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  3. Snake Holeさんのレビュー一覧

Snake Holeさんのレビュー一覧

投稿者:Snake Hole

33 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本20世紀のパリ

2001/11/24 15:48

これが書かれた1863年には東京はまだ影も形もなかったのだ

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 「15少年漂流記」や「海底2万リーグ」,「80日間世界一周」のヴェルヌが1863年に書き下ろし,そのペシミスティックな内容から出版を断られてお蔵入りした作品である。100年以上経過した1989年,曾・曾孫の引っ越しの際に鍵がなくなっていた金庫の中から発見され,日本では1995年に出版された。
 執筆時点から100年後の1963年のフランス,科学万能の未来都市パリの物語である。科学技術が世界を支配した高度産業社会,そこでは経済とその裏づけとなる技術のみが幅を利かせ,音楽や文学,絵画などの芸術はごくつぶし扱いを受けている。その世界で,前世紀的芸術家の末裔とでもいうべき主人公,ミッシェル・デュフレノワはラテン語の詩を書いて賞を取るが,食うためには親戚のツテを頼って銀行に入り,どう考えても不向きな労働に当らねばならない。
 …小説としてははっきり未完成,というか草稿とでもいうべき段階のものだと思うが,それゆえにむき出しに近い形で提示される都市化,産業化の予想とその影響への危惧はさすがである。兵器があまりに高性能になって兵隊が解雇され,戦争がなくなるという話など (これ,個人的には悪くないと思うがね) 核抑止力の説明を聞いているみたいではないか。
 それ都,失われた芸術を懐かしむ形で語られるおそらくヴェルヌ自身の過去および同時代の芸術に対する評価も面白い。例えば主人公の友人であるピアニスト (もちろん彼もピアノでは食えない) ,クインソナの口を借りて語られるモーツァルトやベートーヴェンへの賛辞,ワーグナーへの嫌悪は作者の意見だろうと思われる (いやフランス人だなぁ) 。
 訳者のあとがきに,エドガー・アラン・ポオを媒介にしたヴェルヌとボードレールの関係が語られていて,この話も興味深かった。100年経っても,ナポレオンが始めた帝政が続いていると思っていたのはまぁ御愛嬌だが,なによりも驚くのはこの小説の舞台のパリが現代の東京に似ていることだ。これが書かれた1863年には,東京はまだ影も形もなかった (まだ江戸時代だったから) ことを思うと,ニッポンがいかに無茶なスピードで産業化を行って来たものか,考えさせられてしまう。

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なんと投げやりな終わり方!

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 おお,昔懐かしい「タイガーマスク」である。こうして全巻揃ってみると,オレが子供のころ雑誌で追い掛けて読んでいたのは第6巻の途中,虎の穴のマネージャー,ミスターXにさらわれた健太が,タイガーマスクを始め日本プロレスの面々の活躍で無事救い出されたあたりまでだったのだ。どういう理由か覚えがないのだが,たぶんこの時期私は「少年マガジン」を毎週買うのをやめ,「少年サンデー」乗り換えた。うーん,もしかしたら「漂流教室」(楳図かずお)がサンデーだったから?
 とにかく,月刊誌「ぼくら」に連載している頃からの読者であり,東京に遊びに来たおりにどこだかのデパートでやってたサイン会で貰った辻なおき先生の色紙を大事に持っていた私がもういいやと思うほど,末期のこのマンガはグジャグジャだった。きっと梶原一騎の生活がグジャグジャだったんだろうし,日本プロレスの内紛,分裂にも関連があったのだと思うのだが。
 まぁいいや,昔から気になっていた本作品の矛盾点を上げておきたい。まず文庫1〜2巻で行われる「覆面ワールドリーグ戦」,タイガー以外のレスラーが互いに戦う時には「おたがいに花をもたせた引き分けばかりだ」。実際描かれた場面だけでもザ・ライオンマンはエジプト・ミイラ,ミスター・シャドウと引き分けている。そのライオンマンがリーグ戦終盤になると,なぜか「7戦6勝1引き分け」でトップにいる(笑)。リーグ戦最初のころはそこまで考えていなかったのだろうな。
 加えて今回7巻で初めて読んだ「悪役ワールド・リーグ戦」,なまきず男ディック・ザ・ブルーザーや,殺人鬼キラー・コワルスキーが最大の敵ということになっとるのだが,彼等は最初も最初,まだ「黄色い悪魔」時代のタイガーマスクに子供扱いされていたではないか。特にブルーザーなどは3巻で,これからタイガーと戦う赤き死の仮面に「グッド・ラック」とか言ってヘいこらしているんだぞ,忘れたな,こら(笑)。
 個人的な意見だが,このマンガは3巻の途中,赤き死の仮面を倒したところで終わってれば名作だったんぢゃないか。人気もなくなり,アイディアも底をついた結果だろうが,この終わり方はいかにも投げやりでひどかろう。アニメの方がシナリオの質が高かった珍しい例である。

