オチノツボさんのレビュー一覧
投稿者:オチノツボ
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紙の本泣き虫
2004/01/17 19:49
バイバイ…
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小学生の時、僕のヒーローはアントニオ猪木だった。
外人からどんなにやられても最後はしっかり勝つ猪木僕は大興奮だった。
毎週毎週。
飽きもせずに。
無邪気だったな。
だが、ある時その憧れが無くなった。
UWFと出会ったからである。
UWFは前田日明を中心に、どの選手も個性的だった。
試合は個性と個性のぶつかりあいだった。
キックや掌底が決まるたびにめちゃくちゃ興奮した。
そして、その中でも僕が注目していたレスラーがいる。
高田延彦。
彼のキックはキマッていた。
特にハイキックが炸裂した時なんてゾクッとしたものだ。
UWFがあっさり解散した後も、UWFインターナショナルでこのゾクゾクは続いた。
その時の高田はホント凄かった。
そして、この時こそ高田の最も輝いていた時だった。
その輝きはあっけなく消える。
ヒクソン・グレイシー。
この男が高田の輝きを奪った。
光を失ったレスラーは再び輝くことはなく引退した。
前振りがかなり長くなったけど、この本は高田の半生記である。思わずおおっとうなる部分もあったし、んな事言うなよーって悲しくなる部分もあった。本当のことは聞かない方が良いことも沢山ある。改めてそう思った本。
紙の本マイク一本、一千万 ノンフィクション「M−1グランプリ2003」
2004/03/15 07:12
漫才+真剣勝負=M−1だっ!!
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僕は勝負事が好きだ。勝負が着いた瞬間、舞い上がったり、絶望したり。その瞬間、何を自分が思うかと考えると、ゾクゾクする。
もう一つ好きなものがある。漫才だ。昔は、特にそんなこと思わなかった。が、関東に来て、ほんとうに漫才を見る機会は少なくなった。その時、自分が好きなことに気づいたのである。人を笑わせるのは難しい、笑われるのは意外と簡単だけど。笑わせるのは持って生まれた才能だと僕は思う。だから、一瞬の間で観客を自分達の間に持ち込み、きっちり笑わせる漫才師にぞくぞくする瞬間が僕には確かにある。
前置きがやたら長くなってしまった。だから、こんな僕にとって、年末に行われるM—1は、勝負事と漫才という僕のツボをしっかりおさえているイベントなのである。この本は〈 M−1 2003 〉に関係した人達を追いかけた作品である。
M—1。ルールは簡単だ。プロ・アマ問わず全国で一番面白い漫才師を決める。ただし、参加できるのは結成10年以下のコンビのみ。勝負は一発勝負。当日の出来のみで決める。そして、優勝者の賞金は一千万! 2位以下の賞金は無し!
わかりやすい真剣勝負。ガチンコ。が、それゆえ、勝敗の瞬間、残酷な景色をカメラは捕らえる。敗者の闇。人を笑わせる芸人の闇。僕はどうしてもその闇に目がいってしまう。大金を手にした勝者が光り輝けば輝くほど、敗者の闇はくっきりと浮かぶ。ラストチャンスのコンビが見せた寂しい表情。そんな敗者の声が聞きたかった。そして、この本を買った理由はつまる所、そこに行き着くのだ。
だが、この本に敗者のコメントはほとんど載っていない。勝負の恐ろしさはここにもある。敗者にとっては話せる状況にはまだまだ無い。時間があまり経っていないということもあるだろう。とは言え、負けは負けと割り切って今年に向かってスイッチを切り替えている者達もいるだろう。では、いつ、その負けと向き合えるのか。
結局、その負けを取り返すしかないのである。M−1の審査員を務めた中田カウスが言っている。
「どんな勝負でも勝ち続けるということはありえない。じゃあ、負けた後どうするのか。勝負師というのは負けたときに取り返しにいきよる。だから、たとえ負けたとしても、その負けを取り返しに行ける子じゃないとM−1は厳しい。必要なのは勝負師としての原の括り方だと思う。」
当日の出来だけとは言え、面白いだけでは勝てない部分もあるM−1。それはM−1がガチンコであるからだが、それゆえ、笑わせる「才能」だけでなく、勝負師としての「覚悟」が求められる。その「覚悟」の部分が垣間見える瞬間があるから、僕はM−1に惹かれるのだ。
