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半久さんのレビュー一覧

投稿者:半久

317 件中 16 件~ 30 件を表示

紙の本

紙の本日本の薬はどこかおかしい!

2009/02/11 21:18

たしかに、おかしい

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

薬事行政のおかしさ。それを象徴するのが、ムコ多糖症のように患者のすくない治療薬の承認には書類が高さ1~2メートルも必要で非常に時間がかかるのに、薬害をおこす薬は紙切れ一枚で承認されてしまうという矛盾です。

鳥越氏は、外国で承認されていた薬が日本で薬害をおこしたことから慎重になっている面もあると指摘しています。しかし、それをいいわけにして「あまり儲からないな」と思ったら製薬会社が手をつけないのも困ります。海外で新薬ができたら、すべて認めるということではないにしろ、早急に対応する体制が必要だと述べます。
福田氏は、承認の基準が安全性を確保することではなく、利益があるかないかで決められているように受けとられてしまうのだとおっしゃいます。
厚生労働省の職員にもまじめな方はいるのでしょうが、どうも全体的には業者の方ばかり向いていて、それ以外の国民をないがしろにしているのではないか?と疑いたくなるのです。日本の薬はどうもおかしい!と。

本書は、難病であるムコ多糖症のお子さんをもつ中井まり氏と薬害肝炎訴訟の原告として活動されてきた福田衣里子氏に、鳥越俊太郎氏が同時インタビューをしています。
お二人とも、ご自分やご家族のこと、とり組んでいる活動のことについて、とても率直に語っています。その「強さ」と行動力が印象に残ります。その行動力は、当事者だったらみな同じようにできるということではないでしょう。ましてや、当事者ではない一般の人にとってみれば「すごいなあ、よくできるなあ、でも自分にはとても無理だなあ」と思ってしまう人もいるのではないかと思います。

しかし、お話をうかがっていると、彼女たちは特別にヒーロー・ヒロイン的な存在ではないことがわかります。どこにでもいらっしゃるであろう方が、やむにやまれずに一歩を踏みだしてみたということなのだと思います。
ただ、心ない中傷に悩み苦しみながらも、あきらめずに「継続は力なり」を実践していく意志のちから。それは人一倍強くおもちなのでしょう。そして、それはまったく真似できないレベルのものではなさそうだと思わせてくれる・・・その意味で、人びとに勇気を与えてくれる本でもあるのです。

この社会は、差別的な視線がいまだに残っています。実名をだすということにはリスクがともないます。実際たいへんな思いもされました。それでも、いっぽうで支援の輪が拡がっていき、やがて政治を動かしていくのです。

肝心な患者の救済については、一定の成果はえられました。しかし、大事なのはそれだけではありません。薬害をくりかえさないために国民本位の薬事行政を確立する、難病に対する公的支援を拡充する、という恒久的に目指さなければならない課題があります。お二人の目標でもあります。

そのために声をあげていかねばと思います。

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紙の本

ブッシュ政権の経済政策を包括的に分析

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

歴代最高支持率を獲得したり歴代最低支持率におちいったりと、毀誉褒貶の激しかったブッシュ政権。9・11事件直後に最高支持率をつけてからは、イラク開戦時などで短期的な浮上はあったが、トレンドとしては末期にいたるまで一貫して下落基調であった。これは、保守派の一部からそっぽをむかれてしまったことも影響している。

「バイバイ、ブッシュ」とかいって溜飲を下げても、当然ながら彼が去ればすべてがリセットされるわけではない。この政権は大きな「遺産」を残していく。そのかなりのものは次期政権に引き継がれる。この「遺産」の内容を正しく理解することが、今後のアメリカを考えるうえで不可欠であるというのが、筆者たちの主張である。

本書は、ブッシュ政権の経済政策を包括的に分析しようとしている。従来、ブッシュ政権による統治の実像については、その政治理念や政権運営にたいして是か非かという形で語られることが多かったのだそうだ。本書は、それだけではなく、代表的な分野ごとの実際の政策形成過程にも焦点を当てているのが特徴だ。
ブッシュ政権の経済政策の歴史的意義や、次の新政権での政策転換の可能性なども検証している。

いまさらではあるが、超大国の政治の複雑さを本書でもかいま見ることができる。
ブッシュ政権の国内経済政策の主な理念は、「小さな政府」とオーナーシップ社会構想である。これをもって「新自由主義的な政策」と呼ぶこともできるだろう(ただし、後者はかならずしも保守主義ではないとの意見もある)。
そして、世上では以下のような論評も見うけられる。とくに小さな政府に関して、いわば「ブッシュ政権は新自由主義+保守主義の権化であり、この理念を強引な政治的手段で推しすすめたため、アメリカ社会の分裂と格差はいっそう拡大し不安定化した」といったようなものだ。これは、おおきく間違っているわけではないが、多少、認識の修正が必要だ。

まず、「小さな政府」について。
税収面については、たしかに減税という形で保守派の意向にそうようにし、「小さな政府」への道を推しすすめた。しかし、財政支出面においてはむしろこれを増大させ、クリントン政権期の黒字財政から赤字財政に転落させた。これは軍事支出の膨張が大きな要因ではあるが、それ以外の民生費も増大させているのである。河音琢郎氏は《財政支出面においてはニューディール型の福祉国家を温存し続けた》との評価を下している。
保守派の財政構想は、「スターヴ・ザ・ビースト」と呼ばれている。それは減税と均衡予算の理念をセットとして財政支出の削減を実行させるもので、「小さな政府」を実現するための政策手段である。ところが、2006年中間選挙まで共和党が連邦議会の多数派を維持したにもかかわらず、この構想は十全には実現しなかった。原理主義的な保守派の一部が離反するわけである。

オーナーシップ社会構想については、最優先目標だった公的年金の個人勘定化は2005年半ばには挫折してしまった。この構想は、医療保険や住宅補助など社会政策に広くおよんでいるが、かならずしもすべてが順調ではない。
しかし、アメリカ社会では、ブッシュ政権が成立する以前から、たとえば確定拠出型年金のような「所有化」が広範に進行しつつあった。これは「超党派的」な流れなのであり、いまからすべてひっくり返すのはたいへんなことである。新自由主義の定義のひとつとして、「自己責任の範囲を可能なかぎり拡大させること」とするなら、ここから完全に手を切ることはアメリカではむずかしそうである。

