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岡埜謙一さんのレビュー一覧

投稿者:岡埜謙一

57 件中 16 件~ 30 件を表示

紙の本グレイのしっぽ

2001/02/06 17:59

楽しくて悲しいエッセイ3部作

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 画家の伊勢英子さん一家とシベリアンハスキー・グレイの日常を、いせさんの素敵なスケッチ入りで描いた、楽しくて悲しいエッセイ3部作だ。3冊とも主な登場メンバーは、伊勢さんとそのご主人(ごくたまに登場)、ふたりの娘、そしてグレイ。1冊目の『グレイがまってるから』が発売されたのが1993年。この1冊目では、伊勢さんの家族に加わった子犬グレイの成長記録や近所の犬たちとの交友録、娘さんたちの日常などが淡々とした筆致で書かれている。抑制の効いた文章であるがゆえに、なおさら深い愛情を感じさせる。随所に多数挿入されたスケッチがまた、画家としての伊勢さんの観察眼の確かさを感じさせる素敵な出来映えだ。
 2冊目の『気分はおすわりの日』では、グレイがてんかんの発作を起こし、入退院を繰り返す闘病記が克明に記されている。最後の『グレイのしっぽ』では、てんかんに加えてさらに脾臓と肝臓がガンに冒されていることが判明。伊勢さんは手術にも立ち会い、その様子が文章とスケッチで詳しく描かれている。このシリーズ、何冊続くかとても楽しみにしていたのだが、たった3冊で終わりがやってこようとは。このときグレイはまだ5歳になったばかりである。しかし伊勢さんが冷静に観察して文章やイラストに残しているからといって、決して人より悲しみが小さいわけではない。グレイを失った悲しみがどれほど大きかったか、文章の端々からよくわかるのだ。
「1999年、まもなく3度目の夏がくる。スーパーのドッグフード売場やペットショップの前を、ようやく歩けるようになった。もう買うことも立ち止まることもない。グレイが好きだった風景を歩く時、そっとひとりでみえないしっぽをふっている」

著者略歴;1949年、北海道生まれ。東京芸術大学デザイン科卒業。絵本をはじめ、子ども向けの本の仕事を中心にしながら、タブローの制作にも取り組む。ライフワークとしている宮沢賢治の絵本に「よだかの星」「風の又三郎「水仙月の四日」、童話に「マキちゃんの絵日記」、絵本では「ぶう」「雲のてんらん会」、本シリーズ以外のエッセイには「カザルスへの旅」「空のひきだし」などがある。これまで絵本や童話でいろいろな賞を得ている。

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落とし穴を埋めてくれる新鮮な内容

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 内科医といっても動物のではない。人医者である。獣医の世界も、もう少し専門別に分かれていればと思うことがある。通常一人の獣医が犬も鳥も爬虫類も診て、手術までやってしまうのだから考えてみれば恐ろしい話だ。話がつい横道にそれてしまったが、本書は動物好きの著者が医者の立場から哺乳類を紹介したものだ。いくら動物好きとはいえ、なぜ人の医者が? という疑問はパラパラページをめくって納得した。生態よりも、体のつくりや機能の解説が主になっているのだ。これまでにない新鮮な内容にすぐさま買ってしまった。
 生き物の図鑑や解説書は掃いて捨てるほどある。しかし一般向けの本には、たとえば「コウモリは逆さになって眠る」「マッコウクジラは3000メートルも潜る」という説明はあっても、「なぜ逆さになる必要があるのか」「どうして3000メートルも潜れるのか」という回答は載っていない。これまでは「何々できる」「何々する」という説明だけでなんとなく納得していて、疑問にすら感じていなかったわけだ。本書を読んで初めて、そういえばなぜそうなのか、なぜそんなことができるのかという、一番肝心のことを知らなかったことに気がついた。もっとも専門家を対象にした本や図鑑には詳しく説明してあるのだろうが、我々一般向けのものはそういった配慮はされてない。素人には生き物の生態や特徴などを一通り書いておけば事足りるという、旧態依然とした編集方針がまかり通っているのだろう。おかげで思わぬ落とし穴に落ちていたわけである。
 本書はいわば落とし穴を埋めてくれるような内容であり、しかも専門が小児科ということもあってか、子供に教えるように、説明がとてもわかりやすい。動物の解説も動物専門家以上に要領よくまとめられているし、従来の本にはなかった、体の機能の「なぜ」の部分がとても面白く読める。最近の新書はブームのせいで質の低下が気になっているが、講談社のブルーバックスは依然として目が離せない。ときどき本書のような大きな拾いものがあるからだ。今回は「なぜか」哺乳類のことしか書かれていないけれど、鳥や爬虫類の続刊もぜひ書いてほしい。(岡埜謙一/フリー編集者兼動物里親)

