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  3. yu-Iさんのレビュー一覧

yu-Iさんのレビュー一覧

投稿者:yu-I

35 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

紙の本虚無への供物 新装版 上

2005/10/15 08:54

狭義の推理小説の範疇に収めておいてはいけない

17人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ミステリファンの間では超がつくほど有名な作品だが、ミステリを読まない層にはどのていど認知されているのだろうか…と懸念して、昨年新装版が刊行されたことも鑑み紹介させていただく。
呪われた一族、密室殺人、自称探偵たちが一堂に会しての推理合戦…外形はあきらかに本格ミステリだ。それも過去のミステリの名作への敬愛に満ちあふれ、次々に展開されるロジックも高度で、ミステリファンに向けて書かれた濃密なミステリという印象である。
しかし、最後まで読めばこれがたんなる推理小説でないことがわかる。アンチミステリ——反推理小説と呼ばれるゆえんが、物語のラストにおいて燦然と現れる。まあ筆者としては、反推理小説というよりは超推理小説とでも呼びたいところなのだが、それはさておくとして。
本書で扱われる犯罪は、虚無への供物だ。
そしてそれをえがききったこの作品もまた、虚無へ捧げられた供物なのである。
ミステリへの深い愛とともにこの作品に詰め込まれているものは、この世界への激しい憤りだ。それを激情のままでなく、厭世的な失望感でもなく、娯楽性あふれる推理小説に昇華したところに高い文学的価値を感じる。
怒りを怒りのままに、失望を失望のままに書くことは難しくない。しかしその怒りを、失望を、それでもこの世界を愛したいという強い願いを、このような上質なミステリに仕上げてしまったということはほとんど奇跡のように思える。
この作品がはじめて刊行された1964年当時と現在、どちらに残酷な「虚無」が多くはびこっているのか、64年に未だ生まれていない筆者には判断がつかない。
しかし現在においても著者が憎んだ「虚無」は、さまざまな形で世に横溢している。筆者がミステリファン以外にもこの作品を是非読んでもらいたいと願うのは、それゆえである。
冒頭「サロメの夜」と同じ夜に著者が没して12年。だが本書は今も、「虚無への供物」としてその価値を保ち続けている。

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紙の本

紙の本不道徳教育講座 改版

2005/09/28 22:52

これは、あたしの人生のバイブル。

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

タイトルからしてインパクト大、の本書。
目次を見れば「知らない男とでも酒場に行くべし」「教師を内心バカにすべし」「大いにウソをつくべし」等々、好きな人はもうこれだけで大喜びしそうな題が並んでいる。
三島由紀夫というと、難解で少々取っ付きにくそう…というイメージをお持ちの方もおられるかと思うが、少なくとも本書はいたって軽妙に書かれたエッセイであり、またそれぞれの文章が短いこともあっていたって読みやすいのでその心配は無用である。
機知に富んだユーモア、心地よく刺激的な逆説、ニヤリとさせる毒舌。しかし不道徳などといいながら、最終的には偽善でない本当の善の意識に読者を帰着させるこの著者の眼差し、この手腕!
なるほどこの本は、世にまかり通っている偽りの道徳を徹底的に笑いのめし、真の良識を(決して押し付けがましくではなく)チラリとのぞかせて見せてくれる、そんな本なのである。
筆者はとりわけ「教師を内心バカにすべし」が気に入っている。あぁ、これをもっと早くに読んでいたら、こんなに教師嫌いにならずにすんだかもしれないのに。
でもまぁ「人に迷惑をかけて死ぬべし」の「どうせ死ぬことを考えるなら威勢のいい死に方を考えなさい」等というくだりは、三島亡き今読めばいささか不気味ではある。
※表紙画像が載っていませんが、今の角川文庫版は表紙もおしゃれにお行儀が悪くてとっても可愛いです。