オバマ次期大統領は、「大きな政府でも小さな政府でもなく、スマートな政府をめざす」といった発言をしたという。アメリカが二極化しているという議論もあるが、まだまだ多元主義や多極共存型デモクラシーという伝統が失われていないのであれば、「スマートな政府」は社会民主主義的な政策だけでなく新自由主義的な力学も活用したものになるのかもしれない。

本書は、アメリカ国内だけではなく対外経済政策にも詳細な分析をくわえている。専門性は高いが、アメリカの現在とこれからを展望するために、よい示唆を与えてくれる本のひとつだと思う。

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紙の本

可能性としてのディアスポラ

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「ディアスポラの力」とは何か。その前に、ディアスポラの定義から。一言で表すなら「離散」であるが、ヴィジャイ・ミシュラによる3類型が書中で紹介されている。

1.土地を追われ、帝国に奉仕するために連行された比較的均質な共同体。
2.現代の後期資本主義との関係で、いままさに出現しつつある、自由な移民に基づいた新たなディアスポラ。
3.自らを権力の周縁部にあるか、権力の分配から排除されていると考えるすべての移民者集団。

現代的な定義だと思う。しかし、著者のボヤーリン兄弟は、この定義を廃棄しようと主張はしないのだけれど、ある点において危惧を抱く。この文章がユダヤ人の経験を排除する形で読まれはしないか、ユダヤ人をたんに周縁的なヨーロッパ人の一種と見なすような傾向を助長しはしないかと。

ディアスポラの価値は、ユダヤ的な生き方に内在しているものなのである。その「特殊性」に注目しようというのが、本書の趣旨になろう。
そうなると、ユダヤ・ディアスポラを、もっぱら外的な強制によって構築されたものだと判断すると間違うことになる。この判断をもとにして、ユダヤ人国家イスラエルを形成して郷土を「回復」することはユダヤ人にとって良いことであるなどとは、本来的にはいえないのだ。

ユダヤ的な生き方とは何か。それをキリスト教と対比的に描いている一節があるので引用してみる。

《他方で、キリスト教に権力が加わることによって、惨禍が生み出されてきた。個別主義と権力が合わさるとファシズムになる傾向があるとすれば、普遍主義と権力が合わさると、帝国主義や文化抹殺のみならず、実際に何度となく、順応しない者の虐殺を生み出してきた。われわれの見解を述べれば、ユダヤ教とキリスト教は、聖書読解における二つの異なる解釈体系として、真っ向から対立し互いの鏡像をなすような形の人種主義を生み出してきたが、それと同時に、弁証法的に反人種主義にいたる二つの可能性も生み出してきたということになる。キリスト教の神髄が、世界中のあらゆる民族に対する干渉にあるとすれば、ユダヤ教の神髄は、世界中の他の民族に干渉しない能力である。そして、この二つの体系の害悪といえば、それぞれの神髄の反面にほかならない。精霊はあまりにもやすやすと悪霊になり代わる。キリスト教の普遍主義は、もっともリベラルで慈悲深い場合でさえ、同質性を強要する言説にとって強力な手段になってきたし、ユダヤ人や女性や他者が差異を保持する権利を否定してきた。》

ユダヤ教の神髄をこのように捉える著者らは、反シオニストになる。

《他者の支配を目指さない自民族中心主義と、自らの特殊性の希薄化や部族紛争やファシズムに行き着かざるをえない政治的支配の追求という二つの選択肢を前にして、ラビたちは自民族中心主義を選んできた。だからこそシオニズムとは、ラビ・ユダヤ教の転覆といえるのだ。》

一方で、ユダヤ人も全人類の行く末に関心をもつ必要があるのではないかとも論ずる。しかし、それは普遍的な人間存在へと人類を解消してしまうことではないという。この弁証法のどこかに、なんらかの「総合」を見つける必要がある。《あくまで、人類への連帯が深く看取され実行に移される文脈において、民族的・文化的特殊性に執拗にこだわるのを許容するような総合》・・・この総合に一つのモデルを提示するのがディアスポラなのだという。
ディアスポラは、常にローカルな特性を帯びているが、定義上決してそれに限定されることがないため、そのようなモデルになりうるのだ、と。

積極的・肯定的な意味での「ディアスポラの力」と、その効果についての一端を再構成的にあげておくと。

【ディアスポラの力】・・・領土国家に代わる別の「地盤」を提供し、文化的アイデンティティと政治組織とを、つねに論争を生み出すような複雑な形で結合する。
【このような代替的地盤による(←以下同じ)効果1】
国家が自らの避けられぬ非永続性に抵抗するうえで行使せざるをえない、暴力的手段を回避しうること。
【・・・効果2】
正当な集団的アイデンティティといった、凝り固まった支配的観念に由来する純粋性の主張が改善される。
【・・・効果3】
すでに確立しているディアスポラ的な共同体が存続し、超国家的な文化・経済圏において必然的に現れた新たなディアスポラが発展するための、より大きな文化的・政治的「時空間」を供給する。

まだまだ理論的にも、とっかかりという段階に思えるが、グローバル化が進展する世界でディアスポラの力がほんとうに「良き貢献」をもたらすのか、注目したい。

なお、本書は難解であるし、ユダヤ文化に通じていないと読みこなすのは大変であるが、原注だけでなく豊富な訳注がサポートしてくれる(原注と訳注の注番号を弁別しにくいのは残念)。
訳者の努力を讃えたいと思う。

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紙の本

出番ですよ~(あなたも、憲法も)

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

身も蓋もない言いかたをすると、多数派が少数派を「思うようにできる」のが民主主義だ。少数派は、渋々であってもたいがいは多数派の決定を受け入れ、他日を期さんとする。いつの日か多数派となることを夢みて。

しかし、どうしても許せない、受け入れがたいこともある。多数派形成は簡単ではないし、デモなどの行動に出たとしても効果は限られている。闘いの場として裁判所が浮上する。そこで、闘うためのツールになるのが憲法だ。つくづく、憲法は少数派のための武器になりうるのだ。
あるいは、数は少なくても経済的強者として力を振りまわす集団もある。この場合でも、つくづく、憲法は相対的弱者のための武器になりうるのだ。「合憲性推定の原則」が広く働いている謙抑的な裁判所が、必ず味方になってくれるとは限らないとしても。