負けを取り返すことは大事なんだな。と、勝負の面白さ、厳しさを改めて感じさせてくれた本。
紙の本銀の匙
2004/01/17 19:46
幼き日々の思い出を
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僕の一番古い記憶は、母親が運転しているスクーターの荷台から真っ逆さまに頭から落ちた事である。3才位の時。落ちる一瞬、空が地面に、地面が空になって、少し曇った空がとてもきれいだった。その景色は今でも鮮やかに残っている。
「銀の匙」を読んでいたら、ふと、その事を思い出した。
この小説は小さい時に母親からもらった匙の話を皮切りに、幼い頃の思い出が淡々と、丁寧に描かれていく。信心深い伯母さんに遊んでもらった事、隣のお家の女の子と遊んだ事、学校での些細な出来事など、極めてのどかな景色がそこには広がっている。自分にもこんな事、確かにあったよな、ちょっと違ったよな、と思いながら読み進めていると、そこに穏やかな時間が流れているのを感じる。だが、そのゆったりとした景色は一変する。隣の女の子が知らない間に引っ越していたり、伯母さんがなくなったり、まさにいきなり。そう、お別れは突然やってきて去っていく。そして、また、淡々と時間は流れていく。何事も無かったかのように。悲しさだけ取り残されたままで。
お別れなんて今まで何度でもあったし、これから何度でもあるだろう。ただ、僕はその度に、この「銀の匙」を思い出す事になるだろう。真っ逆さまに落ちていく気分の中で。
紙の本新橋烏森口青春篇
2003/09/21 00:46
「青春」の匂い
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高校生の頃、大人になって何がしたいとか何になりたいとか何も考えていなかった。ただ何をしていても毎日面白かったらええのになあとかぼんやり思っていた。10年前の事である。今、思い返すとずいぶんのんびりしていたものである。当時バイトもせず、大学に行くことしか考えていなかった僕にとって、社会とはイメージしにくい、しかし、いずれは飛び込んでいかなきゃいけない所としか思えなかったのだ。
そんな僕に、社会ってこういうもんなんかなと思わせてくれたのがこの小説である。始めはタイトルが気になって手に取ったのだが、テンポにつられて一日で読みきったのを覚えている。今、改めて読んでみた。中小出版社に勤めていた作者の実体験がこの小説のベースになっており、その中で彼を取り巻くいろいろな人々が出てくる。仕事中に会社の屋上でポーカーに熱中する同僚、会社に隠れてアルバイトしている上司などいろんな人々が出てくる。こう書くとひどい会社かなと思えるけど、読んでいるとそう感じさせない。その人々に対する作者の愛着が文章からひしひしと伝わってくるからだ。それは己の過去に対する愛着と言い変えてもいいかもしれない。つまり、「青春」に対する愛着。今の僕にとっては、そこが強く伝わってくる小説でした。
けど、ホント思えば遠くに来ちゃったなあ。
紙の本神々の山嶺 上
2004/03/24 16:00
登り続ける
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大学4回生の冬、私はこの小説を読んだ。この小説はいわゆる山の話である。
「エヴェレスト南西壁冬季無酸素単独登頂」
作中、何度も繰り返される言葉である。世界最高峰であるエヴェレストの南西壁を冬季に酸素を使わず、しかも単独行で登る。この誰もが成し遂げていない極めて無謀な行為にとりつかれた天才クライマーの羽生、そして、その彼に偶然出会い、その姿に魅せられ彼を追いかけるカメラマンの深町を軸として物語は進む。
目的の為に羽生は己の全てを犠牲にしていく。その姿は狂気さえおびている。読み進める内に「なぜそこまでして?」という疑問が当然のように湧いてくる。それに対し羽生はこう答える。
「ここに、おれがいるからだ。」
シンプルな答えである。そして、そのシンプルゆえに、この言葉は私の心に深く突き刺さった。当時の私は、依然として社会に出ることにとまどっており、これから何をすれば良いか、これから何ができるかといったことを延々と自問自答していたからである。その迷いが吹っ切れた。その感触は今も、この胸にある。そして、なおも私を鼓舞してくれている。
気付かせてくれた小説。
私はこの小説をこう評したい。
そして、感謝したい。
2005/11/14 16:54
まさに実学!