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紙の本ふくちゃんはふくろう

2002/03/27 22:15

貴重な経験が詳細に、そしていきいきと記録されている

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 自宅の裏山で偶然フクロウの雛を拾い、これを無事野生に帰してやるまでの約5ヶ月間の詳細な記録である。信州・伊那谷に住むあるがさんは初夏のある日、巣から落ちたフクロウの雛を見つけてしまう。これをどうすべきかさんざん迷った末に、たとえ死んでしまっても野生の掟とあきらめて、そのままにしておく。翌日、死んだはずの雛を埋めてやるため、もう一度裏山に出向く。ところが、そこで目にしたのは、まだしぶとく生きている雛の姿だった。ついにあるがさんは、自分が育てて野生に帰してやることを決心する。付けた名前が「ふくちゃん」である。
 餌からして試行錯誤である。はじめの頃は鶏の肉や内臓、イワシ、野菜や納豆など。まずは人の手から食べることに慣れさせる。野生のフクロウは当然生き餌が主なので、手はじめにカエルやオタマジャクシを与えてみる。野生の生き物は、どんな餌をどのようにして捕らえて食べるか、すべて親から実地に学ぶのだ。ここではあるがさんが親代わりになって、根気よくふくちゃんに教え込んでいく。もちろんあるがさんにしても、まったくの手探り状態である。
 鳥でも哺乳類でも、野生の生き物を育てること自体はさほど難しくはない。それもペットとしてなら。しかしこの場合のように野生に帰すことが前提なら、話はまるで違ってくる。本来の食べ物と同じものを与える必要がある上に、自分で捕ることを教えなければならないからだ。また、人に慣れすぎてもいけない。あるがさんの奮闘の末、ふくちゃんは晩秋になってどうにか無事巣立ちをする。しかし毎日あるがさんの家にやってきては餌をねだる、半野生の状態だった。ところがある日、ほかのフクロウに追われてそれきり行方しれずになってしまう。あるがさん一家はふくちゃんがどこかで無事に成長していることを願って本書は終わる。
 貴重な経験が詳細に、そしていきいきと記録されたこの本、拾ったカモの雛を育てながら野生に帰すことに失敗した私としては、ついつい身につまされる思いで読んでしまった。なおこの本には、あるがさん自身が描いたふくちゃんの絵がたくさん載っている。あるがさんの文章もそうなのだが、これがまたとても素人とは思えない出来で、ふくちゃんの成長過程がよくわかる。(岡埜謙一/フリー編集者兼動物里親)

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紙の本ゴリラの森からの絵手紙

2002/03/27 22:15

さまざまなゴリラの森の住人たちの仕草を絵手紙で案内

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 キングコングのモデルになって悪役にされてしまったゴリラ。ターザンの腰巾着になったために善良な隣人というイメージを与えるチンパンジー。どちらも実際とは逆であるにもかかわらず、すっかり誤ったイメージが世界的に定着してしまっている。実物のゴリラは、ごつい顔とは裏腹に穏やかで静かな生き物であり、チンパンジーはいつも騒々しくてむしろはるかに危険な生き物なのだ。食べ物からしてイメージとはまるで逆なのだ。ゴリラは完全な菜食だし、チンパンジーは雑食で肉も好む。なにしろ人間の赤ん坊をさらって食べたチンパンジーもいるのだ。映画の影響は本当に恐ろしい。
 さて本書は、ゴリラに魅せられた絵手紙作家の竹内さんが上野動物園の「ゴリラの森」をモデルにした作品から抜粋したものである。この絵手紙というのは、葉書の文の代わりに絵を描き、それに一言添えて送るもので、このところ静かな人気を呼んでいるようだ。私はあいにくそちら方面の才能はまったくないので、絵手紙なるものは一枚も描いたことはないが、単なるゴリラファンとして本書を求めた。
 本書にはさまざまなゴリラの森の住人たちの仕草が描かれている。竹内さんは「ゴリラを見ているとなぜかホッとします」と語っているが、ゴリラを見ていると時間の流れがとてもゆったりしているようで、いつまで見ていても飽きないものがある。チンパンジーやニホンザルのように、騒々しく走り回ったりいきなりけんかをはじめるなどということはない。じつに静かな世界である。絵に添えられた竹内さんの一言も気が利いていて面白い。絵手紙を書いてみようという人にはいい参考になるだろう。また絵には住人たちの写真付き履歴書も添えられていて、それぞれの特徴や特技、趣味などが書かれている。上野動物園でゴリラたちを見るとき、本書を携えて行き、「ああ、これはオスのムサシで小松菜の嫌いなやつか」「あっちの方で木の枝で一人遊びしているはメスのトトかな」などと見分けてみるといい。
 このゴリラの森では一昨年、上野動物園初のゴリラの子「モモタロウ」が誕生して話題になった。ここにも母親モモコとモモタロウの姿がたくさん登場している。私もモモタロウを見に行こう行こうと思いながら、まだ行っていない。まずは竹内さんの絵手紙で楽しませてもらった。大きくなってしまう前に早く見に行かなくては。(岡埜謙一/フリー編集者兼動物里親)