本書は、幾多の闘いの中から基本的人権の内実が問われた事件を、分野別に紹介している。取り上げられる事件は、裁判史的に典型的なものというよりは、比較的新しくて判断の微妙なものを中心にセレクトした。ケース・スタディとしても興味深く、読み物としても面白い。いつ私らが当事者になるやもしれない身近で切実な事件も含まれていて、現代社会の断面を映しだした事件簿になっている。

構成としては、まず「できごと」として事件の概要を、「当事者の主張」として原告と被告の言い分を簡潔にまとめている。メインとなるのが「考えてみよう」で、論点を多角的に検討し法律論の学習に寄与するようになっている。最後に「裁判所はどのように判断したか」と「参考文献」で締めている。一つの事件につき8~10頁ほどを割り振っている。少ないようだが、入門書としては適切な分量だと思う。
なお、「裁判所はどのように判断したか」は字が小さくコメントも短い。判例評釈に重点を置かないこの方針は、入門書であることを考えれば正解だと思う。結果以上に、事件についてどのように考えるかというプロセスこそが大事であるからだ。最終的な判断は個々の読者に任される。

なるほど、憲法学者は素人に比べればよほど名探偵に近い存在だ。それでも探偵小説よろしく、いつも快刀乱麻にズバリ解決というわけにはいかないところに現代社会の複雑さはある。私たち素人探偵にも出番は十分にある。
ただし、そこで「より良い」判断を下すためには、憲法学者と「対話」をしながら基本的人権についての認識を深めていくことが望ましいことなのだろう。


目次内容
Part-1 自己決定権
1.髪型の自由--パーマをかけたら退学ですか?
2.バイクに乗る自由--バイクに乗って何が悪いんだ
3.同性愛の自由--公共施設は同性愛者の宿泊を拒否できるか
4.別姓の自由--結婚するとどうして名字が変わるんですか
5.再婚の自由--女性はなぜすぐに再婚できないの?
6.治療拒否の自由--自分の身体は自分のもの?
7.酒造りの自由--自分のつくった酒が飲みたい
8.ポルノ鑑賞の自由--外国ポルノは水際で阻止?
Part-2 新しい人権
9.プライヴァシー権--「この本にあなたの名前がのっているよ」
10.肖像権--公道上の監視カメラに文句がいえるか
11.平和的生存権--国際平和のために日本は何ができる?
12.景観権--街並みの景観を守れないか
13.嫌煙権--他人のタバコの煙は吸いたくない
14.取材の自由--取材源は明かさなくても良い?
15.アクセス権--言われ損にされてたまるか!
16.自己情報開示請求権--私の内申書を見せてください
Part-3 元祖・基本的人権のいま
17.平等権--同じ子どもなのに、どこが違うの?
19.思想・良心の自由--「君が代」は思想の押しつけか
19.信教の自由・政教分離--信仰と法律の板挟み?
20.表現の自由・集会の自由--閉めるが勝ち?
21.財産権の保障--強制労働に対する償いは
22.生存権--生活保護費は貯金できる?
23.労働基本権--休みは好きなときにとれるか
24.参政権--代表なければ課税なし

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紙の本

紙の本寝ながら学べる構造主義

2005/11/23 07:14

ヨッパの戯言(内田さんのことじゃないよ、オイラのことだよ)

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書の内容を、著者自身が最もやさしく表現した一節があるんだ。あとがきから引用してみる。

《私も人並みに世間の苦労を積み、「人としてだいじなこと」というのが何であるか、しだいに分かってきました。そういう年回りになってから読み返してみると、あら不思議、かつては邪悪なまでに難解と思われた構造主義者達の「言いたいこと」がすらすら分かるではありませんか。
 レヴィ=ストロースは要するに「みんな仲良くしようね」と言っており、バルトは「ことばづかいで人は決まる」と言っており、ラカンは「大人になれよ」と言っており、フーコーは「私はバカが嫌いだ」と言っているのでした。
 「なんだ、『そういうこと』が言いたかったのか」。》

えっ、それだけ!? な〜んだ、じゃあ、ここだけ読めばOKじゃん・・・てなことはありません(爆)。
レヴィ=ストロースは「みんな仲良くしようね」と「だけ」言っているわけではないからね(←なんちゅう当たり前のことを)。以下3回、変奏繰り返し。

でも、オイラはこんな風に彼ら四銃士は、言っているように思えるんだけど。
{レヴィ=ストロースは要するに「マルクス主義者とは仲良くできねえ」と言っており、バルトは「ことばづかいで人を判断するな」と言っており、ラカンは「大人はつらいよ」と言っており、フーコーは「私自身こそがバカではないかと常に疑え」と言っているのでした。}

ドキュウーン!!
わっ、誰だっ、後ろから撃ってくるのはっ。まったくぅ、もう〜危ないんだから〜。
いや、あの・・・、命を惜しむから言う訳じゃないけど、内田はんの本ってほんと面白いものが多い(つまんないのもたまにあるけどね。あっ、これはここだけの秘密だよ)。
たとえ話による解説が、たとえようがないぐらい気が効いていて、思わずコルシカ半島???まで連れて行かれてしまうんじゃないかっていうぐらい凄い。
童話の『こぶとり爺さん』を使った箇所なんか、「こう、ひねるかっ!」ちゅう感じ。
内田さんって、四銃士を超えた最強の銃士かもしんない。銀の刺繍の文字弾に、撃たれて納得。「こいつら、何言ってるか分から〜ん」なんていらつくことがない。
『読んだ後、気持ちよく寝られる構造主義』なんだね。

そんなわけで、思わず星5個を付けそうになってしまった。オイラの星5個はメッチャ、ハードル高いから、にゃんとか思いとどまったけどね。

そうそう、オイラは欲張りなんで、こんな本も欲しいな。星100個あげるからさ。
タイトルは、『眠ってる間に学べる構造主義』。枕元に置いてオヤスミするだけで、目覚めた朝には難解な構造主義の全貌がマスターできてますっての。内田さん、ぜひ書いて(いや、作って)下さいませ。


本稿について、《中には私の落語的解釈に青筋を立てて怒る人もいるかも知れませんが、そこはそれ、》ヨッパの戯言ですので、《どうか笑って読み流していただきたいと思います。》