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紙の本二度生きたランベルト

2001/12/04 08:15

ヴァルストローナの食堂のウサギ料理というのを食ってみたい

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 どこのどういう組織団体が決めたのか知らぬが,2001年は「イタリア年」なんだそうな。で,オビに「イタリア年に贈るイタリアン・ファンタジーの最高傑作」と書いてある,ジャンニ・ロダーリ作「二度生きたランベルト」。
 ヨワイ93歳になる大金持ちのランベルト男爵,エジプト旅行の際に怪しげなアラブの隠者に教わった健康法を実行するとこれがなんと霊験あらたか,いきなり40くらいにしか見えなくなった。これにびっくらこいたのは,男爵の唯一の身寄りにしてお約束通りの放蕩ものである甥のオッタヴィオ,そろそろ遺産が転がり込むだろうと思っていたのにそれはないだろう,おじいちゃん。そ知らぬ顔で男爵を亡きものにせん狙う,が,なにしろ男爵は不死身になっているのでうまくいかない。
 …そうこうしているところへ「二十四ラ団」と名乗る強盗団がやってきて男爵の屋敷を占拠,男爵を人質に彼の所有する世界中の銀行 (これまた24ある) に身代金を要求,24の銀行の頭取たちは「男爵が無事である証拠を見せろ」と言い,ラ団の親玉は男爵の耳を片方切り取って送りつける (ここで簡単に耳を切ってしまうトコロがイタリアだと思う。マカロニ・ウエスタンというのもそういう残酷さが売りだった) 。ところがそれを調べるとどうも30〜40歳の男性の耳,頭取たちは信じない。片や強盗団はもっとびっくり切ったはずの耳がまた生えてる! そうしたどさくさにまぎれて遂にオッタヴィオが男爵の秘密を探り当て…。
 とまぁこんな話なんだが,いやなんというかやりたい放題である。各章ごとに「メタ落語」みたいな「著者覚え書き」がついているし,翻訳の白崎さんも遊んでいる。登場人物はどいつもこいつも友だちにはなりたくないようなヤカラだし。ただ,さすがイタリアで,出て来る食い物はどれもこれも旨そうだ。ヴァルストローナの食堂のウサギ料理というのを食ってみたい。

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紙の本心臓を貫かれて 下

2002/07/12 12:51

「面白かった」とは書きにくい,だから「読んで良かった」と書いておこう

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 なんともヘビーな本であった。訳者あとがきで村上春樹氏が書いておられる通り,この本の内容,性格を短い言葉で言い表わすのは大変難しい,が,敢えてヒトコトで乱暴にぶった切ればこれは「家族の本」だ,と言えるだろう。
 著者,マイケル・ギルモアは雑誌ローリング・ストーンなどに記事を書いている音楽ライターであり,1977年に自ら死刑を望んでそれを執行された殺人犯,ゲイリー・ギルモアの実の弟だ。その彼が書いた本だから当然,読者の視線はゲイリーに集まる。訳者の村上さんにしてからが,あとがきで「題材は殺人事件である」と筆を滑らせている。しかし本文中に著者自身が書いている (そして村上さんが翻訳している) ように,これは「自分一家の物語」なのだ。
 ワタシはなんというか「犯罪ドキュメント」の類いをけっこう読む方だ。下卑た好奇心と言われれば一言もないが,ヒトがヒトを殺すという,その非道の内側を知りたい,どんな羽目に陥ったどんなオトコ,あるいはオンナがそういうことをするのか知りたいのである。そしてそれを知りたいのはつまり,自分がそういうことをする種類のニンゲンではない,という確信を得たいというマコトに小市民的心情からであり,もしかしたら自分もある日人を殺してしまうかもしれないという恐怖からである (と思う) 。
 この本を読んで初めて気付いたのは,これまで読んできたそのテのどんな本の著者も「その殺人犯を愛しては」いなかったのだ,ということだ。この本の中で弟であるマイケルは,兄ゲイリーの自分が当時は知らなかった行動などを追い掛けながら「愛しているゆえに分かること」と「愛しているゆえに分からないこと」の二重螺旋にからめ取られていく。その振幅の大きさが圧倒的なリアリティとして読む者の胸を打つ。「面白かった」とは書きにくい,だから「読んで良かった」と書いておこう。

