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GAWAさんのレビュー一覧

投稿者:GAWA

30 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本洪思翊中将の処刑 上

2008/06/07 23:22

ただの評伝ではない

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

山本七平氏の著作の双璧と言うべき「現人神の創作者たち」と「洪思翊中将の処刑」が立て続けにちくま文庫から出版された。

双方とも原著はもとよりライブラリー版も「購入できません」状態にあったので、気軽に手にすることが出来る文庫として世に出されたことはファンとして喜ばしい限りである。うれしさのあまりライブラリー版を持っているのに、この文庫版も購入してしまった。以下は購入したのを機に本書を読み返しての感想である。



15年ほど前の学生時代に一度、ライブラリー版が刊行された十年ほど前にもう一度、そして今回と、本書を読むのは3回目になる。

今回読み直す前までは、いかなる困難な状況にあっても決して平常心を失わず、他者への思いやりも忘れず、自らの決断とその結果への責任に常に正面から向き合い続けた洪中将の高潔な人柄が強烈に印象に残っており、本書を評伝のようなものとして理解していたが、読み直してみると、評伝という枠には収まりきらないさまざまな要素を含んでいるということに遅ればせながら気がついた。

韓国出身でありながら大日本帝国陸軍中将という地位に就き、敗戦後戦犯として処刑されるという洪中将の生涯を主軸としつつ、日本人と韓国人(歴史感覚の違い)・日韓の近現代史(華夷秩序と列強の世界分割)・戦犯裁判の問題点(敗戦国の合法を裁くということ)・捕虜「虐待」の実態(現場の実情と戦後神話「日本人残虐民族説」)・ 「無責任体制」とは何か(制度の形式と運用の実情)といったそれぞれ個別に論じるだけでも相当の重みのある複雑に入り組んだ諸テーマが渾然一体となって縦横に論じられている。

殊に日本軍という巨大組織の実情についての記述は、「一下級将校」としてフィリピンのジャングルを右往左往させられた山本氏ならではの切り口であり、それは日本の会社組織の今日的課題でもあると感じた。

小松真一氏の「虜人日記」を解説して日本の組織が抱える問題点を明らかにしたのが「日本はなぜ敗れるのか」であるとすれば、洪中将の裁判記録を解説して上記の諸テーマに取り組んだのが本書であるともいえる。「~敗れるか」を読んだ人は是非本書も読んでみてほしいと思う。


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巧みな構成にライブラリー編集部の著者に対する深い敬意と理解を感じた

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私が本書を入手したのはまったくの偶然だった。

何年か前に古本屋で安売りしていたのを見かけて「家にある「日本人とユダヤ人」(山本書店版)にはページが破けているところもあるから予備にしておこう」という程度の気持で買った。(「日本人とユダヤ人」・「日本人とアメリカ人」は単行本を既に持っていたので、新刊で発行された当初も本書には全く関心が無かった。)当然、「積読」状態で放置していた。

最近になって、祥伝社から出版された「日本人と中国人」の新書を見かけて、「そういえばそういうのもこの本に入っていたなあ」と思い出し、本書を手にした。

読んでみて驚いた。

表題こそ「日本人と中国人」であり、導入部や例え話に使われている話題は書かれた当時の時事ネタだった日中国交回復やその関連での日中戦争ではあるが、「『空気』の研究」や「現人神の創作者たち」といった山本七平氏の代表的な著作に通じる着眼点(の萌芽)が既にここに見られたからである。

さらに、江戸中期以降の尊皇思想の発展過程の概要(頼山陽や平田篤胤)が述べられており、「現人神の創作者たち」のあとがきで今後の課題として言及されていた「育成者」たちについての構想も既にここに示されている可能性がある。

イザヤ・ベンダサン活動中に、ベンダサン名で出版された著作は「日本人とユダヤ人」「日本教について」「日本教徒」「にっぽんの商人」の4冊で、「日本教徒」「にっぽんの商人」はライブラリー14に収録されている。「日本教について」はライブラリー未収録だが、山本氏存命中に単行本化されていなかった「日本人と中国人」を収録した意義は非常に大きいと思う。