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紙の本

ミステリファンによる、ミステリファンのためのミステリ

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

古城のような洋館、怪しい一族、密室殺人、首なし死体、蘇る死者、見立て殺人、そして二人の奇抜な探偵…。
本格ミステリの魅力的なツールとして長らく受け継がれてきた要素が、一堂に会した感がある。次々にあらわれる謎と解決、どんでん返しの連続と、その内容の濃さに驚かされる。
洋館の不気味なたたずまいとクラッシック音楽が全篇にわたって彩りをそえており、それがこの大作にただならぬ雰囲気、さらなる荘厳さを与えている。
こうしたたくさんのミステリーコードを華麗に用いたというだけでなく、読者の意表をつき予想を裏切るという点においても、この作品は極上である。
しかし、この作品には一つ致命的なところがある。個人的には欠点であるとは思わないが、それはこの作品が読者を選ぶという点である。
最低限の本格ミステリの知識を持っていなくては楽しめない部分があるのだ。だが最低限——ある程度本格ミステリを好んで読んでいる方なら、問題はないと思う。しかし年季の入った読者であればあるほどニヤリとさせられるところも多く、より楽しめるのは事実であろう。
一種突き抜けてしまった感——否、濃密な闇に突然翼が生え、飛び立ってしまったかのような感のあるラストでは、アンチ・ミステリという言葉すら連想された。冒頭ではごく普通の、本格の魅力あふれるミステリ作品かと感じさせるのだが、その実ミステリの枠を飛び越える寸前のところまでスケールを広げた、壮大な作品なのである。
ミステリ入門の書としては全くいただけない。しかしミステリファンならば読まなくては損をする。
これはミステリファンによる、ミステリファンのための極上のミステリ小説である。

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紙の本

紙の本死の泉

2005/10/02 10:00

美と愛と悪の熔けあう物語

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

吉川英治文学賞受賞、文春ミステリーベスト一位も納得の奇跡のような大傑作である、とまず太鼓判を押しておく。
舞台は第二次大戦下のドイツ。ナチの施設レーベンスボルンの産院から、この物語は始まる。
芸術を偏愛し、少年の歌声に魅せられた医師クラウス。マルガレーテは彼の求婚を承諾するよりほかなかった。
謎めいた研究。交じり合う数々の悪意。死。少年歌手の美しい声への執着はやがて狂気に変貌し、戦争は激化してゆき、逃げのびようとした先に辿り着くのは怪しい古城…。
壮大な物語である。凄惨な物語でもある。
大胆なストーリーテリングと繊細なディテールにあわせ、自由に変幻する筆使いは見事の一言。異常な物語でありながら、目に浮かぶ情景、生々しい人物の造形。主人公も清く正しいばかりでなく、人間らしい意地悪さや打算を持っているところはとりわけ好感が持てた。長大な作品ではあるが、こうした著者の手腕に酔いしれるうちに物語は佳境を迎えているであろう。
そしてこの作品には、手にとれば一目瞭然なのだが、ある仕掛けが施されている。この仕掛けについては、様々な解釈があろう。筋道立ててしっかりと理解したい欲求をかき立てる半面、わからないものはわからないままで愛しんでいたいような、そんな魅力的な罠が隠されている。
偉業であり、異形。美しくもおぞましい人工楽園である。

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紙の本

紙の本少女椿 改訂版

2007/09/27 03:37

幽閉されていた代表作、新生

9人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

丸尾末広というと、まず最初に、あのレトロで美麗な絵が思い浮かぶ。そして次に、その美しさを逆手にとったような、過激なエログロナンセンスを想起する。
そこでこの「少女椿」なのであるが、そもそもこの話は、昭和初期に製作され街頭で演じられていた紙芝居が原作なのだそうである。そこに丸尾がグロテスクな要素をふんだんに盛り込んで漫画化した作品、というわけだ。
もう、これを聞いただけで著者のファンはワクワクしてしまうだろう。昭和初期の紙芝居に、エログロナンセンス。なんて丸尾末広的な、魅力的な取り合わせだろう。

