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尾崎 雄さんのレビュー一覧

投稿者:尾崎 雄

11 件中 1 件~ 11 件を表示

そのとき1億人が死ぬ。エイズよりも恐い感染病,インフルエンザの襲来は防げない!?

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ”風邪”で日本だけでも38万人が死んだ。1918年に世界全体で4000万人の死者を出したスペイン風邪である。その元凶,インフルエンザ・ウィルスは地球上のどこかに潜んでいて何かの拍子に目を覚まして再び人類をおそったら,1億人が死ぬ。その可能性は100%——これが本書の結論だ。
 予防は困難である。 個人接触で感染するエイズ・ウイルスは個人的な注意によって予防でき,たとえ感染しても発病の遅延や病気との共生が可能になった。だが,インフルエンザ・ウィルスは空気で感染する。セックスを自制できる人はいても,呼吸をしないで済む人間はいない。
 また鳥や豚のインフルエンザ・ウィルスが遺伝子間の組み替えを起こして種の壁をえ,殺人ウィルスに“進化”する。その兆候は1997年に香港で起きた。移動手段が海路と陸路に限られていた1918年当時と異なり,空路が発達・普及した現代では,ウイルスに感染した人間と汚染物資は,コンピューター・ウィルスのように十数時間で全世界に拡散する。
 ワクチンによる予防も世界の全人口をまかなう量の生産設備は政治的・経済的理由によって不足し,たとえ生産可能であったとしても,経済的に貧しく政治的に不安定な途上国には行き渡らない。結局,地球規模で殺人インフルエンザがまん延するというわけだ。
恐怖の予感は杞憂ではない。それを著者は,生々しいスペイン風邪の”殺人記録”を丹念に紹介し,香港,アラスカ,カナダ,ハワイ,オランダ,英国,米国にまたがる現地取材によって検証していく。組織と人間のかっとう,科学者の名誉欲と研究競争,仕事の生きがいと老後など,人間ドラマの横糸を織り交ぜながら殺人ウィルスの正体を追う。
 スペイン風邪のウィルスの現物を入手しようと,北極圏の墓から遺体を発掘する人間群像を描くなど,猟奇的な好奇心をそそる筋立ても巧みである。
(C) ブックレビュー社 2000

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紙の本命があぶない医療があぶない

2001/03/06 18:16

住民中心の医療とは?明治,大正,昭和3代にわたる地域医療先駆者たちから聞き取る21世紀病院像

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 若月俊一(佐久総合病院),早川一光(堀川病院),増田進(国保沢内村病院)の3人の元病院長はわが国地域医療のパイオニア。彼らを師と仰いで地域に開かれた病院作りに取り組んできた鎌田實諏訪中央病院院長が,3人にインタビューして個性的な地域医療論を展開する対談集だ。
 明治43年生まれで元マルクス・ボーイの「農村医学の父」若月氏,大正13年生まれ,京都の「わらじ医者」早川氏,昭和9年生まれで全国に先駆けて「老人医療費無料化」を実現した増田氏という3人がどのようにして,終戦直後から高度経済成長期,バブル崩壊までの半世紀にわたり,それぞれ長野県の農村,京都・西陣,岩手県の豪雪地帯を舞台に人間の顔をした医療を実現してきたのか? いわく「ヴナロード=民衆の中へ」(若月氏),「間の医療」(早川氏),「医者は侍,ガンマンだ」(増田氏)。市民不在の医療が跋扈(ばっこ)するいま,永遠の青年医師らの熱い想いがほんとうの「医」のカタチを指し示す。
(C) ブックレビュー社 2000-2001

