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GTOさんのレビュー一覧

投稿者:GTO

442 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本寝ながら学べる構造主義

2012/05/31 11:17

分かりやすすぎる入門書

21人中、21人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『はじめての構造主義』橋爪大三郎(講談社現代新書)が、分かりやすい入門書ならば、本書は、分かりやすすぎる入門書と言えるだろう。

  『はじめての構造主義』は、ほぼいきなりレビィ・ストロースから入って、ソシュールの言語学へいったん戻った後、『悲しき熱帯』『野生の思考』を中心にレビィ・ストロースを扱い、ルーツとして過去の数学との関連を解説している。

 それに対して、『寝ながら学べる構造主義』は、ソシュールを始祖として扱った後、フーコー、バルト、レビィ・ストロース、ラカンの4人の思想を分かりやすい例を引きながら、解説している。

 橋爪の本では、レビィ・ストロース以外の3人は、第四章で軽く触れられているだけなので、構造主義全体をざっと概観したいならば、内田樹の本書を薦める。

 彼らの本で、構造主義に興味が持てたならば、次には、丸山圭三郎の『ソシュールを読む』(岩波書店)や池上嘉彦の『記号論への招待』(岩波書店)を読んでから、フーコー、バルト、レビィ・ストロース、ラカンの著作へ進むのがいいと思います。

 いったん分かりはじめると、嬉しくてしばらくこの手の本に病みつきになります。でも大丈夫、どちらの本にもブックガイドがついています。

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紙の本愛国者は信用できるか

2006/06/11 18:19

右の人にも、左の人にも読んでほしい。

17人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

鈴木邦夫という著者名を見て、手に取ろうとしない人がいるだろうが、右の人にも左の人にもどちらでもない人にも是非読んでほしい。そして、イデオロギーがいかに人を不幸にしてきたか知ってほしい。こうしてみると岸田秀が『ものぐさ精神分析』で書いていたように日本は極端から極端へと振れる国だというのが実感できる。そして、鈴木邦夫がそれにすごく戸惑っているのが読み取れて面白い。少し時間が掛かったようだが、分かる人にしか分からないことに著者も気づいたようである。

 戦後まず右翼が反共右翼と成り下がり、思考停止してしまった。高度経済成長以後、左翼は権利主張集団と成り下がり、革命の匂いさえ感じさせなくなった。そして共に日本を愛しているとは思えなくなっていき、人心は離れていった。といって、政権政党が国を愛していたとも言い難い。国民は、最悪だが他よりマシと選んできたように思う。

 テロや自決がよいとは思わないし、その誤った表現方法が本質的な論議を妨げてきたことも問題だったと思う。事件が起こるたび、「右翼」「左翼」というレッテル貼ることで、議論する前に社会的に葬り去ることが「どちらでもない人」にも行われてきた。それゆえか1980年前後から、若者を中心に政治的発言を控える人が増えた。

 この風潮が本当に日本を駄目にしてきたと思う。何か発言すると、「同志よ、一緒に頑張ろう!」という組織と「許せない!」という組織が現れる。「許せない」集団から身を守ろうと「同志よ」という組織に属したとたん、その組織がその人物の発言を拘束し始める。それが嫌で脱退すれば両方から狙われる。イデオロギー集団とはそんなものである。どうしたらいいのだろう。中学生で『赤頭巾ちゃん気をつけて』読んで以来、ずっと考えてきたが妙案はない。政治課題をこの指止まれ形式の直接民主主義的な多数決で解決したらどうかと考えた時期もあったが、現実には無理だし、今以上に無定見なマスコミに左右される可能性が高い。

 高校のころから、右だとか左だとかいうこと自体がおかしいと思ってきたし、言ってきたがなかなか理解されなかった。私が常に彼らに感じてきた違和感は、正しいことを言っている自分が言うことは正義だという同義反復だったんだと思う。この場合で言えば、「国を愛することは正しいだから、私が言うことは正しい。」と信じる人達は、人を「反動だ。」とか「共産主義だ。」となじる。昔で言うノンポリ、流される人達を生んできたのは、そんなイデオロギー論争であり、レッテル貼りだ。

 女帝を容認する者がみな左翼ではないし、憲法改正を唱える者がみな右翼でもない。物事の本質を予断なく考え、みんなで日本がより良い国になるためのプリンシプルを築いていくべきだ。

 愛国心にしても、例えば愛校心を考えてみれば、愛校心が生まれるのは、整備された教育環境、友人それに尊敬できる先輩や教師の存在ゆえである。だから学校を愛せと校則に謳うより、良き伝統を守り、変革も怠らないことが大切だ。国も同じである大人が子供たちに敬われるような人間となる自己研鑽を怠らない姿を見せ、現状の日本の悪い点は排除し、住みよい社会作りを淡々とかつ優雅に目指すことが大切だ。

 その観点からも、「愛国心は国民一人一人が、心の中に持っていればいい。口に出して言ったら嘘になる。また、他人を批判する時の道具になるし、凶器になりやすい。」(p.192)は、真理だと思う。他にも口に出したり、活字にすると嘘になり、凶器になる言葉がある。言葉を振り回さないことが大事だ。まして、強制はいかがなものか。「言挙げ」が不幸を招くことは多い。「秘するが花」とも言う。

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紙の本他人を見下す若者たち

2006/05/14 22:38

日本に哀しい物語が始まるのか?