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紙の本

紙の本もう牛を食べても安心か

2005/11/06 03:27

不均衡の帰趨、狂牛病

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

こちらの、先行する素晴らしい書評が本書の読みどころを、的確に紹介してくれている。
・・・で、どうしよう、似たようなことを書いてもしょうがないし。
私も広くお勧めしたいことに変わりはないが、あえて2点ほど重箱の隅をつついてみる。
タイトル負けしているところがあるかもしれない。一般消費者としては単刀直入に、牛を食べてもいいのかどうかを教えて欲しい。まずそれが最重要関心事なのだろうと思うのだが、本書はそこにさほど多くの紙幅を割り当てていないし、Yes/Noではっきり答えてはいない。
しかし、通読すれば消費者が自己判断するための手がかりは十分に与えてくれると思うので、「タイトル負け(だとしても)」が本書の価値を下げるものではないだろう。
次に著者は、狂牛病プリオン原因説にかなり懐疑的なようだ。提唱者であるプルシナーを批判するのはいいのだが、その手法に疑問がある。以下はプリオン説を、「中世の神学論争と微塵も変わりがないわ」と痛烈に批判する学者を形容した文章である。
《研究者の間で、プルシナーのことをよくいう人を私は知らない。イエール大学医学部教授の神経病理学者ローラ・マニュエリディス女史は背が高く、エレガントで、その講演は立て板に水、よどむところがない。いつもほほえみを絶やさぬ紛うかたなき知識人である。詩人としても知られているほどだ。その彼女がプルシナーのことになると口汚く罵ることに全くためらいがない。》
どうも論敵を貶めるために、必要以上にお仲間?を美化しているように見える(考えすぎかもしれないが、他の登場人物にはこういった描写はない)。もし、ローラ・マニュエリディスの背が低かったり、エレガントでなかったりしたら、どうだというのだろう?
それから、おそらく著者が訳しているのであろうがプルシナーの発したコメントについて、「連中」や「奴ら」という言葉を割り当てている。実際、そのようなニュアンスでプルシナーは語ったのかもしれないが、なにか「やくざ」な印象を与えようとしているようで、すこしフェアでないような気がした。
もちろんこういったことは、ちょっと気になったという程度であり、本書の中では些末な話でしかないと思うが。
さて、文学的というのではないが、著者の文章と構成は巧みで読ませる。専門用語がこれでもかというぐらい頻出するので、従来なら私のような耐性のない読者は途中で投げ出してしまうのだが、本書にはむしろぐいぐい引きずり込まれた。
それは専門用語が、最小限の説明で(一応は)納得できるように本文に巧みに織り込まれているからで、読み進む上での障害にあまりならないのだ。「簡潔にして当を得た」とはまさにこのことだと思う。
7つあるコラムも興味深いものが多かった。
「ミステリーを読んでいるかのよう」という評も何人かから聞くが、そう思わせるのも著者の筆力のたまものである。やたらセンセーショナルにしたり、作りすぎてもいけないが、ただの学術論文になってしまっては一般層からはほとんど見向きはされないだろう。本書はそこのバランスもとれているように思う。
狂牛病対策は「リスク分析」でいいのか、著者が主張するように全頭検査をまだ続けたほうがいいのか、ぜひ本書を判断材料の一つに加えて欲しい。
ある調査では6割以上が反対だそうだが、「アメリカ産牛肉輸入再開、賛成か反対か国民に聞いてみよう」なんてことは小泉首相は言わないんだろうなあ・・・結局、再開が決まってしまった。
ルソーの言葉は、時代と地域を越えて日本にも当てはまるのだろう。
《イギリス人は、自由だとおもっているが、それは大きな間違いである。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけで、議員が選ばれるや否や、イギリス人は奴隷となり、無に帰してしまう》

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紙の本

紙の本政権交代論

2009/08/28 19:34

手段としての政権交代、目的としての政権交代

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

一般論としての政権交代必要論と、著者の政治的立ち位置が要請する政権交代必要論が同伴している。
別言すれば、「ときどきは政権交代があったほうがよい」という考えと、著者が念願する中道左派政権(第三の道・社会民主主義)を誕生させるために「いまこそ政権交代が必要だ」というアピールの同居である。両者が渾然一体となっているとまではいわないが、ちきんと切り分けられているかは疑問だ。

「ときどきは政権交代があったほうがよい」という考えからすると、中道左派政権もいずれは澱んで行き詰まってくるのであって、そのときは第2勢力に民主的に権力を移譲するのが至当ということになるだろう。しかし時の第2勢力は、カウンターとして強固な市場原理主義志向+改憲タカ派の政党である可能性もありうる。著者の信念からして、それでも「いいよ」とおっしゃるとは思えないのだが。
「ときどきは政権交代があったほうがよい」という政権交代論を掲げるなら、すくなくとも一冊中では「中立的」な立場を貫いたほうが説得力は高まるように思う。しかし、多少目をつむって「いまこそ政権交代が必要だ」論として読むなら、時宜にかなったものだという評価も成り立つだろう。

次に、2007年あたりでの政治状況を《こうして、民主党自体は社会民主主義という言葉を使わないものの、政策内容に即してみれば、新自由主義と再分配という対決の構図ができあがった。》としている。それから現在まで民主党は「生活が第一」というスローガンを保持しているが、いつまで中道左派路線を続けるのかは定かではない。
著者も《もちろん、民主党が党の哲学として社会民主主義を採用したとまで言うことはできない。(中略)党内の政策論議を経て、全体として「生活第一」という理念を共有できるかどうか、民主党の今後の行き方が問われている。》という。

民主党が社会民主主義であると自己規定できないのは、そこまで党内組織が収斂していないからだが、はたしてその方向に固まるだろうか。《民主党内に新自由主義者がいることは確かだが、それは多数派といえるほどの勢力ではない。》というのは楽観的かなと思える。かならずしも新自由主義か分配かという対立がすべてではない混在派がいて、ばあいによっては新自由主義的な政策をとるということがありえる。
たとえば、著者が批判する公共サービス部門で進行している民間の参入・請負についてだ。いくらか待遇改善はなされても大きな流れは変わらないかもしれない。なぜかというと、すこし視角を変えるが、「ニュー・ポリティカル・カルチャー」論が把握するところの市民像が関係してくる(いずれ書評にあげます)。その政策選好は、日本では「財政的にコンサーバティブで社会的にリベラル」であるからだ。この層は第三の道路線と親和性があり、民主党も無視できないところだろう。

