明夫、赤田祐一(元クイックジャパン)、宮台真司、みうらじゅん、町山智浩と、いまやすっかり「メイン」に所属しているサブカル卒業生、顔写真も載っていますが、みなさん、トシをとりました。
で、このインタヴューがおもしろい。当然のことですが、彼らがしっかりと、それ以前のメイン・カルチャーから影響を受けた、きわめて伝統的な人たちであったことがわかります。そして、彼らもまた決して「音楽的」な人種でないところも、もろに日本的ではあります。
しかし、なんだかんだいってもこうして誌面を眺めていると、世界的遺産レベルでは「それがどうした」レベルのものが大半を占めるとはいえ、サブカル・アイテムってこんなにあったんだと、ある種のカンドーを覚えざるをえません。同時に、各アイテムいずれも掲載されている物件が少ないことに苛立ちを感じます。
とくにアダルト・ビデオ、たった24本でどうしようというのか。その選択基準にも首をかしげざるをえない。ぼくが好きだったあの・・・・おお危ない、ついついノッてタイトル・女優名、いうところだったではないですか。
もといっ。アダルト・ビデオはみたことがないのでよくわからないが、この本が決定的な魅力に欠ける要因は、作り手がどっぷり「メイン」に埋没しきっているところにある。サブカルに関する本は、「おまえ、バカかあ」といわれるくらいの狂気の人物につくってほしいと思う。 (bk1ブックナビゲーター:中山康樹/音楽評論家 2001.04.06)
職業としての翻訳
2001/03/14 18:15
翻訳家・ライター志望からプロまで必読の、これがフリーの生きる道
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タイトルがタイトル、おまけにオビに「英語力だけじゃ駄目なのだ。必要なのは日本語力、そして死んでも締切りを守る精神力と体力だ」とあるので、てっきり翻訳家になりたい人のための指南書かと思ったが、さにあらず、これが翻訳家のみならずフリーのライターも必読の、しかもプロからアマチュアまで読んでためになる一冊だった。
著者は現在、沖縄に住み、牧人舎という翻訳グループを主宰、『大国の興亡』や『文明の衝突』などの翻訳で知られるヴェテラン翻訳家。ちなみにこの牧人舎、入会も脱会もなんでも自由というところに著者のライフ・スタイルが表れているようだが、本書はそういった立場から翻訳という仕事、翻訳家という職業を紹介するのみならず、フリーで仕事をするということについて、またその心がまえやトラブルにまつわるあれこれ等々、著者自身の体験をもとに自伝ふうにまとめられている。
したがって読み物としてもおもしろく、関係者・知人のインタヴューを挿入するなど、一種ドキュメントふうでもある。それになんといってもオビに「必要なのは日本語力」とあるように、正統的かつ美しい日本語による文章が気持ちよく、うーんなるほど、そうかそうだったのかと納得しながらすらすら読める。この爽快感こそ著者の「日本語力」のなせるワザなのかもしれない。
それにしても、と本書を読んでいまさらのごとく痛感するのは、いかにダメな編集者や出版社が多いかということであり、これでは出版不況におちいるのも当然という気がする。むしろいままでもったほうが不思議なくらい、レヴェルはずっと低空飛行をつづけている。著者同様ぼくも経験がある、というよりもつい先日もあったことだが、原稿を宅配便で送ったにもかかわらずウンともスンともいってこない、掲載誌は送ってこないと、もうムチャクチャ。
だが上には上がいるもので、本書著者などギャラが払われなかったり、原稿を10年間! も寝かされたりと、じつにいやはや同情を禁じえない体験をされている。契約書を交していなかったために泣くしかなかった思い出など、明日はわが身のエピソードが続出する。
電話にFAXに加えて宅配便、インターネットなどなど世界は小さく、仕事も生活もどんどん便利になっているにもかかわらず後を絶たない出版トラブル、フリーの立場にいる人間に対する出版社のふざけた態度、そして誤訳珍訳の翻訳書ときては、もう絶望的というしかない。
