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  3. 川内イオさんのレビュー一覧

川内イオさんのレビュー一覧

投稿者:川内イオ

51 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

紙の本闇の子供たち

2004/05/25 17:50

闇の大人たち

23人中、21人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「あの人たちは異常だわ」

最近メディアを賑わせている、戦地における捕虜への拷問。
屈辱的な格好をさせられた捕虜と楽しげな兵士の映像を見、
性的虐待など、漏れ伝わるさらなる下劣な仕打ちを聞いて、
私の母はそう吐き捨てた。

果たして彼ら兵士は異常者なのだろうか?
同じ環境に置かれて拒否の姿勢を貫ける人間は
いったいどれほどいるというのだろうか?

『闇の子供たち』には、タイにおける幼児売春、幼児売買、
幼児臓器売買の実情が、圧倒的なリアリティを持って描かれている。

10歳そこそこの娘を売った金で家電製品を揃え、
金が尽きるともう一人の娘も売り捌く農村家庭。

宿に卸されたその日から始まる、性の手ほどきという名の
レイプと絶対的な服従を促すための壮絶な虐待。

自分の子どもを助けるために、金にものをいわせて
タイの売られた子どもの臓器を買う日本人。

こう書くと、よくあるルポ形式の社会問題告発本のように
思われるかもしれないが、この物語にそんな生温さはない。
物語の中では、児童虐待、ペドフィリア、無残な死が
吐き気を催すほど克明に、精緻に、詳細に描かれているのである。

『闇の子供たち』を読んで、凄惨な描写に目を背け、
「怖い怖い、タイ人は異常だわ、あー気持ち悪い」
と嘆いてみせる人もいるはずだ。そして、そういう人間は
この物語を異常性が売りの「キワモノ」として扱うだろう。

しかし、悲惨さに顔を覆った指の隙間から覗く好奇心に揺れる目は
その瞳の色こそ違えど、虐待を犯した兵士と何ら変わりはない。
ある行為を犯した者に「異常者」だと烙印を押して拒絶するのは、
自らの内に秘める同様の異常性を認めるのが耐え難いからだ。

私は、エイズに侵され、袋に詰められゴミとして捨てられながら
数百キロを彷徨って家に帰り着いた少女の姿が忘れられない。
彼女は衰弱から体を動かすこともできず、ウジにたかられた挙句、
生きたままガソリンをかけられ燃やされる。

彼女の体を食む暗い炎は、私たち大人の抱える闇を照らし出す。

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紙の本

紙の本桶川ストーカー殺人事件 遺言

2005/03/14 00:38

遺言執行

17人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

キャバクラ嬢まがいの派手な生活をしていた女子大生が、
ストーカーに付きまとわれた挙句、殺された—。
桶川ストーカー殺人事件について、
これ以上の認識を持っていない人。

はっきり言おう。
その人は、メディアを通した警察によるプロパガンダ
-大衆操作-に「まんまと」はめられている。
正直に言おう。
私も「まんまと」はめられているその1人だった。


『桶川ストーカー殺人事件—遺言』には、
新聞、テレビでは知りえなかった事件の真実、
底知れぬ深い闇、そして被害者を死に追いやった二組、
逮捕された犯人グループと、逮捕をする側であるはずの
警察組織-桶川署-の姿が綿密に描かれている。

1999年10月26日。
埼玉県のJR桶川駅で21歳の女子大生が刺殺された。
翌日の報道で早くも明らかになる容疑者。
被害者の女性は、元交際相手であるこの容疑者による
常軌を逸したストーカー被害に遭い、警察に被害届を出していた。

さらにこの女性は身の危険を感じ、家族と友人に宛てて
犯人を明確に名指しし、その男との出会いからストーカー
被害の詳細までを記した遺言を遺していたのだ。

捜査を担当するのは桶川署。
女性が被害届を出したのも桶川署。

単純に考えれば1本で結ばれそうな点と線が、しかし
警察という強大な権力組織によって強引に捻じ曲げられてゆく。

そしてたまたま事件の担当になった某写真週刊誌記者で、本書の
筆者である清水氏は、取材の過程で出会った人々、知らされた事実、
ある意図を持って一方的に塗り替えられていく真実に直面し、
背負った「何か」に衝き動かされるように事件の真相に迫ってゆく。

警察より早く実行犯を特定し、その潜伏場所を暴く筆者。
その過程で、筆者はある疑問を抱く。
「警察は一体何をしてるんだ?」
そうして筆者が辿り着いたのは、凍結した湖面に
穿たれた穴の底に横たわる暗く冷たい現実だった。


