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mikanさんのレビュー一覧

投稿者:mikan

17 件中 1 件~ 15 件を表示

里子問題を通して孤島の歳月を伝える、力作ドキュメンタリー

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

きれいな海の写真の表紙と、口絵写真の無邪気な子どもに惹かれて手に取りました。

が、中身はタイトルどおり重め。冒頭は、6歳児を親から離してひとり、島に里子に来させる話です。舞台は西表島にほど近い鳩間島。人口は41人。島で唯一の公的機関・小学校を廃校にさせないための最後の手段として、子どもを外から連れてきたというのです。

その後も、移住者の子弟が入学したかと思えば別れも告げずに去ってしまったりと、児童数は片手の指の数の中を行ったり来たり。この増減ひとつひとつに、島の大人たちは狼狽し、案じ、時には涙を流して喜びます。南の島暮らしといえば、のんびり気ままなものかと思っていたこちらに対し、島の学校=中央に向ける視線の強さにはただ驚くばかりです。

この小学校存続をめぐる重苦しい模索を縦糸に、様々なことが語られていきます。

水も電気も自由にならなかった島の暮らし、川ひとつない島に米貢を強いた琉球王府、命がけで海を渡って米作を続けた島民、二百人を超える帰省者で島が賑わう豊年祭、太陽でなく月のリズムで流れる島の時間、漁、祈り、台風、移住者たちの生活と現金収入、老いて病む島民たち、死んだ夫があの世で幸福かを判じてもらうためユタに通う老婆、離島者を明るく見送った後の港に残る絶望的な落胆、などなど。

一冊読むと、美しいだけではない、島の生活の丸ごとが理解できたような気になります。島の人たちの顔が見えてくるような気さえします。「沖縄と中央」という、できれば見ずに済ませたい問題が、まるで自分のことのように、難しいことではなくシンプルな問題として理解できたように思えてきます。長い年月をかけて島を見続けた、取材の力だと思います。


初版が出たのは20年以上前。版を重ね、ドラマ「瑠璃の海」の原作にもなったとのこと(見ていませんが)。細く長く、読者の心を掴んでいるのでしょう。40人の島民しか知り得なかった世界を、我がことのように実感させてしまう、これがドキュメンタリーの力か、と膝を打つ一冊でした。

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世界のマメ食い文化に圧倒される

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

いまや世界が賞賛する日本の食文化。その根幹にあるのが大豆。醤油に味噌に豆腐、納豆に油揚げに湯葉。これだけ色んな形に加工する文化があるのは日本ぐらいのもの?と鼻高々にもなりたいところですが、世界のマメの種類とマメ食い文化もすごい。一冊まるごとその紹介に費やされていますが、その数には圧倒されます。そして、知らないことばかり。

日本オリジナルのように思いたくなる納豆は、ミャンマーやブータンなどアジアの照葉樹林帯でさかんに食べられているとのこと。ただ発酵させるだけでなく、味をつけて乾燥させて調味料にしたり、1年以上発酵させ、猛烈に臭い半流動体にしてスープの味出しに使ったり。揚げた乾燥納豆に、パリッと揚げた根ニラを混ぜたスナックは食べてみたいなぁ。

中国の豆腐は、折り畳めるもの、豆腐麺、茶で煮しめて風干しした豆腐干、そして臭豆腐に腐乳など多彩。腐乳には「全国腐乳コンテスト」まであり、赤いもの、白いもの、青い液体に青黒い腐乳が浮かぶものなど、見た目からして様々なのだとか。

大豆ひとつとってもまだまだあるわけで、さらに豆の王国インドではヒヨコマメ、キマメ、リョクトウほか様々な豆が、粉になったりおかゆになったり、さらにはゆで汁だけを煮詰めて食べたり(豆は動物のエサ)。そして、ラッカセイやインゲン、モヤシやイモや花を食べるマメ、果肉がひんやり甘いアイスクリームビーン…。

マメ科の植物には毒があるものが多く、食べるのに手間のかかるものが多いことも今回知りました。特に大豆は、普通に煮ただけでは消化が悪く身体に悪い成分が残ってしまうため、あれだけ多彩な加工技術ができたのだとか。さらには、袋状に開く日本の油揚げ(これは日本オリジナル)は、揚げるのに高い技術が要ること(一面だけにしか火を入れないのがポイント)、豆板醤はソラマメでできていることなどまで、身近な食べ物でも知らないことばかりだなぁとあらためて。

多彩なマメと、それを何とか食べようとするヒトの食い意地がこれでもかと列挙された一冊です。

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紙の本風車小屋だより 改版

2008/08/24 18:08

ときには死の影もさすプロヴァンス

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「輝く太陽と豊かな自然をもとめて故郷プロヴァンスの片田舎にやってきたドーデーは、風車小屋に居をかまえ、日々の印象をパリの友人にあてて書き綴る。(表紙より)