本書が与えてくれた希望や勇気、仕事に対する夢が大きければ大きいほど、目の前に横たわっている現実に戸惑いを覚えずにはいられない。 (bk1ブックナビゲーター:中山康樹/音楽評論家 2001.03.15)
ビートルズ
2001/03/13 15:16
久々のビートルズ翻訳本の注目作、訳もうまい。だが編集サイドの手抜きがすべてを無に
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ビートルズ研究は日々進化している。したがってビートルズ関連の本を出す場合は、そのコンセプトにもよるが、どこまで最新情報を盛り込むか、そしてタイミングが重要な鍵となる。
ビートルズ自身による決定版『ビートルズ・アンソロジー』が出版されたとはいえ、こうした事情は変わらない。それどころか『アンソロジー』によってさらなる謎が増え、ビートルズ研究家にとって解明すべきテーマはむしろ広がったともいえる。
そうしたことを承知のうえでビートルズ関連の翻訳本を出す場合は、作業上発生するタイムラグはいたしかたないとして、「本」としての完成度、「読み物」としてのおもしろさが、一般の本以上に求められることを銘記しておく必要がある。
本書は1995年に出版されたものだが、おそらくは版元が最近になって目をつけ、版権を取得したのだろう、すでに5年というタイムラグが横たわっている。しかたのないこととはいえ、やはり「5年」はイタい。
ただし本書はビートルズの音楽的な成長から崩壊までの歩みを著者なりの見解でまとめたものであり、その視点が確固たるがゆえにデータや情報に左右されない、普遍性をもっった一冊となっている。翻訳もうまく、「本」「読み物」としてのクオリティは高い。
それだけに編集上の手抜きが惜しく、腹立たしい。
巻末に「読者のために」として数々の文献が載っているが、すべて原文のまま。少なくとも翻訳出版されているものは日本語で書名を紹介すべきだろう。アルバムやヴィデオ一覧も、この5年間に発売されたものは追加するのが当然だろう。
もっとも驚いたのは「索引」で、こうある、「原書の索引をそのまま掲載してあるため、若干、頁の異同があることを了承いただきたい」(原文のまま)。なんというふざけた態度か。これは翻訳本であり、索引というものは「この本」のために作られるべきもの、それを原書のページを載せてどうしようというのか。
内容は力作、原書の流用だろうが写真もかなり珍しいものが掲載され、翻訳も読みやすく、うまい。横組はいささか疲れるが、本のつくりもそれなりにしっかりしている。レイアウトも悪くない。
だが、こうした編集サイドの手抜きがすべてを台無しにし、またしても不完全な音楽書が生まれた。先日『だれが「本」を殺すのか』という本が出版されたが、今回の場合に関してははっきりしている、このすぐれたビートルズ本を殺したのは、編集者であり版元である。音楽書が、ビートルズがナメラレているようで腹が立つ。 (bk1ブックナビゲーター:中山康樹/音楽評論家 2001.03.14)
乃木坂血風録 人でなし稼業
2001/02/19 15:15
東京港区乃木坂発、人でなし稼業を自認する爆弾男の血風録。あっちを斬ってこっちを斬って大忙し
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福田和也には「弱み」がある。だからぼくは、この人がなにを書いても、どんなに過激に毒づいてもまったく怖くない。ああ、また強がってと、いとおしくさえ感じる。
だが世間の大半の人はそのことに気づいていない。ゆえに「けしからん」「勝手なこと書きよって」と腹を立てる。むやみに毛嫌いする。
ではその「弱み」とはなにか。音楽です。職業上の顔はいざしらず、この人、一皮剥けば音楽ファン、しかもかなりマニアックなファン。本書でも3か所ほど音楽に関する記述があるが、読む人が読めば、それがかなりの音楽体験・知識をバックボーンにした表現であることがわかる。
ただし音楽マニア=弱みというわけではない。ブライアン・ウイルソン。この人の熱烈なファンであることが「弱み」なのである。「誰それ?」という声が聞こえるが、ビーチ・ボーイズのリーダーにして世界でもっとも不幸な天才、『ペット・サウンズ』をつくった男といえば思い当たる人も少なくないだろう。