このノンフィクションは、単なる「事件の真相本」ではない。
筆者が単なる取材者としてではなく、1人の人間としての怒り、
憤り、そして被害者自身とその周囲の人々から託された
「何か」に正面から向き合った結果として生まれた、
まさに被害者の「遺言」を執行するルポタージュである。

私はこのルポを読んで、自分の認識の浅はかさを
被害者である女性に謝りたくなった。
できることなら冥福を祈って遺影に手を合わせたくなった。
と同時に、真実を隠蔽する警察とそれに便乗したメディアが
垂れ流した情報が、事件から6年が経った今も自分の脳裏に
刷り込まれている、という現実に背筋が寒くなった。

騙すより騙される方がいい、なんて暢気に言う人は、
このルポを読んで警察権力による一市民、しかも
殺人事件の被害者の遺族へのえげつない攻撃を知るといい。
その警察に娼婦のように寄り添う一部メディアの、
ジャーナリズムとは程遠い姿勢、いざとなったら
手の平をあっさりと引っくり返す節操のなさを見るといい。

人を疑うのはよくないことかもしれない。
しかし、権力を疑うことを怠ってはいけない。
被害者の女性は、実行犯と警察に2度殺された。

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紙の本

紙の本亡国のイージス 上

2004/02/04 15:42

右にも左にも。

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「絶対行かせません。絶対止められます」

数日前、夜TVを見ていると、自衛隊のイラク派兵に反対するデモを
取材したニュースの中で、マイクを向けられた20代前半ほどの
女性が、「派遣は止められると思いますか」という、傍から見れば
デモをバカにしたような質問に、はにかみ顔でこう答えていた。

…長閑だ。私は溜息交じりの欠伸をして、床に就いた。


『亡国のイージス』は、日常という薄っぺらな表舞台とはかけ離れた、
日本・朝鮮・アメリカ、各国の闇に蠢く権謀術数を描いた作品である。

アメリカが研究開発の過程で生み出した、核を凌ぐ威力を持つ物質。
その物質の存在が、沖縄で起きたある爆発事故から明らかになる。
そしてその物質は、腐臭を放つ祖国を真の理想国家に再建するという
使命に燃え、組織を超えて暴走する北朝鮮工作員の手に落ちる。

工作員は、その物質を究極の交渉カードにして、
祖国の体制を崩壊させるために日米が画策した謀略を公式の場で
明らかにさせ、世界に衝撃を与えることで、祖国に居座る売国奴の
排除と、そのための同士の蜂起を画策する。

その「脅迫」に利用されたのが、戦域ミサイル防衛構想(TMD)に
端を発する、海上自衛隊全護衛艦イージス化計画の、一番艦として
ミニ・イージス・システムを搭載した護衛艦いそかぜであった。

信じるものをことごとく失い、狂気を宿す北朝鮮工作員。
息子を亡くし、自分自身をも見失ういそかぜ艦長。
家族に去られ、艦を奪われ、己の存在意義を自問する先任伍長。
特殊工作要員として、いそかぜ奪還の使命を負った孤独な自衛官。

いそかぜは、国家に対抗する意思を持った革命兵器として、
しかしその腹の底に自沈の可能性を内包したまま東京湾に進行する。


私は、『亡国のイージス』に掛け値なしに没頭した。
寝る時間を削って本を読んだのは、いつ以来だろう。
この本が放つ緊張感はありきたりのミステリーや
クライムノベルのものとは明らかに異質である。
そして、その異質な緊張感の正体は「危機感」にあると思い至った。

『亡国のイージス』は様々な問題を提起する。
自衛隊とは? 国家とは? 戦争とは? 平和とは?
政治とは? 国民とは? 情報とは? 命とは?

正義とは?

