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佐々木力さんのレビュー一覧

投稿者:佐々木力

85 件中 31 件~ 45 件を表示

史料に基づき「救国者」としての北条時宗の偶像を破壊する卓抜な本

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 NHKの大河ドラマの影響で、「北条時宗本」と言うべき書籍群が書店の店頭を賑わしている。フィクションであれノンフィクションであれ、大抵の本は、時宗をモンゴルの来襲という「国難」から日本を救った「救国者」にして、34歳で夭折したという悲劇の英雄として描く筋立てだ。ところが本書は違う。もっともNHKの大河ドラマ放映への便乗には違いないのだが、厳密な史料に拠りながら、どちらかというと時宗の偶像を破壊する結果になっている。時宗の実像を探究したいという良心的読者、さらに日本中世史の批判的研究に志したい読者にはぜひお勧めしたい一冊である。

 本書の「山」はいつくかある。鎌倉幕府の政治史の中に北条氏を据え、その背景の中に時宗死後の幕府の実権を握り、しまいには失脚した安達泰盛の役割を浮き彫りにして見せ、日中交流を中軸とした鎌倉仏教史、さらにモンゴルと高麗・日本との関係史を素描してくれたことなどが「山」として指摘できるだろう。中世政治史の古文書をいかに厳密な学問的目を通して読むのかといった地味な歴史学的手腕をかいま見ることができるのと同時に、有名な『蒙古襲来絵詞』の貴重な図版を手堅い解説とともに読者に提供するといった読者サーヴィスの精神をも忘れてはいない。

 ただし、欲を言えば、いくつかの注文はつく。本書は、いくつかの研究論文をそのまま束にしたといった印象が否めない。それはそれでいいのだが、もっと統一したイメージを持てるように抜本的に書き換えたりする配慮が必要ではなかったであろうか? その関係で、時宗の偶像破壊へと踏み込むあまり、「悩み多き凡人」(あとがき)という特徴づけをする結末になっている。著者が提供する史料に基づく限り、たしかに時宗を悲劇の「英雄」とすることはでき難いが、「凡人」と断定するのは言い過ぎであろう。「凡人」の定義にもよるが、たんに「悩み多き青年為政者」ぐらいが妥当な特徴づけだったのではあるまいか。

 それにしても、テレビドラマを始め、時宗はこれまで余りに英雄視されてきた。本書では、日露戦争時と太平洋戦争時に、時宗が「時の人」に祭り上げられたことが紹介されているが、この人物がどのように時流によって都合よく作り替えられていったのかをもっと系統的に知りたい気にさせられる。

 以上で指摘したような要望事項はある。しかしながら、数多くの「時宗本」の中で、やはり本書は抜群の良心の書である。外に手堅いすぐれた研究書は存在する。しかし、それらは本書のような手軽さで読める本ではない。史実よりも面白いドラマはないと言われる。多少は難解でも、テレビドラマの「虚像」と対照させて、ひもといて欲しい一書である。 (bk1ブックナビゲーター:佐々木力/東京大学教授 2001.03.07)

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チンギス・カンのモンゴル帝国がユーラシアを統一し、世界史を変えた!?

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 世界史のヨーロッパ中心史観の歪みが指摘されるようになって久しい。矯正の方向も、世界の「西方」のみならず「東方」をも射程に収めるようにと定まっているのが普通である。しかし、実際にどのように矯正するかについての意見は多様であった。
 本書は、13世紀に世界史の表舞台に登場し、150年続いたのち、再び後景に退いた騎馬民族モンゴルの果たした役割を明らかにした著作である。統一した理念のもとに書かれた一冊というよりは、3つの論文の集成といったほうが適当かもしれない。
 第一章「アフロ・ユーラシア・サイズの歴史像」は、モンゴル帝国出現の前と後とでは、東西の地図がまったく異なることを立証していて面白い。ユーラシア大陸のみならず、アフリカまでもが繋がった地図ができたのは、モンゴル帝国登場以降ということである。第二章「モンゴル時代のふたつの帝都」は、チンギス・カンの孫クビライが、モンゴル帝国の首都を、内陸のカラ・コルムから、大都(現在の北京)に移した理由を歴史的に探っている。第三章「モンゴル時代史の研究—過去・現在・将来」は、モンゴル研究の東西の状況を紹介している。とくに日本人歴史家の貢献を知ることができ、有益である。
 著者によれば、地球を一体化させた「グローバル化」は別に西欧の「大航海時代」に始まったわけではないという。13世紀のモンゴル帝国こそが、東西を結合し、真に地球大の世界観を作るのに貢献したのだと主張する。興味深い観点である。本書からはモンゴル帝国が東西文明を繋ぐいかなる寄与をしたのかは十分にうかがい知ることはできないが、火器などの技術移転のことについて多くの謎を抱えている私などはこういった観点に、つい身を乗り出してみたい気にさせられてしまう。
 本書で一番興味をそそられたのは、モンゴル帝国史研究の歴史に割かれた第三章であった。モンゴル史にアプローチする大道は、漢語によるのとペルシャ語による2つが考えられるらしい。従来は漢語から入るのを専らとした。しかし、近年はペルシャ語からの本格的な研究が出始めたという。ともかく著者の思い入れの強い文体は、歴史へのロマンをかき立ててやまない。
 私はかねて、日本人研究者が貢献できるのは、東西文化を偏見ない眼で比較し、統一した像を作れる学問分野ではないかと考えてきた。日本の前近代文化は中国起源のものであったし、近代文化は西欧起源のもので、均しく東西について語れる強みを持っているからである。その点で、モンゴル帝国史は格好の研究対象と言えるかもしれない。日本人はそれにシルクロードのロマンに引かれる。今後は、シルクロードだけではなく、モンゴル帝国もが日本人の歴史的想像力の対象になるかもしれない。 (bk1ブックナビゲーター:佐々木力/東京大学教授 2001.02.13)

