yukkiebeerさんのレビュー一覧
投稿者:yukkiebeer
紙の本英語類義語活用辞典
2004/11/27 11:52
今も通用するのかどうかが判然としない
10人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
著者の最所フミ氏は1908年生まれ。この本は1984年、著者が76歳の時の著書が底本になっています。英語の学習本が今ほど巷に溢れる時代ではないころに著者が多読と内省の末に英語の類義語をこれだけ緻密に「腑分け」して、読み物としても楽しめる辞典へと編み上げたことに驚嘆を禁じえません。
しかし著者が鬼籍に入って既に14年の歳月がたっており、この本が20年近い時間を経た後に加筆修正されることなく復刻されたということをどう解釈するかでこの本の評価が分かれると思います。
言葉というのは生き物です。時代を経るにつれてその意味が刻々と変化することもまれではありません。この本ではrogueという言葉を「愛嬌じみた『わるもの』の意に今では多く用いられる」と説明していますが、ブッシュ政権が「ならず者国家」(a rogue state)と名指しする北朝鮮も「愛嬌じみた悪者」という意味合いをもっていると果たして言い切れるのでしょうか。
さらにいえば、この本には「探偵小説」「探訪記事」「オートメ」「ナウな」といった、今や古色蒼然とした感のある日本語が散見され、日本語すらこの20年で確かに変化を遂げたことが見て取れます。
こうしたことを総合して考えると、この本に書かれている英語類義語に関する説明が依然として100%色あせることなく21世紀初頭にも通用するのかどうか、ネイティブではない私には判断ができません。その判断ができないからこそ、自信と責任を持って他の人に勧めることもまたできないというのが私の偽らざる思いです。そのことに注意をひくために☆の数をひとつにしました。
出版社は以前の著書を手も加えずに復刻するのではなく、同じテーマについて今改めて書き下ろすことが出来る別の著者を発掘することにこそ労力を払うべきだったのではないでしょうか。
紙の本僕たちの戦争
2005/01/17 08:15
これは中高生向けのコメディ小説ですか?世代を越えて深い感動を与えるような小説では少なくともありません。
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2001年9月12日、サーフィン中のフリーター石庭健太は1944年にタイムスリップ。一方、太平洋戦争中に飛行訓練中だった兵士・尾島吾一は健太と入れ替わりに現代へとやってくる。この二人が顔立ちから背格好まで瓜二つだったために、それぞれのタイムスリップ先で周囲からは別人とはみなされずに行動することになる。各自が生きた時代からは大きくかけ離れた様相の社会に戸惑いながら、二人はなんとか自分の時代へ帰ることを試みるのだが…。
私はタイムスリップものが好きで、できる限り手にするようにしています。
現代人が過去へと旅することによって図らずも生じてしまう歴史上の巨大な亀裂。
歴史の忌まわしい刻印を払拭するために企てられる壮大な計画。
気の遠くなるほど遥かな未来で目にする、想像を絶した発展や荒廃。
そうした特異で遠大な状況設定の中で、持てる知恵と勇気をもって主人公が時代に果敢に立ち向かう姿にこそ、私は胸躍るものを感じるのです。
しかし、この400頁を越える小説「僕たちの戦争」には私の胸を躍らせる要素はひとつも見当たりませんでした。
まず過去へと旅する主人公の目線が低すぎます。健太はアルバイトも長続きしない、自分の未来に何かを見出せない、いまどきの青年です。彼は「テストで鎌倉幕府をつくったのは豊臣秀吉と書いてしまうほど歴史の苦手な」(93頁)、お粗末な人物に設定されています。この小説は一人称スタイルで記述されているわけではありませんが、戦時下の日本を描く文章は健太の目線に合わせてあるため、かなり一面的で深みが感じられません。若者言葉をあちこちに散りばめることで、彼の世代感覚を表現しようと試みているのかもしれませんが、あまりにも軽佻浮薄。40代の私が、ただ単に語彙が貧しいだけの青年の目線で書かれた文章につきあって世の中を眺めても新味を感じません。
若者は確かにいつの時代も知識も経験も浅い存在です。しかしそれでも私が本書の主人公に期待していたのは、時代のありかたに胡散臭さを感じて反発するような、青い一徹さを持った若者です。かつての私もそうでしたから、自分を重ねやすいのです。
しかし健太は現代においても過去においても時代に対してやいばを向ける様子は全くありません。彼がこの小説の最後で下す決断は、時代に呑み込まれた結果にしか見えません。
