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レノンさんのレビュー一覧

投稿者:レノン

23 件中 1 件~ 15 件を表示

暴走族から見えてくるもの

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 京都の暴走族グループにアンケート調査やインタビューを行って分析を加えたエスノグラフィーだ。今でも社会学などで引用される基本文献の一つとなっている。
 同書は、チクセントミハイの「フロー」理論を駆使し、暴走行為を読み解く。当時、暴走は学歴社会から脱落した人が不満のはけ口として行うと見られていた。その画一的なものの見方に異議を唱え、別の尺度から暴走を論じている。なお、フローとは、簡単に言えば、無我夢中の状態とでもいうのだろうか。同書は、暴走の魅力についても分析していく。
 また、著者は暴走族が書物や新聞などで悪者として描かれ、報道されることが多いことについて触れ、次のように指摘する。
 「非行が少なかった(とされる)時点、例えば昭和四十年代から現在のように大幅に非行が増加した(とみえる)時点の間に、とにかく何か変化したものがあり、しかも、それがいかにも非行の発生に結びつきそうに見えれば、それは、「原因」にされてしまう」
 これは、暴走族に限らず、現在もさまざまな場面で観察することができる。特に新しいもの、流行、若者の行動などに対して、マスメディアや大人たちがとる態度に現れている。こうした態度には、自分が理解できない事柄に対する不安が見え隠れする。つまり、不安感から他者を差別し、排斥しようとするのだ。
 マスコミのセンセーショナリズムは、販売部数、視聴率を伸ばさなくてはならない株式会社にとって「必要悪」なのだろう。あるテレビ局関係者は「やらせ」を「演出」だとし、肯定した。そこにも問題はあるが、マスコミ報道を鵜呑みにし、扇情的に受け取ってしまう一般の人々に問題がないとは言いきれない。
 私は暴走行為に参加したことのある若者に触れたことがある。たしかに、暴走をはじめ、窃盗、レイプ、リンチ殺人など問題を抱えている。しかし、こうしたことは暴走族のメンバーだけでなく、窃盗する主婦もいれば、サラリーマンなど中高年による児童買春、いたずら、婦女暴行は後を絶たない。犯罪の低年齢化が叫ばれた時でさえ、データーを検証してみれば、中高年による犯罪のほうが格段に多かった。人々はこうしたことには目をつぶっておきながら、不安を解消しようと、ある何かを問題の原因だと糾弾し、安心しようとする。
 同書は、知的好奇心は与えてくれるが、読み物としてはそれほど面白いものではない。扱っている時代も、一昔前だ。しかし、同書は別の視点を持とうとしている人、調査研究の基本を学びたい人などにとっては、一読に値する。
 なお、同書には「ヤンキー・暴走族・社会人」という続編があるが、手に入れることができない。図書館か古本屋で探すしかないのだ。再製して欲しいものだ。

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人々が陥っている問題を一刀両断

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 同書は、「ひきこもり」の専門家として名を馳せている著者が放つ意欲作。現代社会に生きる人々が陥っている?罠?を明らかにし、身の回りに蔓延している「心理学化」を見つめ直している。
 医療の現場だけでなく、ベストセーラー本やハリウッド映画、ポップミュージック、会社における教育など、至る所に心理学が用いられている。こうした状況を指して、著者は「心理学化する社会」という。
 1990年代以降、私の周りにも「アダルトチルドレン」を自称し、「トラウマ」を口にする人々が増えていた。そうした人々は、心理学の用語に詳しく、自分が抱える問題点も自覚していた。しかし、一向に状況が好転しないのは、なぜなのか疑問だった。
 マーサ・スタウトは「おかしい人を見分ける心理学」の中で、「解離」が誰にでも起こることを強調している。また、子どもは「トラウマ」を生みやすいと述べている。そうであるならば、私たちは多かれ少なかれ、トラウマを抱えて生きていることになる。
 著者の斎藤氏は、トラウマブームなどが、問題を抱えて生きるという当然の前提を「過度に問題化する」と指摘する。
 同書は、こうすれば、よりよく生きることができるというような類の本ではない。誰か(何か)が?悪玉?であると糾弾するものでもない。とても微妙で難しい問題を扱っていることが、読み手に伝わってくる。心理学の定義に固執する人々に勧めたい。

