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MtVictoryさんのレビュー一覧

投稿者:MtVictory

578 件中 1 件~ 15 件を表示

女性であることを売りにするのでなく、男性と同化するわけでもなく、第三の道を行く

16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著書「インディでいこう!」を新書版で出版し直した本。著者の名前は「お金は銀行に預けるな」で初めて知ったのだが、本書はタイトルに彼女の名前があったこともあり、たまたま手に取った。元々は20代から30代の女性に向けて書かれた本だそうで、実際、内容はその通りの内容になっている。読みやすく、あっという間に読めるだろう(千円は高い)。
 著者が言う「インディペンデントな生き方」とは「自立」と言い換えることができる。それは「精神的にも経済的にも周りに依存しない生き方」だと言っている。そのために丈夫な心を作り、学び続ける力をつける必要があるとしている。「丈夫な心」がインディになるための基礎、土台とすれば、その上にスキルという家を建てねばならない、学び続けなければいけない。
 本書では自立した人を「インディ」、その反対を「ウェンディ」(ピーターパンのヒロイン。大人になりたくない)と呼んでいる。これまでの社会はウェンディな女性を必要とし、認めてきた。歌や雑誌などもウェンディ的な生き方を美化するものばかり、という。そうかも知れない。実際にこれまでは会社や夫の補助的な役割としての女性が多かった。しかし世の中が変化し、社会全体として補助的な役割は少なくなってきた、ウェンディ(な女性)を養いきれなくなり、ウェンディの居場所が狭くなってきた。女性は自立するかどうか選択を迫られているのだ。これには大きな意識改革が必要となるだろう。
 現在の学校教育がどうなっているか分からないが、家庭教育も含め、子供の頃から女性に対しウェンディな生き方を押し付けてきたのではないか?古い価値観は根強いものがある。男女を問わず無意識にそれを肯定するような言動になり、それがあるときは女性を傷つけ、無力感を引き起こし、諦めともなったことだろう。
 団塊世代の大量退職、少子高齢化社会の突入もあり、人手不足が懸念され、労働力としての女性の活躍が期待されている。本書は女性向けに書かれた本だが、女性ならではの武器や強みを活かした社会進出を後押ししようとしているわけではない。テーマは「何ものにも依存しない」ことであるから、本書が説くことは性別を問わない普遍性がある。当然、会社員なら会社にも依存してはいけない。近年、ビジネス環境は厳しく、激しく変化し、突然会社がなくなることもある。会社から放り出されてあたふたしないためにも、依存心を捨て、会社に対してニュートラルでいられるようなスキルを身につけ、そのスキルも常にブラッシュアップしていかねばならない。そうした心構えや実践のノウハウが書かれている。

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紙の本超簡単お金の運用術

2009/05/12 23:03

偽の金融リテラシー本に対する批判の書

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 良心的な金融リテラシー本である。
 本業がある「普通」の投資家には資産運用に十分な時間は取れないもの。運用は仕事でも趣味でもないのだ。そのため著者は第一章でいきなり具体的な運用方法を述べ、自身「超簡単」という運用方法を紹介している。その方法は「ほぼ効率的」、「損をしない」、「無難」な方法だという。具体的な商品名や資金の配分比率まで書いている。更に、できるだけリスクを取りたくないという人のために「リスク調整可能型」という方法も挙げている。
 資金はあっても本業が忙しくて運用している暇なんてない人、金融関係のセールスに無駄な時間やエネルギーをとられたくないという人向けである。他人任せの運用で金融機関にカモにされるくらいなら、本書は一読の価値がある。しかし分かりやす過ぎて、誰でも出来るくらいの方法なのでつまらないかもしれない。知的ゲームとして運用を楽しみたい人向けではない。
 第一章で本書の結論を先に書いてしまったので、第二章は超簡単運用法の背景にある概念や考え方について述べている。第三章では持ち家と賃貸の損得判断や、日本の財政赤字に絡むパニック論、ギャンブルとの付き合い方などの10のトピックについて解説していて、これはこれで興味深い。