日々の印象といっても様々で、うわさ話に訓話、紀行文に幻想詩、と独立した文章の集積で、適当なところを開いては、そこから楽しむことができました。「スガンさんのやぎ」「アルルの女」のように、独立した作品として親しまれているものも入っています。

「南仏」「プロヴァンス」で抱く、光かがやく楽しい世界というイメージは裏切られます。ミストラル(北風)は本当に厳しいらしい。そして難破し沈んだ軍艦の話、陰惨な小屋の中で肋膜炎に臥せる船乗りの話(どちらも舞台はプロヴァンスではないですが)などもあり、死や病、貧しさに関わる話がこの本のひとつのトーンを作っています。

そのほかの話では、旧友の両親の見舞いに行かされ、そこで老夫婦の睦まじさに心うたれる話、山の上でひとりで過ごす羊飼いが、憧れのお嬢様との邂逅に胸ときめかす話などが、なんとも心があたたまりました。アルジェリアの街の様子や湿地帯での狩りの記録なども、それぞれの空気の温度や光の様子まで伝わってくるようです。


頭でお話を作っていない、というのが新鮮に感じます。詩人の仕事、ということでしょうか。100年以上前を生きた人が持つ現実の力でしょうか。自然の荒々しさも、退屈な時間も、人の裏切りや愚かさも、皆、実際に直面し、それに彩を与える言葉を持つ人が切り取ることで、ひとつひとつ独自の色、存在感をもってきます。「珠玉の」という少々気恥ずかしい言葉が良く似合う短編集、版を重ねている理由がよくわかる一冊でした。

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「天才」自閉症児に何をみるか

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

先日、「アール・ブリュット 交差する魂」という展覧会を見ました。知的障害者をはじめとする正規の美術教育を受けていない人たちによる作品の展示で、様々なことを思わされましたが、ひとつ驚くのは、その作品が発するこだわりの強烈さでした。5ミリに満たないような大きさの漢字で紙を埋め尽くした作品、想像の街を俯瞰図で描き続ける人など。その作品のもつ力に圧倒されつつも、「何故こんなことにここまで執着できるの?ありえない?」という感想も浮かびます。全くの閉じた世界の住人、自分とは何のつながりも持てないような。

そんな感想に対し、この本の作者は、「そうだろうか?」と疑問を投げかけます。


「自閉症児の特徴は、「変化への抵抗」「同一性の保持」という点にみられる。数、暦、地図の発見は人類が作り出した三大叡智であるが、「順序」や「配列」が損なわれるとき、人は誰でもある程度のパニック状態になる。自閉症児の「おそれ」の根には、こうしたメカニズムが働いていることがみて取れる。彼らとわれわれは決して断絶しているのではない。むしろ同じ地平に立っている」(カバーソデより)


ロビンソン・クルーソーが孤島ではじめにしたことがカレンダーをつけることだったように、人間は、時間・空間の中での自分の位置を知ること、これからの位置を予測することで「安心感」を得ることができるとのこと。これは、自閉症児が電車に乗って非常に広範囲を移動すること、あるいは「カレンダー人間」(生年月日を言うと、即座にその曜日を言い当てる。私の知人の知人にも一人います)などにもそのままつながっているというのがこの本前半の要旨のようです。「順序」や「配列」、その意味を自分の力で読み解いていくことが、人間が社会で生きていくうえでどれだけ大切か、という事をはからずも自閉症児を通して知ることができる、というのはとても興味深かったです。


(電話帳内蔵の今となってはかなり古くさい例ですが)赤井英和は2~30人の知人の電話番号を、何も見ずにかけられるという話も載っていました。タネを明かせば、番号を暗記するのではなく、プッシュホンの打ち込みの動きを指で覚えて、名前と組み合わせるのだそうです。自閉症でたまに報告される「記憶の天才」も、これと同じところがあるのではないか、ともありました。天与の才、と奇異の目で見なくとも、要は記憶の方法の問題ではないかと。一人一人が独自の記憶法を編み出していることの方が重要ではないかと。これも、人間を人間たらしめているものへのヒントを与えてくれるかもしれません。


この本の後半では、自閉症児の特殊性をあげつらうこれまでの「自閉症論」を批判し、目くじらを立てて「おくれ」を意識しなくとも生活できる「くらし」の支援を、文明の代価として構築していくべきではないか、我々も皆「おくれ」を生きているのだから、と進んでいきます。そちらの方がこの本刊行の趣旨なのでしょうが、「天才」「びっくり人間」と一刀両断にしないところから、人間とは、文明とはへの大きなヒントが見えてくる、というあたりが特に、新鮮で示唆に富んで感じられた一冊でした。

