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  3. 岡埜謙一さんのレビュー一覧

岡埜謙一さんのレビュー一覧

投稿者:岡埜謙一

57 件中 31 件~ 45 件を表示

動物写真の苦心談

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 田中常光さんといえば、岩合徳光(岩合光昭氏の父君)と並ぶ、我が国の動物写真の草分け的存在だ。今年76歳になられるが、いまだに現役で活躍されている。先年ロシアのカムチャッカでクマに襲われて亡くなった星野道夫さんも、一時期田中さんのアシスタントをしていたことがある。国内はそれこそ隅々まで、外国も北極や南極を含めて50数カ国も廻られている。本書は動物写真家としてスタートした頃からつい最近までの、国内・外国各地の撮影行の抜粋記録である。本書を読んで意外に思ったのは、田中さんが写真雑誌の月例コンテスト出身だったことだ。田中さんの場合はまだ大学や専門学校の写真学科が整備されていない終戦直後のことだが、ふた昔前くらいまでは月例コンテストからプロになる道があった。現在はそういった話は聞かない。なんだか隔世の感がある。さて本書はタイトルが「失敗、しっぱい・・・」とあるので、田中さんが撮影に失敗した話ばかりかと思うかもしれないが、決してそういうわけじゃない。なんといっても対象が野生動物であるから、必ずしも狙い通りの写真ばかり撮れるわけがないのは当然のことだ。失敗というより、苦心談といった方が正確だろう。
 本書に登場する野生動物は、ムササビやニホンコウノトリ、ツシマヤマネコ、イリオモテヤマネコ、トキ、ニホンカワウソなど国内の動物をはじめ、アラスカヒグマ、ベンガルトラ、オランウータン、ザトウクジラ、オウサマペンギン、ホッキョクグマといった外国のものまで多彩な顔ぶれだ。なかにはすでに絶滅してしまったものもいる。これらの撮影記を読んで感じることは、動物写真という世界は本当に労多くして功少ないということである。功少ないなどといえば失礼かもしれないが、経済的な面だけ考えのではとても取り組めない仕事だというこだ。たとえばツシマヤマネコの撮影に例をとるならば、じつに6回も対馬に通ってようやく成功している。とても根気だけでできることではない。動物がとことん好きでないとできないことであるし、また報酬を度外視しないとできないだろう。
 さらに大切なのは体力だ。野生相手のことだから、もちろん運の良し悪しもある。しかし運を呼び込むのは粘りだし、粘りを支えてくれるのは体力以外ない。商品撮影やコマーシャル撮影のカメラマンと違い、野生動物や山岳写真の世界は体力がないと務まらないのだ。それを裏付けることが、この本にも書かれている。なんと田中さんは数年前からスキューバダイビングを始め、水中撮影にも取り組んでいるのだ。その成果は本書のジュゴンやフロリダマナティの写真に表れている。田中さんの歳を考えると驚嘆に値する。すごいと思うのは体力だけじゃない。その歳で新たなことに挑戦しようとする意欲だ。田中さんの文章には力みもなく、自然体で淡々と書かれている。ご本人にしてみれば苦労なんて当たり前、改めていうほどのことではないのだろう。この本を手に取ったときは撮影のこぼれ話かなと思ったが、どうしてどうしてそんな軽い内容ではなかった。日本だけでなく、世界的にも動物写真の第一人者である田中さんの意気込みがひしひしと伝わってくるこの本、動物好きに絶対お奨めだ。

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紙の本ペンギン、日本人と出会う

2001/09/13 12:55

なぜ日本にペンギンがたくさんいるのか

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 ペンギンが大好きだ。私の場合、小学生のときに下関水族館で出会ったのが原体験である。種類は覚えていないが、この本によるとエンペラーペンギンかアデリーペンギンだったらしい。いまだに動物園や水族館に行くとペンギンの前で釘付けになってしまう。あれを見て憎らしいと思う人もいないだろう。この本によると、日本は北半球随一のペンギン大国とのことだ。たしかにどの動物園に行ってもペンギンがいるし、コマーシャルのキャラクターに使えばたちまち人気者になる。最近では、どこかの化粧品会社が使ったイワトビペンギンが一躍有名になったのが記憶に新しい。しかし、なんでこんなにペンギンがたくさんいるのか、どこから買ったのか、そんなことは考えても見なかった。
 なんと、戦後急速にペンギンが増えた理由が捕鯨船団だとは・・・。捕鯨船団などといっても現在は影も形もなく、とうの昔に死語になっているので、若い人たちは何のことだかわからないかもしれないが、日本は以前、世界一の捕鯨大国だったのだ。現在、欧米各国のごり押しで商業捕鯨は全面的に禁止されてしまったが、私の故郷山口県には大洋漁業(現マルハ)の捕鯨基地があったので捕鯨船団という言葉はじつに懐かしい。私の行った下関水族館にいたペンギンたちも、大洋漁業の捕鯨船が土産に持ち帰ったものなのだ。かくして捕鯨船のおかげで日本各地の動物園や水族館に続々とペンギンが増えていった。客寄せの目玉になったからだ。よそにいない珍しい動物が欲しい、あそこにいるのならうちにも欲しいというわけだ。最近はコアラやラッコがいい例である。パンダだってどこも喉から手が出るほど欲しいだろう。だから本書を読むと、公営私営を問わず、動物園や水族館が純然たる観光施設、観光業者であることがよくわかる。たとえ研究や教育という立派なお題目を掲げてはいても、それは建て前にすぎないのだ。本書に書かれていることだが、南紀白浜アドベンチャーワールドでは不法捕獲と知りながら平然とエンペラーペンギンを買い入れていることでも明らかだ。まあ我々はそれで楽しませてもらっているので、ここで文句をつける気はないが。
 本書は捕鯨船団の生き残り関係者や各地の施設に取材を重ね、なぜ日本にペンギンが増えたのか、なぜ日本人はペンギンが好きなのか、それを解明(推測?)しようというものだ。筆者の取材は相当に徹底している。その過程で意外な事実も明らかになっている。南極観測隊とか「宗谷」という名前を聞くと、私なんぞはいまだに胸が熱くなる。戦後まだ復興途上にある日本を沸かせた大イベントなのだ。その宗谷の幹部船員が家族への土産にするためにエンペラーペンギンを殺していたり、置き去りにされたカラフト犬のタロー、ジローが殺したアデリーペンギンを隊員たちが土産に持ち帰ったり。これまで南極観測隊に関してはきれい事しか語られていなかったのに、陰ではそういうことをやっていたという事実。また、我が国最初の南極探検隊で有名な白瀬隊もアデリーペンギンを殺して食べていたりと、いろいろな事実が次々と出てくる。

