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レノンさんのレビュー一覧

投稿者:レノン

23 件中 1 件~ 15 件を表示

詩人が感動する場面を知りたい人に

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 「感動の瞬間が得られる場に立ち合うことで、居場所を得、心が浄化され、鍛えられ、生きることの意味を教えられた」——。繊細かつ豊かな感性から言葉を紡ぎだす一人の詩人が、「感動」をテーマに綴った18編の物語だ。71年間の人生の中で出合った「美しくも悲しい人間の姿」が映し出されている。
 著者である松永氏は15歳の時に宮澤賢治の『雨ニモマケズ』に感銘を受けて以来、「感動」の瞬間を詩に託してきた。数千年にわたり命の営みを続けている屋久島の縄文杉と出会った時、自然への畏敬の念を抱かずにはいられなかったこと、異国の地で出会った青年との触れ合い……。感動とは「自分の人生と無意識に向き合う」ことで引き出される、と強調する。

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平和とは何か、考えるきっかけに

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 第二次世界大戦中、ナチスドイツが行ったユダヤ人大量虐殺のことをホロコーストと呼ぶ。六百万人ものユダヤ人が殺され、そのうち子どもが約百五十万人と言われる。
『アンネの日記』の著者である十五歳の少女、アンネ・フランクも犠牲者の一人だ。同書は惨劇の歴史をたどりながら、過ちが起こった理由を読者にわかりやすく提示。現代の日本になお、根強く残る差別といじめについても考えるきっかけを与えてくれる。

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紙の本大森蒲田の元気工場

2004/03/11 10:27

やる気を引き起こす経営

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 東京都大田区の大森、蒲田には零細企業の工場が並ぶ“下町工業地帯”がある。この地で板金加工工場を営む金森製作所社長、金森茂氏の半生を著者が追った。
 起業するためには当時、何年も腕を磨き、独立するのが常識だった。そんな中、金森氏はアルバイトから独立し、独学で腕を磨いた。「自己流でやるとたくさん失敗する。一方で、新しいものを見つけることができる」。その発見で、金森氏は業界に認められていく。
 金森氏は、業界内のいじめにめげず、奇抜な発想で営業を展開し続けた。「人生は宝クジじゃない。運も大切だけど、それ以上に大切なのは自分の意志であり、強い思いなんだ」。不況で肩を落とす経営者たちに、エールを贈る。

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現代の若者論

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 著者は精神科医で「社会的ひきこもり」治療の専門家。臨床の現場でしか若者と接してこなかったという反省から、渋谷、原宿、池袋で遊ぶ少年少女を取材し、分析を加えた上で現代の若者論を説く。
 80年代以降、自分探しに癒しを求める人が急増した。著者は、その背景を「場所によって自分の顔を使い分け、本当の自分がどこにあるのか分からなくなってしまった」と説明。「過度にコミュニケーションを志向し自己像が曖昧」な若者を『じぶん探し系』、「自己=他者」という認識を受け入れはじめた新しいタイプの若者を「ひきこもり系」と指摘する。
 「キャラクター」「携帯空間」「身体性」の概念を通じ、若者のコミュニケーションの変化を追った。

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紙の本蛇にピアス

2004/02/17 10:37

ピアスというより、刺青の話かな?

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 芥川賞を受賞した話題作の一つだ。受賞者の二人が女性で年齢が低いことから話題になったが、小説の内容も面白い。
 ただひとつ気になったのは、ある男性の舌(ピアス)に惹かれる話なのに、舌の魅力がいまいち伝わってこないことだ。後半では背中に刺青を入れるのだが、もうピアス(舌)のことはどうでもいいように感じてしまった。
 結局、ピアスや刺青というのは、生きにくい若者たちが行う一つの自傷行為であるのだろう。著者は、そのことを分かりやすく示している。そうした小説としては、とても興味深い内容だ。

