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  3. Snakeholeさんのレビュー一覧

Snakeholeさんのレビュー一覧

投稿者:Snakehole

36 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本日本の税金

2003/10/29 11:00

オレたちのクニも北朝鮮に負けず劣らずなかなかにヘンな国であるなぁ,と

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

日本の税金

 読了して立腹。これを読むと日本の税制って隅から隅までズズズィっとご都合主義と折衷案の寄せ集めではないか。いや,ウスウス酷いとは思っていたがここまでとは思わなんだぞ。
 例えばビールにかかってる税金の無茶苦茶さ。著者はまず,日本の酒税がアルコール度数課税方式(酒の種類に関係なく含有されているアルコールの量に対して課税する方式)ではなく,酒をいくつかの種類に分類し,その区分ごとに異なる税率を適用する分類差等課税制度を採用していることを説明し,これはすなわち逆進性対策であったと指摘する。……ぶっちゃけて言えば同じアルコール度数だからって金持ちの飲む舶来ウイスキーと貧乏人が飲む焼酎に同じ税率を適用したら暴動になる,と。
 問題は,その分類においてビールがとてつもなく高級なお酒とされていることにある。本書によれば,1950年代の大蔵省(当時)の見解では,「ビールはその大半が家庭ではなく料理店等で消費されており,そういうトコロに出入りできるのはこれすなわち富裕層であるからして,彼等が飲むビールも高級酒ということになる」ということなんだが,イツの時代のネゴトだよ,と思うよね?
 例の発泡酒というのはつまり,ビールにかかる酒税の高さにネを上げた業界が,ほんぢゃその分類上ビールでなければいいんだろってんで原料の配分を「ビールに限りなく近いけどビールとは言えない」ところまで近付けて作った「限りなく透明に近いブルマーズ」的ゲリラ商品であったわけ。本来ならこういう商品が出てきたところで当局は誤りを認めビールの税率を見直すべきだったのに,実際に政府がやったことは全く逆。発泡酒の中に新たな線引きをして,そっからビール寄りの発泡酒の税率をビールと同じにしたんである。なにをかいわんや。 一事が万事この調子。こういう本を読むとオレたちのクニも北朝鮮に負けず劣らずなかなかにヘンな国であるなぁ,と改めて思うなぁ。

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紙の本ポップ1280

2003/10/22 07:59

つまりはアメリカ版「村井長庵」なのだ

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 1910年代のアメリカの田舎町を舞台にした暗黒小説……。つか,こりゃアメリカ版「村井長庵」(「歌舞伎・勧善懲悪覗機関(かんぜんちょうあくのぞきからくり)の」でもいいんだけど,ここは「筒井康隆の」を思い起こしていただきたいところ)ですな。
 人口1280人の田舎町ポッツヴィル,この町の保安官ニック・コーリーは間抜けの皮をかぶった極悪人である。町の売春宿に巣食うヒモ達を殺して隣の郡の保安官をその犯人に仕立て上げるわ,時期保安官選挙の対立候補を噂を武器にして追い落とすわ,愛人の亭主を銃の暴発事故に見せかけて殺すわ……。そして彼はうそぶくのだ。「オレの意志ぢゃない,オレはみんながオレに期待していることをしているだけさ」。
 同じ暗黒小説と呼ばれても,エルロイや馳星周の主人公たちはもっとギラギラで欲望むき出し,人を殺すときも鼓動バクバクな感じがするんだが,この男は違う。心の底からそんなことはたいしたことぢゃないと思っている,通るのに邪魔な石をどかすような感じ。ね,村井長庵でしょ?

