コバチカさんのレビュー一覧
投稿者:コバチカ
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ネコソギラジカル 上 十三階段
2005/02/19 01:02
戯言の行方
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
[いーちゃん]は語り部で戯言遣いです。「クレタ人はみんな嘘を言うとクレタ人は言った」と同じからくりをこの小説は抱えています。前作の後半から[いーちゃん]の内面告白が顕著になり、今作では「愛しているよ」を連発する次第ですが、果たして読者は[いーちゃん]を信じていいのでしょうか。嘘つきの語り部に翻弄されているだけではないでしょうか。まさしく術中にはまっているんじゃないでしょうか。
それとも、戯言遣いというのは、あくまでも緊急時に発動する必殺技であって、語り部という役目と切り離して考えるべきなのでしょうか。とするなら、この小説は「物語レベル」で純粋に楽しむべきで、「構造レベル」に踏み込む必要はない、ということになります。私は要らぬ心配をしていただけということです。
ただ、気になるのは[いーちゃん]の本名です。
[いーちゃん]は本名に関して固く口を閉ざしています。本名がこの小説とどのような関わりを持つかは不明ですが、今作で登場した重要キャラ[橙]は[いーちゃん]の過去に深く関わっているようで、本名を知っていてもおかしくはありません。
以下は勝手な妄想です。
仮にこの小説が「構造レベル」まで射程に入っていた場合、[橙]が本名を知りえていることは、[いーちゃん]から戯言遣いのイニシアチブを奪うことに繋がるのではないかと思います。なぜかというと、この物語では黙っていることが本当になるからです。口に出した途端、本当か嘘かは判別不可能になってしまう。「クレタ人は嘘を言う」のですから。
戯言遣いとしては、自分のことで「本当」を知る人間がいることは具合が悪いことだと思います。だって戯言が通用しないのですから。となれば[いーちゃん]は戯言を遣えなくなる。
さらに妄想を進めて、これを構造レベルで考えた場合、[いーちゃん]は語り部でもありえなくなる。つまり物語を語る人間がいなくなる。この時、物語は終わりを迎えるのではないでしょうか。そして、それこそが西東天のいう「世界の終わり」なのではないでしょうか。その上で作者の西尾維新は新たな物語を語る気でいるのでは、と魔が差したので邪推してみました。
要らぬ心配に満ち満ちた拙文をお詫びします。戯言シリーズ大好きです。
風の歌を聴け
2005/02/18 22:17
「語らない」小説
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空虚とよく評される「僕」ですが、果たしてそうでしょうか。「僕」は空虚を気取っているだけという気がします。いや、気取らないと生きていけないほどの「何か」に「僕」は苦しめられていると見受けられます。でも「何か」は全く語られません。だからよく分かりません。多分「僕」もよく分かっていないのでしょう。そのため「何か」がもたらす混乱から逃れるための戯言を「僕」はよく口にします。よって、この小説は戯言の集積ということになります。冒頭から「完璧な文章など存在しない」と宣言する村上春樹の周到さに薄ら笑いながら、「語らない」文学を楽しむのが正しいつきあい方だと思いますが、こんな読み方をする私はマイナーでしょうか。
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