またこの物語の展開にはご都合主義ばかりが目につきます。健太はタイムスリップ先で、彼が現代でよく知る人々の関係者たちと次々と実に都合よく出会います。作者自身、読者の疑問をねじ伏せるかのように、こうした遭遇を「たび重なる偶然。怖くなるぐらいだ(341頁)」と表現して片づけています。
失笑しました。
一方、戦時下から一気に平成へとやってきた吾一の目を通してお気楽現代日本が批判的に描かれますが、これもどこかで何度も耳にした事がある論調で驚きがありません。
唯一興味深く読んだのは、若い女性が陰毛をさらした写真集に吾一が目を見張り、そんなものが平気で世に出るような時代のだらしなさを慨嘆する場面です。本書の版元である双葉社はヘアヌード写真集を大量に出版し続けている会社ですから、これは大変きつい皮肉です。
苦笑しました。
本書を読んでいてどうにも興がのらなかったのは、冒頭で考証が不十分だと感じたからかもしれません。2001年9月12日に茨城の海岸で健太はラジオをFENにチューニングするのですが、FENは実は1997年10月にAFNという名称に改変されています。若い健太がFENという旧名を使用するというのは妙です。
重箱の隅をつつく粗探しと言われればそれまでですが、小説の出だしから躓くような読書は願い下げにしてほしかったのです。
紙の本奇蹟の輝き
2004/11/27 12:10
世にも悲しい日本語版
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
この翻訳には重大な欠陥があります。349頁目の12行目(「甲高い声で彼女は言った。」)と13行目(「こんどは自分の足で身体をささえている。」)の間に、原作にある1頁分がまるまる欠落しているのです。「こんどは自分の足で身体をささえている」というのがそれまでの流れから不自然だということに翻訳者と編集者はどうして気がつかなかったのでしょうか。欠落している1頁の中で「彼女」は一度立ち上がって、すぐによろめいてへたり込んでしまうのです。それでも立ち上がって「こんどはなんとか体をささえている」ことができる(原文はShe managed to stay on her feet this time.)というわけです。
欠落している1頁(G.P.Putnam’s Sons社刊1978年版・原作ハードカバーの257頁目)は、記憶喪失の「彼女」に昔を思い出させようと「彼」が語りかける場面です。霊媒師がこんなふうにキミに言っただろ、おぼえていないのかい?という彼の語りかけに、彼女は打ちのめされ、立っていられないほど動揺するのです。
10年程前に原作を読んだ時、夫婦愛を描いた幻想譚であり、来世への命のリレーを壮大に描くこの小説に、私は大変深い感動を覚えたものです。日本語で翻訳が出るのを楽しみにしていたのですが、こんな不完全な形で出版されるとは残念です。
このレビューが出版元の目にとまって改訂が行なわれれば良いのですが、それまで読者はTor Books社刊のペーパーバック「What Dreams May Come」の229頁の下から5行目から230頁の30行目までを書店で立ち読みして補うしかないでしょう。幸いMathesonの英語はそれほど難しくはありません。
2009/11/27 20:48
こんな風に書かれるかと思うと怖くてこの著者がかつて勤務した航空会社は利用できない
11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2007年3月23日から6月2日までのわずか71日間にこの本に5つ星をつけた投稿者が21人もいて、しかもそのうち19人がこの商品にだけ投稿していることに気づきました。ほぼ4日に1人の読者にこの本にだけは評を書きたいと思わせる本とは一体どんなものなのか、期待に胸を膨らませて読み始めました。
読み始めて驚いたのは著者が現役時代に乗務した国際線で出くわしたとんでもない乗客を大変皮肉に満ちた言葉でこき下ろしている点です。
確かに著者やその同僚が体験した不埒な乗客たちの言語道断の態度は批判されてしかるべきでしょう。しかし、かりにも接客業に携わった者が、退職後とはいえ、現役時代にお金を落としてくれた顧客の悪口をこんな風に記すというのはいかがなものでしょうか。もう少し品位のある書き方は出来たはずです。
また、著者の行動は一般社会の常識から見て逸脱していることもあります。
例えば、着陸が間近に迫り客室サービスが終了した後にある乗客が客室乗務員に飲み物を頼み、それを別の乗客がとがめて殴ったという事件の顛末が書かれています。確かにそのタイミングで飲み物を頼んだ乗客は非常識です。しかし、だからといってその乗客に暴行を加えるというのは許されるわけがありません。