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生き生き楽しい一年生と、先生の眼差しに癒される

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この写真集の引力は、言葉ではちょっと説明し難いです。手に取れば、開けばすぐわかる。とにかく和みます、癒されます。

写真メディアがまだ貴重だった時代に刊行された岩波写真文庫。岩波のカメラマンの手によるものが多い中、この本は、アマチュアの小学校教師が手がけています。テーマは、自分が担当した小学一年生の一年間。本当にありきたりなテーマ、写真の一枚一枚も無造作。なのに、すごい吸引力です。

もらったばかりの教科書に見入る子ども。うちの子は大丈夫かと廊下から教室をそっと覗く羽織にモンペの若い母親。校長先生の話に子どもたちが飽きていく様を時間を追って撮った連続写真はかなり愉快。教科書を忘れて机に突っ伏して泣く子。雑巾がけをしながらふざける子ども。すねる子、飽きる子、得意になる子、走る子、夢中になる子…。そこに、抑えた文なのにあたたかな、いかにも「先生」という説明文が添えられています。

当時の宣伝文には「教育国として知られる信州。一年生になった子供たちはやさしい先生に迎えられ、次第に学校に、社会生活になれてゆく。…これは世界にも類例のない美しい材料を、愛情と技術で生かした記録である。」とあります。とにかく、一度手に取れば、手元に置いておきたいなと思わせる、開くたびに嬉しくなる一冊です。

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隅から隅まで美味しく読めます

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

フランス大統領官邸・エリゼ宮で繰り広げられる食卓外交のすべてを明かした本。サントリー学芸賞受賞作。饗宴に供するワインや料理からフランスの外交意図を探る視点がこの本の真骨頂でしょう。

ワインもフランス料理も無知な私でも、「仔羊のロティ・カトル・エピス仕立て」だの「牡蠣の大海のシンフォニー」だの素敵な名前を眺め、ワインとの相性を絡めた詳細な解説を読んでいると、未知の料理を想像してうっとりです。そして、そこに込められた外交意図の読解には感心するばかり。江沢民主席には内臓料理の皿を重ねて「中国にも内臓の料理があるがフランスではこう料理する」と示し、クリントン大統領へは特級の「ル・モンラッシュ」と格付なしの「シャトー・ラクロワ」を供して歓迎レベルを少々下げる。海部・宮沢・羽田・村山首相はどう格付けされたのか…などなど。

この本、食卓外交の深読み以外も、隅々まで読み所満載です。席次の決定に絡むトラブル、大人数の料理を55分という限られた時間の中で供する緊張感漂う厨房、メニュー表の表紙にあしらわれるフランス絵画、食器・花、仏大統領の公式訪問国で開かれる答礼宴(食器・食材はフランスより持込み)などなどなど。

饗宴のメニューは、大統領自らが最終判断を下すのだそうです。食材・ワインがフランスの季節のものなのはもちろん、料理人は全てフランス人。食器はすべてセーブル焼とバカラで、管理するのは工芸品鑑定士の資格をもつ文化省職員。テーブルクロス・ナプキンの担当も6人もの女性(文化省職員)が務めるのだとか。そして、予算は無制限!「ホワイトハウスでもバッキンガム宮殿でもフランス料理は出るが、こうしたところとエリゼ宮は違う」ことを示すための、この力の入れようはすごい。外交という、利害のつばぜり合いが全ての最前線に、「文化」の力で切り込むフランスという国の面白さを満喫した一冊でした。

…サルコジ大統領はビール党と聞きましたが、今の宴席はどうなっているのか?

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紙の本笑いオオカミ

2008/01/03 23:20

敗戦後の日本を、オオカミとして旅する

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

父を知らない12歳の少女と、母を知らない17歳の少年が旅に出た。制服をボロ着に変えて浮浪児となり、人買いたちが出入りするすし詰め列車のデッキに眠り、便所の流しで頭を洗う。駅弁やラーメンを楽しみ、デパートの便所で巻紙を失敬する。物語に長けた少年は、自分たちをジャングル・ブックの「アケーラ」「モーグリ」、また、家なき子の「レミ」「カピ」に例え、それら孤高の存在の目線で、自分たちのことしか考えないサルたち=人間社会を見つめていく。
 

帯に著者からのメッセージとして以下のようにあります。「オオカミは近代日本が失ってきた孤高の存在の象徴。その厳しく高潔な世界に、欲望むき出しの戦後日本的なあり方を嫌う少年少女が、引かれていく。今の社会の薄い皮を一枚はがしたら、そこに敗戦直後の混乱した世界が広がるという思いです。」
 

