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元高角三さんのレビュー一覧

投稿者:元高角三

11 件中 1 件~ 11 件を表示

Mr.マリックの超カードマジック 動画で確実にマスター

2010/03/03 16:09

これはすごい!

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

テレビでマリックさんが紹介していて早速購入しました。
今まで色々なマジック本が出ましたが、この本はすごいです。
これまでこのジャンルの本は、小学生向けの「手品」の本か東京堂出版の一連のシリーズ(いわゆるプロを目指す人向け)以外なく、本当に不毛地帯だった。
そこに風穴を開けてくれた学研にまず拍手。

そしてこの本に紹介されている20のマジックは本当に簡単。テクニックもいらないし仕込みさえきちんとすれば素人でもプロに見せられるものばかり。この本の特徴は大きく3つある。
まずシャフルできる人であれば誰でも楽しめるマジックであること。もう一つはコミュニケーションをしながら見せられるマジックであること。
最後は仕掛けを一切使わないことだ。
さすがマリック!と著者に拍手。

マジックには多くの分野がある。
しかし内訳はほぼカードマジックで占められているということは案外知られていないだろう。
マジックはカードに始まりカードに終わるといっても過言ではないのだ。私も早速チャレンジしてみたがものの5分でできた。

担当編集者にも拍手!
お花見や飲み会でぜひチャレンジしてみて欲しい。
久しぶりのヒットだった。

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砂の器 改版 上巻

2004/01/19 17:12

社会に蔓延る矛盾と闇を読む、日本の推理小説における金字塔。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

砂の器は、数ある松本清張作品のなかでも『点と線』、『Dの複合』、『ゼロの焦点』などと並ぶ社会派長編推理小説の代表作であるだけでなく、日本の文学史においても傑作中の傑作である。

周知のとおり、作者はそれまでの非現実的な推理小説ではなく、日常的な犯罪動機と着実な謎解きを作品の中で行い、世に推理小説ブームを起こした人物である。ただ、この作品はあくまで才能と悲運の両方を持つ人間の極限心理を浮き彫りにした文学作品であり、内容を見てみても言語学や超音波といった新味の謎解きトリック、社会的な偏見につながる暗い過去を消し去ろうとする犯人の殺人動機、またそれを追い詰めていく老練刑事の執拗な捜査活動、これらの要素が巧みに織り合った作品であることは、推理小説ファンならずとも周知の事実であると思う。

ここでボクが触れておきたいのは、この作品を読む上での2つの特徴点である。一つは、先日より放送開始になったSMAPの中居くん主演のドラマ『砂の器』の中で彼が演じ、この作品においても非常に重要なキーパーソンである天才ピアニスト和賀英良の持つ過去の「闇」と疎外感である。なぜ、彼が自らの戸籍を変えてまでその過去を隠し通さなければならなかったのか。それを知るには、「ライ病(現ハンセン病)」について知ることが必要になってくる。この作品が発表された昭和35年当時、ハンセン病患者の多くが疎外者であり、孤独を持って生きていた。決して顔を背けることの出来なかった事実に対して、作者は推理小説という武器を使い、戦いに挑んだのではないだろうか。

また、この作品だけに限ることではないが、作者の作品を彩るもう一つの特徴に作者の「言語学」と「民俗学」への傾倒がある。この作品の全体像は知らなくとも、「カメダ」という言葉をキーワードに、この作品が進行していくことは、先日初めてテレビで『砂の器』に触れた人でも、もう感じているかもしれない。
犯人と被害者が残した言葉、カメダ…。日本には様々な地方に「方言」が存在する。その方言は、ほとんどの場合、その地域特有のものであることが多い。本書が面白いのは方言に含まれる微妙なニュアンスの相違を使い、巧みに読者を騙している点である。ここが作者の博学多識なところであり、読み始めたら本書に没頭してしまう読者の多さからもそれが理解できる。
因みにこの有名なフレーズは、昨年公開されたお台場が舞台のある映画のなかでも、似たような形で使われており、この作品が与える影響力の強さを改めて感じることが出来る。

