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中村雅美さんのレビュー一覧

投稿者:中村雅美

5 件中 1 件~ 5 件を表示

日本経済新聞2000/8/13朝刊

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 生物がもつ遺伝子のセット、生命の設計図ともいえる「ゲノム」という語が、それほどの違和感なく聞けるようになったのはいつからだろうか。十年ほど前、国際協力によるヒトゲノム解読計画が動き出したころは、「ゲノム」の説明をするのに苦労したことを思い出す。その後も事情はあまり変わらなかった。
 いろんな人がそれを口にするようになったのは、一年ほど前からだ。昨年十二月に人の二十二番染色体の全塩基配列が決定され、今年に入って二十一番染色体もこれに続いた。二〇〇三年には人のすべての遺伝子情報が解読される、ゴールは近い——と言われてからだろう。
 今ではゲノムや遺伝子は二十一世紀の科学・技術を語る際に欠かせないキーワードになっており、遺伝子技術はIT(情報技術)とともに基幹産業を育てるとの期待もある。今年からは政府のミレニアム計画も始まった。ヒトゲノム解読計画の立ち上げに苦労した人たちは、こうした時代の変化に苦笑いをしているに違いない。
 確かにこれからのバイオ産業や医療は、ゲノム情報によって大きく変わるだろう。
 しかし、遺伝子という人(あるいは生命)のある意味では最もデリケートな部分に触れる技術はまた、さまざまな「問題」を抱えている。本書で語られている遺伝子診断や遺伝子治療などは、「どこまでが許されるのか」といった倫理問題を我々に突き付ける。そうしたことを常に考えることも、“ゲノム時代”に必要なことだ。
 著者は記者の好奇心と研究者の探求心を併せ持っている。その彼女が取材し、書きためたことをまとめたものだ。ヒトゲノムの解読から始まって、病気や体質の遺伝子、心の遺伝子、クローンのことなどが広く取り上げている。
 とくに彼女が探求している、遺伝子にかかわる人の心理学など独特の視点からのことも書かれている。読み進むとともに、遺伝子は実に奥の深いものであり、副題にあるように「人間を問い直す」手がかりになると思う。
(C) 日本経済新聞社 1997-2000

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日本経済新聞2001/1/7朝刊

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 第二章に「失われた時間」のことが書かれている。人間の感覚と意識に関することである。
 失われた時間を示した実験は今から数十年前に行われた。脳に電極を埋め込んだ人の腕をつねると、その人は「痛い」と叫ぶ。つねった刺激が神経を伝って脳に達するには百分の一秒しかかからないが、叫び声は刺激の約半秒後に出てくる。本人はつねられてすぐに叫んだつもりなのに。
 「痛い」と言うのは、刺激を意識した時である。そして、刺激が神経を伝わる時間との差が失われた時間である。この間に脳は蓄積したさまざまな記憶を混ぜ合わせ、意識を組み上げている。そしてわれわれは、失われた時間を自覚することはない。古くから知られている現象だが、改めて教えられると興味深いことは多い。
 原著の表題である「THE MISSING MOMENT(失われた時間)」はここからとっている。六章構成で、前半の三章では「感覚」「意識」「記憶と無意識」というように、人の脳の働きを中心に書いている。
 意識をはじめとする知的活動や行動は体内時計に支配されているが、著者はこの不思議な時計のことを綿密に考察している。また、時間の「ずれ」をみて、「今」というのはどちらのことだろうか、というやや哲学的な問いも投げかけている。後半の三章では「侵略の恐怖」「暴動の恐怖」「死の恐怖」のタイトルで、感染症、がん、老化と死といったわれわれが直面する課題に迫っている。日本版の表題にある「ゲノムの時計」はやや象徴的な言葉のようで、ゲノム(遺伝情報のセット)の研究成果が、これらの恐怖にどのように対応するかを語っている。
 著者が書いているように、知識と英知とは別のものである。現代は科学や医学、体に関する知識は飛躍的に増えている。半面、これに逆比例するように英知を働かせることが少なくなったような気がする。蓄えた知識を生かして英知を働かせる——そんな能力が現代人には求められることを教えてくれる。
(C) 日本経済新聞社 1997-2000