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紙の本野生動物問題

2002/03/13 18:15

前途多難な野生動物問題への提案

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 本書でいうところの「野生動物問題」とは、野生動物が人間社会にもたらしているさまざまな被害と、逆に人間が野生動物におよぼしている生息環境の変遷や悪化など、その両面である。著者・羽山氏は獣医であると同時に、野生動物の保護、研究の専門家だ。羽山氏自身のスタンスは、まえがきで「野生動物問題をどのように解決するのが正しいのかということよりは、むしろ野生動物問題というものが野生動物自身の問題でなく、人間社会のありようの問題である」と触れていることからも明らかだ。

 野生動物にまつわる問題は、昨今のニュースをよく見ているとじつに多い。たとえばシカやイノシシ、クマなどによる食害であり、サルの人家への侵入である。カラス軍団のゴミ荒らしもそうだ。また、外国から移入されたペットの野生化もよく知られている。さらに、観光資源としての野生動物に対する餌付けの問題も加わって、話がややこしくなる。人間の都合で増やしておいて、増えすぎたから今度は間引いてしまえ、という。こういった問題に対し、役所の関係者や地元民は、まず野生動物を悪者視して手っ取り早い「駆除」という方法論に走る。逆に動物保護団体や動物好きは、何が何でも「動物保護」という感情論からこれに反発する。どちらも無責任であり、一方的だ。マスコミは本質を探ろうともせず、ただ面白半分で騒ぎを煽るだけ。

 たしかに一歩踏み込んで考えると、それらの原因はほとんど人間側にあるのだ。とはいえ、動物ばかりかばって、人間の生活は脅かされてもいいというものでもなかろう。羽山氏はきわめて冷静かつ中立的なスタンスでこの問題の本質を解き明かす。しかし、本書を読めば読むほど難しい問題だということがわかってくる。なにしろ、片一方は話してわかる相手ではないし、時代をさかのぼれば彼らの側に理があるからだ。おまけに、鳥獣保護法と、野生動物に関係する制度や条例というものがまったくのザル法に近い。役人の常として、責任の所在がきわめて曖昧で、とにかく成文化すれば事足りるという姿勢が見え見えだ。

 前途多難な野生動物問題、本書でも即効的な解決策が示されているわけではないが、いくらか前途に光明が見えそうな提案がなされている。一般の人はもとよりだが、むしろ関係者全員が読んで勉強してもらいたい本だ。(岡埜謙一/フリー編集者兼動物里親)

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紙の本日本の生きもの図鑑

2002/03/13 18:15

ありとあらゆる「生きもの」を256ページのハンディサイズの中に詰め込んだ、珍しい図鑑。

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 タイトル通り、鳥やほ乳類、昆虫、爬虫類、魚、草花、樹木など、ありとあらゆる「生きもの」を256ページのハンディサイズの中に詰め込んだ、珍しい図鑑である。掲載された生きものは全部で700種。数だけ見るとずいぶん少ないようだが、普通に見られるものに限定されているからだ。たしかに、きわめて限定された場所でしか見られないものや、よほど運に恵まれないと見られないようなものまで掲載してもあまり意味がないので、この編集方針は見識といえる。また、すべて写真でなくきれいなイラストで紹介されているので、パラパラめくって見るだけでも楽しい。
 街、里、山、水辺、海という場所別の大カテゴリーに分けられ、その中をさらに生きものの種類で分けた実用的な構成だ。主に小学生くらいを対象にしているらしく、漢字はすべてルビが振られている。親子で山や海に遊びに行ったとき、あるいは散歩のついでに鳥や昆虫を見つけて名前を知りたいという大人にも使える。それぞれの解説は、ハンディサイズのためのスペースの問題もあってか、本当に必要最低限に抑えられている。現物を見つけて、それが何という名前で、主にどんなところに生息しているかがわかればいいという、いさぎよさだ。さらに詳しく知りたいときは、この図鑑で名前を覚えてもっと専門的な図鑑を見るといい。
 随所に、春・秋の七草、アリのいろいろ、バラ科のよく似た花、スミレのいろいろ、紙の木・油の木・ロウソクの木、カモの模様比べ・・・・といった、一口知識とでもいうような楽しいページがたくさん用意されている。この種の図鑑は種類が多いので、どこをどう他と差別化するか、出版社としても悩むところである。昨今、安易な野鳥図鑑があちこちから発行されていささか気になっていたが、本書は全体の構成や掲載種類、イラストなど、よく工夫されている。にもかかわらず、なぜ見栄えのいいハードカバーにしたのか解せないところだ。持ち歩くことを考えたなら、ビニールカバー付きのソフトカバー製本にすべきだった。また、お母さんが子供に買ってやるにしても、2,000円は少し高い。(岡埜謙一/フリー編集者兼動物里親)