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紙の本蹴りたい背中

2004/02/16 17:39

天才少女の二作目

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 前作「インストール」で、たぐいまれな才能をいかんなく発揮した天才少女の二作目だ。
 今回の作品で秀逸だと感じたのは、学校における人間関係の描写だ。こうした微妙な関係を繊細かつ分かりやすく文章にしている点に、才能を感じる。
 意識していない人には気がつかない、あるいは意識していても明確に言語化できない事柄を丁寧に綴っている。同書を読んでいて、暗い気持ちになってしまった人も多いのではないだろうか。
 淡々とした日常を書くことほど難しいことはない。また、冷静な目も必要となる。抑揚された文体とストーリーが同書の最大の魅力だ。

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カルチュラル・スタディーズ、訳してカルスタ(CS)

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カルチュラル・スタディーズ入門 上野俊哉/毛利嘉孝 2004/3/31 bk1

 カルチュラル・スタディーズは、「文化研究」と訳します。同書は、文化研究領域における理論、実践者の仕事を紹介し、整理したものです。
 ただし、多少なりとも予備知識がないと、この本に書かれていることはさっぱりわからないでしょう。「カルチュラル・スタディーズ」という言葉は聞いていたけれどもあらためて勉強してみたいという人には不親切な内容です。なにしろ、参考文献リストもないのだから入門書としては、落第でしょう。
 しかし、ある程度の予備知識があるにもかかわらず、なんだかモヤモヤしているという人には、うってつけの入門書となることは間違いありません。
 以上は、第一章を読み始めて思ったことでしたが、他の方の書評にも似たようなことが書かれているので、一つだけ読んだ感想を綴ってみたいと思います。
 同書の内容の一部は簡単に言えば次のようになります。
 私たちの社会には、さまざまなイデオロギーや権力、支配などが働き、その結果、抑圧されている人々が確実にいます。けれど、こうしたことは普段、私たち自身気付かないでいます。しかも、イデオロギーや支配の関係は単純な図式では描けません。白人と黒人、男性と女性、健常者と障害者……。こうした二項対立はわかりやすいのですが、現実には様々な要因が取り除かれています。このような複雑な問題を、被抑圧者の声に耳を傾けながら読み解こうとする試みがカルチュラル・スタディーズなのだ、と。
 もしかしたら、カルチュラル・スタディーズはアカデミズムとジャーナリズムの中間に位置するのではないかと、ふと感じました。あえてステレオタイプなものの言い方をするならば、大学に引きこもって、海外文献を日本語に訳せば仕事をしたと思っている研究者、机上の空論ばかりまくし立てる知識人をジャーナリストは非難しがちです。一方で、理論的考察が足りず、事象を通して、問題をでっちあげる傾向が強いジャーナリストを研究者は批判します(これらのことは、私個人の友人〔研究者やジャーナリスト〕と話していて感じることであり、実際にこのような批判が存在するのか、また正しいのか、ここでは問いません)。
 カルチュラル・スタディーズは、長らく日本のアカデミズムの世界で周縁に追いやられていたと言います。しかし、現場に入り込み、一つの「科学」に囚われず、多様な理論を駆使し、論述していくスタイルは、まさにアカデミズムとジャーナリズムの間に立つものでしょう。かなり見当違いな意見を述べているかもしれませんが、その意味でも、日本におけるカルチュラル・スタディーズの今後は面白くなっていくかもしれません。
 ちなみに、吉見俊哉氏のカルチュラル・スタディーズの定義とは多少異なる印象があります。同書を読まれた方は、吉見氏の著作を、さらに理論をもっと学びたい方は、カルチュラル・スタディーズでありませんが、ドミニク・ストリナチ/渡辺潤、伊藤明己訳の「ポピュラー文化論を学ぶ人のために」がおすすめです。