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紙の本貨幣論

2003/10/03 09:55

先送りのトートロジーこそが貨幣の本質

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 マルクスの 「資本論」 を下敷きに,多くの経済学流派にとって「喉に刺さったトゲ」のようなものだった「貨幣の謎」(貨幣とは何か?)に挑む230ページあまり。いや文章も平易(時おり引用されるマルクスの文はそうでもないけど)だし,論旨も明晰,久々の「他人に薦めたい人文図書」でありました。以下,オレなりの解釈で要約してみる……。
 「商品Aは商品Bまたは商品Cと等価である」ということ(全体的価値形態)がその逆転である「商品Bあるいは商品Cは商品Aと等価である」(一般的価値形態)を産み,その二つが循環する構造が形成された時に商品Aの位置を占めるものが「貨幣」である。……ややこしいな,これを平たく言うと「貨幣とは貨幣として使われるものである」ってことになるんだけど,貨幣というのは実はこのトートロジーそのものだ,というのがこの本の主張なんだな。
 例えば今オレがポケットから取り出したこの1万円札,原価が正味いくらかは知らないが,紙,インク,印刷技術,工賃全てを合計してもまぁ1枚10円の価値もないだろう。でもこれを商店に持って行けば,とりあえずその店で10,000円分の商品と引き換えてもらえる。なぜ商店主は原価10円にも満たない紙切れと引き換えに大事な商品をヒゲ面の中年男(というのはもちろんオレのことだけど)に引き渡して平気なのか。それは「*将来のいつの日かに誰かほかの人間がその紙切れと10,000円分の商品と引き換えてくれると思っているから」なのであり,その「誰かほかの人間」がそうしてくれる理由もまた,「*印くりかえし」なのである。
 逆に言う,もしこの循環が途切れる時が来たら,馬車はカボチャに戻り馬はネズミの正体を現し,オレの1万円札は隠れもなきただの紙切れとなり,哀れ魔法の痕跡は王子の手に残るガラスの靴の片方だけ(ところでこれはガキの頃からの疑問なんだがなんであの靴だけ12時過ぎてもガラスのままなんだ?)となるのである。ね,トートロジーこそが貨幣の本質だって意味,分かるでしょ?
 さてしかし本当に面白いのはここからなのだ。ちと考えれば分かるがこの循環,時間軸に沿って螺旋を描いて循環しつつ進んで行く構造になっている。これが何を意味するか,つまり貨幣経済が成り立つ社会というのはある意味で永遠に先送りの社会なのだということである。この議論から著者は最終的に資本主義の真の危機としてのハイパー・インフレーション(貨幣からの遁走)に論を進めるのだが,オレは脱線してマックス・ウェーバーの 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」 に思いを馳せた。彼等キリスト教徒が神による「裁きの日」を本当に信じているのならば,この永遠の先送りの上に立脚した資本主義に身を委ねるのはすなわち背信であり異端ということになりはしないか。つまるところ「教義の沙汰も金次第」?

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もし歳とって日曜大工でも始めたらもう一度読もう

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 ペンシルバニア大学で建築学の教鞭をとる著者に,ニューヨーク・タイムズからミレニアムを記念するショート・エッセイの依頼が来る。テーマは「この千年で発明された最高の道具」は何か。彼は早速自らの道具箱を引っくり返して最高の道具を選ぼうとするが……。
 前半は「この千年で最高の道具」探しを通して候補にあがった道具達の歴史が綴られる。これかあれかといろいろな道具について来歴を調べるのだが,ほとんどがこの千年どころか前の千年以前の発明であることに驚かされる(著者も,読者もだ)。で,結局それは「ねじ回し」であるということになり,後半,ねじ回しとそしてねじそのものの起源を遡る旅が始まる。
 ……と,いうわけでなかなか興味深い本なんだが,惜しむらくは読んでいるこっちの基礎知識が足りな過ぎてナニを言ってるのか分からないトコロが多々ある。例えば「☆という道具の仕組みは◎と●の組み合わせ」などと書かれていても,オレには●がどんなものなのかさっぱり見当がつかないのね。そんな日が来るかどうかは分からないが,もし歳とって日曜大工でも始めたらもう一度読もうかね。