野犬に噛み殺される子ども、コレラ発生で上陸を拒否され船の上で死を待つだけの復員兵たち…戦争が終わった後に、こんな無残な形で多くの命が失われていったことは、彼らの旅を通して初めて知りました。今の社会の皮一枚下は…というのも思わずにはいられません。そんな世界で二人身を寄せ合い、「われら、ひとつの血!」とオオカミが歌うシーンは印象に残りました。見なければならないものが今の社会にも沢山あることを、旅の体感を通じて教えてくれる一冊です。

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紙の本忘れられた日本人

2007/09/17 22:39

私のひいばあちゃんは、ずいぶんと違う世界に暮らしていたのだ

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

文字のない世界。記録されることのほとんどなかった、日本の農漁村の人々と習俗。
「日本人」プラス「忘れられた」というタイトルは、今の時代では色々と説教臭い意味を付けられてしまいそうですが、ここではシンプルにそういうことを指しているのだと思う。たいていの日本人のご先祖様がおくった田舎の暮らしは、記録しなければあっという間に忘れられてしまう性質のものだったのだ。
宮本常一が老人たちを取材したのは昭和10~20年代。ちょうど、私のひいばあちゃんの世代だから、たいして古い話でもない。それなのに、全然違う。働き方も、楽しみ方も、人と人とのかかわり方も。

娘たちは、世間を知るため、身一つで旅に出た。ひたすら歩いて、宿は毎日民家。どこでも皆親切で、帰る頃には出かけた時より手持ちのお金が多かった。旅の文化や言葉を身につけて、地元でひけらかすのが娘たちの一つのほこりだった。

男と女が歌のかけあいをする歌垣もあった。最後には男は女にそのからだをかけさせる。声のよい若者は、これという美女とはほとんど契りを結んだという。

港をひらくというのは、港のなかにごろごろしている大石を2艘の船にくくりつけて、潮の満干ごとに1個ずつ運び出すということ。漁の合間の根気仕事で、ついには立派な港をひらいてしまった。

山の道は、木がおおいかぶさって見通しのきかない細道。馬蹄の跡を探して進む。歌を歌って、お互いの存在や行き先を知らせる。

飢饉の年には稗や稗糠を食べた。ひりすてた糞は、雨風にさらされてくさみ・ねばりがとれたら、もとの稗糠に戻ってしまった。消化などせず、腹の中を通り過ぎただけだったのだ。

夜這いのテクニックもすごい。「通りあわせて声をかけて、冗談の二つ三つに相手がうけ答えをすれば気のある証拠、夜になれば押しかければよい。音のせんように戸をあけるには、しきいへ小便すればよい。闇の中で娘と男を見分けるのは何でもないことで、びんつけの匂いでわかる」とな。


…あちこち知らないことだらけ。苦労も差別もあるけれど、「素朴でエネルギッシュな明るさ」と宮本常一は書いている。そんな気分に、話し手たちの口調を生かした文章が加わって、記録というより、力のあるブンガク作品という感じで読みました。この口調はなんと言うか良いです。この言葉に触れるために、これからも読み返してしまいそうな一冊です。

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紙の本アラビアの夜の種族 1

2007/09/17 03:32

豪腕に引きずり込まれて、一日一冊、三日で三冊。

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ひとつの本に、ふたつの物語、そして読者。それぞれは、別々の世界で進行しているはずなのに、突然共振したりニアミスしたり往還をしはじめて、瞬間ぞくっとする、その手の話が好きです。自分が手にしている本が「特別な本」だったのだ、と感じる瞬間がある本。物語と読者が一対一で対峙する、「本」にしか作り出せない感覚。今回、ひさしぶりに感じました。変な感想ですが、この本を読んでいて、「はてしない物語」や「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読んだときの感じを少し思い出しました。


この本の「ふたつの物語」は、エジプトを守るため、あまりの面白さに死ぬまで読み呆けてしまう「災厄の書」を作ってナポレオンに謹呈しようとする人たちの物語と、その「災厄の書」の中身である美男醜男魔術怪物が入り乱れる物語(こちらがメイン)。
死ぬまで読むのを止められない魔性の物語、この作者はそれを書く気か!というところで捕まって、そこからはジェットコースター。翌日には2巻目を、その翌朝には3巻目を買いに走る羽目になりました。
(実はふたつの話のさらに外部構造(この話全体の原典を古川日出男が訳しているという設定など)もあって、訳注が散りばめられていたり。そちらは、あまりうまくいっているとは思えなかったのですが)


