サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

  1. hontoトップ
  2. レビュー
  3. Y.T.Niigataさんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年8月)

Y.T.Niigataさんのレビュー一覧

投稿者:Y.T.Niigata

8 件中 1 件~ 8 件を表示

紙の本

なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日

絶望のなかでも奇跡は起きる。

37人中、37人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 昨年の暮れ、父が末期癌の告知を受けた。骨と皮になった老人の手を引き、医師の前で水を入れた風船のように膨らんだ下肢をみせられたとき、不覚にも涙がこぼれそうになった。一緒に暮らしながら、私は父の変化に気づかなかった。下肢の浮腫は、娘の無関心さに対する、父の身体から発せられた怒りにとれた。正月休みを返上して治療にあたってくれた医師は言った。「最善の努力をします」。手術後、余命が家族に告げられた。
 それからの半年間、暗闇の中で一本の糸をたぐり寄せ、希望の灯を見い出すような日々が続いた。そんな頃に本書を読んだ。名画を観たあとで席を立つことができなくなるように、名作を読んだあとで言葉を失うように、読み終えたあとで、何もすることができなくなった。そして、改めて考えた。罪とは何か。罰とは何か。法とは何か。死刑とは何か。絶望とは何か。希望とは何か。成長とは何か。生きるとは何か。愛するとは何か。人は何のために生きるのか。人間とは……?
 読み始めた当初、20人の弁護団が語った荒唐無稽な「母胎回忌ストーリー」を思い出し、被害者遺族・本村洋さんの成長と相反する未熟な犯人像を想像した。そして思った。この作品は「司法に挑み、司法と闘い、司法を変えた」青年・本村洋の心の軌跡と成長を描き、「司法に失望してはいけない」「正義をあきらめてはいけない」と鋭く説く作品ではないか、と。しかし、後半になるにつれ、「死」、すなわち「生」を静かに説く作品なのではないかと思い始めた。「生きる」ということは、死ぬほど(本村さんが自殺を考えたほど)苦しむことであり、絶望の淵から立ち上がることであり、逃げないことであり、希望を持ち、使命(仕事)を成し遂げる勇気と信念を持つことであり、命を愛することであり、さらに命を「許す」ことである──。
 命は滑稽で再三、茶番を繰り返す。運命を翻弄する神もまた悪戯を繰り返す……。しかし、被害者遺族・本村洋さんと被害者・弥生さんの母は「死(刑)をもって生きよ」と犯人に問い、その命を許そうとしたのではないか。最終章で筆者は「罪と向き合い、死(生)と真剣に対峙した」犯人を神のように許し、人として初めて認めたのではないか。
「生涯、田舎教師」を口癖にしていた父は、幼くして実父を亡くし、自力で教員免許を取ったせいか、天性の明るさをもつ母とは異なり、何事にも悲観的なところがあった。3年前、義弟を肺癌で失ってからは「医者など信じない」とあからさまに口にし、病の予兆はあっても病院の扉を叩こうとしなかった。
 その父が変わった。「最善の努力をします」と語った医師の加療を素直に受け、医師と看護士の治療に心から頭をさげ、見舞客や食事のあとには「ありがとう」を繰り返し、人が「いい」と勧めることを疑うことなく聞き入れた。父は何かに憑かれたように、自分のなかにある希望の灯を見つめ続けていた。
 癌告知の前から「美しく死ぬことを考えろ」と、ことあるごとに私を諭してきた父。死を考えることは、生を考えること。末期癌と闘う父の姿を目にするにつけ、家族を愛し、愛されることに感謝し、支え、支えられ、暗闇の中でも光を見い出そうとすることこそが生なのだと思わずにはいられない。
 この7月、父は再手術に挑戦し、「根治は絶望的」と一時は見放された現代の医療で甦ることができた。自らの生と併走してくれた医師の治療を100%信頼し、絶望の淵に立たされてもなお、人生に光を見い出そうとした父。その姿に、本村洋さんの姿が重なった。医師や看護士の真摯な姿に、本村さんを支えた弥生さんの母・由利子さん、本村さんのご両親、上司である日高さん、刑事、検察官、裁判官……など、美しい日本人の心をみた。
 生(死)と真摯に向き合えば、絶望のなかでも奇跡は起きる。父は今、医師が示す次の治療を希望の灯として生きている。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