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もっと生きてみませんか

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 11月初めの三連休初日。体調がよくなく早い時間に布団に入って横になっていたら眠ってしまった。ふと目を覚ましてTVのチャンネルを順々に変えていると、あるチャンネル(NHK教育であった)で水谷先生(名前は後で知った)が何か喋っていた。時計を見ると深夜である。テロップに”夜回り先生”とあったから、ああ、この人か、と彼の代名詞だけは知っていたから、興味本位でしばらく見ていた。そのうちにどんどん引き込まれて、夜回り先生がテーマの再放送番組を2本連続で見ることになった。
 その内容は衝撃的であった。世の中、奇麗事ばかりではない。しかしこれほどに苦しんでいる子供達の存在が、これほどに広がっている、という事実を認識させられたのだ。そして自分の全てをそういう子供達に捧げている夜回り先生。こんな世の中にこんな人がいるのだということも驚きというか、救われる思いであった。その影響で本書を手にすることになった。
 表紙の帯に「いま、生きにくいと感じている子どもたちへ」と書かれている。大人も”生きにくい”と感じているかも知れないが(私もその一人だが)、世の中を知らず、苦しみを表現する手段も知らない子供にはもっと生きにくいだろう。まさに今、子供の自殺、いじめ問題が各メディアで話題になっている。遅いくらいである。そうとう前から問題はあったが国も放置状態だった。その間も子供たちは死によってその苦しみを訴えている、逃げ場を失って死を選んでしまっている。その苦しみをうまく訴えられずに自分を追い詰めている。親も学校も地域も大人はそれに気付いていない。行き過ぎた個人主義が無関心を生んでいるのだろう。
 親も学校も地域も、この国も酷い状態だ。子供たち、そして人間には幸せになる権利がある。いじめによって苦しめ、死に追い込んだりする権利は誰にもない。親や家族が彼らを追い詰めていることすらある。簡単に生を諦めて死を選ぶことを弱虫、卑怯だと言うような知事もいるようだが、強いあなたはいい。突き放さず、受け止めて欲しい。そして何が出来るか考えて欲しい。
 死んでいく子供たちは生きていれば将来、素晴らしい才能を花開かせ、この世にどんな大きな功績を残すかも知れないのです。苦しんでいるあなた、逃げてください。簡単に死なないでください。誰かがきっと助けてくれます。日本はそこまで落ちていません。

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紙の本孤高の人 改版 上巻

2007/10/01 22:38

単独行の加藤文太郎の一生

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 主人公の加藤文太郎は昭和初期に「単独行の加藤」と呼ばれた山岳界の異端児的存在であった。また「関西に加藤文太郎あり」ともいわれ、神戸にあって関東勢との対抗勢力の看板のように持てはやされた。
 彼の名前は「われわれはなぜ山が好きか」や「みんな山が大好きだった」など、これまでに読んだ山の本で知っていた。彼も山で亡くなった一人として。また、雪山で冬眠中の熊のように眠ることができるという伝説や、超人的な存在として。
 彼はそれまで裕福な学生や山岳会にしか開かれていなかったブルジョア的(死語ですね)な登山を、広く一般の社会人にも解放したという功績があったことで知られている。
 本人のその性格もあって、短い一生の山行の全てを単独で通したが、皮肉にも唯一パートナーを組んでの北アルプス北鎌尾根へのアタックが彼の最期の山行となってしまった(昭和11年正月、31才)。
 本書は加藤文太郎のアルピニストとしての人生を中心に、会社や友人、家族との関わりを絡めて描く伝記小説である。

 本書は加藤本人が残した資料(著書「単独行」)をもとに著者が書き下ろしたものだが、恐らくほとんどは創作でありフィクションであろう。なぜなら加藤という人は余程の事がない限り他人とは口をきかなかったらしいし、そもそも単独行の加藤であるから、その山行の実態も明確ではないと思われるから。また、最期となる北鎌尾根での遭難死の過程などは著者の推理からなるものであろう。ただ、著者は富士山観測所の勤務時代に加藤と会っているというから、彼の人柄は感じることは出来たのだろう。
 加藤という人物像が生き生きと描かれ、読んでいるうちに彼に感情移入してしまう。
 物語のクライマックスでは感極まって、目頭が熱くなった。まるで結末を知っている映画を見るように、来るな来るな、と思いながらも泣かされてしまう。これも著者の力であろう。

