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くにたち蟄居日記さんのレビュー一覧

投稿者:くにたち蟄居日記

315 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

これはマスコミ論である

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

最近の新聞の環境関係はいささか過熱気味である。環境が錦の御旗となってかえって僕らは盲になっているのかもしれない。それが本書を読了した感想だ。


 環境問題は優れて科学的な問題であるが その「科学性」に対して疑問を投げかけているのが本書だ。本書で取り上げられるダイオキシンやDDTの話には いささか呆然とした次第である。

 本書が「科学的」に正しいかどうかは 僕には分からない。但し かような問題提起は大いにされてしかるべきであり 本書に対する「科学的な批判」もどんどんされるべきだと思う。

 結局 本書が描き出しているのは マスコミ論なのだと思う。「科学がマスコミに負けた」という主張がいくつか見られる。ダイオキシンにしてもDDTにしても マスコミが必要以上に煽り立て それに僕らが盲目的に乗ったという図式だ。この図式には 正直思い当たる節もある。

 「自己責任」という言葉がある。流行っている言葉だと言って良い。但し 自分で判断する為の情報が正しくなかったとしたら 判断結果が正しい確率は下がるしかない。僕らは 自分が盲目かどうかもわからないに違いない。

 そんな自分の「視力」が非常に心配になったところである。僕らは見えているようで見えていないのかもしれない。

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紙の本

紙の本格差社会 何が問題なのか

2007/02/12 11:58

話は始まったばかり

10人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 読みながら違和感を感じつづけた点をまず正直に表明したい。


 例えば この本を世界の本当に貧しい人が読んだらどう思うのか?彼らからしてみると 日本の貧富の差などは 差でも何でもないと思うだろう。本当の貧富の差とは 収入額の差以前に まず生きていけるかどうかであるという現実が 世界にはあるのだと思う。


 勿論 逆にそういう極端な海外の事例を引き合いに出して 日本の格差社会を論じるのも 乱暴だという反論もありえよう。「日本」という社会の中での「格差」を論じることは それなりの重要性があり 海外との比較は意味が無いとも言えるかもしれない。


 但し その一方では ジニ係数にて 「海外の先進国」との比較は行っているのも本書である。ジニ係数が 正しく「格差」を意味するかどうかの検証という手続きにおいてもう一つ僕に対しては説得力が無かった。北欧でのジニ係数と 日本のジニ係数が どこまで単純比較できるのかという点にも疑問が残った。


 「格差問題」は 今後10年間の日本が抱えた 大きな課題なのだと思う。但し それをどのような座標軸で見ていくことが正しいのか。どのような世界観の中で論じられていくべきなのか。その点についての 本書からの明快な答えは見つからなかった。おそらく 本書も 「格差問題」を扱った初期の代表的な一冊ということにはなるのかもしれない。その意味では まだ始まったばかりである気がする。

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紙の本

実際にそんなことが可能なのかと疑問を持ちながら

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 知人の紹介で読んだ。「お金」と「宗教」という二つの要素が混ざった本だと理解した。

 僕が書店に行って感じることの一つとして、「お金」と「宗教」の本が多いという事がある。「お金」関係は説明の必要は無いと思う。どうやってお金持ちになるのかというテーマの元で書かれた本は山ほど積んである。
 「宗教」に関しては、宗教そのものの本だけではない。もっと広い意味で「宗教」と呼んでも良い本は案外多いと思う。自己啓発やモチベーションといったジャンルの本も読んでみるとかなり宗教に近い本が多い。そもそも人間の心を扱う本は時として宗教がかると僕は思う。

 本書はその二要素を巧みにミックスしている。大富豪という題名=「お金」という入口で読者を誘い、中身は「宗教」に近い性格の本だ。本書の裏の宣伝文句に「これからの人生を豊かに生きていくヒントに満ちあふれ」とあるが、これは新興宗教の宣伝にもそのまま使える。

 僕がこの本に興味を持つとしたら、本書が非常に多くの読者=信者を獲得している点にある。こういう本が売れる社会とは何なのかを考えることは考える訓練になる。
 本書は「経済的な成功と人間としての心の豊かさが合致すること」を主張している。これはいかにももっともらしいが、実際にそんなことが可能なのかと疑問も感じる。そもそも本書で説かれる「心の豊かさ」に関しては今一つ具体性が見えてこない。何かそこにあるように書いているが、結局具体的なのは「物質的な豊かさ」である。クルーザーや大豪邸という舞台で語られる「心の豊かさ」という場面には、やはり若干鼻に付く面は否定出来ない。

