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挾本佳代さんのレビュー一覧

投稿者:挾本佳代

127 件中 1 件~ 15 件を表示

知識社会学を提唱したマンハイムの思想の源を探る

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 一人の思想家に惚れることがある。その思想家を理解し、思想を分析することによって、ひとつの時代を見通すことができたりすることがある。思想家に惚れた結果どうなるかというと、研究者はひたすら、その思想家自身の著書や論文や講演録を丹念に考察し、彼をめぐる言説や事件を調べ上げ、自分だけしか知らない新たな思想家像を作り上げようとする。
 しかし、この作業、言うは易く行うは難い作業である。既存の思想家像も徹底的に研究しなければならないからだ。既存の研究とはどこがどう違うのか。なぜ違うのか。ありとあらゆる言説を洗い出さなければならない。
 秋元律郎氏による一連のK・マンハイム研究はそのように徹底したものである。本書までに執筆された著書によって、マンハイムの思想が洗い出されている。本書では特に、彼の生きたワイマール期の知的状況の中での社会学——なぜマンハイムが知識社会学を提唱しなければならなかったのか——が遭遇しなければならなかった問題点を浮上させている。
 本書が何より興味深いのは、マンハイムをめぐる同時代の知識人がきっちり把握され、マンハイムとの思想的距離を詳細に検討していることである。仲でも「日曜サークル」の中心者であるG・ルカーチとの蜜月と確執。マンハイムとルカーチの確執の根深さを、最後に交わされた書簡の言語から秋元氏は嗅ぎ取っている。二人は同じハンガリー出身の亡命者であり、悪筆で書簡を交わしていた仲のはずである。しかし、最後の書簡はマンハイムは英語で、それもタイプライターで打っている。それに答えるルカーチの返事は、ドイツ語であった。二人共通の母国語を使用しない書簡は、マンハイム側の絶ちがたいルカーチへの思いと、ルカーチとの思想的な訣別を物語っているという。著者の深いマンハイムへの熱意が伝わってくる。 (bk1ブックナビゲーター:挾本佳代/法政大学兼任講師 2002.07.11)

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マリノフスキーによる未開社会に対する深い洞察

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 現代社会は人間の作り出した無数の制度やシステムの集大成であるということができる。つまり、現代人という人間集団は、主に法によってとりまとめられているといえる。もちろん、自分たち自身は愛情や友愛などで結ばれているのだ、と主張する人もいるかもしれないが、自分たちの生活やその生活を根底で支える行政組織や立法組織などを考えてみるや、それらが決して愛情や友愛だけから成り立つものではないことに愕然とする。この状況は20世紀や21世紀に始まったことではない。
 近代社会以降、近代人が人間集団としてとりまとめられる時に用いられる制度や法やさまざまなシステムには、特に人類学者から強い批判が加えられている。表面上は批判という形をとってはいないが、よくよく未開社会に対する言説を読み込むと、近代社会批判になっていることがわかる。
 B・マリノフスキー(翻訳ではマリノウスキー)の未開社会における犯罪と慣習に関する研究もそうだった。未開人の法と秩序を形づくっているものは何なのか。この問題提起をした瞬間に、近代社会に共通する、つぎからつぎへと新たな制度やシステムを作り続けなければ秩序が保たれないとばかりに行われている鼬ごっこに対するマリノフスキーの批判が透かし見えてくる。本書に先立つ『西太平洋の遠洋航海者』によってマリノフスキーはトロブリアンド諸島に伝わる「クラ」を調査している。首飾りと腕輪を反対方向に順々に送っていくものである。この慣習は、トロブリアンド諸島の住民は、自然と対峙して生きている自分たちの生活と、そうした環境の中で生き延びてきたことに対する感謝の念を確認する作業なのである。マリノフスキーは「クラ」を踏まえ、それ以外にもトロブリアンド諸島に伝わる「互恵主義」、呪術、儀礼などを観察することによって、未開人が近代人とは異なる法と秩序を維持していると主張する。メラネシア人は近代法とは異なる「集団感情」や「集団責任」に裏付けられた慣習によって、強く取りまとめられていると説く。マリノフスキーの強い近代批判を読みとることができる。 (bk1ブックナビゲーター:挾本佳代/法政大学兼任講師 2002.07.10)

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社会科学における機能主義を追求したラドクリフ=ブラウンの論文集