あらすじが添付されていないので、おおまかに記す。
主人公はみどりちゃんという12歳の女の子。父が家出をし、母が死に、一人路頭に迷っているところを、だまされて、見世物小屋の芸人にされてしまう。小屋ではいじめられこき使われて、外を歩けば見世物小屋の子だといってまたいじめられ…という、なんとも悲惨なストーリーである。
その見世物小屋というのがフリークスの一座で、数々のフリークスを著者らしい華麗な絵で描いているのだから、特に江戸川乱歩などが好きな人にはたまらないのではないかと思う。

また冒頭の16ページは、黒と赤の二色刷りで、これがまた赤が映えてグロテスクな描写に鮮やかな毒を加えている。そして人気コミックにはフルカラーページがちょっと挟まれることも珍しくない昨今、なんとなくレトロな感じがして、妙に作風に合っているのである。

ところで、タイトルにあるとおり、「改訂版」である。1984年に最初に発売されて以来、この作品は二度の改訂がなされている。
残念ながら筆者は前の版を手にしたことがないので見比べることができず、一度目の改訂か、二度目なのか、どちらで削除されたものか判断できないのだが、ちょっと「惨すぎる」シーンがいくつかカットされているようである。
しかしまあ物語の大筋には関係のない部分だし、全体の毒々しくアブない雰囲気は健在。…というか、この物語自体の持つ「ヤバさ」は削りようがない。大筋に関わる部分がすでにヤバすぎるのである。詳しく書くといわゆるネタバレのタブーに抵触してしまうのでここには書かないが、フリークスの見世物一座でいじめられる少女、という設定だけでも、じゅうぶんに推して知ることができよう。
それでも、ファンにとってはやはり残念なことである。まあそのぶんあらたに描きおろされたページも多いので、それで我慢するしかないといったところか。

またこの作品はアニメ化もされており、そちらのほうが旧版に忠実なようであるから、どうしても気になるという向きは見比べてみるのもいいだろう。
内容が内容だけにということか、上映禁止とされていた時期もあり、現在もVHSにもDVDにもなっておらずなかなか観ることは難しかったのだが、なんと現在ニコニコ動画にて閲覧することが可能である。
このアニメにもさまざまな興味深いエピソードがあるのだが…あまり何もかも明かしてしまうのも興醒めだろうから、この作品が気に入ったのならば、調べてみるのも一興かと思う。

とかくいわくの多い作品で、容易に手に入ることは幸い。
ただ読めば終わりではなく、観賞に堪える美しい絵と造本(少々値が張ろうが、ハードカバーのしっかりした造りがふさわしい)。
読み返すほどに切なさを増す細部までゆきわたる濃厚な悲劇。
手元に置いておく価値のある一冊だと思う。いい買い物をしました。