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紙の本目撃アメリカ崩壊

2002/07/12 12:01

テロの現場,至近距離からのルポルタージュ

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 著者の青木さんは以前オレがよく週刊文春を買っていたころ (ということはいしいひさいちが文春に連載していたころだが) ,コラムを同誌に連載していたニューヨーク在住のジャーナリストである。そんで,この本を読んで初めて知ったんだが,あのピート・ハミル (元ニューヨークポストの名物コラムニスト〜同紙を買収したメディア王マードックの方針に反対して辞任した。小説家としても有名) の奥さんである。ピート・ハミルの本は好きだったんだが日本人と結婚してたんか,ちっとも知らなかったぞ。
 とにかくこの本は,昨年9月11日,テロによって崩壊したワールド・トレード・センターへ数ブロックという至近距離に住む青木さんによる,現場からの迫真のドキュメントなんである。テレビではあまり報道されなかったニューヨーク住民のナマの息遣い,悲鳴,怒号,そして混乱。……テロから3日後,立ち寄ったニューススタンド (ニューヨークのニューススタンドは現在ほとんどがアラブ系が経営しているのだそうだ) ,青木さんが「はっとして,『ご家族もみんな大丈夫ですか?』と聞いてみる」シーンなど,住民でなければ書き得ないリアリティだろう。
 青木さんやその周辺の人々の意見,今回のテロとブッシュ政権の強硬路線の相関や,敵愾心をあおり立てる米マスコミへの不審などが,そう多くのヒトに共有されているとは思えない。ただ,つい先日までいたサン・ホセの市内では一度,「戦争をやめないイスラエルに金を出すのはもうイヤだ」「戦争反対」というプラカードを持った数人の市民をみかけたし,食事に行ったバークリーの市議会は全米で唯一 (いまだに唯一なんだが) ,アフガンへの報復攻撃に反対する決議をした。
 過日報道のあったロシアとの核兵器削減条約におけるブッシュの方針に疑義を持ったヒトも多かろうと思う。アメリカ人の多くは,単純にテロに対して怒っており,よその国が自分と同じ価値観を持たないことに苛立っている。が,その怒りや苛立ちを国家という規模で形にしたら,どんなことが起こるのか。そろそろ市民が冷静になってその結果を考えて欲しいもんである。

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紙の本大人のための残酷童話

2002/06/30 08:59

著者独特の「身も蓋もないのに魅力的な超現実の世界」

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 わはは,面白かった。童話をパロディ化したり,その奥に潜む残虐性などを蘇らせた,というふれこみの読み物は他にもあるが,この本はそういうものとははっきり一線を画している。誰でも知っている昔話,童話の類いを換骨奪胎して,倉橋由美子独特のなんというか「身も蓋もないのに魅力的な超現実の世界」を構築するココロミなんであり,出来上がった世界はまぎれも無く,倉橋オリジナルの悪夢淫夢白日夢なのだ。

 この世界の人魚姫は「上半身が魚で下半身がニンゲン」であり,白雪姫は美しいだけの白痴である。養老の滝はすぐさま働かない飲んだくれどものたまり場になるし,ジャックが登った豆の木は最初から大男が仕掛けた罠だった。なかでも傑作は「異説かちかち山」,ここに全部書き写したいほど面白い。かいつまんで言えば最初に食われるのはまごうことなくタヌキなのであり,泥舟で沈められるのが婆様であり,ウサギは実はタヌキであり爺様はなんとも主体性のない付和雷同型のニッポンの男なんである。……これぢゃなにがなんだかわかんないか。あとがきで著者が展開する(というほど大掛かりではないけれど)「児童文学」批判も傑作。是非一読を。