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紙の本日本の国際情報発信

2004/06/18 14:05

国際化を考える人に

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 同書の第一部は2003年に開催されたシンポジウム「日本の国際情報発信」でのパネリストの発言を忠実に再現し、まとめている。通信社や外交官など国際情報発信の現場にいる人々からの問題提起がなされていて、興味深い内容だ。
 第2部は、「歴史・理論・文化」の視点から5本の論文が掲載されている。1部、2部ともに非常に分かりやすく、すらすらと読むことができた。
 同書が問題とするのは、「グローバルなレベルにおける情報の流れの不均衡」の存在だ。たとえば、執筆者の一人、長谷川は、発展途上国が大手通信社から配信されるニュースの中で、ほとんど無視されている点を挙げ、「欧米の大手通信社の独占状態にあり、(中略)その内容も、商品としてのニュースの消費者である西欧諸国の受け手のニーズに呼応した物語へと、欧米諸国の文化や価値観にそったニュース情報の選別がおこなわれるために、第三世界の文化や価値観を反映したり、少数者の声を代弁したりするものは登場しない。どの国のメディアも、発展途上国を扱ったニュースが少ないだけではなく、たとえ扱われたとしても、災害やテロのような突発的な大事件に限られるか、欧米諸国のステレオタイプ的見方を反映したものとなる」と論じる。
 つまり、私たちが日頃、新聞やテレビで知る、世界の出来事は、欧米諸国のジャーナリストの主観に左右されていることになる。果たして、私たちは中立的な位置で報じられたニュースというものをこれまで、見聞きしていたのだろうか。個人的な経験から言わせてもらうならば、ジャーナリズムの現場では、客観的な中立報道が叫ばれ、盲目的に信じられている。しかし、著者の有山は同書の中で「特定の意図はもたず『客観的』なニュースを発信していると自称している場合もある。だが、ニュース発信は、実際には意識的にしろ無意識的にしろ、何らかの意図をもっておこなう活動である」とし、「『宣伝』と『中立』的報道は、基本的に程度あるいは濃度の差にすぎない」と指摘する。
 そうであるならば、「日本の国際情報発信」とは、たんに日本の出来事を世界に届けることではなく、日本の文化や考え方などを諸外国の人々に「宣伝」することであり、その視点が何よりも重要な要素となるはずだ。
 日本が国際情報発信する上で、文化の違いや言葉の壁など、さまざまな障壁がある。何よりも情報の受け手となる消費者の関心を引かなくてはならない。その意味では、不況とはいえ、国際的経済力のある日本は世界の関心を引く要素を持ち合わせており、先が明るいようにも見える。しかし、本当に問題なのは、日本が欧米に追いつき追い越したところで、情報の格差、差別、いわゆる「メディア帝国主義」は解消されないということだ。
 「日本」の枠組みの中でグローバリゼーションを考えるのならば、日本の国際情報発信は、メディア帝国主義に加わることでしかない。各国がある程度の情報発信力を持たない限り、この問題は決して解消されないだろう。いや、何を持って問題が解消したと言えるのかは、それほど単純ではないかもしれない。ナショナリズムとグローバリゼーションの問題は、実は表裏一体なのではなかろうか。

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紙の本地域メディアを学ぶ人のために

2004/03/25 12:46

「グローバル」の対局にあるもの

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 グローバル化が叫ばれて久しい。一方、地域に根ざしたメディアが存在する。こうした状況下、総勢12人の多彩な執筆陣が地域メディアを論じた。
 地域調査、地方政治、コミュニティ・ガバナンス、情報公開、タウン誌、盛り場など、さまざまな切り口から地域メディアを語る。学習の手引きもあり、親切な構成だ。
 この中で興味を引かれたのは、第9章の「地域社会と口コミ、風評の仕組み」だ。噂や風評、口コミがどのように広まり、影響をおよぼしていくのか、その仕組みを解明している。
 2002年、西友が外国産の肉を国産と偽って販売していたことが判明し、返金を行った。その噂を聞きつけた人々が殺到し、問題となった。中には、「西友に行きさえすれば三万円もらえる」と聞いた人もいるらしい。著者は、「実際には虚偽の『風評』であるが、大衆が信じた時点で『情報』とな」ると指摘する。
 近年、インターネットにおける人間関係がバーチャルな関係として批判されている。しかし、実際には私たちが住むこの社会自体が「幻想」で成り立っているといってよい。バブル経済は、実質的な商品をつくらず、土地などを転がすことで金儲けを行った。しかも、株などは換金しなければ実質的な金にならないにもかかわらず、多くの人々が数字上だけで金持ちになったと錯覚していた。
 このように私たちは実体のないものをあると信じて行動している。「国産と信じて買った肉が、外国産だった」「西友に行きさえすれば金がもらえる」というのも根本的なところで同じ問題だ。