デモを欠伸で迎える私にも、デモに笑顔で参加する彼女にも、
共通するのは「危機感のなさ」ではなかっただろうか。

放蕩人生を歩む私も、珍しくそんなことを考えさせられた。

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紙の本

紙の本いま、会いにゆきます

2005/08/22 15:21

幸福の記憶。

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「愛する人と共に過ごした数時間、数日、もしくは数年を
経験しない人は、幸福とはいかなるものであるかを知らない」
スタンダール
『いま、会いにゆきます』には、雨上がりの空のように
温かで優しく、草の葉から零れる朝露のように透明な
「愛」の形が描かれている。
普通の人より少しだけ生きてゆくのに困難を抱える父親・巧。
そんな父親を「たっくん」と呼び、慕う息子・佑司。
2人の懸命ながらもどこかちぐはぐな生活から、物語は始まる。
巧の高校からの同級生であり、妻である澪が亡くなって1年。
巧は佑司が寝る前に、「アーカイブ星」の話を聞かせる。
「アーカイブ星」は死んだ人間が向かう星。
幼い佑司に、澪の永遠の不在を納得させるために
巧が作った架空の星。
しかし、ある6月の雨の日、その「アーカイブ星」から
澪は戻ってくる。
「またこの雨の季節になったら、二人がどんなふうに
暮らしているか、きっと確かめに戻ってくるから」
死の1週間前、澪が残した言葉通りに。
しかも、記憶をきれいさっぱり
「アーカイブ星」に置いてきたまま。
澪が死んだのは自分の責任と感じている佑司は、
自分のことを忘れてしまっている母に戸惑いつつも、
子どもらしい素直さで、その存在を受け入れる。
一方の巧は、混乱よりも失ったはずの何よりも
大切なものが戻ってきた安堵と悦びで満たされ、
3人で幸せに暮らしていた頃の時間を取り戻そうと、奔走する。
「あなたたちがしっかりと暮らしているのを
見届けたら、私は夏が来る前に帰ることにするわ」
という、「雨の季節に戻ってくる」と言った
澪の言葉の続きを心の片隅に置いたまま—。
高校時代の片思い、大学生になっての初デート、
突然の別れ、二人の運命を決める再会、結婚、
佑司の誕生、死別、そして運命づけられた2度目の再会。
死んだはずの妻が現世に現れるというこの物語が、
単なるオカルトやありきたりなファンタジーではない
趣を持つのは、巧の、佑司の、そして澪の、
アルコールランプを灯して集めた蒸留水のようにピュアな、
大切な人を想う気持ちが作品全体に溢れているからだろう。
曇りのない一途な想いは、その純粋さゆえに永遠を
予感させるものではなく、そこはかとなく切ない。
しかし、その純粋性が放つ一瞬の輝きこそが恋であり、
輝きの瞬間を二人の意志で連ねることが愛情なのだ。
そのかけがえのない瞬間の連続を人生に刻むことで、
人は顔を上げ、前を向いて歩いてゆくことができる。
例えばそれが「雨の季節」というごくわずかな期間だとしても、
そのとき胸に残された揺るぎない幸福と呼べる記憶は、
時間という雨にすら流さることはないはずだから。

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紙の本

終わらない青春

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『終わらない歌をうたおう クソッタレの世界のため
終わらない歌をうたおう 全てのクズ共のために
終わらない歌をうたおう 僕や君や彼等のため
終わらない歌をうたおう 明日には笑えるように』
(THE BLUE HEARTS『終わらない歌を歌おう』より)
『グミ・チョコレート・パイン グミ編』には、
無駄に熱く、そしてあっという間に過ぎ去った、
本当は爽やかさなんてどこにもない高校生活が、
匂いそうなほど濃密な筆致で描かれている。
勉強もスポーツもできず、当然モテることもない、
クラスでもマイナーな存在として、ひたすら
悶々とした高校生活を過ごす大橋賢三17歳。
しかし賢三は「自分は凡人とは違う」という思いを胸に、
志を同じくする親友カワボン、タクオと日々を過ごし、
映画やロックに誰よりも精通することでプライドを保つ。
そんな賢三が、あるとき街中でクラスメートの美甘子と
偶然出会い言葉を交わしたことで、傍から見れば
全く冴えない高校生活に少しずつ変化が訪れる。
初めて味わう甘美な時間。
自分を認められることの充足感。
持て余す妄想とエロリビドー。
そして、何か行動を起こさずにいられなくなった賢三と
その仲間がついに動き出す。バンドをやろう、と—。
「普通に埋没することを恐れ、才能に憧れ、
思い通りにいかない社会に苛立ちながらも、
頭の中は溢れんばかりのエロに支配されている」
この物語で描き出される賢三達の姿は、間違いなく
世のほとんど全ての高校男児そのままの姿である。
それだけに、大人になった元高校男児にとっては、
なんともほろ苦く、気恥ずかしい。
しかし、それ以上に、意味なく全力で自転車を漕いで
いたあの頃の、無我夢中で風を切って走る爽快さ、
人を好きになって胸を焦がす、やりきれない切なさ、
そして何より、17歳だから抱けた青く純な思いを、
もう一度、思い起こさせてくれる。
賢三は全てのクズ共に向けて、クソッタレの
世界のために、今も歌い続けている。
あなたは、私はどうだろう?

