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楽しい我が家さんのレビュー一覧

投稿者:楽しい我が家

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紙の本琉球弧・重なりあう歴史認識

2007/04/11 20:13

本の意図を読む楽しみ

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 書評に誘われて読んでみた。
 どれほど過激な内容なのかと思う。しかし、読後感はいささか違う。これまでの「常識」を根もとから見直そうとする緩急おりまぜた論集である。
 20歳代から80歳代までの、専攻分野も出自も異なる8人の論考が収められている。一見、まとまりのない論集のように思える。ただ、ひとつの共通点と言えば、奄美から八重山に至る琉球弧の連なる島々を対象にしているようにしかみえない。しかし、この論文群の配置・布陣は、計算されていることが次第にわかってくる。焦点は、従来の「琉球弧」に対する地域認識・歴史認識、あるいは既存の学問の枠組みを根底から覆そうとしている点にあるように思う。
 冒頭に配置される考古学の高梨修は奄美諸島史が鹿児島県史からも沖縄県史からも疎外されてきたことを、奄美の「グスク(聖地にして埋葬所)」研究を梃子に語る。奄美の考古学研究すべてが琉球王国成立論のための道具にされてきたにすぎなかったと。続く吉成直樹は論文の後半で、近年の奄美考古学の成果を高梨修のこれまでの研究成果に依拠しながら、琉球王国とは沖縄島の内的発展によって成立したものではなく、外的衝撃によって成立したとする見解を提示する。このふたつの論考に見ることができるのは「沖縄中心史観」を根本から見直そうとする強い思いだ。
 そしてひとつ置いて「日琉同祖論」にかかわる論考が二つ並ぶ。民俗学の大御所である酒井卯作の「幻の島」と文化人類学の高橋孝代の「「琉球民族」は存在するか」である。言うまでも無く、前者は「日琉同祖論」に基づく論考であり、後者はエスニシティ論の立場から「日琉同祖論」を断罪する論考である。ここにも配置の妙がある。判断は本書を読んだあとの読者に委ねられる。
 そして「沖縄中心観」と「日琉同祖論」の間を繋いで與那覇潤の論文があり、本書の締めくくりに坂田美奈子の論文がある。これは、いずれも方法論の、あるいは対象に対する視線をめぐる論考なのである。「学問という知の枠組」を根本的に組み替えてしまおうとする論考であると言いかえてもよい。ふたりとも大学院の博士課程在籍というが、決して侮ってはいけない。こうした世代がやがて研究の中心的な位置を占めるようになると、「学問の枠組」という大樹に寄りかかりながらの研究は、吹き飛ばされてしまいかねない。
 最後から2番目と3番目は「外国人」による論文群である。スティーブ・ラブソンはアメリカにおいてみずからがマイノリティであったことを大阪に移住した沖縄人に投影しているかのようであり、リース・モートンはポストコロニアリズムの視点から大城立裕の文学を分析する。ここでも、政治の影はいつまでも追いかけてくるのである。
 こうしてみてくると、本書は、何の脈絡もない8本の論集なのではなく、さまざまな立場からの研究という見取図を作成しながら、これまでの「常識」に異議を申し立てることを意図した論集であるのは明らかである。
 研究者はすべからく「神」である、少なくとも「日本」では。「神」は一番偉い。「神」は誤ることは許されない。「神」はいささかでも傷つくことを怖れる。そうした神々の群れが、自由な発言を妨げる。研究者の上に、本当のことを知る神がいると考えてみたい。研究者は、神ではないのだから、所詮、本当のことを知ることができない。そう考えれば、自由な発言をする場はつねに確保される。その玉石混淆の議論の中から、よいものを磨き上げればよい。本書に共感を覚えるのは、こんな雰囲気が伝わってくるからである。

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