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  3. k-kanaさんのレビュー一覧

k-kanaさんのレビュー一覧

投稿者:k-kana

121 件中 31 件~ 45 件を表示

紙の本

紙の本悪文 裏返し文章読本

2007/03/12 11:37

すっと頭に入ってこないのが悪文だ

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「裏返し文章読本」という副題が附いている。原著は1995年/5月の刊行、すでに10年を超えている。文章からいっさいの言語技術的な要素を排除することはできない、文章には何らかの書き手の工夫——方法論があったはず。表現上のくふうなしに文章は書けない、というのが著者の立場。
この種の文章読本はそれ自体の文章力が問われるはずだが、文章読本がすぐれた文章で書かれたためしがないという。その点、この文庫本は類書と一線を画すのではないか。著者の語り口は柔軟であるが、ずばり平易な言葉で本質をついている。
あえて漢字の多用を避けているようでもあり、わかりやすい言葉をつかっている。たとえば、本書のテーマである「悪文」について、「一読してすっと頭に入ってこないのが悪文だ」と言い切ってしまう。すぐれた文章だろう。
また、内容が極度に低劣であれば、それだけで充分に「悪文」の資格をもつという。ことばづかいに一つの誤りもなく、巧みな表現を駆使して、効果的に構成された文章であっても、それだけですぐれた文章だとするわけにはいかない。何が書いてあるかがもっとも肝要なのだと。
文章読本の冒頭には、「読み手の立場に立って書くように」とあるのが普通だ。読者のイメージを書く前に頭の中に持つことと説くわけだ。使う言葉の選び方もここに関わってくる。誰が読むのかをつねに念頭におきながら書くこと。しかも、たいていの読み手は書き手よりえらいと考えたほうがいい、と著者はいう。
読み手のことを頭におき、こういう書き方ではたしてわかってくれるだろうか、と考えるようになれば、それだけでずいぶん違うという。他人が読むというこを考えて文書を書く習慣がつけば、最低限の目的ははたすからだ。わかりにくさは自分で気づかないかぎり、防ぐことはできない。
こんな警句も耳に残った——「辞書なのは、包丁を持たない料理人にたとえられる」。
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紙の本

ピリリと辛い日本語探索

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この「お言葉ですが…」シリーズ、『週刊文春』の連載は1995年の5月に始まり、まだ続いている。愛読している。「ピリリと辛い日本語探索」とでも言えよう。本書は、このシリーズ第10冊。単行本としては、打ちどめの最終冊だそうだ。売れゆきはかんばしくないのか、世の中は携帯メールで間に合い、言葉のひとつ一つを吟味する余裕はないということか?
ピリリとした著者の偏屈ぶりは本書でも遺憾なく発揮されている。とくに大出版社とか大新聞社が、大きな看板に比べて、その本質がこけ脅かしで思わず馬脚を露わしてしまったようなとき。また生半可な知識を振りかざす似非学者に厳しい。
例えば三省堂の四字熟語の辞典について。なんでもかんでもむやみやたらに並べ立ててあり、作った人の見識がないという。こんなゴミためみたいなものをつくるようになってはいけない。「辞書の三省堂」も落ちたものだと。岩波書店のものは奇抜だそうだ。基準がキチンとしていない、行きあたりばったりだという。
産経新聞に載った「白骨温泉騒動」というエッセイを読む。ここに引かれた斎藤茂吉の短歌から話がひろがる。文語の詩歌を新かなになおすのは馬鹿だという。温泉教授の教養が暴露されてしまう。そして、この産経の文化部というのはどういうことになっているのだろうと慨嘆する。
著者の音感は鋭いと思う。かねて、オペラを原語でなく日本語でやるときにどうも違和感があったのだが、思わず、そうだったんだと合点した。こう言っている。
日本語は、音の弱い、特に子音の弱い言語である。口先だけで音を出す。対して西洋の言語は音が強い。声楽では訓練によってそれをさらに十倍も強くする。声楽を学んだ人がうたう日本の歌を聞くと異様な感じがするのは、それが日本の音ではないからである。チやシなどは、音が跳びだしてこっちの顔にぶつかってくる。
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紙の本