甲子園への遺言 伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯

私たちは、生に敬意を払っているだろうか。

19人中、18人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「君は、このクラスの全員を、同じ傘の中に入れようとしている」
中学1年のとき、学級委員をつとめる私に担任は言った。13歳で出合ったこのひと言は、30年を経た今、私の座右の銘となっている。傘に入ろうとする人もいれば、そうでない人もいる。この世には、誰も同じ(気持ちを持つ)人はいない。国語を教えるこの担任には、授業中にこうも言われた。「Tは今、ドイツ文学に夢中になっているそうだ。しかし10年後、本を読まない者との違いが必ず出てくる」。本を読めとは強要せず、人生の豊かさが違ってくると説いた恩師。彼の言葉で、私はドイツ文学を専攻した。
私たちは、恩師の言葉や生き様を、どれだけ思い出し、実人生に生かしているだろうか。そして、自ら夢を持ちながら、「生きること」の豊かさを説く教師が、今どれだけいるのだろうか。
『甲子園への遺言』。伝説の打撃コーチであり、高校教師でもあった高畠導宏氏の生涯。この本の全編を通して感じたのは、まず「私たちは、生に敬意を払っているだろうか」だった。好きな仕事が見つからないニート、夢を忘れた(振りをしている)中高年、年間3万人を超え続けている自殺者、他人に、自分自身に、そして「生きること」に敬意を払っていない、すべての者に対する檄、あるいは導きの書。300ページを超えるこの大作は、日本の「善」へのオマージュとも言えるのではないか。
文章の一行一行、いや行間を含めた全編に、筆者の、主人公・高畠導宏氏への敬意が汲み取られ、随所にちりばめられた高畠氏の名言とともに、心にしみわたってくる。またプロ野球選手、同窓生、生徒たちなどとのほほえましいエピソードに、高畠導宏氏の人となりが偲ばれ、鬼のようにこわく、厳しく、仏陀のように温かく、優しかった高畠氏の、命がけの人間との交流の様がありありと浮かんでくる。
政治家、教育者、ジャーナリスト、小説家、芸術家……、誰もが気づいている「このままでいいのか、日本」。この本の使命は、今失われつつある「正義」や「善」、「徳」「仁」「孝」「忠」など、古き日本の根底にあった儒教的(?)な良きものへのオマージュを、主人公・高畠導宏氏の生き様を借りて、問い質したところにある。「おい、もっとしっかり生きようよ」、筆者の声がすぐ耳許で聞こえてくるような気がする。筆者は言う。「野球を目指す人も、あるいは野球とはまったく関係がなくても、あと少しで夢を実現しようとしている人、暗中模索の人、もっと物事に立ち向かう勇気がほしい人、人生そのものに疑問を抱き、真っ正面から世の中を対峙できない人」に読んでほしい、と。日本は今、そんな輩だらけではないだろうか?
「もし、私が一人の心を傷心から救ってやることができるなら、私の生きることは無駄ではないだろう」から始まる一編のエミリー・ディッキンスンの詩がこの本の核を示唆している。
この本が、希薄な日本を変える一翼を担うことを念じてやまない。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

康子十九歳戦渦の日記

紙の本康子十九歳戦渦の日記

2009/08/03 20:13

あらためて家族を思う。

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 心がパサパサになったとき、私はいつも家族から届いた手紙を手にする。その中に、母からの一通がある。大学受験のときに届いたものだ。
 夜更けに弟が何も言わずどこかに出かける。ひと月ほど続いたときに、父がこらえきれずに手をあげた。「この不良が!どこへ行くんだ」。それでも弟は口を割らない。毎夜、雪のなか、傘も差さずに出かける弟。母が明け方、寝入っている弟の足を見ると、しもやけで赤くただれていた。母は思い出した。「ねえ、お百度って、どうやって踏めばいい?」。そう弟が尋ねたことを。母は忠告した。「誰にも言わずにやらないと、御利益がないんだよ」。母が神社の境内に行くと、雪の中、小さな足跡が点々と境内に続いていた……。

