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  3. ナンダさんのレビュー一覧

ナンダさんのレビュー一覧

投稿者:ナンダ

59 件中 1 件~ 15 件を表示

市場万能主義でも福祉国家でもない第3の道をさぐる

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 市場主義的な改革は必要だが十分ではないという立場を著者はとる。
 戦後、先進国ではケインズ経済学のもとに福祉国家を目指したが、オイルショックをへて財政赤字が蔓延した。それへの特効薬というふれこみで、新自由主義(新古典主義)と言われる市場万能主義が、サッチャー・レーガンを中心に一気にひろまった。
 バブルのころは「日本的経営」を賛美していた日本の経済学の専門化の多くが市場主義的な改革を唱道するようになった。
 だが、市場主義的な改革のなかで生まれたものは、「一人勝ち」だった。マテリアリズムの時代の製造業では完全な独占には至らず一定の競争が実現できていたが、ポストマテリアリズムに移行し、ソフト産業が主流になるにつれ、マイクロソフトのような「一人勝ち」が増えた。すなわち、「能力主義」の社会とは、圧倒的な数の敗者と一部の勝者を生みだす社会であった。
 また、市場万能主義は、民主的な討議や民主国家による政治的な修正を遠ざけることにもなる。つまり政治の民主主義と経済の自由主義は矛盾するものになってしまう。
 さらに、能力主義社会によって特権を手に入れた人(例えばビルゲイツ)は、自分の得た特権を子に贈与しようとするから、結局、だれもが能力のみによって評価される、という「能力主義」そのものを破壊することになってしまう。
 著者は、従来のケインズ的な福祉国家の「非効率性」も、効率を極限まで追求するために平等性を著しくそこなう市場主義も否定したうえで「第3の道」を提唱する。
 今までの「後ろ向きの福祉」や、「失敗者の命だけを救う」といったイメージの市場主義的な福祉とはちがい、「ポジティブな福祉」が必要だという。リスクに挑戦して失敗した人への補償措置(失業保険など)を充実させ、挑戦しやすい環境を整えることなどが必要とだ主張している。
 過去と現在の分析はわかりやすいが、「第3の道」と従来の福祉国家との具体的な差異をもうすこし丁寧に説明してほしかった。

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紙の本妖怪の民俗学

2008/08/31 15:39

妖怪はニュータウンのような「境界」に出没する

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 妖怪の話って、どんな背景から生まれてきて、現代の妖怪はどんなところから生まれるくるんだろう。
 著者は、妖怪の発生を「場所」との関連で説く。あの世とこの世の境界、内と外の境界、都市と田舎の境界……。そういった「境界」に妖怪が出るという。具体的には、辻であり、井戸であり、橋であり、都市と田園の境界にある新興住宅地であり、T字路である。
 江戸時代の妖怪は江戸の周縁部に多く、現代の妖怪は、町田のニュータウンなどの新興住宅地に多いという。神々の領域であった自然をつぶすときに、それとの摩擦のなかで妖怪が出る。人間の不安感が妖怪を生み出すというのだ。
 また、怪談奇談には「下女」がかんでおり、現代も、占いやカルトは若い女性がはまりこむなど、妖怪と若い女性とのかかわりも深いと指摘する。……
 農村部よりも、開発と旧来からの自然とがせめぎあうところが妖怪スポットであるという指摘や、「現代の妖怪」についての論考は興味深いものがあったが、なにもかもを「境界」こじつけたような印象もないではない。口裂け女の話などは、そのルーツを探ってくれたらおもしろいのだけど、抽象的な推論しかなくて少々物足りなかった。