紙の本誤読日記

2005/08/04 20:31

意外とオジン的かも

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

斎藤美奈子はもう書評界のブランドである。サービスの質の高さで裏切られることはない。
本書を手にとってを読む人は、①斎藤美奈子の切れの良い啖呵を楽しみたいと思う人——誰を相手に、どんなワザで臨むのか。手練の名人芸を楽しみたいと。②彼女がどんな本を俎上にのせているのだろうか——たとえ悪口のメッタ切りであっても読んでみたいと思う人だろう。大新聞の読書欄に取り上げられる、もっともらしい本の数々にウンザリしている人間には目からウロコである。こんなにもアホらしいけどタメになる本があるんだ、と。
いわゆるビッグネーム——立花隆・丸谷才一とか、朝日新聞・東京大学とか——に対峙するとき、舌鋒はときに鋭くなりますね。『闊歩する漱石』(丸谷才一著)を評して、これほどご陽気な漱石論は初めて読んだと、海老にたっぷり衣をつけた天ぷらのやう、と喝破するのだから。天声人語については、得意ワザは竹に木を接ぐ「ウルトラ接ぎ木」、と一刀両断である。また、東京大学出版会の『少年犯罪』でのグラフ不備の指摘など、当の著者は恐れ入りましたではないか。
バラエティに富んだ175冊である。話題の貴乃花親方が絵本『小さなバッタのおとこのこ』を出しているなんて初耳です。もう「相田みつを、って誰?」なんて言えません。
ちなみに最後のページの著者名索引から、2箇所以上で引用されている作家をひろいだすと。数人が該当しますが、しっかりと五木寛之、渡辺淳一が食い込んでいますね。意外と斎藤美奈子はオジンかな。
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紙の本

紙の本古代国家はいつ成立したか

2011/09/03 18:06

邪馬台国はどこにあったか?

6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

日本で最初の古代国家は7世紀から8世紀に誕生した律令制国家である。国家には土地の分配・税・生産・経済など多面にわたる複雑な仕組みが要求される。この仕組みは永い時間をへて構築された。未成熟な国家の制度が試行錯誤されながら蓄積されていったはずだ。研究者は、この未成熟な国家段階に「初期国家」の名前を与えて注目している。日本の初期国家は、古墳時代にあたるというのが、著者の主張である。

「初期国家」という耳新しい概念を著者はていねいに紹介し、律令国家への道筋をわかりやすく実証的に提示してくれる。NHKの人間大学の講義がベースになっているからだろう。それに、新しい知見をさりげなく紹介しているのもちょっと刺激的だ。たとえば、弥生時代は紀元前500年から始まるとされてきた。近年の炭素14の残留量によって木の伐採年代を決定する測定法では、弥生時代は紀元前1000年に始まるとのことだ。

日本で初めての中央政権、邪馬台国が西日本に成立したのは2世紀末。卑弥呼が没したとき、残された権力集団は巨大な墓=前方後円墳を築いた。奈良地方に列島のほぼ全域を支配する大和政権が生まれたと推定できる。

ちなみに著者は邪馬台国大和説を支持している。古代からの中国や朝鮮半島の地理観では、日本列島は九州を北に青森県を南にして、実際の位置とは90度ほどのずれがある。これは、15世紀の明の時代から保存されている地図で裏付けられるという。『魏志倭人伝』の記述から邪馬台国の位置は大和になるという。

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紙の本

紙の本深読みシェイクスピア

2011/04/02 07:19

「マクベス」のキーワードは”we”

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

さすがに外題が、『深読み……』なので、日頃シェイクスピアなど読んだことのない輩――黒澤明の「蜘蛛の巣城」に触発されて「マクベス」の上演に出向いたわずかな体験しかない――にはちょっとハードルが高いと思ったのだが。