言葉はすごいです。これでもかのルビ・美辞麗句に、倒置・体言止めetc.。あとで読み返すと結構気恥ずかしいところもありますが、一気に読んでいる時にはとても気持ちよかった。生意気ですが、派手な言葉たちも変に酔った使い方はされておらず、その語義ままにぴたりぴたりとはまっている感じがしました。最近の小説は、ストーリー以前に、比喩や形容詞に違和感があって読めない時があるのですが、この小説にはそれはなかった。ここは完全に言葉の趣味の問題ですが、にしてもこの語彙力は驚異です。
「すわ、ぜんたい混迷して森羅万象が聳動!なにがなんだ?」のような大仰すぎる節回しや、「暴虐、貪婪、愚者(あほたれ)の魔王を処刑(おしおき)しちゃったのね!」みたいなはっちゃけ言葉まで、仰々しい表現一辺倒じゃないところも楽しく気持ちよかったです。


この本にはあちこちに「膂力」という言葉が出てきますが、この本はまさに膂力のかたまり。「死ぬまでやめられない面白い物語」を形にしてしまおうとする力技、そしてこれだけの言葉を酔わず飽かせず駆使できる力。著者の膂力に圧倒されて読み急ぎ、物語ならではの感覚を思い出しました。ひさしぶりです。今年の夏休み、ひとときの小旅行に連れて行ってくれた本でした。

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紙の本翻訳夜話

2007/06/12 23:31

日本一ハッピーな翻訳家に、翻訳とは癒しなりと教わった

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

まず私個人のことを書いてしまうと、翻訳家になりたいと思ったことはないし、最近では小説もほとんど読みません。実は村上春樹の翻訳小説も読んだことはありません。それでも偶然この本を手にとってみたら、とてもおもしろかった。そして癒されました。

「テキストの文章の響きに耳を澄ませれば、訳文のあり方というのは自然に決まってくるものだと、僕は考えています」「誰かと何かと、確実に結びついているという。そしてその結びつき方はときとして「かけがえがない」ものであるわけです」

…そう、こういうのが読みたかったのよ!他人の言葉への目配りなく自意識だけが並ぶ文や、身の丈に合わない仰々しい言葉ばかりの文に疲れを感じる今日このごろ。他人の言葉を好きになって、自分の中の感覚とすりあわせながら聞きとろうとしている人、他者の言葉をこつこつと置き換えていくことが癒しだと感じる人の言葉は、理屈ぬきに読んで嬉しいものでした。

そういった翻訳の根っこの話とは別に、実際のテクニックの話も面白かった。「僕」と訳すか「俺」と訳すか?ダジャレの翻訳はどう処理するか?etc.。英文和訳に無縁に生きてきた私にはかなり意外なトピックでした。

さて、この本は、翻訳学校の生徒さんや若手翻訳者たちとの質疑応答などでできているのですが、読み終えてみると、実際に翻訳で頑張っている人たちは村上春樹のようにハッピーに翻訳するだけではなかなか済まんのだろうな…というのも感想です。

村上春樹はプロとして自分の文体やリズムを持っているし、自分の文に合う作家も自分でわかる、好きな作家を好きなペースで訳せば発行してもらえて読者がついて、お金も入る(自前のエッセイ・短編よりずっと安いとのことですが)、そして何より、翻訳で得たものを本業・小説に活かすことができる…翻訳で食べていこうとする普通の人には絶対にありえない環境なわけで…。ただ、そんな生活レベルの話を脇に置いてみると、翻訳の仕事の核の部分には、他人の言葉に無心で取り組むハッピーさがあるんだな、というのは初めて知りました。これは、他のお仕事にはなかなかないかもしれません。

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紙の本狐物語

2007/05/13 22:08

謀略・食欲・バイオレンスのけもの道

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

このところ、気づくと日本人が書いたおフランス絡みの本ばかり手にとっています。羨望・絶賛から失望まで振れ幅が大きくて、風土・食べ物・国民性などなど、日本の真逆を行ってるんじゃ?と思えるあれやこれやが面白くて仕方がないのです。そんな中で、必ず出てくる話題がフランス人の超個人主義。その理由として、子どものころから性悪狐が悪事をはたらく話を聞かされて育ち、周りの人間はすべてよからぬことを企んでいる信用するな、と言い聞かされているから云々…を挙げている文章を二度ほど見ました。それはもしかしたらこの本か?と、珍しく岩波文庫に手をのばした次第。読んでみると、これはちょっと子どもには無理かもしれません。

中世フランスで作られ人気を博した、悪狐ルナールの物語。狼イザングランとの闘争がメイン。第1話は、ルナールがイザングランの妻を手籠めにする話(…)。巣穴にぴったりはまって身動きできなくなってしまった妻。この据え膳逃してなるかと、意気揚々と跨って…と大胆な描写に驚きました。性の描写も露骨なら、食べ物への執着もすごい。食べるときは一心不乱、目の前に食べ物があるのに手に入らないと、体が震え身もだえし、舌が今にも焦げそうな思い…。そして、バイオレンス。ルナールとイザングランとの決闘の場面では、「口の中の歯をへし折り、顔に唾と鼻汁をひっかけ、目に棒を突っ込み、爪を立てて顔の毛をひきむしり…」。そして、確かに全編「謀略」の話、「人の話は簡単に信じるな」という話ばかりなのでした。甘言を弄して相手を油断させ罠にはめる、嘘に嘘を重ねて窮地を逃れた挙句にシラを切る。う〜ん、相手をひたすらハメ続ける展開のしつこさは、ちょっと日本の「とんち話」とかとは次元が違うような気がします。「トムとジェリー」が口をきいたらこんな感じ?