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紙の本凡宰伝

2008/05/04 14:30

庶民とマスコミの劣化をえぐりだす

7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「真空総理」「鈍牛」「政策がない」とののしられながら、国旗国歌法や住民基本台帳法などの重要で危険な法案を次々にとおした。
 マスコミの薄っぺらな「茶化し」と、その裏にあったリーダー待望論(小泉賛美)の危なさは私も感じたが、佐野はさらにその裏に、庶民全体の劣化とそれに伴うマスコミの劣化を感知する。
 小渕の生い立ちをさかのぼり、群馬という風土を徹底して分析したうえで、小渕を「ハイパー庶民」と位置づける。「ブッチホン」をはじめとする気配りと、敵対者を脱力させてしまうボケと、本音とタテマエの使い分け。庶民の知恵を武器にしてきたのだ。
 その「庶民」が権力とふれあったときに、ある種の化学反応をおこし、執念深さや権力への執着……といった怪物性に変容した、という。
 「小渕はバカだから」と「国家」を語る庶民を「いつからそんなにえらくなったのか」となげく。暮らしの知恵、歴史に根づいた珠玉のような知恵を忘れてしまった一方で、自分がまったく傷つくことのない安全圏から権力者をばかにする。それを佐野は「大衆の劣化」と呼ぶ。
 それと軌を一にするのが、マスコミの劣化だ。小渕を薄っぺらにバカにしたことの結果が、小泉賛美であり、それが、有事法制やイラク戦争参加、教育基本法改正などをもたらしてしまった。
 著者のほかの本とくらべるとインパクトは薄いが、独自の切り口と大衆分析が鋭い。

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紙の本武士道 改版

2010/01/20 23:22

蛮国の弁護のなかに新しい「武士道」の芽を見る

6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 戦争中、この本が軍人たちの心の支えになったと聞いた。右翼的な本だと思って読んでいなかったが、よくよく見たら著者はキリスト者として有名な新渡戸稲造だ。新渡戸は平和主義であるクエーカー教徒だ。右翼思想とは正反対に位置する新渡戸がなぜ? と思って読むことにした。
 言葉づかいが難しく読みにくい。が、それでも新渡戸の伝えたかった一端は見えてきた。
 この本は日清戦争直後に英語で書かれた。東洋の野蛮な国と思われていた日本にも西洋に負けぬ倫理や道徳の規範があり、だからこそ急速な発展を遂げることができたのだ、と、欧米の人々に示すために書かれた。欧米のさまざまな哲学や思想と日本の武士の倫理観や孔孟の思想などを比較することで、日本や中国の文化や精神の高さを示すと同時に、滅びつつある過去の文化や精神を惜しみ懐かしむ内容になっている。
 経済学者の森嶋通雄は、武士道のかわりに「儒教」をおき、それが日本の発展の原動力になったと説いた。本来、中央集権体制に合致した日本的儒教から自由主義に適合する中国的儒教に移行するべきだったのに、戦後の「疑似民主教育」によって儒教精神を根こそぎにされ、その教育で育った世代が90年代に国の中心を担うようになって日本はダメになったと主張した。「儒教」を「武士道」に置き換えればそのまま新渡戸の論と重なりそうだ。
 だとしたら、中国的儒教に見合う、現代的な武士道とはどんな形になり得るのだろう? それはたぶん、欧米スタイルとはちがう、日本的なボランティア(国際貢献など)のなかに見えてくるような気がする。

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紙の本第五の山

2008/05/12 01:13

「神とのたたかい」を選ぶ神の子を描く

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 旧約聖書に出てくる予言者エリアが、故国イスラエルを追われてフェニキア(レバノン)の都市で暮らし、イスラエルにもどるまでの物語。
 神の声にしたがって王女に直訴したが故に故国の予言者が虐殺され、エリアも隣国に追われる。神の声にしたがって生きようとすると愛する女性を殺され、町もアッシリア軍によって破壊される。
 信じる神に裏切られつづけた末、「神とのたたかい」を決意し、破壊された町を復興することに力をそそぐ。
 悲劇がおきたときに「俺の人生になんの意味もない」と打ちひしがれてしまえば、それで人生は終わる。悲劇をうけいれ、その恐怖を脇において、「神との対決」をえらぶことで、神の愛にもどることができる……「悲劇は罰ではなく挑戦の機会である」という。
 ただひたすら従順な信者・預言者でしかなかった主人公が、自らの強い意志で、自らの人生を生きる人間に成長する過程をえがいている。
 人間の主体性を失わせて依存を強いる宗教とちがい、あらゆる権威におもねず、自らの人生を生きることをうながす「神」の存在を全編をとおしてしめす。
 無宗教の私でも、「星の巡礼」以来一貫している筆者の(あるいは筆者の信じる神からの)メッセージには共感をおぼえた。