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紙の本

“象使い”を目指せ。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

自分の体重、仕事の成績、あるいはもっと大きく社会や世界に関することでも良い。今、何かを変えたいと思っている人、何かを変える必要に迫られている人はこの本を手に取ってみてほしい。
この本はまず自分の身辺や会社、社会で起きる問題が「人間の問題に見えて、実は環境の問題であることが多い」と始める。そして、目の前の状況にポジティブな変化を促すための「スイッチ」をどう入れるのかを記している。
著者は人間の本能や感情を巨大で飼い慣らすのが大変な「象」、理性を「像使い」に例え、「変化を起こすには象を動かすことが必要」と説く。ダイエットで失敗する、あるいは仕事で良いアイデアが採用されずに落胆するという経験をしている人は少なくないだろう。本書によれば、それは自分や相手の「象」をうまく動かせていないから。象使い自身が目指すべきゴールを把握し、具体的かつ魅力的に到達する方法を提示できなければ、象は動かないのだ。
この本の良い点は「象使い」が適切な方向性を見出すための糸口と、「象」を動かすためのヒントが単純明快に記されていること。子供の学力向上や児童虐待の防止という身近な話題から、会社の飛躍的成長、社会変革がどう成されたかまで豊富な実例を用いてわかりやすく解説されているため、老若男女問わず共感できるはずだ。そして、読後には「自分もやってみよう」という前向きな気持ちにさせてくれる。

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紙の本

搾取されたくない人、手挙げて。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

別に自慢したいわけではないが、私は22才のとき、サッカー観戦のために
一人でイタリア・スペインに渡り、延べ2ヶ月の滞在で、8試合観戦してきた。

私は、この8試合の会場で少なくない日本人を見た。
何人かに話を聞くと、一部の日本人は日本で観戦チケットを購入してきたらしい。
日本人の旅行者の中には、現地でチケットを購入するのを嫌がって、
日本の代理店を通して予め購入してくる人がいる。
その購入代金を聞いてかわいそうになった。
これはあくまで私の個人的な意見だが、彼らはぼったくられていた。

『お金持ちになれる黄金の羽の拾い方』には、お金持ちになれる
「秘訣」が書かれているわけではない。
巷に溢れている「100万円を1億円にする方法」的な「おいしい話」を
期待するなら、それは間違えだ。
お金持ちになるにはどうしたら良いか、この、欲深い人間、要するにほとんどの
人間にとっての永遠の問いに、この本はいたってシンプルに答えている。

・ 収入を増やすこと
・ 支出を減らすこと
・ 運用利回りを上げること

なにを当たり前のことを、と思う人もいるだろう。
しかし、こういう言葉もある。
「当たり前のことを当たり前にこなすことが一番難しい」。

この本に書かれているのは、「情報」だ。
資産運用について、保険について、年金について、不動産について、
この国に住むあらゆる世代の人に有益な情報が惜しみなく公開されている。
いや、公開というより暴露かな。
国や企業、公人が私たちについている「嘘」を簡潔にわかりやすく教えてくれる。
国も企業も人も、嘘をつくのは、その嘘で何か利益が生まれるからだ。
当たり前だが、自分が損をする嘘をつく人はいない。

サッカーの話に戻ると、少なくともイタリア、スペインでは、
・よっぽど大きな試合でもない限り、当日にスタジアムで購入できる。
(前日までにスタジアムのチケット売り場で購入するのがベストだ)

・チケット売り場に怖い兄ちゃんがたむろしていることもない(用心は必要だ)。

・むしろ、チケット売り場にいるおじちゃん、おばちゃんは
 右も左もわからない日本人に優しい(もちろん、そうでない人もいる)。

・言葉がわからなくても、チケットは売ってくれる。
(無論、少しでも話せたほうがいい)

・わざわざ高い金を払って、日本で買うことはない。
(どこで買うのも自由だけどね)

世の中には、知らなくても問題ないけど知っていたほうが有利だ、という
「情報」がある。
そしてその「お得な情報」は、ただぼーっと待っているだけでは手に入らない。
しかし、手に入らない、と言っても別に隠されているわけではない。
その情報は、あなたの手の届くところにころがっているのである。
あとは、あなたが自らの意志で手を伸ばす、それだけだ。

