古山高麗男(作家)さんのレビュー一覧
投稿者:古山高麗男(作家)
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紙の本宮脇俊三自選紀行集
2002/01/11 16:36
目玉の据わっていない完璧主義
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宮脇俊三さんをどう言えばいいのだ。旅の名人。特に、鉄道の旅となると、私には空想でしか考えられない大きな規模で旅行をして、その話を書いていらっしゃる方である。
宮脇作品の世界は、広く、しかし、浅くはない、深いのである。これほど広いものに、こんなに深く入って、大きく吐き出している人が、今までにいただろうか。私は驚き、畏敬する。これほどのものを、的確に評し、解説する能力は私にはないな、と思う。
乗物好きで、乗物に詳しい方としては、阿川弘之さんが知られている。阿川さんの旅行記もみごとなものだ。阿川さんは旅行一すじ、乗物一すじの作家ではない。阿川さんは海軍を書き、戦争を書き、壮快なエッセイを書く。そのどれをも阿川さんならではのものが貫き読者を魅了する。宮脇さんは、旅一すじ、乗物一すじの作品を書いて、しかもそこに芳醇な小説世界を展開し、読者を感動させる。『時刻表2万キロ』は、宮脇さんが日本全国2万キロの鉄道の完乗を目指し、それを達成する旅行記だが、宮脇さんの未乗の鉄道は、少ないが、それを乗り尽くすのは、大変手間がかかるのである。そういうことを目指すのは目玉の据わった狂信者や完璧主義者のやることで、とても自分の体質には合わない、と思っていた宮脇さんがそれをやる気になってやる。そう思っていて、宮脇さんのようなみごとな知性と感性をそなえた作家が、目玉の据わった狂信者や完璧主義者でなければやらないようなことをやるとはどういうことか。宮脇さんは、その答えを作品の内容で出す。
実は私も、かなり旅好きで、中には所用のからんだもの、強制連行で運ばれたものもあるが、かなり旅の多い生涯を生きて来た。しかし、私の旅は、宮脇さんのような徹底したものではない。いわゆるチャランポランで、いい加減で、場当たり的の旅だ。それは私が、いい加減で、場当たり的に生きて来たからでもあるが、そういう私が宮脇さんの作品を読むと、私にはない、キチンと整理され、計算され、目玉の据わっていない完璧主義の空間が、魅力的だ。
私の旅は、いつも成り行きまかせであり、恣意的であり、それまでに私が書いたものはすべてそういうものだが、旅を思い出すことは、自分の今日までをふりかえることだな、と宮脇さんの作品を読むと改めて、つくづく思う。戦前の超特急「つばめ」や「さくら」、はたまた、朝鮮、満洲の鉄道、あるいは戦争中に乗せられることになった泰緬鉄道をはじめ東南アジアの鉄道、あるいは好きだったいくつかのローカル線抜きに私の過去はない。
しかし、蟹はその甲に似せて穴を掘る。人もそれでいいのだ、と私は思っている。私は、私流の旅しかできない。ただ、人は蟹と違い、ひとの掘ったすばらしい穴に、思いの中で存分に入ることができる。宮脇さんが掘ってくれた穴にも、思いの中では入って楽しむことができる。そうすることで自分の穴が豊かになる。芸術だの、文章だの、というのは、そういう穴なのだろうな、と私は思う。(JTBより提供)
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