ただ、この動物の国は欲と嘘だけかと思えば意外な面もあって、どれだけ罪状が挙がった極悪狐でも問答無用では裁けない。ルナールも、何度も弁解・申し開きをする機会を与えられ続けます(で、これを逆手にとって逃げるわけですが)。こんなところに「法律の国」フランスの一面を垣間見たような。当時、「法廷物語」が愛読されていたため、というのもあるそうですが、それは日本ではちょっとありえなそう。

筋だけあげれば殺伐そのものの話が大らかでおかしく感じられるのは、訳文がふるっているところが大きいかと思います。よどみなくお下品かつ大らかな言葉遣いは、大学の先生たちの文とは感じさせない(笑)読みやすさ。中には、「王ヨ、余ノ考エヲ聴クヨロシ。コノ悪ノ権化ヲ石打チノ刑ニテブッ殺スヨロシ、丸焼キニスルモヨロシ」なんてのも…結構とばしてます。(当時の教皇使節のイタリア語混じりフランス語をちゃかした部分の訳なのだそう)

美とセンスと弁論の国、おフランスの根っこにあるえらくワイルドな面に触れられて、個人的にはかなり面白かった本でした。

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紙の本これで古典がよくわかる

2007/05/06 22:52

「源氏」は読みにくくて当たり前だったのか

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「古文」はかなり苦痛な授業だったから、何を読んだのかもあまり覚えていなかったりします。「源氏」はかなり読んだはず。「徒然草」「竹取物語」「枕草子」もやったはず。でも、色んな時代の古文をつまみ読みする前にこの本を読んでいたら、随分印象が変わっただろうな…。

この本は、日本語の書き言葉がより自分たちにフィットするよう変化していく様子を面白く説明しながら、その流れのポイントポイントに各古典を配置しているのです。「ひらがな」の時代の「源氏」は読みにくい、「漢字」+「ひらがな」のドッキングが完成した「徒然草」までくると原文でも読みやすい。なるほどな〜、という感じです。

中国語で文章を書くしかなかった「日本書紀」、そして「万葉がな」の時代から、教養のある大人の男が使うとされた「漢字・カタカナ」へ。さらに、女・子どもが使うかんたんな文章向けの「ひらがな」(文の区切りが曖昧で、主語を平気で略してしまうetc.)でフランス心理小説なみの複雑な話を展開したために、難解さが倍増してしまった「源氏物語」(…そうだったのか!)。そして、鎌倉時代にようやくできた和漢混交文。…ここまで数百年!

そして、こんな文字の変遷をたどるだけでは終わらないのが橋本治。その背景・理由も一緒に考えます。

★和漢混交文の誕生までに、これだけ時間がかかったのはなぜか? → 「漢字」と「ひらがな」のドッキングは、「教養のある大人の男が平気でマンガを読む」様なもの。男のプライドと「漢字」とががっしりと結びついて、変化を拒んでいたということのよう。

★「日本の古典」というと、平安時代の文学(読みにくい「ひらがな」の文学)ばかりが持ち上げられるのはなぜか? → 「都が一番偉い」史観のせい。そして、その史観が明治時代になってもう一度復活してしまったから。「国家はえらい」ということを国民に定着させていくにあたって、その中心をなす平安時代は「重々しくて難解なもの」でなくてはならなかったから。「古典」を難解に、「京都」や「平安時代」を妙にエラソーにしてしまったのは、実は明治時代なのだ、というご説。「窯変&桃尻語訳」の人がそう言うか…という意味でもちょっとびっくりしました。

この本は、「受験生用のわかりやすい文学史」を目指したとのことで、橋本治の論旨積み上げ論法がたまに息苦しくなる私も、すんなりと読めました。別に古典が読みたい読みたくないに関わらず、ことばに興味がある人なら手に取って損なしと思います。