 中学校を卒業するまで、私は父の言うとおりの娘として育った。成績は良かったし、書道や作文、ピアノのコンクールでは賞を取った。体育祭ではプラカードを持って先頭を行進し、進級や進学をすると「あなたが○○先生の娘さんね」と言われた。でも、そんな自分が嫌だった。高校に入ると、早く父のもとを離れたい、そればかりを考えていた。何事にも細かくて生真面目で一本気。娘の冗談を真剣に受け止め、本気で怒鳴る父がずっと嫌いだった。そんな気持ちを父にどうにか伝えたくて、夜遅くまで遊んだり、たばこを吸ったりした。成績も落ちた。書道もピアノもやめた。何か言われたら言い返し、殴られたら涙も見せず白目を剥いて、ただ父を軽蔑していた。そんなふうに父を失望させようとする姉を、弟はいつもかばってくれた。
 母の手紙を読んだとき、雪に残る弟の小さな足跡を思い、号泣した。「家族っていいな」としみじみ思った。

 私は戦争を知らない。広島に行ったことがない。しかし、初めて『アンネの日記』を呼んだとき、悲惨な戦争に怒りを覚えた。初めて『夜と霧』を呼んだとき、人間の残酷さに戦慄が止まらなかった。そしてこの本を読んだあと、いつも主人公(粟屋康子さん)に問い質されているような気がする。「お前はきちんと生きているか」「お前は家族を愛し、感謝しているか」「お前は明日に希望をいだいているか」──。

 第二次世界大戦下、日増しに敗戦が色濃くなる日々のなかで、これほど希望をもち、これほど強い意志をもった女性がいたのだろうか。原爆で家族を失おうとも、「私、猛烈に強くなりたいの」と、遺された家族を守るために命を賭けた十九歳……。あの愚かな戦争のなかで「特攻に行く人は誇りだが、それを強いる国は恥である」と毅然と言い切った若き女性、粟屋康子さん。この本が7月10日に発売されるや、すぐに読み終えた。そして1カ月、何も手につかなくなった。主人公・粟屋康子さんが「お姉ちゃん」の一言を遺して逝ったラストシーンでは、声をあげて泣いた。そして思った。「日本人であってよかった」「この本を読んでよかった」と。

「小説を書かない人は希望をもたない」と語ったのはフラナリー・オコナーだった。私は言いたい。「小説を書かずとも、事実を書くことで、この本は私たちに希望の明日、日本の明日を問うているのではないか」



このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

ハンカチ王子と老エース 奇跡を生んだ早実野球部100年物語

不可能だと思わない限り、人は決して敗北しない。

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 最終電車で酔客が隣に立つ若い女性にからんでいた。車窓には、混雑する車内の様が映り込んでいる。視線を宙に漂わせ、酔客の声に神経を集中させる乗客たち。女性のかたわらには、学生服を着た一団が立っていた。みな坊主頭で大きなスポーツバッグを両脚の間にはさみ、電車の揺れに合わせ、上体の均衡を保っている。酔客の声が徐々に荒々しくなっていった。「おい、何とか言えよ」。車内の空気が一瞬にして薄氷を張ったように緊迫した。そのときだった。若者の一人が酔客の前に立ちふさがった。と同時に、他の学生服たちも、女性の盾となるように、酔客の周りを取り囲んだ。無言の反旗──。その静なる異議を前に、酔客は次の駅で、気まずい顔で降りていった。扉が閉まると、車内に清々しい風が吹き抜けた。少年たちのスポーツバッグには「W」の頭文字があった。
 あの深夜の電車と同じ風を、この夏、甲子園でも感じた。悲願の初優勝を遂げた早稲田実業と、75年ぶりの夏三連覇を目指した駒大苫小牧との激闘。球場で繰り広げられた死闘はもちろん、互いに尊敬し合っているという「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹投手と、北のエース田中将大選手が残した薫風のようなスポーツマンシップは、夏を過ぎ、秋、冬と季節を経た今も、私たちの脳裏に焼き付いて離れない。グラウンドでのドラマ以上に注目を集めたのが二人のエースさわやかな人柄だった。同じチームとなり、日本を代表してアメリカに渡った二人。進学、プロ入りと進路はたがえても、互いに互いの将来を讃え合った二人。「人となり」のあらわれた記者会見。会見が終わり、自分の椅子だけでなく、他者の椅子まできちんと片づける斎藤佑樹選手の姿を目にした際には、青少年の自殺、猟奇殺人など、暗い報道が続くなかで、「こんな少年がいれば日本は大丈夫だ」と、彼等の母親世代の私は胸をなで下ろしたものだ。
 『ハンカチ王子と老エース 奇跡を生んだ早実野球部100年物語』には、感動の決勝戦にいたるまでの数々の秘話が綴られている。知られざる早実野球部の悲願を紹介した同書は、100年という歴史を縦軸に、今夏のエース斎藤佑樹選手のみならず、優勝を果たせなかった島津雅男、王貞治、荒木大輔といった日本の球界史に輝かしい名を刻んだ偉大なる早実野球部OBたちの心の軌跡を横軸に、対戦相手の微細な心理をも描出した壮大なスポーツロマンでもある。甲子園のスターたちの光(栄光)と影(挫折)に焦点をあて、「野球とは何か」「勝負とは何か」を問いかける同書は、また「不可能だと思わない限り、人間は決して敗北しない」と、「生」の意味をも投げかける一冊となっている。
 ともすれば、「ハンカチ王子」斎藤佑樹投手のアイドル書ともなりかねないモチーフを、各時代のエースの心の揺れ、勝負を委ねられた者たちの「鬼神」としての葛藤を描くことで、ノンフィクション・ノベルとも言える風格を醸し出し、深い読み応えを生んでいる同書。野球というスポーツをジャーナリズムの視点でとらえ、ノベライズの手法と構成で、時代を経たエースたちの「人間としての強さと弱さ」をも描写して、読む者の琴線に触れるこの本は、「敗北の意味」「敗北から立ち上がる強さ」「人間の奥深さ」を説くばかりか、時代の子として生まれたエースたちが1世紀の時を経て「運命的」につながり、一つの同じ夢を成し遂げる歴史ロマンの一面もみせる。そこには、人間の心の奥底に眠るたぎるような「何か」、大いなる目標に立ち向かわずにはいられない「何か」、神の手に導かれるように突き動かされる「何か」が確かに存在する。その「何か」がなければ、私たちは夢を手にすることはできない。筆者は、その「何かを忘れるな」と私たちに問いかけているのではないか。
 全編を通じ、清々しい筆致を貫いた筆者の力に感服する。私はこの本で、あの深夜の電車内と同じ「風」を確かに感じた。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