にもかかわらず著者はこの殴った乗客を「よけいな仕事が増えるから迷惑だ」とばかりに逃がしてしまったというのです。こんなことを平気で書いてしまうJALの社員教育はどうなっているのでしょうか。
著者のかつて勤務した航空会社が国家による再建支援を仰がなければならなくなっている昨今、あそこの社員はこんな風に乗客を見なしているのかと思い、幾度も首をかしげながら読むことになりました。
紙の本誇りと復讐 下
2009/07/14 05:17
30年来のアーチャーファンとしては、作家としては終わった彼を見る日が来るとは、なんとも悲しい
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
自動車修理工のダニーは幼馴染のベスがプロポーズに応じてくれたことを祝うため、ベスの兄で親友のバーニーとパブに出かける。しかし店の客である4人組に因縁をつけられ、バーニーを殺されてしまう。しかもダニーが犯人として逮捕され、22年の刑に。投獄された彼は4人の男たちへの復讐を誓う…。
現代版モンテ・クリストフ伯物語というふれこみのジェフリー・アーチャー最新作。デビュー作『百万ドルをとり返せ! (新潮文庫)』の系譜につながるエンタメ色の強いミステリーです。
結論を言えば、失望しました。
まずダニーが22年という刑期を務め上げる前に獄の外へ出る過程に無理があります。ほとんどお伽話のような展開には苦笑します。
また物語前半でダニーに有罪判決を下すに至る裁判の進め方が幼稚な感じがするのです。物語後半でダニーの汚名をそそぐことになる大逆転劇のなかで初めて登場する“証拠”は、最初の裁判で指摘されてしかるべきではないかと思えるものです。コアなミステリーファンにはちょっと許容しがたい展開ではないでしょうか。
真の有罪者である4人に対する復讐の過程も“復讐譚”とよぶほどのロマンを感じさせるものではありません。かつてのアーチャーの作品群のように物語が緻密に組み立てられたという跡が見られません。
今やアーチャーの作品の大半は絶版となり、現在書店で手軽に入手できるのは本書を含めてわずかに6作品。しかし私は絶版にされてしまった作品の中に今も読むに値するものが多いと思います。
そうした読むべきアーチャー絶版本を最後に掲げておきます。
『大統領に知らせますか? (1978年) (新潮文庫)』
『ロスノフスキ家の娘 (下) (新潮文庫)』
『盗まれた独立宣言〈下〉 (新潮文庫)』
『十二本の毒矢 (新潮文庫)』
2009/06/25 22:29
こんな作品が最上のミステリーだとされている日本の出版業を愁う
13人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
仙台市内で金田貞義首相が暗殺される。容疑者として浮かんだのは青柳雅春という男。しかし青柳自身には全く身に覚えがなかった…。
伊坂幸太郎には「アヒルと鴨のコインロッカー (ミステリ・フロンティア)」の時に痛い目にあっているので、少なからず及び腰ではありましたが、本書が山本周五郎賞や『このミステリーがすごい!2009』第一位を獲得するほど評価の大変高い作品だと聞き、思い切って手にしてみました。
しかし今回も私は満足することができませんでした。
本書はまず金田首相暗殺の真相を追う物語ではありませんでした。
JFK暗殺事件におけるオズワルドの立場に重ねて描かれる青柳の逃走劇は、逃走そのものに終始していて、その背後にあるはずの巨大な陰謀の真相が明かされることを期待すると肩透かしを食らうことになります。
では青柳の逃走話自体に手に汗握る興奮を味わえるかというと、私はまるでダメでした。
この主人公に同化して物語の中を疾走することができず、常に彼の斜め上あたりからその姿を眺めながら伴走するといった思いに終始して、どこか他人事にしか物語を見つめることができませんでした。
青柳が逃走途上で出会う人々は、どうにもご都合主義的に現れては消えていくばかりで説得力がありませんし、その人々のことごとくが、そろいもそろって軽佻浮薄なしゃべりかたで単調です。
主人公の内面の描き方も薄味で、共感できるような人間臭さは垣間見られません。
全体的に肉付けのない、物語の骨と筋だけを延々と見せられる思いがしました。
さらにいえば、この著者の日本語はワープロの悪い癖で、日常的には使わない漢字表記がルビも伴わずに頻出します。また読点の打ち方も過剰で、日本語の流れがたびたびさえぎられて大変わずらわしく感じました。