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 一九二二年は人類学史上、奇遇な年とされている。ラドクリフ=ブラウンの『アンダマン島民』とマリノフスキーの『西太平洋の遠洋航海者』が同時に公刊された年だからである。本書の解説にもあるように、文化人類学における機能主義の誕生がこの年であると衆目一致する年であるとされる。
 しかし、それはほんの偶然だったのではないだろうか。むしろ注目すべきは彼らがともにエミール・デュルケムの『社会学的方法の規準』で提示した「機能概念」や、『宗教生活の原初形態』における宗教儀礼の機能や、デュルケムが終始一貫して提示した「集合表象」の影響を多大に受け、展開しようとしたということである。影響の受け方は私見に寄れば、マリノフスキーよりもラドクリフ=ブラウンの方が大きい。本書にも収録されている「宗教と社会」や「社会科学における機能の概念について」を読むと、それは明確になる。
 ラドクリフ=ブラウンは、オーストラリアに見られるトーテム信仰を「宇宙における人間の地位についてある概念を含んでいる」と述べ、人間が「季節の規則正しい運行、あるべき時に雨が降ること、植物の成育、動物の生命の継続」に見られるような、「自然」そのものに依存していることがわかるとしている。これはマリノフスキーの「クラ」から導き出した人間と自然のあり方と同様である。しかし、ラドクリフ=ブラウンはそのように述べながらも、「私は人間を社会的動物とし、またそのようにさせ続けるものは、何か群居本能といったものではなくて、数え切れないほどの多くの形態をとっている依存感であると提言する」と主張している。つまり、マリノフスキーには強く見られない、人間と動物のはっきりとした区別が、ラドクリフ=ブラウンには明確にみられる。マリノフスキーにおいては、自然の中に生きる以上、区別化される強い必要性を感じていない、自然の中における人間と動物のあり方にみる区別が、ラドクリフ=ブラウンにはある。ここがラドクリフ=ブラウンがデュルケムから受けた最大の影響ではないかと思われる。人間を動物から区別し、その社会的機能を追求したからである。 (bk1ブックナビゲーター:挾本佳代/法政大学兼任講師 2002.07.09)

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南アジア大陸の文化、社会、経済などを知る

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 私たち日本人はアジア社会の一員である。EUに対抗するアジア経済圏構想も以前から発案されている。しかし、日本は、西欧諸国よりも文化的にも歴史的にも身体特徴的にもアジア近隣諸国に近いはずなのに、どこか遠い気がしてしまうのは否めない。私たちはどれだけアジアを知っているのだろうか。
 この平凡社の「〜を知る」と銘打たれた「エリア事典シリーズ」はどの一冊も身近においておきたい事典であると思いながらも、なかなか手に入れることができずにいた。しかし増補版が公刊され、真っ先に手に入れたいと思ったのがこの『南アジアを知る事典』だった。なにしろ、南アジアである。宗教的にも文化的にも奥深いインドがある。インドのほかに、スリランカ民主社会主義共和国、ネパール王国、パキスタン・イスラーム共和国、バングラディシュ人民共和国、ブータン王国、モルディヴ共和国——がある。南アジアは7つの国から成っている。情けないことに、私はこの7つの国さえ全部挙げることができなかったが。
 宗教、慣習、文化、舞踊、音楽、料理、経済……いまだ実際に降りたっていないインドに想いを果てながら、思うがままに開けるページでさまざまに楽しむことが可能である。世の中にはまだまだ知らないことが多いのだ、とも思わずにいられない。
 初版が出た1992年以降の社会情勢を踏まえた増補項目には、たとえば「IT産業」「環境問題」「ターリバーン」なども入っている。特に「IT産業」は、私も大学でITにまつわる講義をする時には、必ずインドが世界有数のIT産業国家になりつつあることも一事例として話すので参考になる。しかし少し残念だったのは、この項目の説明の中にインドとアメリカの時差の関係が、インドにとってアメリカの情報産業の下請けをするのに好都合であることが盛り込まれていなかったことだ。「なんでインドがIT産業国家?」という顔をする学生も、時差の話をすると多少納得顔になるものなのだが、どうだろうか。 (bk1ブックナビゲーター:挾本佳代/法政大学兼任講師 2002.07.03)

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無垢な子どもの顔の中に映し出された、現代社会に対する反抗。奈良美智の世界を満喫することができる

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 いつからだったかははっきり記憶していない。けれど、ギュッと下から見据えてくる顔つきをした子どものイラストをよく見かけるようになった。一度見たら、ちょっと忘れることができない子どもの顔。愛想笑いをしなければならないことが多くなってしまった大人たちには、絶対にできない顔。かなり前に自分がしていたであろう顔……。