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グールド教授の御冥福をお祈りします。

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 この5月に逝去されたスティーブン・ジェイ・グールド教授の科学エッセイ。96年9月に邦訳が出版されたもの。
 
 副題に「種の絶滅と進化をめぐる省察」とあるのだが,この本に納められたエッセイの中でグールド教授がくり返し述べているのは,(1) 進化というもんは目的合理性に沿って起こったものではなく,どちらかと言えば「下手な鉄砲がたまたま当たって」我々はここにニンゲンとして与太を飛ばせるようになっているのである。(2) しかしこの分野の研究の先駆者達の多くはそこに「神の意志・進化の最高位としてのニンゲン」を見ようとし,実際に多くの研究を通して「それを見て来はった」(ヒトは自ら見たいものしか見ないし,聞きたいもんしか聞かないもんなのだ) 。(3) そういう彼等を現代の知見を持って「爺ちゃん,阿呆やったんやなぁ」と断じるのは簡単だが,それはちゃう。そもそもそういう先人たちの,時には袋小路に行き詰まり,時には偉大な研究分野の萌芽となるような研究の撩乱こそ,そのまま進化のアナロジーではないか……と,まぁこういうようなことである……すげぇ大雑把な説明ですけど。
 
 しかし亡くなってしまったなぁ,まだ60か61のはずなんだが。……代表作というとやっぱり「ワンダフル・ライフ」ということになるんだろうが,この手の雑誌連載のエッセイで彼が軽く触れる,古き良きニューヨークや野球の話とかもオレは好きでした。御冥福をお祈りします。

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たまには読みたい,知恵熱出そうな本

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 SFに出て来るタイムトラベルの分析 (その実現可能性の分析ではない) から,なんというか時間論を哲学するココロミ……というべきなんだろうか。面白くは読んだが説得はされなかった,という読後感である。
 具体的に行こう。まずは4章「タイムトラベルと2つの今」の中での「私の今」と「動く今」に関する考察が,オレにはなんかヘンな感じがした。一切の実証が不可能でありながら「動く今」のイメージが有効に働くのはそれが「決して他人と共有され得ない『私の今』」の「生活の為に必要な方便的サブセット」だからぢゃないのかな。青山氏の言葉を借りれば「動く今」と呼んでいる方の今こそが「私の今」の手下なんだ,というのがオレの「感じ」なんだけどな。
 もひとつ,こっちは別に違和感ではないんだけど,9章「タイムトラベルと同一性」の議論の中で,ニュートン力学から相対論への飛躍を論じた部分「時間概念の構成に用いる無根拠な同一性の選択」という言葉はちと分かりにくかっった。ニュートン力学から相対論への「移行」(飛躍かなぁ) は,ヘンな言い方をすれば「限定解除」なんだよね。ニュートンにはどのような同一性の選択肢もなかった,アインシュタインはその選択肢を得て,その中で最も遠くまで (この「遠く」は時間的にも空間的にも,というか時間と空間の区別がなくなるところまで,なんだけど) 有効でありそうな選択をした,のだと思うのね。
 読んでるウチに自分の「哲学」が頭をもたげてくる。人間の生存ちうのを認知のインフレーション,同時にエントロピーの消費だと考えれば,熱力学の法則をメタファーとして使って,そも命というのは「時間に関しての位置エネルギーみたいなもの」と考えられそうデハナイデスカ,なんてね。……ひさびさに知恵熱出そうな本でありました。
 