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紙の本

敵前逃亡

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「お前は負け犬だ、人生の落伍者だ」

1年前の12月、私は8ヶ月勤めた会社を辞めた。
予め企画されていた忘年会は必然的に私の送別会を兼ねることになったが、
快く送り出してくれる人は、当然と言えば当然だが、誰もいなかった。
日頃から、ありがたくて鼻血が出るほど念入りに私をかわいがってくれた課長は、
酒のせいもあってか、会の終盤の1時間ほどを、私を罵倒するために費やした。
そして、時折優しげな表情で、「考え直すなら今だぞ、ん?」と言った。
私はその顔を見て、ただ、気持ち悪いなぁ、とだけ思った。

『どこにでもある場所とどこにもいないわたし』には、
「どこにでもある場所」を接点に、希望を抱く「個人」と
顔の見えない「世間」が描かれている短編集である。
みんな一緒がだ〜い好き、出る杭はみんなで仲良く打ちましょう、
個性は大切に、でも目立ちすぎは仲間外れのもとだからほどほどにね、
そんな「世間」から、物語の主人公は「逃亡」するのだ。

主人公は、「世間」を代表する日本社会に敢然と戦いを挑む、わけではない。
信頼する人間にしか本心を告げず、周囲にバレたら全てがオジャンになる、
とでも言うようにひっそりと、自分に大切なものだけを抱えて旅立つ。
言いかえれば、彼らは「世間」の力を恐れているのだ。
しかし、彼らが恐れるのは、自分が仲間外れにされることではない。
自分に、つるっとした表情のない能面を付けることを笑顔で強要する「世間」、
夢や希望、個性を濾過し無力化する装置としての「世間」である。

私は会社を辞めて、収入が3分の1ほどになって、後悔しているのだろうか。
していない、と思う。
私が信頼する人間のほとんど皆が私に、辞めて良かったね、と言う。
目が楽しそうだから、だそうだ。
自分の目がどう変わったか、なんて私にはわからないが、
確かに私には会社員時代にはなかった「希望」がある。
どんな「希望」か?
それは教えない。
ただひとつ私に言えることがある。
「逃げるが勝ち」

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紙の本

紙の本ダイスをころがせ! 上

2005/08/18 02:57

チャンスは君の手に

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

62.49%。
前回、平成12年6月に行われた衆議院選挙の投票率だ。
言うまでもなく国民の10人に6人は投票していることになる。
しかし数字を細かく見ると、20代の投票率は38.13%、
60代以降の投票率は72.99%になる。
この約2倍の差が意味するものは何なのだろうか?
『ダイスをころがせ!』には「選挙」を巡る理想と現実、
「政(まつりごと)」に携わる苦悩と悦楽、一方で国政に
無関心な民衆の姿が、まるで実際に選挙戦を戦っているような
手に汗握るリアリティをもって、詳細に描かれている。
一流商社に勤める34歳の駒井健一郎は、あるとき
事業失敗の責任を被され、理不尽さに対する嫌気と
自分の能力に対する自負心から、会社を辞め転職を決意する。
しかし、駒井を待っていたは、会社の名前を失った
「駒井」という一人の人間への厳しく現実的な評価と、
妻からの冷えた言葉、失望と疑いに満ちた視線だった。
そんな折、高校時代の親友である天知達彦に出会う。
駒井は、新聞記者をやっていたはずの天地の
「衆院選に立候補する、秘書をやってくれないか」
という言葉に、嘲笑と嘲りの言葉を浴びせる。
しかし、真っ直ぐな天地の熱に触れ、大切な「何か」
から目を逸らして生きてきた自らを振り返り、駒井は
やがて大それた親友の夢に伴走することを決意する—。
この物語で明らかになるのは、既成政党に有利な
法律の存在や、選挙妨害、具体的な選挙運動の実態で、
選挙の裏側を知らない者にとっては十分に
エンターテイメントとして読み応えのある作品だ。
しかし、この物語は単なる娯楽小説に留まらない。
それは、この小説がある1つのメッセージを発しているからだ。
そのメッセージは、ダイスを転がせ、という表題の通り、
政治に興味がなく、選挙の投票にも行かない無関心層、
「どうせ誰に投票しても一緒」という人間に向けられている。
20代の投票率と60代以降の投票率の差、
それが意味することはとても単純。
老人にイイ顔をする、老人好みの、老人政治家が当選する。
未来を考えないその場凌ぎの国策施行されるのも当然だ。
でもTVの前で愚痴っていても何も始まらない。
何かを変えるチャンスを生かすも殺すも自分次第。
そして、チャンスは大人なら誰にも平等にやってくる。