 そんな強烈な顔を描き続けているのが奈良美智さんであると知ったのは、それからずいぶんと経ってからのことだ。ちょっと大きな書店に行けば、奈良さんのイラスト集は手に入るようになったし、吉本ばななさんがエッセイで奈良さんとの交遊をつづっている。いまや奈良さんのイラストに接近し、彼自身を知る方法はたくさんあるようになった。

 このイラスト集には、奈良美智さんのこれまで描いてきた作品が凝縮されているので、彼の描き出す世界を存分に楽しむことができる。私は美術評論家ではないから、奈良作品の海外での評判や美術界での評価を詳しくは知らない。けれど、そんなことも、このイラスト集には収録されているから、かなりのマニアでも楽しめるようになっている。何より、奈良さん自身の、作品を着想した瞬間にメモった走り書きがあるのがいい。

 それにしても、どうしてこんなに奈良さんが描く子どもの顔や、オブジェにひかれるのだろうか。この子どもたちは、素朴だとかかわいらしいとか、そんな言葉で形容することのできる「物体」ではないからだ。かなり憎たらしい顔をしている。大人をバカにしているというよりは、大人のやることに文句をつけそうな顔をしている。だから大人である私たちは、一瞬ギョッとして、ちょっといやな気持ちになる。なぜって、そんな大人に平気で「ガンをつける」顔を、いまは皆しなくなってしまったから。奈良さんの描く子どもの顔を深読みするならば、いまの現代社会への反抗とも受け取ることができる。みんなが同じ顔をして、同じことをしている大人たちへの反抗。みんなで悪事を丸め込んで、なかったことにしてしまう社会への反抗。あなたは、奈良美智の世界にふれて、平気でいられますか? (bk1ブックナビゲーター:挾本佳代/法政大学兼任講師 2002.07.02)

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紙の本思想史のなかの科学 改訂新版

2002/06/07 18:15

科学とは何か、を深く考える

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 今日ほど、科学とは何かが問われなければならない時代はないのではないだろうか。人類史を紐解けば、もちろん過去に科学が急速に発展した時代は数多くある。しかし、分子生物学が進展し、人間の身体がDNAレベルで分析され、その結果として人間の生命をもクローンという形で人工的に作り出すことの可能性がまことしやかにささやかれるようになったのは今日が初めてである。しかしその一方で、日本の将来を担う子供たちに科学は分が悪い。未知の領域を切り開く科学の宿命が、「こわい」イメージ一色で塗り固められているからだ。
 本書はもとは1975年に、NHKの講座のテキストとして編まれたものが公刊されたものである。だから、思想史と科学の歩みが非常にコンパクトに述べられている。科学にはまったく興味がなくても、人間の思想史には興味がある人ならば、きっとおもしろく読み進めることができる良書である。
 プロローグに収録されている著者ら3人の対談も興味深い。人間と自然を分離させることに拍車をかけることになった科学的思考が、人間の中に潜在的にあったとするならば、それを顕在化した契機が一体何であったのかがここで問題視されている。著者らはそれを解くカギは思想史の中だけでなく、社会・経済史も合わせて考えられるべきとした上で、「近代市民社会の形成」が大きな契機のひとつであったと主張している。社会学者の端くれである1人としては、著者らの指摘にはとても耳が痛い。自然科学と社会科学に跨る分野の開拓がいまだほとんどなされていないのが現状だからだ。
 唯一残念だったのは、分子生物学が急速に進歩する以前の1975年に編まれた本であるために、進化論の影響部分をもう少し大きなスコープで、大胆に加筆したものを読みたかった、ということである。きっと1996年の改訂版でもすでに加えられていたのかもしれないが、今日あらゆる分野でその重要性が痛感されているのが進化論であるということを考えると、この進化論の部分だけでも思想史の中だけにとどまらずに展開してほしかったというのは読者のわがままであろうか。進化論は私たちのいまの生活に密着しすぎるほどしているのだということを、科学者や科学史研究者が説得的に訴えることができれば、科学を志す中高校生も増えてくると思うのだが。 (bk1ブックナビゲーター:挾本佳代/法政大学兼任講師 2002.06.08)