19人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者も言っているように、学問的にまだ実証されているわけではないが、その通りだと感じることが多い。現在、裏を取る調査中とのことなので、数年のうちには詳しい調査結果も発表されるに違いない。その前にまず、途中何度か引用されている名古屋大学等の紀要を読みたくなった。最近の大学の紀要は面白い研究でいっぱいのようだ。

 さて、著者の造語「仮想的有能感」は、言い得て妙な熟語である。著者の定義によると「自己の直接的なポジティブ経験に関係なく、他者の能力を批判的に評価・軽視する傾向に付随して習慣的に生じる有能さの感覚」(p.131)であるが、根拠のない(実績にも努力にも裏打ちされていない)優越感といったほうが分かりやすいかもしれない。

 著者の造語ではないが、本書に出てくるキーワードを並べれば、きっと多くの人がこの本を読みたくなるだろうと思う。いくつか抜き出してみよう。
 悲しみの希薄化
 怒りの文化
 根拠なき自己肯定
 ユニバーシティ・ブルー
 自分以外はみんなバカ
 ポジティブ・イリュージョン
 他者軽視
 エンビー型嫉妬とジェラシー型嫉妬
などである。

 これではまだという人に、何カ所か部分引用すると、

「現在の個人主義傾向が強まった時代では、葛藤が起きると、即座に怒りの感情として爆発したり、慰謝料などをめぐって醜い争いが展開したりする。すなわち、個人主義の社会では攻撃性が高まり、暴力が日常的に発生するのである。」(p.52)

「九〇年代以降、国際競争力をつけるために日本人はもっと自己主張をせよと言われ続けてきた。そのことが、「人の欠点をはっきり言う人のほうが有能」「先に指摘したほうが勝ち」という風潮を生み、「日本人は『あら探し』をすることがうまくなった」とまで言われるようになった」(p.79-80)

「その場その場での役割や地位というものが機能せず、あらゆる場面で誰もが同じ地平に並んでいると考えているのかもしれない。しかし、教育という場面で教育者と被教育者の間には一線が引かなければ教育は成立しがたいだろう。」(p.98)

「能力の内容はよくわからないが、とにかく自分には何人にもない特殊な才能があるはずだ、という根拠のない自己肯定をしているのである。前にもふれたように最近の社会では「オンリーワン」という言葉が流行歌の歌詞にもなり、非常によいイメージが持たれているが、この考えには落とし穴もある。なぜなら、多用な比較の次元を持つことは人間にとって幸福なことではあるが、誰もが勝手に好ましい自己評価をし、自分にもすばらしいところがあるにちがいないという、楽天的な見方を構築しやすいからである。」(p.111)

「仮想的有能感の高い人は、何よりも自分が弱い存在だと思われたくない。例えば、学業成績が悪い、運動競技に負けたという現実があっても、素直に自分の能力や努力の足りなさを認めるというよりは、先生の指導が悪かったとか、競技場のコンディションが悪かったと自分以外の要因に帰し、自己責任を回避するものと考えられる。その限りでは悲しみは生じない。ただ怒るだけである。」(p.186)

「幼児期から個性化が強調されると、たしかに一種の自尊感情が形成されるかもしれないが、それは、周囲からの一般的な承認をえない、柔らかでぶよぶよした傷つきやすい自尊感情にすぎない。子どもたちが社会化するために大人がしっかりしつけをすることが、仮想的有能感を抑制する。」(p.208)

 これで読みたくならない人は、現実を直視したくない「仮想的有能感」の人、その人だろう。でも、この本を読んで「そうだ。そうだ。」と思うのも、(自分自身に潜む)仮想的有能感ゆえかもしれないと自戒した。そして、これからの日本に哀しい物語が待ち受けていなければよいのだが思った。

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紙の本スタバではグランデを買え!

2008/06/15 21:09

ビーケーワンで、この本を買え!

16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 面白い。どの話も納得である。100円ショップの経営がなぜ成り立つのかや、電気製品の価格がなぜだんだん安くなるのかは、感覚的にだれもが分かっていることだが、こうしてすっきりした説明を示されると気持ち良い。『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』(山田真哉)が、経営者側からの視点で語る身近な経営学であったのに対して、本書は消費者側からの視点でやさしく解説した経済学である。話題が『さおだけ』よりも豊富でお買い得である。
 
 そのお買い得な情報をいくつか挙げると、
 
 ・同じモノがちがう価格で、ちがうモノが同じ価格なのかは、「取引コスト」で説明できる。

 - なっとく!