また、田沼時代とその後について述べられた箇所(「江戸時代の列島改造論」の章)は、書かれた当時の「今太閤」田中角栄を念頭においての記述であろうと思われるが、 バブル崩壊後「構造改革」でいろいろ「ぶっ壊された」今日の状況と微妙に重なるところがあり、興味深かった。

ここで述べられている江戸時代の「中国」は、今日の「アメリカ」に該当するわけだが、そのアメリカについて山本氏がどう認識していたかということが具体的につづられているのが同じく本書に収録されている「日本人とアメリカ人」である。

初めて「日本人とアメリカ人」を読んだときは、司馬遼太郎氏の「アメリカ素描」と似たり寄ったりの印象批評的な紀行文といった程度の感想しかなかったが、「日本人と中国人」と併せて読むとまた違った印象が残る。

一言で言えば、日本の感覚では測れない全く別な基準でアメリカは動いているということである。

あたりまえといえばあたりまえな常識以前ともいえることではあるが、それゆえに却って忘れられがちな視点ではないかと思う。



「日本人とユダヤ人」というベストセラーにしてロングセラーをライブラリーに収録するに当たり、「日本人と中国人」「日本人とアメリカ人」を併せた構成としたライブラリー編集部の着眼に敬服した。

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飯田経夫・日下公人両氏の読者としては物足りない

8人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者の身近な体験からはじめて、徐々にコトの「真相」に迫っていくというスタイルの冒頭から2章の途中までは興味深く読み進んだ。
しかし、そもそものコトの発端であるレーガノミックスから日本でバブルが発生するにいたる過程の記述があまりにあっさりしすぎていて、以前から飯田経夫氏の著作(たとえば「泣きごと言うな」「日本経済はどこへ行くのか」など)を読んでいた自分としてはかなり物足りなさを感じた。この過程の説明が足りないと、「日米貿易不均衡の是正」のための交渉がアメリカのマッチポンプであるとの主張に説得力を欠くことになる。
第3章以降の内容は、日下公人氏が既に本書の約10年前に「闘え、本社」(1995年)で述べていたこと(「外国の本社はそのように、とても手広くしたたかにやっている。官僚でも大統領でも自社の販売部長にしてしまうし、ときにはカツアゲする暴力団のようにも使ってしまう。中には違法すれすれまでやるところもある。それは日本人の目から見ればいいことではないし、商人の道にも反するが、しかしそれが世界では常識である。それが国際感覚というものである。さらにいえば、違法なことは法律を変えて合法にしてしまえばよいと考える。自国のみならず外国の政府にもそれを働きかける。それからライバル産業がやっていることは、今は合法でも法律を改正して違法にしてしまう。」(p50-51))の具体例を列挙しているだけという印象を受けた。(あるいは、日下氏の述べたことが10年経ってようやくだれの目にも明らかになってきたということか。)
好むと好まざるとにかかわらず、世界経済はそういう状況にあり、当然ながら日本もその渦中にあるということである。
本書を読んでただ悲憤慷慨するよりも、飯田氏の著作を読んで「よき社会とはなにか」について考えたり、日下氏の著作を読んで未来に備えるのが建設的であると思う。

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紙の本太平記 古典を読む

2007/06/10 12:34

古典「太平記」をかいつまんで読む

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「はじめに」で永井路子氏は「『太平記』は決して南朝びいきの書ではない。もっと複雑な中世的歴史観をふまえた魅力ある歴史小説である。」(p9)と述べている。

本書を通読して自分もそう思った。

まずは、軍記物というだけあって、戦闘シーンの描写は実に生き生きとしていて、まさに血湧き肉躍るといった印象を受ける。敗れた武将たちのそれぞれに壮絶な最期も過剰なほどに劇的で読むものに衝撃を与える。
また、ところどころに挿まれる怪異譚についても、さまざまなことを象徴していて「太平記」の政治観・歴史観が一筋縄ではいかないことをうかがわせて興味深い。
それから、南北に朝廷が分立して以降の、日本全土を巻き込んで骨肉が相食み、敵と味方がコロコロと入れ替わる文字通り血みどろの権力闘争の記述も、政治というものの本質・人間というものの本性について深く考えさせられる。