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紙の本

紙の本青空のルーレット

2005/08/15 01:45

フリーターの島

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

フリーター417万人。
現在、学生、主婦を除く15歳から34歳までの若者
の5人に1人はフリーターと言われている。
(内閣府の平成15年国民生活白書/2003年5月末発表)
『青空のルーレット』には、フリーターと称される人間達が、「夢」という言葉と共に日々を生き、「諦め」という日常に
抗って時を過ごす清冽で、切実な姿が描かれている。
音楽、漫画、芝居、写真、小説…etc。
毎日の生活を紡ぎながら、表現という無限のピッチで
何がしかの夢を抱き、それを実現させるために
必要なモノ—時間と金—。
「半月働けば楽に暮らせる」という、
時間と金どちらもを得られる貴重なアルバイト
「高所窓硝子特殊清掃作業員」。
『青空の〜』は、日がなロープにぶら下がり、
ビルの窓に貼りついて汚れを拭う、窓拭達の物語だ。
バンド仲間とメジャーデビューを夢見る、
ベテラン窓拭きの主人公「タツオ」。
共に働く仲間達の夢に触れ、無目的に生きてきた
自分を見つめ直す18歳の「保雄」。
バイト内で唯一の中年でありながら、その人柄で
人望の厚い売れない小説家「萩原」。
将来への不安、未来への焦燥、過去への決別。
彼らはそれぞれ胸の内にしこりを抱えながら、
同じアルバイトの仲間として、年齢や育った環境、
そして立場を超えて、ビル影に沈む夕陽のように
穏やかに温かに。関係を深めていく。
しかし、ある事故が全ての歯車を狂わせる。
まるで足を踏み外し、ビルから転落していくかのように。
その転落者の目に映るのは、灰褐色のアスファルトか、
誰かの心のように澄み切った、翳りのない青空か。
この国では、フリーターを厄介者だとする風潮がある。
しかし、それは自由に夢を追うことのできない時代に
生れ落ちてしまった年寄り達のやっかみにも聞こえる。
フリーター417万人は、四国四県の
人口を足した数とほぼ同数だ。
だから、例えば四国の住民と日本中のフリーターを
入れ替えると、四国にフリーターの島ができ上がる。
タツオや保雄のような仲間が、そして萩原のような
「大人」がいるのなら、人口417万人の
フリーターの島だって、なんだか面白そうだ。
案外、経済成長率の鈍化や社会不安の広がりという、
自分たちの懸念や都合だけでフリーターや夢追人を
「定職」に追いやる本土より、うまくやったりして。

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紙の本

紙の本雨にぬれても

2005/05/09 02:22

それが大事。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、
信じぬくこと。ダメになりそうなとき、それが一番大事」
大事MANブラザーズバンドの『それが大事』が大ヒット
したのは1991年で、その頃の私はまだ小学生だった。
あれから14年。
私の記憶の片隅に仕舞い込まれていたはずの
冒頭のフレーズが、突然口をついて出てきた。
そのとき私は、電車の中で『雨にぬれても』を読んでいた。
『雨にぬれても』には、まるで自分の知人の知人のような、
近くもなければ遠くもなく、無関係でも特別でもない、
そんな存在の「誰か」の人生の1ページが描かれている。
夜間中学に通う、掛け算もおぼつかない60代の男性。
35万円を払って結婚相談所に入会した、34歳の女性。
うまくいかない就職活動に焦りを募らせる女子大生。
性感マッサージで働く、22歳のバツイチ子持ち女性。
規則に縛られて窮屈な生活を送る男子中学生…etc。
まるでどこにでもいそうな、全く市井の人間の、
全く一般的ではない、人生という名の物語。
登場人物の人生における数%にも満たないだろう
ある日、ある瞬間の個人史が、丁寧に、静謐に、
尊重をもって、30篇刻まれている。
どんな人間でも、それぞれがそれぞれの
色濃い人生を必死に生きている。
そんなキレイごとを口で言うのは簡単だ。
実生活においては、その人生の色濃さ故に
誰もが誰かに興味を持つ余裕もなく生きている。
しかし『雨にぬれても』の著者は、街中で躓いた人に
声をかけるように、皆が急ぎ足で通り過ぎる街角で、
歩調を緩め、大丈夫ですか、と声をかけるように筆を取る。
生まれてからこの方、完全に舗装された道を歩んで
きた人にとっては、道端に転がる石がどこから来たのか、
と同じように「どうでもいい話」なのかもしれない。
しかし、時にはぬかるみに足を取られ、時には荊に道を
妨げられ、あちこちに生傷を作って歩いてきた人間に
ならば、この30篇に何かを感じずにいられないだろう。
私がこの本を読みながら、
「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、
信じぬくこと。ダメになりそうなとき、それが一番大事」
と呟いたのは、30篇の中に登場する誰のためでもない。
改めて明かすまでもなく、自分のためだった。