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時流に抗し、1917年のロシア社会主義10月革命を肯定的にとらえる

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 戦争と革命に明け暮れた20世紀が終わろうとしている。この世紀には少なからざる戦争と革命の大事件が起こったが、なかでも1917年10月に起こったロシア社会主義革命と、1939年から45年までの第二次世界大戦が今度の歴史に大文字で記録される事件であったことを否定する者はほとんどいないであろう。

 ところが、1991年暮れのソ連邦解体前後、1917年のロシア社会主義革命を、ほんの一部のボリシェヴィキ党員らによって企てられた「クーデター」にしか過ぎないといった歴史の理解がはびこるようになった。とくに現在の日本の圧倒的多数を支配している考えは、そのような「ロシア革命=クーデター」説かもしれない。本書は、そのような説に真っ向から挑戦した、いわゆる「良心」の書である。しかし、立論は史料に基づいて堅実になされていて、きわめて説得的である。

 著者のマンデルは、1980年代末にはびこり始めた「ロシア革命=クーデター」説、すなわちレーニンやトロツキイら「少数の陰謀家集団」が企てた「クーデター」であったとする流行し始めている説が本当に正しい、歴史的に根拠ある説であるのかどうか、自問自答することから本書の記述を始めている。マンデルの答えは実に明快である。マンデルによれば、ロシア革命は、広範は大衆によって支持され、たしかな目標をもって展開された、真に「革命」の名に値する歴史上の一大事件であった。その目標について、マンデルは述べている。「実際には、ソヴィエトによる権力奪取はいくつかの特定の具体的目標を実現するというきわめて明確な目的を有していた。その目標とは、戦争を即時終結させること、土地を農民に分配すること、被抑圧民族の自決権を保障すること、ケレンスキーがドイツに引き渡したいと願っていた赤いペトログラードの粉砕を阻止すること、ブルジョアジーによる経済のサボタージュをやめさせること、生産に対する労働者管理を確立すること、反革命の勝利を阻止すること、である」(本書、13頁)。さらに、革命は、「クーデター」とはほど遠く、労働者、兵士(その多くは農民出身であった)、女性などが積極的に参加し、ソヴィエト指導部を権力奪取まで駆り立てるという「社会革命」としての性格をもっていたことを、豊富な同時代的証言を引用しながら、著者は説いている。

 マンデルの真面目は、本書の射程を第二次世界大戦まで伸ばしているところにあるかもしれない。彼によれば、第二次世界大戦はロシアの革命をヨーロッパ総体に広げることができなかったがゆえに生じた。革命ロシアは1920年代末から官僚的保守主義の権化=スターリンによって支配され、ヨーロッパにはファシズムがはびこるようになり、大戦が不可避のものとなったからにほかならない。時流に抗した、刺激に満ちた一書ではある。 (bk1ブックナビゲーター:佐々木力/東京大学教授 2000.09.14)

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魅力に溢れ、気骨あるヨーロッパの小国スイスはいかにして現在のような姿をとるようになったか

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 ヨーロッパには魅力溢れる個性的な国がいくつもある。英国、フランス、ドイツといった歴史ある大国は言うまでもなく、地中海に面し、陽光に輝くスペインやイタリアの魅力は忘れがたいし、またデンマークを始めとする北欧諸国は、環境先進地域として、現代日本に大きな教訓を与えてくれること疑いないであろう。しかし、一度スイスを訪れたことのある人なら、ヨーロッパの中央部に位置するスイスの風光と精神的雰囲気を称賛せずにはいられないはずである。本書は、その魅力溢れる小国スイスの歴史を古代から現代まで通覧した良書である。