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紙の本挑発する肉体

2002/06/06 15:15

乳房の挑発する力を、理性的な近代人も制御できなかった

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 デュルはどこまでも執拗にノルベルト・エリアスに喰らいつく。『文明化の過程』の中で、エリアスは近代社会と前近代社会について間違ったイメージを構築しているとデュルは主張する。本書は「文明化の過程の神話」シリーズの4巻目である。5巻で完結するとされるこのシリーズの今回のターゲットは、人間の肉体それも女性の乳房である。近代人は前近代人に比べて、人間の「動物的性質」を制御することができるとしたエリアスの考えを、デュルは乳房を武器に覆そうというのが本書の目的である。
 デュルの主張はとても明快である。すなわち、西洋社会は近代であろうが前近代であろうが、過去数千年にわたって女性の乳房に象徴されるエロチズムの放出を完全に制限することはできず、まして人間や社会の中に内面化することなどはとてもできなかった、とする。その証明のために、デュルはさまざまな時代の乳房の在り方を探る。ヴィクトリア時代のデコルテ部分への注目、人前で授乳する母親、トップレスで海辺にくつろぐ女性たち……。社交界で女性は、単に日常的かつ美的にデコルテ部分をさらけ出していたのか。母親は無邪気に授乳していたのか、男を誘惑する意図もあったのか。「はじらい」はあったのか、などなど膨大な乳房をめぐる資料を駆使してデュルは「文明化の過程」を覆すことを試みる。
 デュルの指摘を待つまでもなく、エリアスの『文明化の過程』では、人間の本来的にもつ「生物学的人間」の部分に対する考察が十分になされているとはいえない。エリアスにとって近代人は「理性的人間」を絵に描いたような人間なのであり、たとえ衝動にかられてさまざまな行動をしようとも、理性があればすべて制御することができると確信される人間なのである。前近代と近代の比較も、いまとなってはステレオタイプ的な節さえある。そこを突いたのがデュルなのである。エリアスがすでに故人になってしまっているために、デュルの自らに対する批判への回答は、エリアスを信奉する文化人類学者などに向けられるだけになっているが、それももったいない気がする。「理性的人間」を頑として譲らない研究者は他にもたくさんいるからだ。デュルが挑戦的にならざるを得ないのは、そうした彼らが、人間の生の部分を認めようとしないで、人間の社会や人間そのものを平然と語っているからだ。(bk1ブックナビゲーター:挾本佳代/法政大学兼任講師 2002.06.07)

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各時代の戦争が及ぼした影響を探る

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 過去のどの国家も、そのほとんどが軍事力を強化することを追求するようになった。軍事技術の進歩、軍隊の組織化や拡大は、人々が考える理想とする社会も変えてしまった。もちろん将来、無益な戦争が起こらない方がいいに決まってる。誰もがそう思っているに違いない。しかし、いまも国境や民族をめぐっていくつもの紛争が勃発していることを考えれば、大きな戦争が将来絶対に起こらないとは誰も断言することはできない。
 著者の試みは、軍事力が強化されていく過程で、軍事技術と軍隊と社会の均衡がどのようにある時には維持され、ある時には破綻してしまうのかを探求することにある。古代や中世の戦争をはじめ、文明的に中国が優位であった1000〜1500年、ヨーロッパが近代化という追い風に乗り始めた1700年代、戦争が産業化しはじめた1840年代、ふたつの世界大戦が勃発した20世紀、1945年以後の軍拡競争時代など、それぞれの時代の戦争を多くの資料から綿密に追っている。
 どの時代の戦争にも、今日教えられる部分と生かされる部分が多いが、特に興味深かったのは、戦争と人口動態の関係である。戦争は多くの人間を兵隊として動員し、多数の死者を出す。第一次世界大戦前、19世紀末から20世紀初頭にかけて、イギリス、フランス、東ロシアの中間に位置するヨーロッパ地域は、深刻な人口問題に見舞われていた。たとえばドイツでは、1900〜1910年の10年間における毎年の出生数は死亡数を86万6000人も上回っていたという。また商工業のめざましい進展により、ドイツの社会には働き口がたくさん発生していたが、逆にそのために国内の人間だけでなく、職を求めるスラブ系人間の大量流入を懸念する声も国内には上がっていたという。そこに第一次世界大戦が勃発した。何千万という農民の息子たちが動員され、何千万規模で死亡した。中・東欧の農村の人口問題はこの戦争でだいぶ緩和されたという。日本でも第二次世界大戦中に農村を中心に人口増加幅が拡大していた状態が緩和されている。
 18世紀末にマルサスが示唆した人口問題を無視した結果、戦争によって人口問題を緩和しなければならない事態に、人間は自らを追い込んでしまっているのだろうか。人間の欲望がむき出しになる戦争はさまざまな局面を私たちに教えてくれる。 (bk1ブックナビゲーター:挾本佳代/法政大学兼任講師 2002.06.06)