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紙の本

紙の本冷静と情熱のあいだ Blu

2004/09/10 15:05

契約と運命のあいだ。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「約束」という言葉には、
「相手に対し互いに取り決めを行うこと」
というごく一般的な意味の他に、もうひとつ意味がある。
それは、「かねてから定まっている運命」。


『冷静と情熱のあいだ』には、忘れられない人と交わした、
心を縛って自由になることを許さない、そして唯一
未来への希望となるひとつの「約束」が描かれている。

著名な画家を祖父に持ち、自らも絵描きを志す男。
イタリア・ミラノからの帰国子女の女。
20歳のふたりは必然的に出会い、
数え切れないほどの幸福な夜をともに過ごす。
しかし、若過ぎるふたりの愛は、その愛の
結晶の喪失によって破局を迎える。

イタリア・フィレンツェで絵画の修復士を目指す男。
イタリア・ミラノでアメリカ人の恋人と同棲する女。
別れから5年が経ち、ふたりは交錯することのない
まったく別々の道を歩んでいた。
しかし、離れたふたりの心は、
ひとつの約束で繋ぎ止められていた。

女の22歳の誕生日の夜に交わした他愛のない口約束。

男は、女の言葉を胸に刻み、過去への決別と
明日への希望という、相反する思いを抱きながら
ひとり約束の日、約束の場所に足を運ぶ。


この物語に描かれている男は、溢れ出る想いを
抑えることができず翻弄され続ける。
別れた女への想いを何年も引きずり、
今目の前にいる自分を愛する女に
その女の影を重ねる男の様は、滑稽ですらある。

しかし、私は思う。

愛し過ぎて、愛され過ぎて、それが苦しく耐え難い。
そんなふたりが迎える道は、
「別れ」しかないのかもしれない。
しかし、生きてゆく上で、それほど誰かを愛し、
愛されることなどどれだけあるというのだろうか。

人は生きているうちにどれだけ約束を交わすのだろう。
そしてその約束のどれだけが果たされるのだろう。

交わした約束が「守るべき契約」か「従うべき運命」か、
なんてどうせ誰にもわからない。
でも、もしその約束へ抱く想いの強さで
契約が運命に姿を変えるのなら、私は強く想おう。
そして、明日にでも大切な人と約束を交わそう。

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紙の本

紙の本アフリカの王 上

2005/08/17 02:05

ミトコンドリア・アダム

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

人類のルーツを辿ってゆくと、およそ14〜29万年前、
アフリカに生きた1人の女性に行き着く。
その人類の母を「ミトコンドリア・イヴ」と呼ぶ。
『アフリカの王』には、創世の地であるアフリカに
狂おしく惹かれた男たちの眼を通して、神々しいほどに
豊かな大地の色彩が、余すことなく描き出されている。
「一度アフリカに足を踏み入れた人間は
アフリカの手に掴まえられてしまう」
アフリカに伝わるその言葉通り、主人公である雑誌編集者、
黒田十三は撮影で訪れたマサイ・マラの雄大な自然、そして
偶然出会った画家ムパタとその絵に強烈に魅せられる。
まだ見ぬ何かを捜し求めるかのように、
1つの場所に留まることを知らない黒田。
スラム街に沈み、日々の生活にも困窮しながらも
澱みのない視線でアフリカの空気を描くムパタ。
それが必然であるかのように惹かれ合う2人に触発され、
フランス人女性パスカル、世界的な建築家・藤巻、
経歴不詳の現地コーディネーター・吉元、
天才ホームレス・ポチをはじめ、多様で多彩な人間が、
黒田の壮大な「思いつき」に真正面から向き合うことになる。
啓示にも似た湧き出る思いに衝き動かされるように、
夢の実現に邁進する男の姿がこの物語の根幹だ。
しかし、何より胸に届くのは、恵みの緑、燃える夕映え、
抜ける空色、夜の漆黒、黄金の大地…。
原色のマサイ・マラの風が、心の奥底に眠る記憶を撫でる。
黒田は夢を見る。
夢に現れるのは、誰かに似た優しげな微笑を浮かべる男だ。
その男は、オロロロの丘の上に据えられた王の椅子に腰掛けて、
きっと今も陽光に満ちたマサイ・マラの草原を見下ろしている。