 スイスは美しい山岳にめぐまれた小国であるが、この小国がまたいくつかの地域に分かれている。言語的には、ドイツ語・フランス語・イタリア語の公用語のほか、レートロマンス語が話される地域もある。宗教も、キリスト教の各宗派が共存している。政治的には、国際連合にも加盟せず、欧州連合にも参加しようとしていない。戦後の一時期、わが国が目指すべき国家として「永世中立国」=スイスが喧伝されたこともある。

 このような現代スイスが歴史的にいかにして生まれたのか、そして今後どうなっていこうとしているのかを知りたい人は多いに違いない。本書は、ごく限られたスペースで、このような読者の要求に応えようとしている。スイスが、中世のある時期には、傭兵を多数抱えてヨーロッパの戦争に送り込んでいたこと、そして、宗教改革期には、カルヴァンがジュネーヴを拠点に、またツヴィングリがチューリヒを拠点に活躍したことなど、この国を理解する上で必須の歴史的知識はもちろん、19世紀以降の産業社会の中で、労働者階級がいかなる対応をしたのかといった記述にも事欠かない。欲を言えばきりがなかろうが、ともかく、スイス史への入門書として推奨できる内容を盛り込んでいる。

 ところで、スイスの魅力とはいったいなんなのだろうか? 現在の「永世中立国」としての政体の理念は一朝一夕にできあがったのであろうか? スイスは、それぞれの地域が独自性を強く主張し、さらに主張するだけではなく責任も分担するといった形態の民主主義を長い時間をかけて定着させていった国家である。わが国は、ともすれば英国、フランス、ドイツといったヨーロッパの大国、そして戦後はアメリカを国家目標にしてきた。けれども、スイスや北欧諸国のように国民の生活を第一義にしている小国のことを忘れてはならないのではないか。大国はややもすれば戦争に走りがちになる。が、小国は平和を大事にする。かつては日本も「東洋のスイス」を目指していたことを思い起こす必要がある。現代日本では「日本を普通の国家に」という声が高い。しかし私は、この際、むしろスイスという平和な小国のことを思い起こすことをこそ薦めたい。 (bk1ブックナビゲーター:佐々木力/東京大学教授 2000.09.14)

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バロック音楽の巨匠が生きた場所を経巡り、名曲成立の舞台裏を探る

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 ヨハン・セバスティアン・バッハといえば後期バロック音楽の巨匠だが、わが国から地理的にも精神的にも距離的にはるかに離れたドイツのアイゼナッハに1685年に生まれ、ライプツィヒで1750年に死んだ。没後ちょうど250年になるわけである。そういったバッハには、どういうわけか日本にもファンが多い。バッハの全曲を詳細な解説付きでCDに収めた『バッハ全集』が小学館から刊行され終わったばかりだ。私も、そのなかの一巻に、「バッハの音楽と数学」という「ピクトリアル」を担当するという名誉ある役割を与えられた。西洋数学史とバッハの音楽との関連を美しい写真付きで綴ったのであった。かなりの高額な全集であり、また内容も高度なものであったが、数千部の予約があったという。近年の出版不況に照らし合わせれば、破格の売れ行きといってよい。

 高名であり、地理や時間を飛び越えて生き続けるバッハではあるが、あまり動き回らなかった。ドイツのごく限られた土地に、音楽職人としての生涯をおくった。ルター派プロテスタントとして実に深い宗教性をたたえた音楽を創造し、それほど長いとは言えない生を終えているのだが、それで、永遠の芸術家としての生を享受しえているのである。まさに、「人生は短し、芸術は長し」、の感が深い。しかし、このようなバッハも啓蒙主義的世俗主義の時代がやってくると「時代遅れ」の烙印を押されずにはいられなかった。どうして、バッハは現代に復活したのだろうか? それは、あらゆる流行を拒絶する芸術の高さのゆえであろう。

 このようにバッハの音楽は普遍的だが、このことはバッハが地域性と歴史性を超越していたことを意味しない。深く土地に根差し、強く時代と結びついていたがゆえにこそ普遍性を獲得しうるという逆説的な運命をバッハの芸術はもっているのかもしれない。それだけに、バッハが生き、卓越した音楽を創造した、さまざまな土地を訪れてみたいファンは少なくないに相違ない。本書は、バッハの音楽に通じた加藤浩子が訪れた土地にちなむエッセイを書き、それに若月伸一が美しい写真を添えて出来上がった。文章は軽快で、カラー写真は輝いている。それにバッハに関連して選りすぐられた歴史図版も貴重なものばかりだ。

