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  3. RinMusicさんのレビュー一覧

RinMusicさんのレビュー一覧

投稿者:RinMusic

55 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本信長と秀吉と家康

2005/12/20 13:10

三雄の系譜

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 戦国の時代、名将が全国に割拠していた。今川、斉藤、朝倉、浅井、武田、上杉、毛利、北条…それぞれに才覚の差異はあれども、天下を狙うに十分な名家だった。しかし、時代のスポットライトを受けて舞台に乗せられたのは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康だった。天下統一の構図はこの三者にわたることになる。では、古典的な名将になくてこの三者にあったものは何だろうか? ここにはもはや時代の要請としか言いようのない、歴史の宿命が働いている。池波は「人間の生き死にには、何かのかたちで、後の世の人に関わりあいがあるものだ。一つの家、一つの家族の歴史にはそれがある」(p.117)と記すが、壇上に挙げられたこの三雄はまさにその系譜だった。
 まずスポットライトを当てられた信長は、安土城や南蛮服に代表される艶やかな光を発して、天下無双の輝きがあった。さらに光源を強めていくと、反射した光の先に様々な人物がくっきりと浮かび上がってきた。秀吉はその光を実にラディカルに吸収した。信長が明暗を強めるほど、秀吉の影は大きな像となっていく。この二人はまこと革命的な英雄である。池波は「人間というすばらしい生きものは、理屈では知ることのできぬ一種の力によって生きている。それは自分でも他人でも、どうすることもできぬ力なのだ」(p.115)と感嘆する。
 しかし、安土桃山時代と誉まれた栄華もまもなく、血によって洗い流されることになる。バブル時代は長く続かない、それ故に家康は「鳴くまで」待っていたのだ。家康は六つの時から国のため家のために人質に出され、生きるために愛した長男・三郎信康を切腹させ、ひたすら時の権力者の礎として苦渋の人生に耐えてきた。家康は月見草、まさに夜咲く花である。天下掌握目前にして、家康は秀忠に家督を譲って院政に切り替える。信長、秀吉、家康と続く三代の活写の中で見えてくるのは、目映い英雄の光よりむしろ、70年余にわたる夜の歴史である。池波はそのように、歴史をヴィヴィッドに描き上げる作家であった。

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紙の本戦国幻想曲

2005/12/19 13:24

勘兵衛という幻想曲

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ここに戦国という時代を生き抜いた一人の男の生涯が記されている。主人公は「槍の勘兵衛」こと、渡辺勘兵衛である。勘兵衛は英雄でなければ、名を残した大名でもなかった。むしろ禄を育むために奉公先を転々とした駒である。客観的事実はそうである。
 しかし池波が描いた勘兵衛は実に有為転生の人生で、己の槍を唯一の頼みとした勘兵衛の愚直さが、全篇を貫いている。戦場で織田信忠をふと助けたことから、信忠の言葉を信じて身を用いられることを待ち続けるが、本能寺の変でそれは永遠の「面影」となってしまう。勘兵衛が求める生き方は英雄になることではなかった。池波は「一人の英雄の死は、その英雄の所有していたもののすべてが死ぬことなのである」(p.332)という決め台詞を用意しているが、まさにそのような英雄に仕えてみたかった男である。勘兵衛が仕えたのは中村一氏、増田長益、藤堂高虎、いずれも大大名である。にも関わらず、男の本懐を通すために、勘兵衛は子を省みず、女を捨て、放浪の人生を選んだ。不器用な勘兵衛に私たちが想いを寄せるのは、その不器用さに眠る熱い男気である。
 この物語では、豊臣秀吉も徳川家康もあまり重要ではない。600頁に及ぶ大作はテンポが早く、疾風のようである。だから勘兵衛はあっという間に歳を取る。勘兵衛は確かにこの物語の主要な旋律だったが、楽曲を方向づけ支配するのは伴奏である。主人であり、妻女・於すめであり、子たちであろう。音楽においてテンポを決定し楽曲の雰囲気を形成するのが伴奏であり、メロディはその上で漂流する凧のようなものである。そうしたファンタジー(幻想曲)の中で一つの凧のように生きたのが、まさに勘兵衛だった。その凧はよく飛んだ。勘兵衛の見た幻想(人生)はぼかされたものではなく、一つ一つのシーンが実にヴィヴィッドだった。あまりに多くの出来事が起こったが、最後には静謐だけが残された。ちょうど勘兵衛が人生を終える頃、戦国の時代が終焉していたということもあるが、糸が切れた凧を想えばなるほどと思う結びである。いつでも「幻想」とは静寂(しじま)の人生物語なのである。