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宗教学に導く良書

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 宗教学者の著者は「共生」をテーマにした宮崎駿氏のアニメ『風の谷のナウシカ』が、宗教学的示唆にあふれ、人類が抱える問題にも応えていると強調する。
 戦争で汚れた大地に“腐海”と呼ばれる毒ガスを出す森が急速に広がり、人々を震撼させる。汚れた大地の水を吸って成長し、毒ガスを排出する腐海は、負の循環しか生み出さないように見える。そうした中、主人公のナウシカは、腐海が大地の毒素を吸い上げ、汚れを浄化する役割を果たしていることに気づく。「この世に存在する全てのものに価値がある」。
 著者は、物事の両義性を受け入れる大切さを説き、負の循環をプラスに逆転する法則を説明する。アニメの世界を通し、宗教の本質に触れていく。

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臨床哲学の実践

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 「ホスピタブル」を辞書で引くと「人を親切にもてなす」とある。哲学者の著者は、そんなホスピタブルな場を巡り、「もてなす」とは何かを追求する。病院や寺に足を運ぶ一方、学校や“夜の街”、ダンススクールなども訪れ、取材を重ねる。
 医者と患者、接客する側と客……。「もてなされる」人の〈弱さ〉が、逆に「もてなす」立場にある人を癒していく。
 介護する側が、介護される人から喜びを与えられる。人の〈弱さ〉は、相手の心を揺さぶる力がある、と著者は言う。
 〈弱さ〉とは何か、〈強さ〉とは何か──著者は〈弱さ〉の持つ力について言葉を紡ぐ。

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総合学習のエッセンス

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 東京都足立区立第十一中学校の授業の一つに「よのなか」科がある。ただ単に「正解」を一方的に伝えるマニュアル型の授業ではなく、毎回、弁護士や大学教授、企業人などのゲストを迎え、自殺や差別、少年法など身近な問題を取り上げる。シミュレーション、ロールプレイング、ディベート、プレゼンテーションを通し「生きる力」を養っていく。「正解」のない問題を「失敗と試行錯誤」を繰り返しながら、子供たち自身が考える授業方法だ。
 同書は1年間にわたる授業の様子を全2巻に分けて収めたもの。活き活きと授業に臨む子供たちの姿が印象的だ。著者は民間人として初めて、東京都杉並区立中学校校長へ就任している。

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カルチュラル・スタディーズ、訳してカルスタ(CS)

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カルチュラル・スタディーズ入門 上野俊哉/毛利嘉孝 2004/3/31 bk1