いっぽうで、対政党の次元における「新自由主義と再分配という対決の構図」は、自民党の「変節」により、ここ2年くらいは以前ほど明瞭なものではなくなってきている。そうなると、民主党がどこまで議席を伸ばすかということにも左右されるが、政界再編が課題の一つになってくる。
ちなみに、哲学・思想界では二項対立型の思考を戒めていて、おおいに理はあるのだが、現実政治から完全にパージすることはできないというのもむずかしいところだ。

消費税増税論者だからということなのか、著者は竹中平蔵氏から「健全な社会民主主義者」と評された(お世辞ぶくみ?)。続けて「頑張ってください」とエール(社交辞令?)を送られ、妙な面持ちになったようだ。著者ほど民主党に期待はできないが、竹中氏とは(おそらく・たぶん)違った意味で山口氏のご活躍をお祈りしたい。

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紙の本

紙の本裁判おもしろことば学

2009/06/29 19:04

「ガラパゴス的世界」へようこそ

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

法の世界のことを「ガラパゴス的状況」と表現する人もいるそうです。そこでは・・・

《従来日本にはなかった概念を急ごしらえで無理やり直訳したために、日本語としてこなれない表現や誤解を招くような用語、一般市民には理解しがたい奇妙なことばがウヨウヨしています。それらが「法の世界」という、外界から隔絶されたガラパゴスのような狭い世界の中で、独自の進化をとげながら定着し、生きのびているのです。》

こういった用語を使った法律文や起訴状などが、やたら長いわ回りくどいわでして、輪をかけてわかりにくくなっています。わざとやっているのかな(よらしむべし知らしむべし)?と疑いたくなってしまいます。
でも、しゃちほこばった四角四面ぶりにも理由はあります。なにしろ法は、ことあれば人様の財産や自由をまきあげようとするのです。ときには命さえもとるのですから、せめて公平に適用してくれないと困ります。そのためには、あいまい度の高い日常的な用語だけで構成するわけにはいかない。ものごとを精密・精確にとらえて判断するためには、それようの仕掛けがいります。
だからといって、法の側がこのままあぐらをかきつづけていいわけではありません。専門家と一般市民は、お互いもっと歩み寄らなければならないでしょう。

そこで、著者も参加した日弁連の「法廷用語の日常化に関するプロジェクトチーム」では、法廷用語をやさしくいいかえるための提言をしたそうです。その成果は、『やさしく読み解く 裁判員のための法廷用語ハンドブック』という本にまとまっています。
本書は、それとはまた視点を変えています。

《本書は、裁判員に指名されるかもしれない読者のみなさんに、このガラパゴスのような裁判のことばの世界を、楽しくわかりやすく紹介しようという意図で執筆しました。(中略)気楽な気持ちで手に取っていただければ幸いです。法廷のことばの様子をのぞいてみることで、これまで別世界の人々だと思ってきた法律家の頭のなかが、ちょっとだけ見えてくるかもしれません。そうして、法の世界を少しでも身近に感じていただけるようでしたら、これにまさる喜びはありません。》

その意図は成功しています。ほんまもんの「ガラパゴス諸島」だと人気があるじゃないですか。本来、「奇妙なもの」って多くの人の関心を引くんです。法の世界だって、ナビゲーションのやりかた次第で、とっつきにくさを緩和して興味を喚起することができるはずです。その点、著者は名ナビゲーターだといえましょう。楽しい読みものにしあげています。

それと、「日本語ブーム」もすっかり「定着」したかのようです(ブームが定着ってのもヘンないいかたなので、括弧でくくりました)。いわゆる「日本語本」が、周期的にヒットをとばしています。本書は、法言語学の研究を生かしたユニークな日本語本としても、けっこういけてるんじゃないかなと思います。

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紙の本

アウトリーチ戦略が映しだすアメリカ

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選挙専門用語としての「アウトリーチ」とは・・・「釣り」のことである。つまり、アウトリーチ戦略とは、選挙民をいかようにして釣りあげるかという戦略である。
以上は思いっきり意訳であって、正確には現代アメリカの選挙用語としての「アウトリーチ」とは《選挙区、選挙民に手を差し伸べて集票につなげていく行為である。》・・・あれ?やっぱり釣りじゃん(笑)。

冗談はともかく、アメリカは揺れている。宗教に揺れ、人種やエスニック・アイディンティティに揺れ、「文化戦争」に揺れている。さまざまな切り口からアメリカの「分裂」を観察することができる。
《こうした現代アメリカ分裂の活断層を、アメリカの選挙民の政治判断から浮かび上がらせること》を試みたのが本書である。理由は二つ。

1.《アメリカの選挙の集票プロセスでは、選挙民の分類や集票アプローチの単位としてきわめてアメリカ的な、エスニック集団、宗教、また銃保持の権利からフェミニズム、環境問題までに広がる利益団体へのアプローチに依拠することが少なくないからである。》
2.《選挙過程で共和党と民主党により営まれる集票戦略そのものが、アメリカの「分裂」や「対立軸」の先鋭化、あるいは「分裂線の引き直し」に少なからずの影響を与えているという現実が無視できないからでもある。》

著者はアメリカで実際にアウトリーチを担当した経験をおもちである。民主党側での参加であったが、記述するにあたっては一方に肩入れすることなく、共和党と民主党のかかえるジレンマや課題を怜悧に析出している。千差万別の人々を、たった二つの政党に収斂させようとするのだから、課題を解決するための万能の方程式はなくて当然だろう。
テーマとしては、第2章の人種問題、第3章のエスニシティ、第4章での信仰と政教分離の問題などは、先行する優れた研究がある。しかし、本書のようにさまざまなアウトリーチの実例を軸にしてみていくのは、また違った新鮮さがある。アメリカ本国でもこういった研究はあまりないそうだ。