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音楽について書くために

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 音楽はいつも理想郷にあり、音楽に触れることはあたかも夢世界にいるかのようでもある。だから音楽について語る(演奏を含めて)ことは本来楽しいことである。多くの音楽回想集が出版されているし、インターネット上でも自由闊達にその楽しさを謳歌している人々が多いようである。
 私たちは音楽に限らず、論理的に整合性を持った文章を書くことを苦手としている。論文重視を掲げるフランスの教育で求められる論理的展開力は、当然のことながら曖昧な言い回しを避けて、正確かつ直接的な表現を取らざるを得ない。この点で日本人の表現方法と対照的である。音楽について語られる言葉は、ほとんどの場合が個人的体験に基づく感想である。本来ならば音楽とは心に問いかけるものだから、それでいいはずなのだ。しかし、音楽は同時に学問でもある。つまり音楽が「音楽学」となる瞬間、学問としてのルールを問われることは不可避である。演奏にもルールが存在するように、論文にも多くの制約が発生するのはやむを得ない。
 本書は音楽を学問として扱う際の文章術を教えてくれる。書く以上は説得力を持った文章を目指したい。他にも音楽文章術を扱った本はあるが、基本的なところでは大同小異である。あとはひたすら書いていくことで学ぶしかないのであろう。

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紙の本イタリア・都市の歩き方

2005/09/22 23:01

映画評論家の見つめたイタリア、ますますイタリアの魅力が溶け出る一冊

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

<空はいつも青く澄みわたり、太陽は明るく、日々は何の迷いもない。そんなイタリアがかき消えて、欺瞞と暴力と空虚が支配する国へと変貌する。たとえばファシズム。たとえばローマ。たとえばキリスト教>(p.214)—イタリアは本当に不思議な国だ。何度となく来ては嫌な思いも味わったが、帰る時はいつも後悔などまったくない。一体何に魅了されてしまうのか、あるいは騙されてしまうのか? イタリアはやはり何度も訪れてみるべき国なのだ。何度も訪れたからといって、イタリアを、もしくはそれぞれの都市を理解できる訳ではないが、少なくても共感することへの近道にはなるだろう。フランスには魅力ある街が点在するが、やっぱりパリが圧倒的存在である。その点でイタリアは難しい。ローマ贔屓の私でも、トスカーナを廻ればフィレンツェの香り高い華やぎにうっとりし、ミラノに出れば活き活きした躍動感が心地よくなる。ナポリでは怖い思いをしながらも、山上からの眺望ですべてを投げ出したくなるし、プーリアの海岸都市はいずれも白と青のコントラストが心身を麻痺させる。しかし、異邦人が感じるイタリアの楽天主義的な魅力は決してイタリアの現実を照らしているとは言い切れない。イタリアが持つ魅力は計り知れないが、同時にその歴史は深い暗闇の連続でもある。
この筆者は映画評論家で、イタリア映画に関してまさにスペシャリストのようである。イタリアに限らず、映画というのは登場人物の表情(台詞を含めて)と舞台のセッティングが強く印象づける。光と闇の空間で揺らめく波長だけに依存する音楽とは異なる点である。これは人生の失態だと読後に思ったことだが、私は残念ながら本書で取り上げられる映画のほとんどを観たことがない。しかし、もしこれらの映画を観ていたとしても、ヒーローやヒロインが大都市を舞台にロマンスを演じている、そのことへの興味にとどまったかもしれない。本書のインパクトは、イタリア映画への深い造詣と愛情から、現代を含めたイタリアの歴史を鋭く洞見している点ではないだろうか? ここで扱われているイタリア映画の背景は、リソルジメント(イタリア統一運動)であり、ファシズムであり、貧困である。つまり魅力というのはいつも光の中からのみ生まれるものではない、そのことを雄弁にフィルムをもって語らしめている。時には映画監督の生い立ちを検証することで、作品の真髄を解こうとすらしている。ここで筆者は実際の目と耳と足でイタリアを追って(いつも映画を介しながら)、その過程で、狙うことなく、イタリアの各都市の性格が融解してきている。ますますイタリアの奥深さに魅了されてしまう一冊である。