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紙の本

紙の本GOTH 夜の章

2005/08/08 02:25

目には目を、怪物には怪物を。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と
化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、
深淵もまた等しくおまえを見返すのだ」
(フリードリッヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラは
かくかく語りき』より)
『GOTH』には、猟奇的、変質的な傷害、殺人事件が、
グロさを伴わない、雲ひとつない空のように爽やかで、且つ
脳に映像を喚起させるようなリアルな描写で描かれている。
連続殺人者の細やかな「殺害メモ」が記された手帳。
物語は、主人公「ぼく」の同級生・森野という、
「死」の匂いに鋭敏な女子高生が、地元の喫茶店で
偶然その手帳を拾うことから流れ始める。
「ぼく」は、高校の同級生や家族とも普通に会話を交わし、
何の問題もなく生活する、表面上はごく一般的な高校生。
森野は、自らクラスでの存在感を消し、他人との
交渉の一切を絶っている幽霊のような存在。
が、あるきっかけで互いが同好の士であることを知り、
森野は「ぼく」とだけコミュニケーションを持つようになる。
同好。
それは、猟奇的、変質的な事件の情報を収集する趣味。
森野は、その出自と生育環境からくるのだろう嗅覚で、
無意識のうちに、目を背けたくなるほど残酷で、
なぜか少し悲しい事件の匂いを嗅ぎ、怪物に近づいてゆく。
孤独を舐める殺人者が浴びる赤い血の飛沫。
孤高を気取る殺人者の耳に残る断末魔の声。
そして「ぼく」は、無自覚に危うい道を歩む
森野の理解者として、互いの距離を縮めてゆく…。
冒頭の、誰もが映画や小説で一度は耳にしたことが
あるであろう、使い古されたニーチェの言葉。
言うまでもないが、この一節は、正義をもって
怪物と闘う「まともな人間」への警鐘だ。
だがニーチェの生きた時代から、社会は変質した。
怪物は既に多く世に放たれ、闘う者は疲弊し衰弱した。
怪物の足跡は雑踏に埋もれ、闘う者は混乱し自失した。
今、社会を跋扈する怪物を捕らえることができるのは、
無感情に深淵をじっと覗き込む、怪物だけなのかもしれない。

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紙の本

紙の本アンジャーネ

2011/06/23 16:27

ランタン楼」で繰り広げられる人情劇

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この物語の舞台は、北関東の小都市にある外国人向けの安アパート。古い洋館にも見えるアンティーク調の木造2階建てのアパートは、ベランダにランタンが灯されていることから、「ランタン楼」と呼ばれている。そこの大家が亡くなり、代わりに20代半ばで収入ゼロ、弁護士志望を言い訳にモラトリアムを過ごす大家の孫、松本瑞輝がアパートの管理を引き継ぐことから物語はスタートする。
瑞輝は当初、面倒な仕事を押し付けられたと感じていた。しかし、何かとトラブルが多い大家の仕事に辟易しながらも住人や町の人々と接するうちに、ランタン楼で過ごす日々に愛着を抱いてゆく。帚木蓬生の『千日紅の恋人』などにも共通するありがちな展開ながら、設定が外国人向けの安アパートだけに、登場する住人は日本人とベトナム人の美人ハーフ、ブラジル国籍の日系3世、中国人の苦学生、暗い過去を持つイラン人、韓国人ホステスなどバラエティに富んでいる。
残念なのは、せっかく「こういう外国人って実際にいるんだろうな」と思わせるほど住人それぞれの背景が織り込まれているのに、瑞輝が巻き込まれる事件が劇的過ぎる点。現実の外国人向け住居でも日々トラブルは起きているのだろうが、事件ばかりではなく、例えば瑞輝と住人の恋など、もっと日常を描いても良かったと思う。
それにしても、物語中で起こる事件は暗く現代的なのに、なぜか古き良き昭和を舞台にしたような温かな雰囲気を持つ小説である。それは恐らく、ランタン楼の佇まいがノスタルジーを感じさせるだけではなく、登場する住人の持つ人間味、人間臭さが良く描かれているからだろう。そして、海外で暮らす外国人に共通する、良くも悪くもまっすぐで前向きなエネルギーが伝わってくる。その熱に感化された瑞輝が、住人を「外国人」ではなく1人の人間として受け入れ、積極的にかかわることで日々の充実感を増してゆく。これは、狭くて閉じた関係に安住しがちな現代人に向けた著者からのメッセージだろう。
ちなみに、本書のタイトルは、関東北西部で使用される放言からとったそうだ。他人を肯定するという本書のテーマを一言で表すこの言葉の意味は、最後に記されている。

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