 バッハの音楽はさまざまに演奏される。そして、その曲はさまざまに聴かれる。それなら、バッハゆかりの旅もさまざまにたどられて悪いはずはない。本書を携えてドイツへの旅に出たらどうだろう。バッハの音楽を聴く耳もまた、別のものに成長しているはずだ。『バッハ全集』、多様なバッハ伝、種々のバッハ事典の書棚に、本書をも加えられることをお勧めする。 (bk1ブックナビゲーター:佐々木力/東京大学教授 2000.09.06)

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現代中国の「開国の父」〓(とう)小平の最も困難な時代に関する娘による詳細な伝記

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 現代中国では、毛沢東を「建国の父」、〓小平を「開国の父」と称する(〓は登にオオザト、以下同じ)。〓小平は、毛死後の1978年から実権を掌握し、「開国開放」をスローガンに現代の活気ある国家を築く土台を据えた人物である。その人物は1966年から76年までのほぼ10年間、不遇な境涯をかこった。本書の副題に見える「文革歳月」とは、その不遇時代を意味する。政治史の表面には出てこない〓小平の三女の目から見た姿が、本書の主題にほかならない。本書は〓小平の前半生を描いた前作『わが父・〓小平』長堀祐造ほか訳(徳間書店、1994年)に引き続く著作だが、前作の直後の時期を扱っているわけではなく、〓小平の最も謎に満ちた時代について記述した伝記なのである。実際、中国共産党の主流派である毛沢東を始めとする、いわゆる「文革派」と彼との確執は実に面白い。
 中華人民共和国の建国直後の政治指導部には、大雑把に分類すれば、毛沢東を中心とする中央派と、劉少奇を始めとする実務派という2つの傾向があった。1960年代半ば老齢期にあった毛沢東は、自らの後継者のことを気にするようになり、いわゆる「文化大革命」を始めることになった。劉少奇のすぐ下に位置していた政治家が〓小平であった。彼らは、「資本主義への道を歩む実権派」というレッテルを貼られ、「文革」時、批判の標的になった。劉は「文革」開始直後に迫害の末、亡くなったが、〓小平は田舎の工場に左遷されつつも、浮上の機会を狙っていた。事実、毛の後継者と目されていた林彪が失脚し、死亡すると、〓小平は中央に呼び戻された。その後、彼は周恩来の下で行政の中枢に座るが、周の没後、再び失脚、再度浮上したのは毛の死後のことであった。
 本書の最大の面白さは、〓小平が柔軟に、しかし、頑固に自己の政治的立場を特に毛に対して貫徹する姿である。娘の筆になるだけに、父親自慢が気にならないわけではないが、それにしても〓小平の粘り腰は見事なものである。しかしながら、〓小平が礎石を置いた現在の中国は安泰であろうか? 市場化どころか、資本主義への道へと突っ走っているかにすら見えるのが昨今の中国である。私はつい先日の5月末、中国共産党の建党者陳独秀についての会議に出席のため、南京大学に行ってきたばかりであるが、〓小平とて盤石な思想的基礎を築いたわけではないのではないか、という印象を強くした。今度はプロレタリア民主主義派の陳独秀=トロツキイ派の復権となるかどうか。21世紀中国の行方は目が離せないほど面白い。 (bk1ブックナビゲーター:佐々木力/東京大学教授 2002.07.06)