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正義を描く漫画家が伝えるメッセージ

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

福知山線で三田方面から宝塚へ、中山寺を過ぎると武庫川が断崖を削って流れている。崖からこぼれ落ちそうなほど住宅ができ、道路に車が溢れている姿は、治虫少年の知るところのものではなかったが、大きな変貌を遂げる現代日本に生きた一少年はやがて、幼少期の至高の経験を漫画の主人公に代弁させていった。(大人になるとそれを幻想として片付けてしまいがちだが)子供は夢を見るが、その夢の厳しさを時々知っている。『アドルフに告ぐ』で、ドイツ大使館の追っ手から逃れる少年アドルフは神戸から宝塚を越えて有馬温泉まで行く。必死の大逃行も有馬温泉で待ち伏せされて捕まるはめになるが、そこで少年アドルフはその追っ手と揉み合い橋の上から突き落とす。ここには子供なりの精一杯の“正義”がある—それは体制や社会が振りかざす“正義”とは異質の、人間としての謙虚な“正義”ではないだろうか? そう、手塚治虫という漫画家は小さな正義を描く漫画家だった。破れない壁をアトムに、治せない病をブラック・ジャックに、超自然的対象の謎に負ける写楽に、冒険させては人間的限界を教え込んでいる(そしてやがて人間的正義へと方向づける)。
私たちは万物の霊長として、その科学力を過信して奢っている損存在である。<自然や人間性を置き忘れて、ひたすら進歩のみをめざして突っ走る科学技術が、どんなに深い亀裂や歪みを社会にもたらし、差別を生み、人間や生命あるものを無残に傷つけていくかをも描いたつもりです>(p.26)と言って、手塚治虫はアトムに鉄腕という責め苦を与えた。誰もが持ちたがるアトムの力強さ、それが諸刃であることを諭している。未完の『ルートヴィヒ・B』で楽聖ベートーヴェンが大自然の奏でを彷徨として聞いているように、耳を澄ませて大自然に生きる術を聞き取ることを、手塚漫画はライフワークにしていたように思われる。—<ガキ大将といっしょに日暮れまで走りまわって遊べる幻想の王国でした>(p.13)

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紙の本墨を読む 一字ひとこと

2005/09/01 14:01

抽象を超えた抽象画としての水墨

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

水墨による抽象画、それが篠田桃紅さんの芸術。旅先の金沢でふと見た新聞記事に桃紅さんの近況が載っていたのだが、彼女が92歳になる今日なお精力的な創作活動をしていることにまず驚かされる。1960-70年代に抽象表現主義の代表的な画家としてアメリカで高い評価を確立した彼女だが、創作の抽象化への展開は戦争体験が背景になっていると言う。
本書は、彼女の傍らにある一字と、それに寄せる想いが添えられてある。ゆえに「一字ひとこと」なのだが、彼女の長い人生の中で培われてきた日本語への愛情と温もりを、墨が滲ませている。限りなく変化する濃淡が、嫋やかに、そして愁いながら走っている。<文字の造型と意味との間を、かけめぐらされる思いはいつものことながら、そして、そのいつものことの無意味さの意味を考えてしまう>(p.42)—芸術家としての自問自答の繰り返しの果ての「無用の用を為す」という芸術家としての達観、そして彼女の水墨からは自己自身への到達としての「生」の希望が感じられる。彼女が生きる過去・現在・未来の三界、そして国家や貧富を超えた「精神」としての<誰にも通じる言葉としての抽象画>(北國新聞朝刊19面、2005年8月14日)。この一冊を携えて早朝の紅富士を見た時、彼女の芸術がもはや抽象ではないことを確信した。

