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上岡伸雄さんのレビュー一覧

投稿者:上岡伸雄

6 件中 1 件~ 6 件を表示

紙の本ダイング・アニマル

2005/01/28 10:42

訳者コメント

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 若く美しい女性に対するどうしようもない欲望、執着、そして嫉妬。前作『ヒューマン・ステイン』でも老人の性を扱ったフィリップ・ロスですが、この『ダイング・アニマル』ではそれを中心に据え、生々しい迫力で老人の性と生への執着を描いています。

 主人公のデイヴィッド・ケペシュはニューヨーク在住の文化批評家。テレビにも出演し、大学では非常勤で文芸批評を教えています。若い頃から数々の女性と関係をもってきたケペシュですが、その精力は60歳を越えても衰えていません。62歳のとき、彼はコンスエラ・カスティリョという学生と関係をもちます。キューバ人の裕福な家庭に育ったという上品さや洗練された服装に加え、何よりもコンスエラはその大柄な肉体、そしてふくよかな乳房が美しい女性でした。ところがこの関係が進むにつれ、自由奔放に生きてきたケペシュは嫉妬に囚われ、心の平安を得られなくなってしまいます。自分に近づいている死を強烈に意識し、いずれ彼女が若い男に取られてしまうことを考えずにいられなくなるのです。やがて二人は些細なことで別れるのですが、8年後、ある事情で再会、そのときの彼女は重大な悩みを抱えていました……。

 思えば、『さようなら コロンバス』に始まって、代表作の『ポートノイの不満』など、ロスはずっと男の性のありかたを赤裸々に描いてきました。見方によっては身勝手な性衝動にすぎないのですが、それは同時に性がいかに人間を呪縛するかということでもあります。特に老人になると、性は肉体の衰え、そして最終的な死を強烈に意識させてしまう営みとなるのです。性と生への執着が人間を生かし続けながらも、一方で束縛してしまう皮肉。本書は、その点を描ききっているからこそ感動的なのだと思います。

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紙の本ヒューマン・ステイン

2004/05/17 11:25

訳者コメント

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 現代アメリカ文学の重鎮、フィリップ・ロスはとりわけ多作な作家です。作品のタイプも多様ですが、多くの作品で分身的な登場人物を使い、ユダヤ系アメリカ人としてのアイデンティティを追究してきました。そして男の身勝手な性のあり方を滑稽なまでに描き出し、内面の矛盾や葛藤を露わにします。デビュー作の『さようならコロンバス』やベストセラーとなった『ポートノイの不満』、そして『男としての我が人生』に始まるネイサン・ザッカーマンのシリーズなどがこの系譜で、ロスの代表作と言えるでしょう。

 『ヒューマン・ステイン』もザッカーマン物のひとつです。といっても、この小説のザッカーマンは背景から友人コールマン・シルクの生涯を語ります。コールマンは70歳くらいの大学教師ですが、何気ない言葉が差別と受け取られ、大学を追われてしまいます。傷心の彼に若い愛人ができるのですが、彼女はコールマンと対照的に教養のない、底辺の女性です。物語は彼らの関係を追いながら、コールマンがひた隠しにしてきた生涯の秘密を明らかにしていきます。その背景となるのは、差別撤廃を求めるあまりに言葉狩りのようなことが行なわれていた1990年代の風潮。そこに黒人差別の問題や、ベトナム戦争帰還兵のPTSDの問題などが絡み、物語は壮大なスケールで展開します。

 この小説は『白いカラス』という邦題で映画化され、もうすぐ日本でも公開されます。監督はロバート・ベントン、老教授役がアンソニー・ホプキンス、その愛人役がニコール・キッドマン。長い小説を手際よく仕上げた点は見事ですし、名優二人の演技も抜群。ただ、小説に書かれていることすべてを映画にはできませんから、ぜひ小説でも読んでいただきたいと思います。

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著者コメント

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 この本はニューヨークの歴史をたどりながら、ニューヨークを描く魅力的な文学作品を紹介していく試みです。