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紙の本生命の認識

2002/06/04 22:15

いまだ定義されない「生命」をどのようにとらえたらいいのか。ジョルジュ・カンギレムの生命哲学

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 ジョルジュ・カンギレムの名は科学史やフランス哲学に詳しい人でもないかぎり、知らない人の方が多いかもしれない。しかし、彼の思想に影響を受けた思想家の名前を挙げていくや、そうそうたるメンバーであることがわかる。ミシェル・フーコー、メルロ=ポンティ、レーモン・アロン、ピエール・ブルデューなどなど。カンギレムは思想的にもかなりの強固な姿勢を貫いた人生を歩んだというが、その姿勢は、認識と科学と生命という先人たちがもっとも頭を悩ませてきたアポリアに果敢に挑む姿勢と重なっているような気がする。
 本書はカンギレムの講演録や論文を収録したものであるが、なかでも「機械と有機体」は非常に重要なものである。デカルトによって提唱された動物自動機械説は17世紀の産物であるが、後世このデカルト理論の不十分さは認識されながらも、生命を機械・システムとして捉える考え方はいまなお存在する。デカルトの時代には明確にならなかった生命そのものの実態については、分子生物学の進展によって私たちの時代の方がはるかに知っている。有機体と機械の差はすべて生命のあるなしに関わってくる、ということもとっくに私たちは知っている。しかし、人間が有機体と機械をなぜ同一視したのか、その意味がどういうところにあったのかは科学史上においてもいまひとつ釈然としない部分が多いのである。各部分の働き・動きが全体との関連でただ「似ていたから」なのか、それともこうした考えを促す傾向が西欧社会の経済や政治の仕組みにあったのか。カンギレムは、人間が有機体と機械を同一視する認識の背景を深く探っている。
 アリストテレス、デカルト、ライプニッツ、クロード・ベルナールなどの生命に関する理論を渉猟し、カンギレムは非常に正確な機械のもつ特質を導き出す。機械の合目的性はすべて人間にゆだねられているのであり、機械は人間が人間のために作り出されたものなのである。これは、カンギレムがいう自己構築、自己保存、自己調整、自己修復といった有機体の特徴とは完全に矛盾する。カンギレムの主張はごくごく当たり前の、非常に明確なものなのである。しかし、産業の合理化が社会の中で全世界的に進展し、人間の身体を機械論的な発想で捉える考え方が流布すると、たとえば今日いうところの生殖技術や遺伝子操作などにまつわる問題も発生してくる。カンギレムのいう「機械と有機体」の問題は決して科学史上の問題だけではないのである。 (bk1ブックナビゲーター:挾本佳代/法政大学兼任講師 2002.06.05)

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紙の本マルサス北欧旅行日記

2002/06/03 22:15

『人口の原理』の著者マルサスがみた北欧社会

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 18世紀末に活躍したマルサスの重要性は、いまの私たちには身にしみるようにわかるはずだ。いまから200年以上前に人口増加と食糧生産のバランスを主張し、工業国へと邁進しつつあったイギリスに自給経済を訴えたマルサスの真意は、国を根底で支える食糧を自国ではなく他国に依存することの恐ろしさを説くことにもあった。現在、日本はその食糧の大部分を他国に依存している。もしこの状態のまま世界大戦が開始されたらどうなるのか。50年後100億人を突破すると予測されている世界人口を支える食糧は、どこで生産されるのか。現在農業製品の輸出国である国が工業化を進展させたらどうなるのか。いずれの問題も、まったくその可能性がないとは言い切れないにもかかわらず、私たちは毎日を平然と暮らしている。
 『地球白書』でおなじみのレスター・ブラウンも注目したマルサスを、いま読み直すことはとても興味深い。主著である6版重ねられた『人口の原理』がまず重要であるが、最近若かりし頃のマルサスが北欧を旅した時の日記が公刊された。時期的には『人口の原理』第1版が公刊されて、第2版に取りかかるまでの間である。北欧を楽しむというよりも、第2版を執筆するにあたって頭の中をクリアにし、構想を練る旅であったのではないか、と思われる。
 その証拠に、マルサスが北欧という土地の風景や美観を記述している箇所がきわめて少ないのである。ひとたび北欧の山や農地を目にするや、彼はすべて食糧生産に結びつける。穀物の輸入量はどれくらいか、工業製品の輸出量はどれくらいか。その土地で食糧生産に従事する人間の生活も考える。土地財産をもたない農家の息子はどうしているのか、庶民はどんなパンを食べているのか、どれほどの大きさの家に住んでいるのか。マルサスの北欧での興味は『人口の原理』第2版に直結するものばかりだったことがわかる。
 普通、旅日記というと、どこで何を食べたのかという記述が多くなるものであるが、マルサスの日記を読むと、彼が食事に関してはきわめて淡泊であったこともわかる。当時の北欧諸国の食事内容がとりたてて書き連ねるほどのものではなかったこともあるようだが、マルサスにとって食事とは、人間の生命を生き延びさせるために必要な栄養源としての食糧なのであって、美食とはかけ離れた対象なのであった。 (bk1ブックナビゲーター:挾本佳代/法政大学兼任講師 2002.06.04)