 本書を読んでいてはっとさせられた部分もいくつかは有った。但し、それ以上に本当だろうかと自問する場面も多かった。繰り返すが本書が売れているという現実はもっと更に考えなくてはならない。

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紙の本

過渡期の一冊という使命

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 出張の機内で読み終わった。


 ブログを社内で使えないかという動きが初動段階である現在刊行された著作であるだけに 内容的な「薄さ」は否めない。というか 本日段階では 今後果たしてブログが どのように社内ツール足りえるのかが 誰も分からないので これはしょうがないと思う。


 こういう嚆矢の一冊は 3年後で読み返すと 「当時は この程度の話だったのだな」と思うものだ。逆に言うと 今から3年後を どのように見据えていくのかが出来るか出来ないかが ビジネスの分かれ道なのだと思う。


 その意味では 現在に本書を読み込んだ上で そのような展開を自分で考えて 切り開いていくのかが 肝要である。


 「過渡期の一冊」ということになろうが そういう本も 時として大切なのだと思う。

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紙の本

地域発信力の強さとは?

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「ウェブ」をタイトルで謳いながら 「ウェブ」が主人公ではない。


 著者の関心は 地域の「村おこし」のような点にある。「村おこし」を企画する中でWEBを起用するケースが散見されることで タイトルにやや強引に「ウェブ」を飾ったという事なのかと思う。WEB2.0が声高に語られている現在の販売戦略として頷けるものはある。


 但し内容的には IT関係ではなく 寧ろ これも現在語られている「格差社会」に近い地点に立っているのかもしれない。著者は いくつかの地域が その地域発の「発信」を 先進事例として 取り上げている。「格差」とは 直接言及されていない。しかし 「弱者が 知恵を絞って 世界に向けて発信する」という著者の基本的ベクトルは 今の「格差社会」への一つの処方箋を提出していると理解した。


 取り上げられた先進事例は、しかしながら、力強さには若干欠けていると感じた。そもそも「地域発の発信」という事は 僕らにとっては未だ「新しい」のかもしれない。また 日本では 文化の中央集権性向が強いのかとも 再度考えた。

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紙の本

紙の本ウェブ恋愛

2006/12/09 08:03

ウェブ恋愛

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 今「恋愛論」を語ろうとするなら ネット関係は不可欠な時代だ。そういう意識を持って本書を手に取る機会を得た。


 「人と人が出会う」ことで恋愛が始まるとしたら それは「合コン」でも「学校」でも「クラブ」でも 「偶然出会う」という点は同じだ。その「偶然」の一つの方法として ネットが新しく加わっただけだという考え方はあるのかもしれない。
 但し この新顔の「偶然」は「顔が見えない」という点に最大の特徴があることも確かだ。


 恋愛にも作法と規則があると思うが その意味ではネットを介した恋愛では まだ作法と規則が整備中であり その為に いくつかの「混乱」が発生しているのも現代ではないかと思う。おそらく 今は整備中という過渡期であり まもなく「民俗学的なネット恋愛の決まり」が出来るのではないかなと思う。


 本書は ネット恋愛に焦点を絞ったという点では面白いが 作者の個人的な経験に余りに準拠している点で いまひとつ普遍性を感じられないのも確かである。リアル体験の話なので それなりになまなましい点は 風俗観察としては面白い。但し そこで止まっている気もする。
 但し 冒頭言った通り このネットを介した恋愛は 今後10年間は 若者達の 大きな課題になるという予感は変わらない。その中で 一応 嚆矢の一冊と考えたい。話はまだまだ続くのだと思う。そう to be continuedという感じだ。

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紙の本

性欲と食欲は 似ていると考えながら

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 セックスを食欲と比較することが僕は多い。

 人間の持っている食欲の多様性にはいつも驚かされている。甘い物から辛い物まで人間の食に対する好みの多さには感心する。本来の生存の為のエネルギー確保だけで、今の人間の好みの多様性は説明出来ない気がする。

 一方セックスに対する人間の多様性にもいささか感心する。特にネット社会になって従来アクセス出来なかった情報に触れる機会が増えるにつけても、驚くほど色々な性欲があることが分かってきた。それも種の保存だけでは説明が付かない気がする。


 そんな中で本書は、セックスと愛に関して、非常に単純化している点が売り物なのだろう。本書で開陳される男性と女性の考え方は、いささかデフォルメされているせいもあり、取りあえずは笑える部分もあった。

但し、単純化されているセックスと愛情の記述を読むにつれて、やはりある種の不毛さも感じる。人間の多様性というものへの配慮が本書には見られないからだ。勿論、作者達はそれを分かった上で、敢えて単純化することで、本書を成り立たせようとしているのだろうが。

 本書を読んでいて一番興味があったのは「一体だれがどのように本書を読むのか」という点だ。カップルでお互いに冗談として読むなら分かるが、若しかしたら真剣に読んでしまう二人もいるのかもしれない。そんな二人はどうなってしまうのだろうかと最後に思った次第だ。

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紙の本

どのような反響が出てくるのか?