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紙の本花日記「犬と歩けば」

2001/09/13 12:06

愛犬との「花見旅」

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 どのページをめくっても、私たち夫婦にとって懐かしい野草や山菜の名前と写真が出てくる。この本は星野さん夫妻と愛犬HALとの「花見旅」の記録、もしくは写真エッセイである。HALは甲斐犬の雑種で御歳9歳にあいなる。この本に登場する野草はセツブンソウ、アズマイチゲ、カタクリ、イチリンソウ、キバナノアマナ、フデリンドウ、スミレ、イカリソウ、ヒトリシズカ、ヤマオダマキ、ヒトリシズカ、キキョウ、オミナエシ、リンドウ・・・。私たちにはどの名前にも懐かしい思い出がある。じつは私たちも、星野さん夫妻とまったく同じようなことをやっていた時期があるからだ。我が家の先代の犬は柴犬の雑種だったが、この犬が異常なほどにクルマ好きで、多摩全域、埼玉、群馬、山梨、長野と、休みのたびに一緒に花を見に走り回っていた。この犬と走った距離はおそらく数万キロになるだろう。ほとんど山道ばかり走っていたせいでよくサスペンションを傷め、この間にクルマを3台買い換えている。
 最初のうちはたしかに花を探して写真を撮ることが目的だった。ところがいつしか、犬と一緒に出かけること自体が楽しみになり、目的にもなったように思う。そのうち犬も歳をとり、長時間の乗車が疲れるようになってきた。それ以来、もう遠くまで花を見に行くこともなくなってしまった。この本を読んでいてなじみのある花の名前や写真を見ると、ついつい花よりもむしろ犬のことを思い出してしまう。犬と暮らすとこういった楽しみもあるのだ。犬が花好きかどうかは知らないが、たとえどこだろうと家族と一緒なら嬉しいのはまちがいない。星野さんと違うところは、私たちは山小屋を所有していないことと写真が下手なことくらいか。星野さんが普段撮影するのは静物と料理。とはいえ、やはりプロである。掲載されているどの写真も、花の写真専門の人に引けを取らない。本当に楽しく懐かしく読めた。ただ本書に登場する花のうち、ユウスゲは名前の通り夕方から朝にかけて開花するため、日帰りが難しくていまだに見ることがかなわない。今いる犬は残念なことにクルマに弱いので、一緒に遠くには行けない。ユウスゲにお目にかかれるのははたしていつのことか。もしもあなたが犬と暮らしていて、その犬がクルマに強ければ、一緒に花見や山菜取りをしてみてはいかがか。犬とあなたの絆はますます強くなるに違いない。
 なおこの本では、しっかりと地元が管理している所以外、具体的な場所の名前はいっさい登場しない。だから群生地ガイドの参考にはならないが、野草の盗掘は後を絶たないのでそのほうがいい。文章から推測すると群馬、山梨、長野あたりらしいとおおざっぱな見当はつくのだが。私たちも犬と一緒に見つけた、サクラソウやカタクリ、アヤメ、ヤマオダマキ、レンゲショウマなど、おそらく誰も知らない小規模な群生地が何カ所かある。それはなくなった犬と私たちだけの秘密の場所にしている。

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紙の本花行脚 66花選

2001/09/13 11:33

花そのものが風景

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 花行脚というタイトル通り、写真家・宮嶋康彦氏が全国を旅しながら撮した花の写真が、季節順に掲載されている。北は北海道から南は沖縄までの66カ所。埼玉・小鹿野の片栗、広島・因島の除虫菊、尾瀬の水芭蕉、奥日光・小田代原の野薊といった具合に、その土地の名物のようになっている花もあれば、たまたま旅先で出会った花(ではないかと推測)も多く撮されている。タイトルの花は外来種をのぞいてすべて漢字で表記している。花の名前なんてものはほとんどいにしえの人が命名したのであろうから、ずいぶんと難しい漢字が使われているものもある。またそれぞれの漢字の字面も面白い。ふーん、こんな漢字を当てるのかと、語源や命名の由来を調べてみたくなる。普段目にする花の名前はカタカナや平仮名ばかりだから、なんだか新鮮な趣がある。また撮影された場所も、観光ガイドブックにはほとんど登場しない土地も多い。
 この人の写真集は私のところに「にっぽん花撮り物語」「誰も行かない日本一の風景」(どちらも小学館)がある。これも本書同様、花を訪ねた旅の写真だ。写真プラスエッセイという構成もまったく同じ。この人の写真に共通しているのは、花を花として撮しているのではなく、花を風景として捉えていることだ。花のある風景というよりも、花そのものが風景になっている。花のディティールを撮し込むことは考えていない。だから巷にあふれている花の写真とはひと味もふた味も違うのだ。花のディティールを見たい人や、花の美しさを見たい人には物足りないかもしれないが、私にはこの人の写真がとても新鮮に感じられるし、エッセイも旅心をくすぐるものがあり、ファンのひとりである。
 四季のうちでも、春から初夏にかけては、花の種類が一番多い季節だ。すぐに散ってしまう花もある。東西南北飛び回っての撮影、さぞや忙しいことだったろう。本書は日本経済新聞夕刊に連載されたものを一冊にまとめたもの(本書発行時にはまだ連載中とのこと)。それは知らずに本書を読んだのであるが、花と旅という組み合わせは読者受けする企画だろう。もちろんそういった企画自体は目新しくも何ともないが。しかし花専門の写真家や旅行ライターを起用していたら、おそらくきれいなだけの花の写真になっただろうし、よくある花旅ガイドで終わったと思う。しかし宮嶋さんは写真だけでなくエッセイも書ける人だ。それが宮嶋さんの本を他の花旅ガイドとは一線を画したものにしているのだ。
 ただ、惜しいなと思うことがふたつ。ひとつは、光沢のある紙を使ってくれれば、写真がもっと引き立ったのではないかということ。せっかくの花の色が紙のせいで(それとも印刷のせいか?)くすんで見えるのが残念。もうひとつは、編集サイドの企画が安易だということ。先にも書いた「にっぽん花撮り物語」「誰も行かない日本一の風景」と構成が同じで、これではまるで続編のようだ。何か違った要素をプラスすべきだった。「花と旅の両方を押さえたら読者受けするだろう。だったら宮嶋さんでいいんじゃないか」という安易な姿勢が感じられる。取り上げた花や場所が違うだけの二番煎じ、三番煎じでは、日本経済新聞ともあろうものがちょっと情けないぞ。企画力では完全に小学館に負けているな。

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紙の本日本列島ホタル前線の旅

2001/09/13 11:13

ホタルの「頭」はなぜ?