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大航海時代に、失われた東南アジアの多様性を追う

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 日本にとって東南アジアは地理的にも結構近い外国である。東南アジアには、日本のコンピュータや精密機械などの下請け工場などが多く建てられている。日本人の好むエビを多く輸出していたり、ラタンや籐といった家具の原材料を切り出してくれる熱帯雨林を有しているのも東南アジアである。日本は経済的にみても、東南アジアに多くを負っている。その一方で、エビの養殖地を確保したり、ラタンを切り出すために、熱帯雨林は少しずつ破壊されている。そうした開発は、日本人の欲望が引き金となっているのである。いまだに年配の人たちに東南アジアに対する偏見が根強く見られるが、日本と東南アジアはいまや持ちつ持たれつの関係ではなくなっているのが現状である。日本からの技術移転もあるにはあるが、東南アジアなくして、日本は成り立たないといっても過言ではないのである。
 本書は第一巻につづき、大航海時代における東南アジアの歴史が実に詳細に記述されている。香辛料を中心とした貿易で世界中から注目されざるを得なくなった東南アジアが、ヨーロッパの大国の支配を受け、どのように都市化を進め、軍事革命を起こし、やがてそうした専制主義や世界経済から飛び降りることになったのかが、つぶさに検証されている。いまも日本の三〇年前の姿といわれる東南アジアの社会的な貧困状態を引き起こしたのが、実は土足のまま東南アジアに入り込んだ、日本を含む大国の欲望のためであったことがよく理解できる。しかし著者は、そうした東南アジアを先進国側からの哀れみの対象とはしていない。彼は、専制主義や絶対主義に翻弄された東南アジアを振り返り、その後一八世紀や一九世紀に「世界的に優勢な交易」や「知のシステム」に関わらなかったために、かろうじて東南アジアは部族を中心とした地域ごとに、その「多様性」を保存することができたと結論づけているからである。数多くの島嶼を抱え、さまざまな部族が住むことで東南アジアの人々の生活様式も実に多様性に富んでいた。このことは第一巻を読むとよくわかる。
「多様性」を破壊する全世界に共通の世界システムなどというものは、そもそも共同体の中で生きている人間には無用のものなのである。国家もそうである。大航海時代で大いに揺らいでしまった東南アジアの「多様性」をいま一度深く考え直してみたい。日本の将来像や日本を含めたアジアの将来像を考え合わせて本書を読み進めると、一層深い思索をすることができる一冊である。 (bk1ブックナビゲーター:挾本佳代/法政大学兼任講師 2002.05.16)

