SCORNさんのレビュー一覧
投稿者:SCORN
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物は言いよう
2005/03/04 21:37
戦略的思考の重要性
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
「言動がセクハラや性差別にならないかどうかを検討するための基準」としてドレスコードならぬフェミコード(FC)という概念を提唱し、個々の具体的な発言例を取りあげながら、FC的観点からは何が問題かを解説していく書。今はなき月刊誌「噂の眞相」に連載していたコラム「性差万別」の単行本化であるが、大幅に加筆・改稿されており、また、著者自身があとがきで述べているように、一種の実用書となることを志向して、個別事例毎に「鑑賞のポイント」「FCチェック」「難易度」「心得」を解説していくというコラム連載時とは異なる構成をとっているので全くの新著といってもよい。
著者曰く、「要は社交上の問題なのだ。あなたが自室で何をいおうと、何をしようと勝手だが、社会的な場では社会的なルールがある」、「フェミコードは、 (中略)意識のありようまではとやかくいわない。極端な話、心の中で「このブス」と思っていようと「このクソババア」と毒づいていようと、全然構わないの である」、「フェミコードがなぜ必要かといえば、ひとつは人を不快にさせない(または苦笑させない)ため、もうひとつは自分自身の品位を下げない(または 嘲笑されない)ためである」。このようにフェミニズムに批判的な人もなかなか反論できないところから橋頭堡を築いていくという戦略的思考ができるのが斎藤美奈子の優れた(したたかな)ところであり、また、信頼できるところでもある。
各論においても、このようなバランスのとれた戦略的思考は顕著である。例えば、本書で最も議論の的になり得ると思われるのが、いわゆる 「ジェンダーフリー」に関する項目であるが、著者は「ジェンダーフリー」を「ジェンダーレス」と誤解した的はずれな攻撃を批判しつつ、一方で「ジェンダーフリー教育」をいったん白紙に戻し「男女平等教育」をきちんとやることを提案している。攻撃されやすい「ジェンダーフリー」を捨て、誰もが反対できない 「男女平等」に依拠して戦線を立て直すべきというのは正しい判断だと思う。
著者は、「ジェンダーフリー教育」を推進する側に対しても、その方法論の駄目さかげんをはっきりと指摘し、男女平等教育も緊急度の高い順(A:生命・人権、B:差別・平等、C:文化・習慣)に優先順位を整理して取り組むべきと主張する。これまた極めて正しい。
さらに、男女の好みの色がピンクかブルーかという話題に関連して「この程度のことで「ジェンダーバイアスだ」「脳の性差だ」と争うのは、 不毛を通りこして滑稽な議論というものであろう。」と述べている。おそらく、著者は、近時の社会構築主義批判に基づくジェンダー・フェミニズム批判(例えば、S.ピンカーなど)を十分承知しているものと思う。その上で「性差は生得か環境か」というフィールドで論争をすることは実践的には何らメリットがないということであえて回避しているのだろう。これも賢明な判断である。
本書を読むと、近時におけるフェミニズム運動の低迷は、社会的受容性を高めていくためにはどのように運動を進めていくべきかという戦略的思考の欠如に一因があるのではないかという思いを深くする。我々男性だけでなく、フェミニズム運動に参画している立場の女性にも是非読んでもらいたい本である。
なお、本書で掲げられている事例で個人的にみてキツいなと思うのは、子供に対して「男の子だから…」を使うなという例。「お兄ちゃんだから…」という代替案が提示されているので我が家でも実践してみたのだが、4歳の息子(一人っ子)相手ではちょっとしっくりこない。小学校にあがるまでは「男の子だから…」を使わせてもらうことにしようと思っている。あと、もう一つ、「主人」という呼称については、すでにオリジナルの意味合いが意識されなくなっているのでセーフではないかと思っているのだがどうだろうか。
環境リスク学 不安の海の羅針盤
2004/10/18 17:51
高邁な思想、高度な内容、平易な表現。現代社会人必読の書。
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著者は、我が国において、環境リスク評価という新しい分野を開拓してきた第一人者。本書は、その基本的な考え方をコンパクトにまとめた優れた啓蒙書である。高邁な思想と高度な内容が誰にも理解できる平易な言葉で書かれている。現代社会に生きるすべての人が読む価値がある本である。