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宗教の狂気・読書の愉しみ

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 この本は16〜17世紀フランスの「性的不能による婚姻無効訴訟」の記録を丹念にたどり,いかに倒錯した心性が神に仕える聖職者をしてこのような愚行に熱中せしめたのか,を追求した歴史学の論文である。結論を乱暴に要約すれば,肉体的には頑健正常(むろん性的にも,だ)でないとその資格を与えられないにも関わらず,女の肉体は悪魔の罠であると教えられ禁欲を強いられていた当時の聖職者にとってこの種の審判は「脳中に罪を犯す」絶好の機会だったというわけなんだが……。
 そもそもカトリック教会が聖職者に妻帯を禁じたのは,相続によって教会財産が流出するのを恐れたからで,聖書に根拠があることではない(西暦306年の教会法で規定)。信者に婚姻外の性交渉を禁じたのも元を糺せば財産を巡る争いの元になるからだった。この2つの裏を返せば,貞潔の誓いというものは婚姻さえしなければ守られていることになるわけで,10〜14世紀,結婚しない聖職者はヤリタイ放題ヤっておったと(13世紀のある司教は産ませた私生児が65人を数えるまで何の罰も受けなかった)。
 ……このなおざりにされていた禁欲が,16世紀頃になってにわかに(少なくとも表面上)守られるようになったのは別に突然真の信仰に目覚めたわけぢゃなくて,早い話新大陸からやってきた性病の蔓延のせいなんだよね。このへんの事情は確か「性病の世界史」 に詳しかったんだが,こんな風に全く別に読んだ複数の本からの情報が頭の中で交錯して一個の絵を形作る快感というのは読書好きの醍醐味だね,うん。
 

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紙の本スポーツマンガの身体

2003/09/17 08:46

ジャンプシュートがうまくなるマンガ

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 スポーツマンガの傑作7作品を題材に著者専門の身体論を説く。ベストセラーになった「声に出して読みたい日本語」もそうだったように,この齋藤さんというヒトはいわゆる「体で覚える知覚」というようなものを現代人は大事にすべきだ,と主張しており,この本では新旧さまざまなスポーツマンガに見られる優れた身体表現を取り上げてその主張を繰り返すと共に,マンガ評論というジャンルにそうした新しい視点を導入しようとしている。
 と,コムツカシク書いてみたが,自転車に乗れるヒトなら誰でも覚えているあの,二輪の上で自分の体が自由になった時の感動と同種のものをこれらスポーツマンガは百万の言葉より的確な一枚の絵で伝えてしまうということだ。オレはガキのころから運動の類が苦手で,特に球技などどうしてもうまくできなかったが,大人になって井上雄彦の「スラムダンク」を読んでから,ときおり機会があって試すバスケットのジャンプシュートは(ほんまか,と言われそうだが)確かにその確率を上げたと思うのよな。
 高校生のころどうしても理解できなかったひじを締めるという感覚が,あのマンガの特訓シーンですんなり飲み込めた気がするのだ。40のミソラでそんな暇はないが,もしかして花道の2万本の5倍も反復練習すれば,このシュートだけは百発百中になるんぢゃないか,という……なんというか「キチンと基礎を掴んだ」実感(もちろん錯覚かもしれんわけだが)があるんだよね。
 ただ,どちらかというとオレたち(この本の著者の齋藤氏も同世代なんだが)の世代はこのテの「体で覚える」とか「まずは形から身に着ける」ということに対しての反発する気味が強いんぢゃないか。本書で齋藤氏は「奈緒子 新たなる疾風」にかこつけて「コーチが何の説明もせずに強いる練習を肉体が『理解する』快感」を説くんだが,で,それもわからんではないんだが,オレ,このマンガ苦手なんだよね。つか「スラムダンク」の新しいところは安西監督が練習の効用をバカの花道(そしてオレ)にも分かるように説明してから2万本を投げさせるトコロだと思うんだがどうですか。

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どんな喰いものもそれを喰う習慣を持たないヒトにとってはゲテモノなのだ

