柴田元幸さんのレビュー一覧
投稿者:柴田元幸
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2004/07/05 16:15
訳者コメント
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こう言ってもいいかもしれない。
クニップルとは、僕たちが子供だったころ、街をさまよいながら(僕の場合はカッチャー氏のようにニューヨーク市ブルックリンではなく、東京都大田区仲六郷だが)頭のなかで抱えていたいろんな妄想、勘違い、誤解、願望、恐怖を、大人になってもそのまま、大人としての現実を抱えつつ、生きている人である、と。
カッチャーの漫画が、過去のニューヨークなど知らなくても不思議と懐かしく思えるのはそのせいだと思う。
たとえばヒッチコックの『鳥』が、鳥の群れに対する見方を決定的に変えてしまうように、カッチャーの漫画も、都市の見え方を決定的に変えてしまう力を持っているが、その変え方は、見ようによっては、子供のころ見えていた都市に我々を連れ戻してくれる力であるようにも思えるのだ。
紙の本憑かれた旅人
2004/03/29 15:54
訳者コメント
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ひところ、僕の好きなアメリカの作家が三人立て続けに、己の半生をふり返ってその情けなさに呆然とする、といった感じの小説を発表しました。リチャード・パワーズの『ガラテイア 2.2』はかつての恋人との生活が壊れていった経緯を痛々しくふり返る小説だったし、スティーヴ・エリクソンの『アムニジアスコープ』は売れない作家としての自分の現状をとことん自虐的に眺める爆笑小説でした。そしてこの『憑かれた旅人』も、旅を続けてきた人間、それもおそらくは作家である人間が、どうやら自分が人生を棒に振ってしまったことを悟る話。何だか僕の好きな作家たちがみんな、ダンテの『神曲』の冒頭ばりに人生なかばにして暗い森に入り込んでしまったのか、と(小説自体はどれもすごく面白かったけど)いささか不安になりましたが、その後、三人に実際に会って話を聞いてみると、単に自分の人生が暗かったから暗い話を書いた、なんていう単純なことではないことがよくわかりました。むしろ、それこそダンテからはじまる「人生なかばで暗い迷いに陥る人間」という定型を、それぞれ自分なりにアップデートしていると言うべきでしょう(ただ、そう言ってしまうと、なんだかすごく知的な操作で小説を書いているみたいで、それもちょっと違うかと……やっぱり心のどこかでは、それぞれ不安なり痛みなり悲しみなりを抱えていたとは思う)。
ユアグロー氏にしても、冴えない旅を続ける男を描いているけれど、これを書いているあいだ本人はほとんどニューヨークから出なかったとのこと。犯罪の現場に全然行かずに推理する探偵を「アームチェア・ディテクティブ」と言いますが、ユアグロー氏も「アームチェア・トラベラー」を自称しています。でも、比喩的には書斎と図書館から一歩も出ないで書いているからこそ、すべてが魂の論理にのっとって起きる、奇想天外なのになぜか誰にも妙に覚えのある小説に出来上がっています。ぜひご一読を。
紙の本トゥルー・ストーリーズ
2004/03/10 11:13
訳者コメント
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もうじきアルク社から出る『ナイン・インタビューズ』というインタビュー集で、ポール・オースターの妻シリ・ハストヴェットが、彼女の第一作『目かくし』の主人公アイリスについて語っているなかで、彼女は貧乏だからこそニューヨークの魅惑も脅威も生々しく体感することができる、というようなことを言っています。ただでさえ世界に対して肌が薄いところへ持ってきて、貧乏ゆえにいっそう肌が薄くなり、世界の美しさも醜さも善意も悪意も高感度で感知してしまうのがアイリスの(そしてたぶんシリの)魅力ですが、同じようなことが、オースターの「偶然」に対する感度についても言えるのかもしれません。
たとえばこの『トゥルー・ストーリーズ』に収められている、オニオン・パイをめぐるエピソード。フランスの山のなかで別荘の管理人を男女二人でやっていて、食べ物がなく餓死寸前。なのに、なけなしの材料で作ったオニオン・パイを黒焦げにしてしまう……と、ほぼ同時に、取材費をたっぷりもらっているなじみのカメラマンが泊まりに来て、彼らを高級レストランに連れて行ってくれる。何たる偶然!というわけですが、この話も、最高貧乏ななかでオニオン・パイを焦がしてしまうという状況があるからこそ、カメラマンの来訪が大きな偶然として意味を持ってくるわけですよね(そうでなければ、単に「おー、来たか」で済んでしまいます)。
この『トゥルー・ストーリーズ』という、オースター自身が日本向けにラインナップを考えてくれたエッセイ集のテーマが(結果的に)「偶然」と「貧乏」の二本立てになっているのはどうしてかなあ、と思って、上のようなことを考えました。貧乏ないところに偶然なし、とはもちろん言いませんが、貧乏によって偶然への感度が高められている、くらいは言えるんじゃないか。
『トゥルー・ストーリーズ』というタイトルにしようと思うんです、と言ったらオースター氏は、それってちょっとあたり前すぎないかい、と言ったのですが、いやいや、日本の読者は、オースターのトゥルー・ストーリーズと聞けば、単なる「実話」ではすまない、ひとひねりあるものが出てくることをちゃんと察知してくれますよ、と説得しました。彼が考えてくれたExperiments in Truthというタイトルは、訳すと「真実の実験」となって漢字的にいまひとつなので、訳者の分際であえて著者に逆らった次第。
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