では、みどりちゃんに幸多からん事、せつに祈りつつ…

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紙の本

紙の本銃とチョコレート

2007/05/12 01:38

おそろしく「完璧」に近い大傑作

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

16歳のときに書き上げたという「夏と花火と私の死体」で衝撃のデビューをはたして以来、天才、という言葉を冠せられることも多かった著者。
本書を読んで、再確認させられた。
乙一は天才である。
講談社ミステリーランドは要注目のシリーズで、当代の人気ミステリ作家が、それぞれに個性あふれる児童向けミステリ作品を発表している。
しかし子供向けであるということで、漢字や言葉使いに制約がある(あるいは制約を感じる)のだろう、どこかしら苦しげな文章を散見する。ジュブナイルという慣れない枠に戸惑っているな、と感じさせる部分がちらほらとある。
しかし、この作品にかぎっては、そういった戸惑いはいっさい感じられない。もともと著者は今までも、不必要に難解な言葉や、見慣れない漢字で、文章を美文らしくかざりたてるような小細工はしてこなかった。そのいさぎよさが、児童文学という枠のなかで、ますます生きている。素晴らしい筆致だ。
そして文章だけでなく、構成にも、まったくといっていいほど無駄がない。
すべての文章が読者のイマジネーションと感動のために奉仕する、すべての構成要素が物語のために奉仕するという、神業としかいいようのない、ため息の出るような見事さ。
ぜひとも、その目でじかに確かめてもらいたいと思う。
またこの作品はすぐれた児童文学でありながら、さすが「GOTH」の作者だな、と思わせるスタンスに基づく。
それは、既成のモラルに対する疑いのまなざしだ。
児童向けのミステリというと、勧善懲悪的な物語が少なくない。犯罪をおかした悪者は、正義のヒーローによってとらえられる。そこまで単純ではなくとも、そういった構図がベースになっていることが多いものだ。
しかし著者は、ただ単に善・悪と二極的にとらえて切り捨てるような、ずさんな価値観を、完全に否定する。
あまり詳しく書くとネタバレのタブーに抵触するので省くが、正義のヒーローと信じていた者が実は悪者だったり、そうかと思えばその悪者にも悲しみや優しさがあったり……。
だからこの作品には、完全な悪人も、完全な善人も登場しない。物語において悪役の立場にあるキャラクターにもあたたかい血がかよっているし、ヒーローの立場にある者だって嘘くらいつくし自分本位なこともする。
主人公の少年リンツは、冒険のうちに何度も「善だと思っていたものが悪」「悪だと思っていたものが善」という経験をする。悲しい裏切りや、嬉しい裏切りの連続。
そして、善と悪がまったく相容れないものどうしではないこと、単純に対極するものではないことを、リンツは感じとってゆく。
だからこそこの作品は、真に人と人との絆をえがいているといえる。
完全な善人も完全な悪人もいない。それを知りながら、それでも人は人を愛するということ。
……少々うがったことも書いたが、本書は、大人も十二分に楽しめるドキドキワクワクの大傑作エンタテイメントである。
また、このシリーズの一つの特徴として、テクストと挿画とのコンビネーションが絶妙である、ということがあるのだが、本書も例にもれず素敵なカップリング。美術監督として著名な平田秀一の、シュールでありながらレトロな味わい深い挿画が、ベストマッチ。作品の雰囲気をぐんと盛り上げている。
私もこの本は大事にとっておいて、自分の子供が大きくなったらぜひとも読ませたい。
と、子供もいないのに真面目に思ってしまうくらいには、素晴らしい一冊。
この素晴らしさをその目で確かめてくださいと、最後にくどく念をおしておく次第。

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紙の本

紙の本占星術殺人事件

2005/10/24 16:46

推理小説史上に残る大傑作

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

今さら言うまでもないことだが、本書はまぎれもなく推理小説史上に残る大傑作である。
本格ミステリ全盛の時代が思いのほか長く続いているようであるが、たとえばアガサ・クリスティの代表作などのような古典名作と肩を並べることのできる作品は、いったいどれだけ書かれたであろうか。
少なくとも本書は、そういう意味でなんら引けをとることのない作品だと思う。
古今東西にすばらしいミステリ作品はあふれていて、あまりに数多く書かれたためにトリックにパターンが生まれてしまったと思う。密室トリックなどはとくによく言われる。もうめぼしいものは書き尽くされてしまっていて、あとはそのバリエーションや見せ方でえがくしかないのだと。
しかしこの作品に使われている大トリック——これは、既出のトリックのバリエーションなどではまったくない。完全なるオリジナルである。
しかもそれがまた壮大で実にすばらしいトリックである。著者がしばしば使う「奇想」という言葉があるが、なるほど、奇想とはこういうものをさして言うのかと感嘆させられる。
この傑作をささえる背骨のような、強力なトリック。それを装飾する「占星術」という、美しくもミステリアスでどこかしらいかがわしいモチーフ。そして御手洗潔のシャーロック・ホームズばりの推理、強烈なキャラクター。
本書を語るときによく、時代性について言われる。これは本書が社会派推理が全盛で、本格ミステリが冬の時代に書かれたためである。
たしかにそういった環境の中で、このような奇想天外な大トリックを駆使し、奇天烈な探偵が名推理を繰り広げる本格ミステリを引っさげて著者がデビューしたことは、驚嘆すべき偉業であろう。
とはいえ、今や数々の本格ミステリ作品が書店で平積みになっている時代である。一般の読者としては、今さらそのような時代考証など意味を持たないだろう。
しかし、である。どれほど多くの本格ミステリ作品が書かれようと、時代が変わろうと、この作品の魅力は薄れることがない。歴史に残る傑作とはそういうものである。
これを読めない海外のミステリファンは実にかわいそうであるなぁ、とすら思うのだ。
必読である。

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紙の本

紙の本百器徒然袋−雨

2005/11/13 20:49

面白くないはずがないっ!