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紙の本河童が覗いたヨーロッパ

2005/08/31 16:51

河童的異文化コミュニケーションを見る

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

悔しいが完全降伏…。兵庫高校の大先輩にあたる妹尾河童さん、多くの憧憬とそれなりのライバル心から本書を開く。ヨーロッパ旅行に持っているそれなりの自負心が、彼の「いいわけのまえがき」を読んで一気に崩れ落ちた。文化庁による芸術家派遣研修での一年間をまとめた「河童的メモ」、それは宿泊した部屋の詳細なスケッチと味のある丸字で書かれた添え書き。旅の経過は記されていない。だからメモなのだが、瞬間瞬間で見てきたものが写真ではなくスケッチを通すと、これほどに動きがあるものかと驚かされる。そして、どうでもいいところまでこだわりを見せるのが河童的でもある。ヨーロッパ各国の車掌の服装や動作のスケッチなど、彼が言う<ガラクタのコレクション>の域を超えている。
しかし、彼がこのメモで記しているものは単なる「地球の歩き方」シリーズではない。<日本人同士のように“相手もこっちのことを察してくれるはず”とか“ふくみ”などといった、微妙なものの考えかたや、甘えの構造などはないわけだから>(p.19)と、価値観の根本的な違いをまず甘受することを促している。そこが彼の異文化コミュニケーションの出発点である。そして彼がヨーロッパ各国言語がすべて操れた訳ではないのだろうが、彼のバイノマルチ・リンガリズムぶりがコミュニケーションを成立させている。すべての言語的技能が集結する言語学的レパートリーを作り上げる一つの手段が、彼の旅行スタイルの内にあって、このメモ集に収められているものなのかもしれない。地球人は互いに異なる文化背景を持ち、彼らとは共生のうちにある。習慣や価値観の違いに萎縮しながら旅行するのではなく、郷に入って旅の恥はかき捨てることで見えてくる異文化コミュニケーションのあり方、その一例がガラクタのように詰まっている一冊。

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モーツァルトとの関わり方において

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ジュリアード音楽院のピアノ科主任教授ヨセフ・ブロッホによる楽曲分析シリーズの一冊。第一章はモーツァルトの生涯におけるピアノソナタの作曲過程、第二章は彼のピアノソナタにおける音楽形式、第三章は各ピアノソナタの分析に充てられている。本書を一読すれば、モーツァルトが「ソナタ」に開いた形式というのは、実に平易なものであることに気づく。著者は大きく九種類の形式に分類し、<ソナタ形式の原則は調性の関係に基づく>という見解も添えている。
しかし、形式の分析がモーツァルトの天才さを語る決定打にはまったくなり得ない。エドウィン・フィッシャーは<「こころで感じとる」…これこそモーツァルトの音楽世界の核心に通ずるかくれた扉をひらく合言葉だ。だが、「感じとる」こと、つまり体験というものは、一朝一夕にして成熟するものではない。だからわれわれは、われわれの誰でもがよく似た過程を繰りかえすところの或る種の成長の終結点に到達して、ようやくモーツァルトを真に理解しうるに至るのである>(『音楽を愛する友へ』p.42)と言っているが、では私たちのモーツァルト理解に至る過程での共通要素は何なのかを考える。モーツァルトの音楽は、聖書を読むこととプロセスが似ている。つまり、聖なる物としての物質を離れた反照、その「簡素美」(著者ブロッホの言うところの形式の簡素さ)が音楽の三要素(旋律、和声、拍節)の躍動の中に描き出されて、色合いや私たちの印象の変化を通して、精神的な論理の中で展開される。技術と機械化の発達を遂げた今日、モーツァルトを楽曲様式の展開で、その天才を説明してしまおうという嫌いがある(故に、あまりにも多くの書物が氾濫している)。学習者にとって形式の把握は絶対的だが、論理や形式が精神を先行するモーツァルト音楽は、翼をもがれた予言の天使に過ぎない。モーツァルトの簡素さの中には、実に説明できない多くの謎が潜んでいる。それを完全に解明することはできないし、無理な解明は悲惨な脱線を呼び起こす危険性も孕んでいる。そのことを肝に銘じて、モーツァルトとよい友人にならなければならないと思う。

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南部州を知るきっかけを与えてくれる彼女に続け!