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 梅雨の合間を見計らうように、川や田圃でホタルが飛びかう。よく知られているのはゲンジボタルとヘイケボタルの2種類だが、ゲンジのほうが先に出てくる。見ることができる時期は、南の早いところでは6月初め頃から、北の遅いところでもせいぜい7月中頃まで。「ホタル前線」とは言い得て妙だ。野鳥の「カッコー前線」というのもある。
 私も6月29日、自宅から車で5分くらいの川にゲンジボタルを見に行った。毎年6月20日過ぎから飛び始め、毎年のピークは22〜25日頃になり、それに合わせてホタル祭りが行われる。そのときはあいにく天候が悪く、ホタルが出そうもないので行かなかったのだが、その間にピークは過ぎていた。棲息地を2カ所廻って、眼にしたホタルはせいぜい20匹程度。年々減ってきている。それでも毎年見ないと気がすまない。年によっては毎日通ったこともある。
 ホタルが成虫になってお尻を明滅させるのは、ほんのわずかの期間だ。なんとも儚い。しかしその儚さが、日本人の心情に叶うのだろう。東京でも、まだ江戸と呼ばれていた時代には棲息地ははるかに多かったに違いない。日本中どこでもそうだったに違いない。我が家のそばに小さな田圃がある。数年前まではヘイケボタルがいた。ここに引っ越した当初は家の周りをたくさん飛んでいたのが嘘のようだ。
 この時期に本書の書評を書くのは、あまりにも時機を失しているとひんしゅくを買いそうである。本当なら5月でも書くべきものだが、本書を見つけたのがつい先週のこと。宮嶋康彦氏は、2週間ほど前にここで紹介した「花行脚 66花選」と同じ著者である。南は鹿児島から、北は山形県まで、ホタル前線を追いかけての取材だ。一気に廻るにしても、せいぜい1カ月間というきわめて短い期間に限定されてしまうこの取材。そのうえいい写真が撮れるほどホタルが出てくれるかどうか、現地の天候次第だ。とうてい1年や2年では1冊にまとまるはずがない。後書きには「ホタル前線を旅するようになってから10数年」とある。いずれ本に、という目的があってのことかどうかはわからないが、なんとも風流かつ贅沢な旅ではないか。宮嶋康彦氏の写真集を見ていつも感じることだが、「写真家」という肩書きに収まらない人だと思う。写真の腕よりも、むしろ企画力や文章力のほうが強く印象に残る。
 ホタルを見るとき、もうひとつ大きなおまけがある。ホタルが棲息する川なら、たいていカジカガエルもいるのだ。しかもカジカの鳴く時期はだいたいホタルといっしょだ。「フィー、フィー」という、とてもカエルとは思えない美しい鳴き声を聞きながらホタルを見るとき、やはり日本に生まれてよかったとしみじみ思う。これこそ日本の初夏だ。なお本書で紹介されたホタルの棲息地はごく一部にすぎないが、ホタル祭りの情報なども載っているのでガイドブックとしても役に立つ。全国でホタルが見られる場所はまだ多い。たとえ数百匹という群舞は見られなくても、こまめに情報を集めれば実際の棲息地はまだかなりある。本書の写真を見ると、川岸に草がおいしげった水のきれいな川と田圃のセットになっているような場所が多い。どこもよく似た風景だ。こういう場所なら日本中どこにでもある。護岸工事や河川改修がおこなわれた川にはホタルどころかメダカもいないが、本書の写真のような川であれば、かなりの確率でホタルが見つかりそうな期待がもてる。
 ホタルの撮し方も簡単ではあるけど紹介されている。今年はもう無理だが、来年は自分もホタル撮影にトライしてみたい。なお本書によると、ホタルの数え方は「頭」と呼ぶのが正しいようだ。日本語の数の数え方は本当に難しい。ウサギは「羽」だし、犬も大きさによって「頭」だったり「匹」になったりする。ホタルの「頭」はなぜ?

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チャブ夫妻の“箱船”