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紙の本スプートニクの恋人

2010/02/15 00:45

孤独を共感するという形で孤独を乗り越える道

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 主人公のすみれは小説家志望の22歳の女性だ。小学校教師である「僕」はすみれを愛し、性欲を抱いているが、すみれは「僕」を性の対象としては見ない。すみれは17歳年上の女性ミュウを愛し、性欲をおぼえるが、ミュウはだれにも性欲を感じない人間である。
 お互いにお互いをとても大切に思いながら、どこかですれちがい交わらない。ミュウは「本当の自分」を「むこうの世界」に置いてきてしまった、と感じている。すみれもまた、「むこうの世界」に行ったまま姿を消してしまう。(「むこうの世界」とは、村上独特のパラレルワールドなのだろう)だれもが真っ暗な宇宙を永遠に飛んでいる人工衛星のように孤独である。
 すみれを失った「僕」は孤独にさいなまれる。
 万引きを繰り返す教え子の小学生に対して、大事な人を失った自分が孤独であることを一人語りのように語る。そのとき、固く口を閉ざした子がわずかに心を開く。
 人間は孤独である。でもその孤独を自覚し、他者に対して自らの口で真摯に語るとき、孤独を共感するという形で孤独を乗り越える道がわずかに残されているのではないか--。
 そんなことを伝えようとしているのではないか、と思った。

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紙の本モモ

2008/04/19 12:59

現代人への痛烈な批判

14人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 時間を節約し、忙しく働き、楽しいと思ったり夢中になったりすることがなくなり、無気力になり、合理性を求めて町は画一的になり、電飾で彩られる……。
 休日のレジャーでさえも「無駄」を廃し、静寂やヒマをおそれる。「時間の音を聞く、時間を感じる」ことができなくなる。
 現代人の生き方への痛烈な警鐘である。ゆったり流れる時間を感じる心をいつまでも持っていたい、心から泣いたり笑ったりできる感性を持ち続けたいと思わせられる。
 「有益な生き方」という考え方もいいけれど、生きることじたいを楽しみ慈しむことはできないのか。「社会の矛盾をただしたい、それが生き甲斐だ」という考え方でさえ、自分の心の扉を開いて生を享受していないぶん、弱いと思う。
 たぶん、何かの命とふれあい、自分の心がビリビリとふるえる体験を積み重ねる必要があるのだろう。

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紙の本東電OL殺人事件

2008/05/06 01:44

社会の構造と人間の堕落を描く

15人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 東電のエリートOLが売春の末に殺された1997年の猟奇的事件を徹底的に取材し、亡くなったOLの生き様を祖父母の世代にわたって浮き彫りにしている。ときに想像力がふくらみすぎて思いこみ過多の文章もないではないが、その取材量の膨大さに圧倒される。
 被害者の父は、東大を出て東電にはいったエリートであり、母も大金持ちの家の出身で東京女子大を卒業した。父親は順調に出世するが役員の直前で病死する。被害者が大学生の時だった。
 溺愛してくれた父の死をきかっけけに拒食症になり、父と同じ東電にはいり、エリートをめざすが30歳代半ばで出世の壁にぶちあたる。それが売春をはじめるきっかけとなったと著者は想定する。
 この仮説を論証するため、父母の家を3代前までさかのぼって調べ、生家や墓を訪れ、被害者が生まれてから死にいたるまで居住したすべての場所を歩き、東電の同僚や大学の同級生にもインタビューした。ネパール人容疑者の故郷まで足をはこんだ。
 容疑者とされたネパール人が犯行当日にたどったとされる、幕張の勤務先のインド料理店から犯行現場までのルートをたどってみると、犯行時間までに到着するのはかなり無理があることがわかったという。
 大きく堕落してしまった被害者の女性。その周囲には、世間的には「男女平等」を唱えながら昇進差別をやめようとしない東電があり、きびしい異国の生活のなかで性欲を満たすため小遣いをはたいて買春する容疑者がおり、人種的な偏見から無理な冤罪をひきおこす警察や検察の堕落があった。いわば、被害者女性の劇的と言えるほどの大堕落によって、日本社会の構造的堕落、周囲の人間の倫理的な小堕落などが浮き彫りにされることになったという。