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紙の本拾って楽しむ紅葉と落ち葉

2001/12/04 18:15

いままでこんな本がなかったのが不思議

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 いままでこんな本がなかったのが、不思議といえば不思議だ。アウトドア系の雑誌などで、ときたま特集を見かけたことはあるが。いまの季節、近所の公園や野山を歩くと、紅葉の美しさに時が経つのを忘れてしまう。とくに逆光に透かすと、いっそう美しさが際だってくる。眺めるだけでなく、足下に落ちているいろいろな落ち葉を拾って帰りたくなる。そして拾ってきた落ち葉をテーブルにまいたり、大きめの皿に水を入れて浮かべたり。絵心のある人ならスケッチに残すことだろう。
 紅葉した落ち葉の魅力は、一枚一枚の色や模様が違うところにある(イチョウはどうかな?)。たとえば同じサクラの木の落ち葉でも、赤い葉もあれば黄色い葉もあるし、片側が赤、片側が黄色もある。虫食いの痕も千差万別だ。見ていて飽きることがない。
 しかし、見慣れた木や樹木に名札がついている公園ならともかく、野山で拾った落ち葉はいったい何の木なのか、この判別がなかなか難しい。植物図鑑や樹木図鑑を開いても、落ち葉まではわからない。なかでも紅葉狩りの主役になるモミジ、カエデ類は種類が多い。おまけに葉がカエデそっくりのダンコウバイやシロモジなどという木もある。ツル性の植物もヤマブドウ、ノブドウ、ヤマイモ、アケビなどたくさんあって、葉だけ見たのではどれがどれだか判別しにくい。
 この本では種類をおおざっぱに分け、鮮明な写真を掲載しているので、とてもわかりやすくなっている。写真そのものも美しいので眺めるだけでも楽しくなるが、落ち葉拾いにぜひ持参したい。となると、この本のサイズがちょっとじゃまになる。B5サイズだから、ポケットに入れてというわけにもいくまい。ぜひ、1ページ1枚のハンディサイズ版も出してほしいものだ。なおこの本は「森の休日」というシリーズで、もう1冊『探して楽しむドングリと松ぼっくり』も同じ平野・片桐コンビで出ている。
 余談だが、私は先日、信州黒姫に紅葉見物に行ってきた。オレンジ色のヤマブドウの落ち葉を何枚か拾って帰ったが、次の日にはみごとなワインレッドに変わっていた。この折り、たまたま黒姫在住の画家、平山英三・和子ご夫妻に会う機会を得た。お二人は福音館書店を中心に創作絵本や挿絵を描かれている方たちだ。和子さんの方は落ち葉に魅せられて、すてきな落ち葉の水彩画を長年描き続けられ、毎年11月3日の一日だけ、自宅で「落葉美術館」を開催し、描きためられた落ち葉の絵を一般に公開されている。和子さんのお話では、落ち葉は色の変化が急なので、描きかけの葉は湿り気を与えて冷蔵庫に保管されるそうだ。(岡埜謙一/フリー編集者兼動物里親)

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紙の本動物の「食」に学ぶ

2001/12/04 18:15

これまでのサル観が覆される

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 はたして動物の「食」に何を学ぶか? (1)新しい食材やレシピを学ぶ (2)食事時のマナーを学ぶ (3)採餌方法を学ぶ というのはすべて私の嘘。タイトルには「学ぶ」とあるが、むしろ食性や味覚を調査分析するといったほうが当たっている。
 著者の西田氏は京都大学大学院の教授である。京大といったらサル、というくらいサルの研究が盛んな大学だ。西田氏も京大で動物学を専攻し、以来35年間にわたってチンパンジーを主としたサルの研究を続けている。したがって本書でいうところの動物とは、やはりチンパンジーやその他の霊長類が主役である。よく知られているように、霊長類のなかでも、チンパンジーやゴリラ、オランウータンといった類人猿は、とくにヒトに近いといわれている。
 著者はチンパンジーの味覚を調べるために、畑荒らしをするチンパンジーと同じ物を食べている。後をつけ、横から手を出して食べたのだ。チンパンジーはサルのなかでも凶暴なため、命がけだったという。多かったのは甘い物と無味(甘い、渋い、苦い、酸っぱいに該当しない味)。これに季節変動が加わるとのこと。この調査の場合すべて植物だが、辛いというのは存在しないようだ。ここで興味深いのは、苦い植物はほとんど口にしないことである。苦い、すなわちアルカロイドを含んだ有害植物だ。著者は、「ヒトは類人猿の仲間で、腸内で有毒物を解毒するより、それらをできるだけ口にしない戦略をとっている。だから、さらしの技術や火の使用など、さまざまな調理法を発見したのでは。料理にもヒトの古い生物学的な背景が影響している」と推論を述べている。やはり類人猿はきわめて近い祖先なのだ。
 さらに、ほかのサルを狩って肉食するチンパンジーや、魚を食べるサル、土食するサルなど、著者長年のフィールドワークに基づいた興味深い話がふんだんに出てきて、これまでのサル観が覆されてしまう。なおチンパンジーの味覚は一番ヒトに近いそうだ。これを「チンパンジーが進化している」と見るか、それとも「ヒトもせいぜいその程度か」と見るか……。なお前者を楽観論、後者を悲観論という。もちろんこれも嘘。(岡埜謙一/フリー編集者兼動物里親)