 ・100円ショップで原価を気にする消費者は、賢くない。

 - 確かに!
 
 ・日本は原油を輸入に頼っているが、石油輸出国である。

 - なるほど!
 
 ・携帯端末の分野では、日本は世界に遅れている。

 - そうだったのか!
 
 ・所得格差より資産格差のほうが問題である。

 - その通~り!

 ・子供の医療費無料化は少子化対策にならない。

 - へぇ、へぇ!
 
 まだまだありますが、それは読んでのお楽しみ。

 一番嬉しかったのは、「仕事の最大の邪魔になるのは、能力がないのにやる気満々な人物」という私のかつてからの意見が、第7章で裏付けられ、意を強くできたことだった。この第7章は若い人に是非読んでほしい。作者が言うように難関で医師・弁護士のような持っていなければ仕事ができない資格を別にすれば、各種資格はないよりはあった方がいい程度であることも若者に知ってほしい。評価されるのは、その資格を取るのに必要な努力ができる点で、資格そのものではないのが、現実である。現実社会で価値を持つ資質は本書の表現を借りれば、
 
『 ・自分に何ができるか(できないか)をきちんと自覚していて、自分にできることを確実に行うことができる(一定以上の責任感がある)
 ・相手がどういったことを望んでいそうか想像できる(いろいろな状況を想定できる)
 ・論理的に、あるいは熱意・誠意をもって、説明する能力が一定程度ある
 ・自分がミスをすることを前提に、重要な点は他人に確認を依頼することをいとわない』(p.193)
 
 ということになる。同感である。

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紙の本プリンシプルのない日本

2013/05/16 19:32

今度こそ日本に必要なプリンシプル

15人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

その多くが1950年代の発言であるにもかかわらず、古さを感じさせない。第2の敗戦とも言えるバブル破綻処理が続く今の日本もまた同じような状況にあるからだろう。

 そんな中、私が彼を信用するのは、戦前にアメリカと戦争になることや敗戦を予言したことではなく、「吾々の時代にこの馬鹿な戦争をして、元も子もなくした責任をもっと痛烈に感じようではないか。」(p.101)という過去の責任をしっかりとろうとする態度ゆえである。果たしてあの時代の人でこのようにはっきり自分の責任であることを言明した人物が何人いただろうか。そして、バブルの責任を自らにもあると表明した人物が何人いるだろうか。私の知るところでは、経済学者の飯田経夫くらいである。

 朝鮮特需がなければ、復興の中心人物が彼のような人となり、今ほど豊かにはならなかったかもしれないが、国際社会ではもっと認められる国になっていたのではないかと思う。国内的にも彼の主張、情報公開・政官財の癒着排除・国民不在の党内抗争を止めよ・外交に於いてはっきりものを言え(アメリカ追従を止めよ)・国民の金を勝手に使うな・マスコミの良識欠如などなど、その時に解決しておかなかったために、現在もまた克服されないまま残されている課題だ。これらは小泉改革でもほとんど手がつけられていない。

 彼のプリンシプル、いわゆる「素朴な正義感」こそ現在のグローバリゼイションに対応するため日本に必要なものだと思う。最近話題の『国家の品格』、『この国のけじめ』(藤原正彦)よりも共感できた。憲法改正論議に興味がある人にも是非読んでほしい。

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紙の本赤頭巾ちゃん気をつけて 改版

2012/05/31 11:20

庄司薫よ、永遠に。

16人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この作品を読まなければ、今の私はないだろうという小説。読んだ当時中学2年生であった私には、衝撃的であった。そして、「東大法学部へ行って日本をいい国にするために頑張ろう!」と思った(残念ながら東大に入れなかったが)。

 時代背景が今の若者には分かりにくいと思うが、民主主義を維持していくには「自分のことは自分でする。」だけでは駄目で、「みんなが幸せになるために、自分に何が出来るかつねに考え行動しなければならない。」というのは、普遍的なものだろう。

 なぜ勉強するのか分からないという学生には、必読だと思う。

 あの時代の純粋な心を忘れそうになっている世代にも、久しぶりに読み返して、思い出してほしい。

 私が、現在に至るまでつねに知的好奇心を失わずに人生を送れているのは、この作品のおかげです。

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読書は自己分析の手段である

17人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 そろそろ誰かが書いてくれると思っていました。それにしても、作者は仕事上?とはいえ、よくもこれほど大量に面白くない本を読んだものだと感心する。現在は、ネット上で有名無名の書評家が、私的意見としてこの作品を名作だと思えないと表明しているが、ある程度以上の裏付けがないと無視されるか、分かってないと切り捨てられて終わりである。名作は権威が名作であると言うことにより名作になるのだが、小谷野あたりが、名作でもなければ面白くもないと書いてくれて、「そうだ、そうだ。」と溜飲を下げるのも権威主義にはかわりない。それでも、専門家たちの分析を知って読みを深めることはできる。そして、それによって自己分析が深まる。他人が名作だという本を名作だと思おうと自分に言い聞かせながら読んでいるうちは、得られるものはあまりない。
 