結局もって、この作品を通じて作者が読者に問いかけたかったことは、ハンセン病患者に対する社会の言われなき偏見と差別でもあるだろうし、言語学や民俗学的見地から見る推理小説の面白さ。特に言葉のニュアンスの違いを指摘するところなど多識な部分ももちろんあると思う。
だが、ボク個人として考えるに、結局本書もミステリーなのである。砂で作られた器が、風が吹くと跡形もなく流れ去ってしまうのと同様に、ボクは人間の持つ「虚像」はいずれ時と共に崩れ落ちるということを作者は言いたかったのではないかと考えるのだ。上辺だけの、見栄で塗りつぶされた人間の本質は、いつか必ず露呈される。タイトルの意味する『砂の器』とは、果たして作者にとってどういった意味を持つものだったのかと問われても、ボクにはわからない。ただ、一ついえることは、この作品はドラマや映画(かつて加藤剛が出てた気がする…)で見る作品ではないということだ。これは、あくまで読む作品であり、現在も社会に根付く「矛盾」を読んで感じ取って欲しいと思う。

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開高健がいた。

2003/10/18 02:43

「人間」なんだからナ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ある評論家に言わせると、多くのマスコミ人にとって、死ぬまでに是非経験したい職場というものをあげるとしたら、隆盛を保っていた時期の文藝春秋、百科事典の平凡社など、数限りない職場があるらしいが、一様にみなサントリー宣伝部で働いてみたかったと言うらしい。ボクにとっても憧れの職場はなんだろうかと、考えてみると、やはり開高健や山口瞳がいたころのサントリー宣伝部がいいナと欲望がまっ先に頭を過ぎる。

(人間)らしくやりたいナ。トリスを飲んで。(人間)らしくやりたいナ。(人間)なんだからナ。

当時学生だったボクは、まったく先の見えない自分の将来に自暴自棄になり、いったい自分はこの先どうすればいいのかと考えていた。そのときに、たまたまこのコピーをみて身体に電流が走ったような衝撃を覚えた。
時代が繁栄し、物質的に豊かな世界が訪れても、人間はやはり人間らしさを忘れてはならない。ということを教えてくれた気がした。
例えば、出世を願望し上司に対して自分を売り込む人生が何だってんだ。どうしてそんなに働くんだ。たまにはさ、そうたまには息抜きしないと。人生疲れちゃうよ。そんなことをこのコピーは伝えてくれている気がする。だからこのコピーは現在においてもちっとも古めかしくないし、アンクルトリスの復活を最近テレビで目にするようになって、またこのコピーのもつ芸術性が注目されてくるとボクは考えている。

さて、本の内容を見てみると、これは平凡社の雑誌太陽の特集(開高健)を改訂、加筆したものである。コロナブックスはなかなか骨のあるラインナップにボクも注目していて、自分自身とても好きなシリーズではあるのだけれど、この(開高健がいた)はその中でも最高傑作の一つではないかと思われるほど、開高健の日常をうかがい知ることが可能である。

いざ読んでみるとこの人は、本当に、酸いも甘いも人生を楽しむ達人だとつくづく思う。パイプや洋服にこだわるダンディズムなところも、いい歳のとり方をしてるなあと、嫉妬してしまうほどだ。そう、この人はもっとも子供らしい大人なのではないだろうか。世相を冷静な眼で見てコピーに反映させていた開高も、裸の王様で文壇に衝撃をもたらした開高も、すべて、最も人間らしい人生をおくっていた彼からのメッセージだったのかもしれない。

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足がだめでも手があるさ

2003/11/02 00:33

何でもみてやろう!何でもしてみよう。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 人間にとって、生きていく力になるものとはなんだろうと。それは、たとえば日常の中に転がっているようなものなのかなどと不安になることが多々ある。どうすれば、幸せな人生を過ごすことができ、自分に満足できるのか。
 人生の岐路に立ったときに、果たして自分はどのような行動に出るのか。本書を読んで、ちっぽけな机上の空論は人の一生の中では何の役にも立たず、ボク等はただ前を見て、そこにある壁に挑戦するしかないのではないかと考えることができた。

 本書の著者の滝口仲秋氏は、千葉県の御宿(月の砂漠で有名な町です)に住む、普通のご老人である。ただ、何が他の人と違うかといえば、両下肢麻痺の重度の身体障害者であるということだ。膝から下の自由が利かず、車椅子を自分の足として生きている、毎日を楽しみ続ける元数学教師だという。

