内藤泰宏さんのレビュー一覧
投稿者:内藤泰宏
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バガボンド(モーニングKC) 37巻セット
2000/12/15 15:39
迫真の「顔」で魅せる画力の極北
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井上雄彦の「バガボンド」は、顔で魅せるマンガだ。
「SLAM DUNK」のころから、井上の超絶的な画力には定評がある。セリフを極限まで削ぎおとし、絵だけで見せきった湘北−山王戦は、マンガ史に永遠に刻まれるだろう。そこに描かれた肉体の動きは、凄まじいまでのリアリティにあふれていた。「バガボンド」の滑りだしでも、膂力あふれる武蔵の肉体が踊るさまをたっぷりと堪能できる。
しかしそれは、例えば池上遼一や、寺沢武一の絵が持つ写実的なリアリティとは違う。卓越したデッサンに、マンガならではのデフォルメを加えることにより、現実感を増す「実感的」とでもいうべきリアリティだ。
と同時に、井上は、キャラクターの顔を描くことにも、一方ならぬ執念を燃やしている。その傾向は「SLAM DUNK」後半で強まり、「バガボンド」でさらに増幅されている。特に近刊の宝蔵院編では、アクションが時に筆を多用した抽象的な表現に昇華される一方で、人物の表情は数秒間の微妙な変化を克明に追う精緻な表現に至っている。
セリフやモノローグで安易に説明を加えることをやめ、作為的なジェスチュアで表現することもやめ、キーポイントではドンと大ゴマで表情を描く。しかも、顔のバックには過剰な効果線等が配されることもなく、ひたすら、顔に浮かぶ表情ですべてを表現しようとする。これは、相当な画力がなければできない芸当だ。
おそらく、もっとも顔を書きやすいのが、中高年のキャラなのだろう。顔の輪郭が角張り、幾重にも皺が刻まれ、人生を映して歪んだ顔は、さまざまな感情をたたえて変化する。「バガボンド」にも、数多くのじじばばが登場する。宝蔵院胤栄や、本位田のおばばなど、その極致だろう。
一方で、武蔵や胤舜といった、すっきりとした顔立ちの若者の表情をも、井上は執拗に描きこむ。単行本2冊にわたって繰り広げられる武蔵と胤舜の対決の大部分は、剣を交えるシーンではなく、対峙するふたりの心理、それが発露する表情を追うことに費やされる。じじばばに比べ、若者の顔はのっぺりしている。そこに複雑で微妙な表情を刻むために、井上は、人物の表情、肉体の陰影を描くのに、スクリーントーンをほとんど用いない。おそらく、トーンでは均一すぎて微妙な表情を表現できないのだ。井上の描く顔は、ペンで丹念に陰影が描きこまれ、そこにキャラクターの心や技のすべてがほとばしり出ている。
「バガボンド」を読む者がもっとも圧倒されるのは、技のキレや、流血のリアリティではない。人間ひとりを凝縮してみごとに表現しきった、武蔵たちの顔に「すげェ!」と打ちのめされるのである。
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