 忘れてはいけないのは彼は最初から超人的な登山家ではなく、兎に角歩き回って足腰を鍛え、冬山にのめり込むと、冬山に打ち勝つために様々な研究と訓練をした。信じられない訓練がある。仕事場へ石を詰めたリュックを背負って通うとか、冬の夜、下宿では寝ないでビバークを想定して外で寝る、吹雪で身動き出来なくなり食料が尽きてしまうことを想定して、絶食して会社に通うなど。
 山での食事方法や、冬山での装備(特に衣服)にも様々な工夫をしていたようだ。

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「あの戦争は酷かったんですね」で終わらせない

11人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 毎年、終戦記念日が近づくと、戦争について考えさせられる。本書もこの夏、タイミングよく私の目に飛び込んできた一冊である。
 著者は軍人としてではなく海軍の民政府調査員として採用され、ニューギニアの地に配属された。(民政府とは占領した地域を治める行政機構。著者は天然資源の調査を行なった)かろうじて終戦を迎えたがBC級戦犯として逮捕された経歴を持つ。
 本書は著者自身の戦地ニューギニア島での見聞と、国会図書館に埋もれていた膨大な手記、職業軍人たちが執筆した戦史を基に、「戦火の流れと戦場の光景を、再現しよう」と試みた書である。そこには「飢えと疲労と病に冒され、むなしく密林に行き倒れた兵士たち」の地獄絵図が生々しく描かれている。ニューギニア島に投入された20万人の兵士のうち、生きて本土に戻れたのは一割に満たなかったそうである。
 第4章に「極限状態に曝された人間は、人類が何千年もかけて作り上げてきた道徳や倫理を、一挙にひっくり返します」とある。まさに地獄。人間性を失った兵士たちは原始の姿、動物と同然と化すまで追い込まれたのだ。戦争がなければ、きっとそんな鬼畜となることもなかった人々がである。
 戦犯として刑務所に収監されていた著者も昭和24年暮れに日本に送還された。インドネシアが独立することになり、宗主国だったオランダは主権を喪失し、戦犯たちの処遇に困って、GHQに著者らの身柄を委ねたのだという。しかし帰国してもスガモ・プリズンに収監され、昭和31年にようやく仮釈放されたそうだ。
 「六十年前のことをすっかり忘れるような集団健忘症は、また違った形で、より大きな過ちを繰り返させるのではないかと危惧」している著者は、読者に「あの戦争は酷かった」という感想だけで終わらせたくない、という思いを本書に込めている。かの「大戦の真相と、それを覆い隠してきた歴史的経緯を、しかと検証」することが国民的課題と考えている。
 同じ過ちを繰り返さないためにも、我々戦争を知らない世代も、歴史を学ぶことが必要だ。なんでもお上のせいにし、自分には無関係というのではなく、日本国民として、かつてのような状況下で自分ならどうすべきか、よく考えることが必要だろう。政治家や官僚、それらと癒着する財界などに対して厳しい眼を持たなければいけない。

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女性が男性の品格重視→男は品格を身につけようと切磋琢磨→日本の品格アップ