 人は皆、バイアスを持っている。そして、何に拘るか。何を面白いと思うかを表明することは、いま流行の言葉で言えば、カミングアウトすることである。カミングアウトすることには勇気が必要だが、それによって得られるカタルシスは何物にも代え難い。作家はその作品によって、評論家はその評論によってカミングアウトする。理系も含め、学者はその研究分野、仮説、時には研究方法によってさえ、無自覚であってもカミングアウトしていると言っていいだろう。その意味では本書は良き読書案内である以外に、小谷野を知るのにも役立つだろう。
 
 さて、当然であるが、著者の意見に同意できるところもあれば、できないところもある。日本の作家で言えば、志賀直哉や森鴎外については同感である。若い頃、志賀直哉が「小説の神様」と言われると教えられ、何作か読んだがどこが素晴らしいのかちっとも分からなかった。プロットも内容も文体も好きになれるものがなかった。鴎外は『舞姫』は振られた話しならともかく、恥ずかしげもなくこのような作品を発表できる神経が理解できなかった。著者の勧める『即興詩人』の翻訳も文体が素晴らしいと言われているが、なぜこんな内容のない話をありがたがるのか分からない。『高瀬舟』が唯一、医者らしい題材で感心したくらいである。
 
 夏目漱石や芥川龍之介については、私は嫌いではない。太宰治もだ。著者はあとがきで「その当時、私はこれまでの生涯でいちばんひどく精神を病んでいて」(p.215)と書いているが、「恋人が自殺したりとか、自分が女を得たために失恋して親友が死んだとかいう経験を持っている人がそんなに多いとは思えないので、これは多分に私の資質の問題だと思います。」(p.22)と書いているので、私とは違う精神の病みかたなのだと思う。名作かどうかは別として、先進国で最も自殺率の高いといわれる日本において、これらの作家が永く読まれるのにはそれなりの素地があるのだと思う。また、芥川の作品は「青年じみたものである。」(p.204)と切り捨てているが、(太宰にしても)それゆえに青年時代には読んでしかるべき価値はあると思う。
 
 ただし、三島由紀夫の割腹自殺は別ものである。これは、著者の言う露出趣味の行き着いた先で、私も『潮騒』は楽しめたが、『豊饒の海』などは原色ばかりで描かれた絵のようで、文体からして耐えられなかった。それにしてもどうしてこう芸術家には同性愛者が多いかねぇ。同性愛の遺伝子と同じ染色体になにか芸術に関係した遺伝子がのっているのだろうか。それともコンプレックスのなせる業か。
 
 いちいちすべての作家について私の意見を述べては書評から外れてしまうので、他の作家についてはその作家の作品のところで述べることにするが、気になった点を2つだけ上げると、ドフトエフスキーの新訳がよく売れた原因分析で、齋藤孝には言及しているが、村上春樹に言及がないことと、村上春樹の著作にあまり触れていないこと。村上春樹の作品はあまりに統合失調症的で、(『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は面白く読んだが)根強いファンは残るだろうが、文学作品としては後世に残るか疑問なので、著者の意見を知りたかった。もっとも、彼を採り上げれば他にも扱わなければならなくなる現代作家がたくさんいるので、また別の項でいうことなのだろう。
 
 洋の東西を問わず過去の大作家と言われる人達の代表作とされるものを読み、面白くなかった作家は遠ざけてきたが、この本で著者が勧める作品で切り捨ててきた作家に再挑戦してみる気にさせられた。

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紙の本米原万里の「愛の法則」

2009/03/22 12:50

外国語・国際関係を専門としようとする人必読!

16人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 第1章、本の題名ともなっている「愛の法則」は、所々怪しげな生物学理論を用いながら、若き日を思い出して、面白おかしく男女の有り様の違いを語っていて楽しい。誰もが高校生や大学生の時、考えてみたことだろう。それが女性の視点で、また乾いた視線で述べられていて、下ネタとも思われる話題が多いのに、いやらしさを感じさせないのはさすがである。そして、第二章以下のまくらとなっている。
 
 第2章「国際化とグローバリゼーションのあいだ」、第3章「理解と誤解のあいだ」、第4章「通訳と翻訳の違い」は、言語を専門とする米原ならではの深い考察が披露されていて素晴らしい。英語偏重、特に最近の実用英語偏重には、私も多大なイライラを感じている。外国語教育の意義を見失っているとしか思えない。ましてや、公用語を日本語から他の言語に代えようなどという発想が、どれだけ危険なものか気づいている人が少ないように思う。中途半端にしか外国語ができない人ほどそのような主張をするように思えてならない。
 
