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[ M ]さんのレビュー一覧

投稿者:[ M ]

2 件中 1 件~ 2 件を表示

紙の本肝心の子供

2007/11/18 23:50

時は流れる それは積み重ならない

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

不思議な小説である。こう言ってよければ、わたしは不思議な体験をした。

まず題名からしてわたしは戸惑う。「肝心の子供」。それは「不思議な題名である」と思わなければ素通りしてしまう言葉である。簡単な二つの単語の組み合わせだからだろうか。肝心。子供。わたしはこの二つの単語を容易く理解する。意味を説明できる。だが、肝心の子供、と一語になった途端、わたしは戸惑う。「肝心の子供とは何?」と誰かに訊ねられても答えることができない。おそらくそれは文脈抜きに使うことができない言葉だからだろう。そんな言葉が、まだ文脈を知らぬ読み手の前にごろんと置かれている。
このようにして「肝心の子供」は読む前に「文脈」を期待させる。あるいは、「物語」を期待させると言い換えるべきだろうか。「肝心の子供とは何?」と訊ねた誰かは、「肝心の子供」という語の響きから、『百年の孤独』を思わなかっただろうか? 本書には、ラテンアメリカ的かどうかはわからないが、「物語」があるのではないか? その期待は半分だけ応えられる。というのも、そこに広がっている世界はガルシア=マルケスではなくボルヘスだからである。

軸となるのは、ブッダ、その息子ラーフラ、孫のティッサ・メッテイヤの三代記である。しかし、年代記を読んだ感じはしない。マコンドの百年の歴史を描いた『百年の孤独』ともやはり違う。なぜだろう。うまく言えないが、文体による部分が大きいのかもしれない。非人称の淡々とした語りは、まるで資質の違うその三人の主人公を、あたかも一人であるかのような印象を与える。このことは、第一の主人公ブッダが作中で悟る、転生の主題というか、息子ラーフラをつくったことでの、自身の解放とでもいうような主題と無関係ではないだろう。かといって、第二の主人公ラーフラが、さらには第三のティッサ・メッテイヤが、ブッダ同様の思想をもっているわけではない。彼らの類似点を探すのは無意味な作業になるだろう。三者三様であってまるで似ていない。にも拘わらず一者である……。ただ語りだけがあるのだ。こう言ってしまえばとても簡単だが、そのとき多くのものが失われてしまう感じがする。

語り手は物事を具体的に捉え、カメラのようにクローズ・アップをする。それは淡々としていながら機械的ではない。生々しい感触がたしかにわたしの手に残る。客観的でありながら、時として主人公の主観に激しく寄り添いもする。直接話法の文なのに発話の主体が語り手であるかのような場面さえある。この語りの不思議な印象はどこからくるのだろうか。単線的に時の流れを描いているからだろうか。回想がほとんどない。物語の内容は、父から子へ、子から孫へ、あるいは語り手から読み手へ、物語る言葉と同様に、はじめからおわりへ、一行目から最終行へと真っ直ぐに進んで行く。だがそれは単純に、伝えられて行く、と言い換えられる性質のものではないようだ。実際、第二の主人公ラーフラに焦点が移ると、もはやブッダのことは忘れてしまう。忘れるのはラーフラであり、語り手であり、そして読んでいるわたしである。「肝心の子供」のことを突然思い出す語り手同様、わたしが後で忘却していたことを突然思い出したとき、大変驚いた。いま読んでいる部分だけしかわたしは読んでいないのだ。

そして読み終えて本を閉じたとき、わたしはまたしても戸惑う。なんと本書の薄いことか。物語の密度とのギャップ。『百年の孤独』と同様のギャップである。だが、マコンドの歴史の描写は単線的ではなかった。混乱した名前を確認するために頁を逆向きに手繰ったりもした。しかしブッダ、ラーフラ、ティッサ・メッテイヤの名は間違えようないではないか。にも拘わらず、目の前にある本書は薄いのである。
だが、そのことよりも戸惑うのは、自分が何を読んだのかよくわかっていないことだ。うまく整理がつかない。三代記という歴史的な軸のお蔭で物語としては把握することができる。しかし何が書かれていたというのか。しかも間違いなく読んだはずなのに、どうにもわからないのである。忘れてしまったのだろうか。けれどもその忘却は『百年の孤独』の最後の場面の消失と、まるで違うものだろう。読んでいる最中には、わたしは読んでいる何かを捉えていたのだから。
経験が過去に属すると言うとき、本書を読むことは現在に属する体験である。