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紙の本佐久間象山と科学技術

2002/06/24 22:15

幕末洋学の鬼才、佐久間象山による西欧科学技術の知識の実像に迫る

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 佐久間象山(1811-1864)は、日本のみならず東アジアの近代史にとって極めて重要な思想家だ。われわれには、「和魂洋才」の標語で親しまれている「東洋道徳、西洋芸術」という概念を提出した人物として最も著名だが、アヘン戦争敗北後の東アジアにあって、国家の独立を保障する軍備のために西欧科学技術の導入を呼びかけた功績は不滅である。勝海舟や吉田松陰といった著名な門人がいたことも周知だ。そういった重要な人物の欧米科学技術の知識の実像に迫ろうとして成ったのが本書だ。本来は大阪府立大学に提出された博士学位論文である。
 私は以前、佐藤昌介氏の『洋学史の研究』(中央公論社、1980)をひもといた時、象山のオランダ語の知識がとても貧弱であったことが立証されていて、興醒めしたことがある。象山には一般に虚言癖といっても過言ではない大言壮語のきらいがあったらしく、多少いかがわしい人物という先入観で象山を見ていた。そのような性格は全面的には否定できないだろうが、しかし、歴史を動かした人物が語学の知識も正確無比な大秀才だけであったと考えるのは、別の先入観というべきであろう。とりわけ先覚者の偉大な思想は、小秀才が及びもつかない構想から出現するものなのである。
 本書は、幕末洋学を色濃く特徴づける大砲術等の軍事技術から始め、殖産技術としてのガラス作りの試み、地震予知のための器具、電気治療機等が写真入りで紹介されている。さらに象山が望遠鏡にも関心を持っていたことも分かる。ともかく、象山の科学技術に対する並々ならぬ関心の強さのほどが実見できるようになったことを喜びたい。
 このような先駆的業績を挙げた象山だが、公然と開国を唱えたため、明治維新を待つことなく、攘夷派によって暗殺されてしまう。「預言者故郷に入れられず」を地でいったような人である。小才ばかりが幅をきかせている時勢にあって、このような先覚者の意気にこそ学ぶべきであろう。 (bk1ブックナビゲーター:佐々木力/東京大学教授 2002.06.25)

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紙の本フレーゲ著作集 6 書簡集

2002/06/21 18:15

フレーゲの思考の展開過程を克明に再構成できる貴重な史料集

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 20世紀の科学哲学にとって、フレーゲの論理主義的「客観主義」が極めて重要な役割を果たしたことが今日認められつつある。それに比肩できるのは、数学者カントルの集合論のみであろう。面白いのは、カントルの集合論にせよ、フレーゲの論理学にせよ、いずれも当初のもくろみは挫折し、それらの大幅な修正版が今日の数学・論理学の姿になっていることである。当初のもくろみがどのようなものであり、またどのように修正されていったのかを再構成することが、重要な学問的課題になっていると言っても過言ではない理由がここにある。
 19世紀末から20世紀初頭までは現代思想が成立した時期であり、そのような学問的激動にとって、ドイツの学者たちが大きな役割を演じた。フレーゲもその一人である。全6巻の邦文著作集の最終巻である本書には、フレーゲの思想の展開過程を辿るのに極めて重要な書簡集、それにわずかだが晩年の日記も収録されている。フレーゲと書簡を交わした数学者・哲学者は、フッサール、ヒルベルト、クーチュラ、ラッセル、ウィトゲンシュタインなどで、フレーゲがいかに優れた学者たちとの学問的交換から多くの思想的養分を獲得し、また養分を与えていたかが忖度できようというものだ。
 若きフッサールの『算術の哲学』をフレーゲはどう評価したのか、また、カントルのいわゆる「素朴な集合論」に一定の挫折を味わわせることになる、極めて著名なラッセルのパラドックスをラッセルはフレーゲにどのように伝えたのか等を知ることができる生の史料、そして、晩年のフレーゲの反ユダヤ主義とはいかなるものだったのかを直接目の当たりにできるフレーゲの「日記」もが本書には収録されている。
 それにしても、数学を哲学的に基礎づけようとする西欧の学者たちの思索の堅実さ、粘り強さには驚嘆する。そして、そういった基礎が当初予想していた形では存在しないことに気づかされてゆくことになって現代思想の重要な認識がもたらされる。そのような経緯が本書には凝縮された形で詰め込まれていると言うことも可能である。いわば、「中身の濃い」一冊なのだ。 (bk1ブックナビゲーター:佐々木力/東京大学教授 2002.06.22)

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世界的に稀有のわが国蘭学期をピクトリアルに回顧する

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 2000年はオランダ人が大分沖に漂着してから400年目にあたっていた。それで、いくつもの記念行事が行なわれた。本書のもととなった「出島の科学」展覧会もその一例である。私も東京大学の物理学者たちとオランダの物理学者たちによって共催された日光での国際会議で、蘭学について講演させられた。本書は、前記「出島の科学」展覧会図録を新たに編纂して、一般の読者に供したものである。
 17世紀初頭から江戸時代に発展を見た蘭学は、世界的に見ても極めて特異な学問運動であった。蘭学が根づいた中心地は長崎と江戸(東京)であったが、幕末期には、津山も中心のひとつとなり、人材が輩出した。津山洋学資料館は、日本の蘭学研究で特筆されるべき研究所である。蘭学が存在していなければ、幕末・明治維新期にあれほど急速に西欧学問が日本に移植されることはなかったに相違ない。蘭学は日本にとって、それほども重要な学問形態であったのである。
 本書の最大の特徴は、印刷されたさまざまの図版や写真の美しさであろう。日本が最初に体系的に西欧数学を導入したのは、1855年開設の長崎海軍伝習所においてであるが、そのカラー図版も見事に復元されている。
 さらに、蘭学にまつわる事績を時系列的に並べて行なった解説も的確で見事である。シーボルトなど長崎で日本人を教育した学者についてだけではなく、蘭学に携わった日本人たちについての記述も充実している。当然、焦点となった学問の中軸は医学、薬学、自然誌であるが、幕末の軍事科学への移行に関しても堅実な理解が得られる。
 現在、出島は復元工事中である。江戸時代当時の姿が見られる日も遠くはないであろう。これだけ面白い学問史の紹介は日本人にだけ留めておくことなく、ぜひとも英語にでも翻訳し、世界に向かって発信すべきであろう。 (bk1ブックナビゲーター:佐々木力/東京大学教授 2002.05.25)