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ホワイトカラーの今後は最近 ホワイトカラーエクセプションがらみで話題となったわけだが そのあたりを突いて 登場した新書であるというのが第一印象である。


 「ゴールドカラー」という新しい言葉を使っている点では読ませるものがあるが 内容は正直既存の本と比べて 余り新し味がない。


 僕が注目するとしたら 要は この本が「中間管理職」にどの程度読まれるだろうかという点にある。かような表題の本が 相当増刷を重ね、かつ 似たような題名の本が更に出てくるという状況が現出したとしたら それは日本の「中間管理職」が相当 動揺してきたという意味なのだと思う。
思えば 日本の高度経済成長は かなりの部分「中間管理職」が支えてきたのではないかと思う。その歴史を踏まえると ここ数年のITバブルに見られる 若者の「活躍」は 彼らをして動揺させるには十分だったかもしれない。ホリエモンの転落も そんな 年配者のstrike backであるという読み方だって十分可能なのだ。


 ということで 本書へ 他の方がどのようなレヴューを書かれるかも含めて注目しているところである。

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紙の本

焦燥感に満ちた一冊

30人中、28人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 金融危機を迎えた現在に 新自由主義をかつて主張した中谷の自己反省の一冊。

 ここ数年経済学の本が面白く読めるようになってきた。仕事との絡みが増えたという理由以上に 「経済学とは人間をどのように考えるのか」という学問であることが分かってきたからだと思う。経済とは ある意味で 結局「人間はどのように考えて どのように行動するのか」を追求する極めて人間臭いものだ。そう考えた途端に 心理学、哲学、歴史学との太い結びつきが眼前に現われて 非常に面白くなってきたところだ。

 本書で中谷は 日本の歴史や宗教に踏み込んでいる。決して 歴史や宗教の専門家ではないであろう 中谷が それらに踏み込まざるを得なくなった点に 経済学の本質が表れている。理論経済学が そもそも「合理的な判断をする人間」を前提としたことが 逆に人間が不合理な生き物であることを浮かびあがらせたということだ。
 若しくは 人間の合理に 宗教や哲学を入れなくてはならないことに経済学者が気がついてきたのだということかとも思う。

 本書での中谷は いささか拙速かつ蛮勇に満ちている。中谷が描き出すブータンやキューバの桃源郷ぶりに関しては 情緒的であり そこには精緻な経済学者の視線が見られない。但しそこに 中谷の焦燥感を感じた。グローバル資本主義というパンドラの箱があき 色々な化け物が飛び出してきたという中谷自身の恐怖感が その「拙速」ぶりに 透けて見えてくる思いがした。そうして その気持ちを伝える迫力において 本書は読みがいがあった

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紙の本

強い楽観とはまた別の地点で

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 梅田という方の本は出るたびに比較的きちんと読んでいる。読んでいて、元気が出るからだ。今回も元気は、それなりに出たのだが、一抹の疑問も感じた。感想は二点だ。


 一点目。梅田という方は、ウェブとウェブ社会に対して、極めて強い肯定を行ってきている。彼の本を読んでいて、元気が出る一番の理由は、ウェブという新しいツールを入手した人間の将来が極めて明るく語られている点にあると僕は思う。楽観性とは確かに人間の一つの強い力である。強い力の傍に居ると、釣られて元気になる。それは自然なことだと僕は思う。

 但し、ウェブ社会というものはそんなに肯定して良いのか。少なくとも、現段階においては、どちらかというと、ウェブという新しいツールをどう使いこなすべきかという点で、人間には色々な迷いもある気がする。自分で作ったものを制御出来ないということは、人間の歴史でもある。自動車事故で亡くなる方の数の多さを見ても、まだ人間は自動車というツールを御しているとは思えない。ウェブが何を人間にもたらすのかはもう少し見る必要がある。



 
 二点目。本書はウェブを通じた教育の話だ。オープンエデュケーションという米国の新しい試みを紹介しつつ、これからの教育の有り方の一つの方向性を示している。但し、今の日本を振り返ってみると、「教育とは、そもそも何なのか」という点で、まず考え込んでしまう。

 僕の年代での教育では 受験を避けて通ることは出来なかった。教育パパ・ママとは、子供に受験を強いる親であり、即ち 教育=受験だった時代だ。受験とは一つの判断基準として社会に広く流布され、受験をするための学習を教育であると考えることが比較的自然な時代だった。このモデルは今崩れつつある。大学を卒業しても働けない社会になっているのが今日の日本だ。

 梅田と飯吉が本書で展開するエデュケーションとは、かような矮小化された教育ではない。但し、彼らが目指している高度な学習が、今の日本の社会の中で、どのような位置付けになるのかが見え難い。非常に下世話に言うと、今の日本で、どのくらい実際に役に立つのかが今一つ明快ではないのではないか。

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紙の本

紙の本おまえが若者を語るな!