 そのような人は、次の2点をしっかりと自覚してほしい。外国語ができないのは、日本語が特殊だからとか教育制度のせいではない。本人の努力が足りないからである。2点目は日本人全員がネイティブ並みになれるほどの努力をする必要はないということ。他の才能があるならば、そちらにその努力を振り向けるべきである。旅行英語や買い物英語を学校で教えるのは時間とお金の無駄である。これは、外国語を学ぶなという意味ではない。母語以外のものの見方を知るのに、外国語に触れることは大切である。それが、英語である必要はない。インテリジェンス養成の観点からしても、できるだけ多くの言語の専門家の養成が必要である。
 
 また、外国語に接して、それに興味を持ち、才能を開花させる優秀な通訳、翻訳者、研究者を生み出すためにも外国語教育は中等教育にあってしかるべきである。そして、必要な時にはそのような人材を活用するべきである。著者も言っている「異なる文化の相手との交信を成り立たせるためには、通訳を使うべきなんです。」(p.123)最近では麻生総理がオバマ大統領に何を言っているのか分からないと言われたように、歴代の首相で少しばかり英語ができると自負する人物ほど、失態が多い。

 「バイリンガルの帰国子女が同時通訳ができるかというと、ほとんどの人はできません。それは七百語くらいで済ませてきたからです。ところが会議ではもう少し抽象的な話とか学問の話になるので、通訳には膨大な量の語意も必要ですし、文の形も微妙で複雑なものが必要になります。」(p.168)と著者が言っているように、数年の留学くらいで話せるようになったレベルの外国語を重要な場面で使うべきではないのである。
 
 そうそれでは通訳になるにはどのくらいの語学力が必要か。著者はこう答えている。「読書を楽しめるくらいの語学力で、それは外国語だけではなくて日本語もですよ」(p.181)できる人には母語の大切さ、自文化の大切さが分かるのである。鈴木孝夫しかり、水村美苗しかり、鳥飼玖美子しかり、斎藤兆史、他にもまだまだたくさんいらっしゃると思います。外国語のプロはみな母語の大切さを説きます。英語至上主義者は、言語の専門家には少なく、政治家、経済人、教育学者が多いように思う。言語(文化)の専門家を目指す皆さん、著者のようなよき先輩の後に続いてください。

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紙の本日本のいちばん長い日 決定版

2006/08/26 14:59

いまだ長い日は終わっていない

15人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

8月14日正午から15日正午までの24時間の物語。ぐいぐい引き込まれて最後まで読ませるすごい迫力がある。一人ひとりの感情表現は抑制がきいていて、ノンフィクションのお手本のような作品である。戦争は始めるのは簡単だが、終わらせるのがいかに難しいかを実感させられた。

 姜尚中が8月3日の「ニュース23」で、「国が誤っていれば、国の判断に異を唱えることこそ愛国心だ。」と言っていたが、この論理は終戦の詔勅を奪い、クーデターを画策した陸軍の論理と同じである。それよりも誤りを犯さない国造りこそ大切であり、それが主権者たる国民の責任なのではないだろうか。左派の戦前真っ黒史観においても、右派の戦前回帰にしても、戦前と戦後を切り離して考える。しかし、日本人の意識が8月15日を境に本当にガラッと変わったのかと言えば、そうは言えないと思う。

 大戦において大いなるミスを連発した辻正信など戦争責任者を国会議員に選出したり、無茶な作戦を実施した牟田口廉也などに責任をとらせなかったままで続いた戦後が、戦前とは全く違う社会とは思われない。それは彼らだけの問題ではなく、投票したり許したりした国民の責任でもあるだろう。そのような年代の日本人はすでにほとんど鬼籍には入り、加害者意識も被害者意識も持たない戦後世代が日本人の過半となり、ますます総括が難しくなってきている。また、自民党総裁選挙(2006年)の立候補者を見ても、安倍晋三は岸信介、麻生太郎は吉田茂、谷垣禎一は影佐禎昭、河野太郎は河野一郎、鳩山邦夫は鳩山一郎の孫といった状況である。

 それでも、ようやく最近になって、半藤一利や保阪正康など、どちらのイデオロギーにも与しない太平洋戦争論が注目されていることは、救いである。客観的な資料の検証と冷静な議論をもって、歴史から学ぶべきものを学び、責任を明確にするとともに、将来の日本を構築するプリンシプルを見つけてゆくことが大切だと考える。

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みんなまとめて、かかってきなさい。

14人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『買ってはいけない』、『食品の裏側』、『沈黙の春』、そして新聞、テレビも、みんなまとめてかかってきなさいという感じである。まったくもって情報リテラシーの必要な時代になったと感じた。この本では主に食品問題が扱われているが、最近の環境問題報道もまた同じ愚が繰り返されている。
 