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 「箱船」といっても、ノアの箱船のことではない。チャブ夫妻が1978年から運営している野鳥病院のニックネームだ。正式名称を「鳥類研究救護財団」というこの病院は、カナダのオンタリオ州にあるこの箱船には、銃で撃たれたり交通事故でけがをした野鳥がたくさん運び込まれてくる。オンタリオ州というのはどんなところか知らないが、本書に登場する野鳥はペリカンやガン、カモ、サギ、タカの仲間、ハクトウワシ、フクロウ、さらにコンドルといった大型のものばかりだ。とくに猛禽類が多い。
 けがをした鳥たちには申し訳ないけれど、鳥好きから見たらなんと羨ましい。動物園に勤めている人でもない限り、これらの野鳥に触ったり抱いたりする機会は一生ないだろう。しかしあの広大なカナダでさえ、野鳥が交通事故に遭うということが不思議でもある。せっせと鳥たちを運び込んでくるのはチャブ夫妻の活動を支援するボランティアたちだけじゃない。たまたまその場に遭遇した一般の人たちも、自らを危険にさらしてまで野鳥を救助して運び込んでくるのだ。さてこれが日本ならどうだろう。可哀想と思う気持ちは同じでも、処置に困るので見て見ぬ振りというのが普通ではなかろうか。
 カナダ人が特別慈悲深いとも思えないが、「鳥も人間も同じ命だ。助けられるものなら何とかして助けてやりたい」という気持ちは、どうやら向こうのほうが日本人よりも強いようだ。無報酬で病院を運営しているチャブ夫妻の、長年にわたる地道な野鳥の治療・啓蒙活動が、箱船の知名度を上げたせいもあろう。奥さんのキット・チャブさんは元々は看護婦である(もちろん人間の)。生来の生き物好きだったが、箱船をつくったのはけがをした野鳥を見つけたのがきっかけだ。適当な病院が見つからず、それなら自分たちでつくるしかないと決心。さっそく行動に移す。このキットさんのみならず、外国の女性は本当に行動的でエネルギッシュだ。理屈を言い合うよりもとにかく動こう、という点に関しては日本人はとても適わないものがある。
 また、こうした民間人の活動に対する国の対応や支援も、日本の行政サイドは見習うべきだ。なんらビジョンも信念も持つことなく、なわばり意識だけに凝り固まった日本の小役人どもなら、あちらこちらたらい回しのあげくに、支援どころか横槍をはさむのが関の山だろう。専門家と称する連中もここぞとばかりにしゃしゃり出てくるに違いない。研究の対象となる野生動物や希少動物以外は、彼らにとって助ける価値がないからだ。
 本書に描かれているのは、箱船に運び込まれた鳥たちの闘病記録、看護記録であるが、野鳥の生態がとても正確かつ詳細に書き込まれていることに一驚する。本書に登場する鳥たちは日本にも同じ仲間がたくさんいる。しかしいままで、これほど詳細で生き生きした観察記録にはお目にかかったことがない。野鳥の生態観察の記録としても特筆に値する内容だ。「万々一、自分がけがをした野鳥を保護する機会があれば、きっと本書が役に立つ」などと、つい妄想も膨らんでくる始末で、長く手元に残しておきたい本だ。おそらく原書もすばらしいのだろうが、それだけではない。訳者に人を得たせいだ。翻訳を担当した黒沢優子さんは、獣医の夫とともにタンチョウで有名な北海道鶴居村に居住している。チャブさんのところと同様、よく野鳥が運び込まれてくるとあとがきに書いている。黒沢さんの正確な翻訳のおかげで本書の値打ちがさらに上がったといってよい。いい忘れるところだったが、本書のイラストはすべてキットさんが描いているが、これがとても素人が描いたものとは思えない出来なのだ。

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紙の本カワセミ物語 若尾親写真集

2001/09/12 16:44

カワセミは本当に絵になる鳥だ

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 カワセミは本当に絵になる鳥だ。1羽でじっと枝にとまっている姿は、孤独感を漂わせているし、捕らえた魚を岩にたたきつける様子は激しい野生をまざまざと見せつけられる。野鳥の撮影を志す人なら撮りたい鳥の筆頭だろう。しかしカワセミのような特徴のある鳥は、誰が撮っても絵になるだけに、どれも似たような写真になりがちである。そんじょそこらにたくさんいる鳥ではないけれど、格別珍しいというわけでもない。野鳥の好きな人ならたいていカワセミの様々な姿を眼にしているし、発表される写真も数多い。見る側の目が肥えているだけに、なまじっかな写真では読者は満足しないだろう。これがオオタカやイヌワシのように実物を見ることが難しい野鳥であれば、鮮明な写真をある程度そろえれば写真集にしやすいというメリットがあるのだが。
 そこで、そんな難しいカワセミを一冊の写真集にまとめるには、いろいろな工夫が必要になってくる。たとえば水中カメラを使った獲物を捕らえる瞬間のシーン、求愛、交尾のシーンなど。ところがこれらの写真も、やはり誰しも考えるところで、すでに先駆者が大勢いる。おそらくこの若尾さんも撮影を進めるにつれ、どんなシーンをポイントにすればいいか、相当に悩んだのではないだろうか。この写真集にはセオリー通り、採餌の水中シーンから求愛、交尾といったシーンが一通り収められている。
 しかしハイライトはなんといっても、育雛から巣立ちの一連の写真だ。もしも若尾さんが自分の写真のことしか考えない人だったら、親の留守を狙ってもっと巣に接近し、巣の中の様子を撮影したかもしれない。よくテレビのドキュメンタリー番組でそういった場面を見るように。たしかに貴重な映像を撮りたいというスタッフの気持ちはわかるが、あれは見ていて本当にハラハラする。矛盾した話だが、見たい反面、やめてほしいと願う気持ちも強い。下手をすると親が巣を放棄しかねないからだ。幸いこの写真集にはそのたぐいの写真が載っていないので安心した。
 若尾さんの写真を見ると、まるで若尾さんが親鳥になったような気持ちで、巣立ちしたカワセミの雛たちを見守っていることがとてもよく伝わってくる。無事に巣立った雛たちの写真は、あたかも自分の子どもの成長記録のようである。巣立ち直後の頼りない目つきが、段々カワセミらしい鋭さを見せていく過程がはっきりと若尾さんのカメラに捉えられている。悲しい写真もある。不幸にも蛇に追われて亡くなってしまった雛の姿や、役割を終えて河原に横たわった親鳥の死骸。あえてこういった写真を掲載したところにこの写真集の意義があると思う。見終わって一番印象に残ったのはこの2枚の写真だ。この2枚の写真こそ、野生の厳しさを何よりも雄弁に物語っているからだ。またこれは同時に、若尾さんが野生というものをどう捉えているかのメッセージでもあるのだろう。
 この写真集はさほどページ数は多くはない。にもかかわらず、久しぶりに見応えのある写真集に出会えてとても満足だ。

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紙の本マイ・ジャーナル鳥

2001/06/13 23:05

アイデアでいろいろ使えるバードウォッチング用のフィールドノート

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 セロハンの袋に入れられた、なんだか正体不明の本。動物のコーナーに置いてあるし、表紙にはカワセミのイラストと、その下に小さくタイトルが。おまけにスパイラル(針金だけど、この本の場合は螺旋状ではない)で綴じられていて、ノートのような、小型のアルバムのような、不思議な外観である。裏表紙にはちゃんとISBNコードや定価を印刷したシールが貼ってあるので鳥関係の書籍らしい。本体価格は2,500円というけっこうなお値段。袋から出して中身を見ることもできるのだが、あとのお楽しみにした。ところが開けて驚いた。ノートのようなという最初の印象通り、本当にノートなのだ。各ページには「日時」「天候」「場所」の記入欄があるだけ。後半部分は野鳥の名前が書かれたチェックリストのページや、観察データを記入するページ、ご丁寧に方眼紙のページまである。ノートという言葉こそどこにも書かれてはいないが、つまるところバードウォッチング用のフィールドノートらしい。