パパはマイナス50点 介護うつを越えて夫、大島渚を支えた10年

その人をその人のまま、愛するということ。

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 東京で編集者をしていた十数年前、大島渚監督に人生相談のお願いをした。女性情報誌での連載の依頼だった。当時、テレビで顔を見ない日はないほど、多忙だった大島監督。「週刊誌のレギュラーなど、断られて当たり前」と諦めていた矢先に、監督ご本人からお返事をいただいた。「喜んでお受けします」。未熟者で、弱小出版社に勤める駈け出しの編集者である私に、監督は敬語で接してくださった。
 週に一度、赤坂の大島渚プロダクションに相談項目をファックスで送り、実際に会って監督から回答を得る。そんな形で連載が一年あまり続いた頃、「ご自宅でくつろぐ監督の姿を撮影したい」と、お願いをした。そのときも監督は二つ返事で快諾。そのうえ小山明子さんと一緒の撮影まで受けてくださった。撮影当日は、カメラマン、部長、そして私の三人で藤沢のご自宅へ伺った。少し緊張してインターフォンを押すと、門の向こうに和服姿の小山明子さんの姿を認めた。門から玄関へと続く、敷石のある道を案内してくださる小山さん。その優雅な美しさに嘆息した日を今でもありありと覚えている。
「パパ」「ママ」──大島監督と小山さんはお互いにそう呼び合い、息子さんたちが幼かった日の話を楽しそうに聞かせてくれた。「今、これに夢中になってるの」。当時はやっていたココロジーテストを紹介しながら、小山さんが心理テストをした。それは、「サバンナを歩いている場面を想像し、目の前を横切る動物を連想。その動物からベストパートナーがわかる」というものだった。小山さんが見えた動物は「ライオン」、大島監督が見えた動物は「白馬」。私たちは、「大島監督はライオンそっくりだし、小山さんは白馬以外の何ものでもない。さすが、ぴったりのパートナーですね」と頷き、笑い合った。
『パパはマイナス50点』──小山明子さんが著したこの本は、大島渚監督への愛に満ちている。「何もできないからこそ愛おしい」。テレビのトーク番組で小山さんが語ったこの一言が全編にあふれ、思わず胸が熱くなる。「ライオン」と「白馬」と言い合ったお二人。その満面の笑顔を思い出しながら、転職に悩む女性情報誌の人生相談で、大島監督から学んだ実に多くの人生哲学と、監督にしか教えていただけなかった美学を今思い出している。
 人間の尊厳とは何か。人間とは何か。自分とは何者か。美とは? 幸福とは? 品格とは?「主演女優を考える際、僕は、腕を組んでシャンゼリゼを歩けどうかで決めるんです」「女優がなぜ美しいか? それはカメラマンも監督も、女優が一番美しく見えるように愛情を注いで撮るからです」「誰かを憎むことは簡単だ。しかし、最大の復習は、優雅に生きることだ」……。私は、20代後半に、大島監督に出会えたことを誇りに思う。そして、大島監督を通じて、女優として輝く以上に、奥様として、母として、私たちが嘆息するほどに美しい女性の先輩、小山明子さんにお会いすることができた日を宝のように感じる。
 大学を出たての入社試験で私はこう書いた。「そのとき、何をしていてもいい。どんな職業に就いていてもいい。大地にしっかり立って、この手で誰かの背中をしっかり抱きしめる。そんな人に私はなりたい」。小山明子さんの『パパはマイナス50点』を読み直すたびに、私はこの言葉をかみしめている。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

激突!裁判員制度 裁判員制度は司法を滅ぼすVS官僚裁判官が日本を滅ぼす

事実は一つではない場合もある。しかし、良心は我々の心の中にたった一つ存在する。

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 小学校の低学年のとき、ぬれぎぬを着せられたことがあった。 教室が空っぽになった昼休み、窓に落書きをした児童がいる。犯人は誰か。教室中がどよめいていた。よく見ると、ガラスに一つ、小さな指紋が残されていた。男子児童の中でもひときわ身体の大きなボス的な存在の一人が私の名をあげた。「やったのはお前だろ」。自分の指を、ひとまわり大きな男子児童の目前にかかげ、涙ながらに私は無実を主張した。しかし、クラスの絶対的権力者の前で、事実は歪められていた。私はなおも泣き叫び、冤罪を訴え続けた。ところが、「これはお前の指紋じゃないか」の声に、教室中の白い目がいっせいに私を糾弾した。

──法曹界の「常識」の瓦解か、国民の「常識」の導入か──
 前者の「常識」とは、前例尊重主義で「蛇足判決」を書き、最高裁絶対教の信者となって裁判を自らの栄達の手段としかみなさない現在の日本の法曹界の常識であり、後者の「常識」とは、人の道としておかしいものはおかしい、正しいものは正しいと声をあげる「フツーの人」の常識である。
 本書は「激突!」とタイトルにあるが、「裁判員制度」導入の有無をめぐって井上氏、門田氏、双方の論法に勝ち負けを決めるものではない。双方の考えを我々フツーの人に問うことで、腐敗した日本の法をいかにして立ち直らせることができるか、日本を崩壊させてはならない、と双方の立場で説く一冊である。
 判事を経て、弁護士として司法の闇に身を置き、そのあまりに「特別な」法曹界の常識をペンで突く井上氏の言及は、裁判官と判事を、黒衣に身を包んだ滑稽な道化師に思わせる。一方、ジャーナリストとして数々の事件を取材し、少年法の改正(神戸連続殺人事件)や、前例のない判決(光市母子殺害事件)をみちびくなど、法の矛盾をペンの力で斬ってきた門田氏の鋭い舌鋒の根底には、藤原正行著『国家の品格』や、新渡戸稲造『武士道』、『天地人』の兼続、謙信にも通じる日本の美徳「愛」「義」を感じる。