読み進めると、シェイクスピアの戯曲の奥深さが浮かび上がってくる。戯曲のひとつの台詞が、たしかな意味づけを持っていることを教えてくれる。

「マクベス」の翻訳で最大の発見は何でしたかと問われて、松岡さんは”we”と答えている。この単語をどう読むかによって、作品全体にたいする見方が変わると。

スコットランドの王ダンカンを迎えた将軍マクベスが、晩餐の席を退座し国王暗殺をためらって「例のことはもう止めにしよう」と妻に言う。続く二人のやりとりにはどちらにもweがある。

マクベスとレイディ・マクベスは一心同体のカップル。ダンカン王暗殺計画も夫婦の共同正犯で、マクベスが事を成就して王位に就くことを強く願っている。結びつきの強さが、このweの使い方に端的にあらわれているという。
「もし、しくじったら、俺たちは?」、「しくじる、私たちが?」と、weをはっきり訳したそうだ。

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紙の本

情報工場のノウハウ満載

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者の内澤旬子さんは乳がん治療の克明なレポートで承知しているのだが、あらためてイラストルポライターという肩書きを知った。本書でも精密感のあるイラストが何より特徴的だ。

他人の住まいぶりをのぞき見ることは悪趣味だろうか。他人の本棚をのぞくことほど楽しいことはない。どんな本が並んでいるのだろうと興味津々だ。ふらりと知らない駅で 降りて、駅前の古本屋をチェックする楽しみに通じる。思いもよらない本に遭遇すること。

それと読者にとっては切実な問題がある。本はいつの間にか増殖し生活空間を浸食して行く。邪魔でバッチイとか、重くて床が抜けるとか、常に家人から強いストレスを受けることになる。ほかの人はどうやって折り合いをつけているのだろうか。読者は理想的な書斎をいつも夢みているのだ。

スチールキャビネットが連立するスライド式の豪華書斎がある。これは幸せな本の置き場(書庫)だ。一方、本という媒体から情報を取り入れて、それを再生産する――文章を書く、研究する、デザインを創りだす場としての書斎がある。情報工場とでも言ったらいい。

本書には、このような情報処理のベテラン(センセイ)の、効率的な情報工場をどうやって限られた空間に実現するかという、バリエーション豊かなノウハウが詰まっている。もっとも過激なのは辛淑玉さんの例だ。「本は読み終わると、必要な部分だけ取っておいて、あとはびりびりと破いて捨てちゃう」とのこと。ちぎられた本は封筒に入れられて本棚に項目別に並んでいる。

言わずもがなの注文だが、文庫本サイズでは精密なイラストを存分に楽しめないのが残念。

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紙の本

技術の歴史は失敗物語

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

たしか単行本発刊の折りに、本書を手にしていたはずである。文庫ライブラリー化の機会に改めて読みなおしてみた。いつもながらのペテロスキーの柔軟な語り口に感心するとともに、工学系の学生への入門書として最適ではないだろうかと感じた。身のまわり至るところにある工業製品――パソコンはもちろんとして、なにげないペーパークリップでさえも――すべてが技術者の知恵をしぼった、工学的な設計の所産なのである。

本書の明確なテーマは、いわゆる「失敗学」と言っていいだろう。工学の歴史に成功の物語があったとしても、それは幾多の失敗を乗り越えてきたものである。失敗の物語は工学技術の基礎だ。単純なペーパークリップから、シャープペンシルの芯やジッパーにいたるまで、アイデアを実現するためには、ひととおりの過程では終わらない。その製品がどのような機能不全(失敗)におちいりかねないかを、あらかじめ予測できるか否かが成功につながると言う。

見るからに複雑な工業製品――ファクスとか飛行機など――の開発で技術者が取り組むのは、ほとんどが失敗の計算である。不具合を事前に予測して対応策を組みこむことだ。橋梁を設計するとき、技術者はどれだけの荷重を安全に支えられるか、また橋の中央部のたわみはどこまで許容されるか、をきちんと理解しなければならない。