 A5サイズで80ページほど。表紙は布貼りの上に紙を重ね貼りし、ゴム紐で閉めることができるようになっている。フィールドデータを記入するページには野鳥や巣、野草などの素敵なカラーイラストが印刷されている。ちなみに野鳥と巣のイラストを描いた鈴木まもるさんは、書評欄で以前取り上げた「ぼくの鳥の巣コレクション」の作者である。なんとも豪華というか高価なフィールドノートだ。この本というかノートを高いと思うか妥当と思うか、それはもう人それぞれの価値観の問題だろう。

 値段を考えなければ本当に素敵なフィールドノートだから贈り物にもいい。そう考えて、試しに裏表紙に貼ってある定価のシールを剥がしてみた(定価がわかってしまうとお互いまずいからね)。貼り付けは手作業なので、私のは少し斜めになっていた。慎重に剥がすと、シール自体はきれいに取れた。下の紙も破れたりはしない。ところが問題があった。シールの接着力があまりに強すぎて、剥がすときに下の紙を強く引っ張ることになり、紙と布とが剥がれてしまい、シールの後がボコボコになってしまったのだ。これじゃあみっともなくて贈り物にはちょっとねえ。しつこいようだが2,500円もするノートなんだから、そういうところはきちんとやってほしいのだ。これはこの出版社に限らずあらゆる流通業者にいえることなのだが、売り物にシールを貼る際に無神経なところが多すぎる。

 私の家内はえらく気に入って(そりゃそうだ。自分で買ったわけじゃないから)、この書評を書く前に勝手に自分のものにしてしまい、さっそくカタクリの写真なんか貼ってしまっている。家内の場合は野草の観察記録(写真メモ)に使うようだ。野鳥チェックリストが付いているからといって、なにもバードウォッチング専用にすることもなかろう。色々な使い方が考えられるし、好きなように使えばいい。しかし実際の使い勝手から見ると、バードウォッチングの際に持ち歩くには不向きだ。サイズが大きいし、表紙が固いので服のポケットなんかにはとても入らない。ザックに入れても邪魔になる。しかも高価だから汚したくない。もしもバードウォッチング用に使うのであれば、現地では小さなノートになぐり書きしておき、帰ってからこのノートに清書する、ついでに写真があればそれも貼る、そういったところか。

家庭・実用ジャンルの鳥と動物の本のバックナンバーはこちらから

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紙の本ナチュラリストの生きもの紀行

2001/06/11 15:05

ナチュラリストという言葉には違和感がある

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 本書は芥川賞作家の著者が、日本各地や諸外国に生き物や自然を訪ね歩いたエッセイ集だ。これまでさまざまな雑誌や会報などに発表したものを、一冊にまとめている。じつのところ、私は芥川賞に選ばれるようないわゆる「純文学」にはさっぱり興味がないので、加藤さんの名前を目にするのは今回が初めてだ。これまでどのような小説やエッセイを書かれているのか、まるで知らない。興味を引いたのは奥付や本文に書かれている略歴だった。加藤さんは北海道大学農学部を卒業し、農林省技官から日本自然保護協会を経て作家として独立。日本野鳥の会理事も務められている。女性としては(といったら失礼か)、また作家としてもちょっと珍しい経歴である。
 ここで紹介されている旅の内容は、礼文島の花、別海町のオジロワシ、霧の釧路湿原、氷ノ山(鳥取)の原生林とオオルリ、屋久島の原生林、奄美大島のルリカケスなどの国内編と、タイの野鳥、ケニアのフラミンゴ、タンザニアのチンパンジーなどの海外編である。いずれも生き物好き、花好きにとって羨ましいような旅だ。しかし私が一番印象に残ったのはこうした旅の話よりも、「ナチュラリストの道」という章におさめられた加藤さんの自宅における自然体験を語った文章だ。加藤さんが住んでいるのは東京大田区。すでに40年とのこと。住みはじめた当初はまだいくらかは鄙びた風情も残っていたことだろうが、いまは大田区といえばもう都心だ。自宅の庭にやってくる野鳥たち。シジュウカラやオナガ、カワラヒワ、ムクドリ、そしてカワセミやコサギまで。いまではカワセミは無理かもしれないが、都心でも四季折々の自然と出会えるのである。都会には自然がない、などという人も多いが、それは「ない」のではなくて、その人が気がつかない、その人の目には映っていないだけだ。加藤さんはこの中で、また本の帯にも同じ文章で「大自然に囲まれて生活しようとも、都会の中で暮らそうと、その感覚——人間の自然性——を忘れないかぎり、その人はナチュラリストなのではないかと思う」と書いている。まったく同感だ。田舎に住んでいても自然を感じない人だっているのだから
 しかし、以前この書評コーナーで書いたことがあるが、「ナチュラリスト」という言葉は何度目にしてもなじむことができない。体がムズムズしてくる。「自然愛好家」とか「自然案内人」というような意味合いで使われているようだが、職業ナチュラリストさえ存在するのがなんとも不可解だ。私が不可解というのはそういった人たちよりも、むしろそういう肩書きを受け入れている世の中の人たちのことである。人に教えてもらわなければ自然を感じることができないのか? 自分たちの目にはいったい何が映っているのか? ナチュラリストと名乗っている人たちは、やはり名刺の肩書きに「ナチュラリスト」と書いているのだろうな。どうも受け取るほうが恥ずかしい気がするのだが。加藤さんはあとがきで、「でも正直いって、自分をナチュラリストと呼ぶことにはためらいがありました・・・・」と書いている。これを読んでなんだかほっとした。