 カルチュラル・スタディーズは、「文化研究」と訳します。同書は、文化研究領域における理論、実践者の仕事を紹介し、整理したものです。
 ただし、多少なりとも予備知識がないと、この本に書かれていることはさっぱりわからないでしょう。「カルチュラル・スタディーズ」という言葉は聞いていたけれどもあらためて勉強してみたいという人には不親切な内容です。なにしろ、参考文献リストもないのだから入門書としては、落第でしょう。
 しかし、ある程度の予備知識があるにもかかわらず、なんだかモヤモヤしているという人には、うってつけの入門書となることは間違いありません。
 以上は、第一章を読み始めて思ったことでしたが、他の方の書評にも似たようなことが書かれているので、一つだけ読んだ感想を綴ってみたいと思います。
 同書の内容の一部は簡単に言えば次のようになります。
 私たちの社会には、さまざまなイデオロギーや権力、支配などが働き、その結果、抑圧されている人々が確実にいます。けれど、こうしたことは普段、私たち自身気付かないでいます。しかも、イデオロギーや支配の関係は単純な図式では描けません。白人と黒人、男性と女性、健常者と障害者……。こうした二項対立はわかりやすいのですが、現実には様々な要因が取り除かれています。このような複雑な問題を、被抑圧者の声に耳を傾けながら読み解こうとする試みがカルチュラル・スタディーズなのだ、と。
 もしかしたら、カルチュラル・スタディーズはアカデミズムとジャーナリズムの中間に位置するのではないかと、ふと感じました。あえてステレオタイプなものの言い方をするならば、大学に引きこもって、海外文献を日本語に訳せば仕事をしたと思っている研究者、机上の空論ばかりまくし立てる知識人をジャーナリストは非難しがちです。一方で、理論的考察が足りず、事象を通して、問題をでっちあげる傾向が強いジャーナリストを研究者は批判します(これらのことは、私個人の友人〔研究者やジャーナリスト〕と話していて感じることであり、実際にこのような批判が存在するのか、また正しいのか、ここでは問いません)。
 カルチュラル・スタディーズは、長らく日本のアカデミズムの世界で周縁に追いやられていたと言います。しかし、現場に入り込み、一つの「科学」に囚われず、多様な理論を駆使し、論述していくスタイルは、まさにアカデミズムとジャーナリズムの間に立つものでしょう。かなり見当違いな意見を述べているかもしれませんが、その意味でも、日本におけるカルチュラル・スタディーズの今後は面白くなっていくかもしれません。
 ちなみに、吉見俊哉氏のカルチュラル・スタディーズの定義とは多少異なる印象があります。同書を読まれた方は、吉見氏の著作を、さらに理論をもっと学びたい方は、カルチュラル・スタディーズでありませんが、ドミニク・ストリナチ/渡辺潤、伊藤明己訳の「ポピュラー文化論を学ぶ人のために」がおすすめです。

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平和とは何か、考えるきっかけに

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 第二次世界大戦中、ナチスドイツが行ったユダヤ人大量虐殺のことをホロコーストと呼ぶ。六百万人ものユダヤ人が殺され、そのうち子どもが約百五十万人と言われる。
『アンネの日記』の著者である十五歳の少女、アンネ・フランクも犠牲者の一人だ。同書は惨劇の歴史をたどりながら、過ちが起こった理由を読者にわかりやすく提示。現代の日本になお、根強く残る差別といじめについても考えるきっかけを与えてくれる。

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紙の本パパーッ!

2004/04/01 14:54

怪獣はどっちか?

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 ある晩、いつものようにベッドにもぐりうとうとしていると、隣には怪獣の子どもが……。「パパー!」。2人(匹)の子どもはパパに助けを求めるというストーリーで始まります。
 人間の子どもにとっては、怪獣の子どもは「怪獣」。これはまあ、当然ですね。でも、怪獣の子どもにとっては、人間の子どもが「怪獣」として描かれます。2人の「怪獣」がかわいくてたまりません。でも、この絵本には困ったこともあるんです。
 「ねえ、怪獣ってどっちなの?」
 絵本を読み聞かせた子どもに、こう質問されて、私は困っちゃいました。どうして困るかというと、どちらが怪獣かは、立場や環境などによって異なるからです。言ってみれば、国境や差別の問題を考えるきっかけになる絵本でもあります。
 2人の登場人物を白人と黒人にすり替えてみたら、この絵本の持つ魅力がわかるでしょう。今だったら、アメリカとイラクのほうが分かりやすいでしょうか。私たちは、自分と他人、日本人と韓国人、宗教をもつ、もたない、進学校(いい学校)、底辺校(わるい学校)など、さまざまな違いをあげつらって境界線を引きます。
 時には、相手を見下し、無意識に差別しています。私たちの誰もが、自己の内に境界線をもって生きているという現実がある以上、それは非難されることばかりではないでしょう。でも、そのことに無自覚で、自分は平等主義者だと言ってしまう人は多いのです。そうした人はやっかいです。なぜなら、無自覚に他人を差別しているから、それを指摘されても聞く耳を持たない傾向があるからです。そして、自分は素晴らしい人格者であると思っている……。
 自分が抱える矛盾を見つめ、揺れ動きながらも、常に内省できる人に私はなりたいと思うのですが、また、それもなかなか難しいと思う今日この頃です。

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紙の本ぼく、このままでいい?