ボーイング777ジェット旅客機の開発では、CAD(コンピュータ支援設計)が活用された。1機の飛行機には300万個を超える部品が必要という。膨大な部品どうしがお互いに干渉しないように正確なチェックをしなければいけないが人手では不可能である。どうしてもコンピュータによる設計作業が必須だ。何気なく手にするビールのアルミ缶にしても、不意の爆発を防ぐために慎重な強度設計が求められる。失敗が実際に起きる前にその芽をつむこと。

ペーパークリップ――最も単純にみえる工業製品が、工学の本質について多くを物語っている。この100年間に、針金のクリップだけでも何百という特許が認められたそうだ。それぞれが、自分のクリップがいかに「先行技術より優れている」かを主張している。たくさんの紙をクリップできる、取りつけやすさ・取りはずしやすさ、安全性・経済性等々。既存のクリップのデザインの欠点に対して、技術者が一つひとつ解決案を模索して繰りかえし取り組んだ証拠である

技術者の取り組む世界は、ネットワークやシステムの設計にも拡がる。アイデアを思いつき特許を取り出資者を確保するだけでは不十分である。例えばファクスであれば、伝送の標準化というアプローチが必須である。ファクスの送る側と受ける側が、それぞれ同一の伝送の約束に従っていればこそ、送受信が可能になり意味をなすのだから。

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紙の本

紙の本「昭和」という国家

2009/10/29 20:04

自己を絶対化することで国を誤っていた

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この秋からNHKテレビで『坂の上の雲』が放映されるそうだ。本書の増刷はこの放映時期にタイミングを合わせたものであろう。司馬遼太郎は生前、『坂の上の雲』を映画とかテレビとかの視覚的なものに翻訳されたくないと言っていた。ミリタリズムを鼓吹しているのではないかという誤解を懸念していたのである。

日本はなぜ「昭和」という破滅への道を歩んだのか、という疑問を司馬遼太郎は戦後40年ずっと考え続けてきたという。最初に考えさせられたのは、昭和14年のノモンハン事件であったという。日本という国を、昭和元年ぐらいから敗戦まで、魔法使いが杖をポンとたたいたように、その国全体を魔法の森にしてしまった。魔法の森からノモンハンが現れ、中国侵略も太平洋戦争も現れた。

参謀本部という組織が国家の中枢に居すわった。この仕組みは、さかのぼれば、日露戦争の勝利が始まりのときであった。ここから日本はいわゆる帝国主義の道を歩み始めたのだ。
日本国民は日露戦争に完全に勝ったと思っていた。だからロシアからたくさん金を取れ領地を取れといった。日比谷公園に集まった群衆はほうぼうに火をつけたりした。この群衆こそが日本を誤らせたのではないかと、司馬は言う。日比谷公園の群衆は日本の近代を大きく曲げていくスタートになったと。

軍部および政府は日比谷公園で沸騰している群衆と同じように――戦争の状況を全部知っているにもかかわらず――不正直に群衆のほうにピントを合わせる。もしそのとき、勇気のあるジャーナリズムが日露戦争の実態を語っていればと思う。満洲の戦場では、砲弾もなくなっていた。これ以上戦争が続けば自滅するだろうという、きわどさだったのだ、と。正直に書かれれば、日本はその程度の国なんだということを、国民は認識しただろう。

日本のジャーナリズムは、自国を解剖する勇気を持っていたか。日本海海戦の勝ち方にしても、こういうデータがあったから勝ったのだということを、冷静に客観視して、自分を絶対化せずに相対化するジャーナリズムがあったらなと思う。そういうレベルの言論があれば、太平洋戦争は起こらなかっただろう。日本軍は満州事変以後、自己を絶対化することによって国を誤っていったのだ。

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紙の本

小泉純一郎に読ませたい

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

胸のつかえが取れすっきりした読後感である。ひところダーウィンの言葉というのがやたらと引用されていた。曰く「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」と。あの小泉元首相が言ったとか?