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 最近の朝青龍の巡業ズル休み問題もあって「横綱の品格」とか「品格」という言葉が流行だ。「国家の品格」という本もあったが、本書は「品格ある国家は品格ある個人の存在が前提」という視点で書かれている。
 あえて女性である著者が本書を書こうとした理由を「はじめに」で3つ挙げている。1つは現代社会における女性の生き方、役割が大きく変わったにもかかわらず、新しい基準が確立せず、混乱が見られること。2つ目は女性の社会進出が進んだが、そこで従来の男性社会の轍を踏むように権力志向、拝金志向になってはならぬ、という点。3つ目は家庭の幸せだけを考えるのではなく、地球レベルの品格ある生き方が求められる、ということ。そして「あとがき」では品格を身につけた女性に「真のリーダーとなる女性になって欲しい」と言っている。そうなるために本書では、品格ある暮らし方、装い方、話し方といったハウツー的なものと、生き方や行動規範に関わるものを解説している。
 海外では女性大統領や女性首相などが誕生した国もある。品格ある女性が増えたとしても、品のない男ばかりの男性社会によって彼女らの台頭が阻まれるようであってはならない。女性宰相が生まれるような社会は男がだらしないから、とも言えるが、よく言えばそれを受け入れる素地がある、レベルの高い成熟した社会とも言える。
 勿論、本書は女性に読んで欲しい本だが、私が本書に興味を持ったのも、男から見る(男が求めている)女性の品格と女性自身が考えている品格との微妙(大きい?)な差を知りたいと思ったからだ。女性の品格と、いわゆる「女性らしさ」、セクシーさとは大きな開きがあるだろう。品格を重視しすぎると気取っているとか、上品ぶっているとか同姓からも批判されるかも知れない。鼻につかない程度の「自然な、身の丈に合った上品さ」が一番なのではないか。
 本書ではたくさんノウハウ的なものから基準までピックアップされているが、いずれも付け焼刃では身につかないだろう。日々、意識して実践し身体に馴染ませていくしかない。多くの日本人女性は本書をどう捉えたのだろう?
 第六章の「日本の企業の品格、日本人の品格を高めてきたのは、いい加減な仕事で妥協しない職人たち、正直に仕事を積み重ねてきた無名の人たち」という言葉は、不祥事が明らかになり謝罪する企業経営陣の姿を目にすることが多い昨今、彼らに読ませたい。トップや経営陣がいい加減なことをしていると社員を路頭に迷わすだけでなく、企業の品格も信頼も失墜させる、場合によっては日本のイメージも貶めることになると自覚して欲しい。

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与えられた仕事をこなし、周囲と相和し、淡々と平穏に生きていく

11人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

先日、まだ40代という若さでこの世を去った池田氏。彼女の著書はベストセラー「14歳からの哲学」が最初であった。本書は「週刊新潮」に連載されたエッセイを集めたもの。その連載は死の直前まで続いていたそうだ。第一章のあるページでは「生に対する執着が、もともと私は強くない」「このままスウッと立ち枯れてゆきたいな」「執着がない」なんてことを書いている。まさに悟りの境地である。死因は癌とのことだが彼女はいったい自分の死とどのように向かい合ったのだろうか?
 たまたま著者の死を知ってしまったから触れずにおけないのだが、本書の中には哲学者らしく生と死についた記述も多い。巻頭からして「人間というものほど、死に方の下手な動物はいない」と書いている。死に怯え、嘆き、苦しむ姿が醜いと言いたいのであろう。また別の項では多くの人が抱いている「自分が明日死ぬということはない」という想定は全く根拠なき信頼、それを我々は「日常」と呼んでいる。しかしその「日常」の根拠のなさは非情にも暴かれる。先日の能登沖地震でも改めて目を覚まさせられる。実は「日常」は綱渡りであったのだ。
 この類いの”目から鱗”的な話は数多く、著者の考え方の柔軟さ、視点の違い、が私のような凡人には実に新鮮である。如何に自分が日常、何も考えていないことを思い知らされる。常識、固定観念で縛られた自分の頭が揉み解された気分になる。これに近いことを別のある項で彼女の著書に対する書評を引用して次のように書いている。「虚心に耳を傾ければ、”心の風通し”が良くなること請け合いである」と。私もこの本を読んで、それに似た感覚を味わった一人である。
 また別の項では日本人の無宗教、宗教に対する無節操ぶりについて書いている。宗教とはよくできたウソ、だと言う。実は多くの日本人は宗教の嘘臭さにうすうす気付いていて、そんなものにこだわらない、そんなものに救いを求めていない、のではないのかと私はふと思った。我々は既に救われているのだと。しかし実際には私を含め、迷いがなく悟った人ばかりの国ではなさそうだ。

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そろそろ戦後昭和の眠りから目覚めるとき

12人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「若者はなぜ3年で辞めるのか?」の著者。我々多くの日本人が「若者はただ上に従うこと」、「女性は家庭に入ること」など22の「昭和的価値観」に囚われていることを著者が「3年で辞めた若者」(本書では彼らをアウトサイダーと呼ぶ)を取材し、「平成的な生き方」を探ろうとした本。
 一度就職した彼らがアウトサイダーとなったことで見えてくる昭和的価値観。それは日本に深く根付いている。古い昭和的価値観をもつ企業や職場に希望を見出せず辞めていく若者たち。就職したはいいが「騙された」と思っている。これまでの昭和的雇用システムの限界が来ている。終身雇用、年功序列を頑なに維持しようとする企業が多いせいで非正規雇用が増えた若い世代との世代間格差が広がっている。それが若者の閉塞感や既成企業への絶望を生んでいる。そうした状況を変えるために著者は、あとがきでこう書いている。