全体は5章構成。第1章は、今春、著者が横浜国大を退官する際の最終講義の再録。下水道問題から出発し、水循環の促進という問題意識からリスク研究に踏み込んだ経緯と現在に至るまでの展開が、その時々の具体的事例の説明とともに語られる。我が国の環境リスク学の発展の歴史であると同時に、孤立にも圧力にも負けず、前人のいない世界を切り開き、さらに進み続けようとする一人の学者の歴史でもある。淡々とした記述だが、読んでいて感動を覚える。著者の思想・行動の核となっている個人史にも触れられており興味深い。
第2章は、リスク評価の基本的考え方を解説するQ&A。リスク評価について、その歴史、意義、批判とそれに対する考え方等多角的な観点から、著者の経験と思想に則した説明がなされている。肯定的側面だけではなく、内包する課題も含めて、リスク評価について鳥瞰できる有益な入門編になっている。
第3章は環境ホルモン。1998年に著者が雑誌に発表した論考の再録であるが、発表当時は環境ホルモンをめぐって社会的に大きな騒ぎになっていたことを思い起こすと、当時からその危険性の過大評価を疑問視していた著者の見識の確かさと、その基盤となっているリスク評価思考の有効性が確認できる。
第4章はBSE問題。本章も雑誌に発表した論考の再録だが、発表時点は今春。まさに現在進行形の問題に関する提言。本稿において、著者は全頭検査に対し強い疑問を提起する。著者が提示する「検査率をあげてもリスクは減らない」という結論は、一見すると常識に反するものだが、この結論を導いた思考プロセスは誰にでも検証が可能な形で提示されていることが重要。著者がここで問うているのは、科学的検証の努力が不十分なまま、漠然とした社会不安に漫然と追随する形で過大なコストを要する政策を継続することの合理性の是非である。おりしも、月齢20ヶ月以下の牛を対象とする全頭検査の緩和の議論が行われている中、改めて読まれるべき論考である。
第5章は、著者が自身のサイトに連載している「雑感」から抜粋・加筆したもの。普段意識していないものも含め我々の社会が実に多様なリスクを抱えていることを今更のように思い知らされる。と同時に、新たなリスクを提示された場合にも、リスク評価というツールを用いることにより、過度な不安に陥ることなく、思考・行動に一定の足がかりが得られることが示されている。
本書では、リスク評価には、現時点では多くの課題と限界があることは率直に示されている。しかし、にもかかわらず、リスク評価というツールが、「不安としてのリスク」と「実態としてのリスク」のギャップを埋めるものであり社会的資源の適正な配分に資するものであること、政策決定に際して誰でも参加できる議論の基盤となり得るものであり国民の責任ある社会参画意識の涵養につながるものであること等が強い説得力を持って伝わってくる。換言すれば、リスク評価は、様々な問題の解決に際して必ずしも明確な解答を示してくれるものではないかもしれないが、雑多な情報に振り回されることなく、その時々において各自の思考と行動について大きな方向性を決める手がかりとして強力なツールであり、まさに本書の副題が示すように「不安の海の羅針盤」といえるものであることが理解できるのである。
短歌があるじゃないか。 一億人の短歌入門
2004/07/27 00:57
読めば短歌を詠みたくなる
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雑誌編集者の沢田康彦が主宰するメール&ファックス短歌友の会会報誌「猫又」に集まった様々な歌を気鋭の歌人、穂村弘、東直子の両名が沢田も交えた対談形式で行う論評、第二弾(第一弾は「短歌はプロ訊け!」(本の雑誌社))。穂村の理論に裏打ちされた緻密な読みと相対的により感覚的な東の読みの重なりとズレがおもしろい。二人の評を読みすすむうちに、一つの歌が持つ世界がどんどん広がっていく驚きと心地よさを味わうことができる。穂村が披瀝する技法についての解説も説得力がある。読んでいてなるほどと頷かせられる。
「猫又」は、非常に幅広い人達が同人として集まっている。なかには我々が名前を知っている有名人もまじっており、その人のイメージと詠まれた歌を照らし合わせて読むのも本書の楽しさの一つ。例えば、漫画家の吉野朔美。 [( )内はお題]
「傷だらけ蒼い草には力ありお花の蜜に癒されたふり」 (草)
彼女の作品世界と通底するものがそこはかとなく感じられる。前著に比べると登場場面が少ないのがやや残念。もう一人、元「週刊プロレス」編集長のターザン山本。
「我れ思うこの一言なくして我れはなし如月弥生菜の花の道」