★『動物&鳥好きに送る書評』はこちらから読めます。

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優れた翻訳書の見本

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 鳥の飛び方を見て最初に飛行の原理を解明した(完全ではないが)のは、かの奇才レオナルド・ダヴィンチといわれている。以来多くの人たちが鳥になりたいと願い、飛行に挑戦してきた。鳥のように自由に空を飛べたら、というのはいつの世も変わらぬ人間の夢である。飛行機が旋回する原理や離着陸の際のフラップ操作、これらは鳥の翼の動きとほとんど同じだ。鳥こそが今も昔も飛行機のお手本なのだ。鳥は羽ばたくことによって推進力を得ている。代わりに飛行機はエンジンで推進力を得る。エンジンは原始的なピストンエンジンから排気ターボに、そしてジェットエンジン、ロケットエンジンに進化してきた。しかし現代の飛行機はあまりにも発達しすぎ、かえって夢がなくなってきたように感じる。空への夢をかき立てるのは、エンジンに頼らず、上昇気流を捉えて優雅に空を舞うグライダーではなかろうか。あれこそ鳥の姿そのものだと思う。どこかのテレビ局で毎年のように、「鳥人コンテスト」なるイベントが行われてきたのをご存じの人は多いだろう。自力で空を飛べたらというのは、人間永遠の夢だ。
 本書は飛行の原理を鳥のそれと比較しながら、やさしく解き明かしたものである。やはり航空工学の話であるから、いろいろな数式がいやというほど出てくるのは仕方がない。私自身、物理や数学の分野はまったく苦手だ。そこで数式なんかはすっ飛ばして読んでみた。意外なことに、それでも書かれている内容は結構理解できるのだ。たとえば速度と翼の面積との相関関係、すなわち翼面荷重の話などはとてもわかりやすい。カワセミやカワガラスの飛ぶところを見たことのある人なら、ジェット機の飛び方との共通点がたちどころに理解できるだろう。スピードを出すためには翼面荷重を大きくする、つまり翼が小さいほどスピードが出るし、逆に小さい翼ではゆっくり飛んだり急旋回できないということがわかるはずだ。またツバメやハトなどがスピードを出しているとき、翼を縮めて飛んでいる。そうすることによって翼の面積を小さくして翼面荷重を大きくしているわけだ。我が家の周りでは夕方になるとコウモリが飛び回っている。大きな翼に、不釣り合いなほど小さな胴体。自由自在にヒラヒラと飛んでいるが、スピードは出せない。翼面荷重がきわめて小さいからだ。本書はタイトルにある鳥との違いというよりも、鳥と飛行機を重ね合わせて飛行の原理や航空力学を解説してあり、興味深い話で埋まっている。いままで数式を頭に置いて鳥を見るなんていうことはなかったが、本書を読んだ後では、また違った視点で鳥を見る楽しさができた。私は鳥だけでなく飛行機も大好きで、本書を読んで目からウロコが落ちた気がする。
 著者はもちろん航空工学の専門家だ。訳者のあとがきによると原書はオランダ語で書かれ、それを著者がさらに英文化したものだ。原文そのものが一般の人にもわかりやすく書かれているに違いないが、著者の文章力に劣らず訳者の力も大きい。訳者の高橋健次氏の略歴は書かれていないが、翻訳臭さが微塵もない訳者の文章力に敬服した。翻訳書はいくら原書が優れていても、訳者次第でダメ本になる場合が多い。本書は優れた翻訳書の見本だ。手元にある本は第3刷だが、この手の本で増刷を重ねるというのは滅多にないことだと思う。

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消滅した三面マタギたちの生活

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 「マタギの自然観に習う」とサブタイトルにあるとおり、本書はマタギ部落の生活を克明に調査した記録だ。マタギというのは簡単にいえば職業猟師のこと。それも集団で猟をする。一般によく知られているマタギ集団は、秋田県北秋田郡阿仁町の阿仁マタギだ。私もだいぶ昔、角館方面に行った際に、阿仁合線というJRのローカル線に乗って阿仁を訪れたことがある。当たり前の話だが、猟銃を背負った男たちがぞろぞろ歩いているはずもなく、ごく変哲もない山村だった。本書の舞台になったのは、新潟県岩船郡朝日村三面集落の「三面マタギ」である。本書にはマタギたちやその家族が大勢登場する。しかし、三面マタギはもう存在しない。登場した人たちも、もう誰一人三面にはいない。いや、三面集落そのものがなくなってしまったのだ。この三面集落はダム建設で1985年に閉村され、ついに2000年10月にはダムの底に沈んでしまったからだ。じつは本書が書かれたいきさつも、閉村を見越して生活の記録を映像として残すためだったのである。なお本書は1992年に単行本として出版され、このたび改訂版が「人間選書」のシリーズに収められたもの。
 前書きによると、著者は映像と活字の両面から同時進行で記録を進めたとある。また、このプロジェクトに関わる前の著者は、映画の助監督をしていたと書いてあるからには、映像が記録作業のメインだったのだろう。1982年から1985年までの延べ4年間、現地に長期滞在したり通ったり、その間のフィールドノートをまとめたものが本書だ。記述はじつに克明である。三面の人たちの方言やマタギ独特の「マタギ言葉」がそのまま書かれているので、細かいニュアンスはわからないにしても、当時の三面集落の暮らしぶりや、マタギたちの慣習がとても生き生きと伝わってくる。もちろんマタギがいくら職業猟師といっても、さすがに昭和の世ではそれで生活を立てているわけではない。現金収入の幾ばくかをおぎなうであろうが、むしろ獲物を狩るのは彼らの「血」と考えたほうがいいかもしれない。著者も実際にマタギたちの猟に加わっている。本書の端々から、いまは存在しない三面マタギの実態だけでなく、山村の四季折々の生活が目に浮かんでくる。不思議なほど、15年前の出来事という古さをいささかも感じることがない。
 後書きで三面集落のその後が書かれているが、それによると全戸数42戸のうち、31戸が近隣の村上市に集団移転、5戸が豊栄市、その他は新発田市や新潟市、さらに関東へ移転と記されている。当然マタギたちは生活環境が激変し、生活が落ち着くまでに移転から3年を要したとある。ダム建設による集落の消失は珍しくないが、そのたびに多くの人たちが生活の基盤だけでなく、永い年月に積み重ねてきた家族の歴史を根こそぎ失うということを考えるべきだ。本書は感傷をまじえず記録に徹しているが、それだけにそういった人たちの哀しみや戸惑いがよく実感できる。なにしろ、本書に書かれたマタギたちの生活は一切消滅してしまったからだ。