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 ……20数年前に一度だけ「ハチの子」というのを食ったことがある。まだ雀ボーイをやってた貧乏時代,なんかやたらには手に入らない高価なもんであるという前評判つきだった上,酒もしこたま飲まされたせいか味についてはたいした印象が残っていない。が,この本のカラー口絵と記憶を照らし合わせると,あれはおそらくクロスズメバチ(オレ達は「ジバチ」と呼んでたな)の蛹だったのだ。そうかそうか。
 著者の松浦センセイは三重大学の生物自然学部教授,日本の誇るスズメバチ研究の泰斗である。本書は,ともすればゲテモノ喰い扱いされる日本のスズメバチ食について,その歴史を辿り食文化の視点とともにハチの生態学の側からも評価した画期的な本であり,またほとんど知られていない(そして下手をすると知らないまま廃れてしまうかも知れない)外国のスズメバチ食についての貴重な取材報告でもある。当面ハチを採って喰う予定はないが採集方法から飼育上の注意まで,ためになるお話テンコ盛り……。
 いや,ハチを喰うなんて気味悪いとおっしゃるかも知れないけれど,どんな喰いものもそれを喰う習慣を持たないヒトにとってはゲテモノなのでね。江戸時代の日本人は西洋人が牛や豚を喰うと聞いて野蛮人は困ったもんだと思ってたわけだし,半村良 「妖星伝」 的視点に立てば生き物が互いの命を貪り合わねば生きられないこの星自体が邪な存在なのかも知れないわけなんだから……さ。
 

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なるほどニンゲンの性慣習は異端だったのか

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 こんな題名だがちゃんとした人類学の本である。ニューヨーク自然史博物館の研究員である著者が,「結婚・不倫・離婚」といったニンゲンの男女間の問題をオスとメスの問題として捉えなおし,「死が二人を分かつまで云々かんぬん」という結婚の誓いの方が生物界の趨勢では異端であり変態的であると説いた「衝撃の書」。
 かなり乱暴に要約すると,ヒヒやチンパンジー,ゴリラなどニンゲンに近い動物の性行動の観察から,パートナーを固定しての性行動というのはその方が自分の遺伝子を後代に残すという意味合いから雌雄双方にとってメリットがあるからで,本来的には成した子供が独り立ちできるようになるまでの一時的なものである。そしてパートナーを換えずに次の子供を作るというのは,生き残りに有利な遺伝的多様性の追求という意味合いから言えば不合理な戦略である。つまり子育てが終わったら離婚して別の相手を探す方が自然だというのだな。
 それが現在のような(というより現在「まっとう」とされているような)恒久的パートナーシップに変化して来たのは偏に農耕という生産手段のためである。農耕に携わる男女は土地という不可分な経済基盤に依存しているので,妻あるいは夫が分かれてよその土地に流れて行くということができない。現存する狩猟民族の調査結果をみても,定住農耕民に較べて著しく離婚率が高いのだそうな。
 そして,現在先進国と言われる国々で離婚率が高くなっているのは,産業基盤が農耕から工業へ,工業から第三次産業へと移行するに従い個々人の「財産」が再び分割可能なものになって来たからであり,とりもなおさずそれは「農耕でゆがめられてきたニンゲンのセックスが生物として正常な形態を取り戻しつつある現れ」である,というのである。
 うーん,このデンで行けば40過ぎて結婚しておらず,(少なくとも自分が知る限りにおいては)子も成していないワタシなどはさしずめ「生き物のクズ」みたいなもんなので,ここで偉そうに論評するのもオソレオーイのだが,なかなかに説得力のある論説だと思える。もし有力な(感情論や神学でない)反論があればそれも是非読みたい。

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これが「理系のすべてだ!」とか言われても

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 ウチは毎日新聞を購読しているので,1年を越えたこの連載記事もずっと読んでいた。その印象は,最初の頃こそ広く「理系」の問題に目を向けていたが,いつの間にか「理系」イコール「研究者」のことになってしまい,世にある「理系」のヒトビト全般の問題意識からかけ離れて行った,というものだった。……今回こうして一冊にまとめられたものを読んでその印象がかなり正確であったことに残念ながら失望した。
 だいたい「研究者」の待遇に限れば理系よりも文系の方が過酷だと思う。理系の「設備」はそれでもカタチがある分予算が付き易い(モノが高価だから十分でないのは同じだが)。オレの出た大学でエジプト史を研究してたセンセ(例の吉村作治さんほどタレント性はなかった)はよく,国から出る研究費では現地に行くどころか文献蒐集もままならないとぼやいていた。首尾よく博士になれても専門を活かせる就職なんか……それこそ理系の研究者がうらやましくなるくらいに「ない」だろう。
 つまり文理の別と研究者・非研究者の別がごっちゃになっているのだ。なんというか,オレも技術者のハシクレとして働くニンゲンなんだが,世界を変える研究をしているわけではないし今後もその見込みは無い。だが世間的には「理系」の仕事をしているヒトであり,理系的ネガティブイメージで語られる。そういう市井の「理系のヒト」が読んでると,この本に出て来るヒト達はとても縁遠い存在だという気がするのである。
 ……こう言えば分かるだろうか。これを作った毎日新聞の記者諸君にお聞きしたい。もし「文系白書」という本が出版されて,開くと大臣にもなるような花形経済学者の話とかマーケティング理論の専門家の話や,源氏物語の文献研究をしている研究者の予算不足についての愚痴や道祖神の分布を調べている女性民族学者が教授にセクハラに遭った話(こんなのこそ文理共通だろ)ばかりが書いてあり,オビには「文系のすべてを浮き彫りにする」とか書かれている。……どんな気がする?

