パプリカさんのレビュー一覧
投稿者:パプリカ
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ねにもつタイプ
2011/02/28 13:34
記憶力より想像力
11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
誰だったかは失念してしまったが、この本の書評で「色んなことをねにもつためには記憶力が良くなくてはならない」というようなことを言っていた。その点については私もまったく同感だった。私はその書評を誰が書いていたかすら覚えられないほど記憶力が乏しいのだ。
だが、実際に本書を読んでみて、「ねにもつ」のに必要なのは記憶力ではなく、むしろ想像力が重要な役割を果たしているのではないかと思っている。
本書は翻訳家である岸本佐知子のエッセイ集だが、身辺雑記だけでなく、彼女が子供の頃の回想も多い。その回想というのが曲者で、話の途中から「これは回想ではなくて実は妄想なのではないか」と思わせるような書き方で書かれているのだ。
してみれば、子供の頃の思い出というのは、えてして後々の想像によって元の面影もないほど再構築されている場合も多く、むしろ自由な想像によって思い出を作り上げるのもひとつの才能だと言ってもいいだろう。彼女の場合、ひとつひとつの記憶が鮮明すぎるほど鮮明である。そうなると本当にあったかどうかなどはどうでもよいことなのかもしれない、と思ってしまう。そこが彼女の狙いなのだろう。
どの話もとても面白く、ページをめくるたびに声を上げて笑ってしまう本だが、それだけでなく文章自体がさまざまなフォーマットで書かれていて、飽きることがない。著者のサービス精神というか、芸達者ぶりを感じさせられる。
一日一書
2011/02/28 13:27
まるで美しい生物図鑑のよう
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
一年間にわたり、京都新聞の朝刊一面に連載されたコラムをまとめた本。古今東西の名筆の中から毎日ひとつの文字を選び、歳時記とともに字義や作風などを短く解説している。
気が向いたときに出鱈目にページを開いて、そのときどきに出会った字を楽しむという読み方もあるかもしれないが、書の美しさだけでなく石川九楊の解説も面白いので、一冊の本として読み通すこともできる。
それにしても驚くのは、書のバラエティの豊かさ。楷書、行書、草書、隷書、篆書と書体の違いもさることながら、どのページを開いてもそれぞれの文字が力強く自分を主張していて、ひとつとして似た作風のものがない。文字がもつ個性と書家がもつ個性とがあいまって、まるで美しい生物図鑑のようでもある。石川九楊が収集した莫大な数の標本を見ているようだ。
なかには異体字や草書で書かれているために何という字だか一見して判らないものもあるが、それを判読する楽しみも同時に味わえる。
さぞかし京都新聞の読者たちも毎朝新聞を開くのを楽しみにしていただろうと思わせる、眺めるだけでもワクワクさせられる本だ。この連載がとても好評であった証拠にその後も連載は続き、一年ごとにそれぞれ単行本にまとめられている。
ちなみに私の好みは、重力に耐えきれず皆一様に圧しつぶされてしまったような佇まいの「隷書」。
いつか王子駅で
2011/02/28 13:29
「蛇行」というリズム
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
実務翻訳や学校の非常勤講師などをして口を糊している「私」は、ある夜、なじみの居酒屋で知り合いの印鑑職人である「正吉さん」が置き忘れていったカステラの箱を預かることになる。
大切な人に実印を届けにいくと言って店を出たまま、「正吉さん」はその後なかなか姿を現さず、預かったカステラをどうしたものかと思いながらも「私」の日常はゆるやかに過ぎていく。
堀江敏幸の文章特有の、蛇のように長い文がつらなる長編小説。はじめは少し戸惑うかもしれないが、ひとたびその呼吸をつかめば、その独特のゆったりとしたリズムが次第に心地よくなってくる。
ひとつひとつの文が異様なまでの長さを持っていながらほとんど苦にならないのは、細密に描写される文章があちらを修飾しこちらを修飾し、と文字通り「蛇行」しながらも、決して着地点を見失わないからだ。それは蛇が身体を左右に大きくくねらせていながら、少しもたげた首だけはじつは最短距離を通ってまっすぐ進んでいるのと似ている。
この小説には王子駅周辺の風景や、島村利正らの作品の鑑賞、昭和の競馬界を彩った名馬たちへの追憶といったたくさんの要素が織り込まれているが、それぞれの要素と「私」の生活との継ぎ目がとても滑らかで全く違和感がないのも大きな魅力だと言える。
いろんな気持ちが本当の気持ち
2011/02/28 13:32
「貧乏クジ世代」の憂鬱
