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タコQさんのレビュー一覧

投稿者:タコQ

2 件中 1 件~ 2 件を表示

紙の本ピエロで行こう

2004/03/20 19:38

ピエロで行くか

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 中園直樹『ピエロで行こう』(文芸社)を読了。『オルゴール』『星空マウス』と、いじめをとりあげてきた中園だが、第三作目は、恋愛小説となった。しかし、『ピエロで行こう』が普通の恋愛小説と異なるのは、「ぼく」が心に傷を負った女性、栗栖希葉(くりす きよう)を立ちなおらせる物語であり、いじめ同様心の傷とその回復が問題となっていることだ。また自殺がテーマとなっている点はこれまでの作品と変わっていない。

《「もう女の人とはつきあわない。そうすればふられることもない傷つくこともない」
 こう思ったとき、ぼくは自分の心が黒く鈍い光を発する鉄のように固く強くなったように感じた。彼女と出会ったのはそんな大学三年の春だった。》(p.6)

 失恋の傷が癒える前の春に「ぼく」は栗栖希葉に出逢う。初めは栗栖を苦手なタイプだと思い、また失恋の痛手から、自分を押さえていた「ぼく」だったが、しだいに彼女に惹かれていく。栗栖の外貌はこんなふうに描写される。

《猫目で、黒目が小さい。眉は細くくっきりしている。あごが細く、ちょっときつい感じがする。》(p.9)

 真っ赤な背景のカバーの表紙に描かれる、猫の眼をもつ女性は栗栖だろう。栗栖は死にたいと口にする。それから「ぼく」は彼女を支えていかなくては、と思い、彼女にどんどん惹かれていく。
 しかし、「ぼく」は彼女の傷が癒えたとき、彼女は「ぼく」のもとを去るだろうことをわかっていた。

《つきあったとしても、この子が「死にたい」と思わなくなったころにはぼくを必要としなくなっているだろう。それは男女の関係ではなく、親と子のような関係に近い。でも、この子には、今、誰かそういう人が必要なんだ。「もう女の人とはつきあわない」なんて考えは捨てよう。》(pp.63-4)

 だが、もしかすると彼女は立ち直っても「ぼく」のことを好きなままでいてくれるかもしれない、そんな期待も芽生えてくる。はたしてふたりはどうなるのだろうか……。
 中園は自分の本を「あんまり本読まないような若い人たち」に読んでほしいと書いている。それは本音であり、事実この本は非常に読みやすく書かれている。

《ぼくがやらなくてはいけないのは子供社会という大人からは見えない社会の中で、さらに仲間の子供たちの目にすら触れぬところで一人で苦しんでいる人間の力になることなのだから。二重に大人の目から隠されたところで苦しんでいる子の力になることなのだから。》(p.181)

 このような明確な目的意識をもって中園は小説を書いている。中園にとって小説という表現手段は「苦しんでいる子」を救うための方法なのだ。
 最後に栗栖希葉はレイプという深い傷を負っているようだが、レイプされた女性はその反動としてセックスなんてたいしたことないと、淫乱になる傾向があるので、その点はうまく書けていると思った。

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紙の本星空マウス

2003/08/17 14:19

中園直樹『星空マウス』を読む

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 本書『星空マウス』(文芸社)は『オルゴール』につづき、いじめをテーマに取りあげている。あとがきによれば、本書はいじめからの脱出マニュアル小説として書かれたそうだ。そして、それはある程度成功していると思う。
 本書には二種類のいじめっ子が登場する。ひとつはガキ大将がそのまま高校生になったような竹杉君によるいじめ。竹杉君は喧嘩が強いことがなによりの評価基準だと思っているような不良グループの頭だ。
 もうひとつは普通の生徒や教師からは目立たない真面目な生徒と受け取られているが、気づかれないように裏では陰湿ないじめをやっている沼淵君によるいじめ。
「ぼく」はこの二種類のいじめのためにぼろぼろになり、実験用のマウスのような悲惨な生活を送っている。

《どのボタンを押しても電気ショックを回避できないと知ったとき、マウスは無気力になり、回避する努力を放棄する》(p.9)

 地獄のようないじめに「ぼく」の空は灰色だった。
「ぼく」は同じ人間なのだから、暴力を使わなくとも、話せばわかるはずだと思い、その信念を貫こうとする。それがまたいじめを招くのだということもわからずに。
 いじめはいじめられるほうが悪いのだ、という意見がある。しかし、いじめっ子は自分より下の人間をつくりだすことで、ようやく安心を得られる一種の依存症なのだ。
 中園の言葉をかりれば、今までいじめに関して書かれてきたことは、被害者の声が小さいために、加害者の立場から書かれてきた。被害者は声をあげようにも声を出せない状況にあるのだ。本書は徹底して被害者の側からの視点で書くことで、この状況を変えようとしている、といっていいだろう。
 最後に本書を読んで、人間は他人の不幸を喜び、自分より下の人間をさがして生きているのではないか、という人間の暗黒面、いいかえれば弱さのようなものを感じた。今日もワイドショーでは、誰が上向きで、誰が落ち目か、という報道がなされ、それをわたしたちは当たり前のように見ている。人間は愚かで弱い生き物かもしれないが、本書のなかで中園は友情や人間の尊厳といった希望を書くことも忘れてはいない。いつか灰色だったマウスの空も、太陽や星の瞬く美しい空へと変わることだろう。

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