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敬虔な仏教徒医学者が「生と死は一体」と説く

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 「宗教なき科学はかたわであり,科学なき宗教は盲目である」(アインシュタイン)。京都大学名誉教授・医学博士で元京都府衛生研究所所長の著者によると「体内の細胞の死は誕生のときから始まっており,個体は生きながら死に,死にながら生きている」そうだ。,「医学的にみても老化は生まれながらにして進行しており,生きることが死の過程を示す現象になる」と指摘する。
 「死によって生は可能であり,生によって死は運営されている。ここに生死は一如」だとか。「生と死とは共存というより共生しているにもかかわらず,近代文明は死を忘却させるような仕組みになっているし,そのためまた生の実態をも見失わせようとしている」。それは医療における信仰の不在に起因する。たとえば日本の医師の65%は「宗教は医に必要なし」と考えているが,それこそ徒な延命に代表される医療の昏迷をもたらしているとし,「たとえ信仰はもたなくとも,死観についての正しい認識はもってほしい」と医師に注文する。一方,仏教者に対しては,ホスピス活動の形で医療現場にスピリチュアルケアをいちはやく実践したキリスト教と比較しながら,葬式仏教に安住してこの分野で出遅れた日本仏教に奮起を促している。
 著者は他力本願の教えに基づく浄土真宗を篤く信仰する仏教徒。その死生観は「なごりおしく思えども,娑婆の縁つきて力なくおわる時に,かの土へはまいるべきなり」(『歎異抄』第九章)という親鸞の言葉に集約されている。『歎異抄』を中心に古今東西の哲学者,科学者らの名言と織り交ぜながら「医」における魂の救済の大切さを切々と説く,その文章はビハーラ(仏教思想に基づくホスピス)で行われる法話のようにわかりやすい。安楽死と尊厳死,脳死問題の入門書としても手ごろである。
(C) ブッククレビュー社 2000

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紙の本生と死のケアを考える

2000/12/16 21:15

若手研究者の新鮮な論文が21世紀の死生学と終末期ケアの地平を拓くニューエイジ台頭を予感させる

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 執筆者12人のうち8人が20〜30歳代。残り4人は40代2人,50,60代各1人という世代構成でもわかるよう,本書は有名人による“定説”の「暖め直し」論集ではない。ホスピス・終末期ケアが医療界の“異端児”として我が国に産声を上げておよそ4半世紀。いまやカリスマ的なホスピス医がパイオニア・ワークを演じる時代の幕を下ろし,新世代に属する若手研究者・実践家による建設的な批判によって21世紀にふさわしい第2ステージに移るときだ。
 本書では我が国医療制度の基本的欠陥として「死の教育の不在」を指摘したうえでボランティア神話への疑問,終末期ケアと痴呆老人問題の共通性,ホスピス・ブームおよび終末期医療の「理想化」に対する危惧など,新鮮な視点による問題を提起。忘れられがちだった人生の意味(ミーニング・オブ・ライフ)再興を促す。終末ケアの理想化に一定の距離を置きながら現代医療の限界に挑む。2000年度のこの分野における収穫といえよう。
(C) ブッククレビュー社 2000