翻って考えてみると、中学高校の歴史の授業でこの時代について習ったことは、「一味さんざん北条氏」で1333年に鎌倉幕府が倒れて、後醍醐天皇が建武の新政で、足利尊氏が室町幕府の初代将軍で、南北朝は3代義満の時に統一される、、、と言った程度のことだったような印象がある。確かに、中高生程度の頭では南北分立以降の騒乱にはついていけないだろうし、戦前の皇国史観の反動からいろいろとデリケートな問題を含んでいる時代だからあまり深く触れないことになっているのだろうか。

ともあれ、非常に面白かった。

本書は文庫本で276ページとなっており非常に読みやすい。
「太平記」全巻をかいつまんで要旨をのべつつ、一部逐語訳に近い現代文を原文と並べて記し、所々に永井氏の解説が加わるという構成になっている。
特に永井氏の解説は、左右の特定の史観にとらわれない自由な視点から、その時代をより正確に理解できるよう適切になされていて、この解説が加わることで、「太平記」の読み応えをいっそう深いものにしている。

山本七平氏も「太平記」に注目しており(「山本七平の日本の歴史」)、永井氏と山本氏が「太平記」について対談していたらどんな会話が交わされただろうかと思いをめぐらすのも楽しい。

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映画「ロード・オブ・ザ・リング」三部作相当の感動と興奮を全6巻で

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「ファンタジーものの少女漫画」と侮ってはいけない。
読み始めるとたちまち惹き込まれて全6巻を一気に読破せずには居れなくなってしまうこと請け合いである。
重厚かつ壮大なストーリー、緻密に張られた伏線、魅力に溢れた登場人物たち、そして絶妙に配置された笑い、、、、それらが渾然一体となって、読者を作品世界に引き込んでゆく。
主人公(たち)は、単純な善でも悪でもない普通の「人間」である。それゆえあるときは苦悩し、あるいは迷い、時には過ちを犯したりもする。その一方で着実に成長もしていく。そうした過程が丁寧に描かれているのも本作品の大きな魅力である。
以下あらすじを少々、、
舞台は隣国との戦争が絶えないとある王国。
主人公は第二王子のアーシャ。
国王と第一王子が同時に戦死したことにより、アーシャが王位を継ぐべきところではあるが、「剣を握ったことも無い王子では、隣国との緊張を抱えたわが国の王として心許ない」と横槍が入り王位継承の議論は紛糾。そして出された結論は「王国の伝説的秘宝『王国の鍵』を手に入れた者を次の王とする」ということであった。
アーシャも王位継承者候補の一人として「王国の鍵」を求める旅に出る、、、
道中「竜人(りゅうじん)」「竜使い」など「王国の鍵」にまつわる者たちが現れ、謎はますます深まってゆき、「誰を信じ、誰を疑うか、何を選び、何を退けるか」アーシャに課せられた運命や如何に?、、、、
これ以上はネタばれになるので、私の拙い紹介でほんのちょっとでも興味が湧いた方は是非とも全6巻そろえてお読みください。
また、本作品が気に入られた方は紫堂恭子氏の他の作品「グラン・ローヴァ物語」全4巻「癒しの葉」全8巻などもお勧めです。

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紙の本空海の風景 改版 上巻

2007/04/15 22:43

司馬遼太郎が小説を練る風景

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

司馬遼太郎氏の著作はいろいろ読んだが、大概は一度きりで再読するということは(長編が多いということもあるが)ほとんど無い。しかし、この「空海の風景」に限っては折に触れて何度も読み返している。読み返すたびに空海と空海に対して展開される司馬氏の考察に対する印象が変わる。
最初に読んだのは中学生のときで、小説だと思って読んだのだが、断片的に小説らしい描写はあるものの、そうでない部分が大半を占めていたのに面食らい、ともかくも読み終えての印象は「なんだか良くわからん」の一言であった。もし読書感想文を書けといわれても途方に暮れていたことだろう。しかしその一方で、今にして思うと司馬氏の持つ空海像をそのとき鮮烈に刷り込まれてしまったように感じる。
というのも、後に陳舜臣氏の「曼陀羅の人」を読んだが、そこで描かれる優等生的な空海像に何となく物足りなさを感じる一方で、山田正紀氏の「延暦十三年のフランケンシュタイン」や夢枕獏氏の「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」のような平然と呪術を駆使してふてぶてしささえ感じさせる空海像にしっくりしたものを感じるからだ。
歴史上の実在の人物でありながら、今尚信仰の対象として人々の生活に根付いている弘法大師空海。地方の豪族出身で大学を中退した私度僧であったのが、遣唐使船が唐へ向けて出航する直前に国家の正式な留学僧となり、密教の正統な後継者として帰国、嵯峨天皇の国師のような立場になるというその生涯の年譜をたどってみただけでも並みの人間ではないということがわかる。
そんな空海の誕生から入寂(入定)までの年譜に沿って、当時の資料・後世の研究等を参照しつつ、司馬氏が思いをめぐらしたことどもをつづるというのが本書のあらすじである。
空海に対する評伝のようでもあり、平安初期の日本史・東アジア史の一断面を描いたもののようでもある。
最近読み直しての印象はタイトルに掲げたとおりである。