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自然界は非対称性が貫かれていて、当たり前

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 右と左が完全に対称性をもっているものは何か。これを一口でいうならば、人工物であろう。何よりまず、人間が左右対称になるように設計をする。そして、人間が機械を使用するなどして、数ミリの狂いもなく作り上げていく。だから、ほぼ完全に近い対称性をもつものが完成するのだ。
 しかし、こと人工物を除いてみると、私たちの周りにはどれほど左右対称のものが存在しているだろうか。自分の顔を鏡でジーッと見てみる。たとえ鼻が真ん中にあって、二つの目が左右についていて、口があったとしても、顔の造作が左右対称ではないことを知っている。とくに毎日鏡とにらめっこをしている女性ならば、「右目みたいに左目がパッチリしていたらいいのに」とか「あともう少し鼻がこっち側に向いていればいいのに」と、悩みはつきないはずだ。
 本書は、胚から始まる生命にしろ、地球を包摂する宇宙にしろ、自然界が作り出すあらゆるものが非対称性であることを追求したものである。宇宙創成の壮大なデザインにおいて、物質が反物質を消滅させて生き残るときに何か生じたのか。人間はあらかた左右対称であるが、なぜ上下対称ではないのか。構造上、右脳が左半身を制御し、左脳が右半身を制御する非対称な脳があるのはなぜか。なぜ、左利きが遺伝されることが多いのか——。宇宙まで射程に入れなければならない問題を、著者は身近な問題と引き合わせながら、平易に解説してくれている。
 本書では明示されていないが、最近、特に生物進化学と絡め合わせて、なぜ「美人」や「シンメトリーな男」がもてるのかという問題が「ハンディキャップ原理」の観点から取り上げられることが多い。確かに、どんな生物種であれ、種の存続を大きな目的としている限りは、シンメトリーな造作を備えて目立つ「美しいもの」が生殖の機会を多くもつことができたのには相違ない。「美人」や「シンメトリーな男」がもてるとする主張も、そうした基本原理を踏まえてのことであろう。しかし、本書を読み終えると、そうした限りなくシンメトリーに近い形態は、あくまで非対称世界の中に溶かし込まれている状態にすぎないのだ、ということがわかる。自然界の中における、人工物の突出具合と「美人」や「シンメトリーな男」のそれとを混同してはならないのである。というのも、「美人」も「シンメトリーな男」もみな自然が作り出したものだからである。著者はこうした点も示唆するために、自然界の非対称性を延々と書き連ねている。 (bk1ブックナビゲーター:挾本佳代/法政大学兼任講師 2002.05.15)

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紙の本柳田民俗学のフィロソフィー

2002/05/13 22:15

柳田民俗学のメタ理論を探る

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 いま、「共同体」という概念を検討し直している。経済学領域には、マルクス経済学をはじめとして、多くの共同体論がある。もちろん社会学領域にもある。その黎明期にまで遡れば、先人たちが共同体に関して多くの知識を蓄積していることがわかる。しかし、今日ところどころで語られる「共同体」観は、先人たちが蓄積してきたものとは異質のものである。インターネット網を縦横無尽に張りめぐらせれば、ある地方都市の中に新たな共同体ができあがるのか。同じくインターネットと医療現場や福祉現場を直結させれば、老後に快適な新たな共同体が作られるのか——。「共同体」の再検討には、こういう問題も含まれてくる。
 日本の共同体研究として、絶対に欠かすことができないのが、柳田国男の民俗学である。共同体の中に生きる人間を記述する際、なぜ柳田は、庶民という言葉を用いないで「常民」を用いたのか。同じく共同体研究において注目すべき農村研究に、有賀喜左衛門の一連の著作があるが、その有賀と柳田の研究観点はどこが違うのか。こうしたこちらの疑問に本書は答えてくれている。
 本書の一番の特徴は、著者が現在大きな関心をもっている「環境論」の観点から、柳田民俗学を分析していることである。最近のいわゆる環境ブームに乗じた、上っ面だけの環境論に辟易していた私としては、著者が柳田に依拠しながら、現在非常に難しい環境状態におかれている私たちが摂取するべき観点を柳田に探っているのは、とても興味深かった。
 ただ一点だけ、私としては「自然を二つに分けられる」とする著者の主張は全面的に肯定しがたいところがある。それは、柳田国男が民俗学として追求し記述してきた人間と共同体のありかたにおいて、自然は二つに分かれるのであろうか、ということである。分ける必要を、たとえば「美しき村」や「雪国の春」で描かれた共同体の一員である人間は感じていたのであろうか。著者は人間が自然をどのように捉えていたのかという問題を柳田民俗学から追求し、いわゆる自然界と(自然界に影響される人間)「小なる自然」を峻別して、大なる自然の運行を小なる自然である人間が受けながら生を営んでいると考察している。この柳田の自然観については、あとはもう一度柳田の声にじっくり耳を澄ませなければならないだろう。 (bk1ブックナビゲーター:挾本佳代/法政大学兼任講師 2002.05.14)