 そもそも、障害者という表現は適切なのだろうかとボクは考えることがある。だいいち、健常者とか、バリアフリーとかいう意識を心の奥底に認識していること自体が、障害をもつ人に対して蔑視的なものになりうるのではないかなどと、数年前のあるベストセラー作家の言葉から教えられた記憶がある。障害者はきっと障害があるはずだから、健常者のわれわれが手助けする必要性というものを排斥して欲しいとその作家は語っていたが、これらすべての考えをこの滝口氏は、むしろ肯定しようとしない。タイトルからしてもわかるとおり、すべてを受け入れてしまう人なのである。

 滝口氏とて、発病当初から前向きな考えをもてたわけではないという。(もうだめだ)(自分は社会に必要とされていないのではないか)などと何度も考え、悩んだのだという。そんなときに、ある人に出会い、だめだと思うことをまず考え改めることを学んだという。そして、今まで、日本の足で動き回ることしか考える自分の考えを捨て、手の機能の世界に飛び込んでいった。

 手を使うようになった滝口氏はエンジョイレースと自分で呼ぶ、数々の挑戦を行うようになる。最初は、車椅子での移動や乗り降りも難しかったのが、最後には自ら運転して旅行に出かけたり、なんと海外旅行まで行ってしまうのだ。また、滝口氏のすごいところは、そのいく先々で新たな自分を発見することを行い、再度自分への挑戦を行い続けるのだ。
 
 困難というのは、見方を変えれば、楽しみに変わる。すべては自分のモチベーション次第なのであり、何でもみて、してみればきっと道は開けていくのだろう。確かに書店で流通する本でもない気がするし、ベストセラーなどという言葉とは、明らかに無縁な本であると思う。ただ、このような本をもっと多くの人が読むことが本当の意味での心と心のバリアフリーであるのではないだろうか。

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山口瞳 江分利満氏の研究読本 総特集 永久保存版

2003/10/25 01:16

人生の達人?!

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 今日、久しぶりに新幹線に乗って帰った。ただ単に仕事が遅くなっただけなのだが、そこで以前会った事があり意気投合した同郷の人と再開した。前回もそうだったのだが、今回も最初は地元の話で盛り上がるのだが、最後には聞くと、お互いの会社、社会に対する不満のぶつかり合いに、周りの人が怪訝そうな顔をしている。その人が好きな作家が山口瞳なのだという。聞くとお酒が好きだから。サラリーマンの希望の星だから。などなど。

 本を読んで、ボクも山口瞳みたいな人生を送りたいとつくづく思った。実直なのだけれど実は自由奔放、またいい加減さも兼ね備えたサラリーマンである。山口瞳は直木賞の授賞式で、作家になるからといってサントリーを辞める気はありませんといい、事実宣伝部に居続けた男だ。そんな彼が書くエッセイや小説はどこかほろ苦く、そして人間の心の奥底に訴えかけてくる何かがある。

 色んな意味でも彼の人生は直木賞受賞作「江分利満氏の優雅な生活」そのものだったのではないだろうか。会社を愛し、家族を愛し、そして何より自分を愛している江分利氏はどこか山口瞳と重なる気が大いにする。
 
 このムックの中で、ボクはある部分にそれを見出すことが出来た。山口瞳は鎌倉アカデミアを卒業すると国土社に入り編集の道を進んだ。ところが、家庭持ちのために、生活はいっこうに楽にならず(世のほとんどの編集者はそうだけど)、彼は大手出版社に再入社することを考える。そこで、正規の大学卒業資格が必要だと考え、國學院に再入学し、何とか卒業までくるのだが、紹介してもらい、十中八九入社が確定していた新潮社の編集の仕事に、自らは普通の新人とは違うのだと思い、内定の身にもかかわらず名刺配りを始めてしまうのである。結局は、新潮社の内定取り消しにあい(当然だ)、河出書房から壽屋の洋酒天国にいくのだから、運命といえば運命だけれども、このおっさんなんだかいいなあって思ってしまうのだ。そこが山口瞳の山口瞳らしいところであるし、江分利氏に活かされようとは。

 とにかく、読んで損はない、多分(オイオイ!)。是非、次は開高健。いやもとい、サントリー宣伝部なんてタイトルで作ってほしいものである。結局みんな山口瞳になりたい。でも成れないのだな。そう感じさせてくれる一冊だった。