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昆虫好きにはたまらない、クローズアップ写真がいっぱいだ。

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 子どもの頃、だれでも昆虫採集に熱中した思い出がある(女の子はどうだか?)。私なんか今でもカブトムシやクワガタを見つけるとつい手が出てしまうほうだ。だから本書の写真を見るまでは、昆虫たちの顔はおなじみのはずだった。トンボにはトンボの顔があり、チョウにはチョウの顔がある。しかし肉眼で見るのは限度があるから、細部まではわからない。

 この写真集では、極端なクローズアップ写真で昆虫たちのプロフィールが多数紹介されている。写真のクォリティから推測すると、等倍(フィルム上に被写体の原寸で撮し込む)以上のクローズアップレンズが使われていることがわかるが、まえがきによると2倍から3倍のレンズも使用しているらしい。こうしたクローズアップ写真の分野は、われわれ素人には機材を使いこなすことからして難しい。普段見たくても見られない世界、それを本書で存分に楽しんだ。

 昆虫というと、ハチや毒虫以外はなんとなく可愛いというイメージがある。しかし本書で顔のクローズアップを見せられると、そんな先入観も吹き飛んでしまう。バッタの類はだいたい間が抜けた顔で親しみも湧くのだが、チョウの顔なんかじつに不気味だ。昆虫に限らずあらゆる生物の姿形というものは、機能を追求して進化した結果なのだろうが、あの小さな昆虫たちにあれほど複雑な造りが必要なのかと、つい創造主に問いたくなってしまう。

 タイトルは「顔面」だが、それだけでは奇をてらった写真集で終わってしまう。当然ながら、体全体や特徴のある部分、面白い生態など、昆虫好きにはたまらないクローズアップ写真がいっぱいだ。種類も多く、説明も懇切丁寧。昆虫図鑑としても、とても質の高いものに仕上がっている。著者は昆虫写真の分野では、栗林慧(くりばやし・さとし)氏と並ぶ第一人者である。やはり昆虫のクローズアップ写真で構成した、栗林氏の新作写真集『栗林慧全仕事』(学研、2001.4)と見比べるのも面白い。たとえ同じような被写体でも、狙いが違うとまるで別物の写真になるといういい見本だ。 (bk1ブックナビゲーター:岡埜謙一/フリー編集者兼動物里親 2001.09.26)

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紙の本Wing 野鳥生活記

2001/09/13 17:34

楽しめる野鳥写真集

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 野鳥の写真集としては珍しく、いまだに版を重ねて売れ続けている。もちろん売れるだけの理由がある。とにかく見てすごく楽しいのだ。私はもう何度この本を開いたかわからない。楽しめる野鳥写真集としてはベストの1冊である。逆に、野鳥の詳しい生態や特徴を知りたいという人には不向きだ。最初に一通り目を通したとき、従来の野鳥写真集とはまるで違う構成の妙に、いたく感心させられたものだ。おそらく和田さんがこれまで撮り貯めた写真を中心に構成したものと思えるが、構成はアウトドア作家の塩野米松さんが受け持った、2人の合作ともいえる写真集である。塩野さんに構成を依頼したことについて、あとがきで「独りよがりな思い込みの世界に陥ることを避けるため」と語っているが、結果的にはそれが本書を成功させており、野鳥写真集に新しいアイデアを試みようとした和田さん、塩野さんの旺盛な意欲がどのページにもあふれんばかりだ。
 従来の野鳥写真集というと、掲載種類の豊富さを誇ってはいるものの図鑑的な感覚で写真を並べたものか、何か1種類の鳥を徹底的に追い求めたものか、ほとんどはそのどちらかだった。それはそれで価値はあるのだが、新味という点ではまったく物足りない。ところがこの写真集では、野鳥の動作や形態からいろいろなテーマを取り上げ、たとえば「顔面博物館」と題して正面から見た鳥の顔をずらっと並べたり、「痒いところに足がとどく」で頭の掻き方を並べたり、「様々なる意匠」ではくちばしの違いがよくわかるように横顔を並べたり・・・、大量の素材から40いくつものテーマを見つけだしている。見慣れた、撮り慣れた鳥の生活や姿からそれだけのテーマをひねり出すのは、おそらくたいへんな作業だったに違いない。こういった凝った構成の場合、肝心の写真がよくないと単なるアイデア倒れや自己満足で終わってしまい、なかなか読者の共感を得られるものではない。しかしこの写真集に掲載されている写真のどれもが、プロであるからクォリティは当然としても、シャッターチャンスがじつにすばらしいのだ。もちろん偶然に期待したのでは、たとえプロといえどもこれだけの作品が出来上がるはずはない。和田さんがいかに野鳥の生態に精通しているかを物語る写真ばかりだ。生態をよく知ってこそのシャッターチャンスなのだ。
 和田さんの写真を初めて目にしたのは、小学館のアウトドア情報誌「BE-PAL」誌上だった。たしか、餌台を作ってシジュウカラの仲間を呼び寄せるという企画で、驚いたことにひとつの餌台にシジュウカラ、コガラ、ヒガラ、ヤマガラ、さらにゴジュウカラまで、本州に生息しているカラ仲間が一堂に集まっている写真が載せられていた。これらはいずれもカラの仲間ではあるが、それぞれ棲んでいる場所が少しずつ違うので、こんな写真を見たのは後にも先にもそれ1回だけである。とくにゴジュウカラはなかなか見られない鳥だ。たとえ一堂に集まったのは偶然にしても、そのシャッターチャンスをものにした和田さんの強運と企画力には脱帽ものだった。その1枚が、和田剛一という名前を忘れられないものにした。