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DNAでたどるオサムシの世界

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 私がオサムシに興味を持ち始めたのは、進化論に深く分け入るようになってからである。まだ六年ほどしか経っていない。一個の生物種が絶滅することなく、進化し続ける。その進化の過程で、生物種のDNAは少しずつ変化をしていく。しかし、中立説が証明しているように、そのDNAレベルの変化が即座に形態変化に結びつくわけではない。たとえば、日本に棲息するオサムシは、その祖先型から五千万年かけて、ようやく四〇種類ほどの種を生み出している。五千万年である。もちろん、その途中で生き延び続けることができずに淘汰されてしまった種もあったことだろう。それは膨大な数に達するにちがいない。
 生物種が気の遠くなる時間をかけて進化してきた事実を、オサムシを例に教えてくれたのは、中村桂子さんの著書だった。オサムシがヨーロッパでは「歩く宝石」といわれていること、日本には黒っぽいオサムシしかいないこと、なども教えてもらった。以来、昆虫図鑑などを調べるなどして、確かに黒っぽくないオサムシを発見(写真で)することはできたのだが、「オサムシだけの、素人にもわかりやすいDNAの特徴的な配列も書いてある本があればいいのに」と思う気持ちが募っていた。
 そんな思いを持ち始めて、六年目にしてようやくめぐり会えたのが本書である。本当に嬉しかった。大別してユーラシア大陸北東部、中国中南部、日本の三か所に棲息するオサムシの系統と進化過程がDNAレベルでたどることができるようになっている。もちろん写真入りでだ。確かに、ユーラシア大陸に棲息するオサムシには、ライトグリーン色のペリドットのような輝きをもつものや、トパーズのようなオレンジがかったものもある。実にきれいな色をしている。しかし、日本に棲息する代表的なオサムシの中にも、ペリドットやトパーズまではいかないが、やはり同じ種であるのか、部分的にその色が入っているオサムシがいる。同じ生物種であるにもかかわらず、各棲息地で生き延びるためにさまざまに形態変化を遂げてきたことを考えると、生命の偉大さを感じざるを得ない。
 本書にはオサムシを長年観察してきた研究者の苦労話もある。自分だけの都合では貫徹することができない、コツコツと研究する真摯な姿勢には敬意を払いたい。 (bk1ブックナビゲーター:挾本佳代/法政大学兼任講師 2002.05.11)

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ポリネシア人はどこからやってきたのか。アジア世界とのかかわりを探る。

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 およそ三〇年ほどまえに、日本人の祖先である縄文人が「海を渡ったかどうか」ということがマスコミを中心にして取り上げられて以来、いまだにその衝撃がぬぐえずにいる人たちも多い。たしかに、縄文人が高度な文化をもっており、おまけに海を越えて南太平洋に渡り、縄文土器を伝えた……という話は、研究者以外の一般人には壮大なロマンさえ感じられてしまうものである。
 しかし、現段階では、マスコミ煽動型で作られたロマンにまじめに耳を傾ける考古学者や人類学者はいないということがわかる。本書の冒頭でも書かれているように、専門知識のない新聞記者などが、いいかげんな根拠にもとづいておもしろおかしく推論をするや、その推論だけが一人歩きをすることになる。だから、縄文人が海を渡った、と断言されてしまったのである。けれど、ここできちんと私たちが理解しておかなければならないのは、著者も述べるように、現時点の常識では「もっともらしくないこと」を相手にして、コツコツと調査研究をして、その可能性を探っている研究者がいるということである。彼らの真摯な態度で行われている研究を、一般人の勝手な推測で踏みにじることは絶対にしてはならない。本書を読み終えて真っ先に考えたことはこのことであった。
 著者は人類学者。なぜポリネシア人の身体が特大で、骨太、筋肉質であり、肥満に傾きやすいのか、という形態的な問題を実態とともに歴史的に明らかにすることを研究目的としている。ポリネシア人に対する私たちのイメージは、相撲の武蔵丸に近いだろう。一見、どちらかというと巨漢にならずに(多くは)細身のまま老年期を迎える日本人と彼らはまったく異なる人種なのではないか、とさえ疑いたくなってしまう。けれど、遺伝子レベルでの特徴や身体構造などを踏まえて比較すると、ともに同じアジア人であることがわかる。
 南太平洋の島嶼世界に縄文人の仲間が存在しているのか。いまから四千〜二千年ほど前には確実に南太平洋で生活をしていた、先史ポリネシア人であるラピタ人の移動をたどりながら、著者はモンゴロイドの謎に迫っている。独特の土器文化を有し、バイキングさながらに南太平洋を舞台に交易をしていた彼らに思いをはせてみるのも楽しい。 (bk1ブックナビゲーター:挾本佳代/法政大学兼任講師 2002.05.09)

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