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紙の本宗教を知る人間を知る

2004/03/05 10:50

4人の知識人が織りなす人間論

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「宗教がわからなければ人間を本質的に理解することはできない」──。本書は4人の専門家がさまざまな視点から「宗教」について語った手引き書である。
 著者の一人、臨床心理学者の河合隼雄氏は「日本人には、自分と宗教の関係を真剣に考えて生きている人が少ない」と述べ、一方で「個人が直面している問題を考える上では、宗教的要素は避けて通ることができない」と指摘する。人の生死に関する精神的な葛藤、千変万化の自然が教える「無常観」など、日本には「宗教」とは切り離すことができない事柄が多い。
 5章で構成される同書は、日本人の宗教観の特殊性や科学的真理と宗教真理の違い、情報社会と宗教などについて考察する。

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論文=小難しいではない

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 一般の人々には、論文というと何だか小難しいことばかりで、さっぱりわからない印象があるのではなかろうか。私にはある。大学の紀要や学会のジャーナルなど学術書の中にも、文章的におかしなものが少なくないからだ。
 学術書となると編集者がいるわけだから、かならずしも著者ばかりのせいではない。それにしても、特に学問の世界では難しいものほど・ありがたい・と思われているふしが見受けられる。
 分かりやすい文章は書けるが、専門分野の読者を想定しているために内容が難しくなってしまうというのならばいい。しかし、一般向けの書籍や入門書の類でもこうした問題は付きまとう。
 書く内容も稚拙だが、文章もまともに書けない学生、院生が、諸先輩方を見習って、難しく論文を書こうとすれば、害にもならない悪書ばかりになってしまう。
 こうした中、「わかりやすさ」を強調する同書は、貴重であろう。これから論文を書く若者に是非とも勧めたい一冊だ。

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紙の本俳句力 ゆっくり生きる

2004/02/19 15:59

癒し系

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 俳句の初心者で、?自然観察漫画家?を自称する著者が句作に挑戦した。同書は、その姿を4コマ漫画を通して紹介する。俳句の作り方や心構え、素晴らしさ、句作の面白さが初心者ならではの視点で描かれる。
 路地裏や老朽化した木造モルタルアパート、銭湯、水田、川……。身近にある風景を注意深く観察し、ゆったりと流れる時間を楽しむ。そして、四季折々の変化を、豊かな感性でとらえていく。
 スローライフを求める人々に必読の書といえる。

 余談だが、著者の名前は木造モルタルアパートに住んでいるから「木造」なのだそうだ。こうしたユニークさ、温かさを兼ね備えた著者の感性が全編にわたってキラリと光っている。

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コミュニケーション

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 ハローワークのセミナーが始まる直前に同書を読み終えた。マスコミで連日のように失業率の話題がのぼるが、セミナーには多くの人が参加していた。
 参加者の中には、やむを得ず職を失った人もいれば、気が進まないが働かざるを得ない人もいるだろう。働くことが好きだった人も、職を失ったことで、〈仕事とは何か〉と疑問に思う人も少なからずいるのではないかと感じた。
 同書では、この世の理不尽に苦しみながら、他者とのコミュニケーションを通じて、自分を鍛えることの必要性を説く。あらゆるステレオタイプのものの考え方を廃し、「死」を見つめ、真理を追究していく著者の真摯な姿が印象的だ。同書は、理不尽を抱えながら働くすべての人に肯定的なメッセージを伝える。
 本を閉じると、私自身はもちろん、セミナー会場に居合わせた人々に対して温かい気持ちになった。
 ただし、同書には一点、矛盾する箇所が見受けられた。著者は社会学の概念を引っ張って、家事が「仕事」ではないとする。その一方で、後半には「生きる」こと自体が「仕事」だと述べている。そうであるとするならば、家事も立派な「仕事」であろう。その点をもう少し、分かりやすく説明して欲しかった。