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紙の本ソーラー地球経済

2002/05/14 22:15

化石エネルギーから自然再生エネルギーへの環境資源革命の呼びかけ

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 21世紀は環境資源革命の時代と言われる。これまで人類が科学技術文明の動力として使用してきた石油・石炭などの化石燃料が世紀前半で枯渇することが予測され、それゆえ、化石燃料に代わるエネルギーが必要とされ、それに伴って政治経済も大きな変容を余儀なくされるものと考えられているからである。わが国政府は、現在、化石エネルギーに代わりうるエネルギーとして原子力エネルギーの効用を喧伝している。原子力はクリーンなエネルギーであるという宣伝文句を使ったりして、人を驚かせたりもしている。だが、その原子力エネルギーの中核であるウラニウムですら、化石燃料と同じく、あと数十年で枯渇してしまう運命なのである。それでは、何が本格的な代替エネルギーとして有望であると考えられうるのであろうか? 最も有力なのは、風力、太陽熱、バイオマスなどの自然再生エネルギーであろう。実際、環境革命の最先進地域である北欧諸国やドイツなどでは、風力エネルギーへの依存が飛躍的に増大している。
 本書は、さまざなな再生可能エネルギーの中でもソーラー(太陽光)エネルギーに着目し、その資源としての大きな可能性、そして経済利用の魅力などを多面的に論じた著作である。そして、環境革命を根源的に推進しているドイツの経験をもとにして、ソーラー・エネルギーへの転換が、いかに人間の生活を多面的に好ましい方向へと変化せしめるのかを実に具体的に、しかも説得力をもって説いている。
 もっとも、ソーラー・エネルギーを中心とする自然エネルギーへの本格的な転換のためには、多くの技術上の問題を解決しなければならず、それほど転換は容易なわけではない。しかし、ともかく経済的にも技術的にも確実に袋小路にある原子力エネルギーなどよりは、希望が託せるエネルギーであることは間違いない。自然科学的かつ社会科学的に総合的に構想された環境資源革命への本書の提言から学ぶべきことは余りに多い。 (bk1ブックナビゲーター:佐々木力/東京大学教授 2002.05.15)

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音楽論を通してみたデカルト思想の新解釈

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 デカルトは近代思想の創設者といっても過言ではない思想家である。まさしく「近代」を代表する学者であるがゆえに、「ポストモダニズム」が大流行した近年では、いたって人気が悪い。しかし、「ポストモダニズム」の流行が終わった現在、彼の実像の再構成は必須である。その実像からこそ学び、乗り越えて行かなければならないからだ。デカルトが最も著名なのは哲学者としてだが、数学者、自然科学者としての業績も超一流と言ってよいほどである。デカルトが1619年初めに知り合ったばかりのオランダ人の年長の友人に贈った『音楽提要』と題された音楽を理論的に基礎づけようとした著作がある。最近、この著作に注目が集まっている。マイナーな著作でもともかく研究してみようというのが本音だろうが、数学、美学、哲学を横断する書き物にデカルトの意外な一面を探り当てようとする真剣な意図もが存在することは否定できないだろう。
 本書の著者は音楽にも一時志したほどの音楽通であるらしい。また、数学徒であったこともあるらしい。そして現在の専門は哲学である。ラテン語やフランス語の素養に加えて、以上のような経歴であるから、本書にはまさに打ってつけの著者であるというところであろう。デカルト学者としての私の評価を言えば、音楽論に関してはかなり学ぶ点が多い。しかし、どうも数学と哲学の接点を描いた個所は「デカルト的明晰さ」に欠ける。本書は元々は筑波大学における博士学位論文である。それで、衒学性はあり、著者は博識なのだが、デカルトの哲学、数学、音楽美学を貫徹した論理性の面白さはそれほど伝わってこない。しかしながら、「比例」思想という側面に着眼したのはおおいに買う。なぜなら、比例論こそ、デカルトの生涯を貫徹した代数学的思想を古い言葉で言い換えたに過ぎないからである。
 デカルトの音楽思想という知られざる側面に注目した創意と、この思想家の多面性に改めて光を当てた功績によって本書は評価されるべきであろう。 (bk1ブックナビゲーター:佐々木力/東京大学教授 2002.05.10)