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ペンギン研究の成果の凝縮

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 ペンギン研究の第一人者・青柳さんが突然亡くなられたのはいまから3年前、1998年だ。本書が発行されたのがその前年。まだ64歳だった。最初に青柳さんの本と出会ったのは、「ペンギン 南極からの手紙」(平凡社、1981)だった。その「ペンギン・・・」は、青柳さんが1978年に、ニュージーランド・カンタベリー大学のグループに加わって南極ケープバードでアデリーペンギンの生態を観察したときの記録だ。アデリーペンギンの珍しい写真がたくさん掲載されている貴重な本だ。残念なことに、現在は絶版(?)になっているのか、書店で見かけることはない。幸い私は手元に所有しているが、ぜひとも増刷してもらいたいものである。
 しかし本書も「ペンギン 南極からの手紙」がベースになっているようで、内容はケープバードにおける観察記録が中心だ。掲載されている写真も、相当数がそのときの写真と重複しているので、前掲の本が入手できない人は本書だけでも読んでほしい。アデリーペンギンは一番ペンギンらしいペンギンだと思う。日本の動物園や水族館で飼われている数は少ないにもかかわらず、CMのキャラクターに使われたせいもあってか、日本人にはとてもなじみ深い。ペンギンと聞くと、誰でもまず思い浮かべるのは黒と白のシンプルなアデリーペンギンの姿だろう。しかし野生のアデリーペンギンを見るには南極まで行かなければならない。青柳さんが初めて南極に行き、アデリーペンギンたちと出会ったのは1971年からの第13次南極観測隊の生物担当隊員としてだ。その後前述のようにケープバードにおいて、さらにアデリーペンギンたちの詳しい生態を観察することになる。以後亡くなるまで、青柳さんは様々な形でペンギンとかかわり続ける。
 本書のような新書や文庫というと、そのサイズと価格からお手軽な本というイメージを持たれやすい。しかし本書をそういうイメージで捉えるのは間違いだ。この小さな本には、青柳さんのペンギン研究の成果が凝縮されて詰まっているのだ。本書の内容はかなり専門的な話が多いのだが、青柳さんの豊富な教師経験からか文章がとてもわかりやすい。また本書は「ブルーバックスシリーズ」のコンセプトにのっとり、一般のペンギン好きが興味を引くような章立てでうまく構成されている。ペンギンの体の仕組みや、求愛行動、アデリーペンギン独特の集団育児、ペンギンたちの体の模様や頭の飾りはどのような意味を持っているのか、ペンギンミニ図鑑など。別に1ページ目から読む必要はない。どの章から読んでもいい。「ペンギン 南極からの手紙」もそうだったが、私が一番面白いと思ったのは集団育児についての観察記録だ。なぜアデリーペンギンが「クレイシ」という保育所のようなものを形成するのか、それについての青柳さんの解説がじつに興味深い。さらに体の模様や頭の飾りが持つ機能の分析も卓抜だ。珍しい写真もたくさん掲載されているので、暇つぶしにそれらを眺めるだけでも楽しい。ただ、なにより残念なのは、もう青柳さんの新作を読めないことである。青柳さん自身、本書のあとがきで次のように語っている。「本務の余暇に、ペンギンと関わり続けて生きてきたが、いったい何がどれほどわかったかと問われると、アデリーペンギンの繁殖生態が幾分理解できたという程度で、ようやくペンギン生物学の全貌が見えはじめたという段階である」

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紙の本飛ぶ宝石 蝶の情景

2001/05/21 17:21

蝶の世界は熱狂的なマニアの世界

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 村田さんは写真が本業ではない。本業は京都府にある(株)村田製作所の社長だ。同社はたしか通信機器や電子部品などを製造している一部上場企業だ。本書の長文のあとがきに書かれていることであるが、村田さんは小学生時代に蝶に魅せられて以来45年間、一貫して蝶を追い求めている人だ。大企業の社長という多忙極まる日常の中、小学生時代からの趣味(ご本人には軽すぎる言葉かもしれないが)を追い続けるのは容易なことではあるまい。それも国内だけにとどまらない。本書に掲載された蝶は日本以外に、中国、台湾、東南アジア、南米、北米、ヨーロッパ、トルコ、オーストラリア、バリ島などである。1992年に出版した1冊目の「夢 蝶 美」(保育社)という蝶の写真集があるが、こちらも同様だ。蝶の世界は熱狂的なマニアの世界と聞いたことがある。いったん魅せられてしまうと世界の隅々まで追い求めないと気が済まないのだろう。もちろん経済的にも時間的にもそれが可能な人ならのことだが。
 写真の腕前はとても趣味のレベルではない。昆虫専門の写真家と同等かそれ以上のレベルに達している。最初に本書を見たときも、専門家の写真集であることをまったく疑わなかったくらいだ。奥付の著者略歴を見て驚いたものだ。対象である蝶の研究だけでなく、撮影技術も研究を重ねて磨き抜いたのであろう。究極のマニアの姿を見せつけられた思いがする。広角レンズを駆使し、対象である蝶を至近距離から撮影して画面にできるだけ大きく取り入れると同時に、周囲の環境をも十分撮し込む手法は昆虫写真の世界では現在主流になっている。村田さんの写真も多くはその手法を取り入れたもので、蝶そのもののディティールがはっきりわかるのはもちろんのこと、現実離れした遠近感が一種幻想的な雰囲気を醸しだしている。
 私は蝶についてはほとんど知識はないし名前も知らないが、それでも美しい蝶を見かけるとつい夢中になって見とれてしまうことがある。昆虫の中でも蝶の美しさは格別だ。タイトルの「飛ぶ宝石」とはいみじくも名付けたものである。本書にはたくさんの蝶の名前が出ているが、ここでそれをいちいち羅列するような野暮なことはやめたい。とにかく本書を一度手に取って見てもらいたい。蝶が好きな人にはおそらく貴重な写真集だろう。しかし私のようにあまり蝶に興味がない人でも、村田さんの写真のすばらしさ、蝶の美しさはたちまち伝わるはずだ。なお、まえがきとバリ・オーストラリアの撮影記は奥本大三郎氏が書いている。