2009/06/02 20:22

喧嘩の売り方

10人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書に対しては疑問と共感を感じた。

 疑問に関して。

 本書の基本構造は「喧嘩を売る」事にあると思うが 「売り方」において いささかワンパターンである。ある論者の意見を取り出して「どのような根拠で言っているのだろうか」と疑問を呈する場面が多い。要は「統計などの根拠に基づくものではなく 思いこみで語っている」という指摘なのだろうが それだけで批判を繰り返すのはいささか不毛な気がする。

 一方「そのほとんどが政府統計などの信頼できるソースに基づいている」(190頁)説を反論として起用しているが 「そもそも政府統計が信頼できるソースかどうか」という検証をしなくてはならないのが 著者の攻撃パターンから帰結される作業ではなかろうか?その意味では 政府統計が信頼できると ここで言いきってしまう著者には「どのような根拠で言っているのですか」という疑問を提出できる気がする。


 共感について。

 僕も いくつかの「若者論」を 「難しいながらも面白い」と思って読んできた。但し 最近感じてきたことは それらの論にどれほど普遍性があるのだろうかという疑問点である。オタクの分析は面白いが 果たしてそれが本当に 時代の分析なのだろうか、また 日本以外の世界を分析する 物差し足りえるのだろうかというのが僕の素朴な疑問であった。
 その疑問に関して 本書で展開される著者の議論は ある一つの答えなのかもしれないなと正直思った。



 本書は その攻撃的な文章において 相当叩かれるだろう。これは かの赤木智弘「若者を見殺しにする国」に似ている気がする。
 但し 著者は初めから「叩かれる」事を狙って書いている。それはそれで 古典的な戦略であるし 一つの議論の提出の仕方だ。是非 宮台など 批判された側からの 反論を読みたい。

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紙の本

そろそろ自分の死が見えてきている中で

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 読み易い本である。感想は三点だ。

 一点目。著者は、自らの事業できちんと利益を上げることを目指している。グラミン銀行もしっかり収益を上げていることに重なる。言うまでもないが重要なことだ。
 ボランティアというものには敬意を払うが、ボランティアだけで、世界が救える程に、人間は「人間ができていない」と僕は考えている。きちんとした利を取りながら、結果として、世界に役立つ仕事でないとサステイナブルではないはずだ。
 勿論、「貧者を食べ物にする」ような人も出てくるとは思う。日本の一連の派遣社員を巡る議論の中にも、そういう人が見え隠れしたことは記憶に新しい。その辺をきちんと自他共に律しながら、進めていくことが出来たとしたら、著者のやっているTFTという仕事には大きな可能性があると感じた次第だ。

 二点目。著者は、その自らの経歴において目立っている。オーストラリアの大学院で人工心臓の勉強をし、マッキンゼーから松竹に転職、その上でTFTを始めたという経歴は、ある意味で派手だ。
 派手に眉をひそめる方もあるかもしれないが、僕は、それはそれで良いと思う。そういう経歴がTFTを推進するに当たっても有利になっている様子であるし、TFTが推進出来るなら、使えるものは使うべきだ。

 三点目。本書を読みながら、改めて自分自身について考えさせられた。社会に出て以来、仕事に余り疑問を持たないまま、資本主義の中でやってきた人生である。但し、40歳も半ばを過ぎて、そろそろ自分の死が見えてきている中で、反省することもある。そういう中で、本書が示唆するものがある。

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紙の本

紙の本セゾンの挫折と再生

2010/09/05 08:45

どこかでカーテンコールの響きは残っているような気がして

7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 学生時代に映画を中心にセゾンに憧れた。そのセゾンの興亡は代表だった堤清二という方の哲学にあることを再度認識した。

 学生運動から共産党に入ったという思想と、詩人で作家であるという美学を、どうやって資本主義の中で実現していくか。それがセゾンの本質であったことが本書からよく理解出来た。
 実際、映画や本好きな学生であった僕にしても、セゾンが繰り出す文化には息を呑んだものだ。セゾンがなかったら紹介されなかった映画も多かったと今でも思う。そんな堤の「賭け」は、ある時期までは大成功し、一時代を築いた。