 情報バラエティ番組のみのもんたや島田紳助、たけし等のうさん臭さを振り撒いている人物の発言はもちろん、報道番組の古館伊知郎や後藤謙次の発言、その番組もしっかりとバイアスがかかっていることを認識ながら、見る必要がある。特に自分の専門分野以外のことに関しては、専門家と称する人物が出てくると信用しがちであるが、「ちょっと待て」である。
 
 かつて、立花隆の科学を扱った読み物を好んで読んだ時があった。マルチな才能の持ち主だと感心していた。しかし、私に比較的知識のあるIT分野の本を読んだ時、彼の作品に誤りが多いことが分かり、それまでに読んだものも信じられなくなり、読まなくなった。有名な知識人が専門家と称する人達にインタビューしたことになっているからといって信じられるとは限らない。
 
 とにかくマスコミ、科学者の倫理を厳しく問うべきであると思うが、表現や出版の自由との関係でなかなか難しいことが感じられた。「マスメディア自身に改善能力はないかもしれません」(p.4)と私も思う。また、倫理感のない科学者はいつの時代にもいるから、良心ある科学者は気取っていないで、しっかり声を上げてほしい。
 
 この本で取り上げられているものを列挙すると
  ・白インゲン豆
  ・納豆
  ・ココア
  ・寒天
  ・レタス
  ・中国産冷凍ホウレンソウ
  ・DDT
  ・環境ホルモン(内分泌撹乱化学物質)
  ・PCB
  ・タマネギ
  ・シナモン
  ・紅茶(ミルクティー)
  ・リンゴ
  ・各種サプリメント
  ・食物繊維
  ・建材(ホルムアルデヒドなど)
  ・ブドウ糖果糖液糖
  ・サッカリン
  ・アスパルテーム
  ・合成保存料
  ・着色料
  ・リン酸塩
  ・有機野菜
  ・無農薬野菜
  ・イソフラボン
  ・カテキン
  ・味噌
  ・伝統食
  ・マイナスイオン
  ・水からの伝言
  ・遺伝子組み換え食品
と、多岐にわたっている。さて、それが噂どおりのものなのかは、本書を読んで、自分で考えて判断しましょう。
 
 情報は誰が何のために発信したのか知らなければ、その本質を見極めることはできない。特に、企業とは一見関係なさそうな体験談、NGOの執拗なアピールには用心した方がよい。肩書きだけでは、研究費が欲しいための発言か、お金目当てのトンデモ学者かも分からない。消費者としては、一人一人が本質を見抜く力を磨くしかない。
 
 第10章のバイオ燃料ブームに関する作者の予想は、見事に当たってしまった。食料=燃料になりつつある現在、日本は昭和の戦争で燃料・食料の問題で痛い目にあっているのだから、もっとしっかりと農業政策を考えなくてはいけないと痛感させられた。

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日本には日本語があるという幸せ

14人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「英語の世紀の中で」という副題に気を引かれてさして期待をせず購入したが、よい意味で期待を大きく裏切られた。
 
 近年の政府の英語公用語化論や文部科学省の実用英語重視の英語教育論に違和感を感じていた者としては、正鵠を射た内容に感動さえ覚えた。「片言でも通じる喜びを教える」英語教育や「外国人に道を訊かれて英語で答えられる」が教育目標など、どう考えても馬鹿げている。だいたい外国語教育=英語教育ではないはずである。(構造の違う言語を学ぶことは大変に意義がある。)なのに、現在の日本の英語教育は受ければ受けるほど、文科省の意図に反して英語コンプレックスが広がる。特に知的レベルやプライドが高い人材においては、その傾向が顕著である。
 
 『〈真理〉には二つの種類があることにほかならない。読むという行為から考えると、それは〈テキストブック〉を読めばすむ〈真理〉と、〈テキスト〉そのものを読まねばならない〈真理〉である。そして、〈テキストブック〉を読めばすむ〈真理〉を代表するのが〈学問の真理〉なら、〈テキスト〉そのものを読まねばならない〈真理〉を代表するのが、〈文学の真理〉である。』(p.152)
 
 その通りである。前者の真理がテキストブックを読めばすむことは、ノーベル賞受賞者の益川さんや田中さんを見れば分かる。これからの時代、日本人みんなに英語を話せる必要があるなどというのは嘘である。必要なのは、優秀な多重言語者で、みながそれになる必要などない。益川さんがどれだけ流暢な英語のスピーチをしても、それで研究の評価が上がるわけではない。逆に下手でも下がるわけではない。英語でなくても物理や化学(理系の学問)はできるのだと世界に知らしめたことこそ評価されていい。ノーベル賞授賞式でスウェーデン王立アカデミーは、日本人を日本語で紹介した。彼らもまた英語を母語としていないからなのだと気づいた日本人はどれだけいるだろうか。
 