文章にもプロットにも練りこんだ跡が見られない、粗雑な作品をつかまされたという苦い思いばかりが残りました。
紙の本容疑者Xの献身
2006/02/12 22:36
現実世界の警察の捜査手法はこの小説よりもずっと精緻なはず。犯罪ノンフィクションを読んでいる読者なら捜査手順のいい加減さが目だって仕方ない。
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
高校の数学教師・石神はアパートの隣に暮らすシングルマザー花岡靖子に思いを寄せていた。ある日、靖子の前夫が突然現れ、そして事件は起こる。石神は花岡母娘を救うため一計を案じるのだが…。
一人の男の無償の愛情を描いたミステリーというこの作品は、登場人物の会話ばかりが際立って多い反面、その心理描写には深みある文章を充てることがありません。恋愛小説と呼ぶには、男女の心の機微が描き足りないと思います。
ではミステリーとしての仕上がりはどうかといえば、残念ながらかなりお粗末です。これから本書を読もうという人の興を削がぬように、かといって読み終えた読者には私が言わんとしていることが明確に伝わるように、努めて書くと以下のようになります。
身元不明の死体が出た時に警察がまず行うのは検死解剖のはず。直接の死因以外の外傷の有無の確認は必須ですし、過去の病歴やアザなどの身体的特徴が分かれば身元が確認できる可能性もあります。さらには胃の内容物から、その被害者の死亡推定時間が割り出せるでしょうし、死亡直前に食べたものに特徴があればどんな飲食店へ立ち寄ったかが分かる可能性があります。被害者がレンタルルームに暮らしていた可能性がある人物ならおそらく外食をしていたでしょう。現場周辺で胃の内容物に合致する料理を出す飲食店へ聞き込みに行くのは捜査のイロハ。ひょっとしたら飲食店主が被害者を目撃しているかもしれないのですから。そうした捜査手順を踏まなければ被害者の身元割り出しも遅れるし、目撃者を取り逃がしてしまいます。
本書の警察官たちがこの検死解剖をしている形跡がないのは理解できません。というよりも通常の捜査手順を踏めばあっという間に見えてしまうようなトリックであるからこそ、作者は登場人物たちにわざとその手順を省略させて、真相が明らかになるのを不自然に先延ばししたと思われます。この不自然さに行き当たった途端、つまり57頁のところで、私はこの事件のからくりがあらかた見えてしまいました。
また様々な登場人物が「電話をかけた/かかってきた」と証言しますが、警察は証言を鵜呑みにするばかりで一度としてその裏取りのために通話記録を入手しようとしません。これは大変奇妙です。通話記録を見れば、いつ誰がどこから何分間電話をかけたりかけられたりしているかが判明し、いくつかの証言の虚実を明らかにできるはずです。ですから、警察官の草薙が物語の終盤で「彼」を「犯人と断定しきれない気持ちが残っている」(306頁)のならば、通話記録を手に入れる努力をするのが自然な流れです。そうすれば「彼」が証言どおりに電話をしたりされたりしているかは確認できるのですから。
ことほどさように証拠固めを怠る警察当局。そして物証もないまま犯人が自白したという一点だけで起訴などしようものなら、裁判で弁護人はそれを盾にとって無罪を勝ち取ることでしょう。逮捕しただけでなく、起訴して裁判で有罪にしなければ犯罪捜査は終わったとはいえないのです。私のような一介のサラリーマン読者ですらその程度の予測はつくのですから、職業作家たるものもっと警察捜査の現状を取材してほしいものです。
本来あるべき捜査手続きを都合よく省いてミステリーをこしらえた、そんな荒さばかりが目立つ小説です。直木賞の選考委員が「トリックを駆使した推理小説で、完成度が極めて高い」と評したという報道を読みましたが、実際の警察はこの程度のトリックは簡単に見破るはず。選考委員のコメントは不見識です。
紙の本もうひとつのMONSTER The investigative report (Big comics special)
2005/01/23 18:56
著者だって読者と戯れようとしているのですから、私がこんな書評で応じるというのも一興かと思うのですが。
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
80年代後半から90年代にかけてドイツを震撼させた「ヨハン・リーベルト事件」を追ったルポルタージュ。あの事件は遠く中東欧で発生したものとはいえ、事件にドイツ在住の邦人医師が大きく関わっており、日本でも浦沢直樹氏が既にすぐれたルポを発表しているのは広く知られたところです。