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ガリレオの長女の書簡に基づいて見た最初の近代科学者の実像

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 ガリレオ・ガリレイは、17世紀の科学革命、すなわち近代自然科学の誕生に立ち会った大科学者として著名である。望遠鏡による天体観測、落体法則の発見、それに温度計の発明も彼によるものだ。振り子時計の考案者でもある。また、コペルニクスが提唱した太陽中心的宇宙論を『天文対話』(1632年)で支持した廉で、ローマ・カトリック教会の裁判で「異端」とされ、幽閉の身となった。それで、ガリレオの悲劇を扱った史書もたくさん書かれている。しかし、この大物理学者の人間性というと、はっきりとは分からないのが実情であった。ところが、彼には内縁の女性との間にヴィルジーニアという洗礼名をもった長女がいたことが知られていた。彼女は修道院に入り、マリア・チェレステと名乗るようになった。ガリレオにはほかに娘がひとりと、息子がひとり存在したのだが、この長女は殊の外聡明で有名であった。本書はガリレオの長女が遺した140通余りの書簡を通して見た、ガリレオの人間像を活写した得難い科学史書である。自然科学の内実を解説した本というよりは、17世紀前半のガリレオという著名な人物を娘の書いた手紙によって再構成してみせた歴史書であり、その意味でのノンフィクション文学である。
 「最愛の父上様、今こそ、以前のいかなるときにも増して、主なる神が御身に授け給うた思慮深さを発揮すべきときだと思います。父上の信仰、仕事、年齢に伴う精神の強靱さをもって、これらの打撃に耐え抜くのです」——1633年7月2日、ガリレオに裁判で「有罪」判決が出た直後のマリア・チェレステが書いた書簡の中の文章である。こういった娘の手紙によって、ガリレオはどれほど慰められたか計り知れない。本書には、書簡の写真も印刷されているが、その几帳面で美しい書体は、この娘の人間性の一斑をかいま見せてくれている。私はガリレオの墓をフィレンツェのサンタ・クローチェ教会に訪ねたことがある。本書によれば、碑文はないが、長女の遺体は父の傍らに眠っているそうだ。 (bk1ブックナビゲーター:佐々木力/東京大学教授 2002.05.09)

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西欧に先立って書物文化を確立し印刷術をも始めた中国の長大な歴史を辿る

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 印刷術と言えば、人は直ちに15世紀ドイツのグーテンベルクの活字印刷術のことを思い浮かべるかもしれない。しかし、最初の印刷物は韓国にあり、その直後のは、わが国の法隆寺にある。韓国の仏教印刷物は西暦751年に刷られ、グーテンベルクより700年は早い。そう言うと、東アジアのはせいぜい木版印刷であろうという反論が予想される。なるほど現存印刷物はそうだが、陶版や金属版のも知られていた。グーテンベルクのは、可動活字を合金で作製して書物を大量生産できるようにし、その後の西欧文化を大きく変えたのが新規な点なのである。このことは、カーターの名著『中国の印刷術』(平凡社東洋文庫)でも確認されている。本書の冒頭には、グーテンベルク直後の印刷本を見た中国人が、「何だ明版ではないか」と言って、それほど有り難がらなかったという痛快な話が紹介されている。と書けば、中国の悠久な出版文化の歴史がいかに面白いか想像がつこうというものである。
 本書は、古代の竹簡の時代から、紙の発明を経て、木版印刷が普及し、さらにそれが一時的に衰退し、再度明末に隆盛を迎えるといった歴史を淡々と叙述している。印刷技術史というよりは、書物文化史と言った方がよいであろう。所々に面白いエピソードも紹介されており、たとえば白楽天が大変な「受験秀才」であった話などは愉快である。また、どれほど書物の生産が高価であったか、にもかかわらず筆写の時代から印刷書の普及によって、ある知識人が書物文化の低劣化を嘆いた話などが興味深い。著者にはもっと先に筆を進めて清朝時代や現代にまで歴史記述を成し遂げて欲しいものである。
 しかし、省みれば、今、書物文化は大きな転換期を迎えている。コンピューター・メディアの登場によって「活字人間」は肩身の狭い思いを強いられつつある。新時代をいかに迎えるか心構えを作るためにも、本書は面白い読み物になるであろう。ちなみに、現代中国では若者たちが真剣に本を手にとり、本が売れているそうである。日本の書物文化の衰退と対照的な現象ではある。 (bk1ブックナビゲーター:佐々木力/東京大学教授 2002.04.19)