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クルマの中には双眼鏡

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 野鳥マニアなら、ちょっとした旅行や出張のときにも必ず小型の双眼鏡をボストンバッグの片隅に、という人もけっこういそうだ。私の場合はほとんどクルマで出かけることが多いので、いつもトランクには三脚を積んでいる。クルマの中には双眼鏡とフィールドスコープを。実際には、無精なせいでフィールドスコープを持ち出す機会は少ない。走りながらも、無意識のうちに沿道の木の枝に目をやってしまう。危険なことはわかっているのだが、もう習い性になってしまっている。気になる鳥のシルエットを見つけると、ただちに停車して双眼鏡の出番となる。そんなことも楽しみのひとつになっているので、走る場所も山の中が圧倒的に多い。
 今回の本もついタイトルに惹かれて手にしてみた。最初は各地の野鳥スポットガイド一覧かなと思ったが、これはあてが外れた。野鳥スポットはほんのわずかしか掲載されていない。全国の野鳥スポットとなるとあまりに多すぎて載せきれないので、それは当然だろう。その代わり、薄い本の割には見出しの数はやたら多い。たとえば「何してる? ウォッチング」と題して食事や羽根の手入れ、子育て、サバイバルなどの写真と凝縮された解説が。「バードウォッチングのマナー」の章では初心者向けにいろいろな楽しみ方やマナー、双眼鏡の正しい使い方が載っているという寸法だ。この本のメインとなるのはこれ以降の章。
 章ごとに「山や林+夜」、「渓流」、「高い山」、「草地や河原」、「水際」、「水面」などのフィールド別の紹介になっている。この本の優れているところは、各章の中がさらに大きさと見られる季節別の構成になっているところだ。大きさというのは、野鳥識別の基本になっている「スズメ級」「ムクドリ級」「ハト級」「カラス級」のこと。それだけではない。鳴き声の一覧表やシルエット、飛び方の違いまで載せている。
 野鳥はそれぞれ棲息するフィールドが違うし、見られる季節もさまざまだ。それが識別の大きなポイントでもある。たとえば「冬だけに主に住宅地で見られる鳥で、スズメ大」というのをキーにすると、おのずと限定されてくる。さらに鳴き声や飛び方をプラスすると正体が判明。という具合に、野鳥識別の正攻法を教えてくれる本なのだ。なにしろ著者の安西さんは「日本野鳥の会ネイチャースクール」の所長だ。初心者に教えるポイントを知り尽くしている。だから中身に無駄がないのも当たり前かもしれない。この薄い本によくこれだけ詰め込んだと感心するほど中身が詰まっている。ただし本のサイズが小さいため、解説は本当にポイントだけを凝縮したものになっているのと、文字が小さくて読みづらいのは仕方のないところか。巻末には「日本野鳥の会バードショップ」で購入できる、地域別の野鳥スポットガイド書籍一覧が掲載されている。「旅のついで」にバードウォッチングを楽しみたいなら、やはり地域の情報が掲載されている本を手に入れるのが正解である。ついでに「日本野鳥の会」各支部の連絡先を載せてくれればもっと親切だったのに。地方の情報を仕入れるなら、各支部に問い合わせるのが一番。会員の方はとても親切で、たとえ会員以外の問い合わせにも詳しく教えてくれるから、これを利用しない手はない。その際は、「日本野鳥の会」本部に支部の連絡先を聞くといい。