本書はオーストリアのフリー・ジャーナリスト、ヴェルナー・ヴェーバー氏が2001年時点で事件関係者に取材を行なって書き上げたものです。取材地は日本からチェコ、ドイツ、オーストリアまで広範囲に渡っています。浦沢氏も共著者として参加しています。
しかし、残念ながら本書は事件の真相には迫りきれていません。
浦沢氏は事件の中核的存在といえる天馬医師、ヨハン本人、そしてヨハンの双子の妹アンナの行動まで含めて18巻にわたる詳細な取材記録を既に出版しています。私はその全18巻に目を通しましたが、ヨハンとアンナの両者の目を通して「ヨハン・リーベルト事件」の全容に迫る試みとしては、かなり高い評価を与えられるルポだと感じました。
一方、本書「もうひとつのMonster」の著者ヴェーバー氏は上記3人の中心人物には最後までたどりつけていません。もちろんヨハン自身は現在も銃撃によって昏睡状態にあるといわれていますし、天馬医師が開発途上国での医療活動に従事しているためにコンタクトが大変難しいというのは理解できます。しかし本書によるとアンナからは完全な取材拒否にあっています。
そのためにヴェーバー氏は関係者への周辺取材を試みますが、それぞれの関係者の情報にかなり曖昧な部分があります。
最終的にヴェーバー氏はかなり強引な結論を導き出しますが、あまり多くの読者の理解と指示は得られないでしょう。
また本書にはドイツやオーストリアの新聞記事のコピーがいくつか掲載されていますが、これらに信憑性があるのかどうか疑問です。
例えば、13頁に掲載されている「聖ウルスラ病院で職員3人惨殺される」という記事ですが、日本語の訳が付されず原文コピーだけが掲げられています。ですから日本人の読者はこの記事をなんとなく眺めることしか出来ません。私はドイツ語が読めるので目を通してみました。内容は「昨日早朝、ザルツブルク市のノンベルクの聖ウルスラ病院で医師エルンスト・レルナー、職員のハンナ・ループレヒター、看護師のロースマリー・ベルクが惨殺された。」というものですが、記事に日付が明記されていません。
285頁にある記事のコピーも「昨夕」という書き出しで始められていますが、やはり日付がありません。これは新聞記事の決まりごとに照らして見るとあまりにも不自然です。
さらにいえば、50年代末から60年代初頭にかけて人気を博した米国製アニメ「超人シュタイナー」の映像が308頁に掲載されていますが、これは実際の「超人シュタイナー」の映像ではありません。それが証拠にタイトルが「Magnificient Steiner」となっています。つまり「Magnificent」と綴られるべきところに、「i」がひとつ余計についています。これはおそらく「超人シュタイナー」の人気を当て込んで作られたニセのセル画だと私は推測します。
こうした点からも著者ヴェルナー氏の取材はかなり詰めが甘いと言わざるを得ません。共著者の浦沢氏は、はめられたのではないでしょうか。
「ヨハン・リーベルト事件」の真相究明にはまだまだ時間がかかると思われます。その間にも様々な関連出版物が続くことでしょう。
ですが日本の出版社はヴェーバー氏のような怪しげなルポに安易に手を出すのではなく、正統派のルポを出版することを目指すべきではないでしょうか。
また浦沢直樹氏には継続取材と、その結果を公にすることを今後も期待したいものです。
2009/10/09 21:18
このタイトルにふさわしい、面白い本は書けたはず
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
タイトルにひかれて手にしましたが本書には、「知っているようで知らない」という類いの情報があるわけでもなければ、「おもしろく」もないし、「雑学」と呼べるほどのことはほんのわずかしか書かれていない、というのが読了後の率直な感想です。
まず、この本に書かれていることは大半が“データ”でしかありません。
ハリウッド映画の著名な作曲家にはどういう人がいて、いつ生まれていつごろ活躍し、どんな作品を残し、いつどういう死因で死んだか、というデータが列挙されるばかりです。データを延々読まされても楽しくありません。
また著者の文章には意味不明の箇所があり、読みこなすのに苦労することが幾度もありました。
例えば、映画「カサブランカ」のスコアについて記した「スタイナーも知らなかったテーマ曲」(36頁)という項は、著者の言わんとすることが何度読み返しても判然としません。
バーグマンのスケジュールの都合がつかなくて映画の撮り直しが出来なかったことと、作曲家のスタイナーがオリジナル曲を書けなかったこととの間の関係が見えません。
さらに言えば、著者の文章はかなり端折りがあるように感じます。