(人類史上最大の発明とは何か)
業界的には毀誉褒貶ある人だが、この歌からは打たれても叩かれても自らの信じるプロレスの姿を追い求める孤高の人という印象を受ける。最終章では長与千種、尾崎魔弓等特別参加の女子プロレスラーの面々の投稿があるが、これがまたどれもいい味を出している。
一般に広く知られているわけではない同人についても、例えば、穂村がある同人について「なんか歌に素敵さのオーラがありますよね。(中略)継続して読んでいくと、『素敵である』というイメージが着々とインプットされていく。」とコメントしている箇所があるが、全くその通り。この例に限らず同一作者の歌を何首も読んでいるうちに、徐々に詠み人に対するイメージが膨らみ、さらにそのいわば勝手に形作った詠み人のイメージを歌に投影して読んでいる自分に気づく。
とまれ、実作する人も、鑑賞するだけの人も、さらにはこれまで短歌に接したことがない人でも楽しむことができる内容。クラフト・エヴィング商會の瀟洒な装丁に山上たつひこの装画がよくあっている。上述の第一弾「短歌は…」ともあわせ強くお勧めしたい。
過防備都市
2004/10/08 01:05
単純な解答は存在しないが、思考の契機にはなる。
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世界一安全な国といわれた時代が過ぎ去って久しい。連日のように凶悪な犯罪の報道がなされ、社会の安全性について意識せざるを得ない状況に我々は直面している。本書は、このような人々の治安状況に対する不安とセキュリティ意識の高まりを背景として、都市の監視機能が高まっていくことに対する建築家の立場からの問題提起の書である。
本書には、近年現実に生じているセキュリティに関わる様々な社会的事象が取り上げられている。監視カメラ、セキュリティビジネス、自警団、学校の要塞化、ホームレスの排除等々。このような「過剰に」セキュリティを求める社会的状況に対し、著者は明らかに批判的である。そのことは記述の端々からうかがえる。しかし、著者は自らの明確な見解を本書では打ち出さず、あくまでも社会的事例の紹介に重点を置いている。治安状況の悪化が(その程度についてはいろいろな評価があるにせよ)否定できない中で、どのように批判的視点と解決の方向性を打ち出していけばよいか著者としても躊躇しているようにも思える。これはある意味良心的な態度であると思う。
おそらく一昔前であれば、建築という観点からは、本書でも触れられている「開かれた」方向性を支持し、「閉じた」方向性を批判するということで済ますこともできたであろう。しかし、開かれた構造の中で、例えば、池田小事件が起こり、また一般住宅を舞台としても様々な殺傷事件が起こっている中で、単純に「閉じた」構造を批判することでは問題は何も解決しない。また、最近急激に増えている仕切りつきのベンチは、装飾性の隠れ蓑の下に、人が横たわることを防ぐのがその本質的機能であり、端的にいってホームレスを排除するための装置であることを本書は指摘するが、これも同様である。「排除の構造」を批判するのは容易であるが、実際に身近な公園にホームレスが居住することを望ましいと考える人は多くはないだろう。異質なものの「排除」を社会が容認しているのである。
私個人としても、一般論としてはこのような漠然とした不安感を背景に都市の管理性、排他性が高まっていく状況は好ましいとは思わない。しかし、いざ、身の回り数mの自分の家、自分の家族を考えた場合に、「安全」を希求する思いは強いし、そのために多少のセキュリティツールが身の回りに整備されていた方が安心であることは否定できない。結局、「安全・安心の確保」により得られるものとそれを確保するために逆に失うもののバランスをどうとるかということに帰着するのだが、結論が直ちに出ない、また単純な結論を出すことがそもそも難しい問題である。しかし、少なくとも、このような問題を常に意識しておくことは重要であり、本書は小著ではあるが、この現在進行形の重要な社会問題について、我々に意識させ、考える契機を与えてくれるという意味において好著である。
反社会学講座
2004/11/12 03:13
著者の芸風を楽しみながら、自分の頭で考えよう
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「反***」というタイトルは逆説的な意味であることが多いが本書も同様である。中味は極めて正統な社会学本といってよい。世間に流布している社会学の衣をまとった一見もっともらしい「常識」について、その根拠や内容がいかにあやふやなものであるかを、著者は様々な統計データ等を駆使しながら批判していく。筆致は軽妙かつ挑発的で、読み物としてもなかなか楽しい。