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紙の本犬にまたたび猫に骨

2001/05/21 17:11

よくいえば軽く読める本

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 著者は横浜にある兵藤動物病院のスタッフである。この病院は本の帯によると、TBSラジオ「全国こども電話相談室」でおなじみとのこと。残念ながら、私はラジオを聴く機会がないのでそれは知らない。ペットに関する電話相談を担当しているのだろうか。病院の開業は1963年というから、おそらく動物病院としての実績は申し分ないのだろう。帯のキャッチコピーには「猫ちゃんの言いぶん、犬くんの本音」とある。カバーイラストは動物イラストの第一人者(これは私の個人的な好みであるが)の佐藤邦雄さんだ。犬の獣医が猫の患者を診ている、とぼけた味のイラストがじつにいい。佐藤さんを起用するなんて贅沢な本だ。それで内容はというと、早い話が兵藤動物病院で飼い主や患蓄たちが引き起こした騒動記である。人間相手の医者や看護婦が書いたよくある病院騒動記と同じたぐいの本だ。それにしてもキャッチコピーの「言いぶん」や「本音」とは、この本のいったいどこからひねり出したのか?
 この病院は登場する獣医やほかのスタッフたちの人数からすると、動物病院としてはかなり規模が大きいらしい。当然患蓄の数も多く、バラエティーに富んでいることは想像がつく。我が家も獣医はよく利用するのだが、自分の番が済むとすぐ帰ってしまうのでこの本に書かれているようなドタバタは見聞きしたことはない。きっと病院に一日詰めていれば色々と面白いドラマが見られるのだろう。患蓄に付き添ってきた大家族が心配のあまり診察室で引き起こす騒ぎなんていうのは、これはいかにもありそうな話だ。だいたい動物好きは人間の場合よりもペットのほうがはるかに心配だから、家中で来ている姿はよく見かける。入院させたペットが心配で1時間おきに電話してくる飼い主、病院で行われたマルチーズの盛大きわまる葬式、中学生たちの病院見学、宝石の入った袋を飲み込んで手術されたリトリーバー、診察室で突然はじまった患蓄そっちのけのすさまじい夫婦喧嘩、人間用の墓地を縮小してペット霊園の拡大を続ける坊主・・・。キリがないからこれ以上内容を紹介するのはやめにするが、こんな具合に何だかとりとめのない話がたくさん出てくるのである。中にはほろっとする話もあるにはあるが。
 よくいえば軽く読める本ということになるが、脈絡のない話を単に羅列しただけともいえる。それにこの文章ははたして著者の地なのかどうか、面白おかしく書きすぎているがために、かえってリアリティーが薄まってしまい、受け狙いで話を作っているかのような印象を受けてしまう。またこれは本の価値には関係ないことであるが、読んでいて不思議に思ったことのひとつが著者の仕事だ。この病院における肩書きは「マネージャー」と「愛玩動物飼養管理士」とある。しかし本書を読む限り、それがいったいどんな内容の仕事なのか、さっぱりわからない。奥付の略歴を見ると、さらに「ISOや現場改善、ITマネジメントを中心とするフリーのジャーナリストとして活躍中」とある。ますます正体がよくわからない。私が鈍いのか? この本を読むと動物病院の内情がいくらかわかるとはいえ、ただそれだけで終わっていて、先にも書いたがどこにも「言いぶん」や「本音」は見あたらない。ネタのひとつひとつは決してつまらないものじゃないのにもっと内容を整理して抑えた文章にすれば、と思うのだが、まあ佐藤さんのイラストがあるのがせめてもの救いか。

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紙の本ツルはどこからやって来るのか

2001/04/23 18:16

少年の日にツルと出会った感動なのか

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 「ツルはどこから」といっても棲息地を探すのではなくて、棲息地からどこを通って渡来してくるのか、帰っていくのかという話である。ツルの渡来地としては鹿児島県出水市と、山口県熊毛郡八代の2カ所が知られているが、このうち本書で取り上げているのは出水に渡来するツルである。北海道釧路市近郊の鶴居村のタンチョウヅルも有名だが、ここのツルは渡りはしないで一年中棲みついている。長崎県平戸市に生まれた著者が初めてツルの渡りを見たのは1940年の秋、著者5歳のとき。おそらく出水市に向かう途中のツルだろう。それ以来ツルに取り憑かれたかのように、著者はツルの渡りルート(ツルの道)解明にのめり込む。高校時代(1952〜1955年)に生物クラブに入部して出水市に渡来するツルの渡りルートの一端を見つけ、その全貌を解明したのが1985年。30年という歳月を費やしている。本書は初めてツルと出会ったときからルート解明まで、じつに半世紀に渡る調査記録である。
 私は2年前の3月はじめ、たまたま所用で出水市に行く機会があった。この年は1万羽以上のナベヅルやマナヅルが渡来していたが、この時期はすでに渡り(帰り)の最中で、数十羽ずつの編隊を組んで飛び去るツルの群を何度も見た。せっかくだから渡来地に行ってみた。展望所に上がると、まだ数千羽のツルたちがいた。かなり離れていても、さすがに数千もの数となると鳴き声がすさまじい。もちろんそこだけでなく、畑で採餌している小さな群が出水市や隣の阿久根市周辺のあちこちにいた。著者たちの調査によると、帰り道になる秋の渡りの際、出水市から天草を経て、長崎半島、平戸島、対馬とほぼ直線的なルートで朝鮮半島まで飛ぶ。棲息地はまだ遙か遠くのシベリアである。陸地伝い、島伝いに飛ぶのは悪天候のときなどに一時避難するためと考えられるが、普通は途中で休むことなく朝鮮半島まで一気に飛んでいくらしい。著者はこのルート解明のためにヘリコプターやモーターグライダーまで駆使している。本書には、そのとき上空から撮影した珍しい渡り中のツルの写真も多数収録されている。
 ツルの渡りルートを解明したところで、もちろん社会的にはなんらメリットはないだろう。鳥に興味のない人にとっては、ただの壮大な無駄と映るかもしれない。それを承知で著者をここまで一心不乱に駆り立てたのはいったい何だったのだろう。少年の日にツルと出会った感動なのか。ツル、いやほかの渡り鳥すべてにとっても渡りは命を懸けた大冒険であり、いまだ謎だらけであるが、私には著者の動機のほうがより興味深い。

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