 日本人はもっと日本語を大切にすべきである。子供たちに読書をさせるべきである。名作を読ませるべきである。また、理系の分かる文系を育てるべきである。文系の素養をもった理系もまた同じである。国語に限らず教科書は薄くなった。国語の教科書で<読まれるべき>内容が減ったように、理系の教科書も内容を削った結果、体系的な学習ができなくなっている。さらには、各教科間の連携も無視されており、(たとえば、数学でベクトルを学ぶ前に物理で必要になるなど)全教科横断的に学習内容の再編成が喫緊の課題であると感じた。
 
P.S.
 もう一度、漱石を読み返してみたいという気持ちにさせられた。

 新しい教育課程では、「英語の授業は原則英語で」だそうであるが、話し言葉と書き言葉では内容のレベルが違う。口語英語を重視するのは亡国の政策である。

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第3章だけでも読んでほしい

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

第1章『団塊の世代、かく戦えり』は、「若い読者のための予備知識」とあるように、学生運動の歴史をとても分かりやすくまとめてあるので、学生運動を知らない世代の人にお勧めである。

 第2章は、団塊の世代の知性に対する批判である。現在のマスコミ批判に通じるものがある。現在、マスコミを通じてメッセージを発信している中心が団塊の世代だからだろう。

 そして、第3章はポスト団塊の世代が団塊の世代に対して抱いている本音である。

 著者たちと何点か意見を異にするところがあるが、同じポスト団塊の世代として「そう、そう、その通り!」と叫んでしまうことが多い。他にも書いたが、安田講堂攻防戦の時、私は小学生であった。新しい日本を作ろうと闘っている大学生に憧れ、大きくなったら日本を良くするためにがんばるぞと思ったものだ。

 しかし、高校生になった頃には、団塊の世代はセクト争い、内ゲバ、浅間山荘、よど号と自滅して、スターリンのソ連、文化大革命の中国などの実態も伝えられ始められ、我々の世代は、右とか左とかいうような単純な物言い、換言すればイデオロギーで、より良い人間社会が形成できるものではないことに気づかされた。

 イデオロギー闘争は、結局は二項対立的思考であり、○か×かで思考停止ができるから、楽だったのだろう。しかし、なにひとつ解決されなかった。かえって志のある良心的な人物を埋もれさせてしまうこととなった。つまり、左翼的とか右翼的というレッテルを貼ることで、事の是非を論理的に考えない風潮を作ってしまったと言っていいだろう。

 団塊の世代が全共闘の戦いを日本という国を本気で思い闘ったのであれば、そして、いまも自分たちの正義を信じるならば、早期退職・退職金断念・年金断念のいずれか一つでよいので、実行されたい。今の若い世代と将来の日本を考えれば、それくらいはしても良いのではないか。

 山本さん、秋田さん、藤本さん、何とか言ってください。かつてのように、同志に呼びかけてください。

 私たち、ポスト団塊の世代は、著者も言っている消費税率引き上げに耐えてゆきます。(私は、20%くらいまで上げないと次世代が困ると思っています。)

P.S.途中で何点か著者たちと意見を異にすると書いたが、次のような点である。

 一番大きいのは、ポスト団塊世代の我々が、受験戦争にさらされたかのように書いているが、そんなことはない。著者たちよりも難しいと言われた大学に進んだが、私も、もっと難関大学に進んだ友人たちも、過酷と言えるほど勉強してはいなかった。団塊の世代以後、急激に大学定員が増加したからだ。また、管理教育は、ポスト団塊世代以後のことで事実誤認があると思う。さらに、この管理教育をやめた(ちょうど、団塊の世代の子どもたちが学齢になった)頃から、校内暴力・不登校などの教育問題が深刻化したのである。

 もう一点は、西部邁らの評価である。(マスコミにやたらと登場するようになってからの西部は別だが、)民主主義は常に衆愚政治に陥る可能性がある。だから、それに警鐘を鳴らすこのような人物が民主主義には必要なのである。

 最後に、庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』の解釈である。主人公は劣等感など抱いてはいない。それどころか、『さよなら快傑黒頭巾』からも分かるように、団塊の世代の気持ちは理解できるが、もっと大人になろうよ、真理はそんなところにないよというメッセージなのだと私は読んだ。

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紙の本英文解釈教室 改訂版

2012/05/31 11:04

自習書として優れた参考書

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現在、「英文解釈教室」は、入門編・基礎編・本編(改訂版)の3冊が発行されています。このシリーズで高校3年間を通じて英文解釈力をつけていこうとする人は、1年生の夏休みに入門編を、2年生になる春休みか2年生の夏休みに基礎編を、3年生で本編を使用するのがよいでしょう。基礎編までマスターすれば、地方国公立レベルなら、合格圏内に入れます。