ところが、この言葉は、ダーウィンの著書のどこにもないそうだ。政治家とかが自分の主張を正当化するために勝手にダーウィンを騙っていたのだという。道理で岩波文庫の『種の起源』を隅から隅までページをめくっても見当たらなかったわけだ。

2009年はダーウィン生誕200年。また『種の起源』出版150年とのこと。本書の目的は、ダーウィン研究の新しい成果を踏まえて正確な事実を伝えること。根拠なく広まっているダーウィン神話の誤りを指摘することだ。例えば、ダーウィンが進化論を着想したのはガラパゴス諸島だったのだろうか。著者によれば、ダーウィンは柄派牛頭諸島で、直接に進化論に結びつくような観察はしていないし、生物進化の可能性も考えてこともないという。

それと、ウォレスとの間で繰り広げられた、進化論の先陣争い――『ダーウィンに消された男』という邦訳で刺激的な話題を提供したものだ。ウォレスの論文は「あらゆる種は別の種から生じた」という主旨なのだが、表現があいまいなために、ダーウィンは自説と同じものだと誤解したことにあるという。

ウォレスは、種と変種との闘争に着目し、それによって進化が進むと主張している。ダーウィンのような生態学的な観点がなく、両者の考えは大きく異なる。分岐の原理とは、生態的に分岐した生物ほど生存に有利であり、その結果、生活様式の違いによって種の分化が起こり、枝分かれ的進化が進行するというものだ。ダーウィンがこの分岐の原理に到達し著述するに至ったのは、確実にウォレスの論文の前だという。

当時は、多様な生物の存在など自然界の巧妙な仕組みを、神のデザインとしてひとくくりに済ませるのが主流であった。ダーウィンの自然選択説は、偶発的で無方向な遺伝変異が進化の素材であり、それと環境条件とのかかわりがあって新たな適応形質が生まれるというもの。無目的な自然現象の中から生物の適応、すなわち合目的性がもたらされることだ。

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紙の本

紙の本老いて賢くなる脳

2009/07/02 08:57

アンチエイジングの秘術はあるのか

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

その気になりそうなタイトルにひかれて、思わず店頭でこの本を手に取ってしまった。アンチエイジングとか言う秘術を教えてくれるのだろうか。たしかに、年をとっても、かくしゃくとして知的活動をバリバリ続けている人がいる。ゲーテが『ファウスト』の第1部を出版したのは59歳。そして第2部はなんと83歳だったそうだ。

ヒトは老いれば脳も老化し萎縮してゆく。海馬の萎縮はアルツハイマー病の兆候と言われる。加齢とともに精神活動そのもののスピードが落ちてくる。新しい概念のマスターとか、根をつめる知的作業はなかなかできなくなってくるのが実感だ。

ところが、神経学的な衰えにもかかわらず脳は知的活動を保つ。パターン認識の活躍で問題解決能力を発揮できるという。この「パターン認識」とは、いま直面している問題を、類似したできごとから投影された共通特性(テンプレート)と、照合すること。

認知テンプレートが増えると問題解決がパターン認識で効率的になる。マッチするテンプレートが保存されていれば、その都度ニューロンを総動員しなくても楽々と意志決定ができる。多彩なテンプレートの在庫があれば、年齢をどんなに重ねても、ときには認知症にやられても、精神の働きは若さを保つのだ。

著者はさらに脳の二重性――脳の器官はどれも2個づつある――についてユニークな「新旧分担説」を提唱している。右脳は未知の世界を探索する役割を持つという。大胆で新しいもの好きの脳。対して左脳には経験的な知識が凝縮されて保存されている。年齢とともに右脳は左脳より速く老化していく。しかし左脳は認知活動によって強化されるため、老化の影響を受けにくい。脳は使えば使うほど元気になるという。

精神活動の主導権が右から左に移ること――右脳から左脳への重心移動。これは、数時間単位の短いものから、何年もの年月を費やす長いものまで、およそすべての学習プロセスに共通して見られる現象だという。過去の膨大な経験をもとに新しいことを解釈する左脳は、熟年世代にとって重要な存在となる。認知活動の重心は生涯をかけて右脳から左脳へと移るのだ。