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泣くほど笑えてかなり深い…インド人なかなかです

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

外国人が書いた「不思議の国ニッポン」ものは大好きで見かけるとつい手にとってしまうのですが、インド人の書いたものはそうないのでは、と思います。しかもまえがきを読むと、もともと日本で出版するために書いたのではないらしい、というところからして珍本です。バラモン階級のサラリーマンが90年代はじめの日本で過ごしたのち、本国で隠遁生活に入って書いた日本滞在記。訳者がインドの古本屋で偶然手に取り、さらにまた偶然に、インドの奥地で作者と出会ったことから日本人が読むことができるようになったという、ほんまかいなというような劇的エピソード付きの本なのです。

タイトルの印象とは裏腹、涙が出るぐらい笑える記述もあり、読み出すと止まりません。インド人ならではのこの本の魅力はなんだろうな、というと、 ・受け狙いなしの真面目な語り口 ・種々の出来事から日本人の特性をぐいぐい帰納していく知性 ・大地に足のついた生活が基盤にあること、あたりとみました。

大真面目な口調については、読んでいただけば一発です。オーバーなエピソードを面白おかしく披露する欧米系の「ニッポン本」とはまた違うおかしさがあります。

理系が強いインド人ならでは(?)の帰納や演繹の力。たとえばインド料理を食べに行ったときに、筆者は日本人が皿の上に各料理を別々に並べていく様を「奇怪」と感じます。インドでは物を混ぜ合わせることは豊穣につながるらしく、日本料理でも煮物や卵焼きをライスと混ぜ、味噌汁も加えればより美味くなるのではと口にして周囲に驚かれます。
そこから、インドの豊穣は混ぜることなら日本の豊穣は並べることだ、と幕の内弁当を連想しながら思い、また、「生醤油」のような「生(き)」を重視する単一性への信仰、混ぜることは粗悪につながるという価値観を見て取って、日本人が他文化とのコラボレーションが苦手なのは、語学力や引っ込み思案よりも単にコラボレーションを厭う民族だからなのでは、といった感想へとひろげていきます。
「恥」や「世間」といった日本人論につきもののキーワードも頻出しますが、どこかの論者の言葉は一切出ず、自分の体験と周囲との会話だけから大きな論を導き出していくのはなかなかです。

地に足のついたルーツを持っている、というのは種々の感想から感じます。インド人だからと無理やり激辛カレーに挑戦させられたときに「これは食事に名を借りたゲームであり、ここはレストランでなくゲームセンターだった」と思い、また、バーで別れ話をするカップルに驚いて「暮れ行く大自然のかわりにきらびやかな人工照明に浮かび上がる室内を背景に人生を語るようになった」「東京のように極度に発達した都市においては真面目な話をする場が失われて久しい」と感じます。インドではそういった話は衆目を避けて森のなかでするらしいのですが、そりゃ無理だ…と思いつつ、でもこういった感覚もあることは覚えておきたいな、と思いました。

タイトルがこうなので日本たたき本と誤解されそうですが、筆者は、日本滞在を通して認識した母国のカースト制度の不合理、民族・宗教間の憎しみの深さ等も真摯に綴ります。また、日本の自由と安全・プライヴァシーを守られた生活を謳歌し、弱者にも付け込まない定価制度のタクシーに感動し、季節に対する鋭敏な感性や、繊細な工芸品、木の全てを熟知した「木の文化」なども心から称えます。

それでも、筆者はインドに戻るにあたり、最後に「静かなところへ行こう、百年も古い世界に行こう。人と人が交わり合い、物を買うにしても売るにしても、そこから相手の人生を学べるような世界で生きよう」と記すのです。日本で生まれ育って東京でサラリーマンをするこちらはどうすりゃ良いの…なのですが、でも、この感覚を全否定したくない、何時かのために留めておきたい、とも思うのでした。

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紙の本体の贈り物

2006/10/01 22:50

「飢えの贈り物」「姿の贈り物」…苦痛や死の日常に「Gift」をみる言葉

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エイズ患者の世話をするホームケア・ワーカーが、患者との出会いや別れを語る小説集。難病ものでしかも小説で、普段ならパス!の分野ですが、訳者あとがきで柴田元幸さんが「「そういうのパス」と思われる方々のなかに、実は、この本を読んだら気に入ってくれる方が絶対にいるに違いない、とかなりの確信をもって思うのである」と書かれているので手にとってみたら、実際そのとおりだったのでした。

なにが「良いなぁ」と感じるのかというと、書き方に尽きるのです。柴田さんがあとがきに書かれていて感想がだぶるのですが、登場人物が泣いたり、恐れたり、感謝したり亡くなったりするそこに、余計な物語が一切ついてこない。起きたこと・感じたことを何の技巧も凝らさず真正面から書く、その語り口に「良いなぁ」と感じ、抑制のセンス・言葉の力がすごい人だ、と感じるのです。言葉はとても平易なのですが。