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主著を通して山本七平を正当に評価する

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

発行年月を見ると2003年7月とある。書店の新書の新刊コーナーに平積みされていたときには、今すぐ買わなくてもいいかと思っていたら3年半の間に「取り扱いできません」状態になっていた。
幸い書店のちくま新書のコーナーに並んでいたので、買って読むことができた。
読み終えての感想は、今読むことができてよかったということである。
というのも、まず本書で大きく取り上げられているのは山本七平氏の天皇論であるが、そこでは、本書の発行時には書籍化されていなかった「ベンダサン氏の日本歴史」(2005年3月に「山本七平の日本の歴史」として書籍化)が、「現人神の創作者たち」および「昭和天皇の研究」とともに論じられている。
自分にとっては、本書の発行時には「ベンダサン氏の日本歴史」などまったく見聞きしたことの無い本であり、「現人神の創作者たち」も学生時代に一度読んだがあまり面白くなかったという印象しかない本であった。したがって、もし発行時点で本書を読んでいたら、知らない本・面白くなかった本について延々と論じられることとカタカナ語の多さにうんざりして途中で放り出してしまっていたに違いない。
「山本七平の日本の歴史」を非常に興味深く読み、「現人神の創作者たち」も昨年読みなおして面白さがようやくわかってきた今だからこそ、本書を読めてよかったと思っている。
本書においては、これらの主著で展開された山本(ベンダサン)氏の天皇論のポイントが良く整理されており、着眼点の特異性などが高く評価される一方で、飛躍がありすぎる点については批判もなされている。
必要以上に崇め奉らない高澤氏の姿勢は好感が持てる。
天皇論のほかには昭和の戦争論・戦後論が、「小林秀雄の流儀」、「ある異常体験者の偏見」、「私の中の日本軍」、「一下級将校の見た帝国陸軍」を通して論じられている。こちらは山本氏と司馬遼太郎氏と対比させて論じるところが特に興味深く読めた。
本書は山本七平氏の著作をより深く理解するための一助となる本であるといえるだろう。

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紙の本王朝序曲 下

2007/03/03 23:40

「象徴天皇制」-「平安」時代の真のはじまり

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書を読み終わって、強く印象に残ったことは、永井路子氏は、決して目立った行動はしていないが着実に(しかも実質的には劇的に)時代を変革した人物に深い関心を持っているのではないかということである。
日本史上の「ナンバー2」たちについてざっくばらんに語った「はじめは駄馬のごとく」でも、鎌倉幕府の真の立役者として北条義時を、家康亡き後江戸幕府の基礎固めを完成させた人物として二代将軍・徳川秀忠を高く評価している。
そして本書の主人公、藤原冬嗣もそんな人物として描かれている。すなわち平安時代は「源氏物語」「枕草子」「古今和歌集」など貴族文化が花開いた概ね平穏な時代であるが、その時代へと大きく舵を切ったのが、ほかならぬ冬嗣であるというわけである。
「北条政子」「炎環」では周囲の視点で北条義時像が描き出されてるが、本書では冬嗣自身の視点で話は進んでいく。
読み進むうちいつしか冬嗣に感情移入してしまい、人生の勝負どころで決断を下す際の内心の動きに手に汗握り、兄の真夏や父の内麻呂との言葉自体は何気ないが深い意味がこめられた会話に思わずニヤリとさせられてしまう。
ますます永井路子氏のほかの作品が読みたくなってしまった。