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紙の本生きる権利と死ぬ権利 新装

2000/11/08 12:15

生命の尊厳より重い人間の条件。いのちの所有権を握るのは個人か社会か——生命倫理のタブーに挑む

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 「《生命の尊重》という表現」はタブーになってしまった——これが本書のスタートラインである。「生命崇拝はわれわれのエゴイズム」。本書は「生命崇拝」に敢えて疑問を呈する。「……確かに人間は考え,愛し,行動するけれども,生命は考えたり,愛したり,行動したりはしない。人間が主語であり,彼が生命を生きるのである」と現代のタブーに挑戦する。
 著者は元フランス大統領,首相の事件を担当したこともある著名な弁護士。「社会があらゆる生命を一つ残らず守る,というわけにいかず,(死の)危険と(生の)機会を分別することを選ばざるをえないのであってみれば,生の権利もさまざまな人間の権利の一つとして登録されることになり,それらの権利と同様,妥協を避けて通ることはできないのだ」。すなわち「われわれの地球が《すべての生命を生かす政治》を選択することはありえない。(中略)すべての生命を生かすことはできないのである」という前提に立って,生と死という哲学的なテーマを,広汎な学識を駆使してリアルに論じていく。
 医療と生命科学が人間の理性を超えたスピードで“発展”していく結果,「生きる権利」も人間の諸権利の一つとして割り切らざるを得なくなった。それは「医の権力」が「生命の質」を置き去りにしてきたからだと指摘,さらに人間の権利としてのクオリティー・オブ・ライフの発見,自殺の権利,生命の値段,安楽死,断種などデリケートな「生と死の権利」に踏み込んで大胆な所説を述べる。その論拠はローマ法王ピウス12世の宣言だ。法王は《生命の維持》と《真に人間的な生命の維持》とを峻別し,人間と肉体的生命との区別を承認した。「肉体の所有権と生命の所有権」が対立の焦点になったとき,「人間の生命とはいえない生命への偶像崇拝」という「倒錯」を排すべきだと主張し,それが「英知が導く健全な自由主義」だというのだ。「もはや自分が自分でなくなるようなことが起きたとき,同情や憐れみを受けることはなんと悲しいことだろう…。私自身であることをやめる日がきたら,私の望むことは,結局は生の否定であるような生存を,心からのねがいとして短くしてもらいたい」(フランスのある政治家の信条)。
 著者は医師会顧問を務めるなど生物・医学にも造詣が深い法律家。本書の初版は1975年。元東大附属病院長の森岡恭彦医師が発刊の翌年から10年がかりで翻訳した。いまや臓器移植,安楽死など生きる権利と死ぬ権利は医療・法律の専門家だけでなく普通の人々にとっても自分自身の問題になっている。医学・法曹界だけでなく一般市民にもお薦めしたい一冊。2000年の我が国の死亡者数は初めて100万人を超え,その80%以上が死にどきを待つ高齢者なのである。
(C) ブッククレビュー社 2000

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紙の本福祉国家の再検討

2000/10/06 15:15

財政高負担とグローバル化の内憂外患に直面する「混合福祉」の行方を北欧諸国から占う

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 本書によれば,ある社会における福祉の総量は家族福祉と市場福祉と国家福祉の総和である。社会民主党政権の下に経済成長,完全雇用に基づく個人・政府の高負担と地方分権によって支えられてきた北欧諸国の福祉の総和は,長期不況によって曲がり角に立っている。スウェーデンは福祉支出カットという改革を断行し,新たな経済成長によって福祉国家のエンジンを再起動し,福祉水準を取り戻そうとしているのだが,EU加盟という経済のグローバル化によって,国内大企業は海外に脱出するなど経済成長と福祉推進との歯車は噛み合わない。なぜスカンジナビア型福祉国家が困難に直面しているのか。
 本書は,「福祉ミックス」ともいうべき福祉資本主義の基本構造と問題点を各国別に洗い出す。遅れてきた福祉資本主義によって超高齢社会を乗り切ろうとするわが国にとって,本書に描かれた北欧諸国の現状分析から学ぶべき点は多い。なかでも,その高度成長ぶりと国民的同質性によって「欧州の中の日本」と呼ばれたフィンランドの経験は示唆に富んでいる。欧州各国のなかで最大幅のマイナス成長を記録したにもかかわらず,同国の国民の所得分配と相対的貧困は悪化しなかった。パイの大きさは縮んでも切り分けたパイの形は変わらなかったのである。
 当時の大連立内閣は福祉・保健など全国民に対する最低限の保障を維持するために,財政圧縮と疾病保険や失業保険の合理化を実施した。目的は雇用改善と公債比率の圧縮。リハビリや職業訓練の促進と拡充に力をいれた。また,「労働者に対する低い課税は相当程度,新たに設けられる環境税によって補てんされる予定」である。フィンランドは,国民にも政府にも「寛大でない」政策の断行によって不況下の福祉国家を維持しつつある。
 問題は,「統合されたヨーロッパ市場の中で高い税率と高額の社会保障負担を維持すること」。それはEU諸国共通の難題である。持続可能な成長を可能とする「新しいタイプの福祉国家」建設は,福祉先進国だけでなく日本の課題でもある。その大前提は経済の成長。自由市場体制の中で,それを達成するためには「私企業が効率性を求めて人員整理に向かうのは,好ましくはないとしても仕方ないかも知れない」。整理された労働者のための雇用創出策やセ-フティネットを構築することは「自由市場体制における政治の任務であり,資本主義体制のもとにおける国家の義務である」。
 資本主義の弱点を補い,「経済体制の社会性を担保する機能を有しているからこそ政治は経済から独立し,政治家は経済人とは別の判断基準と倫理とを持つ必要がある」。福祉国家には「その根底に,人権を尊重し,自然環境との調和を重んじ,男女平等の地位を実現しようとする共通の価値観が存在する」ことを世界各国の市民度指数と人権指数という指標を用いて検証している。
(C) ブックレビュー社 2000