 国公立大学、特に旧帝大ランクの個別試験では英文が分かるだけでなく、答案に書く訳文の質が問われます。その意味で、大変に質の高い解説と訳出のコツが分かる本書は、お勧めです。

 超難関校を志望している生徒は、幸いなことに「英文解釈教室」の続編にあたる「長文解釈教室」が再版されたので、3年生の夏休みに挑戦してみるといいでしょう。

 この世によい参考書はたくさんありますが、大切なのは、1冊を終わりまでやること。1冊を3回やることです。

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紙の本目にあまる英語バカ

2007/05/30 21:28

最強の英語学習法がここに

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 とにかく面白い。そして、日頃思っていたことを的確に言葉にしてくれてありがとう。著者が書いているように、日本人が英語ができないのは、必要ないからであり、努力不足だからである。日本人の英語コンプレックスは芸能やファッションの世界、コマーシャルに顕著である。本当には理解できていないから、カッコよく感じるのだろう。

 著者の真似をしていくつか並べてみると、
 「SAY YES」→「はいと言え」
 「MARK X」→「10号」
 「chino pants」(チノパン)→「中国パンツ」→「カーキ色ズボン」

 カーキ色やズボンも外来語だが、さすがに「土埃色洋袴」と訳すといまの日本では通用しない。それにしても、日本語にするとまあなんと間の抜けた表現か。

 それと、ネイティブにはどう見えているのだろうかと思うものも多数。外国人が「神風」とか「東京」と印刷されたシャツを着ているの見て我々が感じる違和感を与えているのでは。それ以上か。さらに間違った英語が書かれているものも多いし、いちいち訳されたら興ざめと言われるが、意味も分からず着る神経が私には分からない。

 私も、筆者の言う通り受験生と職業として必要な人間以外、英語をやる必要はないと思うし、受験生にしろ、英語を職業としている人にしろ必要なレベルというものがあり、ネイティブ並になる必要がある人がどれだけいるのかは疑問である。

 また、このネイティブ並というのもくせもので、我々は日本語のネイティブであるはずだが、周りを見渡せば、ちゃんとした日本語が使える人間の少ないこと。同じことは英語のネイティブにも言えるわけで、正調の英語を身につけるのには学校教育でさして支障があるわけではない。学生時代、バリバリの方言でしゃべる外国人に会ったことがあるが、日本人なら方言も個性だと思えるが、外国人だと、それも得意げに話されると哀れにしか思えなかった。それと同じことが帰国子女にも起っていないか。

 もちろん、何が正統派の英語かは意見が分かれるだろうが、アメリカン・イングリッシュにせよ、ブリティッシュ・イングリッシュにしろ、ジャパニーズ・イングリッシュでも、流暢さより知的な英語かどうかのほうが大切である。観光程度なら中学英語で充分だし、大事な場面では(通訳や翻訳に携わる人たちの書いた本を読めば分かるように)恐くて外国語を使うことなどできないのが普通だ。

 まあ、とにかく早く欧米コンプレックスから脱することのほうが、英語教育より大切だ。いや、欧米コンプレックスを排除することこそ、英語教育の要諦ではないのか。それが、この本を読めばそれがよく分かる。

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紙の本自分探しが止まらない

2012/06/22 12:05

「自分探しの旅とは現実逃避のことだ。」(p.61)

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冷静な(自己)分析で好感が持てた。自分探しのいろいろな局面がうまくまとめられており、現状理解が深まった。個人的には十把一絡げに論じる世代論が好きでないが、この世代分析はなかなか優れている。第3章「自分探しが食い物にされる社会」での指摘は、高校・大学の就職担当者がしっかりと生徒の伝えるべきである。
 
 私の知るいまだ終身雇用制の企業の人事担当者は、海外渡航歴・アルバイト歴・短期での転職歴を評価しないどころかマイナスに捉えている。偏った職業観が形成されている可能性が高いのだと言う。そのような人は、じっくりと人材を育成したい企業には向いていない。さもありなんだと思う。その理由はこの本を読むとよく分かる。
 
 「自分がやりたいこと」を職業にしなさいというプレッシャの中、若者たちはやりがいを求めさせられるが、やりがいのある仕事がどんどん減っているのが現状である。文科省は職業観が育っていないからだとインターンシップなどを導入しているが、逆効果であろう。短期間職場に派遣されても、任される仕事は熟練を必要としない代わりのきくものばかりである。無休のアルバイトを派遣し、ますます労働環境を悪くする可能性さえある。
 
 若者よ、欺されてはいけない。そこらじゅうに自分探しホイホイは仕掛けられている。
 
 海外に旅立つ前
 アルバイトを探す前
 自己啓発本を買う前
 英会話学校に行く前
 ボランティアにはまる前

必ずこの本を読んでほしい。

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