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紙の本落日燃ゆ

2008/04/21 13:26

「統帥権」に敗れたリベラリストの生き様

15人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 すさまじい小説だ。司馬遼太郎的な英雄物語になるかならぬかのぎりぎりの線を守りながら、広田弘毅という人物を描ききっている。戦争は、天皇や軍部の一部個人だけの責任ではない、統帥権の独立という体制の問題である、ということが透けて見える。
 さらにいうならば、権力の大衆操作に加担したマスコミや政治家、そして大衆自身による翼賛的な圧力がなければ広田の外交はここまで破綻しなくてすんだかもしれない。
 政府の意向も軍の参謀本部の意思をも無視して独走する軍をおさえ、平和外交をめざそうと努力するが、「統帥権」をふりかざす軍部につぶされていく。まさに「長州の作った憲法が日本を滅ぼす」ことになった。
 皇族出身の近衛首相が、大衆的な人気を背に「革新(皇道)」という時流にのって勇ましい発言をくりかえす。
 国民精神総動員運動を主唱し、表現の自由まで圧殺する国家総動員法を「流動的な戦局に即応するためには必要であり、大筋だけでも議会を通して制定したほうが、立憲の精神に沿う」と通してしまう。また軍のふりかざす統帥権に悩んで、首相を構成員とする大本営をつくろうとしたが、陸海軍に反対され、結局、首相参加は拒まれ、陸海軍合同の作戦指導部という純粋な統帥機関をつくってしまった。
 そして最後は、事態収拾の自信を失い、内閣を投げだす。その直後に「軍部をまとめられるから」と東条内閣が生まれた。近衛がお坊ちゃん人気を背に軍事独裁への筋道をつけ、広田の主導していた「平和外交」の息の根を止めたのだった。
 そう、孫の細川元首相にそっくりなのだ。お殿様の家系と「政治改革」を標榜して人気を得て、結局は与党権力の独裁化を促す小選挙区を導入した。そして最後はあっけらかんと投げだした。
 ずるずると軍国への道へと押しやられ、広田は敗北する。そして戦後、「戦争については自分には責任がある。無罪とはいえぬ」といっさい自己弁護せず、最も嫌った軍人たちとともに絞首刑に処せられる。
 死刑の直前、他の戦犯が「天皇陛下万歳!」と叫ぶ傍らで、広田は「マンザイ」と唱えた。最後の最後に痛烈な皮肉を放った。
 広田らが処刑されたその日、吉田茂は国会を解散した。戦中の指導者は忘れられ、新時代はすごい勢いで流れる。あっというまに「戦争なんて遠い昔」となってしまった。

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紙の本動物農場

2008/06/11 01:14

「ソ連」だけではなく現代にもつうじる寓話

13人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 イギリスの農園で、人間の農場主の圧政にたえかねた動物たちが革命をおこす。亡き老豚メージャーの理論を後ろ盾に、ナポレオンとスノーボールという2匹の豚が指導した。
 殺さないこと、平等であること、ベッドに寝ないこと、などの戒律をつくった。「四本足はいい。二本足はだめ」がスローガンだった。
 スノーボールは、動物の王国を守るため、各地の農場で同様の革命をおこすよう画策する。ナポレオンは逆に、まず防備をかためようと考える。2匹は対立し、ナポレオンはスノーボールを追いだした。以来、批判的な動物を処刑する必要があるときは「スノーボールの陰謀」を口実とする。
 風車を建設して電気をおこし生産力を増し豊かになれると説いた。が、人間による侵略や天災により何度も風車は倒壊する。風車の部品を得るため、雌鶏の生んだ卵を人間に売って金をかせいだ。
 動物たちは苦しい生活だったが、「おれたちはほかの農場とはちがう。おれたちは平等だし、自分たちの農場なんだ」ということを誇りに生き、人間の圧制からの解放をうたう「イギリスのけだものたち」を合唱する。
 ところが、最初にみなで決めた戒律は次第にゆがんでいく。死刑が執行され、役にたたなくなった馬は「病院につれていく」と屠場で処分される。豚と犬(軍隊)だけは農場主の家のベッドで寝るようになった。
 それでも動物たちは、多少の違和感をおぼえながらも、ナポレオン配下の犬がこわいのと、以前の記憶があいまいになったのとで「そんなものか」とうけいれる。