 「労働者が適正な報酬を得られるシステム」を確立し、次世代をにらんだ利益配分システムを作り上げること

 あとがきにもあるようにバブル後の就職氷河期を越えた今、近年の学生は企業に対して「安定性、終身雇用」を求めているそうである。「昭和的価値観のゆり戻しが起きている」と指摘している。若者自身にもまだ昭和的価値観が刷り込まれていることを示している。著者は本書を通じて、そうした若者に対して「再び昭和の夢にまどろむことのないよう覚醒を促」そうとしている。
 実際、企業も終身雇用、年功序列を維持できなくなりつつある。だから成果主義だのいろいろ人事制度をいじ繰り回しているのだ。まだ次の雇用システムへの過渡期、試行錯誤の時期なのかも知れないが、「安定性、終身雇用」を求めても与えてもらえるとは限らないと認識すべきだろう。
 著者は最後に搾取され希望も持てない若者へのアドバイスとして、会社に対して「ポストを寄こせ、あいつの給料をこっちへ回せ」と主張すればいい。それが受け入れられなければ転職すればいい、と言っている。ただ文句も言わず真面目にやっていれば出世できる時代は終わった。
 本書に登場する若者たちはごく一部の若者で、現時点でも成功者でも何でもない。こういう人もいるんだ程度に思っていい。私もかつては「3年で辞めた若者」の口だが、本書に刺激されて何も考えずに辞めるのは利口ではない。
 厳しい時代になっている。ただ昭和的な選択肢の少ない時代ではなくなったと思う。多様な価値観が尊重される時代だ。社会や企業のシステムが時代遅れなら、著者が言うように下の世代がどんどん主張して自ら作り変えていかなければいけないだろう。

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紙の本日本は「侵略国家」ではない!

2010/08/03 00:54

もう土下座外交はやめよう

11人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は元・航空自衛隊幕僚長の田母神氏が懸賞論文がきっかけで更迭された(2008年10月末)のを受けて、その田母神氏本人と、論文の審査委員長を務めた渡辺氏が急遽、共著で出した本である。
 この騒ぎはマスコミでも話題になって多くの人が知っていることであろう。その論文の内容は過去の日本の戦争をめぐるものである。更迭の理由は、その歴史認識が政府見解(いわゆる村山談話)と異なるものであったからのようだ。田母神氏の「大東亜戦争は侵略戦争ではなかった」という論文の主張に対し、マスコミは彼を叩く論調が大勢で、朝日新聞のように「侵略を正当化」とねじ曲げるところすらあった。渡辺氏もこの件は行き過ぎだとの印象を持ったようだ。一企業が企画・募集した論文ながらも、それは最優秀賞を受賞した。渡辺氏は「受賞に至った十分納得できる理由を伝える義務」があると、本書を出すに至った思いを述べている。
 論文の出来が酷いわけでも、幕僚長の立場を逸脱する内容であったわけでもないのだ。それどころか渡辺氏は、その論文の内容は「防衛音痴に陥っている日本人の意識改革に裨益するところ大だろうと喜んで」すらいる。国防の最前線にある当事者としての見解・訴え・決意であると氏は認識している。
 また、「個人がどのような歴史観を持とうと全く自由」と百地章・日大教授が産経新聞に書いたものが付録として掲載されている。つまり今回の騒動の問題点は、憲法に書かれた言論の自由、思想・信条の自由に反するものであったことだ。
 この更迭劇があって定年退官となった後、田母神氏はますます盛ん。本も出し、講演会にも引っ張りだこで、真実を渇望する人々が増えているようだ。ある意味で彼は成功したのかも知れない。世論を喚起し、日本を変えたかも知れない。
 巻末には問題の論文も掲載されており、また、これに対する東大名誉教授・小堀桂一郎氏が産経新聞に書いた評論も載っている。小堀氏は田母神論文は「教科書として使うのにうってつけ」とまで評価している。
 論文中の「戦わない者は支配されることに甘んじなければならない」という言葉は重い。日米開戦していなければ、結果として日本は植民地になっていたかも知れないと彼は考えている。また、今のままでは「我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない」、その間にも「日本のアメリカ化が加速する」、アメリカ主導の「改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく」と現状を憂えている。
 先の小堀氏も百地氏も村山談話の破棄・撤回こそが国民の名誉と安全を守る、という立場である。国民の皆さんにはマスコミに踊らされて個人を叩いたり、軍国主義だなどと非難するようなことは止めて、是非、本書を読んで何が正しいのか、今、何をすべきか判断してもらいたい。