一例を挙げると、007シリーズの音楽で知られるジョン・バリーが、シリーズ12作目の「ユア・アイズ・オンリー」の主題歌をビル・コンティに託したのは「税金のからみ」でイギリスに滞在するのを避けたから、だとか。(118頁)
「税金のからみ」とはまた随分大雑把な表現です。
おまけに記述に誤りも見られます。
「フューチャーものと呼ばれる長編映画」(24頁)とありますが、future(未来)ではなくfeature(長編)です。
「フリッツ・ラングの『カリガリ博士』」(193頁)とありますが、映画「カリガリ博士」の監督はラングではなくローベルト・ヴィーネ。
「ゲッペルス宣伝相」(193頁)は「ゲッベルス宣伝相」の誤り。
紙の本Google経済学 10年後にトップに立てる新経済学入門
2009/04/19 00:55
Googleというタイトルをつけて消費者の目をひく戦略に踊らされてしまった
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
タイトルは「Google経済学」。果たして読者の多くはこのタイトルからどんな内容をイメージするのでしょうか。
私は頁を繰り始める前に、「Googleを徹底的に使いこなすと難解な経済学もすっきり理解できるようになる」ことを説いた書だと一人勝手に解釈していました。
しかし、実際はさにあらず、です。
本書は、「サブプライムローン」や「少子高齢化」、「低金利時代」や「食糧危機」といった最近の世界と日本の経済動向を簡単に解説しようというのが主眼であって、Googleはせいぜいその検索機能をちょっと拝借して関連サイトやニュース記事を調べて引用してみました、という程度の軽い扱いでしか登場しません。Googleの検索機能程度のことは、最近のネットユーザーにとっては既に釈迦に説法の域です。もう少し高機能の、例えばGoogleファイナンスを使いこなすとかいった類いの、あまり知られていないGoogle裏技を紹介するといったことは全く登場しません。
となると主眼である経済動向の解説はどの程度のものかというのが気になるところですが、これも普段から日刊紙の経済面に目を通すことができている読者には言わずもがなのレベルのことしか書かれていません。
さらにWikipediaのことを「ビジネスマンとして数字力や仮説力を高めたいときに、もってこいのサイトです」(141頁)とほめそやすのは、いかがなものでしょうか。Wikiに伴う危うさも考慮するならば、巨額な資金を扱うかもしれないビジネスマンたちに推奨するには少なからず無邪気すぎる書き方であるような気がしました。
私は常日頃からGoogleに関する書籍には強い関心を持っているうえ、本書には多くのレビュアーが高い評価をつけているので、どんなものかと手にしたのですが、期待しただけのものは得られませんでした。
紙の本封印映像大全
2008/12/20 09:47
高い買い物をしてしまいました
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
表紙にあしらってあるのは映画「カサブランカ」撮影時の一場面。
そしてこのムックの中身を示しているとおぼしきキャッチコピーの数々。
「伝説の映像をすべて自分の目で見ることができます」
「あのアイドルたちの貴重な映像」
「ビートルズの幻の映画」等々。
私は「封印作品の謎」「封印作品の謎 2」といった、安藤健二が著す封印シリーズのファンです。意図せざる差別、時代が許していた偏見、複雑な著作権制度。かつては多くの人を楽しませていた著作物が封印されていった経緯を、丹念な取材によってあぶり出すルポルに、教えられることが少なくありませんでした。
そんな私の目に、このムック「封印映像大全」は類書と映ってしまったのです。
書店の店頭で見つけることができなかったため、中身が確認できないままネット通販で購入してみました。
結果、これは私が求めていたものとは大きく異なりました。
まず表紙の「カサブランカ」ですが、ムックの中身とはまるで関係ありません。
あの著名な映画に封印されたシーンがあるのかと興味津々でいた私は、大いに肩透かしを食らいました。
さらにいえば、本書でとりあげられているものの多くは、今やビッグスターとなった人々の下積み時代の恥ずかしい映像、著作権を全く無視した国々に横行する剽窃ビジネス、盗撮ヌード映像、さらには人種的偏見にまみれたアニメ作品など、擁護のしようがないものばかり。安藤の著作のように、作品封印の功罪について見つめる姿勢は皆無です。
こうしたエログロ動画をネット上の動画投稿サイトでうまく見つけ出す方法について大半の紙面を費やし、そのためのツールソフトを収めた付録CD-ROMまでつけられています。興味がないので使っておりませんので、使い勝手についてはコメントできません。
