村松友視(作家)さんのレビュー一覧
投稿者:村松友視(作家)
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紙の本田中小実昌紀行集
2002/01/11 13:30
コミさん流あみだくじ
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田中小実昌さんは、いつも旅の途中という感じだった。ゴールデン街の飲み屋にあらわれるときも、映画の試写室から出て来るときも、何処かから来て何処かへ行く旅の途中みたいだった。だから、そこで少しばかり話ができたりすると、コミさんと一緒に旅をしているような気分になった。よけいなことだけど(これコミさん流)、田中さんは自分がコミちゃんと呼ばれていたと書いているが、それは女性からの呼称で、男はみんなコミさんと言っていた。女性からは何とかしてあげたいカワイイ男なのだろうが、男はその生き方をどこかで尊敬していた。自分が夢みたいに思っている人生を、実践してくれているという思いもあって、その角度がコミさんと呼ばせていたのだろう。
私は、つとめていた中央公論社で発行していた文芸誌『海』に、『ポロポロ』という傑作を書いてもらい、連作の第一回の原稿を読んだときは興奮した。その感想を伝えたいと思ったが、コミさんは喫茶店などで一対一で対峙すると、話がまるでつづかない。極端にシャイな性格のせいだったにちがいない。そこで一計を案じた私は、試写室で待ち合せたあと、浅草の飲み屋(コミさん行きつけの“かいば屋”)へ誘った。銀座から浅草まで三十分、タクシーに乗って並んで坐り、お互いに前方を見る状態でいろいろと話した。相手の目が気になる正面同士でなければ、コミさんはけっこう喋ってくれるのだった。そんなときは、コミさんと共に長い旅をこなしているような気分が湧いたものだった。
その『ポロポロ』が谷崎潤一郎賞を受賞したときも、コミさんはたしか旅の途中で外国のホテルにいた。担当者として連絡をまかされた私は、国際電話で受賞を知らせると、「へぇ、そりゃあよかったねぇ」、コミさんは他人事みたいに言ったあと、「選考委員の皆さまによろしくお伝えください」と神妙につけ加えた。両方とも、コミさんらしいセリフだと思った。『ポロポロ』というのほ、幼い頃に耳にした父親の“パウロ、パウロ”から取ったタイトルで、教会という環境で育ったコミさんが、自己の内部をあみだくじ的に探ってゆくユニークで硬質な作品だったが、肩にカを入れた文章でなく、いつものコミさん節の自然体に終始しているところが凄かった。私は、今回“旅”をテーマとしたコミさんの文章を読んで、何度も『ポロポロ』を思い出し、何度も「よォ、コミさん!」と快哉を叫ぶ気分になった。この本の文章もまた、コミさん流のあみだくじの醍醐味に満ちみちているのである。
ぶらりと入った居酒屋や食べ物屋、あるいは外国のバーや不思議な店の描写から、ふと過去の時間へ遡って横ばいし、また戻って横ばいする味わいがなつかしかった。とくに最終項のロサンゼルスことLAにおける文章は、LAという街自体への過去と現在の交錯の中に、コミさんらしい人間臭い記憶がからめられ、その自在な展開の妙にうならされたが、読み終ったあとに(絶筆)とあり、不意に恐ろしい寂しさにつつまれてしまった。(JTBより提供)
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