2004/03/15 14:44

哲学的示唆に溢れた児童書

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 知的障害を持つターくんは、自分の考えをうまく言葉に表すことができない。そのことで、いつもつらい思いを味わってきた。
 誰かが塀に書いた落書きも地域の人たちから犯人扱いされる。学校に行く途中、道に迷っても人に尋ねることができない。
 同書はターくんと家族が試行錯誤を繰り返し、共に成長していく過程がターくんの言葉で綴られている。障害者に対する地域の人々の偏見をやわらげるため、交番や地域の人々とのコミュニケーションを心掛ける家族の姿が印象的だ。
 障害とは、自立とは、生きるとは、家族とは……。同書は、いのちの根源を読者に問いかけ、ありのままを受け入れることの大切さを強調する。

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チベットの魅力が満載

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 標高四千から五千メートル級を誇る山岳地帯、ヒマラヤ──。「世界の屋根」と呼ばれるこの山脈の一角にチベットはある。そこに住む人々が放ついのちの輝きを写真家である著者が一枚一枚の写真に収めた。
 強い日差しに焼かれた肌と顔に刻まれた深いしわ、鋭い眼光の中にかいま見る温かな眼差しは、大自然の厳しさと優しさを映し出す。
 仏教徒として、自然と共生するチベットの人々を十二年間にわたり追い続けた記録だ。

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暗号を読み解け!

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 リストラ、家庭崩壊、犯罪の低年齢化……。現代の価値観は急激に変化してきた。
「アイデンティティの基盤を社会の内部に求めると、社会や周囲の変化と共に自己の価値付けも揺らぎ、消失してしまう可能性がある」。著者の二人は自己肯定感を得られず、社会の枠組みの中で生きられない人々に心を寄せる。
ジャーナリズム、社会システム理論の見地から宗教の役割などを考察し、現代における「救われ」を模索した一冊。対談形式で、難しい内容も分かりやすくなっている。

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写真集の決定版

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 トルコ、台湾、インド、エリトリア、コソボ、アフガニスタン……。世界の紛争地や被災地で、家族のために献身的に働き、周囲を癒しながら、たくましく生きる女性たちを一人のフォトグラファーが追った。
 同書に収められた作品の数々は、悲惨な状況だけを強調した写真集とは一線を画す。ファインダーから覗く、相手に向けるまなざしは温かい。