読みどころは多いが、そのなかから一つ紹介したい。
一枚だけカラーページがはさまっている。描かれているのは地図が4つ。アメリカの「分裂」をあらわす有名なものとして、大統領選挙での選挙人獲得州別に民主党を青、共和党を赤で塗り分けたアメリカ地図があるが、本書には2004年選挙時のものがのっている(1)。これにカートグラム処理といって各州の人口を勘案して州面積を修正すると、アメリカ地図が変形する(2)。
また、州ではなく郡単位で分解して濃淡のグラデーションをつけた全米地図がある(3)。さらに、これにカートグラム処理をすると、みたことのない「もうひとつのアメリカ」の姿が浮かび上がり(4)とても印象深い(これを『見えないアメリカ』にものせてほしかったなと思うほどだ)。
この最後の地図上で「引き直された分裂線」は、カオス的に混濁している。アウトリーチ戦略が、きめ細かく発展していくわけである。

本書は、多様なアメリカ社会の「いま」を知るためにも有益だ。著者の本領が発揮された、「現場からの」アメリカ政治研究の好著だと思う。

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紙の本

紙の本自民党政治の終わり

2009/04/05 20:25

「最強」政党のゆくえ

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

第1章と2章は、小沢一郎氏と小泉純一郎氏のミニ評伝。どちらも「自民党を変えようとした男」、過激にもうすなら「自民党をぶっ壊そうとした男」という視点から描かれる。小沢氏は自民党の外にでてもゆさぶりをかける。小沢氏(だけではないが)の大きな仕掛けが小選挙区比例代表並立制を中心にした政治改革だ。当初は猛烈に反対していたはずの小泉氏が、のちにはこの制度を使って権力を固めるのだから皮肉なものである。

表題の『自民党政治の終わり』とは、自民党が次の総選挙で負けることを意味するのでもなければ、自民党という組織がもうすぐ消えてなくなるということでもない。55年体制とも呼ばれた「自民党システム」が実質的に壊れてしまったということを指す。このシステムが復活することはないだろうというのが著者のみたてだ。

では「自民党システム」とはなにか。その基本的な要素は以下のようになる。

・巨大かつ柔軟な党本部組織
・膨大な後援会組織
・ボトム・アップとコンセンサスを軸とする分権的色彩の強い政策決定システム
・年功をベースとした平等型の人事システムとそれに深く関与する派閥の仕組み
・官僚機構との協働体制

これらのメカニズムが組みあわさって、巨大なインサイダー政治の体系ができあがったのだという。第3章でくわしい解説がなされる。『自民党政権』(1986年)などをふまえた、政治学的にも(おそらく)スタンダードな部類の見解だと思う。

第4章では自民党システムの特質を、歴史的な文脈と国際比較の文脈から検討している。日本の統治システムは分権性が強く、合意形成を重視する伝統が根強かったことなどが語られる。こういった「遺産」を引き継いだ自民党システムだが、ボトム・アップとコンセンサスばかりが重視されてしまった。著者は、その結果《リベラル・リーダーシップとセットとなった本来の自由民主主義(リベラル・デモクラシー)からの乖離が大きくなりすぎたことが、戦後日本政治の根底的な問題だと考えられる》としている。
国際比較の面などでは書きこみ不足もあるが、これは新書というボリュームでの制限もあり、いたしかたなかろう。

第5章では、まず、自民党型「戦後合意」の崩壊を描く。「戦後合意」とはなにか。

《自民党システムが次第に安定してきた一九六〇年代の後半以降、そこには自民党型の「戦後合意」が存在していたと考えてよい。戦争はとにかく避け、平和と繁栄を追求すること。できるだけ平等に、多くの人々の合意を大切にすること。これらが「戦後合意」の最も大切な価値であった。ある意味で当たり前のことではある。しかし、戦後日本においてほど、これらの目標が熱心に追求され、効果的に実現された国はそれほど多くはない。たぶん傑出していたと言ってもよい。もちろん多くの矛盾や不正はあったし、現実は理想からはほど遠い。にもかかわらず、戦後日本の自民党システムには、長期間継続したそれなりの理由があった。そしてそれは、平和と繁栄の果実が多くの日本国民に実際に行き渡ったということであろう。》

自民党にかなり花をもたせているが、この党のなかでも「ハト派」の勢力が大きくなった時期ではなかろうか。
それはともかく、自民党システムとは、経済成長の果実である財政資金を使うことによって「戦後合意」を実現する仕組みだった。そして、この自民党システムが、90年代以降のグローバル化や少子高齢化の流れにうまく対応できなくなってしまったのだと著者は述べる。
自民党のなかでも、これまでのイデオロギー的には同質的であった派閥の対立から、イデオロギーに沿った対立が生じてきている。もしも自民党が下野したら、分裂する可能性が大きいと著者はみている。

最後が新しい政治システムへの提言だ。うなずけるところあり反論的意見をしたいところありだが、長くなるので控える。
本書の中味については、わりあいに知られている話もすくなくないが、現代の日本政治を考えるための手引きのひとつとして読んでおいてもいい本だと思う。

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紙の本

紙の本アメリカ政治

2009/02/14 12:26

「知ってるつもり」になる前に

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者らは、日本人がアメリカ政治を学ぶうえで二つほど障壁があることを懸念する。
一つは、日本政治の類推で理解しようとする傾向に陥りやすいということだ。これは、アメリカ政治の動向を追っている日本人ジャーナリストにすらみられるような気がするという。
二つめは、情報が氾濫していることもあり、多くの読者が「もう、十分に知っている」と思いこんでいることにある。この思いこみのわりに、基本的な事実を知らなかったり、あるいは誤解して議論している人が非常に多いのだという。

うーん、困ったことだ。この障壁を崩すためには、(私もふくめて)安易に「知ってるつもり」にならずに、白紙の状態でアメリカ政治を学んでみようという態度が必要なのではないかと思う。
比較的新しい情報も盛りこんでいる基本的な教科書・概説書として、本書はそのために好適だ。

オバマ大統領の演説関連本がヒットしている。まことにけっこうなことだが、アメリカの政治に関心がおありになるなら、こういった本も広く読まれていいはずだと思う。

本書の売り(特徴)を引用してみる(一字一句までは正確ではない)。

・国の成り立ちと歴史的展開について解説。
・超大国アメリカという側面とグローバリゼーションとの関係についてふれた。
・基本的な制度の解説だけでなく、思想、イデオロギー、文化、宗教、マイノリティといった側面にも十分紙数をさいた。
・外交だけでなく軍事・安全保障についても言及。日米関係についてもふれた。
・日本人が日本人の立場でアメリカ政治を学ぶさいに、まずどのような側面を理解することが重要であるかという点を重視して構成。