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は、探偵役として榎木津礼二郎を適用したミステリー作品集である。
それだけでもう、面白くないはずがないのである。
ご存知ない方のために説明しておくと、榎木津礼二郎とは著者の「京極堂シリーズ」の登場人物の一人である。
登場人物の一人、などという控えめな紹介が、おそろしく似合わない登場人物でもある。
何しろ榎木津ときたら破壊的である。八方塞がりな難事件やどうしようもない無理難題を前にしても、悩みもしなければ立ち止まりもしない。蹴り飛ばして完全粉砕。そんな男なのである。
破壊的に変人なのだ。
喋ることといったらわけのわからない迷言か、珍妙な暴言か、あるいはその両方。
人の名前は覚えないわ、面白いことしかしないわ、行儀はすこぶる悪いわ、まるで子供である。
しかし、である。
その実元華族で財閥の御曹司、学生時代は成績優秀、スポーツ万能、絵画音楽にいたるまで器用にこなし、喧嘩もめっぽう強い。さらに誰もが目を見張るほどの絶世の美男子なのである。
強烈なキャラクターである。
推理小説の探偵役というのはえてして奇人変人が多いものであるが、ここまでぶっ飛んだ探偵は、古今東西見渡しても榎木津の他には思いつかない。強烈すぎる。
その榎木津が主役の作品集ということで、大変期待して読んだ。
大きすぎる期待をさらに上回る面白さであった。
しかしただのキャラクター小説だと思ってナメてはならない。何しろ作者は京極夏彦である。
中編程度の長さであるし、「京極堂シリーズ」の大長編ほどの重さはないが、それぞれの作品がミステリーとしても小説としても実に見事な佳作である。普通こんな構想をえたら、長編にして一冊の本にするだろう、と思う。
破壊的なキャラクターと、思わず溜め息の出るような完成度を兼ね備えた、奇跡的な娯楽小説と言っていい。
また、本書は各作品が短めであることや、キャラ立ちの強さなども手伝って、京極作品の中では比較的読みやすい本になっている。なので「京極堂シリーズ」の重苦しさがちょっと辛かった人や、あまりの長大さに手にとるのをためらっている人にも、あらためておすすめしたいと思う次第。

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紙の本

紙の本九尾の猫

2005/10/15 05:59

超・サイコスリラー

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本格ミステリの巨匠として名高いエラリイ・クイーンの作品の中でいちばん好きなものは?と問われたら、筆者は迷うことなくこの作品を挙げる。
無差別殺人としか思えない連続絞殺事件が起こり、ニューヨークは恐怖に震え上がった。動機もわからない、目撃者もいない、容疑者もいつまでたっても不在…。警察が右往左往しているあいだにも被害者の数は増えてゆき、市民はじょじょにパニックに陥ってゆく。
容疑者不在、というこの設定は、クイーンの作品及びその流れにつらなる作品の中では異色であろう。本格ミステリというジャンルの特性上、捜査の糸口すら見つからないような設定は困難だ。
しかし、さすがはクイーン、である。
次々に被害者が増えてゆく状況の中、まったく姿を見せない殺人鬼をエラリイが論理的に追い詰めてゆく、その過程はものすごくスリリング。サイコスリラーのような雰囲気ただよう作品であるが、やはりあくまでも本格。一見無差別にみえる事件の犯人を絞り込んでゆくロジックの見事さには、目を見張るものがある。
また、この作品で印象深いのは推理の部分だけではない。
クイーンの作品というと非常にロジカルで、パズル的で、エラリイも探偵という役割を担った一つのコマのようにあつかわれていた感がある。
しかし中期以降の作品になると、エラリイは血肉をそなえはじめ、人間として苦悩しはじめている。
犯人を捜し出し糾弾する自分は何様なのだ、自分は神ではないのに、という苦悩である。
ここでいう「神」とはキリスト教国でいう「神」であるから、その重さは日本人にははかりがたいものがあるだろう。しかし、エラリイの苦悩はぶつかるべくしてぶつかったもので、日本人にも理解できるものだと思う。
エラリイが悩み、さまよう過程がもっとも顕著にあらわれているのが本書だ。読者にはサスペンスフルな物語を楽しむと同時に、名探偵がどのような苦悩をかかえながら犯人を追い求めているのか、国内本格ミステリ全盛のいま、その目で確かめてもらいたいと思う。