 ニューヨークが同時多発テロの標的になったのは、この都市が資本主義経済の中心地だからでしょう。資本主義を憎む人々にとって、ニューヨークはその悪を象徴するような都市でした。しかし経済の中心地であるために、ニューヨークは多様な民族を世界中から引きつけ、それによって雑多な文化を生んできました。多様な人々が生み出す猥雑なまでの活力、そしてユニークな文化。多くの人々がそんなニューヨークに魅了されてきたことと思います。

 僕の場合は、ニューヨークの小説にずっと惹かれてきました。フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』、J・D・サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』など、若い頃から親しんできた作品です。こうしてアメリカ文学を専攻するようになり、さらに『無垢の時代』、『マンハッタン乗換駅』、『見えない人間』、『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』、『幽霊たち』など、ニューヨークの小説へと読み進んでいきました。ニューヨークから比較的近いところに留学し、ニューヨークをよく訪れるようになると、その都市自体の魅力にも惹かれていきました。ちょっと危ない人もいるし、危険な場所もあるけれど、いろんな民族のレストランや商店、本屋や街頭パフォーマンスなど、ぶらつくだけでもとにかく楽しい。そんなニューヨークの魅力を知るにつけ、その歴史にも興味が湧いてきました。そしてますますニューヨークの文学作品にのめり込んでいったのです。

 この本で僕が伝えたかったことは、何よりこうした小説の面白さです。中にはちょっととっつきにくい作品もあるかもしれませんが、ニューヨークの歴史をよく知り、その背景に据えてみると、また新たな魅力が浮かび上がってくるように思われます。たとえば『グレート・ギャツビー』で描かれるのは1920年代のニューヨーク、消費文化が花咲き、商品の広告がさかんに行なわれるようになった時代です。ニューヨークは広告やマスメディアの中心地でした。あの作品の登場人物たちの行動をよく見てみると、いかにこうしたメディアに影響されているかがわかってきます。また、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の時代は1949年。ニューヨークが世界の中心地になり、古い町並みが破壊されて、ガラスの高層建築が相次いで作られようとしている時代です。ニューヨークをさまよい歩く主人公の姿には、失われていくものへの愛が強く感じられるように思われます。

 多様な人種を受け入れる度量と、それゆえの面白さ。そんなニューヨークの魅力の一面をこの本から知っていただければと思っています。

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紙の本コズモポリス

2004/03/08 10:00

訳者コメント

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 テクノロジーが発展し、メディアが浸透するようになれば、当然人間の精神のあり方、身体のあり方も変わってきます。現代アメリカ文学の最高峰、ドン・デリーロはこれまでもこうした変化に鋭い目を向ける作家でした。出世作の『ホワイト・ノイズ』(1985)はまさにテクノロジーやメディアの人間精神への影響力を炙り出しながら、人間の死の恐怖を描き出しています。さらに『アンダーワールド』(1997)では膨大なスケールで冷戦期のアメリカの変化と民衆の精神への影響を描き、中篇『ボディ・アーティスト』(2001)では一転して文化的夾雑物を一切排し、身体と外界の関係を見つめ直しています。

 『コズモポリス』(2003)はそのデリーロの最新作です。エリック・パッカーという男の一日(2000年4月)を追う形で進みますが、描かれるのはコンピュータとインターネットが浸透し、ほとんど人間を支配している世界です。エリックは株式や通貨の相場のアナリスト。28歳にして資産運用の会社を経営し、大成功を収めています。ハイテクを駆使しているため、彼の日常はまるでSF小説のようです。たとえば彼はハイテク機器を搭載した超大型リムジンでニューヨークを移動しながら、コンピュータで相場の変動を逐一チェックし、部下たちに指示を与えています。また、健康診断の機器が彼の体を常に検査し、監視カメラが周囲を監視しています。こうしたハイテク状況を描きながら、デリーロはエリックを通して、失われつつある身体性も頻繁に喚起します。エリックは体を入念に鍛え、行く先々で愛人たちと交わり、リムジンに毎日医師を呼んで触診を受けます。やがてエリックは殺人者が自分を狙っていることを知りながら、敢えて危険に飛び込み、痛みと死への恐怖を通して自己を再確認していきます。