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紙の本オクトーバー・ライト

2003/08/17 09:05

人生後半のあなたにお勧めのアメリカ文学

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 1987年の初版を買っていながら16年も読みそびれていた「アメリカ現代文学の最高傑作(当時)」である。いや,正確に言うと買ってすぐに一度読み始めたのだが,当時20代半ばで尻に蒙古斑をくっつけていた若造(というのはもちろんオレのことだけど)にはちとこの小説の持つ「老い」の匂いがキツくかつ理解し難く,10数ページで放り出したのだった。
 基本的には姉弟の対立と和解の物語である。ただしこの姉弟,サリンジャーの 「フラニーとゾーイー」 (あっちは兄妹だが)とは違い,姉は80歳,弟も72歳になる。二人とも伴侶を,加えて弟は3人設けた子供のうち男の子2人を既に亡くしている。姉は夫の死後商売に手を出して失敗,弟が相続した親の家に転がり込んだ。やもめ暮らしの弟はその都会じみたライフスタイル,特に彼女が持ち込んだTVが気に入らない。ある日とうとう癇癪を起こしてTVをショットガンで破壊,非難する姉を寝室に閉じ込め鍵をかけてしまう……。
 という姉弟の話の幕間に劇中劇のように字体を変えて,監禁された姉が寝室で見つけて読み始めた三文ペーパーバックのパルプ・フィクション〜自殺しようとゴールデン・ゲート・ブリッジから身を投げた元航海士が下を通りかかった麻薬の密輸船に救われマリファナを仕入れにメキシコへ向かう〜が語られる。ところどころページが欠落しているにも関わらず,全然スジを追うのに支障のないこのばかばかしい小説はまさにTVそのものだ……。
 これら2つのストーリーが絡むでもなく絡まぬでもなく進行し,監禁は立て籠りに変質し,対立はその位相を微妙に変えて行く……。最後のページを閉じたとき,20代の頃に無理矢理読み通してしまわなくて良かった,と思った。この心に沁みる寂寥をしっかり受け止めて味わうにはそれなりの年齢というもんが必要なのだ,だったのだ。

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紙の本牢屋でやせるダイエット

2003/08/12 08:51

中島らもの「拘置所体験記」

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 今年2月に大麻所持で捕まったらもさんがその拘置生活22日間の思いを綴った本。らもさんとは1996年にアムステルダムのコーヒーショップ(オランダ政府公認のマリファナ販売店)で同じ水パイプを吸ったこともあり(あ,それから ゴッホ美術館 でも一緒になったっけ),今回の逮捕劇には「吸いたいんやったらオランダくらいすぐ行けるだろうに」と思ったりしていたんだが,なるほど本人もその点については恥じ,反省してらっしゃる。
 いやしかし,なんでソコに入ったかというコトと,そこがどんなところかというコトは全く別なんであり,入った理由については反省しながらも,入ったからにはこの経験を貴重なモノとしてとことん味わい尽くしてやろうと思うのが誰あろう,ワレラが中島らもなんである。逮捕のその瞬間から手錠をかけられてのパトカーの中での会話,留置場で同房になるイラン人やら拘置所での身体検査の様子まで,これぞ臨場感といった感じの読みごたえである。
 そして訪れる独房の日々(雑居房では有名人はトラブルの元だというので独房に入れてもらえたそうな)。2枚あるタタミのうち常に外から見える1枚の側にしか居られないとか,メシを残して窓にくるスズメなどにやってはいけないとか,いくら具合が悪くても深夜に医療は受けられないとか(らもさんはこの規則で一度死にかけている〜この場面は緊迫感があるぞ),これから拘置所に入る予定のヒト,その予定はないが犯罪を実行するつもりでいるヒトなどには参考になること請け合いである。読むべし。