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妊娠中絶から人工生殖や遺伝子組替えなどヒトの命の始まりを操作する生殖補助医療の問題点を明らかにする

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 「生命倫理の再構築を置き去りにして日進月歩で発達するヒトの生殖補助医療。それはクローン人間どころか自分の腹を痛めずに親が望む通りの能力,容姿,肌の色を備えた「デザイナー・ベビー」を“産む”ことまでも可能にした。こうした技術と生命倫理のギャップを西欧諸国がどのようにして調整し,あるいは埋めようと試みてきたのか。試行錯誤の足取りを「科学技術の進歩と刑事規制の行方」という視点から丹念にフォローする。前半は20世紀的技術である妊娠中絶を社会経済的効果と胎児生命・人格の法的保護の視点で論じ,後半は21世紀のヒト生殖技術がもたらした深刻かつデリケートな問題を説く。
 英国では1990年にヒトの受精および胚研究に関する法律(HFE法)が制定され,翌91年にはドイツ胚保護法が,94年にはフランスの人工生殖関連法が制定された。その経緯と内容は,この方面の立法が後れている我が国にとって参考になる。我が国では生殖医療技術に限らず科学の発達の成果について海外のセンセーショナルな現象を無批判に受け入れる傾向があるが,欧州先進国の刑事罰を盛り込んだ生殖補助医療規制に対する真剣な取り組みはもっと知られていい事実である。
 「クローンでヒトの胚研究 英政府が認める法案」(平成12年8月の朝日新聞朝刊)。こんな刺激的な記事が毎週のように現われる。こんな記事がどんな経過で登場し,どんな意味があるのか,断片的な新聞の解説やセンセーショナリズムに偏った週刊誌の“報道”はミスリードしがち。かといって医学の専門書・誌は歯が立たない。本書は専門書に属するのだが,生殖補助医療の専門家ではない刑法学者が社会的な視点で書いただけに,かえって人工授精,代理母,胎児診断,貸し腹,多胎妊娠の減数術,出生前診断,男女の産み分けなどヒトの生命を操作する技術のABCと法規制小史が一通り分かる水準の高い入門書。
(C) ブックレビュー社 2000

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紙の本死を処方する

2000/09/13 18:15

自殺マシンで120人以上の患者を自殺ほう助した米国の殺人医師は既成倫理に宣戦布告する聖戦のヒーローか

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 一人の「殺人ドクター」が自殺ほう助容認キャンペーンを展開した結果,彼は医師資格を失ったものの,自殺ほう助を禁ずるミシガン州の州法が憲法違反とされ,1996年にはオレゴン州では州法で医師による自殺ほう助を認められた。
 独特の自殺マシンを使用すれば患者は自らスイッチを押して致死薬を体内に注射,「急速にして静穏,かつ確実」な死に到るという。不治の病になった患者の自己決定権を尊重する「慈悲殺装置」だそうだが,フリー・マーケットで買い集めた部品で作った代物である。
 最初の人体実験を描いた章「医殺の誕生」は13ページ。残り330ページは自殺ほう助を正当化するための主張で埋められている。その主張の原点は死刑囚に全身麻酔を施して生体解剖付し,臓器や組織を取り出して医学の発展に役立てるべしという不気味な着想である。米国とはこういう人物を産み,ある程度の社会的影響力をもつ。そんな米国社会の異相が分かる一冊である。読者の健全な批判力が問われる一冊でもある。
(C) ブックレビュー社 2000