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

思い出す旅のシーンがある—プーリア州のバルレッタにいた時。ローマやナポリのような(あるいは州都バーリでもいい)大きな街には見られない人間模様が浮き彫りになる。昼休みが長いのはラテン諸国に共通だが、まったく店が開いていないということはさすがに都会では考えられない。しかし、まず私たちはそこでランチをどうしたらいいか途方にくれてしまう。小さな街ではカフェでパニーニをつまむ程度しか選択肢がなく、ピッツェリアやトラットリアが空いていることはごく稀なこと。滞在中はとにかく昼休みが来るのを怖れていた。そして休み明けの始業の鈍さ、建物の前で待ちぼうけを喰らっていると、フィアットの小さな車(プント)をチョロQのように走り回し、あるいはキャブで小さな街の中心を何周もする。そして女性と見れば、とりあえず声を掛けるのだ。日焼け色と濃い髭がエキゾチックなワイルドさを発揮していて、それが南イタリア男性の魅力なのかもしれない。やはりこの一帯で日本人が長期滞在するのは珍しかったらしく、突然声を掛けられた爺さんからは、日独伊三国同盟の正当性や日本への憐憫の情を投げかけられたこともある。著者タカコさんも指摘のように、南部州まで旅する日本人は確かに少ない故に、語られることのない南イタリア人の素顔を知る機会も少ない。
このシリーズはさくさく読める旅行記だから、「私でも…」という前向きさを与えてくれる。またヨーロッパではもはや日常となった格安航空会社の活用法など、そのあたりも人気の秘密かもしれない。しかし、南イタリアを語る上では表層的な部分が多いのは残念だ。南イタリアの“陽”の部分が強調されすぎて、歴史や風土が集約されている“陰”の部分がまったく抜けている。「イタリアは南が楽しい!」というタイトル上、やむを得ないのかもしれないが、旅行するということはその両面を感じながら、その土地ごとの風土感を体験していくものではないかと個人的には思う。かつて深刻だった南北格差も、南部州の観光事業強化(本書で紹介されているアグリツーリズモなど)によって少しずつ私たちにも身近なところになりつつある。バーリや世界遺産に登録されているアルベロベッロだけでなく、バルレッタやトラーニやモルフェッタなどでふらっと電車を降りてみれば、海岸に走る白い城壁と棕櫚の濃いエキゾシズムが私たちを迎えてくれる。この一冊が私たちの背中をポンと押してくれることは確かだ。

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ピアノを弾く手の障害についての有意義な検証

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は月刊『ムジカノーヴァ』に連載されていた「ピアニストの手の障害とピアノ奏法」に基づいている。多くのピアニストの手の障害を治療してきた経験から、その原因がピアノ奏法と直接関わっていて、<それは単に不合理な弾き方が手を痛めやすいという事実にとどまらず、ピアノ奏法の研究そのものが手の障害から出発したという歴史を持って>いることを明かしている。ショパンやリストをはじめとするいわゆるロマン派の作曲家たちが、演奏者に極めて高度なテクニックを要求する作品を書くようになったことにより、職業ピアニストに課せられた訓練は途方もないものとなった。様々なエチュードが作られるようになったのと同時に、フィンガー・トレーニングや指の訓練専門の器械が出現するようになった。ここで私たちはすぐにシューマンの悲劇を思い出す(しかし著者は、シューマンの右手の障害は後骨間神経症痺であり、訓練器具のせいではないと記している)。ここ最近では、「フィンガーウェイツ」という指の筋力トレーニング器具がブームとなっているが、万人にとっての魔法の指輪ではなり得ない以上、第二の幼いシューマンが生み出されることを危惧してやまない。
本書で興味深いのは第7章「ホロヴィッツの不思議な奏法」である。ホロヴィッツに師事したアルバート・ロトーの証言を交えて、ホロヴィッツの特異な奏法について分析を加えており、考察としてはある一定の成功を見ている。但し著者はその考察によって、ホロヴィッツ奏法が確かに独特に見えるもの(しかし、だからと言って「不思議な奏法」なのだろうか?)だが、その実は非常にオーセンティックなものであるということを証明していることに気づくべきである。また、p.83に始まるホロヴィッツ奏法の「派(エコール)」上との相関を探るのは、19世紀終わり約30年間に見られる各エコール出現と系譜のその後を見れば、不要であるように思われるのだが如何だろうか? しかしながら、手の障害とピアノ奏法理論の関わりを示しているものとして、今後の発展が期待できる一冊である。

