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GGさんのレビュー一覧

投稿者:GG

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紙の本数学で考える

2007/11/05 20:08

資本主義の秘密としてのイプシロン・デルタ論法

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

10篇の数学エッセイが収められている。小島氏のエッセイ集の特徴は、大学学部程度以上の数学を積極的に使うことにある。数学は、周知の通り素晴らしい概念装置であるが、身につけるためのトレーニングに多大な時間を要する。だから、ツールとしての数学を縦横に駆使した本書の諸論考は、決して易しくはない。しかし、あざやかなレトリックと卓抜な着眼点で、類書では味わえない「数学の面白さ」そのものの一端に触れさせてくれる。

なかでも文句なしに素晴らしいのが、第4論文「偽装現実の知覚テクノロジー」である。素描してみよう。

微分積分学の根底に「実数論」がある。これは、平たくいえば「数直線がつながっている」とは何なのか、実数が連続であるとはいかなる本質の顕れなのかを論じる分野である。昔風の教科書だと第一章に位置する話題だが、そこで用いられる「イプシロン・デルタ論法」の呪文のような響きによって、永らく大学初年度の理工系学生に対する大きな関門として機能してきた。

しかし、この実数論――なかでも直感的には明らかな「中間値の定理」――こそが、資本主義の要石にほかならないという衝撃的な論証が「偽装現実の知覚テクノロジー」の要諦である。

論文の第一の要点は、「中間値の定理」が、あの「デデキントの公理」と実は同値な命題であると示すことにある(証明がついています)。それどころか、「平均値の定理」「閉区間のコンパクト性」、これらを経て得られる「連続関数の積分可能定理」までもが、同じ深度の認識に他ならないのだという、それ自身大きなインパクトをもった指摘が続いている。

第二。「中間値の定理」は、「ブラウアーの不動点定理」を本質的に支えるという点で、数学の枠内にとどまらず、経済学にも及ぶ。ワルラスの一般均衡理論を介してこの資本主義経済の本質にも直結しているのではないかと示唆する。

第三。上の文脈を敷衍して、さらに驚くべき図柄を示す。即ち19世紀の最先端数学たる実数論が20世紀経済を最深部において規定したように、現代数学の先端テクノロジーたるp進解析が21世紀経済を深部において本質的に記述する言語となるのではないか。

…とここまで言うと行き過ぎか。それぐらいの深読みも許す名論文です。

縦組みで組まれたエッセイ集である。筆者はすぐれた文章感覚の持ち主で、私の拙い紹介のゴツゴツした語感に辟易した方も、興味をもたれたならオリジナルにあたって下さい。本編は、もっともっと柔らかい文章で、流れるように構成されています。

また、ここでは第4論文だけ取り上げましたが、数学を題材にした掌編小説である第9論文、第10論文は掌編SFとして気軽に楽しめます。さらに「暗闇の幾何学」と題された村上春樹論も非常にスリリングです。村上春樹がなぜこれだけ多くの言語に訳されて、その作品世界が受容されるのか、わかったような気がしました。

以下は蛇足。

付録として、その昔雑誌「大学への数学」に著者が執筆していた「数学パロディシアター」を全文収めてもらえたら、もっとよかったのにと思います。たしか「アルジャーノンに花束を」と大学受験数学とを交えた面白い読み物などが、あったように思うのですが…。「クンマー・エルドリッチの3つの正根」しか単行本に収められていないのがファンとしては残念です。

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80年代ニューアカデミズム解題

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

戦後の日本を10年ごとに一人の思想家で代表させるという遊びを行なおう。私のセレクションは下のようになる。

50年代:丸山真男
60年代:吉本隆明
70年代:廣松渉
80年代:浅田彰
90年代:宮台真司
00年代:内田樹

70年代は誰で代表させたらよいのか、第一感では浮かばなかった。廣松渉は苦し紛れの選択だが、選んでみるとそれらしい気が自分でもしてくる。しかし、80年代については、だれが選んでも同じだと思う。やはり浅田彰である。浅田彰は1983年、弱冠27歳の大学院生のときに『構造と力』(勁草書房)で颯爽とデビューした。難解な学術書をベストセラー・リストにランクインさせた当人である。世に言うニューアカデミズムを牽引するトップ・スターだった。

本書はその当時に学部の大学生だった著者が、あの80年代を振り返り、詳細に腑分けする目的で書かれた本である(と評者には読めた)。タイトルは軽いが、中身は学者らしい手堅さでまとめられている。

第1部。前史としてマルクス主義の日本における展開を振り返る。第2部。日本における「消費資本主義」の台頭を論じる。1981年の芥川賞作品「なんとなく、クリスタル」を目印にするのがわかりやすい。そして第3部。ここがもっとも大事な部分である。フランスからの輸入思想としての日本版「現代思想」の特徴が論じられる。第4部は、その後の展開である。

文章は大変わかりやすく、勉強になる。とくに日本版「現代思想」の個々の著作を、その元本に帰って論じているところは、なるほどそうだったのですか、と膝を打つ感じである(第2部第4講のフーコー概説など)。80年代に学生生活を送り、蓮実重彦・栗本慎一郎・柄谷行人などをそれなり読んだ覚えのある人にとっては、20年後の解題というのもちょっとしゃれているのではないだろうか。

しかし。ここからは評者の思い込み感想だが、読後感はあまりよくない。同じ著者の他の本も読んでみようという気分になりにくい。著者のサヨク嫌いの湿っぽさが、楽しくないのである。ルサンチマンを文に綴るのも芸のうちだろうが、評者には同じような味わいならば、小谷野敦のそれの方がずっと面白く感じられる。

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