高い買い物をしました。
同じ思いをされるかたがないようにと考え、辛口のコメントを記しておきます。
紙の本プリズン・ストーリーズ
2008/07/05 19:12
さらば アーチャー
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
私は今とっても悲しい思いにとらわれています。
ジェフリー・アーチャー作品との出会いは私がまだ15歳のとき。今から30年も昔に、「大統領に知らせますか?」というスリラー小説をたまたま手にしたときです。エドワード・ケネディがもし大統領に当選し、そして暗殺者の魔の手に狙われたら…ロナルド・レーガン(当時はまだ大統領になる前)の名まで登場するこの虚実ないまぜの小説のあまりの面白さに夢中になったものです。
続いて手にした軽妙洒脱なコンゲーム小説「百万ドルをとり返せ!」にもすっかり魅了され、「ケインとアベル」「ロフノスキ家の娘」「新版 大統領に知らせますか?」と一連のロフノスキ家サーガでは、読書の愉悦にどっぷりとつかったものです。
しかし、作者アーチャーが私生活上のスキャンダルに見舞われた頃と前後して、彼の著作物はどれもかつてのワクワク感を与えてくれなくなってきました。
私が手放しで賞賛できる彼の最後の作品は「盗まれた独立宣言」。それ以降は、どこかにアラが目立ってしまい、楽しめなくなってしまったのです。
そして今回の「プリズン・ストーリーズ」。投獄生活の中で仕入れたネタをもとに紡いだ11の短編集ですが、わずかに「アリバイ」という一編だけは楽しめたものの、あとの作品は読み終えたときに、これはもうダメだという思いしか残りませんでした。アーチャーが作家としてもう私を楽しませてくれることがなくなってしまったことが決定的だということを感じて、胸がつぶれる思いがしたのです。
巻末にある訳者解説によれば、次回作は現代の「モンテクリスト伯」ともいえる復讐譚だとか。しかし、それに対してもう高い期待をもつのはやめてしまった私がここにいるのです。
アーチャーほどの作家も、その力を失ってやがて消えていく日が来るのだな、そんな寂しい思いしか残らない短編集でした。
紙の本闇の王国
2011/11/12 22:23
マシスンは悲しむべきことにもう絶頂期を降りた作家。ぜひ若かりし頃の秀作の復刻を!
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
ホラー作家として名を成したアメリカのアーサー・ブラックことアレックス・ホワイトは齢八十を超えて、18歳だった第1次世界大戦のころに味わった不思議な体験を回想する。
戦場で知り合ったイギリス兵ハロルドから死の間際に預かった金塊を手に、ハロルドの故郷を訪れたのだが、そこで待ち受けていたのは、魔女と妖精たちが暮らす恐怖の世界だった…。
私は30年以上に渡ってリチャード・マシスンの著作を追いかけ、インターネットがまだ普及していないころにはニューヨークやロンドンの古書店で彼の絶版となった書をあさって帰ったりもしてきました。彼の短編を掲載していた1960年代のFantasy and Science Fiction誌などのパルプフィクションもいくつか持っています。1990年代にホラー/SF/ファンタジー作家から西部劇小説家に転向したかに見えたときの彼の作品もすべて楽しく読みました。
日本では近年彼の短編集や『アイ・アム・レジェンド』の新訳が続々と出て、マシスンに再び脚光があたっているかのような状況を、大変喜ばしく思っていました。
この作品『闇の王国』は主人公アレックスばりに80歳を超えたマシスンが書いた最新長編ホラーということで、大変期待していました。しかし結論から言えば、これはかなり“しんどい作品”です。
かなり濃厚な官能シーンが散りばめられていますが、『アースバウンド ―地縛霊― (ハヤカワ文庫NV) 』の焼き直しに見えて新味がありません。
ファンタジーとして読むにはとっちらかり気味ですし、ホラーといっても一級の恐怖感を与えてくれる『地獄の家 (ハヤカワ文庫 NV 148 モダンホラー・セレクション) 』や『激突 (ハヤカワ文庫 NV 37) 』ほどの迫力はありません。
訳者あとがきによれば、この日本語翻訳版はアメリカの版元が陰惨すぎると判断して一部を削除した版をもとにしているそうです。マシスン自体はその削除に納得せず、今年2011年秋には無削除版がアメリカで出るのだとか。
ならばその無削除版をこそ出版を待って翻訳すべきだったのではないでしょうか。