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紙の本森の動物出会いガイド

2001/09/13 15:40

ガイドブックとして高く評価

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 現在日本で見ることのできる野生の哺乳類のうち、比較的簡単に見ることのできるもの、名前が一般になじみのあるものなどを採り上げた観察ガイドである。名前を挙げてみると、ノウサギ、ニホンリス、ムササビ、タヌキ、キツネ、イタチ、ツキノワグマ、ニホンザル、イノシシといった誰でも知っている有名どころから、ヤマネ、ハクビシン、アナグマ、オコジョのように運に恵まれないと見つからないものまで、さまざまだ。ただしこの中には、アライグマやヌートリアのように、本来は外来種であるが逃げ出して繁殖し、野生化した動物も含まれている。ひとつ気になったのは、ノネコを採り上げていることだ。著者も前書きで「これが日本の野生動物の現状なのだ」と書いている。そういうことなら採り上げるのはいいだろう。ちなみに人に飼われた経験があって、現在は放浪中のものを野良猫といい、ノネコは野良猫の子孫で一度も人に飼われた経験がないものとある。しかし、飼われているイエネコとノネコの外見的な見分け方は難しいとも書かれている。であれば、採り上げる必要はないのではないか。
 さて本書の構成は、それぞれ分布図や棲息環境、見つけやすい季節や時間帯といった基本データをはじめ、種を見分けるための足跡や食痕、糞などのフィールドデータが簡潔に記されている。足跡は本物ではないものの、原寸大のイラストで描かれているのが親切といえる。ここらの説明はとてもわかりやすくていい。さらに、種ごとにアクセスデータとして公設・私設のビジターセンターや観察の森、観察できる民宿やペンションなどがたくさん掲載されている。もちろんここに掲載されているのがすべてではないだろうが、地域にも偏りがなく、情報源としてとても優れた配慮だ。たとえば、ムササビを見るのに一番近い場所はどこかとか、北海道に旅行するので時間の余裕があれば然別湖ネイチャーセンターに寄ってみたいとか、本書は工夫次第でいろいろな使い方ができるだろう。こういった情報こそ、まさにこの手の本には欠かせないものなのだが、実際にはそれをお手軽に済ませている本が多い。本書はそういった意味でガイドブックとして高く評価できる。詳細で鮮度の高い情報を集めるには外部の協力が必要になり、編集にも時間がかかるだろうが、その努力を省くかどうかで本の値打ちはガラリと変わってくるのだ。

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羨ましい死体

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 埼玉県飯能市の山間に、自由の森学園というこぢんまりした中・高をひとつにした私立の学校がある。ちょうど奥武蔵の入り口になるあたりだ。隣の東京都青梅市にある我が家からはクルマで15分程度のところにあり、ときどき学園の前を通ることがある。山を切り崩して造られた学校で、昨今は周囲に住宅も増えてきたが、環境は抜群である。この本を著した盛口さんは、ここの中・高の生物学教師をしている。私は子どもの高校受験の際に訪れたこともあり、この学園についてはいささか知っている。名前の通り、自由な校風を売り物にしているのだが、自由というよりも野放しであり、どの生徒も奇をてらうことのみを競っているような印象が強かったのであるが。にもかかわらずというか、だからというべきか、これはめちゃめちゃ面白い本なのだ。
 著者が付けたのか出版社が付けたのか知らないが、なにしろタイトルがとてもインパクトがある。ただし死体といっても人間のではない。タヌキにモグラ、リス、コウモリ、イルカ、野鳥、昆虫など、それこそありとあらゆる生き物の死体を盛口さんと生徒たちが拾ってきて、じっくり観察したり骨格標本を作り上げたり、最初から最後まで本当に死体だらけ。大学はともかく、中学や高校でこんなことができる学校はここだけかもしれない。生き物を知るには実物に触り、実物を解剖したり骨格標本を作るに勝る方法はないだろう。羨ましい限りである。羨ましいといえば、これほどいろいろな種類(イルカは北海道で)の死体が拾えるここらあたりの環境もそうだ。野鳥やモグラの死体なら我が家のまわりでもときどき見かけるし、生きたタヌキやリス、コウモリ、フクロウはともかく、その死体となると私もまだ見つけたことがない。