 そう、メージャーはレーニン、ナポレオンはスターリン、スノーボールはトロツキー、豚は官僚、犬は軍隊、風車建設は5カ年計画。「イギリスのけだものたち」は「インターナショナル」……。スターリニズムへの強烈な風刺である。
 「人民権力」がいかにしてゆがみ、権力のための権力、ボス支配へと化すか。大量の宣伝と暴力の脅しによって過去を忘れさせ、「これがあたりまえ」というあきらめと惰性の感覚をつくっていくか。
 米国のありかたを批判したチョムスキーの「メディアコントロール」と「動物農場」に描かれる世界は、前者は現代の米国、後者はかつてのソ連をモデルにしているのに、きわめて似ている。もちろん、今の日本にもあてはまる。
 どんな理想をかかげようと、あらゆる権力は腐敗する。だからこそ、情報公開などの民主主義のツールが大切であり、それ以上に個々人の意識の民主化が大事なのである、ということがわかる。

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紙の本自然に還る 新版

2008/04/26 09:21

農を通して「神」を感じる生き方

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「分別知は否定している」と筆者は言う。神をしばしば口にして、現代の「知」を否定する。だから、学者が周囲から遠ざかってしまう。でも、読めば読むほどまっとうなのだ。
 科学者は物を分解していけば生命の根源がわかると思い、陽子や電子を発見した。遺伝子をも解析し、改変さえするようになった。だがどんなにミクロにわけいっても「生命」は見えてこない。むしろ、遺伝子操作や核など、自然=神を崩壊させる方向に向かった。
 天文学者はより遠くの宇宙を観測できるようになったが、宇宙の始まりと終わりは永遠に解明できそうにない。
 農業技術者はよりよい収穫をあげようと肥料を開発し、その肥料で育った稲を病気から防ぐために農薬をつくった。だが、肥料によって一時的に生産量が増えても、長期的には地力が衰え、それをカバーするためにさらに肥料や農薬を必要とするようになった。「何もしない」自然農法の単位面積あたりの収量を大きく上回ることはできないどころか、一定面積に投入するエネルギーが、収穫がもたらすエネルギーを上回るようになってしまった。その結果が、アメリカなどの砂漠化だ。
 筆者は「いかに何もしないで作物を作るか」を実践してきた。人間が汚す前のように豊かな大地をつくり、果樹や野菜の「自然型」をさぐり、神が創った「自然」をとりもどせば、何もしなくても最高の環境ができるはずだ。野菜も果物もたわわに実る、エデンの園のような世界が実現できるはずだ、と努力してきた。
 筆者はあらゆる「知」を否定する。神を理解しようとすることじたいが無意味だという。では生命や神を「知る」ことはできないのか。彼が言う「いっさいは無」とはどんなときに感じられることなのか。
 土を耕し、草を抜いているとき、何も考えずふっと意識がとぶ一瞬がある。小鳥の声、虫の羽音、そういったものが伝わってくるときがある。禅をするよりなにより、百姓こそが神に近い存在だと彼は言う。

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ベトナム戦争の裏にあった北ベトナムの政策を解き明かす

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 主に解放戦線や北ベトナム側の指導者からのインタビューを中心に、第二次世界大戦後の抗仏戦争、さらに米国との戦争、75年の解放をへて中国やカンボジアとの戦争……を描いている。当時はわからなかった戦争の裏面、政策判断をじっくり書き込んである。
 たとえば南の民族解放戦線と北ベトナム政府との関係は、北の指導下にあったものの、巧妙に隠していた。だが、完全に北の支配下にあった、というわけでもなかった。75年の勝利直前まで、南を独立した国にするという計画があったという。69年に亡くなったホーチミン自身がそう考えていたらしい。もしそうなれば、「南」政府は世界の多くの国と友好関係を結び、「北」との間のクッション役となり、86年のドイモイを待たずに、早くに経済発展を果たしていたかもしれない。
 抗仏戦争では、旧日本軍の兵士たちが教官役をつとめ、烏合の衆だったヴェトミンの指揮官に軍事教育を施したという。
 ベトナム旅行中に読んだからなおさら臨場感を感じた。
 私がビールを飲んでいるこのフエで、ベトナム戦争の帰趨を決める大規模な戦闘があり、古都が徹底的に破壊された。
 クチのこのトンネルでは、16000人のうち10000人が犠牲になるという厳しい戦いをくぐり抜け、米軍を撃退した。でも周辺では今も枯れ葉剤による病気や障害が多発している。
 普通の平和な街や村の光景があるからこそ、戦争の怖さが身に迫ってくる。