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暴走族から見えてくるもの

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 京都の暴走族グループにアンケート調査やインタビューを行って分析を加えたエスノグラフィーだ。今でも社会学などで引用される基本文献の一つとなっている。
 同書は、チクセントミハイの「フロー」理論を駆使し、暴走行為を読み解く。当時、暴走は学歴社会から脱落した人が不満のはけ口として行うと見られていた。その画一的なものの見方に異議を唱え、別の尺度から暴走を論じている。なお、フローとは、簡単に言えば、無我夢中の状態とでもいうのだろうか。同書は、暴走の魅力についても分析していく。
 また、著者は暴走族が書物や新聞などで悪者として描かれ、報道されることが多いことについて触れ、次のように指摘する。
 「非行が少なかった(とされる)時点、例えば昭和四十年代から現在のように大幅に非行が増加した(とみえる)時点の間に、とにかく何か変化したものがあり、しかも、それがいかにも非行の発生に結びつきそうに見えれば、それは、「原因」にされてしまう」
 これは、暴走族に限らず、現在もさまざまな場面で観察することができる。特に新しいもの、流行、若者の行動などに対して、マスメディアや大人たちがとる態度に現れている。こうした態度には、自分が理解できない事柄に対する不安が見え隠れする。つまり、不安感から他者を差別し、排斥しようとするのだ。
 マスコミのセンセーショナリズムは、販売部数、視聴率を伸ばさなくてはならない株式会社にとって「必要悪」なのだろう。あるテレビ局関係者は「やらせ」を「演出」だとし、肯定した。そこにも問題はあるが、マスコミ報道を鵜呑みにし、扇情的に受け取ってしまう一般の人々に問題がないとは言いきれない。
 私は暴走行為に参加したことのある若者に触れたことがある。たしかに、暴走をはじめ、窃盗、レイプ、リンチ殺人など問題を抱えている。しかし、こうしたことは暴走族のメンバーだけでなく、窃盗する主婦もいれば、サラリーマンなど中高年による児童買春、いたずら、婦女暴行は後を絶たない。犯罪の低年齢化が叫ばれた時でさえ、データーを検証してみれば、中高年による犯罪のほうが格段に多かった。人々はこうしたことには目をつぶっておきながら、不安を解消しようと、ある何かを問題の原因だと糾弾し、安心しようとする。
 同書は、知的好奇心は与えてくれるが、読み物としてはそれほど面白いものではない。扱っている時代も、一昔前だ。しかし、同書は別の視点を持とうとしている人、調査研究の基本を学びたい人などにとっては、一読に値する。
 なお、同書には「ヤンキー・暴走族・社会人」という続編があるが、手に入れることができない。図書館か古本屋で探すしかないのだ。再製して欲しいものだ。

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人々が陥っている問題を一刀両断

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 同書は、「ひきこもり」の専門家として名を馳せている著者が放つ意欲作。現代社会に生きる人々が陥っている?罠?を明らかにし、身の回りに蔓延している「心理学化」を見つめ直している。
 医療の現場だけでなく、ベストセーラー本やハリウッド映画、ポップミュージック、会社における教育など、至る所に心理学が用いられている。こうした状況を指して、著者は「心理学化する社会」という。
 1990年代以降、私の周りにも「アダルトチルドレン」を自称し、「トラウマ」を口にする人々が増えていた。そうした人々は、心理学の用語に詳しく、自分が抱える問題点も自覚していた。しかし、一向に状況が好転しないのは、なぜなのか疑問だった。
 マーサ・スタウトは「おかしい人を見分ける心理学」の中で、「解離」が誰にでも起こることを強調している。また、子どもは「トラウマ」を生みやすいと述べている。そうであるならば、私たちは多かれ少なかれ、トラウマを抱えて生きていることになる。
 著者の斎藤氏は、トラウマブームなどが、問題を抱えて生きるという当然の前提を「過度に問題化する」と指摘する。
 同書は、こうすれば、よりよく生きることができるというような類の本ではない。誰か(何か)が?悪玉?であると糾弾するものでもない。とても微妙で難しい問題を扱っていることが、読み手に伝わってくる。心理学の定義に固執する人々に勧めたい。

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