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紙の本王朝序曲 上

2007/03/03 22:27

「空海の風景」の背景

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

永井路子氏の「北条政子」と「炎環」を続けて読んだ。非常に面白かったので永井氏のほかの作品も読んでみたくなった。次は何を読もうかと本屋をぶらぶらしていたとき、たまたま本書が目に付いた。背表紙のあらすじを見ると、平安遷都から薬子の乱の頃の話の様である。
この時期の話であれば自分にとっては司馬遼太郎氏の「空海の風景」(以下「風景」と呼ぶ)でなじみがあるので読んでみることにした。
本書の主人公は藤原氏北家の冬嗣である。
(藤原氏北家といえば「風景」(下巻25章)に南円堂のエピソードが紹介されている。)
上巻では主人公の冬嗣は終盤のほうになってようやく官位(しかも従七位下という末端に近い位)に就くぐらいでさしたる活躍はしない(長岡遷都の時で10歳だから当たり前な話ではあるが)。もっぱら一つ年上で早熟な兄の真夏から政治情勢の講釈を聞くなかで、自分なりの目を養っていく様子が描かれている。
空海が大学を中退して山野で修行に励んでいるころ、宮廷内では「なくよ(794)ウグイス平安京」などとのんきなことをいっていられない、骨肉相食む権力闘争が皇位の継承をめぐって行われていたことが強く印象に残った。また、空海と同じ遣唐使船に乗り漂着地で代筆を頼むことになる大使の藤原葛野麻呂が意外なところに出てきて、「風景」では語られなかった面を披露したりする。上巻は「遣唐使船が出る」という話題が出たところで終わり、「風景」読者としても大いに楽しめる内容であった。

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紙の本北条政子

2007/02/04 23:28

「尼将軍」の実像

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

歴史上のある事件について周辺の事情を理解するために、その時代について書かれた歴史小説を読むというのも、有効な手段の一つであると思う。
そう考えて承久の変の主要人物である北条政子の小説である本書を読んだのだが、本書の物語は実朝暗殺の直後で唐突に終わっていて、いささか拍子抜けしてしまった。
(後になって永井氏は本書以前に既に「炎環」で承久の変のことを書いてしまっていたということを知り、司馬遼太郎氏が徳川家康の生涯を描いた「覇王の家」に関が原や大阪の陣のことを書いていないのと同じことかと納得した。)
とはいえ、本書がつまらなかったかというと決してそんなことは無い。
小学生の頃に読んだ日本の歴史の学習漫画の影響で、鎌倉初期の北条家というのは陰謀一家で政子はその主要メンバーというイメージを持っていたのだが、本書で描かれている政子はそれとはまったく異なっている。確かに彼女を取り巻く人々は夫である頼朝、父である時政、弟である義時など筋金入りの陰謀家たちばかりであるが、本人はいささか愛憎の情が強いだけのいたって平凡な田舎豪族の娘として描かれている。
そういういわば政治の素人である政子が、鎌倉幕府というまったく新しい時代を切り開くことになる政府のトップである頼朝の妻として、後には2代・3代の将軍の母として、権力闘争の荒波に翻弄される様がつづられている。
文庫本で500ページを超える長編であるが、非常に読みやすかった。
蛇足ながら、後には陰謀家として辣腕を振るう政子の弟・義時が旗揚げの頃はぶっきらぼうであまり気の利かないマイペース人間に描かれているところも面白かった。

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かくて、「現人神」は完成した

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

まず、本書を読むにあたって山本七平氏の「現人神の創作者たち」(単行本は1983年刊)(以下「創作者たち」と呼ぶ)は必読である。「創作者たち」のあとがきで山本氏は育成者と完成者さらには昭和天皇の人間宣言までを記してはじめて終止符が打てるという趣旨のことを述べていた。しかし、その後山本氏の著作に「創作者たち」ほど腰をすえて現人神を追跡したものは見当たらず、関連するテーマとして「昭和天皇の研究」があるぐらいである。
「七平さんがやらないのならば、自分がやろう」と(あるいは「自分にはもうできないから小室さん代わりにやってよ」と山本氏に頼まれて)小室氏が上梓したのが本書なのではないかと勝手に想像している。
本書は特に栗山潜鋒「保建大記」(および崇徳上皇)に焦点を当てた保元の乱以降天皇の権威が失墜し、江戸時代の崎門学派を経て、キリスト教的(三位一体の)神としての現人神が成立する過程の詳述と、廃藩置県・大日本帝国憲法・教育勅語の持つ本質的な意味についての解説がされている。
同じく小室氏による「『天皇』の原理」(1993年刊)は、本書の参考書としてユダヤ教・キリスト教・仏教・儒教・予定説・因果律の理解を助けるものと思われる。