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生まれてよかった

2003/10/11 14:43

神様からのプレゼント

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 生まれてよかった。なんと、単純なタイトルなんだろうって、本を手にとって思った。そういえば、昔母親が『生まれてよかったかい?』なんて、幼いボクに聞いてきたことをふと思い出す。

 そもそも、人間はこの世に生まれてきて本当に良かったのだろうか。その答えを問い詰めることは、いささか哲学的でもあるので、省略するが、ボクは、生まれてきたことは、間違いではなかったんじゃないかって思っている。それは、そこに幸福があるからだ。幸福がない人にはこの本のよさがわからないかもしれないが、そもそも、人間は、それもこの本にあるように助産師に自分が取り上げられる瞬間は、幸福なのだ。そういう意味で、しみじみ、ああいい本だなあって思える本は意外と世の中に少ない。

 さて、内容を見てみると、なんてことはない生まれる瞬間の、または生まれるまでの母親や家族との写真がとりとめもなく続いていく。言葉も少なく、ただモノクロの写真が続く。なんだ、他人の出産風景を写してるだけかと最初は思うが、その連射的な写真群を見ていると、まるでこっちまで出産の風景に立ち会っているかのような錯覚を覚えるから不思議だ。

 生まれるって言うことは、結局難しいようなことに思える。妊娠してからの女性は、おなかが大きくなるにつれて、精神的にも肉体的にも疲労のピークを迎えるわけだ。表現に問題があるかもしれないけど、父親にとっても自分の妻が、お腹が出たり、食欲旺盛になったり、付き合い始めたころの初々しい姿とはおおよそ、ほど遠くなっていくわけだし、見るに絶えないかもしれない。でも、それが報われる瞬間が出産の場面であり、そこには自分の分身がこの世に生を受けたという、神妙な気持ちが存在する。

 どのページでもかまわないと思う。一枚一枚の写真をめくってみて欲しい。どの家族も皆いい顔をしている。本当に幸せを実感している顔だ。
 ボクは、助産師ほど素晴らしい職業はないと考える。著者の一人、福岡光子さんは、御歳なんと81歳だという。信じられないことだが、ボクが生まれるずっと前から子供を取り上げてきたいう事実は、もはや伝説だろう。ボクは、もっともこの写真で輝いている女性はこの福岡さんだと思うし、この人はこれからも輝き続けることだろう。それが、命と命の瞬間に立ち会っている人に与えられた、神様からのプレゼントなのではないだろうか。

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早乙女勝元 炎の夜の隅田川レクイエム

2004/08/31 01:45

日本人の郷愁と、存在していた「いま」を描く

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その昔、といってもたかだか30〜40年くらい前だろう。今にも増して下町が隆盛を極めていた頃、あらゆる面でそこに暮らしていた人々は本当に生き生きと生活していたのではないかと最近思うことがある。ボクにとって下町の、それも下町に暮らす庶民の姿というのは、例えば「こち亀」の両さんや「男はつらいよ」寅さんに代表されるような粋でいなせで、それでもって人間味にあふれた、いわゆるガキ大将的な人間がそのまま大人になって、街を闊歩している姿をがそうであった。
しかし、ここにも一人下町を愛し、下町に暮らし、下町を描き続ける作家がいる。それが、この本の著者でありタイトルにもなっている早乙女勝元氏である。前に書いたこととは矛盾してしまうのだが、読者の郷愁を誘う下町の情景の中で一番、ボクらが読みたいと思うことは、個性あふれる人間の破天荒な生き方でも、風来坊の人間話でもない。そこに暮らす、庶民の情景ではないか。例えばそれは、根津あたりで見られるような、路地裏にある人間模様でもいいし、おばけ煙突のもと貧しい時代を懸命に生きた労働者の話でもいいだろう。普段慣れ親しんだ「下町」から少しだけ目線を下げてみると、ごく普通に存在している下町の人間模様が感じられてくるから面白い。
現在早乙女氏は、戦争の悲惨さやその背景を描く作家として知られているし、戦災資料センターの館長の職にも就いている。実際本書は戦後の彼の体験を基にした「自伝」である。おそらく、氏のことを少しでも知る人は、氏が戦争作家であると思われているだろうが、読者諸君! 氏の描く下町模様を本書から感じ取って欲しい。そこには今では忘れられてしまった遠い日のニッポンの「今」が存在しているからだ。