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紙の本

紙の本あらゆる場所に花束が…

2005/09/30 18:12

中原昌也には、一度は触れておくべき

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

これが三島由紀夫賞を受賞したっていうんだから、いやはや、選考委員は実に勇敢であるなぁと感嘆するしかない。
狂気と正気がない交ぜになり、何が異常で何が正常なのかわからない、そもそもそんなことはどうでも良いのかもしれない…。
読むと精神に異常をきたす、とは夢野久作の名作「ドグラ・マグラ」に付された言葉であるが、筆者は賞賛の意をこめてこの言葉を本書にも冠したく思う。
暴力が、憎悪が、肉欲が、まるでデタラメのように横溢し、ようやく何らかの意味なり秩序なりが見えかけたかと思うと、そこで言葉は打ち切られてしまう。快とも不快ともつかない一方的な切断。やはりこれは怪作であり、快作なのである。
それにしても中原昌也は、まさしく「いま」の作家である。この作家の作品は文学の「いま」を、そして「嫌だ書きたくない」と言いながらこのような作品を著す作者のスタンスが「いま」という時代を、徹底的に乱暴な諷刺であらわしている。まっすぐに「いま」に向き合ったゆえに、結論は放棄せざるをえなかった。そんな印象を受ける。
もっともこれは筆者の個人的な感想である。読む人によって解釈は極端に異なるであろう。笑い転げる人もいるだろう、壊れた世界観に酔いしれる人もいるだろう、わけがわからないと怒る人もいるだろう。
音楽は時代を映す鏡、文学は人間を映す鏡。時代を象徴する小説でありながら、あくまでも読者の姿を映し出す、これはそんな作品なのだろう。
いま、一度は触れておくべき作品である。

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紙の本

紙の本朝日のあたる家 1

2005/09/29 20:13

永く読みつがれるべき名作

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

娯楽として浸透したどころか、昨今ではあまりにも濫作されすぎな向きの否めないボーイズラブ小説であるが、この本、奥付を見れば昭和63年刊。BL文化を開拓してきた作品のうちの一つと言っていいかもしれない。
とはいえこれをボーイズラブと呼ぶのは、少々問題である。
それはBL文化が花開く以前の作品だからというだけの理由ではない。この作品は巷にあふれているBL小説とは、明らかに一線も二線も画している。
スターから転落し、死を望みながら女に買われて生きる透。
かつて芸能界で透と双璧をなし、今もなおスターの座に君臨し続ける良。しかしそんな良のきらびやかな生にも、消えることのない罪と死の香りがまといつく。
美しくもはかない二人の魂と、彼らを愛し、憎み、それぞれにもがきながら生きる人々…。
同性愛というモチーフにハードボイルドのような格好良さを持ち合わせつつ、これは、真正面から人の生と死と愛を問う物語だ。
だから、これはボーイズラブ小説という狭い枠の中に押し込めてしまってはならないのである。男女を問わず読んでもらいたいと思う。
刊行から20年近い月日が経ってもまったく色あせないこの物語は、これからも永く読みつがれるべき名作であろう。

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紙の本

ミステリと、そのジャケット・アートの歴史

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書のまえがきに、エラリー・クイーンの「クイーン談話室」のなかの、書籍収集狂は四段階に進化してゆく、という論が引用されている。
版や本の状態には拘らず、とにかく読めればいいという「書籍愛好家(ブック・ラバー)」にはじまり、初版本を収集する「鑑識家(コニサー)」、カバージャケットでさえ原型のままでないと気がすまない「書物狂(ファナティック)」、そして著者による書き込みがある稀覯本を集める「書物崇拝狂(ビブリオファイル)」が最終段階――というものである。