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紙の本噓つき大統領のデタラメ経済

2008/08/31 15:32

嘘と不条理が「王道」となる不条理

9人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 右派からは社会主義と言われ、ラルフネーダーからはグリーバリゼーションと非難される。彼自身は自由貿易を肯定的にとらえ、政治的にはクリントンに近い。ブッシュ政権の経済政策と政治のめちゃくちゃぶりを斬るとともに、ラルフネーダーらの反グローバリゼーションの勢力も批判している。
 大部分の学者やジャーナリストがブッシュ政権を正面から批判できなくなっていた時期、彼は「ブッシュはうそつきだ」と痛烈に指摘していた。
 「コラムニストらの多くはワシントンに住み、同じティーパーティーに行き、集団的思考を産む。9月11日まではブッシュは、阿呆だが正直者というのが共通の理解だった。それが9月11日以降は、タフな英雄で、決断力があり、清廉な『世界のテキサス・レンジャー』になった。…ジャーナリストの仕事は内部情報を取ることだが、私の場合、ほとんどは公表されている数字や分析に頼っている。だから政府高官に気に入ってもらう必要もないし、ジャーナリストのように人に気を遣いながら書くこともない」
 前文のこの指摘は、密着する政治家にひきずられて「政治家報道」に流れ、有事法制や教育基本法をめぐる議論を正面から批判できなかった日本のメディアにもあてはまる。
 ブッシュは、「まさかそこまでは」ということをやってきた。
 例えば減税の目的は、「財政黒字の還元」だったが、赤字に転じると「短期的景気刺激策」にかわり、さらに「長期的な経済成長」へと変化した。イラク侵攻の理由も、「アルカイダとフセインの関係」から「核疑惑」になり、「化学兵器を含めた大量破壊兵器」へとかわった。実は、(金持ち対象の)減税もイラク攻撃も、ずっと以前から計画されていたことだった。
 さらに政権幹部は、企業への露骨な利益誘導があきらかになっても開き直って辞任しない。エンロンの元トップが政権幹部に居座りつづけた。あまりの恥知らずさに周囲があっけにとられているうちに、事態は進行し、うやむやになったという。「恥知らず」の強さである。
 厚生年金の不正加入が見つかった小泉元首相が「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」と開き直り、イラクで大量破壊兵器が見つからないことを指摘されて「フセインが見つからないからといってフセインがいないことにならない」と詭弁を弄したのとそっくりである。
 しかもその詭弁を恥知らずに援護するマスコミが力をもっているところまで似ている。
  イラク戦争中に「ブッシュよ交替しろ」と発言したケリー上院議員は「愛国心を疑われる」と猛烈なマスコミのバッシングにさらされたという。
 規制緩和によって、テレビやラジオが一部の大資本に支配され、ブッシュ関連のラジオ局が戦争支持集会を組織した。権力とマスコミが結託して不条理を条理としてしまう様子はまさに、オーウェルの「1984年」の世界である。

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紙の本地雷を踏んだらサヨウナラ

2008/05/27 11:47

死が身近だから生が輝く

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ついさっきまで戦争ごっこをしていた少年が、本物の弾で殺される。兵士が行軍するわきの川で子どもたちが遊び、農婦がただずむ。戦争と日常が隣りあわせであり、民衆の痛みが目の前に見える戦争だったのだ。
 戦場をもとめて前線を歩き、すぐ隣の兵士の頭が吹き飛ばされる。足がすくみながら、それでも戦場を歩きつづけ、「アンコールを見られたら死んでもいい」と言い残してカンボジアの前線にむかって連絡を断った。
 カンボジア人やベトナム人の友人と交流し、戦場に住む人々の夢や希望を聞く。とりわけ、教師をしているカンボジアの友が結婚し、「夢」を語る場面は痛々しい。彼らの幸せな結婚式からわずか数年後、教師や医師といったインテリは皆殺しにされることを、読者である私たちは知っているからだ。
 恋をして、女を買い、「ベトナムは美人が多くて仏教徒でも性は自由です」と言って、カンボジアからベトナムにでてきて……。生と性と死が濃密に交わる日々をすごす姿がまざまざとうかびあがる。倫理とか道徳とかを超越した「生」がある。