評価としては、80点以上の高い水準に仕上がっていると思う。

『アメリカの政治』 と甲乙つけがたいが、政治的な争点と政策については本書のほうがやや詳しい。とくに第10章「思想・イデオロギー」は、四象限図にリベラル・リバタリアン・ポピュリスト・コンサーバティブを配置、今日のイデオロギー状況を的確に説明していて見通しがとてもよい。
アルマシリーズらしく、本文以外のサマリー、キーワード、コラムなども充実している。
これからも、適宜改定しながら息長く発行し続けてほしい良書だ。

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紙の本

民主党と共和党

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

重厚なものがあってももちろんいいが、新書の魅力のひとつはいい意味での「お手軽さ&わかりやすさ」にあると思う。おもしろく読めればもっといい。本書はその両方を兼ねそなえていて、著者の努力と才能が光る一冊だ。

建国以来、変わり続けてきた民主党と共和党の対立軸を、表を使ってわかりやすくレクチャーしてくれる第4章がいい。
それから、「民主党的なカルチャー」と「共和党的なカルチャー」というキーワードを、映画やテレビドラマ、スポーツから諜報活動に至るまで対比的に適用することで、民主党的なるものと共和党的なるものの違いをあぶりだそうとする手腕が鮮やかだ。ただし、そこには、ある種の飛躍のし過ぎといった「あやうさ」も看取できるのだが、著者もそれはおわかりでいらっしゃるのだろう。単純な決めつけは非常に危険であると、「はじめに」でたづなを締めてくれている。

それでも、たづなが緩んでいるところがあるので、以下ではそれを一点指摘し、補足もひとつしてみたい。

1.
《ブッシュ政権の軍事行動は、あくまでテロ撲滅のためであって、反共や人権といった大義を広める「民主党型の十字軍」ではない。また国連の枠組みを無視して、敵か味方かという峻別を行って「ついてこられる国だけでの有志連合」で事態に対処するという姿勢には、まだまだ孤立主義の匂いが残っている。》

「ブッシュ政権の軍事行動は、あくまでテロ撲滅のため」はいただけない。もっと複合的な要因が働いていると見るべきだ。それは、対象地域によっては資源確保の動機もあるだろうし、イスラエルとの関係も指摘される。また、アメリカ流の「民主主義」や「人権」を輸出しようとする動きは、共和党を支える保守派のなかにも見られるのだ。ネオコンのなかにもいる。

〈〈 三つには、人権とか民主主義を追求して、必要ならば力をもって体制転換を図る、という考えは、イラク攻撃ののちのヴィジョンを与えるものであった。そしてこのことは、ブッシュ(子)大統領の2003年2月、イラク攻撃の1ヶ月前のAEI主催の演説に如実にあらわれている。すなわち、その演説でブッシュ(子)大統領は、イラク攻撃の目的をイラクの民主化にあると位置付けたのである。 〉〉
『「帝国」の国際政治学』第2章「ネオコンの思想と行動--国際政治の観点から」より。

2.
《その一方で、日本が伝統的に苦手にしていた民主党カルチャーとの交流については、実はあまり心配しなくてもよいのではないか、とも思える。それは、昨今アメリカで根強いブームになっている「クールジャパン」こと日本のカルチャーがあるからだ。現在オバマの民主党を支持している三十代以下の若年層というのは、完全に「ポケモン世代」であり「マリオ世代」なのである。単にアニメやゲームに染まった世代というだけではなく、ディズニーの勧善懲悪二元論文化に退屈して、日本のカルチャーの持つ価値相対主義や自然との調和を強く支持する層だとも言える。》

あまり心配しなくてもいいのであれば、うれしい話だ。
ただ、「自然との調和」ということならアメリカにも少数派とはいえ長い伝統がある(『アメリカの環境保護運動』)。環境保護グループの多くは「ニュー・ポリティクス」派の一角を占め、現代においては民主党に対しても影響力がある。
また、アメリカン・リベラルにも価値相対主義的な発想はもともとある。それがあるから、同性愛や中絶にも比較的寛容なのだし、反共色の濃い保守派から「容共」などといわれることもあるのだろう。
「クールジャパン」の影響を否定はしないが、それだけではないという補足をしてみた次第だ。

一部、異論を述べたが、基本的には広くおすすめしたい好著であると思う。

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経済的自由主義との対決

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著者によると、本書はブッシュ政権の政策を思い切って批判する内容になっている。その動機は、アメリカを愛するがゆえに、現在のアメリカが従来のすばらしさを失いつつあること憂える気持ちが背後にあるのだという。
「思い切って」という表現にひっかかりを覚えたのだが、これは「研究者としてはかなり踏みこんでみた」という意味あいに解釈することにした。基本は、ブッシュ政権の政策と経済的自由主義について実証的に研究した本である。

著者のポジションは、政府の所得分配機能の役割を重視するもので、「大きな政府」をもたらした病弊として簡単にかたづけるわけにはいかない現代的な意味をもっているのだという。単純に「大きな政府」を志向しているのではなく、現代的なセーフティネットを拡充した「安心を与える政府」のもとでの「責任ある個人」の確立が持論である。
この方向に逆行しようとする経済的自由主義のいきすぎが、批判のターゲットとなる。つまりは「小さな政府」批判だ。

さて、ここで「小さな政府」の定義についてごく簡単に考えてみたい。まず、厳密にして明確な定義はむずかしい。政府の権能を、厳格に「夜警」に限定するものを最小もしくは極小政府と呼ぶとするなら、そこから「大きな政府」にいたる直線上のどのあたりまでを占めるのか。これは人によって異なるものであり、けっきょくは「大きな政府」に対する相対的な観念として把握するものなのだろう。

「小さな政府」といえばレーガノミックスだが、レーガン政権にかかわったブルース・バートレットによれば、ブッシュはレーガンというよりもニクソンに似ているそうだ。著者はこの見方を知ったあとでも、ブッシュはレーガンを模倣した大統領だという印象を変えない。
減税、国防、福祉、最低賃金などついてのブッシュ政権の政策がそのことを示す代表例であり、各章で詳しく論じられる。