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ウランバーナの森

2004/03/15 21:28

ジョンの悩みを軸に細かく精緻なエピソードが積み重ねられていく秀作。

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ビートルズやそのメンバーに関する本は数多くあるといわれている。中でもとりわけ人間ジョン・レノンを知る上で最も文学的な作品は、奥田英朗氏の「ウランバーナの森」ではないかと思う。余り触れられることのないジョンの主夫の姿を考えてみるときに、この作品が持つウィットとユーモアな部分から、本小説が単にジョンという人間をモチーフにしているなどということだけでは表現しきれない部分を感じることができる。

 内容は、ひどい便秘に悩まされ、苦しみながらに通院を始めたジョンに過去に出会った亡霊が様々な形で登場し、喪失感や暖かい愛情を再認識させるといったどこにでもありそうなストーリーである。
ジョンには主夫としての時期が確実に存在しているにも拘らず、残念なことに、一部を除いては彼の隠遁生活が描かれているものは極めて少ない。しかも日本に滞在していた77年前後のことになると数える程しかないのが逆に不思議に思うほどである。周知の事実であるように、ジョンはロックという世界において、とりわけ30代の半ばくらいまでは、王様だった。それまでの音楽シーンはビートルズが中心だったと言っても決して過言ではないし、彼らが発表していた音楽もサイケデリックなものから刺激的で先鋭的なロックまで多種多様であった。しかし、解散後日本での隠遁生活の後、ジョンが発表したラストアルバムは、ほとんどが家族愛をテーマにする曲で構成されている。もちろん、空白の時期のジョンの内情を知ることは、ヨーコやショーンにすら不可能だと思う。そんな僕らの一番興味ある部分を小説として、あえて固有名詞を避け書かれたのが本書である。

 ここでビートルズは本当に幸せだったのかという疑問を考えると、僕はビートルズがビートルズであり世界を魅了した60年代は別としても、解散してそれぞれ新しい道を模索し始めた70年代においては、彼らは幸福だったのではないだろうかと思う。
小説を読み推測する限りこの時期のジョンの精神状態はきわめて良好だったのではないかと考えられる。例えば富と名声を得てもお金では買えないものもある。それをビートルズは「愛」であると歌っているが、僕は「癒し」であると考える。癒しとは必ずしもリラックスという意味ではなく、本当の意味での「幸福感」のことではないだろうか。このことは、当時の彼の写真を見ても本当に心の底から笑顔を見せている彼の表情からも感じることが出来る。
 
 ビートルズが一つの夢であり、生まれた時点で過去の遺産だった僕には、彼等の現在を知ることがとても大切なことに思える。物心つき、ビートルズを聴き始めた頃にはジョンは既に他界してしまい、再結成というファンの最後の夢は絶たれてしまった。今日僕らはビートルズや現在も続く解散後の彼らを深く知ろうとすることで、それぞれ新しいビートルズ像を蘇らせていくことが可能だと思うし、僕は今後そのような小説が登場してくることを期待している。

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光ってみえるもの、あれは

2003/12/27 23:42

読んでみる、青春のズレと疾走感

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前略、川上弘美さま。芥川賞受賞作「蛇を踏む」での衝撃デビュー(石原慎太郎氏の酷評は驚いたけど)に始まり、ベストセラーの「センセイの鞄」まで、あなたの作品には、いつも裏切られっぱなしです…。

主人公の江戸翠は、ごく普通の高校生である。父親がいない家庭に育ち(実際は、時々家に現れる遺伝子上の父親、大鳥さんがいるが)、周囲からも家族からも自分が普通すぎるのではないか(ここでは、何にも興味を示さない)といわれている。個性的なフリーライターの母親の息子の割にはなんでそんなに個性がないのだとも言われる…。でも、普通の高校生にだって世の中のことや、自分の彼女のことなどをふと考える瞬間がきっとあって(きっとあるはず)、なんとなく、先が見えないぼんやりとした不安感や自分探しといった現代人の感情を作者は上手く描き出している。

