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straight no chaserさんのレビュー一覧

投稿者:straight no chaser

3 件中 1 件~ 3 件を表示

電車のなかでは読めません。やはり。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

根本的なところで高橋源一郎の小説は電車のなかで読むには適さない。言葉に小説的な力があってものすごく揺り動かされるから平静を保つことができない。
たとえば「キムラサクヤは、脳味噌が飛び出すほど強烈な××××をしたいと思った」(84頁)などという文章のあるページに目を走らせている状況のなかで、となりに座った誰か(こわいおにいさんでもすてきなおんなのこでもいいが)に覗かれた日には、やはりこれは、なんだか嫌である。(ちなみに「××××」は、本来的には伏字ではなく、なんとなくキーボードを打つのが憚られる四文字の言葉である。そういえば英語で下品な言葉のことをfour-letter wordという。)
タイトルに「性交」と謳っているぐらいなので、まあ、そういう話が並んでいる。しかし、それは(なにが「それ」なのかは置いておくとして……たとえば今はやりの「ロリコン」を当てはめてみてもいいが)高橋源一郎という人の、本領とは微妙にずれる。
たとえば、しりあがり寿の可愛いイラストに魅かれて高橋源一郎をはじめて読む、とかいう方は、「ウィンドウズ」「宿題」のふたつを先に読まれたらいいのかもしれない、と思う。(この二作品は電車でも読めるから。たぶん。)
「『ドンチャカパラプー』しか残らないのかもしれない」「なに、それ?」「おれにもわからん。いま思いついたんだから。それは……つまり、おれのいまの気分なんだ。『ドンチャカパラプー』が」……とつづく(233頁)あたり、かなりわかりやすく小説(の言葉)の掴まえ方について書いてくれているように思う。
条件反射的に「なァにィ『ドンチャカパラプー』ゥこの人ってェばっかじゃないのォ」とか言わずにおれない向きには「ウィンドウズ」、これが一番いわゆる小説っぽい小説で「現代社会への(鋭い)批評」みたいな(ある意味squareな)読み方もできるし、そういう入り方も、けっして悪くはないはずだ。そういう懐の深さが、たとえば阿部和重とは違う、どちらがいい悪いではなく。

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紙の本四十日と四十夜のメルヘン

2005/04/26 01:29

チラシがチラシでなくなるとき。個人的な欲望の連鎖が乗り越えられるとき。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「四十日と四十夜のメルヘン」の主人公はチラシ配り(ポスト投函)のアルバイトをしています。かつて伝説的だった“死体洗い”に変って、今や「チラシ配り(ポスト投函)」が憧れの的。一種頽廃的に。ここに仄見えるのは「死者の奢り」→「四十日と四十夜のメルヘン」という流れ。
ところで、ヨーロッパ中世における歴史認識のありかたは「神が六日間で世界を完成し七日目には休んだ」という「創世記」の記述に寄り添うもので、同じく「詩篇」には「神の一日は千年のようだ」というふうな記述があって、ゆえに世界は六千年の歳月を経て終末(最後の審判)へ至ると信じられていたわけですが、「四十日と四十夜のメルヘン」という小説が少しばかりキリスト教的であるとすれば、それは「四十日」という数字が荒野でイエス・キリストが悪魔の誘惑と闘った日数を想起させずにはいない、ということにも関係があったりします。
この小説では「罪と罰」(ドストエフスキー)のカフカふうな誤読の例が示され、街路には「複製技術時代の芸術作品」(ベンヤミン)ふうな風が吹いています。そして「薔薇の名前」で有名なウンベルト・エーコを思わせもする創作教室の先生から(風の便り的に)「新しい小説」を書くようにと勇気づけられた主人公は今や「フィガロの結婚」(モーツァルト)をおちょくったようなメルヘンを書きはじめているようです。配りきれずにアパートに持ち帰った大量のチラシたちの裏に。
なんだかよくわかってません。でも「必要なことは、日付を絶対忘れずに記入しておくことだ」というエピグラフの言葉が、この小説を読み終わった今、すごく光ってると感じます。小説ってつまりこういうことなのか、と目から鱗が落ちたように思います。さっそく再読してみることにします。(4.26)

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紙の本リルケ選集 3 散文集

2005/04/23 01:46

「書くことがすべての終結だ。」

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(Rainer Maria Rilke:1875-1926)
プラハに生まれ、「考える人」という彫刻で有名なロダンの秘書を務めたこともあるリルケ。
「若き詩人への手紙」の冒頭で、リルケは書いている。
「たいていの出来事は口に出して言えないものです。全然言葉などの踏み込んだことのない領域で行なわれるものです。」
リルケは多くの美しい詩を残しただけでなく、詩が生まれるということ、生きるということについて、喜怒哀楽の言葉ではなく(追憶の言葉でもなく)、とてもクールな言葉で書き残している。手記という体裁の小説(あるいは小説という体裁の手記かもしれない)「マルテの手記」も、そんな一冊である。人というもののさまざまな愚かさの可能性を冷静な筆致で書き連ねたあと、彼はいう。
「もしこんなふうなことがそれぞれあり得るとすると、いや、どこかにそんな気配でもあるとすると----是が非でも、僕は何か書いてみせねばならぬ。一度このような不安な考えをもった人間は、それが誰であろうと、まず何かこの食い違いの一つから手をつけねばならぬ。自分がたとい最も適当な人間でさえあるならば。結局、自分のほかにその人はないので。」
そしてその一節をリルケはこう締めくくる。「書くことがすべての終結だ」。「○○がすべての終結だ」、そんなふうに言い切ることのできる○○を、はたして自分はもって(生きて)いるだろうか。静かに考える。そのひとときは甘美さとは無縁だ。けれどリルケの透明さは、考える人を、黄色いランプの灯のようにやさしく照らしつづける。

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