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この本は、従来の会計書とは違って、会計はあくまで会社が儲ける手段であると考えている点が非常に新鮮だった。また、どれだけのお金を使って(投資)、最終的にどれだけ稼いだか(リターン)の「投資とリターンの最効率化」こそが経営の基本であるという考え方に基づいて展開されるテーマはそれぞれ非常にスキッとしており深く納得できるものだ。今まで、会計といえば横文字が3つ並んだ指標をあれやこれや覚えたりと知識を詰め込む勉強だけをしていた自分にとって、経営の視点から会計を捉えるとはこういう事なんだなと気づかせてくれた本です。
紙の本蛍・納屋を焼く・その他の短編
2003/06/16 02:39
「蛍」について
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時間は戻らない。
この小説を読む度、僕はいつもそう感じてしまう。別に当たり前のことだけど。
高校時代、自殺してしまった友人。その友人の彼女との出会いと別れを中心にして話は進んで行く。
出会いと別れは誰にでもある。そこには出会いの喜びや別れの悲しみがあり、またそんな簡単には言い表せない思いが錯綜していることもある。この小説の素晴らしい所は、別れによるやり場の無い悲しみが、やり場のないままそのまま放り出されていることである。
悲しみはどこにも消えることはない。またその痛みも。
一度起ってしまったことは、どんなに努力しても消え去りはしない。逃がした蛍が戻ってこないように。そんなことはわかっている。それでも、取り戻そうと、僕は手をやっきに伸ばす。しかし…、飛んでいった蛍を捕らえることはできないのだ。誰にも。ただ、そこには残像として光の軌跡があるのみ。そして、この軌跡だけを頼りに、僕も彼女も生きていく。これからも。そう、この不確実な世界のどこかで。
紙の本初秋
2004/03/22 18:47
しゃべる探偵
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「変なハードボイルド小説」
この作品を初めて読んだ時の感想である。かれこれ10年くらい前の話だ。
僕はミステリー小説が大好きだ。小学校1年生の時にシャーロック・ホームズの『まだらの紐』を読み、ホームズの分析力と推理の鮮やかさにしびれた。それ以来、何かしらの推理小説をずっと読み続けている。これまでにいろんな本と出会った。たったの一行で全ての謎が解けてハッとしたり、最後の最後に出てきたどんでん返しに思わずニヤッと笑ったり。ほんと楽しい思い出である。けれどもそのいろいろな思い出の中で「変だな」と感じたことはあまり無い。
何が変なのか? それは、主人公が良くしゃべる点である。主人公スペンサーは恋人・相棒・依頼人・敵、全ての人に対し話しまくる。依頼人が眉をひそめても、恋人の機嫌が悪くなってもおかまいなしだ。そこにはハメットやチャンドラーが描いた寡黙な「ハードボイルド」の姿は全く無い。それまで僕はハード・ボイルドっていうのは寡黙でタフ、そして誰の助けも借りない男の印象しか無かった。しかし、この小説を読んでハード・ボイルドの見方が変わった。スペンサーの会話の節々にしびれるフレーズが出てきて、それがスペンサー流の「ハードボイルド」を強調させていたからだ。改めて読み返して納得する部分とかっこいいと素直に思える部分がたくさんあった。
特に、この科白。
「要は、自分はこうあるべきだ、という考えにとらわれないことだ。自分にできるものなら、自分の気にいっていることをするのがいちばんいい」
その通り。だからスペンサーはしゃべりまくっている。この科白、いつの間にか大きくなって、自分はこんなもんやろ、っていうあまり意味の無い考えにいつのまにやら捕われていた今の僕にとって、かなりしびれるものでした。
紙の本屈辱ポンチ
2003/07/29 20:53
町田節最高!!
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冒頭から突然ですが、町田作品に共通している特徴を二点ほど…
町田 康の作品は常に「俺」の一人称で書かれている。そして、「俺」はだいたい職にあぶれているか、失職したばかりで食うにも困る状況に置かれている。その状況下、「俺」はひたすらもがいている。現実逃避の妄想もよくする。ぎゃあ、とか、ううむむむ、とか独り言を言ったりもする。それが文中えんえん続く。それに付き合って読んでいると、いつの間か物語は終わっている。あれ? いつの間に。おかしいで。 → もう一度読みたくなる。
町田 康の文章には独特のリズムがある。そのリズムは極めていびつなものである。しかしながら、そのいびつな、アクの強いリズムは強烈なインパクトを発している。そのリズムを作っているのは、「語り」と「詩」のコントラストにある。主人公である「俺」が関西弁でまくしたてている時、いきなりその流れを断ち切る「詩」。俺、はっ!として思わず。うひゃー。ため息が出る。 → 他の作品も読みたくなる。
という、これらの特徴を一番強く出している作品はこの「屈辱ポンチ」である。この作品を読んで、楽しめない人は、町田作品と縁が無かったと思うしかない。むちゃくちゃもったいないけどね。
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