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紙の本君の思いは必ず実現する

2011/02/20 11:19

心を磨き、魂を磨いて美しい心をつくる

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 現在、JAL再建に取り組む著者が若い人たちに伝えたい思いをつづった本。以前に読んだ「ガキの自叙伝」と重なる部分もあるが、焦点をより若者に絞っている。
 第三章にも書かれているが、著者は「人間の能力は無限だ」とよく語っている。「何としてもやり遂げるという強烈な願望を持ち、努力を続けることで、最初は不可能だと思われたことも、可能になる」という、著者自身が経験から得た真理であろう。
 また、第五章では「人生の目的は美しい心の人間になること」と言い切る。美しい心とは思いやりの心、優しい心。著者自身、「人生の目的とは、試練に出会いながら、自分自身の心を磨き、魂を磨いて美しい心をつくることだった」と振り返っている。京セラ創業者として成功された著者だが、ビジネスで成功することだけが人生の目的ではなかったということだ。第六章の「一つのことを継続することで愚鈍な人が非凡になる」というのは、多くの人にとって心強い言葉であろう。

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紙の本氷壁 改版

2007/12/24 18:40

冬山での死をめぐるサスペンス&恋愛ドラマ

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 2006年にNHKでもドラマ化された(私は見ていないが)本。穂高には現在は一般ルートから離れ、最近はあまり人が行かなくなったという奥又白池(前穂高岳の東面にある)がある。本書の舞台が穂高であったことから、作品発表後はこの池に大勢の人が訪れて、一時は環境破壊の怖れもあったというような話をTVで見たことがある。
 どうやら昭和30年前後に書かれたものらしいが、作者の井上氏は昭和24年には「闘牛」で芥川賞を受賞しているから、当時は既に脂も乗った人気作家であったであろう(1991年に亡くなっている)。
 本書は、冬の穂高に登攀中、学生時代からの山仲間を目の前で謎の墜落死で失う事故に、マスコミとの対決や人妻が絡んできて話を複雑にするという山男の話であり、また恋愛小説でもある。
 皮肉にも、かおるは愛する兄と恋人を山で失い、一方で二人の男に愛されていた人妻・美那子は結果的に、彼らを死へと導いてしまう。美那子が彼らに対して必ずしも不貞を働いたわけではないが、彼らが純粋な青年であっただけに若い美那子の魔性が彼らを誘惑したのだろう。
 井上氏が登山が好きだったどうかは知らないが、穂高の自然や、主人公らが岩に取り付いている姿の描写からは相当、山の知識は豊富と見えた。
 500ページを超える長編小説だが、一気に読み終えるくらいの勢いで読めた。