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生殖・遺伝子医療の歪んだ発展と“活用”,健康保険の営利産業化など倫理なき医療大国の実態を総ざらい

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500年前に死んだ女性ミイラから卵子摘出,死んだ前夫から精子を取って妊娠する,流産した胎児の卵子で出産する,後産の生体細胞の“医学的有効活用”,卵子のヤミ売買,毎年2100億円が不妊治療費に投じられ,3年間で4億9000万円稼いだ医師も,野放しの精神障害者の“人体実験”,性犯罪常習犯の去勢を合法化,メディケア(老人介護保険)費用の10%は不正請求,切断された右手の縫合手術を拒否する自己決定権とは,医師の自殺ほう助をテレビで実況放映,死病の治療を拒否する権利を認める民主主義,人前での授乳はわいせつ行為か——これらは先進民主国家,米国であったこと,ないし行われようとしたことのごく一部である。
 真理追究の成果を歯止めなく医療に応用したあげく「奇怪な発想」から良好に保存されたミイラから卵細胞摘出を求める科学者も現れた。ペンシルバニア大学教授・生命倫理センター所長が独特の文体で倫理不在社会が行き着く先について論じた長短119編のエッセイを読むと医療と倫理の間で広がるギャップの深さに驚く。
 従来の常識を破る事例ばかりで判断に苦しむが,著者のスタンスは明解。たとえば「ミイラを母親にすることは道徳に反している」。なぜならば「当人の明確な同意を得ないで精子や卵子などの生殖細胞を利用すること,また,それらを用いて胚や胎児を作り出すことは,人間の基本的な尊厳を蹂躪(じゅうりん)する行為だから」である。なにごとにも自由放任,個人の権利を擁護し,社会的調和よりも自己決定権を尊重するとされてきた米国社会だが,著者は違う。著者の座標軸は法理を超えた人間倫理と納税者の公正な利益の確保。無脳症で生まれたため決して助からない乳児の延命治療に莫大な社会資源を傾注したり,社会的公正を欠く行き過ぎた弱者優先治療によって最大多数の最大多数幸福を犠牲にしたりする“人道主義”にはちゅうちょせず疑問符をつける。健康中毒の一般読者には「70代後半や80歳代の高齢者が心臓疾患を予防するため血眼になって食事制限をしながら薬を飲むといったことはあるべき姿なのだろうか?」と問い掛ける。
 「プレゼントとしてタバコを何カートンも贈るなどということは,倫理的にはヘロインと注射針を贈ることと何ら変わりない」と断言。「現代医学における選択の自由と品質の確保に対する最大の脅威は,健康管理システムが複合企業による独占に移行している事実にある」と指摘,その脅威は「20世紀初頭において石油,鉄鋼,鉄道産業を推進していた悪徳事業家だけが夢みることができた類のものにほかならない」と説く。我が国でも薬害エイズ事件など企業,医学・医療者,行政の複合的倫理欠如がもたらした凄惨な事実を思い起こせば,それを杞憂とはいえまい。著者は健康管理対策のクリントン委員会および湾岸戦争症候群に関する大統領諮問委員会の委員を務めた論客だが,残念ながら訳文が直訳調なので,残念ながら,手放しでお薦めできるところまでは行っていない。
(C) ブックレビュー社 2000

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老化の原因は遺伝か環境か?回答を求めて世界の老化研究最前線を探索すると「性と死」の起源に行き当たる