 しかし バブルという資本主義の鬼子が津波を齎した。セゾンも窒息を余儀なくされていった。「思想と美学」という「重い頭」を支える足腰が幾分弱い中では、波に耐えて立っていることは出来なかった。それが本書が描くもうひとつのセゾンである。不動産に手を出して経営破綻する姿は、別にセゾンだけではない。1990年代の「時代の風景」だったのだ。セゾンの挫折は、どこにでもあった風景の一つと言えるだろう。

 幾分理想的に堤が描いた「緩やかな連携」をとってきたセゾングループの各社は、「セゾンの挫折」以降、各々の道を歩くことになった。破綻したグループにあったにしては、優良会社も多かったことも確かだ。それを「再生」という表題にも込めているのが著者達の考え方である。

 堤清二という実業家は辻井喬というペンネームで詩や小説を書いてきた。但し、本当は、辻井喬という方が 堤清二というペンネームで、セゾンという一大劇場を試みたのではないだろうか。劇場は既に閉まり、集まっていた観客も雲散霧消した中でも、どこかでカーテンコールの響きは残っているような気がしてならない。セゾンの評価は、まだ定まっていないのだと僕は思う。それは僕の思い入れもあるのだろうが。

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紙の本

紙の本風天 渥美清のうた

2010/02/07 11:08

渥美清という生き方とは どのような苦労だったのか

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

没後十余年経つが 渥美清という方への興味は今なお失せない。

 本名 田所康雄、 芸名 渥美清 役名 車寅次郎という3つの人格があった。僕は 渥美清イコール寅さんという時代を過ごしてきた。そのころの渥美清は 「男はつらいよ」以外の映画にはほとんど出ていた印象がない。今 思うと「八墓村」で金田一耕助を演じたこともあったわけだが例外と言って良い。渥美自身も国民的映画のイメージを壊さない為に 車寅次郎の中に自分を封印していたということなのだと思う。

 では その田所康雄とはどんな人かというと 見事にイメージがない。敢えて言うなら「田所康雄とは寅さんみたいな人だったのではないか」という一種のトートロジーだ。それほどまでに 田所康雄は 注意深く 消え去られていた。


 俳号 風天 という名前は そんな田所が 渥美清や車寅次郎以外に こっそり持っていた もうひとつの名前であったことが本書を読むと良く
分かる。
 本書で紹介される風天の俳句を読んでいると 決して人には見せなかった 田所康雄の心の動きが 見えてくるような気がしてくる。

 見えてくる田所という方は どこか死を静かに見据えたかのような 達観した人だ。若いころに肺結核で右肺を全摘した経験が齎したものだろう。

 この達観を踏まえて 再度 「男はつらいよ」を見直してみても面白いのではないかと思う。車寅次郎が 一瞬 田所康雄の顔になっている場面がきっとあるに違いない。なぜなら「男はつらいよ」という喜劇の面白さは 常にその裏にべっとりと張り付いている 人生の寂しさという隠し味にあると僕は思っているが そんな寂しさは 風天のいくつかの俳句にも実に通底しているからである。

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紙の本

紙の本チーズはどこへ消えた?

2009/01/18 05:51

チーズの品質が問われる時代となって

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 米国発の金融危機が世界を覆い尽くそうとしている2009年1月に本書を再読してみた。

 まさに 現在は「チーズが消えた」状況にある。あれほどまでに時代を謳歌した米国の金融界が これほど苦しむ時代が来るとは誰も想像できなかったに違いない。
 但し「チーズが消えた」理由は 比較的はっきりしているのではないかと思う。やはり米国式の金融資本主義は 実は「毒入りのチーズ」を作っていた点にある。毒は食べない間は問題を起こさなかったわけだが 結局 改めて まじまじと品質を見極めると その毒では食べようが無いことがはっきりわかり 誰も買わなくなったわけだ。

 そう考えると かつて たとえば本書を読んで 新しいチーズを探してきた人たちが 工夫を重ねた末で とんでもないチーズを自ら作ったというのが 最近の物語だ。

 本書は 「チーズを探す点」において感動的だが そもそも 「そのチーズとはどのような品質であるべきか」という点が盲点になっているのではないかと 今思う次第だ。そう考えると 本書で食べ物であるチーズを例えで使ったことは なかなか象徴的なのだと思う。
 一連の食品を巡る偽装や原材料の問題を見るにつけても「チーズの探し方」だけでは片手落ちであることが次第に見えてきている。本書を乗り越える新しい寓話が期待されているのだと思う。

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