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耳が喜ぶために、そのペダリング要覧

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著書はカール・ウルリッヒ・シュナーベル、20世紀音楽史に燦然と輝いたピアニスト、アルトゥール・シュナーベルの息子である。本書はダンパー・ペダルの技法について、体系立てられた解説がなされている。ペダリングについては多くのピアニストが言葉を残しているが、ショパンは「ペダルは音楽の魂である」と呼び、ダンパー・ペダルを通常とは異なる使い方で操り、多くの創作的な音楽上の効果を生み出した最初のピアニストだった。ショパンが作品の中でペダリングに神経質だったことは、彼のオリジナル譜に書き込まれている多くの印や、弟子たちの証言(『弟子から見たショパン そのピアノ教育法と演奏美学』)で詳細を読むことができる)からも明らかである。著者は<大ピアニストの中にさえ、そのペダル・テクニックを聴覚のみに頼って発達させている例がある。たしかに耳は最終的な審判者でなければならない>(p.9)という序文に引き続いて、多彩なペダリングとその効果、実例を添えて平明にまとめており、ピアニストたちに有益なものであろう。ペダリングの難しさは、各々のピアノによってアクションが異なる点で、筆者もそれ故に「耳」を以って修得することを述べている。私の師であるフラ塔XEクリダ女史の「ピアニストは四本の手を持っている」という言葉は、ペダリングの奥義の深さを象徴しており、それを探求するために「耳が喜ぶように」と添えるのが常である。本書でのペダリングはその種類に限定されており、ソステヌート・ペダルについての言及は避けられている。またペダルの踏み方についての基礎については、ファニー・ウォーターマンの『若きピアニストへ ピアノ指導と演奏について』(p.36-39)が参照箇所として相応しい。

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ショパンのノクターンをよりよく知るために

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ジュリアード音楽院のピアノ科主任教授ヨセフ・ブロッホによる楽曲分析シリーズの一冊。第一章は「ノクターン」についての一般的背景、第二章は各々のノクターンについてアナリーゼが実施されている。ショパンにおけるノクターンは耳当たりの良さから、その重要性はしばしば軽視されがちだが、本書では「ノクターン」の創始者とも言うべきフィールドから充分解説することで、ショパネスクの魅力を分析することに成功している。ショパンのベル・カント好きはよく知られていることだが、フィールドもまたイタリア歌劇を愛した一人だった。ヴィルトゥオジテからはほど遠いショパンのノクターンだが、ここで見られる旋律美と価値はショパン音楽の真髄の一つであることは言うまでもない。例えば、弦楽器では弓の交替や移弦が、管楽器では息の吹き込みやフィンガリングが、音楽上で無限の息を作り出すことを妨げている。ショパンは内容豊かなリズム法(三連音、五連音、七連音など)を巧みに用いて、他楽器で見られるこうした問題をまず解決し、長いフレージングを生み出すことに細心の注意を払った。—<メトロノーム・マークは実際には1小節2拍で流れていくことを示しているのです>(p.22) このようにショパンがロマン的な特徴を常に浮揚させてきたことを、これらのノクターンから見ることができる。パウル・ローレンツは『ピアニストの歴史 三世紀のピアノ奏法の変遷と巨匠たち』の中で、「ショパンの一回性」という言葉を用い、<ショパンを彼以前のピアニストと同様の作曲しながらの器楽芸術家とみなしてはならず、その作品は世界的価値ある演奏しながらの作曲家としての彼の賜物なのであり、ピアノ音楽の大作曲家と同等とさせているのである>(『ピアニストの歴史』p.51)と解いているが、まさにこのノクターンを演奏する手引きでは、その実践のハウ・トゥーが示されている。

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芸術性を解く困難を避けてはならない

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ピアノ音楽界でファニー・ウォーターマンの功績を知らないものはおそらくいないだろう。女史は最も成功したプロフェッサーとして、今日なお影響力を持ち続けてきている。本書には教育者としての助言が多く寄せられており、まず序章で、音楽の勉強における三つの重要な要素を示している—(1)職人芸の勉強、(2)音楽家としての勉強、(3)芸術家になること。
職人芸、つまり演奏技術については他にも多くの指南書を読むことができるが、ここで書かれていることは大筋で合意できるものばかりである。彼らに共通している重要事項とはタッチとペダリングについてだが、<技巧はまず音作りから始まります>(p.19)という女史のメッセージはとても意義深い。全篇を通して意識的に用いている<触感>という言葉は、例えば暗譜と指使いの関係において記されているが、演奏家が「考える身体」であるという前提に立っていることを示している。しかし、であるならば、本書はやや舌足らずである。女史は芸術性について、<生まれながらに備わっている天賦のもので、教えられるものではなく、刺激をうけて発揮されるものだ>(p.11)として、トスカニーニの演奏を評した<決定的魔術>という言葉を借用している。この触感が魔術に至るプロセスこそ、芸術性を獲得するためのヒントになるはずなのだが、ここではそれ以上語られることはない。魔術には必ず種がある。確かに芸術性とは複雑なプロセスによって形成されており、インスタントな到達は無理である。芸術性とは真っ白なキャンバスの上に塗られていくもので、そのテクニックは楽譜と技術を有機的に分析することで始められなければならない。教育者が教えることを放棄するような誤解をメッセージとして発することだけは避けるべきだと思われる。