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類い稀なる面白作家・詩人論

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 倉橋由美子のエッセイ集。センセイの全エッセイ集から文庫版として改めて編集したというシロモノで,「日常と文学に関する随筆」,「作家・詩人に関する評論」のニ部構成。前者にも「愛国心」という妄想を斬って捨てる「妄想の落とし穴」とか,ある部分丸山健二の書いていることに通じるような「文学的人間を排す」など面白い読み物があるのだが,後半の作家論,詩人論がスゲェ。いやマジで,この面白さはちょっと他に類を見ないのではないか。
 「彼は近代的リアリズム小説を書かずに安吾流の小説を書いた」と結論付けた坂口安吾論,独特の視点からその「私小説」の「私小説」的なるものを分析する島尾敏雄論,ほとんど恋文と言っていい吉田健一論など,どれを取っても (そのおっしゃる内容に賛成であろうと反対であろうと) 目からウロコが2枚ほどは落ちようという傑作である。
 なかでも「ユニークで難解で畏怖すべき思想家と見るよりは黙示録的夢想家」と断じた「『反埴谷雄高』論」に至っては,よくこれが同氏の個人全集の解説 (または月報かも知れない) に掲載されたなぁと,またそういう媒体からの依頼に対してよくこれを書いたなぁという,ある種の感嘆というか畏敬の念というかそういうものを感じてしまう。
 いみじくも三島由紀夫の死について著者は「これが少なくとも女にはできないことであること」を繰り返しておく必要がある,と語るのだが,このような埴谷雄高論,三島由紀夫論を書く,ということが「少なくともできるオトコはめったにいないコト」であるように私には思われるのである。

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紙の本偶然の音楽

2002/05/20 09:16

作者の分身達が住むパノラマ世界

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 こんなこと誰も言ってないだろうし,もしかしたら世界でオレだけがそう感じるのかもしれないんだが,このポール・オースターって作家は自分の創作した作中人物を好きになったりしないんだろう,作中人物の誰も愛していないんだろう,と思う。それは,作中人物が完全な作り物で作者自身が全然投影されていないというのではなくて,いやむしろおそらく作者自身のモノの考え方や感じ方,そして何よりヘンな言葉だが「モノの感じな方」を練って固めて作中人物を造形するあまり,愛せなくなってんぢゃないかな,という感じ,この小説最初から最後まで結局オースター自身以外は出てきてないんぢゃないかって思うのである。
 そしてその「愛してない人物」たちを,まさに「映画」のように,「現実」のように見えるけれど「その裏側に別の約束事」がある世界のそこかしこに配置して,いきなり時計のネジを巻く。止まっていた時間が動きだすように,人物達はそれぞれ「小説の中での人生」を「とてつもなく途方にくれた」地点,時点から始めさせられる。そう,オースターにとっての小説世界というのは,作中で大金持ちのストーンが製作している模型の世界のようなもの,我々「客」にとってはテーマパークの「★★ライド」みたいなものなのだろう。自分の背筋をなぜていった冷たいものが本当のところなんだったのか,分らなくても我々はオトなしく家路につかなければならないのである。

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紙の本盲目の女神

2002/04/13 11:30

「リーロイ・キースのその後」をワタシはずっと待っている

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 井上淳ひさびさの大作なんだが,ちと散漫な印象。つうか,このキャラたちを今後も使い回ししてシリーズにするつもりなのだろうか,幾人かの魅力的な……つうか通常の小説であれば「もう一度出て来てなんかするだろう」と思わせる人物がそれっきりだったりするわけで,大沢在昌の「新宿鮫」の最初の本ってこんな感じだったけ?

 閑静な住宅街で一家4人が残殺される。現場には被害者の血で書いた「J」の文字が……。大々的な捜査が始まるなか,本流から外された刑事2人,嵯峨と秋元はもっとも見込みのなさそうな「怨恨」の線をあたるよう命じられる。殺された一家の長男が数年前,少女暴行事件に連座して少年院に送致されており,少女の親が経営していた和菓子屋を畳んで行方不明になったいる,その男を追えというのだ。
 暴行事件のあった京都へ向かった嵯峨たちはしかし,めった刺しに見える死体の傷が,実は入念に計算された偽装であることを見抜いていた。異常者の犯行にも見える殺人は冷静極まりない「プロの仕事」だったのである。独自のルートを使って真相に迫る2人だったが,捜査本部は付近に住むひきこもり青年を逮捕してしまう……。