この本に触れる際のスタンスも、クイーンの説に同じく、四段階に分かれると思う。
この本に掲載されたさまざまのジャケットで目を楽しませて満足する人、いつか現物に触れてみたいものだと夢想する人、実際に現物を求めて古書店へ繰り出す人、そして著者の森英俊氏を超えるコレクションを目指す人――である。

それはさておき、ミステリとそのジャケット・アートについて、少々私見を述べるのをお許しいただきたい。
すでに多くの人に言われていることだが、ミステリには様式美という部分があり、古くから愛されるアイコンが多数存在している。たとえば、密室殺人、見立て殺人、暗号、ダイイング・メッセージ……等。
そしてそれはジャケット・アートにおいても、同じことが言えるのではないかと思う。
時代を超えて、ミステリのジャケットに描かれ続けるパーツ。死体、凶器、登場する探偵や探偵を連想させる持ち物、舞台となる豪奢な館や古城を怪しく描いたもの、クエスチョン・マークや、チェスやカード、ルーレットなど、頭脳戦を連想させるゲーム・アイテム……等だ。
ミステリの歴史を知っていると、昨今のミステリ作品をより深く楽しめることが多いのと同じように、ミステリのジャケット・アートの歴史を知れば、書店で見かけた本にニヤリとさせられる、なんてことも増えるのではないか。
ことにミステリファンならば、同意してくれることと思う。知ることは、楽しい。

また、山口雅也氏もゲスト・エッセイで書いているように、インターネットを通じて書籍収集もずいぶん容易な趣味となった(この文章を目にしているくらいの方なら、すぐに納得のゆくことであろう)。本書に掲載された写真を目にしたり、想像するだけでは飽き足らないという人は、ぜひとも自身のコレクション作りに励んでいただきたいものである。

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紙の本

紙の本悦楽園

2005/09/26 22:04

衝撃の一冊

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

初期の作品を集めた作品集。30年ほど前の作品が収録されているが、今読んでも強烈。初出時の読者の驚愕は如何ほどだったのかと、いらぬ心配をしてしまいそう。
冷ややかな悪意を、悪夢のような狂気を、鬼気迫るほどの迫力で書く。
ヒトというものの怖ろしさと悲しみを、凄まじい力で抉り出す。
そんな作品集である。
あたしは「疫病船」と「蜜の犬」にとりわけ凄まじいものを感じた。
「疫病船」ほどヒトというものを残酷に書ききった作品はなかなかない。
サイコスリラーやサイコサスペンスが流行ろうと、「蜜の犬」まで達してしまった作品は少ないだろう。
「獣舎のスキャット」などは後半の印象が強いかと思うが、個人的には前半の秘密めいた悪意がスリリングで非常に心地よかったりも。
中途半端な偽善など、目の鱗と一緒に引っぺがされてしまいそうな衝撃の書。

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紙の本

紙の本悲しい本

2007/08/03 01:23

悲しい本――SAD BOCK

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

タイトルのセンスが素晴らしい。悲しい本――SAD BOOK。
児童書や絵本のコーナーで、ネガティヴな物語を予感させるシンプルで鮮やかなタイトルはひどく目をひいた。
悲しい気持ちになりそうな本であるだけに、子供達は表紙を開くのをもしかしたらためらってしまうかもしれないけれど。

装丁のセンスが素晴らしい。
タイトルと同様シンプルで、洗練されたデザイン。
ブルーに囲まれた灰色の絵は悲しげで、それでいて軽やかなタッチのユーモラスな表紙(クェンティン・ブレイクのこの絵画センスは本文でも存分に発揮されている。悲しい本を重苦しい本にさせないのは、ブレイクの功績)。
元気いっぱいの鮮烈な色彩の踊る児童書コーナーで、このうら寂しい色合いの表紙もまた、ひときわ目立っている。
そのブルーとグレーの悲しい色彩の中に、一条のイエロー。子供達が光を描くときに用いる色。
この表紙には本書にこめられた思いが、見事に集約されている、と思う。