 『コズモポリス』はこのように、デリーロがこれまでやろうとしてきたことを、時代を現代に据えて語り直した作品と言えます。そして肉体と外界との関係をユニークな文体で見つめ直し、データに変換できない人間存在を描こうとしている点が魅力です。エリックが肉体的な痛みを通して自己の存在を再確認する結末など、これまでの作品以上に胸に迫るのではないでしょうか。ユーモアとエンタテイメント性も具えており、デリーロ入門にもぴったりの作品だと思います。

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紙の本ボディ・アーティスト

2002/12/26 14:46

訳者コメント

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 ドン・デリーロという作家は、マスメディアや大衆文化、テロリズムや核兵器、ケネディ暗殺など、現代アメリカ社会に強い影響力を与えている外界の要素を積極的に作品で扱ってきました。前作『アンダーワールド』は、これらの要素をすべて盛り込み、冷戦期の40年という長いスパンで捉えた作品と言えます。この壮大な裏の現代史とも言える小説に続いたのが、2001年に出版された本書『ボディ・アーティスト』です。原書は本文124ページという小品、しかも外界の現実がほとんど介入しないとあって、デリーロのものとしては異色の小説という感もあります。しかし、デリーロらしい言語へのこだわりを通して、人間と時間と言語との関係を見つめなおし、言語の力を究極まで突き詰めた作品だと思います。

 主人公はローレンというボディ・アーティスト(自己の身体をさまざまに作り変えて表現するパフォーマンス・アーティスト)。小説は、このローレンと夫の映画監督レイ・ローブルスとの朝の風景から始まります。二人は都会から遠く離れた海岸の別荘に滞在しており、テラスでは鳥が餌をついばんでいます。ありふれた朝の光景ですが、この冒頭から文章は散文詩と言ってもよい緊張感と美しさを孕んでいます。そしてこの朝をさかいに、ローレンの日常は崩れ、まったく違う時間軸に生きる少年との交流を通して、現実が違った様相を見せてくるのです。翻訳の帯に浅田彰氏が「無駄のない正確な文章はすでにして詩である」と書いてくださっていますが、訳者としてもまったく同感。詩を味わうように味わっていただけたらと思います。

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紙の本アンダーワールド 上

2002/07/01 10:46

訳者コメント

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 トマス・ピンチョンと並ぶ現代アメリカ文学の最高峰、ドン・デリーロの最高傑作がこの『アンダーワールド』(1997)です。デリーロは代表作の『ホワイト・ノイズ』(1985)、『リブラ』(1988)、『マオII』(1991)でマスメディアや大衆文化、それにテロリズムなどの問題を扱ってきました。これらがいかに現代人の意識を支配するかを映し出しつつも、それらに対抗できるものとして言語の力を信じ、独自の文体でフィジカルな現実感を喚起してきた作家です。

 『アンダーワールド』はそんなデリーロの魅力が遺憾なく発揮された作品と言えるでしょう。物語は1951年10月3日、ドジャース対ジャイアンツのプレーオフ第3戦を描いたプロローグから始まります。この試合をJ・エドガー・フーヴァーFBI長官がフランク・シナトラらと観戦しているのですが、そのフーヴァーのもとにソ連が原爆実験に成功したという連絡が入ります。いかにもデリーロらしいのは、野球やシナトラといった大衆文化の要素と、核兵器といった政治的なものとが重ねられている点でしょう。

 その後この小説は、この試合のホームランボールの行方をひとつの軸に、雑多な視点から冷戦期の40年を語り直します。その間の政治的事件——核兵器、ソ連との対立、キューバ危機、そしてソ連の崩壊まで——が民衆にどうインパクトを与えたかを追いつつ、廃棄物の問題など、こうした冷戦が生み出してきた現実を生き生きと描き出すのです。

 この小説は原書も翻訳も表紙に世界貿易センターの写真が使われています。小説中にも何度かこのビルが描写されるのですが、テロ事件後の現在読むと、ことさら印象深いものがあります。作者はあの事件を幻視していたのではないか——そんなことさえ感じさせてしまうのは、何よりデリーロが現代の諸相を的確に捉えているからではないでしょうか。

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