 思えば、私の冤罪は、取るに足らない事件だった。しかし、あれから数十年、私の誇りを引っ掻いたあの事件は、教室内の棘に似た空気とともに、胸の奥に垢となってこびりついている。これが大事件となったら、絶対権力による不当捜査や、「最大の関心事は出世」とされる裁判官の「赤字」(新受が既済より多い裁判処理)解消などによって、冤罪犠牲者や犯罪被害者、遺族の心の傷はいかほどのものになろうか。

 我々は知っている。芥川龍之介の『藪の中』や、黒沢明の『羅生門』に代表されるように、真実や事実が一つではない場合もあるということを。 我々は知っている。法とは、不完全な人間がつくったもの。だから法は不完全なのだということを。 しかしだからこそ、裁く者は、「正義」や「美徳」「公平」「良心」で罪と罰を見つめなければならないのではないか。

 多くの具体例が平易な言葉で書かれた本書は、裁判員制度の両面を知る実用書の一面のみならず、人として守るべき美徳、正義、儒教思想にも通じる日本の良心が紹介されている。
──人は人を裁けるのか──
 裁く前に、善悪を問い、日本人の品格、惻隠の情にも通じる美しい心をもって、真実を、事実を、みきわめようとするには、まず本書を紐解くことから始めたい。

事実は一つではない場合もある。
しかし、良心は我々の心の中にたった一つ存在する。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

神宮の奇跡

紙の本神宮の奇跡

2008/11/27 16:33

日本人よ、自信を持て。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 景気後退などの苦境では、先人の名言が読まれるという。日清食品の安藤百福は「執念なき者に発明はない」と語り、土光敏夫は「物事を成就させる力とは、困難に敢然と挑戦し、失敗に屈せず再起する力、執念である」と記した。人生にはピンチが訪れる。逆境のなかで何ができるのか。原動力となるのは、まさに「執念」だろう。本書を紐解いて、この「執念」という言葉を反芻した。「私は執念をもって、何か物事を成し遂げたことがあっただろうか」──
 戦後60年余、戦争を知らず、戦後を見ず、高度経済成長の恩恵を受け、バブル景気のなかで社会に出た私たち40代は、「執念」という言葉をむしろカッコ悪いものとしてきた。しかし今、はたと考える。汗をかき、涙を流し、血を吐く思いで働いたすえ、静かな老後を迎えた両親世代の「人間くさい」生活こそ、人間のあるべき真の姿ではなかったか、と。
「その時、皇太子も感動に震えた!」と帯にある本書『神宮の奇跡』は、学習院大学が東都大学野球1部リーグで優勝を果たした執念の顛末を渾身の取材で伝えている。試練あり、喝采ありの奇跡のドラマは、優勝した事実(試合の紹介)だけにとどまらない。生死を賭け戦禍をくぐり抜けて帰還した投手・井元俊秀の半生を、キャプテン・田辺隆二の母への深い思慕を、皇太子(今生天皇)と野球とのかかわりと成婚の経緯を、監督・島津雅男が今日のPL学園の礎を築いた心の歴史を描き、美しい「日本人」の精神を人間くさく活写している。
 正直に言えば、私は何かをあきらめ、今の日本に生きることを嘆いていた。しかし筆者は、日本人を心から愛し、日本に誇りをもち、『神宮の奇跡』に登場する人物たちと同じような人生を歩んだであろう、高度経済成長を支えた日本人に敬意をあらわすことで、混迷の中にある今の若き日本人に「自信を持て」と諭している。
土光敏夫は「執念の欠如した者には、自信を得る機会が与えられない」と語った。筆者は、執念の欠如した高度経済成長後の私のようなヤワな日本人に、今一度自信を取り戻すためのヒントを与えようとしているのではないか。
 筆者の日本人を見る目がはかりしれず優しいことに、胸が震える一冊である。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡