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プロのプログラマによるプログラマの取り扱い説明書

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 プログラムの入門書ではなく,プログラマの職業紹介本……なのかな。一般ウケを狙って面白おかしく書いてはいるが,老若を問わずプログラマであればうなずく話満載。プログラマの仕事のかなりの時間が実は「調べもの」であるとか,煮詰まっている時には電車の中だろうが便所の中だろうが頭の中で仕事をしているんだとか,オレ達当事者にとっては常識……というより自然でありながら,世間にはあんまり分かってもらえない真実(?)にもきっちり言及している。また,プログラマーが強弱の差こそあれ皆「しくみマニア」で合理主義者,社長であってもプログラムの書けないヤツは心のどっかで軽んじているという,立場によってはあまり明かされたくないヒトもいるだろう心理面の秘密(?)も暴露。プログラマもプログラマとつきあうヒトも一読の価値はあると思う。
 最後にお楽しみの「バグレポート」を。まずは35ページ「プログラマの宗派」の最初の行,「ナンバーワンで合って」は「ナンバーワンであって」が正しいんでは? 次に51ページのケツから6行目,この「必至」は「必死」の間違い。これ,逆に間違うヒトが多いんだけどね。74ページ「プログラマが笑う日」の最初の行,「しかめズラ」は「しかめヅラ」,「こら兄ちゃん喧嘩売ってんのか,ちょっとスラ貸せこら」とは言わないでしょ? それから,これは宗派(または世代?)の問題かもしれぬのだが,この直前にある「ちょうどの数の読み方」,オレは768を「ななろっぱー」と読むのは聞いたことがない。「ちーろんばー」だと思う。これも麻雀の点数計算から来ている読みだけどね(切り上げて「ちっち」と呼ばれる点数ですな)……。

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紙の本かがやく日本語の悪態

2003/08/01 05:54

悪態は文化の洗練を映す鏡だ

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 悪態……悪態って分かるよね? 阿呆とか馬鹿とか間抜けとか,ボケ,尻青,たわけ,おたんこなす,デレ助,オカチメンコ,逆ボタル,脳足りん,すっとこどっこい,唐変木,スカタン,田子作,ウスラトンカチ,ウンコたれ,お前の母ちゃんデーベソと……つまりは口げんかで使う罵り言葉である。
 この本は詩人にして日本語の研究者でもある著者が,落語や色里言葉,方言など各方面から取材して集めた,実際に使われている(いた)日本語の悪態の集大成である。なるほどこうしてまとめられた古今東西の悪態を並べてみると,巻頭で著者が嘆いておられる通り,最近の流行の悪態は語呂合わせや短縮形が多くてあんまり芸がない。口げんかで互いにストレスを発散できず,内に溜め込んである日ナイフを振り回すって世相はちゃんと言葉にも影響しているのだなぁと。
 ま,正面切って「次世代に語り伝えよう戦争体験」みたいなわけにはいかぬにしても,「宇治むら」なんてオツな作りの隠語は知っていると楽しいし,「酢豆腐」とか「権九郎」みたいに裏に一個の物語を背負った言葉は知ってるだけでそれ日本文化への造詣ということになるわけだしね……。
 ところで一個だけこの本に異論。124ページに出て来る 「男はつらいよ〜寅次郎紅の花」 のリリー(浅丘ルリ子)の悪態「口ほどにもない臆病者で,つっころばしでぐにゃちんで,とんちきいのオタンコナスだってんだよ」の中の「ぐにゃちん」は「山田洋次監督の造語なのかぐにゃぐにゃしたオタンチンという語感を覚えます」なんてもんぢゃなくて,単なる★◎♪▼♂だと思いますけど(笑)。
 