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紙の本

紙の本モーツァルト=翼を得た時間

2008/11/11 16:28

新しい発見が聞こえる

6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は原本が既に1988年に刊行されている。著者・磯山雅さんのほかのバッハ関連の著作と同様に、新鮮な読後感を得ることが出来た。また、厳密を旨としながら読みやすい誠実な文体が印象的である。

例えばモーツアルトのト長調へのこだわりである。《魔笛》のパパゲーノのアリアがト長調で書かれているように、モーツァルトは、ト長調で発想するときに、もっともみずみずしい翼を得るという。《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》もそうだ。モーツァルトほどト長調の世界を愛好した人はいないだろうと。

モーツァルトのオペラには、《イドメネーオ》ばかりでなく、実際の親子が登場しない場合にさえ、父子関係に相当するモチーフを発見できるものが少なくないという。それに、《ドン・ジョヴァンニ》にせよ《フィガロの結婚》にせよ、その関係が屈折して複雑であればあるほど、モーツアルトの表現が冴えを増すのだ。

モーツアルトの最後のピアノ協奏曲(第27番)にもびっくりだ。この曲を聞くと透明な秋空を思わせるイメージが端々からわいてくる。とてもモーツアルトが当時、金銭的にも困窮の極にあったとはうかがい知ることができない。かつての華やかな名声を失い肉体的にも疲弊していた最晩年の厳しい環境のなかからこの名曲が生まれたとは。

ところが、音楽学者アラン・タイソンによれば、このピアノ協奏曲の大半は、従来言われていたようにモーツアルトの最晩年(1791年)に寂しく書き上げられたものではないという。すでに1788年に第3楽章の途中までが作曲され、91年はその完成と「自作品目録」への記入が行われたにすぎないと。タイソンは、この協奏曲に使われた用紙を綿密に分析したうえで報告しているそうだ。

88年は、第39番・40番・41番《ジュピター》が作曲された、いわゆる三大交響曲の年である。従来この協奏曲には最晩年の澄みきった境地があるとされた。タイソンの新説が強い実証的根拠をもって登場したことは、震撼させる出来事であったと、著者・磯山雅さんは言う。われわれは、何を聴いてきたのであろうか?研究者や聴衆はもちろん、直感にすぐれた演奏家たちでさえ、この曲が最晩年のモーツアルトの心境を語っている、とする見方に反対する人たちは、ひとりとしていなかったのだから。

こうした世界を、モーツアルトは三大交響曲の時点で、すでに覗いていたのではないだろうか?モーツァルトはこの年に、自分の死を覗き見るような、特別な体験をしたのかもしれない。そしてその体験を通じて、モーツアルトは人生に対し何かふっきれるような感覚を得たのだ。
88年にすでに、モーツアルトの最晩年が始まっていたのだと。

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紙の本

紙の本脳は奇跡を起こす

2008/05/25 11:06

コレヲタノシムモノニシカズ

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「之を楽しむ者に如かず」とは論語の言葉。楽しんでやっているときには、きっとドーパミン(神経伝達物質)がたっぷりと放出されて、どんどん仕事もはかどるのだろう。孔子は既に何千年も前に、脳活性化のメカニズムを理解していたわけだ。

かつて脳に関して漠然ととらえていた常識はこうではなかったか。例えば、子ども時代を過ぎれば、脳の神経細胞(ニューロン)は成長をストップし、あとはただ衰えていくだけとか。脳がダメージを受けると、その損傷部位が司っていた身体機能が失われてしまうとか。脳はコンピュータのような精密機械であり、脳の機能は固定化・局在化されたものだと。

本書は近来の脳研究の成果を縦横に渉猟し、この常識を見事にくつがえす。「脳は自ら変化する」という。脳=人間は変わりうる存在であるということを、具体的な科学的事実に基づいて伝えてくれる。人生の後半にさしかかり脳老化の自覚症状をもつ人間にとっては、意欲さえあれば、まだまだ進歩し前進する可能性を秘めているのだという、勇気を与えてくれる書である。