「義」とは何か、「生」とは何か

6人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 5月2日、夜。
 高校時代の親友が逝った。
 悪性リンパ腫で2年の闘病を経て、最後の抗癌剤治療を終えたのち回復せず、再度入院して新たな治療を受けて3ヵ月。肺炎で命を落とした。
 彼女の病いを知ったのは、高校時代に仲の良かった5人いる友人の一人が膠原病だと知り、連絡を入れたのがきっかけだった。何度電話をかけても通じない。携帯メールも返ってこない。病気とは知らずに私はファックスを送った。
「ノリコが膠原病だって。お見舞金送るけど、いくらにする?」
知らなかったとはいえ、親友とはいえ、いま思い出すたびに悔やまれる。
 数日後、親友の夫から電話があった。
「あれ、知らなかったの? カナコ、入院してるんだよ」
 命にかかわる闘病の様を、彼は極力あかるく伝えようとした。その対応に、「何かが起こっているのではないか」と心が重くなった。インターネットや書物で「悪性リンパ腫」について調べた。私が望む「いいこと」など、どこにも載っていなかった。それでも、親友に限って死ぬことはないとタカをくくっていた。
 3日の早朝、彼女の夫から電話があった。
「残念なお報せがあります……夕べカナコが……」
 そのあとは声にならなかった。
 いつも明るかった親友の夫の号泣を、私は初めて聞いた。
『この命、義に捧ぐ』──主人公・根本博は、蒋介石率いる国民政府軍への忠誠のため台湾をめざす。それも闇夜に小さな船をだし、命からがら辿り着く。敗戦を告げる玉音放送での武装解除を排し、内蒙古に生きる4万人の日本人の脱出を支えてくれた蒋介石への「恩義」に報いるために。
 私たちはできるだろうか。
 命を賭して友をまもることが。身を挺して友に義を返すことが。
 私はできなかった。
 命にかかわる病気とたたかう親友に「生きて」会うことが。
 生きて会い、手をにぎることが……。
 会おうと思えば会えたのに、
「髪が抜けて、顔面麻痺で、とてもあなたたちに会えないよ」
 彼女の言葉に甘え、遠慮し、「どうしたらいいのか?」と思いながら、ただ時だけが過ぎてしまった。
 彼女は私が入院したとき、飛んできてくれた。私に何かあれば、すぐに駆けつけてくれた。なのに、どうして私は彼女にそれをしなかったのか。
そして、彼女はどうして私たちに自分が病気だと教えてくれなかったのか。
「完全に治して、『実は私、病気してたんだ』って言いたかった」
 問いつめる私への彼女からの返信が携帯電話に残っている。無菌室に入っていたため、メールは数時間ごとに数度に分けて送られてきた。
 治療の合間には、短時間だが、言葉を交わすこともできた。
「私は大丈夫。つらい病気とも40代でおさらばよ」
「同じ病室の人が次々に亡くなっていく。私は生きてるだけで幸せ。苦しい治療にも前に向かっていこうと思う」
 彼女からの返信に、健康な私は何度、助けられたことか。
 その彼女の強さに近づくために、本書を紐解いた。
 本のなかには、友情、潔さ、忠義……などの言葉では言い表せない「義」の心、根本中将の心のうごきが克明にしるされてあった。
 最後に筆者は言う。「作品を書きながら、人の生き方、死に方を考えた」と。そして「負けた経験のなかった日本の司令官は敗戦直後、負けたあとのマニュアルが存在しなかった。したがって自らの信念や哲学、心情にもとづいて行動した。根本中将は武装解除の命令を拒否し、邦人を守り抜く究極の選択をした。それは根本中将の根底を貫いていたヒューマニズムの思想を考えれば『あたりまえ』のことだった」
 台湾には「雪中に炭を送る」という言葉があるという。一番困ったときに、蒋介石と根本中将は敵対する相手の一番望むものを送り合った。日本の惻隠の情とも異なる「義」の貫き方。亡くなった親友を最後に見送ったとき、彼女は穏やかにほほえんでいた。
「最後まで、私たちに『心配しないで』って言ってるなんて」
 彼女は、最後まで、私たち友人への「義」をみせて、逝った。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

8 件中 1 件~ 8 件を表示