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
我々「団塊ジュニア」は別名「貧乏クジ世代」(香山リカ)とも呼ばれていて、数が多いばかりに何かと損をしてきた世代なのだが、貧乏クジを引いたといってもそれは受験戦争や就職氷河期といった大きな社会的現象にとどまるわけではない。
というより、本来貧乏クジというのは地味な場面で思わず知らず引いてしまうものであって、地味なだけに大騒ぎするのもどうか、といった困った性質のものである。
長嶋有も「団塊ジュニア」の作家であるが、芥川賞を受賞した後も順調に作品を世に送り出し、最近では大江健三郎賞を受賞したり、小説が立て続けに映画化されたりと、傍から見れば順調な人生なのかもしれない。
ところが彼のエッセイを読むと、やはり同世代ならでは、という貧乏クジ感にうなずかされるところが多いのだ。たとえば、「バンドブームの名曲ベスト3」という文章の冒頭。
「すみれSeptember Love」を一風堂のオリジナルで聴いた世代と、シャズナのカバーで聴いた世代といると思うが、その狭間のカブキロックスのカバーで聴いた世代というのを忘れてもらいたくない。(中略)特にしょぼいところに当たってしまったなあという感じ。
嗚呼、これを貧乏クジと呼ばずして何と呼ぼう。時代を選ぶことができないのはどの世代も同じだが、この本は「団塊ジュニア」がそのなかでも際立って貧乏クジを引いた世代だということの一つの証左でもある。
消費セラピー
2006/08/16 19:33
スローフードの次はスローショッピング
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
古今東西を問わず、世の女性たちの多くが振り回されている欲求の一つが「買い物欲」(かい・ぶつよく、ではなく、かいもの・よく)ですが、その「買い物欲」を上手に飼い馴らしているようにすら見える彼女の買い物エッセイ。
普通の人なら生々しくなってしまいそうな買い物が素敵な消費活動に大変身します(というより、催眠誘導CDとか『宇宙人大図鑑』とか、普通そんなもの買わないよってものも多数アリ)。
ここまで来ると立派な芸です。
カヒミ・カリィの美貌に憧れてロングヘアのカツラを買ったり、どろだんご作りキットでどろだんごを作りつつ、そのだんごにお肌スベスベ効果があるのに気付いて肌をこすったり。
果ては女性にとっての最大の買い物といえる「結婚式」まで疑似体験してしまいます。
言葉遣いは非常に丁寧なのに意外と毒舌で、すべての買い物が「幸福な消費」と「不幸な消費」に分けられるところは、単純明快で笑えます。
ヘタウマ(というよりヘタ)なイラストもエッセイに花を添えていて○(マル)。
文中、スローライフに憧れる一面も垣間見せますが、『すーちゃん』の益田ミリにしても彼女にしても、やはり雑誌『クウネル』的生活は「負け犬」たちの桃源郷、シャングリラなのでしょうか。
彼女が実践している「買い物」の数々も十分スローライフしていると思うのですが。
スローフードが注目されている今、次に脚光を浴びるのはスローショッピングなのかもしれません。
と言いつつ、このカバー写真が恥ずかしくて書店で買わずにネットで入手した私は、スローショッピングには程遠いようです(ちなみに著者は紀宮様の大ファンだそうです)。
ないもの、あります
2011/02/28 13:41
挿し絵の魔力
7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
「思う壺」の「壺」とはどんな形をしていて、どんな機能があるのだろうか。「転ばぬ先の杖」はどんな杖なのだろうか。そんな疑問に答えてくれる(しかも売ってくれる)店があったら……という発想をもとに書かれた本。各「商品」の説明に添えられた挿し絵が何とも可愛らしい。
いわゆる「手垢のついた言い回し」「紋切型の表現」を俎上に載せてからかったものだが、いかんせん「ありそうでないもの」というのは「(なさそうでやっぱり)ないもの」に比べて奥行きがないように思う。慣用句というのは使われれば使われるほど形骸化し記号化するものであり、だからこそ誰もが使うわけであって、そこに想像力の入り込む余地が少ないからだ。
それに比べ、たとえば別役実の『道具づくし』は「ないもの」をまるでそこにあるかのように書いた本だが、不思議なまでに奥行きがあった。「ないもの」というのは作者が自由に想像できるし、読者もまた白紙の状態でそれに相対することができるからだろう。
ところが、慣用句はそうはいかない。漠然と、であってもすでに何かしらのイメージを持っていて、それは完全に凝り固まってしまっている。そこを突き崩して新たなイメージを植えつけるのには、相当の力が要るということだ。
そういう意味ではこの本には挿し絵が必要不可欠だったのかもしれない。
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