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紙の本歴史としての戦後日本 下

2002/04/15 22:15

アメリカの日本学者から見た多面的な戦後日本像

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 1945年に第二次世界大戦で日本が敗北してから57年を迎える。かなりの長い時間である。にもかかわらず、戦後日本を学問的な目で見直そうとする動きはほとんどない。昨年、ダワーの『敗北を抱きしめて』が翻訳出版されて話題になり、海外の研究者の目が確かであるとして、注目を浴びた。日本国内の知識人のふがいのなさと比較してのことである。本書は、アメリカの有力な現代史家たちが約10年前に刊行した著書から9編を選択し邦訳されてなった論文集である。政治、経済、社会、文化、思想と多面的な角度から戦後日本を照射しており、この時代に生きた者に大きな感懐をもよおさせることは必定であろう。本書を呼び水にして、日本人自身が現代に関して省察するよすがとすべきであろう。
 戦後の日本は「対米従属」に明け暮れた時代であった。昨年の同時テロの後も、その傾向は著しかった。21世紀は日本人がいかに主体性を取り戻すかが最大の課題として背負う時代になるかもしれない。というのも、本書の諸論文のほとんどが示しているように、必ずしも戦後の歴史は、現在のようにほとんど対米一辺倒で動いてきたわけではないからである。最後の論文、コシュマンによる「知識人と政治」は、日本人が戦後次第に喪失してきたものが何であったのかを教えてくれているようである。戦争直後、日本人は自前の「民主主義」を建設しようとして、苦闘していた。それが、1960年代の高度経済成長期に、何か大切なものを失っていったようである。そのことは、80年代に経済的な頂点に上り詰めると傲慢な程度にまで明白になった。日本人は、世界の最先端に躍り出たかのように錯覚したのである。そして、90年代の「空白の10年」後の現在も、かつての「夢よもう一度」といった幻想を持ち続けて、迷走しているのである。
 他国の歴史家の目を通して、ともかく、私たちは現在置かれている位置を再確認し、今後辿る道を真剣に模索し直すべきであろう。私自身は、本書に収録されている諸論文の視点に満足しえているわけではないが、ともかく、反省のための素材はたくさん得られたように考えている。 (bk1ブックナビゲーター:佐々木力/東京大学教授 2002.04.12)

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紙の本歴史としての戦後日本 上

2002/04/15 22:15

アメリカの日本学者から見た多面的な戦後日本像

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 1945年に第二次世界大戦で日本が敗北してから57年を迎える。かなりの長い時間である。にもかかわらず、戦後日本を学問的な目で見直そうとする動きはほとんどない。昨年、ダワーの『敗北を抱きしめて』が翻訳出版されて話題になり、海外の研究者の目が確かであるとして、注目を浴びた。日本国内の知識人のふがいのなさと比較してのことである。本書は、アメリカの有力な現代史家たちが約10年前に刊行した著書から9編を選択し邦訳されてなった論文集である。政治、経済、社会、文化、思想と多面的な角度から戦後日本を照射しており、この時代に生きた者に大きな感懐をもよおさせることは必定であろう。本書を呼び水にして、日本人自身が現代に関して省察するよすがとすべきであろう。
 戦後の日本は「対米従属」に明け暮れた時代であった。昨年の同時テロの後も、その傾向は著しかった。21世紀は日本人がいかに主体性を取り戻すかが最大の課題として背負う時代になるかもしれない。というのも、本書の諸論文のほとんどが示しているように、必ずしも戦後の歴史は、現在のようにほとんど対米一辺倒で動いてきたわけではないからである。最後の論文、コシュマンによる「知識人と政治」は、日本人が戦後次第に喪失してきたものが何であったのかを教えてくれているようである。戦争直後、日本人は自前の「民主主義」を建設しようとして、苦闘していた。それが、1960年代の高度経済成長期に、何か大切なものを失っていったようである。そのことは、80年代に経済的な頂点に上り詰めると傲慢な程度にまで明白になった。日本人は、世界の最先端に躍り出たかのように錯覚したのである。そして、90年代の「空白の10年」後の現在も、かつての「夢よもう一度」といった幻想を持ち続けて、迷走しているのである。
 他国の歴史家の目を通して、ともかく、私たちは現在置かれている位置を再確認し、今後辿る道を真剣に模索し直すべきであろう。私自身は、本書に収録されている諸論文の視点に満足しえているわけではないが、ともかく、反省のための素材はたくさん得られたように考えている。 (bk1ブックナビゲーター:佐々木力/東京大学教授 2002.04.12)

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