良いなといえば各小話のタイトルで、「汗の贈り物」「充足の贈り物」「動きの贈り物」「悼みの贈り物」etc.それだけで喚起されるものがあります。その贈り物が何なのか、割合はっきり書かれている物語もあれば、何をどう贈りあったのかよくわからない物語もあるのですが、それはともかく、皮膚が剥がれ、飲食や会話にも苦しむほど弱った患者たち、その病んだ体にジェルを塗り、風呂に入れ、言葉をかけ…といったヘビーな生活(柴田さん曰く「いずれ死へと行き着くほかない「負け戦」」)の中での相互関係を、「贈り物:Gift」という言葉で切り取っていく目次には、それを見ているだけでじんわりとくるものがあります。

この小説の中でのエイズはまだ不治の病で、それだけに本人・家族・恋人たちは、残された時間と対峙しながら、お互いの絆を深めて向かっていきます。長年病院のベッドにつながれ、生きているのか苦しんでいるのかもよく分からずに亡くなっていく親族をみてきたこちらからすると、自分のまわりの人を、こんな風に送るのは至難ではないかとうっすら不安にもなります。「I Love You」「I Miss You」を病の日常の中にごまかさずに、最期まで看取ることはできるのでしょうか。

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類書なし!「茶」の反体制ドキュメンタリー、そしてひけらかさない出雲の奥深さ

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利休の侘び寂びの茶道と現代の茶会に参じる艶やかな和服の群れが同じものであるはずがない!? 素朴な疑問を抱いた著者が全国の茶人を訪ね歩き、出雲で知られざる真の茶人・金津滋と運命的に出会った。金津は七件所有していた貸家をすべて茶道具に換えたという粋人だった! その生涯を追いながら茶道を論じた類例なき人物評伝。(カバーより)
内容は↑そのままです。茶道は門外漢の著者が「茶」を書こうと一念発起、金津滋との出会いから別れまでを会話も多用してドキュメンタリータッチで伝えます。現代の千家らによる「体制」の茶を批判する本を読むのも初めてなら、「茶」をめぐるノンフィクションも初めて、そして「反体制」本を著すにあたっての意気込みに満ちた熱い(少し暑苦しい)文体…、類書がないのは間違いないでしょう。そして、「真の茶」を求める対話を通じて、茶道の歴史から茶道具、茶事のありかたまでを自在につないで提示した、マニュアル本では掴みきれない「茶」が概観できてしまう、門外漢にとっては有難いガイドブックともなる一冊です。

七件の貸家を売った粋人・金津滋については、本で触れていただきたいです。粋人=遊び人??という私の浅薄なイメージを覆して、語り口は穏やかで教養に満ちた人でした。染色、書画、文章、料理、何をやらせても才能を発揮したものの定職に就かず、才能を何かの役に立てることはせず、蒐めた茶道具4〜5000点も死後には散逸した模様。 「「茶」に明け「茶」に暮れるのが「茶」です。忙しくて仕事などしている暇はない」と言い切る生き方を貫いた人なのです。

ただ、個人的に、一番興味深く読んだのは、金津を生んだ茶どころ・出雲にまつわる文章でした。私の親の実家は出雲なのですが、確かにお茶との接点はとても濃かった。おやつの時間にお抹茶が登場するのは日常で、何のお手前もなく、皆が一服、二服とおいしそうにいただく様子は、とても豊かな生活に見えたものです。また、和菓子もとてもおいしかった。松江銘菓とされる若草、朝汐、山川、薄小倉あたりは、デザインはこれ以上ないほどシンプルですがそれでいて、選び抜いた材料を使って手間をしっかりかけているな、と一口で実感させる、しっかりと決まった上品な味をしています。それは、街のお菓子屋さんの上生菓子でも同様。見た目が仰々しくなくて、でもしっかりとおいしいのです。そういった、子供心に不思議だった生活に密着したお茶の楽しみが、出雲人気質と結び付けて語られるところは、かなり腑に落ちるものでした。山陰の長い閉鎖的な社会の中で、かすかな自然の変化を感受する精妙な感性を養った出雲人、それが、一部の特権階級のものだった茶の湯を庶民がひそかに楽しむところへとつながっていった、というようなことのようなのです。

一般に茶どころの筆頭といえば「京都」。歴史・伝統を守り抜き、また、守り抜いて外の人にありがたく拝見させることがお金を生む歴史的観光都市の凄みもとても魅力的だと思います。その奥深さに圧倒されるもします。が、ひけらかさない、声高に言い立てないこの街にもかなり凄いものがある、奥が深そうだ、という私の個人的な感覚を、出雲の風土から解き明かし、知られざる茶人・金津を通じて実体化してくれたこの本は、改めて出雲を見直す契機になりました。
<文庫版改題前のタイトルは私が死ぬと茶は廃れる>

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