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日常の中の四季

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 全ページが手書きの文章とイラストという、いわば文章量の多い画文集といった趣のある本だ。上條さんはイラストレーターが本業で、カバーも本文もすべて自身で描かれたイラストだ。東京都下の武蔵野市に暮らす上條さんの、四季折々の日常生活をイラスト入りエッセイ風に綴っている本であるが、後書きによると以前「じゃこめてい出版」というところから出されたものの再版らしい。書かれている内容もいまから10年以上前のことになるのだが、歳月のギャップはまったく気にならないし、内容にいささかも影響を与えるものではない。武蔵野市も近年住宅が密集してきたが、それでも井の頭公園や玉川上水もその頃と変わらず、まだいくらかは武蔵野の面影を残している土地だ。
 もっとも上條さん一家が住んでいるのは、町はずれの木々に囲まれた一軒家などではない。住宅密集地にあるマンションの上階だ。環境としてはむしろ自然から遠のいた場所といってもいい。だからなおさら「ますます町の中で出会った自然に心を強く惹かれるようになった」という。同じ東京に住んでいる身としては、この言葉はとても実感がある。住まいこそ武蔵野市よりもっと奥だが、毎日都心に通勤してそちらにいる時間の方が長い私にとって、自然を目にしたり四季の変化を感じることに貪欲になるのだ。それは何も特別な出来事や事物に対してではない。何気ない植物や渡り鳥の姿といった、気にとめていなければ見逃してしまうような、ごくありふれたものたちだ。
 上條さんがこの本の中で出会ったものも、そういった本当に日常的なものや出来事である。近所の道で目にした四季の草花であったり、食卓に並んだ季節の味であったり、季節にけじめをつける家事であったり、自宅周辺の自然の様子など、その気になれば誰でも見られる、感じ取れることばかりだ。あまりに日常的であるが故に誰もが見過ごしてしまい、すぐに忘れてしまう出来事や事物を、上條さんは飾り気のない文章と素敵なイラストで再現してくれたのである。あっと驚くような事件や非日常的な出来事などはひとつも出てこないが、いつのまにか上條さんのペースに引き込まれてしまい、思い当たることが多いのでつい自分の体験のような気になってしまうし、モノクロのイラストに鮮やかな色彩を感じるのだ。
 ところで本書のような手書き文字というと、たいてい読んでいて疲れることが多いが、この本は意外にすらすら読めてしまう。それは文章の読みやすさだけじゃない。上條さんの文字がいい。はっきりいって、じょうずな字ではないし(ただし私よりははるかにじょうず)、ところどころ文字の大きさにむらがある。それがいいのだ。これがもし、最初から最後まできっちり揃ったきれいな文字や、謄写版文字のような字体で書かれていたら、まず途中で投げ出したくなるだろう。そういう字を書く人とはお近づきになりたくないと思う。この手書き文字には上條さんの人柄がよく出ていて、文章にも親しみやすい。最初に「自然に暮らそう」というタイトルを見たときは、なぜ「自然と暮らそう」じゃないのかと思ったが、読み終わって納得がいった。自然に暮らすということは、できそうでなかなかできないことだ。読んだ後ちょっと気分が豊かになれる、そんな一冊だ。

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紙の本イヌからネコから伝染るんです

2001/09/13 14:41

怖くて面白い本

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 動物の本で、怖くて面白い本は初めてだ。ペットから人に伝染する病気のことを「人畜共通感染症」というそうだ。本書では、「ペット病」「ペット感染症」とも呼んでいる。こういった言葉は知らなくても、狂犬病という名前は誰でも知っているだろう。実際には1956年以降、我が国では狂犬病は発生していないにも関わらずだ。狂犬病は発病すると致死率100%という極めて恐ろしい病気で、ペット病の最たるものだ。外国では未開発国のみなず、米国やヨーロッパ諸国も含めてまだ絶滅してはいない。日本人は諸外国に比べて病気予防に対する意識が高いのか、厚生省の指導が優秀なのか・・・。われわれ日本人になじみの深いペット病といえば、このほかにオウムやインコ類から伝染するオウム病と、キタキツネが媒介するエキノコックス病もよく知られている。いやむしろ、一般に知られているペット病というのはこれくらいじゃないだろうか。私も含めて、ペット大国日本の飼い主たちの実状はそんなものだろう。我が家にも現在、犬とプレーリードッグ、カモがいるが、常に人の風邪やインフルエンザを伝染させないように注意はしても、こちらが何か伝染させられるなどと考えたこともない。あの可愛い彼ら、彼女らが、人に害をなす可能性があるなど、とても考えられないわけだ。
 ところがこの本を読んで、あまりにペット病の種類が多いのでいささか驚いてしまった。なお著者は獣医ではなく人間相手の医者で、大学で「医動物学」という聞き慣れない講義を行っている。(実は寄生虫の先生として有名だ。)著者によると「医動物学」とは、「病気を起こす微生物のうち、動物の性質を持った原虫や寄生虫などを研究する学問」とあり、ペット病もこれらの微生物によるものが多いそうだ。タイトルにはイヌやネコとあるが、ペットとして飼われている、飼われる可能性のある生き物すべてが本書の対象だ。しかし、身近にいるイヌやネコたちがこれほど色々な病原菌の宿主(保菌者)あるいはその可能性のある連中だとはついぞ知らなかった。宿主そのものは病原菌とうまく共生していて発病しない病気が多いというのも面白い、というか始末が悪いというか。
 おまけに、本書に書かれているさまざまなペット病の症状というのがこれまた曲者で、ほかの人間の病気と非常に紛らわしいのだ。私は過度の喫煙が原因らしく、数年前から慢性の気管支炎にかかっている(喫煙を止めれば治るといわれて薬ももらえない)。ところが、ここに書かれている動物アレルギーによる気管支喘息と症状がそっくりだ。ちょうどプレーリードッグが来た頃からだし、カモが来てからさらに咳がひどくなった。そんな具合に、疑おうと思えば疑えないこともないのだ。仮に彼女らが原因だとしても、もちろん手放す気は毛頭ない。こちらが我慢すればいいだけのことである。しかし動物アレルギーをはじめ、イヌやネコなどから伝染する病気はかなり研究されているからまだいい。一番怖いのは輸入動物がもたらす病気だろう。輸入されたアライグマや爬虫類、野鳥などが逃げ出したり飼い主が持て余して棄てたりして、その結果各地にコロニーができている。それらの生き物がはたしてどんな病気を持っているか、何もわかっていないだけに恐ろしいものがある。

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