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死ぬまで社会部記者のやせ我慢を通したダンディズム

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 1993年に透析を始め、5年後に肝臓ガンが発見され、右目失明、結腸ガン手術、右足切断、左足切断……「寿命がつきる時期と連載の終結時を両天秤にかけながら」死の直前までかけてつづった文章をまとめた。けっきょく最終回までたどりつけなかった。
 闘病記や貧乏物語が大嫌い、といい、自分の病気の話はほとんどふれない。そのダンディズムというか意地っ張りというかやせ我慢がかっこいい。突っ張り通した人生だったんだなあとよくわかる。
 「由緒正しい貧乏人」を自称し、権威も権力もきらい、「社会部記者」であることに誇りをもって生きた。
 朝鮮半島で豊かな子ども時代をすごしたが、戦後、引き揚げ者として貧乏のどん底に。徹底的にいじめられ友人ができなかったが、この体験があったから他人の痛みがわかるようになった、という。
 戦後民主主義の熱気が残っていた1955年に読売新聞に入る。「二流紙」と自称していて、やさぐれていて稚気あふれる集団だった。「新聞記者の末路なんて哀れなもんだよ。定年になって小さなおでん屋でもやってるのはまだましなほう」などと言う先輩もいた。鼻っ柱の強い筆者は、「生意気でいいんだ」「生意気でいいんだ」と支えられて遊軍記者として育てられた。
 世の中全体が、民主主義への希望にあふれていた。筆者が一生安アパートで暮らしたのは、「いずれ通勤に便利な場所に、質のよい公共住宅が、手頃な家賃で豊富に提供されるようになる。ならなければ政治にそれを要求すればよい。そう楽観的に考えていた」からだという。国民の意思によって政治はかわり得ると信じていた。
 ところが、貧しく純粋だった都市部の「お仲間」は、「うさぎ小屋」を取得したころから保守化し、自らが「中流」と思いこむ。
 「民主化は精神的近代化に始まる。しかし、日本人の多くは、民主化する手前のところでポチ化していった。所得倍増という餌にころりと行ってしまった」と筆者は言い、「お仲間たちよ、憲法の前文をしっかり読んでみなさい」「お仲間たちは痛い目にあわないとわからないから、不況がつづき弱者に辛い社会になればよい」と書く。
 世の中が保守化するのと軌を一にして、昭和30年代後半から社会部の衰退が始まる。気が付いたときには、主張すべきことを主張しない人間が圧倒的多数派を形成していた。
 そんな状況のなか筆者は、「野糞の精神」を若い仲間に説く。
 ……上に噛みつくには勇気がいる。お互い、そういうものはたっぷりとは持ち合わせていない。だが、空元気にせよ勇気を振り絞らないわけにはいかないではないか。言論の自由を金看板にしている以上、まず、自由な言論の場を社内に確保しなければならない。全員で立ち上がって欲しい。できないなら、せめて野糞のようになれ。それじたいは立ち上がることはできないが、踏みつけられたら確実に、その相手に不快感を与えられる。お前たち、せめてそのくらいの存在になれよ……なるべく量と面積を稼いでおいて、踏んだヤツが味わう不快感を、少しでも大きくすることである……。
 ナベツネが全権を掌握すると読売社会部は死に、粛正の嵐が起きる。「交通戦争」という名前を流行させた小倉貞夫記者は窓際に追いやられ、封筒貼りといった仕事を押し付けられた。
 --身内にむかって、批判はおろか意見具申もできない腰抜けどもが、戦前のように国家権力が牙をむいて襲いかかったら、いったいどうなるのか。社内権力を批判したところで、最悪の場合でも、通信部あたりに飛ばされるのがせいぜいであろう…せめて記者ならば、空元気でいいから物を言えよ--
 内向きにだらしない新聞記者を全編を通して何度も激しく批判している。
 読売を退社してフリーになり、物書きのだれもが憧れた「文藝春秋」に執筆の場を与えられたが、路線が合わないために手を切ってしまう。
 「私は世俗的な成功より、内なる言論の自由を守りきることの方が重要であった。気の弱い人間だから、いささかで強くなるために、自分に課した禁止事項がある。欲を持つな、ということであった。金銭欲、出世欲、名誉欲。これらの欲をもつとき、人間はおかしくなる。そういうものを断ってしまえば怖いものなしになるのではないか……その私にやがて救いの手が伸びる。それがなかったらいまごろホームレスにでも転落して、のたれ死にしていたであろう」
 これが絶筆となった。
  「救いの手」とはいったい何だったのか。知りたければ、彼の著作を丹念に読み直すしかない。

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