 著者独特のハードボイルドな描写や世界観,人間観は健在だし,一応の水準作だとは思う。思うんだが,ワタシが井上さんの本に求めているのはもうちょっと上の面白さなんだよなぁ。デビューからしばらくのあいだ,日本人がほとんど出て来ないミステリ,サスペンスを書いていた頃の面白さが失われて久しいような気がするのである。
 主人公と舞台を日本にする,というのはおそらく出版側の要請なんだと思うのだが,それは角を矯めて牛を殺すみたいな話で,このヒトの書く人物たちの造形やメンタリティは日本の風土の中だとすごく浮いちゃうんだよね。「トラブル・メイカー」「シベリア・ゲーム」のリーロイ・キースがその後どうなったのか,ワタシはずっと待っているんだがなぁ(笑)。

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紙の本武蔵野水滸伝 上

2002/04/13 11:25

奇想の娯楽小説に潜む絶望的人間観

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 大名作「魔界転生」と同様に,史上に実在の剣豪,侠客などをオールスター出演させた山田版「天保水滸伝」にして「魔界転生」の幕末版である。いやぁ面白い面白い。
 ヒーロー,ヒロインが北町奉行遠山左衛門尉 (金四郎〜「遠山の金さん」はフィクションだがこのヒトは実在) の息子で銀五郎に,南町奉行鳥居甲斐守耀蔵 (俗に「鳥居の妖怪」と呼ばれた酷吏,北町奉行の遠山が,彼に比べればリベラルであったことが「遠山の金さん」という講談を産んだらしい) の娘お耀,というのはおフザケだが,この二人が関八州の悪徳腐敗を一掃しようとて召集した剣豪たちの顔ぶれが凄い。あまり凄いので段落を変えよう(笑)。
 千葉周作とその倅の奇蘇太郎,斎藤弥九郎とその倅である新太郎,伊庭軍兵衛,拳骨和尚物外,大石進,秋山要助,浅利又七郎,樋口十郎左衛門,男谷精一郎信友,勝小吉,桃井春蔵,高柳又四郎,島田虎之助に平手造酒。これらが退治を依頼される関八州のヤクザどもというのが,国定忠治,大前田栄五郎,清水の次郎長とその子分森の石松,武居の吃安,小金井の小次郎,笹川の繁蔵という顔ぶれだ。しかもこいつらがただ戦うわけぢゃない。ファウストを誘惑したメフィストフェレスを連想される美少年 (少女か) ,南無扇子丸と名乗る謎の人物の妖術により,剣豪達が侠客に憑依,その名声が枷になって行えぬ,違乱悪行の限りを尽すのである。
 ただワクワクと読み終えて,ふと気付くのは山田風太郎翁の絶望的な人間観だ。剣術もまた暴力であり,暴力究極の目的は意に染まぬ者を従わせ蹂躙することである。よって剣術の修行の動機には,必ずやそうした暴虐乱行への憧憬が潜むのであり剣客の品性,人徳など実は名や体面を惜しむ虚栄心の薄皮に被われているものに過ぎぬではないか,嗚呼。

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「噂の真相」記事取材の内幕!

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 「トップ屋」って言葉,初めて目にしたのは確か「サイボーグ009」である。わりと情けないトップ屋のコンビが「不死身のレーサー島村ジョー」の秘密を探りに,ジョーの家に忍び込んで来るんだったが……。まだ生き残っていたんだねぇ。あ,いや,職業がではなくて,この言葉が。
 著者の西岡氏は神戸新聞の記者から雑誌「噂の真相」に転身し,現職の東京高検検事長を辞職に追い込んだ「則定検事長の女性スキャンダル」や,TBSと芸能界を震撼させた「芸能人乱交パーティ」,そして記憶に新しい「森首相 (当時) の買春検挙歴報道」など,たてつづけにスクープをモノにした気鋭の雑誌記者である。
 この本は,神戸新聞に在籍中の「阪神・淡路大地震」から,昨年9月の「森買春歴裁判控訴」までの6年間の取材の内幕を語ったもの。オレなどのように「噂の真相」に掲載されたそれらのスクープを実際にリアルタイムで読んでいた者にとっては,彼等が取材を始める発端や,裏取りの過程,報道の余波などの紙面では語られないナニクレが非常に面白いのである。
 例えば皇太子妃を「雅子」と呼び捨てにした「一行情報」に端を発した「編集部右翼襲撃事件」のリアルな描写にはそこにいたものでなければ描けない迫力があるし,首相の買春検挙歴をリークする警察幹部との密会の様子,その時の会話などには背中がゾクゾクするようなサスペンスを感じる。
 氏は昨年10月で「噂の真相」を退社し,現在は「週刊誌記者として活躍中」(どこ? 週刊文春? 違うか) とのことなのだが,今後もバシバシ「ワルいヤツらを眠らせない」記事を読ませていただきたいものである。パチパチパチ。