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日本経済新聞2000/3/5朝刊

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 表題はちょっとどぎついが、内容は至ってまじめである。テーマは、これもやや鬼面人を脅かす風の副題「『CO2』地獄からの脱出」にあるように、地球上の二酸化炭素(CO2)の悪影響からいかに逃れるか、ということである。二人の著者はそのための処方せんを示している。
 地球温暖化がもたらすさまざまな影響は、今では広く認識されている。その元凶であるCO2についても、重ねて紹介するまでもないないだろう。本書でも、はじめの三章を割いて、詳細に述べている。
 その際、よくいわれることに「人類は科学技術を用いて地球に余分の負荷をかけてきた。温暖化もその一つ」という声がある。いわゆる「科学技術悪者説」である。これに対して、著者の一人である西沢潤一氏は「科学技術そのものが悪いのではなく、問題はそれを使う人の認識や責任感だ」ときっぱりと反論する。同感である。そうしたニュアンスは随所に出ている。
 著者の二人が強調するのは、「環境創造」ということだ。エネルギーや物質を循環させ、地球への負荷が少ない社会づくりの提案はことさら新しいものではない。ただ著者たちは、これまでの人類は環境破壊と同時に環境創造をも行ってきたと見、この後者の知恵をうまく生かそうと提案する。ここには先端技術を駆使すべきであり、そうしたものを体系的にまとめて提示している。
 本書で述べられているように、環境問題はもう「自然と人間の共存というように情緒的なことを唱えている時代」は終わっている。必要なことは問題のポイントを数値で示し、だれもが理解できる形にしておくことである。
 本書で示されたその大枠に続いて、より詳細な分析とそれに基づく提案が出てくることを期待したい。
(C) 日本経済新聞社 1997-2000

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日本経済新聞2000/3/26朝刊

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 科学技術で「日本人に独創性はあるか」と問われた時、「ある」と答える人は多いだろう。しかし、「独創の芽を育てる土壌はあるか」と聞かれると、とたんに歯切れは悪くなる。新しい着想を排除する意識が日本の学界には強いのである。本書の主題になっている磁性材料フェライトも、そうしたものの一つだ。発明された一九三〇年代当時から、主流だった金属磁性材料の世界ではずっと無視され続けてきた。
 確かに画期的な科学技術の理論や成果は、異端のものとして学界に受け入れられないことが多い。しかし、成果が理にかなったものであれば、冷静な判断の下にそれは時間をおかずに世に受け入れられていく。一方、理で考えるのではなく感情的にとらえ、嫉妬(しっと)混じりで排除するのでは異端はずっと異端のままでいる。日本で独創的な研究が生まれにくいといわれるのは、そうしたことが背景にあるのではないか。
 ビデオテープを例に出すまでもなく、フェライトは今日の家電や電子機器などに欠かせない。日本はその技術、生産では世界トップの水準にある。本書はそのフェライトの発明者である武井武の伝記だが、個人の足跡をたどるというより、フェライトを軸にそれを生み企業化した多くの人たちを織り込んだ人間ドラマとして読める。
 「科学技術で新産業創生」をうたう日本では、学で生まれた成果を企業(産)に生かすことが求められている。ベンチャー企業育成もその一環だが、フェライトの発明と企業化にそのモデルを見ることができる。
 登場者の言葉として、現在でも通用するものがたくさん書かれている。その一つに「日本の企業は資本と労働力だけあれば企業が成り立つと思っているが、それは間違いであって、もうひとつ、『脳力』すなわち知力あるいは科学力といえるものが欠けている」がある。「脳力」を軽視している企業がなんと多いことか。
(C) 日本経済新聞社 1997-2000

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紙の本細菌戦争の世紀

2000/10/21 00:16

日本経済新聞2000/9/3朝刊

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 十四世紀の半ばにモンゴル軍がクリミア半島の町を攻撃した際、ペスト菌に侵された死体を投石機で敵の中に放り込んだという。これが商人によって地中海沿岸の都市に広がり、その後の欧州などでの大流行の端緒になった——これは記録に残る最も古い“細菌兵器”だろう。このエピソードは同時に、細菌兵器の影響は局地にとどまらず、広い地域に及ぶことも語っている。
 一度に多くの人命を奪う核兵器と同様に生物(細菌)兵器も怖いものである。手をこまぬいていればどこまでも広がり、多数の人々を殺傷する。しかも「戦場を離れ、街中や空港で無辜(むこ)の市民に襲いかかる」。
 本書はテレビで活躍する二人の気鋭のジャーナリストによるルポをもとにした歴史ドキュメンタリーである。第二次大戦後の米・英・ソ(ロシア)による細菌兵器をめぐる駆け引きを軸に、一歩間違えれば細菌戦争は小説の世界だけのことではないことを語っている。また、細菌兵器を保有しているとされるイラクや朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)などのことも克明に触れている。もっとも、情報のほとんどは米英などからのものだが。
 日本も細菌兵器とは無縁ではない。本書でも語られているように、現代の細菌戦争の先駆けともいえる関東軍七三一部隊を生み、また、米国が本気で生物テロ対策をとるきっかけになったいわゆる「オウム事件」も起きている。核兵器では被害者である日本人も、細菌兵器ではむしろ“加害者”なのである。
 二十世紀は二つの核を生みだした。一つは原子力などの核技術であり、もう一つは生物細胞の核に納まっている遺伝子を扱うバイオ技術である。核技術が核兵器につながったように、バイオ技術が細菌兵器に応用されることがあってはならない。
 バイオはこれからの技術の中核になるといわれる。その意味で、「細菌戦争の世紀」とは、これからの二十一世紀をさしているのかもしれない。
(C) 日本経済新聞社 1997-2000

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