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人は自分しか幸せにできない

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著者が20才の学生時代にアメリカのフロリダで、成功した企業家や芸術家に成功の秘訣をインタビューして回っていた頃に出会った一人のユダヤ人大富豪の老人ゲラー氏。彼は第二次大戦中にナチスのユダヤ人迫害から逃れるため、オーストリアからシベリア、日本を経由してアメリカに渡った。宝石ビジネスで成功した後に不動産、ホテル、ショッピングセンターなどへ事業を展開し、「幸せな金持ち」となった。
 著者はゲラー氏の豪邸に招かれるという幸運をつかみ、氏はその成功の秘訣を惜し気もなく日本から来た若者に語った。この出会いから15年間。著者はゲラー氏から学んだことを本という形に結晶させ、広く読者に伝えることにした。本書を出すまでに時間がかかった理由は不明だが、20才の若造が大富豪の聞き書きを単に本にしたとしても売れないと著者は思ったのかも知れない。氏から学んだことを自ら実践し、成功したときこそ本を書く資格があると考えたのだろう。 20才の頃には氏の語ったことを全て理解することは難しかったのかも知れない。
 日本も格差社会だとか言われるが最近、金持ちのメンタリティーに興味を持つようになった。本書はたまたま書店で見つけたものだが、タイトルを見るだけで中身が想像しやすかったこともあり手にした。本書は著者とゲラー氏との対話を中心に展開される。
 サブタイトルに「幸せな金持ちになる17の秘訣」とあるが、ノウハウ本とは少し違う。具体的なテクニックが書いてあるわけではないが、成功するため、幸せな人生にするための考え方、生き方がたっぷり、老富豪の智恵として聞くことが出来る。大富豪から見れば私のようなものは「その他大勢」なのだが、その言葉は口調は穏やかで優しいがグサグサと突き刺さる。著者である日本人青年に向かって語っているのだが、人生経験も豊富な氏の言葉は物事の本質を捉えていて、しかも分かりやすい言葉である。
 著者はこの富豪家をメンター(人生の師)の一人だとしている。こういう人との出会いは非常に幸運である。私にはこれほどのメンターとの出会いはないが、こういう本という形で出会うことができたことは貴重だ。私は「金持ち」になることより「幸せ」について改めて考えさせられた。

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人は人としてもって生まれた美しい資質を高めるために生まれてきた

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 著者の渡邉美樹氏(ワタミ社長)は今更で恐縮だが、最近注目している経営者である。TV番組の影響というと恥ずかしいが、先日見た「カンブリア宮殿」(テレビ東京)にゲスト出演していたときの印象が強烈であった。その中で次のようなことを言っていた。自分は悩みなんかないんだ。悩まないように全て手は打っている、と。不安になったり悩んでいる時間があったら、それらの原因を一つ一つ潰していくべきだ、といったようなことを実に爽やかに明瞭に話していたのだ。
 調べてみると既に著作も多数あり、社員へのメッセージ集であったり、親子の話であったりなどテーマも多彩だ。本書はそれらの中でも副題にあるように「手帳術」というノウハウが明確なテーマである。どうやって著者は起業し、東証一部上場を果たすまでの企業に育て上げたか、その秘密の一つが手帳であった。表紙の写真にあるように、著者の手帳は紙面が赤鉛筆で塗りつぶされて真っ赤になっている。著者によれば目標や計画を達成した後は、そうやって赤鉛筆で消し込んでいくそうだ。
 氏も自らの手帳術をもとにプロデュースした手帳を作り、社員全員にも使わせているそうである。その手帳だが、スケジュール帳、夢カード、日記から構成されている。
 本書は単なるノウハウ本ではないと、著者も「はじめに」で言っている。手帳というツールを通して生き方の提案をするつもりで書いたそうである。著者が日々どんなことを考えてビジネスに取り組んでいるかも知ることが出来て非常に興味深かった。特に驚いたのは氏は常に仕事のことを考えているそうだ。オンとオフと分けることがなく、常にオンなのだそうだ。表現に誇張はあるかも知れないが、オフにすることで問題意識が一気に低下すると指摘している。常にオンでいられるかどうかでビジネスパーソンとして大きな差が生じるとも言っている。凄い人だ。
 著者は教育にも深い関心を持っていて学校経営にも乗り出している。日本には夢(自己実現、他人への愛)を育む教育が必要だと考えている。「おわりに」では「地球上のみんなが勉強するたった一つの教科書を作りたい」という夢を語っている。正しいことはどんな国・社会にも共通しているはずだと考え、その教科書で学ぶことで世界が平和になるはずだという発想である。しかしその夢にはまだ(達成日の)日付は入れられていないそうだ。氏の夢は大きい。