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紙の本参謀学「孫子」の読み方

2006/11/03 21:15

あたりまえといえばあたりまえなこと

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江戸時代までは四書五経をはじめとする中国古典は一般教養の基礎であったが、明治維新を機にまったく省みられなくなってしまった。そんな中国古典の中で「孫子」は現在でもかろうじて生き残っているものの一つであろう。
書店のビジネス書のコーナーには必ずといっていいほど「孫子」モノがあり、そうした「孫子」モノの帯には「戦わずして勝つ!!」といったうたい文句が記されていることもある。
確かに「戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」という一節は本文中にあるが、「孫子」には楽して勝てる秘策が記されているわけではない。
「孫子」に述べられていることを一言でいえば、戦闘・戦略・政略のさまざまな場面を生き延びていくための基本原則である。
そこで述べられているのは、当たり前といえば当たり前な、いたって常識的で合理的なことばかりである。
しかし、いざというときに合理的常識的な判断ができなくなるというのが人の世の常であり、そうした場面で取り乱さないためにも「孫子」が読まれるということであろう。
また、基本原則を押さえたところで、自分が置かれた状況がどの場面に相当するのか、正確な判断ができなければ対応を誤ることになり、勝つことはおろか生き残ることすらおぼつかなくなる。正確な状況判断・応用力が名将と愚将の違いであろう。
本書は、「孫子」の各篇通りに各章が分かれており、各章が漢文読み下し・現代語訳・具体的事例を交えた補足説明という内容となっている。
引き合いに出される具体的事例は、元就・信長・秀吉・家康といった戦国武将もあれば、ナポレオンもあり、あるいは反面教師としての日本軍もあり、「経営の神様」と呼ばれた経営者のある事業からの撤退もあり、文字通り古今東西を網羅している。
「孫子」の入門書として最適な一冊といえる。

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紙の本「天皇」の原理

2006/10/22 08:33

急ぎすぎて残念

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書を最初に読んだのは大学生のときだったが、第7章以降の天皇カリスマの本質についての解説があまりにもばたばたと駆け足で説明されているような印象を受け、あまり面白いと思えなかった。
序に「御成婚記念としたい希望により急いだため、崎門の学の展開過程についての「詳論」は、つぎの機会にまわさざるを得なかった。乞御了承。平成五年五月九日」とあり、小室氏自身も本書が実質的に未完であることを認めているようなので、「詳論」が出版されるのを心待ちにしていたが、その後現在に至るまで「天皇」を主題に掲げた本は出されていないようである。(小室直樹文献目録参照)
後に山本七平氏の「現人神の創作者たち」(以下「現人神」と呼ぶ)も読んでみたが、これまた難解でよくわからなかった。
最近になって、長らく「積ん読」状態にしていた「資本主義のための革新」(以下「革新」と呼ぶ)をたまたま読んだところ、その第二章はまさに崎門の学の展開過程についての「詳論」だった。
そこで十数年ぶりに、まず「現人神」、次に本書、それから「革新」の第二章の順番で通して読んでみた。
「現人神」を読んだおかげで、第7章以降の承久の変を契機に天皇のカリスマが崩壊していく過程の意味はすんなりとわかった。また、崎門の学が下級武士のエトスを変換し明治維新へとつながっていく展開過程についても「革新」で詳述されたのでこれもようやく腑に落ちた。だが、承久の変以降江戸初期に至るまでの間にとことん地に堕ちてしまった予定説的な天皇のカリスマが、復活する過程というのがどうもまだ納得できない。天皇カリスマの復活とイエス・キリストの復活との対比も説明不足との感が否めない。
最近出版される小室氏の本は再版ものばかりなので、「天皇」を主題に掲げた新著を読むことがもはやできないであろうことを考えると、そもそも本書が実質的に未完の状態で出版されたことが残念でならない。