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紙の本ブラディ・リバー・ブルース

2003/07/27 07:56

主人公にどうにも魅力がないのが難点

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 前作「ヘルズ・キッチン」よりは面白く読めた。このジョン・ペラムという映画ロケーション・スカウトにはミステリーの主人公としての魅力が足りない,という見解は変更する気にならないが。
 ……CM出身の人気監督トニー・スローンの新作「ミズーリ・リバー・ブルース」ロケ中のさびれた田舎町マドックス,ペラムは停車中のリンカーンからいきなり出て来た男とぶつかって買って来たビールを取り落とす。文句を言うが男は無視して立ち去り,残ったクルマもすぐに発車……窓を覗き込んだが中の人物は見えなかった。
 ところがその夜,大規模なマネー・ロンダリング犯罪の重要証人ゴーディアがデート中の女と共に射殺される。現場で一命を取り留めた警官の証言で犯人の一人があのリンカーンから降りて来た男と判明。リンカーンの中の人物をボス,クリミンズだと証明できれば……。色めき立つFBIは車中の人物は見えなかったというペラムを買収されたと邪推,一方犯人達もペラムの口を塞ごうと動き出す……。
 ディーバー自身映画制作に関わったことがあるんだそうだが,いかにもそうだろうなと思われるチョイ役に対するぞんざいな扱いもハナにつく。ネタバレになるから詳しくは書かないが,あいつが殺された件は誰も責任を取らんのか,こら,と言いたくなるんだよね。
 最後にもう一個,これまた「ヘルズ・キッチン」と同じく関口苑生,吉野仁,池上冬樹の3氏が「三つ巴トリプル解説」というのを書いておられるんだが,関口サン「世評の高いリンカーン・ライム・シリーズなどはわたしにはちっとも面白く感じられない」と書きながら,次の文(501ページ8行目)で「ペラム」と書くべき名前をこともあろうに「ライム」と書き間違えてらっしゃる。説得力ないでしょうが,それぢゃ(笑)。

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題名でヒくなかれ,読む価値はあります

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 日本語のタイトルはかなりロクでもない(欧州,特に著者の母国ドイツに偏った内容なのに「世界史」を標榜するのはズイブンだし,スキャンダラスな味を狙ったらしきあざとい前半もはっきり言って冗漫である)が,中身は大真面目な性病に関する歴史的・文化的考察。特に梅毒の治療法などあまり知られていない歴史(オレが知らないだけ?)は読みごたえがある。
 オレが梅毒という言葉を初めて知ったのは中学生の頃に図書館で借りて読んだサンケイ新聞社の第二次世界大戦ブックス「ヒトラー」だった。それにはヒトラーは画学生時代にユダヤ人の娼婦から梅毒をうつされ,彼のユダヤ人嫌いはこれが原因,晩年の常軌を逸した錯乱はその病いが悪化したから,みたいに書かれていたんだが,この本によるとヒトラーが梅毒にかかっていたという確たる証拠はないのだそうな。
 著者アダム(これは苗字だ,女性である)が言うには,「どういうわけか伝記作家たちは,芸術家の生涯を語る場合は,梅毒にかかっていた事実をひた隠しに隠そうとするのに,別の歴史上の人物になると,おそらく病気などなかったと思われる場合でも,あえて意図的に梅毒患者に仕立てあげようとする妙な傾向がある」とかで,ヒトラーはレーニン,ムッソリーニと並んでその代表格らしい。
 とはいえ本書の主眼は,やれヘンリー8世は梅毒だったハイネもベートーベンもそうだったみたいなバクロ話にあるのではなく,古くは淋病と梅毒の区別もままならなかった時代からの性病蔓延の社会的,歴史的背景の分析・考察にある。過去の梅毒に関わる事象がそのまま現代におけるエイズを巡ってのあれこれにもあてはまる,という指摘は,「病気」が実は制度的,社会的な概念であると喝破したミシェル・フーコーを思い起こさせた。題名でヒくなかれ,読む価値はあります。
 

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