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紙の本深夜特別放送 上

2002/04/13 10:40

ラジオ黄金時代のニュー・ジャージーの陽光

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 時は第二次世界大戦中のアメリカ,些細なことで逮捕された駆け出しの小説家ジョン・ディラニーは留置場に面会に来た友人マーティ・ケンダルから,死んだ弟の恋人であり,また彼も愛してやまない女性ホリー・カーナハンが窮地に陥っていることを知る。ケンダルに手引きを頼み,収容されたオークランド近郊の労働キャンプから脱走するが,落ち合うはずだった彼女の家はもぬけの空。再度訪れるとそこにはケンダルの死体があった。
 わずかな手がかりを頼りにデュラニーはニュージャージーの小さな町へたどり着く。ホリーはこの町の酒場で歌を歌っていた。小さなラジオ局にライターとして就職し,ラジオの魅力のとりことなって次から次へと傑作ラジオ・ドラマを執筆するが,ドイツ系の同僚,ジョージ・シュローダーの自殺,その従兄弟であるピーターの失踪と死など,身辺には絶えず不穏な雰囲気がつきまとう。
 ……正直な感想を言うと,いろんな材料が「うまく混ざらないまま出来上がってしまった」印象の小説。ダニングが営業的に「ミステリ作家」なのは分かるんだが,この小説に描かれた「殺人」や「サスペンス」や「謎」はどれも出来が悪くて,なんというか取ってつけたみたいな感じなんである。その出来の悪さを「ミステリ」ではない部分が救っている。ラジオ黄金時代のニュー・ジャージーの陽光,現場の緊張感,世界大戦の暗雲,恐怖……。下手な殺人事件を絡めずにそのテーマだけで書いた方が良かったんではなかろうか。

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紙の本クライム・ゼロ

2001/12/04 08:36

犯罪の根源,オトコを改造しようという話

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 統計上明らかなことであるが,殺人,暴行,レイプなどの凶悪犯罪の犯人の性別は,90%以上男性である。男性と女性の脳の造りは細部で違っており,簡単に言うと男の脳では攻撃性とか衝動とかを強めるホルモン,テストステロンの分泌が女性より多く,行動を抑制したり変更したりする神経伝達物質セロトニンのレベルが低い。そして同じ男性でも,これらのホルモンや神経伝達物質を体内で生成する遺伝子に差がある,つまり凶悪な犯罪を繰り返す犯人はそうなりやすい遺伝子を持っている,ということである。
 主人公の一人キャシー・カーは遺伝子組み換え技術およびウィルスベクター技術を使って,この「暴力犯罪を犯しやすい遺伝子」を修正するウィルスを開発する。早い話「時計仕掛けのオレンジ」の遺伝子版。この計画は「プロジェクト《良心》」と呼ばれ,合衆国初の女性大統領候補であるパメラ・ワイスをホワイトハウスに送り込む最終兵器,のはずだった。しかし考案者であるキャシーの知らないところで秘かに,次の段階のウィルス計画「プロジェクト《犯罪ゼロ》」が動き始めていたのである。その病原菌はまずはイラクへと運ばれて…。
 前作の「イエスの遺伝子」もオモシロかったが,与太話のできばえはこっちの方が上だろう。生物学,遺伝学,バイオテクノロジーの記述ももっともらしく,オレのような門外漢にはどこまでがほんまでどっから与太なのか判らない。コンピュータの描写もよくできていて,この小説の舞台に設定されている今から7年後であればそういうマシンも可能であるかもしれぬ,というくらいのリアリティがあった。
 いやそれにしても昨今の凶悪事件,止まらぬ戦争などを見ていると,この小説に出てくる《良心》くらいなら存在してもいいのではないか,という気がしてきてしまう。正義も悪も同じく人殺しではないか。

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