取りあげられているテーマは「少年の凶悪犯罪」「パラサイトシングル」「フリーター」「少子化」等々多岐にわたる。これら一般的には大きな社会問題とみなされている事象が、著者の手にかかると、全く別の様相をもって立ち顕れてくる。
例えば、「キレやすいのは誰だ」と題する章では、最近10年間の犯罪動向に基づき「少年犯罪が急増している」という「常識」について、より長期の統計データを示すことにより、戦後少年の凶悪犯罪が最も多かったのは昭和30年代であることを示し、その数分の一のレベルで推移していることを隠したまま最近10年間のみを切り出して「少年犯罪の急増」という取りあげ方をするのは一種の捏造であることを指摘する。さらに進んで、犯罪統計からみる限り「戦後最もキレやすかったのは、昭和35年の17歳」、すなわち現在の50代・60代の人間であり、まさに少年の危険性を声高に叫んでいる当人達の方こそが危険なのではないかと皮肉たっぷりに結論づける。
他のテーマについても同様であり、各章毎に「今回のまとめ」として、既存の「常識」を完全に転倒させるような結論を導いていくのだが、この「まとめ」を導く過程において、著者は統計データ等に依拠しつつも、その解釈において正攻法の論理と飛躍した論理(あるいは詭弁ともとれる論理)とをないまぜにして用いている。(例えば、最近10年間のデータのみを用いるのは不適当というのは真っ当な論理だが、昭和30年代に少年犯罪の件数が多いことを以て、人格的危険性(キレやすさ)を当該世代の人間全体の特徴として論を進めるのは飛躍した論理といえる。) もちろん、このような混交した論理の使用と極端な結論の導出は意図的なものであろう。著者の主張に安易に賛同するのではなく、問題の所在と解決の方向性を自らの頭で改めて考えてみる方向に読者を誘導するための一つの工夫とみるべきである。
上述の例に戻れば、最近10年間のみのデータにより少年犯罪の急増を論じることの不適切さを認識することは極めて重要であるが、その認識の上に立って「だから少年法の強化等をはじめとする少年犯罪対策の在り方は疑問」という立場もありうるし、逆に「昭和30年代と比べると少ないとしても、やはり過去10年間の少年犯罪増加傾向は看過できず何らかの対策強化は必要」という考え方もありうる。要は、流布している「常識」やあるいは他者の意見などを漫然と鵜呑みにせず、考え得る様々な角度から自分なりに十分に分析・評価を行った上で、自らのスタンスを決定していくというプロセスこそが重要なのである。本書の内包しているメッセージもおそらくはそこにある。
なお、本書は、一年くらい前からネット上で話題を呼んでいた「スタンダード反社会学講座」の書籍化。ネット上の連載は今でも随時更新されている。著者の正体についてもネット連載当初からあれこれいわれているが、こういう詮索は野暮であり、その芸風を楽しむべきものだろう。
ダ・ヴィンチ・コード 上
2004/07/23 14:52
傑作とまではいえないが、値段分の価値はある。
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非常にリーダビリティは高い作品。上下巻一気に読める。最大の売りである図象学、宗教学絡みの蘊蓄についても、読者の興味をひきそうな結論的な要素だけが語られるので、難解さは全くなく、読みの流れが停滞することもない。ただ、そのうらはらではあるが、題材の割に軽い印象の作品となってしまっていることは否めない。個人的好みとしては、エーコのようにとまではいわないが、もう少し厚めに書き込んでほしいところ。
細かいカットバックを積み重ね、場面場面に小さな盛り上がりを持ってくるプロット展開のスタイルは、ジェフリー・ディーヴァーなどに似ている。ページをめくる手を休めさせない効果はあるのだが、全編、これをやられると少し鼻についてくる。もう少し抑制してもよい。
その他、小姑的な文句のつけどころはいろいろあるのだが(例えば、でてくる暗号がどんどんショボくなる、伏線張りに細工を弄しすぎて興をそいでいる、実在の地名・団体名を使用していることが一種の限界になっている等)、総体として値段分は十分に楽しませてくれる作品であることは間違いない。
なお、本書中に引用される蘊蓄的知識の中には、学術面で通説とはいえないものも結構あるので、ここで仕入れた内容を他で引用するときには、別の文献等で裏取りをしておいた方がよい。
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