たとえば租税政策においては、1.資産課税は望ましくないという態度、2.ケネディ期やレーガン期に比べて半減した最高所得税率を、さらに引き下げようとする姿勢、3.ブッシュ政権はすでに小さくなった政府をいっそう「小さな政府」に導こうとしている、などをあげている。
また、富裕層が潤えばそのしずくが下層にもとどくとされる、トリクルダウン理論が機能しないことも指摘している。

できれば、先に紹介した『G・W・ブッシュ政権の経済政策』との併読をおすすめしたい。重複しているテーマもあるが、より「公平」にブッシュ政権の経済政策を俯瞰できると思う。

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紙の本Interactive憲法

2008/12/05 21:46

芸の力

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長谷部氏の「憲法解釈は芸である」は、なかなかの名言だと思うのだけれど、これに対しては批判もなされている。たしかに、受けとりようによっては首を傾げたくなる人もでてくるのだろう。

しかし、ここでの芸とは、いわゆる文芸ではないし人を楽しませるだけの性質のものでもない。理解しやすくするための説明テクニックとしての芸でもない。人びとを納得させるだけの、緻密でしっかりとした理論を構築することのできる力としての芸なのだと思う。そして、長谷部氏は虚に吠えている放言家とはまったく違う。学問的蓄積をともなった経験に裏打ちされた、強力な論陣を張れるだけの芸の力をもっておられると思う。

ところで、本書で長谷部氏は「楽しませるための」演出としての芸事にもチャレンジしている。全編を対話形式の寸劇ふうに仕立てている。
主人公は架空のB助教授。彼女は勝ち気な性格で、皮肉っぽい。グルメである。もしかしたら、著者自身の人物像を投影しているのかもしれないな。
このB助教授と同級生、同期生、後輩、同僚らが丁々発止のやりとりを重ねる。霊媒師がからんでくることもある。口の達者な人ばかりで、みなさん法律談義が好きだ(あたりまえか)。
B助教授のかつての指導教員として長谷部恭男氏も顔をだす。B助教授のドッペルベンガーかと思った(ウソ)。
おっと忘れちゃいけない。B助教授の父親も重要なキャラクターだ。彼のおちゃめな性格が、堅い法律論のこりをほぐしてくれる。まじめいっぽうの娘と好対照だ。

シナリオについては、なかでもラジオ局のスタジオを舞台にしている回がおもしろかった。全体としては回によってばらつきはあるが、おおむねよく練られていて余芸とは思えないできだ。法学者にしては(なんていっては失礼だが)、という留保つきではあるが・・・。

肝心のなかみ、議論の内容については、ひねりの効いたものもあればスタンダードに攻めてくるものもある。かならずしもスカッとした結論がでるわけではないが、人生も法律論もえてして苦い果実なのである(なんのこっちゃ)。
長谷部アートは健在といったところだろう。

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紙の本現代政治理論

2007/07/03 19:37

邦語、最良の入門書

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有斐閣のアルマシリーズは、学生向けの教科書として良質なものが多い(非学生にもお勧めしたい)が、本書もその一つだ。
用語的には政治理論は=政治哲学と同じものとして使われることもあるが、前者を名乗っているのは、「哲学」のイメージには収まらない経験的な学問とも接点が多いから、とのことだ。
その現代の政治理論の中から、リベラル・デモクラシーに関わる主要なものを紹介している。体系的な構成をとり歴史的議論にも配慮しながら、テーマに沿う形で各理論を布置し、その概要について簡潔な解説が施される。文章は練られていて、読みやすい。

キムリッカの『現代政治理論』を読まれる前に、こちらに目を通しておかれることをお勧めしたい。あちらは単独でよくあそこまでカバーしているものだと感心するが、フーコーやダールについては、直接的には言及していない。本書は彼らも取り上げている。
複数執筆制により、幅広い視野が得られるという利点が生きている。そうなると往々にして損なわれがちなのが統一感だが、本書はある方だ。編者の功績だろう。キムリッカ版と比べると、より教科書としての性格に忠実であり、著者自身の主張は抑え気味である。
紹介されるのは欧米の政治理論が中心になっている。それなら(語学力のある人は)原書や、あるいは翻訳物から捜せばいいという考えもあるだろう。だが、出来の悪い翻訳物も多い。特に私のような一般読者にとっては、日本の研究者による良質の解説書は、翻訳物をよく理解するための手引きとしてもありがたい存在だ。

内容は、前半(1〜6章)では比較的古典的なテーマを扱うが、後半(7〜11章)でより新しい現代的な理論に取り組む。
より新しい理論とは、ネーションとナショナリズムの問題、多文化主義、フェミニズムと政治理論との関係、公共圏とデモクラシーの関係、現代の市民社会論、討議デモクラシーとラディカル・デモクラシー、グローバリゼーションとデモクラシー及びリベラリズムとの関係・・・・・・などの、まさに喫緊の課題とクロスしている理論群である。
人名的には、ロック、ホッブス、ミルなども登場するが、それ以降の理論家に比重がかけられている。アレント、フーコー、ハーバーマス、ダール、ロールズ、ドゥウォーキンなどの著名どころが中心だが、ムフ、ヤング、ヘルド、ウォルツアー、パットナム、その他にも照明を当てている。
こうした現代的な理論を、一望に見渡すことができる。よく整理されているので、中級者にとっても活用できると思う。

ところで、日本の政治学では、政治の規範的・理念的要素についての研究は、主に政治思想史が担ってきたそうである。政治思想史が歴史研究的な性格を強める中で、政治理論を独立的に研究することが盛んになってきたそうだ。
そのように、分けて学ぶ意義はどこにあるのだろうか。それは、《現在、私達が直面しているさまざまな政治課題のどれ一つを取っても、それらは具体的な制度や政策の問題であると同時に、価値や規範にかかわる問題を含んでいる。》からである。

望ましい価値や規範が何かは、論者によって異なる。しかし、多くの理論に共通して内在しているもの、それは、自由を基本としながらも、もっと「公正で民主的」な世界を作りたいという切実な希求の意志だ。
そのような政治理論は、複雑な現代社会が抱える数々のアクチュアルな問題群に対して、どのように応用できるだろうか。現実との懸隔が大きいものもあるだろうが、さまざまな政治理論を比較検討することで、より良い「課題解決」への方向性を探ることができるだろう。そのための道案内としても、本書は役に立つ。

邦語による、現代の政治理論の入門書としては最良のものの一つだろう。

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