野谷 文昭さんのレビュー一覧
投稿者:野谷 文昭
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花を運ぶ妹
2000/10/17 21:15
日本経済新聞2000/5/21朝刊
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絶体絶命の窮地に陥った兄を妹が救おうとする物語である。このレベルで読めばそれこそ手に汗握る冒険小説になるだろう。バリ島で麻薬不法所持により逮捕された日本人画家。しかも、策略によって実際よりもはるかに重い罪を着せられ、裁判の結果次第では死刑にもなりかねない。それをパリで通訳の仕事をしていた妹が知る。彼女は兄を助け出そうと奔走し、バリ島に乗り込むのだ。
ところが真の救済者は彼女ではなさそうだ。彼女は手を尽くすものの、あとは祈るばかり。だとすれば一体誰が救済者なのだろう。最後に起きることは奇跡なのか、それとも単なる偶然か。ここに神なき現在における救済、宗教の問題が浮上する。作者はどうやらバリ島の霊性を重視しているようだ。
そして救いがやってくる。予定調和的と言えないこともない。ここの説得力が問題だろう。奇跡か偶然か、と書いた理由である。今、日本では祈ることにどれだけの重さがあるだろうか。ところがバリ島だと〈祈り〉が通ずる。この島に満ちた霊性によるのだろう。少なくともそう思わせる。あるいは妹の生命力が兄を甦らせたと見ることも可能だ。だが、その妹自身、バリの海に浸かることで甦るのである。こうして彼女とバリは和解する。兄もまた芸術への意欲を取り戻し、過去やヨーロッパに立ち向かうことを決意する。大団円とまではいかないものの、肯定的な未来が暗示される。
閉ざされた空間は内省するのに適した場所だ。画家は牢獄で考える。妹もホテルに閉じこもって考える。物語は交互に現れる兄妹の独白によって語られるのだが、それは二人の思考でもある。この二人が作者の分身であるならば、テクストを作者の内なる詩人とリアリストの対話とみなすこともできる。そのように読めば、この作品は哲学小説であり、芸術論であり、文化論となるだろう。ここには芸術家である作者の半生のエッセンスが詰まっている。彼が旅を続けてきたことはよく知られているが、本書はその旅と思索のとりあえずの総決算と言えるだろう。
(C) 日本経済新聞社 1997-2000
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