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紙の本日本の国際情報発信

2004/06/18 14:05

国際化を考える人に

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 同書の第一部は2003年に開催されたシンポジウム「日本の国際情報発信」でのパネリストの発言を忠実に再現し、まとめている。通信社や外交官など国際情報発信の現場にいる人々からの問題提起がなされていて、興味深い内容だ。
 第2部は、「歴史・理論・文化」の視点から5本の論文が掲載されている。1部、2部ともに非常に分かりやすく、すらすらと読むことができた。
 同書が問題とするのは、「グローバルなレベルにおける情報の流れの不均衡」の存在だ。たとえば、執筆者の一人、長谷川は、発展途上国が大手通信社から配信されるニュースの中で、ほとんど無視されている点を挙げ、「欧米の大手通信社の独占状態にあり、(中略)その内容も、商品としてのニュースの消費者である西欧諸国の受け手のニーズに呼応した物語へと、欧米諸国の文化や価値観にそったニュース情報の選別がおこなわれるために、第三世界の文化や価値観を反映したり、少数者の声を代弁したりするものは登場しない。どの国のメディアも、発展途上国を扱ったニュースが少ないだけではなく、たとえ扱われたとしても、災害やテロのような突発的な大事件に限られるか、欧米諸国のステレオタイプ的見方を反映したものとなる」と論じる。
 つまり、私たちが日頃、新聞やテレビで知る、世界の出来事は、欧米諸国のジャーナリストの主観に左右されていることになる。果たして、私たちは中立的な位置で報じられたニュースというものをこれまで、見聞きしていたのだろうか。個人的な経験から言わせてもらうならば、ジャーナリズムの現場では、客観的な中立報道が叫ばれ、盲目的に信じられている。しかし、著者の有山は同書の中で「特定の意図はもたず『客観的』なニュースを発信していると自称している場合もある。だが、ニュース発信は、実際には意識的にしろ無意識的にしろ、何らかの意図をもっておこなう活動である」とし、「『宣伝』と『中立』的報道は、基本的に程度あるいは濃度の差にすぎない」と指摘する。
 そうであるならば、「日本の国際情報発信」とは、たんに日本の出来事を世界に届けることではなく、日本の文化や考え方などを諸外国の人々に「宣伝」することであり、その視点が何よりも重要な要素となるはずだ。
 日本が国際情報発信する上で、文化の違いや言葉の壁など、さまざまな障壁がある。何よりも情報の受け手となる消費者の関心を引かなくてはならない。その意味では、不況とはいえ、国際的経済力のある日本は世界の関心を引く要素を持ち合わせており、先が明るいようにも見える。しかし、本当に問題なのは、日本が欧米に追いつき追い越したところで、情報の格差、差別、いわゆる「メディア帝国主義」は解消されないということだ。
 「日本」の枠組みの中でグローバリゼーションを考えるのならば、日本の国際情報発信は、メディア帝国主義に加わることでしかない。各国がある程度の情報発信力を持たない限り、この問題は決して解消されないだろう。いや、何を持って問題が解消したと言えるのかは、それほど単純ではないかもしれない。ナショナリズムとグローバリゼーションの問題は、実は表裏一体なのではなかろうか。

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紙の本地域メディアを学ぶ人のために

2004/03/25 12:46

「グローバル」の対局にあるもの

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 グローバル化が叫ばれて久しい。一方、地域に根ざしたメディアが存在する。こうした状況下、総勢12人の多彩な執筆陣が地域メディアを論じた。
 地域調査、地方政治、コミュニティ・ガバナンス、情報公開、タウン誌、盛り場など、さまざまな切り口から地域メディアを語る。学習の手引きもあり、親切な構成だ。
 この中で興味を引かれたのは、第9章の「地域社会と口コミ、風評の仕組み」だ。噂や風評、口コミがどのように広まり、影響をおよぼしていくのか、その仕組みを解明している。
 2002年、西友が外国産の肉を国産と偽って販売していたことが判明し、返金を行った。その噂を聞きつけた人々が殺到し、問題となった。中には、「西友に行きさえすれば三万円もらえる」と聞いた人もいるらしい。著者は、「実際には虚偽の『風評』であるが、大衆が信じた時点で『情報』とな」ると指摘する。
 近年、インターネットにおける人間関係がバーチャルな関係として批判されている。しかし、実際には私たちが住むこの社会自体が「幻想」で成り立っているといってよい。バブル経済は、実質的な商品をつくらず、土地などを転がすことで金儲けを行った。しかも、株などは換金しなければ実質的な金にならないにもかかわらず、多くの人々が数字上だけで金持ちになったと錯覚していた。
 このように私たちは実体のないものをあると信じて行動している。「国産と信じて買った肉が、外国産だった」「西友に行きさえすれば金がもらえる」というのも根本的なところで同じ問題だ。

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紙の本宗教を知る人間を知る

2004/03/05 10:50

4人の知識人が織りなす人間論

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「宗教がわからなければ人間を本質的に理解することはできない」──。本書は4人の専門家がさまざまな視点から「宗教」について語った手引き書である。
 著者の一人、臨床心理学者の河合隼雄氏は「日本人には、自分と宗教の関係を真剣に考えて生きている人が少ない」と述べ、一方で「個人が直面している問題を考える上では、宗教的要素は避けて通ることができない」と指摘する。人の生死に関する精神的な葛藤、千変万化の自然が教える「無常観」など、日本には「宗教」とは切り離すことができない事柄が多い。
 5章で構成される同書は、日本人の宗教観の特殊性や科学的真理と宗教真理の違い、情報社会と宗教などについて考察する。

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