キーワードは「可塑性」である。変化できる・柔軟な・修正できる、という意味。脳には、ニューロンの結びつきを変化させることでその働きを更新していくという能力――可塑性――が備わっている。もし脳のある部分がだめになっても、ほかの部分が、その仕事を引きつぐことができる。損傷を受けた場合には、ときに脳自体を再編成し、だめになった部分の役割を別の領域が補うのである。

本書で紹介されている事例も驚くべきものだ。例えば、平衡感覚を失ったために、ひっきりなしに転んでしまう患者が出てくる。舌を通して平衡感覚の情報が伝わるようにした結果、自分の姿勢をコントロールできるようになり、普通の生活をおくれるようになったという。舌のぴりぴりした感覚は、ふつうなら脳の体性感覚野にいく。ところが、それが脳の新しい経路を通って、平衡感覚を処理する場所にいっているのである。

幻肢痛という、ケガとか事故で腕を失った場合に、感覚はあるのに姿が見えない――あたかも腕があるかの様に痛みを感じるという症状がある。この幻肢痛の解消にも可塑性が利用できるという。脳に偽の信号を送って、患者に存在しない手足があたかも動いていると信じこませる方法だ。患者に刺激をあたえつづけることによって変化が生じ、脳マップがつなぎなおされて幻肢痛が消えるという。

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紙の本

JR福知山線事故を忘れない

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本書のテーマは、人間個人の注意力には限界があり、事故を防止するためには、集団・組織・機構・機械・環境などの整備で、人間の不完全さを補っていく必要があるというものだ。事故から学ぶことの大切さを訴える。真の事故原因がわかって、初めて効果的な対策が生まれるのだから。

2001年の初版であるが、内容は決して古くない。たしかに新著ならば、2005年4月25日に発生した、あのJR西日本の福知山線列車事故への言及がなければならないだろうが。

医療事故を例に組織安全学が提唱されている。人間や組織の犯す犯罪には「エラー」と「ルール違反」があるという。横浜市大病院での手術患者の取り違え事故の報告(1999年)では、エラーやルール違反として次のような事項をあげている。

(1)エラー;手術室ホールの騒音で病棟看護婦の告げた患者名が手術室看護婦に十分に伝わらなかったかもしれない。(2)ルール違反;病棟看護婦と手術室看護婦とが患者を受け渡すとき、2人目の患者については名前を呼んだり、復唱したりすることを行わなかった。(3)ルールの欠如や不適切;執刀医は、患者の容態がカルテの記載と異なっていたにもかかわらず手術を続行した。

エラーを発生メカニズムの視点で考えると、認知科学者ノーマンによれば、ミステイクとスリップの2種類になる。ミステイクは「誤った目標の選択」。状況の把握が不適切なために不適切な目標を選んでしまう誤り。「患者を似た名前の別の患者と思いこんで薬を渡してしまった」など。実行者自身が発見するのは難しいエラー。
スリップは「目標に会わない行為」。不適切な行為を無意識に行う誤り。「手術中に手元が狂い臓器を損傷させた」など。起こったとたんに実行者が失敗したと気づくエラーだ。
事故予防には「エラー」と「違反」を区別し、それぞれを引き起こす条件を取り除く対策が必要である。

組織事故の発生メカニズムを説明するものとして、「スイスチーズ・モデル」が紹介されている。スタッフや機械が危険を発生させたとき、通常は階層的な防護(人や設備)でそれが事故になるのを防いでいる。しかしチーズの穴――防護が不十分な箇所がたまたま重なったところを、その危険がくぐり抜けて事故が生じるというものだ。

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紙の本

パワーポイントばかりに頼らず黒板も使ってみよう

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科学研究の成果を発表する技術――「理系のための口頭発表術」は、いわゆるディベートとは違う。プレゼンテーションなどのノウハウとも異なる。優れた発表は熱意と努力と創造性の賜物。発表術は努力して習得する専門技能なのである。