著者は最近『GQ』というスカシた雑誌のロック特集で、「アメリカという国はブライアン・ウイルソンのために建国された」とまで書く、ブライアン信奉者。
で、なぜブライアン・ウイルソンを好きになることが弱みにつながるのかといえば、とてもこの限られたスペースで述べることは困難だが、ブライアンを好きになる人間は、あのビーチ・ボーイズの陽気な音楽に潜んでいる「暗さ」を感知し、それを共有できる繊細な神経をもった淋しがりやと決まっている(ぼくも含めて)。
したがって著者の発言の数々、著書にみられる恐れを知らない表現のよってきたるところは、淋しがりやである著者の、まあなんというか「ぼくにもかまってよ」「ほらほら、ぼく、こんなこと言っちゃったよ」ふうやんちゃ坊主的性格と断言していい。
だから、怖くないし、よく読めばわかるが、過激な言動の裏には、対象に対する著者なりの優しさというか遠慮がみてとれる。これ、ブライアン信奉者の特長です。
さらに一般論として福田和也が注目に値するのは、「音楽がわかる」ライターである点で、とかく音楽や文化的素養が欠落している日本の批評家・作家にあって、これはきわめて稀有な例といえる。
本書は雑誌『Wooooo』に平成9年1月号から12年12月号までの連載をまとめたもの。話題は松方弘樹、タイソン、ダイアナから文壇、政治等々多岐にわたるが、過激でもなんでもなく、しごく真っ当な発言がくりひろげられる。ムチャなようでいて意外と保守的なのもブライアン信奉者の特質ではある。福田和也は怖くない。 (bk1ブックナビゲーター:中山康樹/音楽評論家 2001.02.20)
魂のラリアット
2000/11/06 09:15
最強のレスラーが(たぶん)本当に書いたにちがいない、意外やさわやかな半生記。
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ものすごい本だ。翻訳者のクレジットがない。ということはハンセン、日本語の読み書きができるのか。なにしろ来日回数、なんと128回とくれば、それも不可能ではない(そんなバカな)。
だが誤解のないように言っておくが、そういう本だからといって、これが取るに足りない、よくあるヤラセ本かといえば、断じて違う。それどころか、あまりにも文章が読みやすく、うまいことに驚く。もちろんぼくは、この本が誕生した背景を知らないが、相当に文章力のある訳者が背後に潜んでいるとみる。まったくの想像だが、かなりハンセンに近いスポーツ・ライターではないか。
次に、これは僕だけかもしれないが、この種の自伝、どうにも幼少時代の話がかったるいときがある。早く本題にイッテくれと思わせてしまうか否かがポイントだが、その点、これは話が早い。
「長い長い私のライフ・ストーリーを、1972年、8月が終わる頃から始める。」
こうでなくてはならない。だいたいにおいて、どんな偉人・天才でもガキはガキなのであり、そうそう面白いエピソードが転がっているわけではない。
さすがはハンセン、ここから話ははやいはやい。プロレス入りを決意した理由、貧乏時代、ケガ、日本、ババ&イノキ、最後の最後にきてのババ&ジャンボとの別れ・・・と、息詰まる60分1本勝負をみているようなたたみ掛け、頭突き、4の字がため、そして
ついに得意技ラリアットを見舞われる全239ページ。
面白いのは(これも想像にすぎないが)、ジャイアント馬場がいまなお生きていたら明かさないであろう数々の裏話を公開していることで、ハンセンの全日本への移籍を、前夜、ハンセンやその他の外人レスラーとドラマティックにすべく打ち合わせしていたなど、馬場の意外な演出家ぶりが伝わる。
スタン・ハンセン。間違いなく最強の男に数えられるレスラー。しかし本書を読むと、もう1人の、かならずしも強いばかりでもない男の実像が浮かんでくる。
僕は、それが今後のハンセン戦をみるときにどう響くか、楽しみでもあり、怖くもある。 (bk1ブックナビゲーター:中山康樹/音楽評論家 2000.11.06)