またついでに言えば、マシスンは若かりし頃の絶頂期の秀作の翻訳本が次々と絶版になっていますが、あまり出来の良くない近年の作よりはそうした秀作群をこそ新訳で復刻すべきではないでしょうか。『縮みゆく人間 (ハヤカワ文庫 NV 129) 』や『渦巻く谺』(ハヤカワ・ファンタジー3013)など、かつて私が若い頃に読んでゾクゾク感じた作品を、ぜひ復刻ないし新訳で今の若い読者が手に取れるようにしてもらいたいものです。
2011/08/12 22:45
なぜ著者はみずから“在日ヒーロー”を訪ね歩こうとしなかったのか。
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
著者は在日コリアン3世で大阪市立大学経済学部教授。
この本を執筆した理由をあとがきで以下のように記します。
「これまで在日ということを名乗りたくても名乗れなかった多くの芸能人やスポーツ選手がいたこと、そして今なお出自を隠さなければ活動できない大勢の芸能人やスポーツ選手がいることを、多くの日本人に知ってほしかった」(213頁)
ですが、在日でありながらその出自を隠している芸能人やスポーツ選手が相当数いる事実は今やそれほど知られていないことではありません。昭和期に比べれば今日では、具体的にどの人が在日であるかということまで世間一般に広く知られていると思います。
事実、この本で著者が具体的に紹介している“在日ヒーロー”は、以前から新聞報道などですでに知られている人ばかりです。
そうした事実の古さもさることながら、この本の最も量りかねるところは、書かれていることがこれまでの報道記事や文献資料からの引用と抜粋に終始しているところです。著者自身が在日芸能人やスポーツ選手に実際に面会してその肉声を拾うという取材活動はおこなわれていないのです。他人が書いたものを拾い集めているだけです。取り上げられている“在日ヒーロー”のほとんどが存命中であることを考えると、その点は理解に苦しみます。
わずかに一人だけ取材しているのは、力道山の未亡人です。そのインタビュー記事は40頁超の紙数を割いて掲載するほど長大なものですが、在日であることに苦悩する力道山の姿について未亡人が語るのはその記事のほんの一部分だけです。二人のなれそめだの、暴力団関係者に結婚の報告挨拶に出かけたことだの、決して面白くないというものではありませんが、読んでいるうちにこの本のテーマが何だったのか忘れてしまいそうなほど脇道へそれています。
なぜ過去資料の寄せ集めでこんな本を一冊仕上げる必要が今あったのでしょうか?
その疑問ばかりが私の胸の内に残りました。
2009/11/27 20:48
名作コピーに学ぶ視点が偏っている
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著者はコピーライターとして40年のベテラン。
タイトルが「名作コピーの書き方」ではなく、「名作コピーに学ぶ読ませる文章」となっていたので、文章の巧みな書き手になりたいと考える私のような一般読者向けの書だと思い、手にしてみました。
著者の同業者が作り上げた巧みなコピー作品を引き合いに出しながら、それぞれの文章のどこにどんな工夫があり、それをどんな風に応用していけるかについて平易な文章で綴っています。
「どんな文章であれ、どんなトクであれ、読む人がトクする話を書いてください」
「読んでもらう文章を書くことは、読む人の気持ちとのゲームです」
確かに一理ありと思わせる文章作法が記されていて、学ぶところがないわけではありません。
しかし、どことなく胡散臭さを感じるのもまた事実です。
広告コピーは、広告主にとって都合の良い情報と都合の悪い情報とを仕分けて、消費者に言葉巧みに伝えるという宿命を背負っています。
著者は本書の中で、「35%の人しか石油にいいイメージをもっていない」という消費者意識調査の結果を利用して広告コピーを書く場合、「三人に一人しか石油にいいイメージをもっていない、といちばん具合の悪い読み方を誘い出してしまう」ことがないようにするにはどうしたらよいかということを指南しています。
その上で、著者は「石油は温暖化防止や災害に強いなど実は大きな効果があるのです」と書く石油連盟の広告コピーを賞賛しています。「石油が温暖化防止」?
その他にも、生命保険の広告コピーの「名作」を紹介していますが、公的社会保険の存在を都合よく度外視した民間保険の宣伝文句に昨今辟易としている私には、賛同しかねる「名作」といえます。
広告コピーとは広告主にとってトクする情報の取捨選択を行っているということを知ってはじめて、「コピーに学ぶ」ということになる。
そんな思いを強くしました。