米国では本書が実践的な教科書として、発表技術のトレーニングに利用されているようだ。全体は4章に分かれている――発表の準備・物語の構成・視覚素材・話し方の技術。それぞれの章の最後には重要ポイントがコンパクトにまとまっているので、これを読むだけでも十分かも。

本書のテーマは聴衆を引きつけるためには20の原則があるという。重要ポイントを並べればこうだ。

発表は聴衆との対話である。聴衆が発表から何を知りたいかをず念頭におこう。そして、発表の準備に取りかかる前に、内容を数個のきちんとした文章にまとめてみよう。そうすることで、発表の主要ポイントと聴衆への「お土産メッセージ」にはっきりと焦点が合うだろう。

時間配分を考え発表をデザインすることも大切。「3分割の原則」がある。(1)最初に<これから何の話をするのか>を話す。(2)次に<そいつ>を話す。情報を提供する核心部分だ。(3)最後に<いま何の話しをしたのか>を話す。

全体の構成では、はじめに展望を示すことが重要。簡潔かつ正確に発表内容を表わすこと。副題をつけて範囲を限定するのもよい。結論は簡潔に。決定的な結論(お土産メッセージ)を示すこと。よく練った一言や、工夫された図1枚があれば問題はない。結論を述べたらただちに、きっぱりと幕を下ろすことだ。

視覚効果のやりすぎは邪魔者でしかない。黒板を使うのも効果的だ。発表者は歩き回って黒板に書き聴衆に話しかけることで、聴衆を能動的な参加者へと変えることができるのだ。

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紙の本

知識が事故防止力になる

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JR西日本・福知山線で起きた脱線事故。死者100名を超える悲惨な事故であった。事故の要因に、過密ダイヤのなかで遅れを発生させずに運行するために、乗務員に過度な負担があったのではないかとの論議があった。遺族側からは、安全を軽視したJR西日本のトップの経営姿勢にまで踏み込むべきとの批判があった。著者は事故の分析と対策の立案には、多様な視点が必要であるという。

事故の撲滅にはトップのやる気が一番の鍵であるとの主張が根強い。たとえば小集団活動で中間管理職のリーダーシップが安全に貢献したの実証研究だ。小集団法の導入の結果、バス会社の交通事故が激減したという。

「動機づけと実行力とを区別する必要がある」とは著者が繰り返し主張している。本書の基調テーマではないか。この研究例にしても、集団活動では作業の手順を含めた具体的な安全の実践手順まで討議したはずである。小集団活動による事故減少は、動機だけでなく具体的な手順を話し合うことで実行力も高めた結果でもあるのだ。

交通心理学では、事故に関するさまざまな要因が最終的に運転者の行動にどのように出現し、いかにして事故に結びつくかを解明しようとする。事故に関する要因として、たとえば上司のリーダーシップや社長の方針などの社会的環境、あるいは「安全文化」があげられても、それがどう運転席の行動と結びつくかを説明しなければならない。

事故にいたる行動を動機と実行力の2つの側面から考察すること。実行力とは動機を実現するスキルのこと。事故を起こすまいとする動機がしっかりしていても、知識が適切であっても、そのように行動が実行されるとはかぎらない。安全意識のように動機だけを言い立てるわけにはいかない。

知識が防止力となることは、歩行者事故で示唆される。免許保有率と歩行中の死者率・負傷者率との関連を調べると、免許保有率が低いほど死者率や負傷率が高いという負の相関関係にある。免許をもつ人は歩行者としても防衛の術を心得ているから事故が少ないと言える。子供や高齢者は交通弱者と呼ばれ、事故の被害に遭いやすい。彼らは免許を持っていないし、車のメカニズムや習性を学ぶ機会が十分になかったため、とも考えられる。

しかし、知識普及だけでは事故を未然に防ぐには不十分である。事故を減らすには動機だけでなく、具体的な事故回避の手段を実行しなければならない。

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