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紙の本とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起

2007/09/23 19:03

空のみぢんに散らばる声が

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は「群像」二〇〇六年二月号から二〇〇七年四月号まで掲載された、伊藤比呂美の長篇詩である。
小説に似ているが小説ではない。では詩であるかというと詩ではない。あるいは詩でもあり小説でもある。分類するならば散文詩にあたるのだろうが、はたして分類する必要があるのかどうか。
 たしかなこと、それは、ここには「語り」があるということ。


 です・ます調の敬体は、作者に口を使わせ、読者に耳を使わせる。作者を語り手にし、読者を聴き手にさせる。だから語り手と聴き手を繋ぐ絆は文章ではなく声である。
 語り手「伊藤」の紡ぐ言葉は生々しい苦痛に満ちている。これは冗語で、痛みとは生々しいものだ。母の苦、父の苦、夫の苦、妻としてのわたしの苦、娘たちの苦、詩人の苦、友人の苦、友人の母の苦、語り手をとりまくあらゆる苦が、語りに託され言葉として運ばれ、聴き手の神経に直接触れる。
 苦しみと死、それは生の言葉である。語りのなかの言葉は苦しみ、かつ生き、日本とカリフォルニアを往来する「伊藤」のように、今作が詩と小説のはざまにあるように、引用される中也の詩のように、「ゆあーん ゆよーん」(「サーカス」)とゆれうごく。
 園芸家との一幕、「伊藤」は一見、死に対して突き放すかのような態度を見せる。


《(……)いくつ枯らしたかわからない、これももう抜いてやらないと、といって園芸家は、干からびたシャクヤクの死骸を、わたしに見せました。
 気にしませんよ、植物は、とわたしがいいました。
 気にしませんよね、植物は、園芸家がうなずきました。
 植物にとっての「死ぬ」は「死なない」で「死なない」は「生きる」なんですもの、とわたしはさらにいいました。》(149頁)


 植物の死生と人間の死生とのちがいを確認しているのではない。「気にしませんよね、植物は」。だけど人間は気にしてしまう。このいわば執着が、人間にとっての「死ぬ」は「死なない」で「死なない」は「生きる」なんですもの、と語ろうとするその口を阻むのだろうか。
 語り手は、「詩をかくというのは、執着以外の何ものでもありません」(247頁)と言う。ここには確たるわたしが在る。「とげ抜き地蔵」がわたしの、わたしたち家族の不幸の身代わりになる。わたしたちの災厄を、苦を、抜いてくれる。
 だが、どうしてわたし以外のものがわたしの代わりとなれるだろうか。そして代わりになれないのであれば、わたしのとげは抜かれない。この逆説のブランコが、ふたたび「ゆやゆよん」とゆれうごく。
 それでも語り手は、どうしようもなく信じている。


《(……)わたしは信じる、「とげ抜き」の「みがわり」を、
 わたしは信じて、そして認識する、自分は、
 この巨大な存在とひとつとなり、ちらばった、このみぢんの存在である(……)》(286頁)


 おまえはアニミストだとユダヤ人の夫は鼻を鳴らすが、「このみぢんの存在である」わたしのモチーフは全篇を貫いている。各章の末尾には、「……から声をお借りしました」と声の出典が明記されている。中原中也、宮沢賢治、古事記、梁塵秘抄、ダコタ・ファニング、大島弓子など、さまざまな声。多くの声。それらの声が、「伊藤」の口を通して語られる。だからこのとき語り手は、こういってよければ巫女的存在である。器としての存在。とすれば、「わたし」はどこにいるのか。
 娘たちの声が「わたし」をゆさぶる。笑い声が、叫び声が、金切り声が、歓声が。「また揺るぎました。わたしのここに在るという自覚まで揺るぎました」(288頁)。
 確たるわたしが揺らぐ。「ゆやゆよん」。なぜなら語り手である「わたし」もまた、聴き手である読者同様、娘たちの声の聴き手にほかならないからだ。「このからだそらのみぢんにちらばれ。」(「春と修羅」)
 語り手である「わたし」の聴いた声。それは、生の声である。


《つまりかれらは、声を嗄らして叫んでおりました。生きてる、生きてる、生きてる、生きてる、と。生きてる、生きてる、生きてる、生きてる、と。》(288頁)

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