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紙の本悲しき熱帯

2005/05/27 18:58

悲しさの現実(私たちが直面しなければならないもの)

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

旧陸軍第30師団の元日本兵と見られる男性二人の生存が確認されたというニュース、発見されたのはフィリピン・ミンダナオ島である。戦後60年、彼らはすでに90歳代を目前にしている。YOMIURI ONLINEによると、彼らは<「日本に帰ると、軍法会議にかけられて銃殺されるのでは」と帰国はおろか、名前を明かすことも拒んだ>という。このニュースが伝える悲しさは、まず言葉にはならない。彼らはもちろん日本に帰国することになるだろうが、すべてが機械化された街、西洋人のようなファッション、横文字が並ぶストリート、あまりに変わり果てた現代日本に帰還して彼らは「救われた」と言えるのか、もしくは「救われる」のだろうか? 彼らに襲いかかるであろう虚脱感を探るのは想像の範囲をあまりに超えていて、茶色に焦げ付き骨と皮だけになっている彼らの姿を私たちが最初に迎える時、彼らと私たちの間に存在するギャップにどう立ち向かえばいいのだろう。花束の贈呈だけは止してほしい…。
私がこの本を読んだところで、彼らの「悲しさ」を知ることなどできない。おそらく彼らは「悲しさ」を感じる前に自分を「喪失」してしまうように思われる(歴史は時々考えられないほど無情になる)。村上龍はここで熱帯での戦争を描いている訳ではない。人間が人間として「在る」ための小さな正義を問うて、小さな物語を残しているだけである。彼の小説からは不思議な温度が伝わってきて、それがおそらく「悲しさ」のカタチだろう。しかし彼は結論を放棄している。現実が小説と異なる点は、事実から逃げることができないことにある。旧日本兵は現実として「在る」。旧日本兵たちの心からは何も伝わってこないだろう。もちろん彼らの「熱帯の悲しさ」など私たちに理解できようもないが、<もう、美しい海の表面は、絵葉書の中にしかない>(p.50)と村上が代弁してくれていることだけは事実なのだろう。彼らがジャングルから日本に持ち帰ってくる「悲しさ」は、永遠に理解することができないのだろう。戦争というものは重いものを残す。戦争は勝敗問わず、皆が本当に傷つくものである。日本人にとっての熱帯はそういう舞台(記憶)だった。

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紙の本イタリア遺聞

2005/05/22 06:14

イタリアに来て読みたい一冊

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ローマの中心と銘打たれているのはヴェネツィア広場である。広いローマの心臓を名乗るほどのヴェネツィア、残念ながら私はまだ訪れていないが、イタリアの長い歴史においてまさしく水平線上に雲一つない時代を謳歌し、地中海世界を庭としていたこともある。このエッセイはヴェネツィアの盛衰、むしろ斜陽の中にある種のノスタルジーを持って書かれているような印象をまず受ける。フィレンツェでメディチ家(ルネサンス期)の華ある歴史が、権謀と暗殺で塗られたものと知ったが、ヴェネツィアは諜報というのがどうやら大きなキーワードとなっているようだ。そして塩野女史も諜報員のごとく、このエッセイでオスマン帝国の後宮を生々しく描いている。
歴史を描く女流作家を挙げよと言われると、知るところだけでも五指に余る名前が浮かぶが、やはり塩野女史はその中でも異色であろう。女流作家は女を描きたがる。そして女の性を語りたがる。それはそれでよいことだが、歴史を表で動かしているのは常に男であり、男をうまく描けていない物語は、どことなく力と動きに乏しく、雄々しい臨場感に欠いてしまう。海は男のロマンである。塩野女史は男を描く歴史作家である。そして私たちは女史の作品をイタリアに来て読むべきだ。例えばコーヒーのこと、ワインのこと、城塞のこと、娼婦のこと、カトリックについて、ゲットーについて、イタリアの石畳を歩けばきっと共通体験することができる。このエッセイに限っては、『海の都の物語』と併せて読まれるべし。

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