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昔話と心理学

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子供の頃、絵本で読んだり、TVのアニメなどで日本昔話を見たりしたことは誰にもあることだろう。たくさんの短いお話の中には、大人から見れば非現実的なものも多いが、何らかの戒めだたり、示唆を与えるようなものもあったと感じる。それらの物語は、筋も結末も様々である。しかしそれらが遠い昔から語り継がれ愛されてきた理由を深く考えたことはなかった。本書は著者がスイスのユング研究所へ留学中に研究した昔話における心理学的な側面を解説したものである。「まえがき」に書かれているように、この研究はユングの愛弟子フォン・フランツ女史の説による部分が多いことから、受け売りを記すことに「気がひける思いもあった」と言うが、日本の昔話との対比という試みもあり、著者なりのアレンジが加わっている。本書で取り上げられている昔話は西洋のもの、グリム童話からの引用であり、巻末には翻訳したものが全文引用されている。「ヘンゼルとグレーテル」のような馴染みのある童話集である。本書は昔話の深層を理解し、大人であっても「昔話を通じて人間の生き方を考えるように」という意図をもって書かれている。
 昔話や童話は単純な話が多いだけに一体何を伝えたかったのか、表面だけでは実はよく分からないことも多い。ユング派は昔話を「人間の内的な成熟過程のある段階を描きだしたものとして見てゆこう」といったユニークな研究をしてきたようで、著者もその影響を受けている。いずれの章も興味深い解説で面白かったが、最後の章ではユングの言う「自己実現」のためには結局、個々人が自ら「葛藤のなかに身をおいて正面からとり組んでゆく」ことで、その人なりの人生が拓けて来るものとまとめている。
 自己と自我の関係、人間と自然との関係、意識と無意識、西洋と日本との関係などと同様、人生には二者択一式にどちらかに白黒はっきりとは決められない問題がたくさんある。それらの相互作用の中で葛藤し、もまれることでその人なりの個性が出来上がっていく。それを「第三の道」と呼び、これを発見するよう努力するのが自己実現の過程である、と言う。

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紙の本グーグル・アマゾン化する社会

2007/04/17 00:35

ネットは進化するが、情報を解釈する人間が飛躍的に賢明になることは考えにくい

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 「Web2.0」という言葉が流行っているが、本書は先に読んだ「ウェブ進化論」や「グーグル」とスタンスが異なる。それらが期待を込めて、明るい未来を語っているのとはスタンスが違い、本書では問題提起をしている。
 ロングテールというが「ウェブで生き残れるのは、在庫スケールをもっているトップの企業、(ロングテールの対極である)ヘッドだけ」と著者はいう。ウェブで直販する小売サイトが増えたが実はほとんどは営業的に苦戦しているようだ。ウェブビジネスにおいても在庫設備や営業力、宣伝力など事業スケールによる体力差が現れてきているようである。つまりロングテールで成功したのはアマゾンのようなヘッド側の企業ということになる。
 また、ミリオンセラー現象を取り上げて、商品や情報などの多様化が進む反面、ひとつのところに情報やおカネが集中する実情を見る。この多様化の反面で見られる一極集中的な現象に著者は疑問を持ち、それが本書のテーマになっている。フリードマンの著書「フラット化する世界」についても「本当にフラットなのか」と疑問を投げかけ、「巨大な一極とフラット化の社会」と言い換えている。格差社会と言われるが確かにそれに共通する現象ともいえる。
 一方で6章では「集団分極化」という言葉が出てくる。同じ考えをもつものだけがネットに集いコミュニティを形成する。それは一歩間違えるとテロリスト集団のような極端に偏った考え方になり、別の考えをもつ別の集団を排除する。著者はその点を懸念している。価値観は多様化し、いろんな意見があってよい。それが民主主義であり自由ということだと思うが、それが集団となり、先鋭化し排他的になり極端に振れると危うい。
 注目は7章。世論調査とネット検索結果との意見の温度差、違和感について指摘している。その原因はネットにおける集団分極化と「沈黙の螺旋」にあるのではないかと言う。世論調査もそうだが、グーグルの検索結果に時々疑問を感じるのは私だけだろうか?なんでこんなページがヒットするんだ、開いて見るだけ時間の無駄と思うようなページに誘導されることもある。グーグルも完璧ではないということだ。だからこそセマンティックウェブという考えも出てくるのだろう。話がそれたが、その7章ではネットにおける民主主義の実現について書かれているが、その実現にはかなりの努力が必要だろうと言う。
 ネットが広げてくれた思考の多様性を忘れると、ネットが一極集中的な思考をもたらす恐れがあり、逆の全体主義ともいえる方向に陥る。ネットが多様な意見を民主主義的に集約しやすくするのか、発散させて収拾がつかなくさせるか現段階では分からない。まだ多くの人はネットを使いこなせているとは思えないから。

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