ボクがここで興味を持ったのは、大鳥さんという彼の遺伝子上の父親の存在と、江戸翠の中に訪れる心境を本当に上手い具合に作者が描いているということだ(詳しくは自分で読んで確かめてください)。だらだら、その日暮しをしている大鳥さんではあるんだけれども、どこかその存在を否定することまでは出来ない。なぜか、それは翠の持つ考えと大鳥さんが同じ匂いを持つ人間だからである。

好きなように、自分らしく、人間らしく生きていいんじゃないかなって、そんな感じをボクだけでなくこの作品を読む人は感じることができるのではないだろうか。少しずつ、でも確実に進む毎日。バランスをとって、生きているはずの毎日に訪れるふとしたズレの瞬間。それらの不安感と同時に感じる微笑ましさをこの作品に感じることが出来た。必読である。

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日曜日たち

2003/12/27 23:36

自分で自分の糧になっていく・・・

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吉田修一は、物事の始まりを描かせたら本当に上手い作家だと思う。ぎりぎりの瞬間。ああ、今からクライマックスに入るかなってところまでで、彼の話は終わることが多い。後は、読者の想像の中で物語りは進行するのだ。でもそれは裏を返すと、コロンブスの卵的発想であり、今まで、ありそうでなかった表現方法だから読者にとっては逆に新鮮に映るのだと思う。

この日曜日たちは、5つの短編小説を通じて、日曜日にまつわる(?)出来事をどこか遠くから傍観する感じで書かれた(と、思われる)後味の良い一冊だと思う(彼の作品はほとんどそんな気がするが…)。都会に生活する者たちにとって、「日曜日」は癒しの日であると同時に、退屈な毎日の延長線上にもある存在なのだ。ボクにも経験があるが、ボクは日曜日を上手く過ごすことは本当に苦手だ。大抵昼過ぎに起きて、ゴロゴロしているうちに一日が終わってしまう。だから日曜日を上手く過ごす人は、本当に生き急いでいる感じがしてならない。ボク等は自分で自分の糧になっていかなければならなくて、不安な未来と頼りない現在の群像の中に自分を押し込めていては、何の進化もしないだろうということを自らの行動で実証してしまっている節がある。

この作品のなかのサンデーピープルたちはそれぞれ孤独に、むしろ受身に描かれているが、どこか希薄な感じも否めない。ただ、心のどこかでみんなと同じ生活をしながら苛立ちや感動の瞬間がある、そんな人々の「今」を表現し続ける吉田修一の作品はボクはとても素直に読むことが出来るのだ。

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青鳥

2003/12/27 23:39

本当の「幸せ」を探す方法

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実は、ヒキタクニオの作品を読むのはコレが初めてで、ボクは何のためらいもなく一気に読んだ。感想…。う〜ん!?つまらん…。いや、読んでいてワクワクしないのだ。ワクワクする小説ばかりを読みたいわけではないのだが、「凶気の桜」で独特の表現描写を行ってきた作者のことだから(他の評論を聞く限りは…)、もうすこし、アグレッシブなストーリー展開があっても良かったのではと、疑問を感じてしまう。

文学とは、必ずしも起承転結になっているのが望ましくはないと思うが、読み終わった後に、なんら考えることが出来ないというのも少々寂しくはないだろうか。話は、主人公の小威が東京の広告代理店で働き、台湾人女性の視点でキャリアウーマンの本音、恋愛等がさっぱりと軽いタッチで描かれている。登場人物もそれぞれが個性あふれるキャラクターとして描かれていて不思議と、くどい感じはあまりしない。特に藤原統括部長の存在が違和感なく物語に溶け込んでくる点も作者の上手さだろう。

しかし、そもそも台湾人に限らず、人種の坩堝のこの東京で生きているボク等って、日本人はまだ精神は鎖国的だと言われつつも、すごい国際的な存在ではないかって考える。そんな中で、自らの個性を出し続けていくことが求められる社会って、かえって退屈でしかないようにボクは考える。主人公は恋愛や自分を見つめながら本当の「幸せ」を探していくが、結局、こんな杓子定規な大都会で生き抜くには、自らの個性を出していかなければ勝ち残れないんだけど、そんな生活のなかにも、ふと自分を振り返る瞬間がきっとあって、作者はそれを描きたかったんだろうとボクは推測した。

ただ、恋愛小説に疎いボクにはそれが理解が出来なかった。次作に期待!!

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