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 細胞学,遺伝学,コンピューターを応用した仮想細胞実験室などの老化研究の最前線を女性科学記者が,米国,日本におけるその分野の第一人者を訪ね歩き,老化のメカニズムがどこまで解明されているのかを探る。老化の原因という犯人を追うロードムービーを見るような科学ルポである。犯人捜査の仮説は2つ。一つは「エラー蓄積説」。細胞中の遺伝子や蛋白質に傷がたまって修復困難になるというもの。もう一つは「プログラム説」。発生の過程と同じように老化の過程も遺伝情報の中にあらかじめ設計図が組み込まれているという。
 およそ30歳から身長は年に約1.5ミリずつ縮む。40歳を過ぎるとふくらはぎが細くなり,60歳を過ぎると1日の消費カロリーは毎年12カロリーずつ減る。視力や聴力もにおいを識別する能力も衰える——このように,とかく嘆き節になりがちな「老化」も若い女性記者の手にかかると情緒を排した知的謎解きゲームに。いまのところ手がかりはほんの少し。「手にしているピースが何なのかは,将来,パズルが完成したときに,はじめてわかる」。
 今現在分かっていることは,(1)寿命を延ばす方法は摂取カロリーの制限,(2)年を取ればとるほどがんにかかりやすくなる,(3)老化は生まれたときから始まっている—といったところ。驚くべきことは,地球に生命が誕生して10億年は原始的な生物は事故や飢餓以外では死ななかったという。生物が宿命=プログラムとしての「死」を持つに到ったのは有性生殖を始めてからだ。総体としての地球生命(ガイア?)の壮大な時間にくらべれば個体が生きる時間は一瞬。「死にたくても死ねなかった細胞が死ねるようになった。寿命は進化の過程で獲得したもの」という結語は不老不死という人間の夢がいかに矮小なことであるかと思わせる。
(C) ブックレビュー社 2000

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「脳死」と「人の死」の違いを誰にでもわかりやすく,個人の死の“社会化”を説く

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 臓器移植法の施行と同時にクローズアップされた「脳死」。それは人工呼吸器の開発・普及によって登場した新しい「死」の概念である。それは「人の死」とどこがどう違うのか?
臓器移植法によれば,人は死んでも脳死でなければ臓器移植はできないという,ややこしい仕組みになっている。「脳死」という難解なキーワードを理解しない限り,臓器移植の本質とその社会的な意味と,今後の医療のあり方および社会全体に与えるインパクトは分からない。
 臓器移植法が施行(1997年10月)されてから3年,脳死と臓器移植について繰り返し報道されているにもかかわらず,かゆいところに手が届かない,新聞や一般誌の記事では,いまひとつ分かり難かった「脳死」と「人の死」について,これほど平易に説明した本はあまりないだろう。
 著者は日本移植学会理事長。世界一厳格な脳死判定基準と臓器移植の実施規定をもつ“移植後進国”日本の移植医療の水準を一刻も早く欧米先進国のそれに近づけようとする著者の熱意が伝わってくる。複雑な脳死判定・移植プロセスの説明は行き届いている。全国を行脚,30回にも達する一般向けの説明会によって普通の人々が知りたいポイントを熟知しているからだ。いわば臓器移植推進論で,臓器移植反対派は異論もあろうが,この分野の素人が移植反対派の意見を聞く際の予習書としても格好である。
 著者によれば臓器移植とは“医療の社会化”の極致。移植医療の行き着くところは医療保険の改革だと主張する。出来高払いの医療制度を定額払いに変えて医療費の無駄遣いを改めるために医者,患者,双方に意識改革を求め,超高齢社会に耐えうる社会システムを構築するための糸口として臓器移植を理解すべきだと説く。
 なぜ脳死判定の仕組みは複雑,難解なのか? なぜドナー・カードでなく意思表示カードなのか? どうして臓器をあげる人を特定できないのか? 患者負担はいくらくらい? といった素朴な疑問に答える第1章,我が国の臓器移植の実施が欧米諸国から遅れた理由と特殊な国民性を述べた第2章,根強い臓器移植反対論を意識した第3章「臓器移植とその問題点」,そして「患者も医療側も悪いもたれ合い」を脱するため医療保険の改革を主張。
 超高齢社会では,先端医療技術と医薬品の濫用よりむしろ健康食品の積極的な摂取など健康の自己管理に基づく免疫力を高める「生体防御力」によって病気を予防すべきだという持論も展開する。
 臓器移植法は施行3年で見直しされるが,今年はその年にあたる。21世紀の「生と死」について考えるきっかけとなる一冊だ。
(C) ブックレビュー社 2000

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