谷川俊太郎の翻訳が素晴らしい。
この本一冊がまるごと、美しい一篇の詩のようだ。

この本の主人公は悲しんでいる。長いこと、とてもとても深い悲しみに包まれている。
その悲しみはあまりにも深くて、彼は最後までその悲しみを忘れることができない。

きっと一生忘れられないだろう。
最初のページで悲しんでいた主人公は、ラストの一ページに至ってもまだ深く悲しみ続けている。
しかし、悲しい瞳で、しっかりと見つめている。
悲しみの中から湧いてきたような、静かであたたかなロウソクの光を。
悲しみの中から湧いてきた、小さくてそれでいてたしかに彼の世界を照らすあたたかな光。

悲しみを掻き消し、悲しみに心を奪われ、そして最後には悲しみをじっと見つめること。
そこに見出すあたたかな光。

これは、悲しい本だ。
悲しくて悲しくて悲しくて、そしてあたたかな希望に満ちている。
この世界がとても悲しくて、同時にあたたかい光に満ちている、そのことと同様に。

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紙の本

紙の本魔女になりたかった妖精

2007/07/26 01:48

リアルな親子の優しさのかたち

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とてもリアルな親子の物語、である。

「魔女になりたかった妖精」というタイトルからイメージされるとおりのファンタジックな雰囲気で、元気いっぱいのキュートな妖精が魔女になろうと奮闘する、とてもワクワクする絵本なのだけれど。
それでいてこの物語の中には、ものすごくリアルな親子の姿がえがかれている。

主人公・ローズマリーは妖精の女の子。だからママは、妖精として生まれてきたローズマリーに、妖精として生きることを望む。上品でお行儀よく、美しくあってほしいと望み、その希望を我が子に押しつける。
これは現実にとてもよく見られる、親の一つの姿だと思う。与えられた環境を疑わずに受け入れ、「良い子」であることを望み、しばしばその望みをエゴイスティックに子供に押しつけてしまう、親たち。

ローズマリーは上品でお行儀よく優雅でいなくてはならないなんてつまらないと感じ、魔女になりたいと言う。
むろんママは激しく反対するが、ローズマリーは反発し、一人で魔女の森へ向かう。

どうせ一人きりで魔女たちのなかに入ってやっていけるわけがない、とママは高を括っていたのだが、ローズマリーはママが思っているよりもずっと大人だった。
このあたりも非常にリアルだ。
自分がいなければ生きていけない子供であると信じていたのに、実は子供たちはちゃんと子供たちの世界を築いているのだ。親の関与しないところでちゃんと人間関係を持ち、社会性をはぐくんでいる。
ローズマリーは魔女たちと仲良くなり、魔女の森で楽しく過ごしはじめるのだ。

そして…
最後にはお互いの希望を聞き入れ、互いに歩み寄る。まったく、ファンタジーでありながら、本当になんて現実的なのだろうと思う。
親と子が互いに認め合い、こんなふうに譲り合うこと。現実世界の親子の、特に子供の反抗期の終わりらへんに、あまりにもよく見られる美しい関係ではないか、と思うのだ。
物語の初めのほうでは、押し付けがましくて意地悪な印象だったママが、後半はなんだかかわいらしく見える点までがリアル。子供が自立しはじめると、親というのはかわいく見えてしまうものである。
ローズマリーがいないとさみしくて、ちょっぴり子離れできていない感があるのはママのほう…なんていうところもね。

とうに成人した筆者が読んだためにこんな感想がでてきたが、現役の子供たちはこの本を読んでどう感じるのだろう、と気になる。ローズマリーのママのこと、どう思うのだろうね?
ローズマリーのように、親に反抗したあとにはちょっと歩み寄ってあげられるような、優しい子に育ってくれるかな。
子供のときに読んで、少しだけ大人になったらもう一度読み返してほしい。これは、子供たちに優しさと、それを表す知恵を与えてくれる絵本である。

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