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日本人を呪縛し続けるもの「靖献遺言」謝枋得編・攘夷

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は学生時代に一度読んだ。ほとんどなじみの無い江戸時代の儒学者(山崎闇斎、浅見絅斎、佐藤直方、栗山潜鋒、三宅観瀾、、)と、それぞれの「中国」論や湯武放伐論や南北朝論さらには赤穂浪士討ち入りについての評価などが原文の引用でずらずらと並び、読むのにひどく難渋したという程度の印象しか残っていなかった。
このたび書評を書くにあたって十数年ぶりに再読・再々読してようやく、本書の面白さがわかった。特に面白かったのが第二部のまとめの「売国奴と愛国者のあいだ」の章(p181-196)である。
この章は岸田秀氏との対談「日本人と「日本人病」について」で岸田氏が「日本軍とダブって見える」というネズミの実験の引用から始まる。
T字路の突き当たりの片方(たとえば右側or明るい側)に餌、反対側(左or暗い側)に電気ショックという装置にネズミを置き、左右明暗にまったく法則性の無い条件で実験し続けると、ついには例えば右なら右に曲がり続けるという固定的な反応をとるようになり、反応が固定化したネズミは右が必ず電気ショックという条件にとしても常に右に曲がり続けるという。
バンザイ突撃で玉砕を繰り返すという日本軍がまさに反応が固定化したネズミとダブるわけだが、山本氏はこの話を発展させモデル化し幕末以降現代に至るまで、日本人の外交に対する態度はまさにこの固定的反応であると論じている。
「軟弱外交否定、決裂も辞せず一歩もひくなと、断固主張するのが勝利と国家保全の道」でありその逆をすれば亡国となるという信念のもと近代化という成功を収めてきたが、客観情勢の変動にもかかわらず、そのまま突き進み、1945年8月15日を迎えることとなる。「痛い目」にあった日本人は戦後は今度はその真反対の路線をとり経済大国というこれまた成功を克ち得たわけだが、そうなるとまた客観情勢が変わっても同じ路線をとり続けることが主張されると指摘している。(p183-184)
また、幕末から戦後まで間一貫しているのが「攘夷」という発想であり、「口で尊皇をとなえても、洋夷と結託している幕府は尊皇ではない」「鬼畜英米と妥協しようとする政府は国賊」「口で民主主義をとなえても、米帝と結託している政府は民主主義ではない」という各時代のスローガンを例として示している。(p185-186)まるで現在の対米(ポチ保守)・対中韓(領土問題)を巡る外交論議を預言しているかのようであり、山本氏の慧眼に驚くばかりである。
このような発想の基となっているのが浅見絅斎が著し、幕末維新の志士のバイブルとなった「靖献遺言」であり、その中の宋末元初を扱った「謝枋得編」であるというのが山本氏の主張である。
「水土論」の熊沢蕃山も、「中朝事実」の山鹿素行も、崎門派の祖である山崎闇斎も、幕府の御用学者である林家も、みなそれぞれ神道に傾倒してしまった話などほかにも面白い箇所はいくつもあり、読み返すたびに新たな発見がありそうな一冊である。

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「イブニング」で一番気になる作品

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

講談社のコミック誌「イブニング」には、「もやしもん」や「さくらん」や「極悪がんぼ」といった個性的で魅力あふれる作品群が連載されている。立ち読みで済ますことができないので「イブニング」だけは買っている。
そんな「イブニング」連載作品の中で今一番続きが楽しみなのはこの「少女ファイト」である。
主人公は中学三年(女子)で、「イブニング」の読者層とはずいぶん世代が違うのだが、連載の第一回ですっかりひきこまれてしまった。
小6のときにバレーボールの全国大会で準優勝したチームのキャプテンという実力の持ち主でありながら、いまではスポーツ採用の私立中学で球拾いや洗濯などの雑用にこき使われるバレー部万年補欠の3年生というのが主人公の大石練。
この主人公、過去にいろいろとトラウマというか因縁というかなにかひどく重たいものを背負い込んでいるらしいということがほのかに示されたのが第一回。
それ以降、徐々に明らかになっていく練の過去と、次第に練が苦境に陥っていく展開に目が離せなくなっていった。
練が個性豊かな周りの登場人物とどう絡んでいくのか、そしてどう這い上がっていくのか、続きが気になる作品である。

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